涌井 秀章(わくい ひであき、1986年6月21日 - )は… 涌井 秀章(わくい ひであき、1986年6月21日 - )は、千葉県松戸市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 NPB史上唯一の3球団での最多勝利受賞者。 妻はモデルの押切もえ。 松戸市立寒風台小学校時代はソフトボールをしており(寒風台ソフトボールチーム、現わかばソフトボールに所属)、野球は松戸市立第六中学校に進学後のシニアリーグ(松戸リトルシニア)で始めた。その後横浜高等学校に進学。 高校入学時から松坂大輔二世と呼ばれていた。高校2年春に第75回選抜高等学校野球大会に1学年上のエース成瀬善久、荒波翔、同級生の石川雄洋、村田浩明らと共に出場。準決勝までは成瀬の中継ぎとして登板。
上野 啓輔(うえの けいすけ、1986年3月6日 - )は、… 上野 啓輔(うえの けいすけ、1986年3月6日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球指導者、実業家。株式会社FROM BASE.代表取締役。大正大学硬式野球部コーチ。NPBでは育成選手であった。 中学時代は船橋リトルシニアでプレイ。シニア時代の最高成績は3年春に関東大会ベスト8、当時は投手より打者での活躍が目立っていた。高校は千葉の名門で数々のプロ野球選手がいる習志野市立習志野高等学校に進学。3年になってからはエースで活躍。3回戦でその年Aシードだった我孫子を相手に2安打完封に抑え、身長が192cmだったこともあり長身ピッチャーとして注目された。しかし続く4回戦で専大松戸に1-0で敗退した。
清田 育宏(きよた いくひろ、1986年2月11日 - )は… 清田 育宏(きよた いくひろ、1986年2月11日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者、野球解説者。右投右打。 父の実家は鎌ケ谷市の名産である梨の農家。市立柏高時代は投手で、球速は最速で140km/h前半。制球も良く、スカウトから注目されていたが、東洋大学へ進学。野球部でも投手を務めたが、大学3年間のプレー成績が不安定だったことから野手へ転向。4年春には打順4番で3本塁打・14打点の打撃成績を残しベストナインに輝いた。リーグ通算37試合122打数31安打22打点5本塁打11盗塁、打率.254。投手で1試合に登板。2007年の大学4年時に東都大学リーグ戦を連覇。大学同期に大場翔太投手がいる。
金子 圭輔(かねこ けいすけ、1985年7月23日 - )は… 金子 圭輔(かねこ けいすけ、1985年7月23日 - )は、千葉県君津市出身の元プロ野球選手、(内野手)、コーチ。右投両打。 兄の影響で小学校3年生から野球を始めた。君津市立小糸中学校に進学し、木更津リトルシニアに所属しながら、走幅跳の千葉県大会に出場し6メートル30の記録で6位に入賞した。 志学館高等部へ入学した際に、新入生全員を対象に実施される体力テストで、同校史上初の全種目満点を記録した。同校の硬式野球部では、1年夏から遊撃手としてレギュラーを獲得。2年の秋から4番に座ると、投手不在のチーム事情から投手へ転向。3年時には主将・4番・エースとして夏の県大会で準優勝。1回戦から決勝戦まで全7試合でマウンドに上がり、61イニングを投げぬいた。
横川 史学(よこがわ ふみのり、1984年12月3日 - )… 横川 史学(よこがわ ふみのり、1984年12月3日 - )は、千葉県千葉市(現:花見川区)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、指導者。右投左打。 愛称は「ヨコ」「ヨコやん」。 小学1年生で野球を始める。千葉市立朝日ヶ丘小学校時代は「千葉市リトル」で、千葉市立朝日ヶ丘中学校時代は「千葉北シニア」でプレーする。高橋悠太は中学時代の先輩である。また、横川の姉が「nano.RIPE」のきみコと小中学校のクラスメイトであり、横川が小学生の時まで同じマンションに住んでいた幼馴染の関係である。 常総学院高等学校へ進学後は、同級生の大﨑雄太朗と共に2001年の第73回選抜高等学校野球大会で優勝した。同大会では全試合「7番・一塁手」で出場。
桑原 秀和(くわはら ひでかず、1984年12月1日 - )… 桑原 秀和(くわはら ひでかず、1984年12月1日 - )は、日本のフリーアナウンサー、元社会人野球選手(外野手。右投左打)。ボイスワークス所属。 千葉県柏市出身。いて座、血液型A型。 柏市立松葉中学校、柏市立柏高等学校、秀明大学卒業。大卒後の2008年4月、日本海テレビジョン放送(NKT)に入社(同期は定常菜都子)。同年7月よりアナウンサーデビュー。2016年3月、退社。同年4月、静岡放送(SBS)へ入社した。同16日に、BSスカパー!向けに生放送されたJリーグ中継『「Jリーグサタデーナイトマッチ」明治安田生命J1リーグ 1stステージ 第7節 ジュビロ磐田対横浜F・マリノス』(開催:ヤマハスタジアム)の中継ではピッチリポーターを務めている。
