佐川 友彦(さがわ ともひこ、1984年12月12日 - )… 佐川 友彦(さがわ ともひこ、1984年12月12日 - )は、日本の篤農家。農業コンサルタント。ファームサイド株式会社代表取締役・創業者。 1984年、群馬県館林市生まれ。2000年、館林市立第二中学校卒業。2003年、群馬県立太田高等学校卒業、東京大学理科一類入学。2007年、東京大学農学部地域環境工学専修卒業。2009年、東京大学大学院農学生命科学研究科生物・環境工学専攻修士課程修了。新卒で入社したデュポン中央技術研究所先端技術研究部(アメリカ・ウィルミントン)で太陽光発電パネル素材の研究開発に従事。2011年3月、国立研究開発法人産業技術総合研究所派遣研究員。2013年4月、さがわ総研。
小林 仁志(こばやし さとし、1978年7月20日 - )は… 小林 仁志(こばやし さとし、1978年7月20日 - )は、日本の稲作篤農家。 かわばファーム株式会社代表取締役を務める。縁人-enjin-(世田谷・川場縁組協定交流事業)副隊長。 1978年7月20日、群馬県利根郡川場村出身。1997年、群馬県立沼田高等学校を卒業、2002年、國學院大學文学部史学科を卒業。2014年9月30日、農用地等借受応募を提出。2015年11月23日、第17回米・食味分析鑑定コンクール:国際大会・認定農業者部門で、特別優秀賞を受賞する。2016年8月2日、地方創生加速化交付金の交付(オール川場産でもてなす地鶏ブランド化プロジェクト)。11月、地鶏飼育販売会社「かわばファーム」を設立、12月4日、第18回米・食味分析鑑定コンクール:国際大会・国際部門で金賞を受賞する。
澤浦 彰治(さわうら しょうじ、1964年4月13日 - )… 澤浦 彰治(さわうら しょうじ、1964年4月13日 - )は、日本の実業家・篤農家。農業生産法人グリンリーフ株式会社代表取締役、株式会社野菜くらぶ代表取締役。株式会社サングレイス代表取締役会長。 1964年4月13日、群馬県利根郡昭和村で農家の長男として生まれる。1983年、群馬県立利根農林高等学校を卒業。群馬県畜産試験場研修後に、就農(養豚・コンニャク製品加工)。赤城原蒟蒻研究会の設立に参加。1984年4月、グリンリーフを設立。1992年、有機農業者グループ「昭和野菜くらぶ」の設立に参加、出荷・加工するこんにゃく芋をすべて無農薬栽培にする。1993年、赤城自然栽培組合の設立に参加。1994年、農業生産法人グリンリーフ有限会社を設立。
本多 義光(ほんだ よしみつ、1951年11月20日- )は… 本多 義光(ほんだ よしみつ、1951年11月20日- )は、日本の稲作篤農家。群馬県稲作経営者会議 副会長、利根沼田農作業受託者連絡協議会 会長、みなかみ町「水月夜生産組合」 組合長、アグリサポート有限会社 代表取締役。 群馬県利根郡の農家に生まれ育ったが、小学生の頃から実家の農作業に従事、実父の急死により小学生から独力で農作業を継続することになった。生活の面では親戚の援助などを受けながら、稲作作業を従事することになった。農作業を優先する必要もあり、義務教育を終えた後は、農業に専念することになった。 2015年3月に、全国の主要米コンクールですべて入賞以上の成績を達成した。 妻のほか、3人の男児がおり、現在、中学生になる三男を後継者として育てている。
高島 照治(たかしま てるじ、1924年〈大正13年〉1月1… 高島 照治(たかしま てるじ、1924年〈大正13年〉1月18日 - 2006年〈平成18年〉3月17日)は、日本の農業家、政治家。主な役職に群馬県議会議員、同議長、嬬恋村議会議員、日本ホルスタイン登録協会会長など。 大正13年(1924年)、群馬県吾妻郡草津町に生まれる。長野県立小諸商業学校(現・長野県小諸商業高等学校)を卒業。 太平洋戦争終結後復員すると、1946年(昭和21年)に嬬恋村(群馬県吾妻郡)に入植し、仙之入開拓農協(全国開拓農業協同組合連合会参照)を設立して組合長に就任した。 群馬県の畜産に関する様々な団体の要職を歴任したほか、1984年(昭和59年)からは日本ホルスタイン登録協会の会長を務め、牛の個体識別システムの導入に携わった。
