八木 たまみ(やぎ たまみ、現在の姓名:秋田 たまみ、195… 八木 たまみ(やぎ たまみ、現在の姓名:秋田 たまみ、1958年〈昭和33年〉11月15日 - )は、日本の陸上競技選手。走高跳元日本記録保持者。群馬県伊勢崎市連取町出身。伊勢崎市立殖蓮中学校、太田市立商業高等学校、関東学園大学卒業。日本人女子としてはじめて1m90の壁を突破した選手として知られる。 伊勢崎市立殖蓮中学校に在籍中の1973年11月、国立競技場で開催された全日本ジュニア選手権にて1m70(日本中学新記録)で優勝。 1974年、太田市立商業高等学校に進学。全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)では初年度より優勝する。1976年8月5日、長野市で開催されたインターハイにて1m80の日本高校新記録で優勝し、同時にインターハイ3連覇を成し遂げた。
中村 孝生(なかむら たかお、1958年1月22日 - )は… 中村 孝生(なかむら たかお、1958年1月22日 - )は、日本の元陸上競技選手。群馬県出身。群馬県立前橋工業高等学校、日本体育大学体育学部体育学科卒業。 1970年代から1980年代にかけて長距離種目で活躍した。モスクワオリンピック代表、アジア大会2冠などの実績を誇る。瀬古利彦らとしのぎを削った名ランナーである。1980年ヱスビー食品入社。モスクワオリンピック代表に選出されるも、ソ連のアフガニスタン侵攻の影響で日本選手団は不参加を決定。不運に泣いた。ヱスビー食品陸上競技部競技部長を務めた。立正大学陸上競技部駅伝部門の初代監督を経てアドバイザーとなる。 インターハイ(2年生時)では800m・1500m優勝の瀬古をおさえ5000m優勝した。
平方 亨(ひらかた とおる、1957年10月10日 - )は… 平方 亨(ひらかた とおる、1957年10月10日 - )は、日本の陸上競技選手・陸上競技指導者。群馬県渋川市出身。群馬県立渋川高等学校を経て、早稲田大学教育学部卒業。 2004年11月から1年間 国際陸上競技連盟(IAAF、モナコ)事務局勤務をアジア人唯一で務めた。その前後に、日本陸上競技連盟理事 国際委員会委員長 として2007年の大阪世界選手権の誘致の中心的働きをし、世界陸上大会時にはIAAF事務総長秘書として活躍した。 また、2016年東京オリンピック招致委員会(TOKYO2016)でスポーツディレクターを務め、幅広いIAAFの人脈を生かし、国際スポーツ競技団体(IF)と招致計画の調整を行い、リオデジャネイロやシカゴやマドリッドの他立候補都市に先立ち最初に全ての競技団体から承認を受け取ったが、最終的にはリオデジャネイロに敗れた。
岩井 寿史(いわい ひさし、1955年 - 2020年10月… 岩井 寿史(いわい ひさし、1955年 - 2020年10月13日)は、日本の陸上競技選手である。専門は十種競技。群馬県出身。1970年代後半から1980年代前半にかけて活躍し、アジアの鉄人と呼ばれた。 群馬県立富岡高等学校、順天堂大学を卒業。1977年、日本選手権で7207点をマークして優勝。1978年(昭和53年)、日本選手権を7184点で制し、アジア大会代表に選出。タイ・バンコクで開催された第8回アジア大会陸上競技男子十種競技に日本代表として出場し、当時の世界でトップレベルだった中国、インドの選手を退け、7003点をマークし、優勝した。 2020年10月13日に逝去。 棒高跳の競技中に右足かかとを骨折し、まともに競技ができる状態ではなかったが、痛み止めの注射を打ち、精神力で残りの競技を行った。