越川 昌和(こしかわ まさかず、1984年11月29日 - … 越川 昌和(こしかわ まさかず、1984年11月29日 - )は、千葉県香取郡出身の元プロ野球選手(投手)。 多古高から上武大学を経て、サウザンリーフ市原に入団。 2008年にベースボール・チャレンジ・リーグの群馬ダイヤモンドペガサスに入団。同年は、主にリリーフや抑えとして活躍し、10セーブを挙げ最多セーブのタイトルを獲得した。 2009年、先発もこなすようになり6勝(リーグ10位)を挙げ、防御率は1.94(リーグ5位)と活躍。 2010年、再びリリーフとして活躍し、2008年以来の最多セーブのタイトルを獲得した。 2011年10月19日、任意引退となり退団した。 群馬退団後は軟式野球をプレー。
栂野 雅史(とがの まさふみ、1984年10月19日 - )… 栂野 雅史(とがの まさふみ、1984年10月19日 - )は、千葉県印旛郡栄町出身の元プロ野球選手(投手)。
浅間 敬太(あさま けいた、1984年8月19日 - )は、… 浅間 敬太(あさま けいた、1984年8月19日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校時代は愛知県名古屋市で過ごす。千葉市立みつわ台中学校を卒業後、敬愛学園高等学校に入学。2年秋に関東大会出場も1回戦でサヨナラ負け、3年夏はベスト8。 2002年のドラフト会議で、地元でありファンでもあった千葉ロッテマリーンズに3巡目で指名を受け、相思相愛の形で入団。 2003年7月19日にプロ初登板。一軍公式戦初先発となった7月23日の対近鉄戦では1、2番連続四球の後、3番・タフィ・ローズに被弾するなど、結局23球・1/3投球回を投げ2被安打3与四死球3失点とほろ苦デビューとなった(チームは打線の粘りによって引き分けた)。
高市 俊(たかいち しゅん、1984年7月9日 - )は、千… 高市 俊(たかいち しゅん、1984年7月9日 - )は、千葉県流山市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 流山市立東小学校、流山市立東部中学校卒業。 帝京高校時代は松本高明、吉田圭らがチームメイト。自身はエースを務めたほか、高校通算12本塁打を記録するなど打撃も良く、登板しない際には三塁手としても出場していた。3年生時(2002年)には第84回全国選手権に出場し、最終的に準決勝まで勝ち進んだが、2回戦の光泉高校(滋賀県代表)戦以外はピリッとせず、伝令役の選手に「エースならしっかりしろ!」と一喝される一幕もあった。 青山学院大学では国際政治経済学部に在籍。山岸穣の卒業後にエースとなる。3年春から4年春にかけて同大学のリーグ3連覇に貢献し、東都大学リーグ史上初となる3季連続でのMVP、最優秀投手、ベストナインの三冠に輝いた。
長田 昌浩(ながた まさひろ、1984年6月10日 - )は… 長田 昌浩(ながた まさひろ、1984年6月10日 - )は、千葉県茂原市出身の元プロ野球選手(内野手)。 中学時代は陸上競技部へ入部し、市原シニアに所属。高校は東海大望洋高に進学し、1年春からレギュラーとして活躍、2年夏の千葉大会準優勝。 高校時代から好守、俊足、巧打のショートとして注目され、西岡剛等と共に「ポスト松井稼頭央」として注目された。高3夏の千葉大会では日米11球団19人のスカウトが彼のプレーを見ている。 2002年度ドラフト会議にて「巨人以外の指名なら東海大進学」を表明し、読売ジャイアンツから4巡目指名を受け、入団。「篠塚2世」として期待された。 ルーキーイヤーの2003年高卒新人選手では松井秀喜以来の一軍キャンプスタートとなり、多大な期待を受けた。
田久保 賢植(たくぼ けんしょく、1984年3月31日 - … 田久保 賢植(たくぼ けんしょく、1984年3月31日 - )は、千葉県八千代市萱田町出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。一般社団法人オールネーションズ副代表。 6か国(アメリカ・日本・カナダ・オーストラリア・チェコ・オーストリア)の独立リーグ、マイナーリーグチームでプレーした経験を持つ。 高校時代に雑誌でメジャーリーグ(モントリオール・エクスポス)のトライアウト記事を見たことがきっかけで、フロリダ州のベースボールアカデミー、次いでアメリカのサマーリーグに参加。元は外野手だったが、この渡米時の経験で内野手にも挑戦した。状態はよかったが肉離れを発症して、アメリカでの契約には至らなかった(怪我を惜しまれたという)。
植松 泰良(うえまつ たいら、1983年9月26日 - )は… 植松 泰良(うえまつ たいら、1983年9月26日 - )は、千葉県館山市出身のプロ野球コーチ。2022年よりMLBのサンフランシスコ・ジャイアンツのコーチを務めており、2025年時点ではクオリティ・コントロール担当コーチ。 千葉県館山市出身。地元の中学を卒業後に西武台千葉高等学校に進学。 高校時代は捕手として活躍したが、語学を学ぶために単身で渡米。2003年に南イリノイ大学カーボンデール校に入学。大学の様々な運動部に学生トレーナーとして配属されて、2005年と2006年の2シーズンは野球部に帯同した。 同野球部監督の紹介で、2006年にサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下AAA級フレズノ・グリズリーズのインターンから正式採用され、ブルペン捕手として活動を始める。
