刈込 奈那(かりこみ なな、2000年12月13日 - )は… 刈込 奈那(かりこみ なな、2000年12月13日 - )は、千葉県出身の女子競輪選手。日本競輪選手会千葉支部所属、ホームバンクは千葉競輪場。日本競輪選手養成所第120期生。師匠は江本博明(90期)。 中学時代はバレーボールに打ち込み、敬愛学園高校進学後に自転車競技を始めた。2018年インターハイ女子ケイリン10位、女子個人ロードレース3位となるなど実績を残した。 2020年1月16日、日本競輪選手養成所第120回技能試験に合格。養成所競走成績は21位(1勝)。 2021年5月1日、静岡競輪場でデビューし7着。初勝利は2022年2月21日、平塚FII最終日一般戦。 2023年10月4日、松戸FII(第1回オールガールズクラシックでのアンダーカード)で初優勝。
成清 龍之介(なりきよ りゅうのすけ、1999年10月18日… 成清 龍之介(なりきよ りゅうのすけ、1999年10月18日 - 2021年2月24日)は、日本の競輪選手。 千葉県出身。父は成清貴之(73期)、叔父は成清謙二郎(90期)で師匠でもあった。中学高校では野球をやっており、市原市立八幡中学校時代は市原ポニーベースボールクラブ、東海大学付属市原望洋高等学校時代は野球部所属だったが、高校で進路を決める時期に今しかできないことをしてみようと思い、父や叔父が競輪選手であったこと、夢があるからと競輪選手を目指す。自転車競技の経験はなく、高校2年のときに父に競輪選手になりたいと話すも、やめたほうがいいと言われた。成清の見立てでは自分の性格が競輪に向いてないからでは考えている。
鈴木 竜士(すずき りゅうじ、1994年1月18日 - )は… 鈴木 竜士(すずき りゅうじ、1994年1月18日 - )は、競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第107期生。日本競輪選手会東京支部所属(当初は茨城支部所属)、ホームバンクは京王閣競輪場。師匠は戸邉裕将(72期)。父は元競輪選手の鈴木天従(52期)。 柏日体高等学校を経て競輪学校に入学。同校在校競走成績は31位(6勝)。 2015年5月1日、茨城支部所属の競輪選手として登録された。7月4日に静岡競輪場でデビューし、デビュー戦で初勝利。8月30日の京王閣から、10月31日に18連勝でS級特進を決めた伊東温泉を挟み、11月26日の取手まで20連勝を達成した。 2016年12月29日に開催された第16回ヤンググランプリ(立川競輪場)に出場。
田中 まい(たなか まい、1989年12月25日 - )は、… 田中 まい(たなか まい、1989年12月25日 - )は、女子競輪選手。千葉県出身。日本競輪選手会千葉支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第104期生。 千葉経済大学附属高等学校に入学後、自転車競技を始める。その後、日本体育大学体育学部に進学インカレ等で活躍し卒業。 2011年12月16日、競輪学校第104回(女子第2回、技能)試験に合格。翌2012年5月に競輪学校に第104期生として入学。 2013年3月29日、競輪学校を卒業。在校競走成績は第3位(26勝)。同年5月11日、松戸競輪場でデビューし4着。初勝利は同年5月31日の平塚競輪場。 2014年6月28日、平塚FI(ナイター)で初優勝(完全優勝)。
田畑 茉利名(たばた まりな、1988年5月4日 - )は、… 田畑 茉利名(たばた まりな、1988年5月4日 - )は、千葉県出身の元女子競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期生。師匠は中村浩士(79期)。 千葉県立千葉商業高等学校時代までバスケットボールで活動。同校卒業後は、ゴルフ場のキャディ等をしていた。 自身の弟が自転車競技を行っていた縁もあり、2012年に女子競輪(ガールズケイリン)が復活するという情報を入手したことを受け、2010年に、日本サイクルスポーツセンターで行われたガールズサマーキャンプに参加した後、競輪学校を受験。2011年2月、同校第102回(女子第1期)適性試験に合格。在校競走成績は第17位(2勝)。 2012年7月24日、松戸競輪場でデビューし4着。
