吉岡 光(よしおか ひかり、2002年9月21日 - )は、… 吉岡 光(よしおか ひかり、2002年9月21日 - )は、千葉県出身の、日本の女子柔道選手。階級は48kg級。身長151cm。組み手は左組み。血液型はO型。得意技は背負投。5歳下の弟(吉岡博人)も柔道家で習志野高校所属でインターハイに出場している。 柔道は5歳の時に習志野柔道クラブで始めた。その後に明心館関本道場へ移った。八千代台西中学校1年時に全国中学校柔道大会の40kg級に出場するも3回戦で敗れたが、3年時には44kg級で優勝した。八千代高校へ進むと、1年の時には全日本カデで2位だった。インターハイ48kg級では3回戦で敗れた。全国高校選手権では優勝を飾った。2年の時には全日本カデで優勝するも、インターハイでは準決勝で南筑高校3年の古賀若菜にGSに入ってから技ありで敗れて3位だった。
藤城 心(ふじしろ こころ、2001年6月27日 - )は、… 藤城 心(ふじしろ こころ、2001年6月27日 - )は、日本の女子柔道選手である。階級は52kg級。千葉県浦安市出身。富士学苑高等学校卒業。三井住友海上女子柔道部所属。グランドスラム・ウランバートル2025金メダル。2025年アジア選手権金メダル。 身長159cm。血液型O型。組み手は右組み。得意技は袖釣込腰、寝技。段位は三段(2024年現在)。 職場は三井住友海上あいおい生命保険人事総務部。 「アイドルに憧れる柔道家」を自称し、SNSでロリータファッション姿を投稿することがある。 柔道は6歳の時に父親が指導者を勤める浦安市柔道協会で始めた。小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会の40kg級準々決勝で福岡県の古賀若菜に判定で敗れて5位だった。
木元 拓人(きもと たくと、1997年7月27日 - )は、… 木元 拓人(きもと たくと、1997年7月27日 - )は、千葉県出身の、日本の柔道選手。階級は100kg超級。身長190cm。体重130kg。血液型はA型。組み手は右組み。得意技は大外刈。 柔道は5歳の時に兵庫県伊丹市の土曜柔道会で始めた。小学4年生で千葉に引越し明倫館杉崎道場に入門。八街中央中学から成田高校へ進むも、この当時全国レベルでの実績はなかった。 日本大学へ進むと、2年の時には優勝大会で3位になった。3年の時には全日本選手権の東京予選に出場して、伏兵ながら準々決勝で国士館大学2年の飯田健太郎を大外返で破るなどして勝ち上がると、準決勝では大学の5年先輩であるJRAの原沢久喜に上四方固で敗れるも3位となり本選への出場権を獲得した。
ウルフ アロン(WOLF Aaron、1996年〈平成8年〉… ウルフ アロン(WOLF Aaron、1996年〈平成8年〉2月25日 - )は、アメリカ系日本人のプロレスラー、柔道家、タレント。英語名はアロン・フィリップ・ウルフ(Aaron Phillip Wolf)。 東京都葛飾区出身。階級は100kg級。身長182cm。組み手は左組み。得意技は大内刈。2021年開催の東京オリンピック柔道男子100kg級金メダリスト。父親はアメリカ人で駒澤大学の講師、母は日本人。東海大学体育学部卒。 柔道は6歳の時に講道館にある春日柔道クラブで始めた。最初の練習に行った時に指導者の向井幹博に面白かったかと聞かれると、実際は面白くなかったのに、向井が恐くて気を使って面白いと言ってしまったために柔道を続けることになってしまった。
青木 大(あおき だい、1994年10月24日 - )は、日… 青木 大(あおき だい、1994年10月24日 - )は、日本の柔道家。千葉県出身。階級は60kg級。身長172cm。血液型はO型。組み手は右組み。段位は四段。得意技は巴投げ、寝技。 柔道は6歳の時に始めた。市川第七中学3年の時に全国中学校柔道大会の60kg級に出場するが3回戦で敗れた。習志野高校に進学すると、2年の時に高校選手権で5位になった。3年の時にはインターハイに出場するも2回戦で敗れた。 2013年には日体大へ進学すると、2年の時に全日本ジュニアでは国士舘大学2年の林浩平に敗れて2位に終わった。学生体重別と講道館杯では3位となった。3年の時には選抜体重別の初戦で元世界チャンピオンである東海大学4年の髙藤直寿を内股で破る金星を挙げて3位になった。