林 昌範(はやし まさのり、1983年9月19日 - )は、… 林 昌範(はやし まさのり、1983年9月19日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。左投左打。妻は、テレビ東京出身のフリーアナウンサー・亀井京子。 小学生の時にハザマシーホークスで軟式野球をスタート。船橋市立七林中学校3年時には、4番打者兼エースとしてチームを千葉県総合体育大会2位に導いたほか、関東大会にも出場した。中学校への卒業後に、地元の船橋市立船橋高等学校へ進学。在学中には大型の左腕投手として、NPBにとどまらず、MLB球団のスカウトからも注目されていた。しかし、3年春の対外試合中に足を骨折してからはマウンドに上がれず、夏の選手権千葉大会では準決勝で後にプロでチームメイトとなる長田昌浩がいた東海大望洋高校に敗れ、3年続けて準決勝敗退を喫した。
福元 淳史(ふくもと あつし、1983年8月24日 - )は… 福元 淳史(ふくもと あつし、1983年8月24日 - )は、千葉県茂原市出身の元プロ野球選手(内野手)。 小学生の時に本納パワーズで野球を始め、中学時代は市原シニアで野球を続ける。 市立船橋高校に入学後、1年生でレギュラーを掴み、2年時に夏の千葉県大会ベスト4、主将を務めた3年時にも夏の千葉県大会ベスト4で甲子園出場経験は無し。高校通算20本塁打。同期に林昌範、2学年下に大学でも後輩となる村田和哉がいる。 大学は東都大学野球の中央大学へ進学。入学と同時にメンバー入りを果たす。2004年秋リーグで初めて規定打席に到達。「五番・一塁」で8打点(リーグ4位)を挙げ、51季ぶり24回目のリーグ優勝に貢献した。
片岡 保幸(かたおか やすゆき、1983年2月17日 - )… 片岡 保幸(かたおか やすゆき、1983年2月17日 - )は、千葉県千葉市花見川区出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球指導者、野球解説者。右投右打。 プロ入り初年度の2005年から2012年までの登録名は片岡 易之、2013年から2021年までの登録名は片岡 治大(以上、いずれも読み同じ)で、2022年より活動名義を本名に戻している。愛称は「ヤス」。マネジメント事務所は吉本興業。 兄は元社会人野球選手で日本大学硬式野球部監督の片岡昭吾。妻はタレントのベッキー。 3人兄弟の末っ子。小学校時代は作新ヤンキースの4番打者兼投手として活躍。中学時代は千葉北シニアリーグに所属し、2年からレギュラーで活躍。
片岡 治大(かたおか やすゆき、1983年2月17日 - )… 片岡 治大(かたおか やすゆき、1983年2月17日 - )は、千葉県千葉市花見川区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。
押本 健彦(おしもと たけひこ、1982年10月28日 - … 押本 健彦(おしもと たけひこ、1982年10月28日 - )は、千葉県流山市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生で流山市の少年野球チームで野球を始めた。中高では大舞台とは無縁であったが、日産自動車では2003年に東京スポニチ大会で松下電器を相手に延長15回無失点に抑えて注目されると、同年は都市対抗野球で東芝の補強選手(登板なし)。第30回社会人野球日本選手権大会優勝にも大きく貢献した。 2003年のドラフト会議で日本ハムファイターズから4巡目で指名を受けた。日本選手権の終了を待って、契約金8,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)で仮契約し入団した。 2004年はキャンプ・開幕は二軍で過ごしたが、一軍投手陣の不調と二軍での好投により、4月早々に初の一軍昇格を決めた。
手嶌 智(てじま さとし、1982年6月16日 - )は、千… 手嶌 智(てじま さとし、1982年6月16日 - )は、千葉県富津市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 拓大紅陵高では2年秋の県大会優勝も関東大会は初戦となる準々決勝で敗退。社会人野球の新日本石油では都市対抗野球に補強を含めて2回出場、2004年のドラフト自由獲得枠で千葉ロッテマリーンズに入団。 最速140km/h後半のストレートに加え、スライダー・チェンジアップ・フォークなどを投げる。 2005年はファームで最多勝(10勝)を上げたが、やや制球・変化球に難があり、6月22日に一軍で初登板・初先発した際も甘く入ったチェンジアップを小笠原道大にレフトスタンドに運ばれるなどでノックアウトされている。