浦部 郁里(うらべ かおり、1987年1月6日 - )は、千… 浦部 郁里(うらべ かおり、1987年1月6日 - )は、千葉県流山市出身の女子競輪選手、鍼灸師。競輪選手としては日本競輪選手会千葉支部所属(一時期は福井支部所属)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期生。師匠は吉川和廣(67期)、弟子は川上いちご(130期)。 順天堂大学時代は陸上競技の短距離種目で活動していたが、同大学卒業後、女子競輪が復活するという話を受け、在住する松戸市の自転車競技連盟が実施している練習会に参加し、訓練を重ねる。 2011年2月25日、競輪学校入学試験に合格。競輪学校時代の在校競走成績は第22位(2勝)。 2012年5月1日、日本競輪選手会千葉支部所属の競輪選手として登録された。
山本 奈知(やまもと なち、1986年6月6日 - )は、千… 山本 奈知(やまもと なち、1986年6月6日 - )は、千葉県松戸市出身の元女子競輪選手、元インラインスケート選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第106期生。師匠は和泉田喜一(59期)。 旧姓は篠塚(しのづか)。聖徳大学附属女子高等学校出身。 13歳で本格的にインラインスケートの日本選手権デビューし、15歳でシニア部門の全日本総合で優勝。2010年、コロンビアのガルネで行われた世界選手権10000メートル ポイント & エリミネイションレースで2位に入った。その後、同年の広州アジア競技大会で同種目5位に入ったのを最後に現役を引退。その後、のちに夫となる山本紳貴(第107期)とともに、和泉田に師事して競輪学校入学を目指すことになった。
篠崎 新純(しのざき ますみ、1984年12月15日 - )… 篠崎 新純(しのざき ますみ、1984年12月15日 - )は、千葉県出身の女子自転車競技選手で、現在は日本競輪選手会千葉支部所属の女子競輪選手。 千葉経済大学附属高等学校時代 2007年、セオレーシング(セオサイクル)に入社。 2011年、日本競輪学校(当時)女子第1期生試験に合格。同校在校競走成績は7勝を挙げ第13位。
岩本 俊介(いわもと しゅんすけ、1984年4月13日 - … 岩本 俊介(いわもと しゅんすけ、1984年4月13日 - )は、千葉県成田市出身の競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第94期生。日本競輪選手会千葉支部所属。 中学はバスケットボール部に所属。高校・大学は陸上部に所属し、大学3・4年次に関東インカレでの優勝経験を持つ。しかし陸上でアスリートとしてプロになることは現実的ではなく、卒業後の進路を悩んでいた。過去に陸上関係での友人である藤田大輔が高校卒業後に適性試験で競輪学校に入学していたことから、自転車競技未経験でも競輪選手になれることを知り、周りの就職活動に合わせて競輪の世界へと飛び込んだ。 競輪学校94期生として在校成績13位で卒業し、2008年7月1日に千葉競輪場でデビュー(1着、1着、1着の完全優勝)。
小松崎 大地(こまつざき たいち、1982年9月3日 - )… 小松崎 大地(こまつざき たいち、1982年9月3日 - )は、千葉県君津市出身の競輪選手。日本競輪選手会福島支部所属。日本競輪学校(現:日本競輪選手養成所)99期卒業。師匠は岡部芳幸(福島、66期)。 元プロ野球選手(外野手)であり、四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスに所属していた。 拓大紅陵高校、千葉商科大学を経て、2005年に徳島インディゴソックスに入団。入団時の登録は内野手。同チームでは不動の4番打者として、チームを牽引する働きを見せた。 2007年に外野手登録となり、チームのキャプテンに就任した。 2008年シーズン終了後、日本野球機構(NPB)に所属する複数の球団の入団テストを受験したものの、獲得に名乗りを挙げるチームが現れなかったため、野球選手としてはピリオドを打った。