渡邉 勇人(わたなべ はやと、1992年8月20日 - )は… 渡邉 勇人(わたなべ はやと、1992年8月20日 - )は、千葉県成田市出身の、日本の柔道選手である。階級は90kg級。身長183cm。段位は参段。組み手は左組み。得意技は足技、袖釣込腰。現在は了徳寺学園職員。 柔道は5歳の時に成田柔道教室、矢野道場田仲塾で始めた。富里中学3年の時に全国中学校柔道大会66kg級で3位に入った。東海大浦安高校に進むと、2年と3年の時にインターハイ81kg級で2位になった。東海大学に進学すると、1年の時に全日本ジュニアで3位になった。2年の時には優勝大会と体重別団体で優勝メンバーの一員となった。3年の時には優勝大会で優勝するが、体重別団体は2位だった。学生体重別では筑波大学2年の永瀬貴規に袈裟固で一本勝ちして優勝を飾った。
角田 夏実(つのだ なつみ、1992年〈平成4年〉8月6日 … 角田 夏実(つのだ なつみ、1992年〈平成4年〉8月6日 - )は、日本の女性柔道家。2024年パリ五輪48kg級金メダリスト。世界柔道選手権48kg級3連覇(2021年 - 2023年)。柔道グランドスラムで金メダルを通算6個獲得。2018年アジア大会52kg級および2022年アジア大会48kg級で金メダル。千葉県八千代市出身。東京学芸大学卒業。SBC湘南美容クリニック所属。 身長161cm。バスト93cm。リーチ166cm。握力は右32kg、左34kg。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は内股、巴投げ、寝技(とりわけ関節技)。 フリーアナウンサー兼気象予報士の角田智美は従姉妹にあたり、2024年10月10日放送の新潟ローカル情報番組『夕方ワイド新潟一番』(テレビ新潟)内で両角田の共演が実現した。
ヌンイラ 華蓮(ぬんいら かれん、1991年5月23日 - … ヌンイラ 華蓮(ぬんいら かれん、1991年5月23日 - )は、千葉県船橋市出身の日本の女子柔道選手。階級は70kg級。身長166cm。組み手は右組み。血液型はA型。段位は弐段。得意技は大内刈。父親はガーナ出身。母親は風水鑑定士。三人姉妹の長女で、上の妹はユニバーシアード日本代表にも選ばれたバスケットボール選手のヌンイラ玲美。現在は了徳寺学園所属。 小学生の時は相撲に取り組んでいて、男子相手に優勝したこともあるという。柔道は八木が谷中学1年の時に始めて、3年の時には全国中学校柔道大会70kg級で優勝した。八千代高校時代はインターハイでベスト16止まりと振るわなかった。 2010年には古賀稔彦が柔道部総監督を務める環太平洋大学に進学すると、2年の時から学生体重別では2連覇を達成した。
菊川 優希(きくかわ ゆうき、1990年10月3日 - )は… 菊川 優希(きくかわ ゆうき、1990年10月3日 - )は、千葉県出身の日本の柔道家。63kg級の選手。身長170cm。組み手は左組み。得意技は内股、大内刈。 インターハイの団体戦で3連覇を成し遂げた市立柏高校の柔道部を指導していた父親の菊川慶一の影響で、柔道は6歳の時に武秀館小坂柔道場で始めた。しかし、当時は全然楽しくなかったという。小学校6年の時には市立柏高校の練習に参加するようになると、広島平和カップの際の練習試合では高校生相手に24戦全勝を記録する大活躍を見せたにもかかわらず、依然楽しさを感じることはなかった。野田第一中学1年の時には全国中学校柔道大会の57kg級で早くも決勝まで進むが、香長中学3年の川崎萌に敗れて2位だった。
