スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
中村 奈一輝(なかむら ないき、2006年8月16日 - )… 中村 奈一輝(なかむら ないき、2006年8月16日 - )は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 小学校3年時に「小戸第二レッドソックス」でソフトボールを始め、宮崎市立宮崎西中学校時代は「県央宮崎ボーイズ」でプレーをした。 宮崎県立宮崎商業高等学校では1年時夏よりベンチ入りし、遊撃手として活躍する一方で投手としても最速146km/hを記録するなど、二刀流の選手として話題になる。3年時夏の宮崎県大会では、決勝戦の富島高戦において4回よりリリーフ登板し、4回2/3を1安打無失点に抑える活躍で勝利に貢献し胴上げ投手となった。甲子園では初戦の中京大中京高戦にて「1番・遊撃手」で先発出場するも、5打数1安打の結果でありチームも4-3で敗退した。
黒木 美晴(くろき みはる、1993年9月3日 - )は、宮… 黒木 美晴(くろき みはる、1993年9月3日 - )は、宮崎県出身の日本人の女子柔道選手である。階級は52kg級。身長158cm。血液型はA型。組み手は右組み。段位は弐段。得意技は大外刈、背負投。 柔道は8歳の時に国分西柔道クラブ高橋道場で始めた。五十市中学1年の時には全国中学校柔道大会の52kg級に出場するが、3回戦で敗れた。2年の時には階級を57kg級に上げるが2回戦で敗れると、3年の時には3回戦で敗れた。宮崎商業高校へ進むと、1年の時には全国高校選手権52kg級で決勝まで進むが、小松大谷高校1年の宮川拓美に内股で敗れて2位だった。2年の時には全日本ジュニアで3位に入った。ベルギー国際のジュニアの部では3位だったが、翌日のシニアの部では決勝で北京オリンピック48kg級銀メダリストで、階級を上げてきたキューバのヤネト・ベルモイを大外刈の有効で破って優勝した。
清山 ちさと(きよやま ちさと、1991年7月24日 - )… 清山 ちさと(きよやま ちさと、1991年7月24日 - )は、日本の陸上選手。 宮崎県宮崎市出身。宮崎県立宮崎商業高等学校の時には全国大会で三冠を達成した。 筑波大学卒業、同大学院修了。 いちご陸上部所属。いちご傘下である宮交シティに配属されており総務部に所属していたが、2026年3月1日付のいちごグループの人事異動により、同社の子会社である株式会社テゲバジャーロ宮崎事業部広報チームに所属している。
菊川 優希(きくかわ ゆうき、1990年10月3日 - )は… 菊川 優希(きくかわ ゆうき、1990年10月3日 - )は、千葉県出身の日本の柔道家。63kg級の選手。身長170cm。組み手は左組み。得意技は内股、大内刈。 インターハイの団体戦で3連覇を成し遂げた市立柏高校の柔道部を指導していた父親の菊川慶一の影響で、柔道は6歳の時に武秀館小坂柔道場で始めた。しかし、当時は全然楽しくなかったという。小学校6年の時には市立柏高校の練習に参加するようになると、広島平和カップの際の練習試合では高校生相手に24戦全勝を記録する大活躍を見せたにもかかわらず、依然楽しさを感じることはなかった。野田第一中学1年の時には全国中学校柔道大会の57kg級で早くも決勝まで進むが、香長中学3年の川崎萌に敗れて2位だった。
赤川 克紀(あかがわ かつき、1990年7月31日 - )は… 赤川 克紀(あかがわ かつき、1990年7月31日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。2008年度のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから1位指名を受け入団、2012年にはオールスターゲームに監督推薦で出場した。2015年限りで引退。
大迫 明伸(おおさこ あきのぶ、1960年11月27日 - … 大迫 明伸(おおさこ あきのぶ、1960年11月27日 - )は、日本の柔道家。8段を取得。宮崎県西諸県郡野尻町(のちの小林市)出身。身長178cm。 1988年ソウルオリンピック(男子86kg級)銅メダリストで、のちに全日本柔道連盟強化コーチを務める。 宮崎県中央部に位置する西諸県郡野尻町で、 農林業を営む大迫家5人姉兄の末っ子として生まれる。柔道は、地元の紙屋中学校時代に始めた。中学時代は無名選手だったが、県立宮崎商業高校の藤井猪徳監督(当時)に誘われ、1976年に同校へ入学。高校時代は藤井の家に下宿しながら3年間を過ごし、高校3年次にはインターハイの団体戦でベスト8に入る。 1979年に天理大学へ進学すると、2年次よりレギュラーとして活躍し、この間に同大学は全日本学生優勝大会において、1980年3位、81年優勝、82年準優勝という好成績を収めている。
