はぬま あん(1965年〈昭和40年〉 - 2011年〈平成… はぬま あん(1965年〈昭和40年〉 - 2011年〈平成23年〉3月27日)は、日本の漫画家、児童文化史研究家。栃木県出身。 1981年、栃木県立真岡高等学校普通科に入学。1984年に卒業し上京。1986年11月、『レモンピープル』(あまとりあ社)より漫画家デビュー。1987年、ゲームメーカー『ジャレコ』に広告デザイナーとして入社し、『妖怪倶楽部』『バイオ戦士DAN インクリーザーとの闘い』など数点のゲームパッケージイラストに携わった後、1988年(昭和63年)に独立。1990年(平成2年)、マニア向け情報誌『DO-PE』(あまとりあ社)の企画・構成に参加し、2000年(平成12年)以降から電動玩具、プラモデル、ロボットなどに関する連載企画を各社の雑誌に執筆した。
本多 正一(ほんだ しょういち、1964年12月17日 - … 本多 正一(ほんだ しょういち、1964年12月17日 - )は、日本の写真家、文筆家、ミステリ研究家。栃木県宇都宮市出身。 中学2年生の頃、中井英夫『虚無への供物』を読み、圧倒される。 青山学院大学文学部卒業後、写真に興味を持ち始めたとき、中井が世田谷区羽根木の家を引き払うというエッセイを読み、家の写真を撮影しておこうと1989年6月に羽根木を訪れたところ、門前で偶然中井と遭遇。そのまま中井家に招き入れられ、以降、1993年に中井が死去するまで、助手を務める。 1996年、写真集『彗星との日々──中井英夫との四年半──』を光村印刷Bee Booksから刊行。 1997年、東京写真月間'97として、ニコンサロン・銀座で写真展「彗星との日々」を開催。
宇井 純(うい じゅん、1932年(昭和7年)6月25日 -… 宇井 純(うい じゅん、1932年(昭和7年)6月25日 - 2006年(平成18年)11月11日)は、日本の環境学者・公害問題研究家。専門は下水道。畜産排水技術の研究開発で実績がある。沖縄大学名誉教授。富田八郎のペンネームで水俣病を告発し、新潟水俣病訴訟や公開自主講座「公害原論」でも活躍した。 東京大学で21年間助手を務めた後、沖縄大学教授、地域研究所初代所長、特任教授を歴任。UNEPグローバル500賞、アジア太平洋環境賞等を受賞。 東京都新宿区出身。大日本帝国陸軍少将の小嶋時久は祖父。「純」の名前は6月(June)生まれに由来する。2歳の時、父が茨城県の女学校に就職したため東京を離れ、以後、父の転勤に従って引っ越しを繰り返した。
中田 幸平(なかた こうへい、1926年2月10日 - )は… 中田 幸平(なかた こうへい、1926年2月10日 - )は、日本の舞台衣裳デザイナー、玩具研究家、歴史家。 栃木県栃木市生まれ。戦後上京し俳優座に入る。1955年過ぎ桑沢デザイン研究所講師となり、舞台衣裳デザイナーとして独立する。1985年NHK大河ドラマ「春の波涛」の風俗考証を手がける。かたわら尾崎秀樹の大衆文学研究会に参加した。
興津 要(おきつ かなめ、1924年〈大正13年〉4月21日… 興津 要(おきつ かなめ、1924年〈大正13年〉4月21日 - 1999年〈平成11年〉10月20日)は、日本の近世文学研究家・落語研究家。早稲田大学名誉教授。専門は近世後期の滑稽本と明治期の落語、戯作、ジャーナリズム。位階は正五位。 栃木県足利市生まれ。栃木県立足利高等学校を経て、1949年早稲田大学文学部国文学科卒業。当時の同級生に立原正秋がいた。1951年まで大学院に在籍、教育学部助手。1956年同専任講師、1959年助教授、1968年早稲田大学教育学部国語国文学科教授、1995年定年退任、名誉教授。1999年死去。死没日付をもって正五位に叙された。 1972年から1974年にかけて講談社文庫として刊行した『古典落語』シリーズ全6巻は200万部を超すロングセラーとなり、現在は一部が講談社学術文庫で刊行されている。
仁井田 一郎(にいだ いちろう 1912年(明治45年) -… 仁井田 一郎(にいだ いちろう 1912年(明治45年) - 1975年(昭和50年))は栃木県足利郡御厨町(現足利市)町議会議員・実業家・農業技術研究家。栃木県のイチゴ栽培技術を確立し、同県を日本有数のイチゴ生産地に発展させた。