藤崎 大輔(ふじさき だいすけ、1981年9月29日 - )… 藤崎 大輔(ふじさき だいすけ、1981年9月29日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(捕手)、野球指導者。 中央学院高等学校では1年上に安原政俊、1年下に押本健彦の両投手がいた。3年では4番を打つと強打が評価され、1999年のドラフト会議で日本ハムファイターズから5位指名を受け入団。 しかし、1軍出場のないまま、2002年に戦力外通告を通知され、現役から引退する。当時の記事には、引退後について『将来的にアマチュアの指導者を目指すため、大学の通信教育を受けたい』と話している。 2014年3月にアマチュア指導者としての資格を回復し、同年4月より明聖高等学校野球部の監督に就任。正規部員はたった2人で、練習もままならない状況のなか、他の部活からレンタルすることで、第96回全国高校野球選手権大会千葉県大会に出場したが、2回戦の千葉県立千葉商業高等学校戦で、18失点を喫し、5回コールド負けを喫した。
川島 亮(かわしま りょう、1981年9月9日 - )は、千… 川島 亮(かわしま りょう、1981年9月9日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 稲毛中学校から「北千葉ポニー」に所属し、野球を始める。千葉経済大学附属高校を卒業後、八戸大学に進学、硬式野球部に所属。大学の同期には石川賢がいる。1年から登板して2年で同校初の大学選手権に出場。3年時は2回戦で先発勝利しベスト8。日米大学野球に出場したが、4年時は右肩痛を発症した。 2003年度ドラフト会議でヤクルトスワローズに自由獲得枠で入団。背番号はかつてスワローズのエースであった松岡弘や川崎憲次郎が背負った「17」となった。 2004年は中盤以降から防御率を向上させて先発の柱となり、終盤には5連勝で10勝を挙げ、防御率もリーグ3位の3.17を記録し新人王に選出された。
岩舘 学(いわだて まなぶ、1981年4月14日 - )は、… 岩舘 学(いわだて まなぶ、1981年4月14日 - )は、千葉県成田市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。現在は北海道日本ハムファイターズでファーム内野守備走塁コーチを務める。 成田高等学校では2年夏に東千葉大会決勝で多田野数人を擁する八千代松陰に敗退。3年次は主将で春県大会優勝、夏は県ベスト4。東洋大学に進学。1年からレギュラーで秋にはベストナイン(遊撃手)。東都大学リーグ通算101試合出場、375打数92安打、打率.245、6本塁打、42打点。4年時は世界大学野球選手権に出場し、本塁打を放った。 2003年のプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツに5巡目で指名されて入団した。
和田 貴範(わだ たかのり、1981年2月12日 - )は、… 和田 貴範(わだ たかのり、1981年2月12日 - )は、千葉県出身の元社会人野球選手(内野手)。 拓大紅陵高から明大に進む。いわゆる松坂世代(1980年4月 - 1981年3月生まれ)である。2002年春シーズンはリーグ打率2位の好成績を挙げ、ベストナイン(三塁手部門)を受賞。リーグ通算92試合出場、298打数79安打、打率.265、2本塁打、22打点。 2003年に新日鐵君津から衣替えしたかずさマジックに入部(所属は日東交通)。かずさ1期生となる。その年チームは2大大会(都市対抗野球大会・社会人野球日本選手権大会)に出場を果たすが、ほとんど出場機会がないまま初年度を終える。2年目からチームは2大大会の出場を逃し続けるが、和田はサードのレギュラーを獲得し、2004年・2005年にはホンダ、2006年にはJFE東日本の補強選手として3年連続で都市対抗でチームの上位進出に貢献。
佐藤 章晶(さとう ふみあき、1980年11月5日 - )は… 佐藤 章晶(さとう ふみあき、1980年11月5日 - )は、社会人野球の選手(捕手)。
安原 政俊(やすはら まさとし、1980年10月8日 - )… 安原 政俊(やすはら まさとし、1980年10月8日 - )は、千葉県市川市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学2年生から野球を始める。1996年、鎌ヶ谷ドラゴンズに入団し、中心選手として活躍。 中央学院高等学校時代はストレートとキレのある変化球を武器に活躍。3年夏は東千葉大会ベスト4で甲子園出場はならなかったが、大きな将来性で注目を集め、1998年のドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け、契約金5000万円・年俸480万円(金額は推定)で入団。 スリー・クォーターから繰り出される剛速球で打者を翻弄。2001年には一軍に昇格し、中日ドラゴンズ戦で1回を投げきった。 しかし、一軍登板はその1回のみで、2002年に戦力外通告を受ける。