関口 美穂(せきぐち みほ、1982年6月26日 - )は、… 関口 美穂(せきぐち みほ、1982年6月26日 - )は、千葉県松戸市出身の競輪審判員、競輪検車員、元女子競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期生。現役時代は日本競輪選手会埼玉支部所属、ホームバンクは西武園競輪場。師匠は田淵浩一(55期)。 千葉県立松戸国際高等学校、東京家政大学を経て、スポーツジムのトレーナーを経験。クライアントから女子競輪が復活する話を聞いて競輪学校受験を決意した。2011年2月25日、競輪学校試験に合格。競輪学校時代は競走訓練中に2回骨折。鎖骨、肋骨、肘などを損傷し、2か月間入院したこともあった。在校競走成績は第20位(0勝)。 2012年5月1日、競輪選手として登録された。
三上 佳孝(みかみ よしたか、1982年5月24日 - )は… 三上 佳孝(みかみ よしたか、1982年5月24日 - )は、千葉県君津市出身の元競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第88期卒業。師匠は「無冠の帝王」と呼ばれた東出剛(54期)。現役当時は日本競輪選手会千葉支部所属。血液型はA型。ホームバンクは千葉競輪場。 脚質は追捲。 千葉県立京葉工業高等学校の在学中にアジア自転車競技選手権大会やアジアジュニア自転車競技選手権大会、ジュニアトラック世界選手権大会の代表選手団として派遣されるなど、スプリント種目で頭角をあらわす。 競輪学校時代の88期には山崎芳仁、成田和也、柏野智典、武田豊樹、金成和幸、石橋慎太郎らがいる。 競輪選手を引退後、中古車販売業を起業。
和田 健太郎(わだ けんたろう、1981年5月27日 - )… 和田 健太郎(わだ けんたろう、1981年5月27日 - )は、日本の競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第87期生。日本競輪選手会千葉支部所属。師匠は林和夫(千葉・58期)。 千葉県印旛郡酒々井町出身。千葉経済大学附属高等学校卒業。 競輪学校を卒業後、2002年8月4日の弥彦競輪でデビュー。 2018年6月の函館の記念競輪でGⅢ初優勝。 2020年のKEIRINグランプリ2020には賞金ランキング7位で初出場を果たした。そしてグランプリを制覇し、賞金王に輝いた。グランプリ初出場初優勝は史上11人目で最高齢。GI優勝未経験者の優勝は2006年有坂直樹以来14年ぶり4人目となった。但し、有坂はグランプリ制覇後にG1優勝経験はしたが、和田自身は未経験である。
吉澤 賢(よしざわ けん、1978年7月7日 - )は、競輪… 吉澤 賢(よしざわ けん、1978年7月7日 - )は、競輪選手(日本競輪選手会千葉支部所属)。元陸上競技選手(主に400mハードル)。 千葉県酒々井町出身。市立船橋高校を経て順天堂大学に進み、卒業後、デサントに入社。高校時代から、400メートルハードルにおいて長年に亘り為末大のライバルとして君臨。しかし為末の壁は厚く、日本陸上競技選手権大会では優勝することができなかった。 日本の400mハードル歴代記録では2014年12月9日現在10位の実力者であり、2001年、2003年の世界陸上選手権に出場した他、2004年のアテネオリンピックにも出場を果たしている。 2005年に400mハードラーとしての限界を感じ同じ陸上競技からの転身組である森下太志に師事して競輪転向を表明。
南原 照也(みなみはら てるなり、1977年5月10日 - … 南原 照也(みなみはら てるなり、1977年5月10日 - )は、日本の元競輪選手。千葉県浦安市出身。日本競輪学校第93期卒業。現役当時は日本競輪選手会千葉支部所属。師匠は鈴木栄司。 30歳デビューのオールドルーキー。年齢制限撤廃の恩恵を受けた内の一人である。 東京都立葛西工業高等学校を卒業後、専門学校で経営学を学び卒業した後設計事務所の社長を経て、2006年8月に日本競輪学校93期入学試験に適性試験で合格し、2007年10月に卒業。 2008年1月9日に西武園競輪場でデビュー(8着)。新人選手通信簿にも「非常に高い身体能力を持っており将来は約束されている」と評されていたが、デビューしてから成績が振るわず悪戦苦闘の日々を送った。
石毛 克幸(いしげ かつゆき、1977年1月15日 - )は… 石毛 克幸(いしげ かつゆき、1977年1月15日 - )は、競輪選手。日本競輪選手会千葉支部に在籍。 師匠は小林裕司(日本競輪学校第71期生)。ホームバンクは千葉競輪場。 千葉県銚子市出身。千葉県立銚子商業高等学校では野球部に在籍した。 2000年4月2日、日本競輪学校第84期生として、小田原競輪場でデビューし1着、及び同開催の完全優勝を記録。同年12月29日、立川競輪場で行われたルーキーチャンピオンレースでは、同期ナンバーワンの渡部哲男(2着)らを破って優勝した。 2002年、ヤンググランプリ(立川)3着。 2005年、ふるさとダービー(弥彦競輪場)決勝戦において、最終バックストレッチからの捲りを決め優勝。