石井 竜太(いしい りゅうた、1987年12月31日 - )… 石井 竜太(いしい りゅうた、1987年12月31日 - )は、千葉県出身の日本の柔道選手。階級は100kg超級。身長193 cm、体重135kg。現在はJRA所属。得意技は大外刈。 柔道は10歳の時に始めた。勝浦中学から東海大浦安高校へ進むと、3年の時にはインターハイ団体戦で2位となった。東海大学に進学後、全日本ジュニアに優勝して世界ジュニアに出場するが、準決勝でフランスのテディ・リネールに大外返で敗れるなどして5位に終わった。その後、学生優勝大会では2度優勝を果たした。また、学生体重別では2度3位となった。 卒業後JRAに入職すると、2010年の選抜体重別では3位となった。2011年4月のアジア選手権では3位だった。
細野 剛史がいくっ!(ほその つよし、1985年11月10日… 細野 剛史がいくっ!(ほその つよし、1985年11月10日 - )は、千葉県松戸市出身(但し、出生地と幼児期を過ごしたのは東京都足立区)の柔道家(参段)。東海大学体育学部武道学科所属。身長171cm。体重81kg。足のサイズ29cm。胸囲106cm。ベンチプレス130kg。背筋力140kg。血液型B型。出身道場は松戸警察少年柔道部(松戸市)→榮進館柔道クラブ(葛飾区)
矢嵜 雄大(やざき ゆうた、1980年4月8日 - )は、東… 矢嵜 雄大(やざき ゆうた、1980年4月8日 - )は、東京都出身の柔道家。得意技は大内刈、寝技。妻は同じ柔道家の茂木仙子。 柔道は8歳の時に始めた。中学からは柔道私塾の講道学舎に入塾するも、練習に耐えられず僅か1ヵ月で地元へ戻った。千葉県の東深井中学から柏市の流通経済大学付属柏高等学校へ進むと、東京オリンピック中量級金メダリストである岡野功の指導を受けて寝技を得意にしていった。1年から3年連続でインターハイに出場すると、3年次には90kg級で優勝を果たした。世界ジュニアでも優勝を飾った。高校卒業後は明治大学に進学し、団体戦で棟田康幸と共にポイントゲッターとして活躍したほか、個人戦でも全日本ジュニア選手権を連覇し、世界ジュニア選手権・全日本学生体重別選手権でも優勝する等の好成績を残した。
茂木 仙子(もぎ のりこ、1978年12月8日 -)は、茨城… 茂木 仙子(もぎ のりこ、1978年12月8日 -)は、茨城県北相馬郡出身の日本の元柔道選手。現役時代は57kg級の選手。身長159cm。得意技は内股、大内刈。2025年3月までは夫である富士学苑高等学校柔道部監督の矢嵜雄大(2002 釜山アジア大会90キロ級で優勝)と共に富士学苑高等学校柔道部外部コーチとして指導していた。 柔道は小学校2年生の時に始めた。しかし、八千代松陰高校時代まで際立った活躍は見られなかった。1997年に住友海上へ入社すると力を付け始め、1998年の実業個人選手権57kg級で優勝を飾った。2000年には全国女子体重別で2位になると、福岡国際では福岡県警の日下部基栄に敗れるが2位となった。
村田 龍一(むらた りゅういち、1976年8月27日 - )… 村田 龍一(むらた りゅういち、1976年8月27日 - )は、千葉県出身の日本の柔道家。現役時代は78kg級と81kg級の選手。身長は173cm。 旭中学から八千代松陰高校へ進むと、2年の時には全国高校選手権の団体戦で、エースである95kg超級の吉永喜史とともに活躍してチームを3位に押し上げた。 1995年には日本大学へ進むと、1年の時には全日本ジュニアの78kg級で3位になった。2年の時にも全日本ジュニアで3位になった。世界ジュニアでは決勝でフランスのセドリク・クラベリに大外刈で敗れた。3年の時には優勝大会決勝の国士舘大学戦で勝利するなどして、チームの12年ぶりの優勝に貢献した。4年の時には体重別81kg級で3位になった。