栗田 雄介(くりた ゆうすけ、1980年8月23日 - )は… 栗田 雄介(くりた ゆうすけ、1980年8月23日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 千葉工業高から千葉工業大学(土木工学科)を経て、社会人野球の宮城建設に入社。1年目にチームの廃部により、2003年に大阪近鉄バファローズの入団テストを受験し合格。同年のプロ野球ドラフト会議で近鉄から7位指名を受け入団。近鉄が最後にドラフト指名した選手となった。 2004年は、オーバースローからサイドスローに転向してシーズン最終戦で一軍登板を果たした。2005年は、球団合併・分配ドラフトを経てオリックス・バファローズ入りするも、故障もあって登板機会がなく自由契約となった。 2006年は、関西メディカルスポーツ学院に入学。
鳥谷部 健一(とりやべ けんいち、1979年11月4日 - … 鳥谷部 健一(とりやべ けんいち、1979年11月4日 - )は、千葉県我孫子市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 地元の少年野球チーム・ブラックバードで野球を始める。我孫子市立白山中学校では市大会準優勝、高校では同期の五十嵐亮太(敬愛学園)とともに県内で大型右腕として注目されるが3年夏は県大会5回戦で敗れた。 1997年度ドラフト会議にて西武ライオンズから3位指名を受けて入団。速球派であった渡辺久信の背番号41を受け継いだ。 長身から投げ下ろすストレートとカーブが武器で期待も非常に大きく、2002年シーズンには監督に就任した伊原春樹に期待され一軍に帯同し、敗戦処理などで起用されるが血行障害などで目立った活躍はできず、2005年シーズン終了後に戦力外通告を受けた。
阿部 慎之助(あべ しんのすけ、1979年3月20日 - )… 阿部 慎之助(あべ しんのすけ、1979年3月20日 - )は、千葉県浦安市出身の元プロ野球選手(捕手・内野手、右投左打)、プロ野球監督。現在は読売ジャイアンツの監督を務める。 読売ジャイアンツ(巨人)一筋で19年間プレーし、正捕手や一塁手として8度のリーグ優勝、3度の日本シリーズ優勝に貢献。2007年から2014年までは第18代主将も務めた。国際大会でも2009年にWBC優勝を経験。2013年のWBCでは日本代表の正捕手も務めていた。引退翌年の2020年からは巨人の二軍監督やヘッド兼バッテリーコーチ等を歴任し、2024年からは第20代一軍監督を務める。 愛称は「慎ちゃん」「慎之助」 3人きょうだいの第2子(1歳上の姉と3歳下の妹がいる)として誕生。
G.G.佐藤(ジー・ジー・さとう)こと佐藤 隆彦(さとう た… G.G.佐藤(ジー・ジー・さとう)こと佐藤 隆彦(さとう たかひこ、1978年8月9日 - )は、千葉県市川市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。
平野 元章(ひらの もとあき、1978年8月5日 - )は、… 平野 元章(ひらの もとあき、1978年8月5日 - )は、アスレティックトレーナー、プロ野球コーチ。ストレングス&コンディショニングコーチとして横浜ベイスターズに所属し、横浜の二軍である湘南シーレックスを担当していた。 甲子園常連校の成田高校野球部出身。トレーナーを目指して、富士アスレティック・ビジネス専門学校へ進学。卒業後、地元・千葉県にあるオークスのスポーツ科学研究所へ勤務していた。 中学時代のあだ名は『モアイ』である。 2001年、横浜ベイスターズのS&Cコーチに就任。球団の、若手選手の育成・主力選手のコンディションケアなどを強化する目的もあっての起用であった。選手の体調・コンディション管理や個々のトレーニングメニューの作成などが主な仕事である。
澤井 良輔(さわい りょうすけ、1978年3月9日 - )は… 澤井 良輔(さわい りょうすけ、1978年3月9日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(内野手)。 小学生の頃は運動が苦手だったが、仲間はずれになりたくないとの理由で4年から野球を始める。元々は右打ちだったが、中学3年の時に左打ちを試したところ右打ちより飛んだという。憧れだった篠塚利夫と同じ銚子商業高に進学し主軸として大活躍。3年生時に春夏連続甲子園出場。第67回選抜では準優勝、第77回全国選手権は3回戦敗退。そのパワーとスター性はプロ級と評判になり、「西の福留・東の澤井」とまで言われた。福留孝介とは交友関係があったが、2人をライバルとして扱うマスコミには不快感を覚えていた。 1995年度ドラフト会議では福留のハズレ1位としてロッテから指名を受けた。
伊与田 一範(いよだ かずのり、1978年2月25日 - )… 伊与田 一範(いよだ かずのり、1978年2月25日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は改姓して、長尾 一範(ながお かずのり)。 千葉経大附属高では野球部の同学年に山里亮太がいた。遠投100mの強肩に加えて高校通算45本塁打を記録した強打の外野手で、投手も兼任し、1年生の時からレギュラーだった。1995年のドラフトで広島東洋カープから4位で指名を受け、契約金と年俸それぞれ4,000万円、450万円(いずれも推定)で入団契約を結んでいる。入団後に肩の強さを生かし捕手転向する。 2000年には1軍初出場を果たし、プロ初安打を本塁打で飾るなど長打力を発揮した。 2001年より内野手に転向したが、結果を残せず広島を退団。