草竹 幸一(くさたけ こういち、1957年12月5日 - )… 草竹 幸一(くさたけ こういち、1957年12月5日 - )は、宮崎県串間市出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。184cm、135kg。最高位は東十両11枚目。得意技は左四つ、寄り。 中学校から柔道を始めて宮崎商業高校でも続けた。体格の良さを見込んで訪ねて来た大鵬から勧誘され、相撲は好きではなかったが、周囲に説得されて入門した。1973年7月場所に初土俵、1982年1月場所に24歳で十両昇進を果たすも5勝10敗と負け越し、十両在位はこの1場所に終わる。1984年7月場所限りで廃業。 初めて序ノ口に在位した1973年9月場所では、非常に珍しい「5勝2敗の6名による序ノ口優勝決定戦」に出場した(結果は初戦敗退)。
鳥原 公二(とりはら こうじ、1954年8月29日 - )は… 鳥原 公二(とりはら こうじ、1954年8月29日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
西井 哲夫(にしい てつお、1951年7月7日 - )は、宮… 西井 哲夫(にしい てつお、1951年7月7日 - )は、宮崎県延岡市出身の元プロ野球選手である。ポジションは投手。右投右打。
水谷 実雄(みずたに じつお、1947年11月19日 - )… 水谷 実雄(みずたに じつお、1947年11月19日 - )は、宮崎県串間市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ、解説者・評論家。
山本 真一(やまもと しんいち、1946年4月5日 - )は… 山本 真一(やまもと しんいち、1946年4月5日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
高橋 博士(たかはし ひろし、1946年3月10日 - )は… 高橋 博士(たかはし ひろし、1946年3月10日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(捕手・内野手)。1966年から1973年までの登録名は「高橋 博」。
小川 亨(おがわ とおる、1945年8月1日 - )は、宮崎… 小川 亨(おがわ とおる、1945年8月1日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、野球解説者、野球指導者。
寺岡 孝(てらおか たかし、1942年9月13日 - 201… 寺岡 孝(てらおか たかし、1942年9月13日 - 2011年2月4日)は、宮崎県出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)、野球指導者。
土谷 和夫(つちや かずお、1942年4月3日 - 没年不明… 土谷 和夫(つちや かずお、1942年4月3日 - 没年不明)は、日本の陸上競技(長距離走)選手。実業団を経て日本大学に入学し、1960年代にトラック競技やロードレースで活躍。のちにプロ野球のトレーニングコーチを務めた。 宮崎県出身。宮崎商業高校から八幡製鉄に所属し、1962年・1963年には全日本実業団駅伝に出場し区間賞を獲得している。日本大学に入学。 1964年4月に毎日マラソン(日本選手権大会・1964年東京オリンピック代表選考会を兼ね、オリンピックのマラソンコースで行われた)に出場、4位入賞。2位の円谷幸吉はマラソンを始めたばかりであり、4位の土谷がマラソン代表に選出される可能性もあったが、最終的には着順通り3人が代表選手に選ばれた。
神尾季羊(かみお きよう、1921年1月2日 - 1997年… 神尾季羊(かみお きよう、1921年1月2日 - 1997年6月16日)は、俳人。愛媛県松山市出身。本名・匡。神尾久美子は妻。宮崎商業学校卒。宮崎神宮嘱託。1946年『ホトトギス』の高浜虚子に師事。1950年『菜穀美』の野見山朱鳥に師事し同人となる。1954年『椎の実』主催。73年『鷹』の藤田湘子に師事。1971年宮崎県文化賞受賞。宮崎県俳句協会名誉顧問。
椎井 康雄(靖雄、しい やすお、1906年(明治39年)1月… 椎井 康雄(靖雄、しい やすお、1906年(明治39年)1月15日 - 1989年(平成元年)5月25日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 宮崎県宮崎郡佐土原町(現宮崎市)出身。1920年(大正9年)宮崎商業学校(現宮崎県立宮崎商業高等学校)を卒業した。 1937年(昭和12年)昭和水産合資会社常任理事に就任。その他、対満薬品工業社長、ツシマ化粧品社長、宮崎県運搬業組合長、社団法人華陽会理事会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で宮崎県地方区に日本社会党公認で出馬して当選(補欠、任期3年)し、参議院議員に1期在任した。その後、1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で全国区に立候補したが落選した。
黒木 宗行 は、宮崎県出身の元プロ野球選手。