高木 長之助(たかき ちょうのすけ、1948年10月26日 … 高木 長之助(たかき ちょうのすけ、1948年10月26日 - 2016年12月6日)は、日本の柔道家(講道館9段)。千葉県出身。 選手として1973年の世界選手権大会で金メダル、75年の同大会で銅メダルを獲得。引退後は指導者として日本大学柔道部の総監督を務める傍ら、全日本柔道連盟理事や全日本学生柔道連盟副会長等を歴任した。 千葉県は房総半島の先端、安房郡白浜町(現・南房総市)にて、半農半漁の家に生まれる。海に面した土地柄のため幼少時の遊びはもっぱら海の素もぐりで、アワビ・サザエ等の海産物を獲っては食べるというのが日課だった。 小学校では水泳をやっていたがレギュラーにはなれず、町立白浜中学校への入学と同時に柔道部に入部。
関 勝治(せき かつじ、1939年5月 - )は、千葉県市川… 関 勝治(せき かつじ、1939年5月 - )は、千葉県市川市出身の日本の柔道家。現役時代は中量級の選手。組み手は左組み。得意技は体落。身長171cm。体重76kg。 それまでは陸上競技やバスケットボールなどに取り組んでいたが、中学3年の時に加藤道場に入門して柔道を始めた。千葉商大付属第一高校3年の時にはすでに20歳になっていたが、高校生として初となる全日本選手権出場を果たした。大会では予選リーグ1勝1敗の成績で翌日の決勝トーナメントには進めなかった。この際に、フットワークはいいが、体落一辺倒のマンボ的柔道はあまり感心できないとも評された。1961年には明治大学政治経済学部に進学すると、師範の姿節雄や曽根康治の指導の下で鍛えられて全日本学生柔道優勝大会では4連覇達成に貢献した。
大沢 慶己(大澤 慶己、おおさわ よしみ、1926年3月6日… 大沢 慶己(大澤 慶己、おおさわ よしみ、1926年3月6日 - 2022年10月21日)は、日本の柔道家(講道館十段)。早稲田大学名誉教授、全日本柔道連盟評議員・理事・顧問、講道館参与・評議員、講道学舎学頭、早稲田大学名誉教授らを歴任。 現役時代は身長167cm・体重67kgという小躯ながら、松本安市や醍醐敏郎ら戦中・戦後を代表する大型選手達と鎬を削り、全日本選手権大会や全日本東西対抗大会等の主要大会で活躍。その軽快な身のこなしから今牛若丸や昭和の小天狗と呼ばれた。 引退後は1964年の東京五輪でコーチを務め、後に全日本柔道連盟国際試合選手強化委員会(女子)委員長や講道館女子部部長を歴任して黎明期の女子柔道の礎を築いたほか、母校・早稲田大学では柔道部師範や教授を務めるなど半世紀以上に渡り後進の指導に当たって、今日の柔道の隆盛に大きく貢献した。
大沢 慶己(おおさわ よしみ、1926年3月6日-)は、日本… 大沢 慶己(おおさわ よしみ、1926年3月6日-)は、日本の柔道家、早稲田大学名誉教授。柔道で事実上の最高段位となっている十段の所有者(120年以上の柔道の歴史のなかで2006年現在、過去を含めて十段所有者は15名のみ)。柔道が初めて五輪正式種目となった1964年東京オリンピックの柔道競技コーチ、全日本柔道連盟国際試合選手強化委員会(女子)委員長、講道館女子部部長、早稲田大学柔道部師範、早稲田大学人間科学部教授を歴任。今日の日本および世界の柔道の隆盛にも大きく貢献した。2006年、早稲田大学スポーツ功労者表彰。
醍醐 敏郎(だいご としろう、1926年1月2日 - 202… 醍醐 敏郎(だいご としろう、1926年1月2日 - 2021年10月10日)は、日本の柔道家(講道館十段)。 戦後の柔道界を牽引した1人であり、同時期に活躍した松本安市、吉松義彦、石川隆彦、夏井昇吉らと繰り広げた数々の名勝負は、現在も柔道界の歴史に刻まれる。講道館研修員や警察大学校師範として後進の指導にも当たり、モントリオール五輪やロサンゼルス五輪では男子柔道競技の監督を務めた。2006年には講道館より事実上の最高段位である10段に列せられている。 1925年の年末12月26日、千葉県安房郡船形町(現・館山市)仲宿で米穀や酒類を販売する商店を営む、醍醐武兵衛の4男として出生。醍醐家は江戸時代より代々捕鯨を生業とする家柄で、初代・新兵衛はかつて千葉県の七聖人に数えられる程の腕前であった。