窪田 淳(くぼた あつし、1978年〈昭和53年〉2月20日… 窪田 淳(くぼた あつし、1978年〈昭和53年〉2月20日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。 市立銚子高では一塁手兼第2投手であった。第1投手は長谷川昌幸。 大学は帝京大学に進学し、硬式野球部に所属。3年生まで首都大学リーグ戦未登板であったが、スリークォーターから投じる140km/h台のストレートと鋭く曲がるスライダーを武器にして、4年生時に大学エースとなる。当時の監督が日産自動車コーチ時代に川尻哲郎を指導しており、その川尻と近い投球フォームにして開花したという。通算10試合登板、5勝2敗。1学年先輩に愛敬尚史、里崎智也がいた。 1999年11月19日に開催されたドラフト会議にて6巡目で阪神タイガースから6位指名を受け、入団。
片岡 昭吾(かたおか しょうご、1978年1月23日 - )… 片岡 昭吾(かたおか しょうご、1978年1月23日 - )は、元アマチュア野球選手、監督。千葉県千葉市出身。 埼玉西武ライオンズや読売ジャイアンツに所属した元プロ野球選手の片岡保幸(易之、治大)は実弟。 宇都宮学園高校時代、3年時の夏に中堅手として甲子園出場。 高校卒業後は、日本大学に進学。東都大学1部リーグ通算47試合出場、156打数41安打、打率.263、3本塁打、22打点。1部リーグに復帰した1998年春季のリーグ戦でベストナイン受賞。 2000年に社会人野球・JR東日本入社。入社後に内野手に転向し、持ち前のパンチ力で打線の中軸を担う。 2007年の第78回都市対抗野球大会では、全試合で4番に座り、19打数9安打6打点の活躍を見せてチーム準優勝に貢献。
石井 弘寿(いしい ひろとし、1977年9月14日 - )は… 石井 弘寿(いしい ひろとし、1977年9月14日 - )は、千葉県市原市出身の元プロ野球選手(投手)。 アテネオリンピック野球の銅メダリスト。 父が地元アマチュア野球チームに所属していた影響で、小学5年時に野球を始める。中学時代は地元のポニーリーグで投手兼外野手を務めた。 1993年に東京学館高等学校に入学。2年夏は千葉県大会ベスト8で、3年夏は千葉県大会ベスト16。甲子園出場は果たせなかった。バッテリーを組んでいた1学年先輩の相川亮二を見に来ていたスカウトの目についたことで注目を集め、1995年のドラフト会議でヤクルトスワローズから4位指名を受け入団(担当スカウトは小川淳司)。背番号は石井一久の背番号16をひっくり返した61となった。
小笠原 孝(おがさわら たかし、1976年11月29日 - … 小笠原 孝(おがさわら たかし、1976年11月29日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。 船橋市立三咲小学校2年時より、「二和タイガース」で野球を始める。小林徹監督の指揮する市立船橋高へっ進み、1年秋には関東大会準々決勝で平尾博司らがいた大宮東高に完投勝利したが準決勝では白坂勝史 - 高橋光信のバッテリーを擁する横浜高に5回コールド負け。1993年、春の甲子園に出場し、2回戦敗退。夏の甲子園では初戦の三本松高戦で完封勝利するなど、市立船橋高をベスト4に導く活躍を見せたが準決勝で大村直之らを擁する育英高打線に打たれ、甲子園を去る。3年春の関東大会、夏の県大会ともにベスト4。
相川 亮二(あいかわ りょうじ、1976年7月11日 - )… 相川 亮二(あいかわ りょうじ、1976年7月11日 - )は、千葉県市川市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、プロ野球監督。2026年シーズンより横浜DeNAベイスターズの監督を務める。 弟はファッションモデルで俳優の寿里。 兄の影響で5歳で地元の軟式野球チームで野球を始め、小学2年生の時に市川リトルリーグに入る。このときのチームメイトにはG.G.佐藤がいた。幼い頃から兄弟とともに水泳やサッカー、陸上、相撲など野球以外のスポーツにも打ち込み、水泳ではジュニアオリンピックの候補生にも選ばれていた。中学校までは投手と外野手、東京学館高等学校に入学後は外野手だったが、高2の終わりに外野守備を見ていた社会人チームの監督からの薦めで強肩を生かすために捕手へ転向。
古城 茂幸(ふるき しげゆき、1976年1月12日 - )は… 古城 茂幸(ふるき しげゆき、1976年1月12日 - )は、千葉県柏市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、プロ野球コーチ。 愛称は「茂ちゃん」。 父親は子供の頃からキャッチボールや打撃を教えたが、本格的に野球をするのは高校に入ってからと言いつけていた。茂幸は小学校で体操や陸上に熱中し運動神経のよさを発揮していたが、一時こっそり少年野球チームの練習に加わったりしていた。中学では体操部に入ろうとしたが、進学した年に体操部が廃部し、代わりに野球部に入部した。 中央学院高校へ進むと野球部に所属。3年生のとき、夏の県大会準決勝へ進出して成田高校に2-3で惜敗。国士舘大学時代は東都大学野球連盟2部リーグにおいて、3度の打率3割を記録。