水野 利夫(みずの としお、1952年3月31日 - )は、… 水野 利夫(みずの としお、1952年3月31日 - )は、日本の陸上競技選手。群馬県出身。専門は短距離走、元400m日本記録保持者。 群馬県立高崎商業高等学校時代にインターハイを制した[要説明]。 順天堂大学へ進学し、1974年第7回アジア大会(テヘラン)に出場し、400メートルリレー走で4位だった。大学卒業後は高崎工業高等学校教員となった。 1975年日本陸上競技選手権大会男子400mで優勝し、46秒86の日本新記録(当時)をマークした。
富沢 英彦(とみざわ ひでひこ、1946年6月1日 - 20… 富沢 英彦(とみざわ ひでひこ、1946年6月1日 - 2018年8月10日)は、日本の陸上競技選手。元走高跳日本記録保持者。1972年ミュンヘンオリンピック代表。群馬県安中市松井田町(旧碓氷郡松井田町)出身。順天堂大学卒業。大阪府の高校で教諭を務めた。
小林 馨(こばやし かおる、1944年 - )は、日本の元陸… 小林 馨(こばやし かおる、1944年 - )は、日本の元陸上競技選手。群馬県陸上競技協会副理事長、元体育教員、高崎経済大学附属高等学校前副校長などを歴任した。体育教師として勤務するかたわら、群馬県高体連の陸上競技専門部の役員として活躍した。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。 この項目は、教育に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:教育)。
金子 宗平(かねこ そうへい、1937年〈昭和12年〉8月1… 金子 宗平(かねこ そうへい、1937年〈昭和12年〉8月10日 - 2006年〈平成18年〉7月31日)は、昭和時代の日本の陸上競技選手。元円盤投日本記録保持者。ローマオリンピック代表・1964年東京オリンピック代表。日本選手権5連覇、日本記録更新7回など、数々の記録を打ち立てた。群馬県沼田市出身。身長175センチメートル、体重78キログラム。 群馬県沼田市硯田町出身。薄根中学校から群馬県立高崎工業高等学校に進学。高校では陸上部に所属し、1954年の関東大会で40m45をマークし優勝。翌1955年の関東大会で47m50の高校新記録を樹立し優勝し、酒田で開催された全国大会でも優勝。 翌1956年日本大学へ進学。
高橋 ヨシ江(たかはし ヨシえ、結婚後の姓 浜松、1932年… 高橋 ヨシ江(たかはし ヨシえ、結婚後の姓 浜松、1932年4月15日 - 2022年5月15日)は、日本の女子陸上競技選手(走幅跳)。メルボルンオリンピック代表。元中央大学女子陸上競技部監督・元日本陸上競技連盟女子委員長。 群馬県群馬郡東村(現在の前橋市)出身。旧制前橋高等女学校(現在の群馬県立前橋女子高等学校)入学後に本格的に陸上競技に取り組む。 女子の4年制大学進学率が2%という時代に中央大学からのスカウトを受けて入学。大学3年の第37回日本陸上競技選手権大会(1953年)で5m53をマークして選手権初優勝を飾ると、翌年の1954年アジア競技大会(フィリピン・マニラ)では5m68をマークして優勝した。
津金沢利美(つかねざわ としみ)は、昭和時代に活躍した日本の… 津金沢利美(つかねざわ としみ)は、昭和時代に活躍した日本の陸上競技選手。元4×800mR日本最高記録保持者。元400m手動計時日本高校最高記録保持者。専門は400m。群馬県出身。
星野 有(ほしの ゆたか)は、日本の陸上競技選手。群馬県出身… 星野 有(ほしの ゆたか)は、日本の陸上競技選手。群馬県出身。群馬県立中之条高等学校、筑波大学卒業。元800m・1500m日本高校記録保持者。
蜂須賀明美(はちすか あけみ)は、日本の陸上競技選手。198… 蜂須賀明美(はちすか あけみ)は、日本の陸上競技選手。1980年代前半の日本スプリント界をリードしたマルチスプリンターである。群馬県出身。