新井 耕吉郎(あらい こうきちろう、1904年〈明治37年〉… 新井 耕吉郎(あらい こうきちろう、1904年〈明治37年〉2月26日 - 1946年〈昭和21年〉6月19日)は、日本の農業技師。群馬県利根郡東村園原(現在の沼田市利根町園原)出身(昭和42年に勲五等瑞宝章叙勲)。 日本統治下の台湾において紅茶の栽培に尽力したことで知られる。その紅茶各種の研究・普及活動で台湾紅茶産業の発展に大きく寄与したことから「台湾紅茶の父」または「台湾紅茶の祖」と呼ばれている。 1921年、旧制沼田中学校(現在の群馬県立沼田高等学校)を卒業後、1925年、北海道帝国大学農学部農学実科を卒業。一年志願兵(幹部候補生)として歩兵第59連隊(宇都宮)で軍隊生活を送る。満期除隊後の1926年に台湾に渡り台湾総督府中央研究所平鎮茶業試験支所に助手として赴任。
戸部 彪平(とべ ひょうへい、1881年〈明治14年〉4月2… 戸部 彪平(とべ ひょうへい、1881年〈明治14年〉4月2日 - 1945年〈昭和20年〉2月16日)は、日本の政治家、農政家。群馬県吾妻郡嬬恋村長、同村会議員。 群馬県吾妻郡嬬恋村田代に、戸部常太郎の長男として生まれる。小学校卒業後、近衛歩兵第2連隊へ入営し、日露戦争に従軍して勲八等、功七級に叙された。 1924年(大正13年)に同村の田代区域長となり、1925年(大正14年)より村会議員。1928年(昭和3年)から1936年(昭和11年)まで連続3期嬬恋村長を務めた。渋川駅から嬬恋村・鳥居峠を経て長野県真田に至るバスの開通をはたらきかけ、1933年(昭和8年)に実現させた。 1932年(昭和7年)からは当時貧窮に陥った嬬恋村の村民への救済のために、青果商人の青木彦治や農業技術員として活動していた塚田国一郎と共に冷涼な気候に適していたことよりキャベツの栽培及び生産を始める。
渋沢 市郎(しぶさわ いちろう、弘化4年10月15日〈184… 渋沢 市郎(しぶさわ いちろう、弘化4年10月15日〈1847年11月22日〉 - 1917年〈大正6年〉1月19日)は、日本の政治家、実業家、養蚕家、篤農家。深谷銀行取締役。族籍は埼玉県平民。幼名は須永才三郎。子爵・渋沢栄一の妹婿で従弟。 幕領上野国新田郡成塚村(後・群馬県新田郡強戸村、現・太田市)に生まれた。須永惣次郎の二男。母は渋沢宗助(2代目)の娘で渋沢市郎右衛門(先代の市郎)の妹。兄は須永伝蔵。渋沢栄一が東京に移り、別に一家を創立したため、その妹婿となり渋沢市郎右衛門家(中ノ家)を承継した。1892年、選ばれて八基村会議員となり1899年、名誉村長に推薦された。1905年、職を辞し県会議員に当選した。
萩原 鐐太郎(はぎわら / はぎはら りょうたろう、1843… 萩原 鐐太郎(はぎわら / はぎはら りょうたろう、1843年7月2日(天保14年6月5日)- 1916年(大正5年)7月31日)は、明治から大正初期の養蚕家、篤農家、政治家。衆議院議員。 上野国碓氷郡東上磯部村(群馬県碓氷郡東上磯部村、磯部村東上磯部、磯部町、安中町を経て現安中市)で、豪農・萩原四郎左衛門、とま子の第二子(二男)として生れた。母が出産直後に死去したため、代々里正を務める家の叔父・萩原弥左衛門の養子となる。佐々木愚山に師事し和漢の群書を学び、山口藤十郎に剣術を、水戸藩士・黒田健之助に柔術・居合を学んだ。 1858年(安政5年)養父の死去に伴い家督を相続し、同年7月11日(6月1日)里正に就任した。
加部 安左衛門(かべ やすざえもん)は、江戸時代、上野国吾妻… 加部 安左衛門(かべ やすざえもん)は、江戸時代、上野国吾妻郡大戸村(現・群馬県吾妻郡東吾妻町大戸)の豪農・加部家の当主が世襲した名跡。加部家は戦国時代後期の富沢掃部介常久を初代として、江戸時代には商業・金融・酒造・鉱山といった多角経営で財をなし、「一加部、二佐羽、三鈴木」として上州第一の分限者と言われた。特に幕末・明治時代の12代・加部安左衛門嘉重は俳人・加部琴堂として著名。通称加部安(かべやす)。 加部家の先祖は平広常であると伝わる。初代・富沢掃部が永禄元年(1558年)に大戸に住んだことに始まると伝わり、4代目・小右衛門重常の時に大戸関所が設置されるにあたって関所役人に任じられたという。加部安左衛門重則は重常の次男であり、兄が関所役人を継いだのに対して農業を継いだが、その子孫は大戸村が関所が設けられるような信州街道・草津街道の要所であるという地理的利点を生かし、多様な業種に進出して上野国でも有数の富豪となった。