福浦 和也(ふくうら かずや、1975年12月14日 - )… 福浦 和也(ふくうら かずや、1975年12月14日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(内野手、左投左打)。 現役時代は地元出身のフランチャイズ・プレイヤーとして千葉ロッテマリーンズに26年間所属。球団史上3人目の2000安打達成者であり、「幕張の安打製造機」の異名をとった。 熊本県出身の父と千葉県生まれの母との間に、当時の東葛飾郡浦安町に生まれ、4歳の時に習志野市に転居した。習志野市立大久保東小学校1年の時に父の影響で野球を始め、習志野市の野球チーム「あずまクラブ」に所属。この頃はテレビで巨人の試合をよく観ていて、篠塚和典や吉村禎章らに注目していた。また、小学6年生の頃から習志野高校を志望し、プロ野球選手を夢見るようになったという。
金子 誠(かねこ まこと、1975年11月8日 - )は、千… 金子 誠(かねこ まこと、1975年11月8日 - )は、千葉県我孫子市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ、野球解説者。右投右打。妻は元テレビ朝日のスポーツ記者・ニュースキャスターの白木清か。アテネオリンピック野球の銅メダリスト。 常総学院高校で甲子園には春夏合わせて3回出場。高校時代は遊撃手をしていた。3年夏(1993年・第75回選手権大会)は、準決勝で土肥義弘を擁する春日部共栄高校に敗退。同大会では全試合で安打を記録した。同年秋のドラフト会議で日本ハムに3位指名されて入団した。 1994年、一軍出場はなかった。 1995年、プロ入り初出場を果たし、4試合に出場。2安打を放った。
木村 茂(きむら しげる、1975年11月8日 - )は、千… 木村 茂(きむら しげる、1975年11月8日 - )は、千葉県市川市出身の元プロ野球選手(投手)。 小4で野球を始め、千葉商科大付高では控えながら3年夏に県大会ベスト8。千葉商科大学では、同期の高橋光信がいる国際武道大が強く全国大会は未経験ながら2年秋に最多勝、ベストナイン、4年春にリーグ奪三振王、リーグ通算22勝。日米大学野球選手権の千葉開催時に地元のリーグ選出選手として登板した。NTT関東から内定を貰っていたが1997年のドラフト3位で、福岡ダイエーホークスに入団。これにより自分の地元である市川市を一度は離れた。 一軍登板は、プロ一年目の1998年に5試合、2000年に1試合、2002年に7試合。
立川 隆史(たちかわ たかし、1975年10月7日 - )は… 立川 隆史(たちかわ たかし、1975年10月7日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者、千葉ロッテマリーンズ「マリーンズ・スポーツカレッジ」名誉学長、元キックボクサー。 千葉県千葉市(現在の美浜区)に生まれる。大手レコード会社の社員で野球経験のある父親のもとで幼少時より野球に親しみ、小学校時代より父親の転勤により宮城県塩竈市に転居する。 宮城県塩竈市に転居後に硬式野球チームに入る。その後中学校の野球部に入ろうとするが、坊主になるのがイヤでバスケット部に入る。バスケット部では立川の活躍により、塩竈市第三中学校3年生に塩竈市の中体連を優勝に導く。さらに同年にはリトルシニアAA世界野球選手権大会に投手として出場し優勝を飾る。
飯塚 智広(いいづか ともひろ、1975年9月28日 - )… 飯塚 智広(いいづか ともひろ、1975年9月28日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身の社会人野球選手・コーチ・監督(外野手)。左投左打。 二松学舎沼南高校から亜細亜大学に進学。高校では主戦投手として2年春の県大会優勝、夏も県大会決勝に進出、のちに甲子園で準優勝する拓大紅陵に1-2で敗退した。3年春も県大会準優勝で2年連続で春季関東大会に出場。大学で外野手に転向し、井端弘和とともに1・2番を打った。東芝の安田真範とは高校でバッテリーを組み、大学でも同期生である。東都大学リーグ1部リーグ通算80試合出場、272打数79安打、打率.290、3本塁打、37打点。ベストナイン2回。2年春のみ2部リーグで12試合出場、47打数22安打、打率.468、0本塁打、8打点で首位打者。
安田 真範(やすだ まさのり、1975年9月17日 - )は… 安田 真範(やすだ まさのり、1975年9月17日 - )は、日本の社会人野球選手(捕手、指名打者)である。現役時代は東芝に所属していた。 常盤松中で工藤友也とバッテリーを組んだ。二松學舍附属沼南高校に進むと飯塚智広が同級生にいて、高校2年次の夏に県大会で準優勝する。亜大 では4年春に好リードで東都リーグ優勝に貢献し、全日本大学選手権では準優勝している。同年の日米大学野球代表に飯塚らとともに選ばれ、秋季リーグ戦では初のベストナインを受賞した。1部リーグ通算25試合出場、75打数20安打、打率.267、2本塁打、8打点。 大学卒業後は平馬淳らと東芝府中に入社。1年目の1998年からリード面などを評価されてスタメンで起用され、都市対抗では新日鐵名古屋との1回戦で2ランホームランを放っている。