坂巻 正巳(さかまき まさみ、1965年5月4日 - )は、… 坂巻 正巳(さかまき まさみ、1965年5月4日 - )は、元競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第55期生。現役時は日本競輪選手会茨城支部所属。師匠は高橋洋一。初出走は1985年5月2日の岸和田競輪場で初勝利も同日。血液型はA型。 千葉県立東葛飾高等学校在学中は陸上競技を行っていたが、卒業と共に競輪学校の適性受験を受験し合格。デビュー後しばらくは東京支部所属であったが、後に茨城へ移動している。 1991年の日本選手権競輪(一宮競輪場)において鈴木誠マークから、特別競輪初優勝を果たしたが、特別競輪出場2回目かつ日本選手権初出場であったことから、競輪ファンを大いに驚かせた。しかしその後は目立った結果を出せなかったが、1997年のふるさとダービー(観音寺競輪場)においても優勝を果たし、タイトルホルダーとして相応しい実績を残した。
滝澤 正光(たきざわ まさみつ、1960年3月21日 - )… 滝澤 正光(たきざわ まさみつ、1960年3月21日 - )は、日本の元競輪選手、日本競輪選手養成所(以下、養成所。旧日本競輪学校)元所長(第23代。名誉教諭兼務)。現在は養成所アドバイザー。現役時代は日本競輪選手会千葉支部所属。師匠は長岡弘臣。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)43期生。妻は1987年度ミス日本の桑原多賀子。息子は放送作家の滝澤光春。 1980年代から1990年代にかけ、中野浩一、井上茂徳らとともに競輪黄金時代の一翼を担った。 千葉県八千代市出身。 八千代市立勝田台小学校 → 同勝田台中学校 → 千葉県立八千代高等学校卒業、中学・高校時代はバレーボール部に所属。バレーボールに熱中し、競輪とは無縁の環境で育ったが、「自転車に乗れなくても競輪選手になれる」という新聞広告を目にしたのがきっかけで、適性試験を受けて競輪学校に入学。
吉井 秀仁(よしい ひでひと、1956年8月27日 - )は… 吉井 秀仁(よしい ひでひと、1956年8月27日 - )は、元競輪選手。現在は東京中日スポーツ所属の競輪解説者、競輪レポーター。千葉県茂原市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第38期生。現役時は日本競輪選手会千葉支部所属。師匠は須藤一男。血液型はO型。 千葉県立茂原工業高等学校を卒業後、競輪学校へ入学。在校時には柳井譲二・山口健治と共に38期生の「三羽烏」と謳われた。 初出走は1976年11月21日の千葉競輪場で、初勝利も同レース。デビュー後は「茂原の怪童」「2周半逃げ切る男」などと称され、1978年の競輪祭新人王戦で優勝し、順調に出世をしていった。 1979年の高松宮杯競輪では中野浩一の捲りを不発にし、続くオールスター競輪では長く中野浩一自身が生涯最高のレースと自賛した捲りに敗れるも、これらのレースでは決勝に進出している。
白鳥 伸雄(しらとり のぶお、1928年(昭和3年)6月12… 白鳥 伸雄(しらとり のぶお、1928年(昭和3年)6月12日 - 2016年(平成28年)2月26日)は、元競輪選手。千葉県習志野市出身。旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)卒業。日本競輪学校創設以前の期前選手で選手登録番号2224。現役時は日本競輪選手会千葉支部所属。初出走は1950年3月1日の神戸競輪場。「輪聖」と呼ばれる。 1928年6月12日、千葉県習志野市に生まれる。近所の自転車屋に「いい身体してるから、競輪選手になったらどうだ」と勧められたのがきっかけで試験を受け、10日練習しただけで合格。さらにその2か月後には当時の慢性的な選手不足も手伝い、競輪のことをほとんど知らないまま神戸競輪場で競輪選手としてデビューし、翌4月に10連勝を達成してA級に特進した。