井上 貴朗(いのうえ たかお、1975年7月16日 - )は… 井上 貴朗(いのうえ たかお、1975年7月16日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉県の進学校で長嶋茂雄の母校として有名な、佐倉高校の出身。1991年、高校1年の新人戦ではノーヒットノーランを記録している。1993年の夏の千葉県大会では3回戦で敗退。高校時代の通算防御率は2.04。高校3年間を通じテレビ朝日の『ニュースステーション』で特集を組まれる等、注目された。同年ドラフト5位で同郷の中村勝広監督が率いる阪神タイガースに入団。ドラフト指名された際、当時大人気だったタレントの一色紗英似の甘いマスクが話題となった。担当の野村収スカウトは投球スタイルを「若い時の堀内恒夫にそっくり」と期待した。
安藤 正則(あんどう まさのり、1975年5月21日 - )… 安藤 正則(あんどう まさのり、1975年5月21日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(投手)。 専大松戸高では速球投手として注目されたが、当初は野球を続けるつもりはなかった。そのため一般入学で専修大学に進むが、2年上に小林幹英、1年先輩に黒田博樹がいたため、4年から主戦投手となった。4年秋には最優秀投手、ベストナインに選ばれた。1部リーグ通算22試合8勝7敗防御率3.36、2部通算3試合1勝0敗、防御率6.75。1997年度ドラフト会議にて西武ライオンズから1位指名を受け、入団。当時高橋由伸をマークしていたが獲得が難しくなっての指名だったという。 スライダーを軸とした変化球に加え150kmを超える速球を持ち、即戦力右腕として期待されていたが、一年目のキャンプでフォーム改造を勧められ取り組んだが失敗し、制球難に苦しみ、結局一軍での登板機会がないまま2002年シーズンオフに退団。
工藤 友也(くどう ともや、1975年5月1日 - )は、千… 工藤 友也(くどう ともや、1975年5月1日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉県流山市立常盤松中では後にアジア大会の主将を務めるなどアマチュアで活躍する安田真範(亜細亜大学 - 東芝)とバッテリーを組む。 湖北高3年夏の県大会は市立船橋にコールド負けするも、1993年ドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。187cmもの巨体から繰り出される140km/hを超える速球を武器に期待されていた。 しかし、1年目の1994年は肘の故障により、一軍はおろか二軍の試合にさえも1試合も登板出来ず、ようやく肘が完治した2年目の1995年も結果を残す事が出来ず、一度も一軍に上がる事がないまま同年限りで戦力外通告を受け、引退した。
高橋 由伸(たかはし よしのぶ、1975年4月3日 - )は… 高橋 由伸(たかはし よしのぶ、1975年4月3日 - )は、千葉県千葉市中央区出身の日本の元プロ野球選手(外野手、内野手)。読売ジャイアンツ監督(第18代)。
多田 昌弘(ただ まさひろ、1974年10月22日 - )は… 多田 昌弘(ただ まさひろ、1974年10月22日 - )は、千葉県市原市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。現在は阪神タイガースの打撃投手。 小学2年で野球を始め、中学では2年の夏休みにグラウンドを50周走る日課をこなすうちに球速が上がっていった。拓大紅陵高のセレクションで不合格となるが一般入試に合格。1年後輩に立川隆史(のち千葉ロッテマリーンズ - 阪神タイガース)がいた。1992年、3年の第74回全国高等学校野球選手権大会にはエース富樫、杉本、紺野、多田の4人で投手陣を組み準優勝。初戦から準決勝まで全て別の投手が勝ち投手になるという史上初の快挙を記録した。投手陣の中でスカウトの評価が最も高かったのは多田だった。
澤﨑 俊和(さわざき としかず、1974年9月21日 - )… 澤﨑 俊和(さわざき としかず、1974年9月21日 - )は、千葉県千葉市若葉区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。 東京都足立区で生まれ、後に千葉へ転居する。小学2年で野球を始め、千葉市立みつわ台中学校3年の時に北千葉大会で優勝する。志学館高等学校(現:志学館高等部)では2年秋からエースになるが3年夏は県大会4回戦で敗退し甲子園出場ならず。プロ入りを拒否して青山学院大学へ進み、同期の清水将海とバッテリーを組んで3年秋にリーグ戦5勝を挙げて優勝に貢献、明治神宮大会では準決勝で近畿大学を相手に完封。4年春のリーグ戦で7勝を挙げてMVPと最優秀投手に選ばれ、大学選手権では準決勝で東北福祉大学を相手に12奪三振の完投、決勝では先発した同期の倉野信次を序盤で救援すると、やはり同期の主将・井口忠仁が2本塁打を放って優勝。