東久世 秀雄(ひがしくぜ ひでお、1878年(明治11年)7… 東久世 秀雄(ひがしくぜ ひでお、1878年(明治11年)7月19日 - 1951年(昭和26年)11月18日)は、日本の農商務・宮内官僚、政治家、華族。貴族院男爵議員。 東京府出身。伯爵・東久世通禧の四男として生まれる。1897年(明治30年)12月6日、分家に際し父・通禧の功により男爵を叙爵した。 第一高等学校を経て、1905年(明治38年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年、農商務省に入省し農商務属となる。 以後、農商務省山林局書記、山林局事務官、宮内事務官、帝室林野局事務官、貴族院書記官、同書記官長代理、農商務書記官兼同参事官、皇后宮主事、内匠頭などを歴任。
長與 又郎(新字体:長与 又郎、ながよ またお、1878年(… 長與 又郎(新字体:長与 又郎、ながよ またお、1878年(明治11年)4月6日 - 1941年(昭和16年)8月16日)は、日本の病理学者、男爵。癌研究の世界的権威。号は雷山。 1878年、医学界の重鎮・長與專齋の三男として東京神田で生まれた。慶應義塾幼稚舎、正則学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)に進学。1904年12月に卒業。その後、医学修行のためドイツのフライブルク大学に留学した。 1910年に帰国し、東京帝国大学助教授に就いた。翌年に教授に小学し、病理学講座を担当した。夏目漱石の主治医でもあり、1916年に漱石が病死した際には、未亡人夏目鏡子の希望で、漱石の遺体を解剖した。
依仁親王妃 周子(よりひとしんのうひ かねこ、1876年〈明… 依仁親王妃 周子(よりひとしんのうひ かねこ、1876年〈明治9年〉8月29日 - 1955年〈昭和30年〉3月4日)は、日本の旧皇族。東伏見宮依仁親王の妃。岩倉具定公爵令嬢。母は澤為量子爵令嬢・久子。旧名は、岩倉 周子(いわくら かねこ)。皇籍離脱前の身位は親王妃で、皇室典範における敬称は殿下。皇籍離脱後の名は、「東伏見 周子(ひがしふしみ かねこ)」。 1876年(明治9年)8月29日、岩倉具定公爵の長女として誕生。はじめ華族女学校に学ぶが、東京女学館に転校して卒業。安井春子(広瀬武夫夫人)に漢学を、西川清子(西川虎之助の長女、ヴィッカース慶大教授夫人)に英語とピアノを、中島歌子に和歌を、野口小蘋に絵画を、それぞれ師事した。
伊藤 安吉(いとう やすきち、1873年(明治6年)5月14… 伊藤 安吉(いとう やすきち、1873年(明治6年)5月14日 - 1951年(昭和26年)9月15日)は、明治後期から昭和前期の海軍軍人、政治家、華族。海軍造機少将、貴族院男爵議員。 東京府出身。海軍士官・伊藤雋吉の長男として生まれる。父・雋吉の死去に伴い、1921年(大正10年)5月10日、家督を相続し男爵を襲爵した。 1898年(明治31年)10月、海軍造船学生となり、1899年(明治32年)6月、東京帝国大学工科大学機械工学科を卒業。同年6月、海軍造船中技士に任官し横須賀海軍造船廠造機科主幹に就任。以後、艦政本部部員、造船監督官、舞鶴海軍工廠造機部長、艦政局第三課長などを歴任し、1917年(大正6年)6月、横須賀海軍工廠造機部長に就任。
斎藤 春子(さいとう はるこ、1873年〈明治6年〉3月30… 斎藤 春子(さいとう はるこ、1873年〈明治6年〉3月30日 - 1971年〈昭和46年〉9月14日)は、日本の華族。第30代内閣総理大臣夫人。斎藤実子爵夫人。 東京出身。1873年〈明治6年)3月30日、薩摩藩士で海軍の重鎮であった仁礼景範の長女として生まれる。兄の仁礼景一は日露戦争で初瀬分隊長として戦死、弟の仁礼景雄は昆虫学者。1884年(明治17年)に明倫女学校(現在の横浜清風高等学校)を卒業。その後、東洋英和女学校に進学したが中退。 1892年(明治25年)2月5日に斎藤実と結婚。斎藤実との間には子供はなく、斎藤斉を養子に迎えている。 1932年(昭和7年)5月、斎藤実の内閣総理大臣就任により、内閣総理大臣夫人となる。
載仁親王妃 智恵子(ことひとしんのうひ ちえこ、1872年6… 載仁親王妃 智恵子(ことひとしんのうひ ちえこ、1872年6月30日〈明治5年5月25日〉- 1947年〈昭和22年〉3月19日)は、日本の皇族。閑院宮載仁親王の妃。身位は親王妃で、皇室典範における敬称は殿下。母方を通じて、東山天皇の7世孫にあたる。 1872年6月30日(明治5年5月25日)、公爵・三条実美の二女として誕生。母は、鷹司輔煕の九女・治子。旧名は、三条 智恵子(さんじょう ちえこ)。 6歳ほどより跡見女学校へ通い、跡見花蹊に学ぶ。絵画を得意とし、四條派の写生画、南宗派の文人画を修め、「花堤」の雅号を持つ。1891年(明治24年)閑院宮載仁親王と結婚する。載仁親王との間には、篤仁王(夭折)、恭子女王(安藤信昭夫人)、茂子女王(黒田長礼夫人)、季子女王、春仁王、寛子女王、華子女王(華頂博信夫人、後に戸田豊太郎夫人)の2男5女を儲けた。
赤松 則良(あかまつ のりよし、天保12年11月1日〈184… 赤松 則良(あかまつ のりよし、天保12年11月1日〈1841年12月13日〉 - 大正9年〈1920年〉9月23日)は、日本の武士(幕臣)、華族、海軍軍人、政治家。貴族院議員。栄典は海軍中将。位階勲等爵位は従二位勲一等男爵。通称は大三郎。「日本造船の父」と呼ばれる。 中世の播磨の名族赤松氏の末裔と称する播州網干(現姫路市網干区)新在家の龍野藩御用商人であった廻漕業赤松良則を実父とする幕府十五番組御徒士(御家人)・吉沢雄之進の次男として江戸深川に生まれる。弘化4年(1847年)、祖父赤松良則の後を継ぎ父の実家である赤松姓となる。先祖の出自から父の経歴まで「赤松則良半生談」に本人が詳しく述べている。
文仁親王妃紀子 は、日本の皇族。旧名は川嶋 紀子。身位は親王… 文仁親王妃紀子 は、日本の皇族。旧名は川嶋 紀子。身位は親王妃。敬称は殿下。お印は檜扇菖蒲(ひおうぎあやめ)。勲等は勲一等宝冠章。皇室会議予備議員。
守谷 絢子 は、日本の元皇族。日本郵船社員およびNPO法人「… 守谷 絢子 は、日本の元皇族。日本郵船社員およびNPO法人「国境なき子どもたち」理事・守谷慧の妻。勲等は宝冠牡丹章。
愛子内親王 は、日本の皇族。諱は愛子、御称号は敬宮(としのみ… 愛子内親王 は、日本の皇族。諱は愛子、御称号は敬宮(としのみや)、お印はゴヨウツツジ(五葉つつじ)。勲等は宝冠大綬章。身位は内親王。敬称は殿下。日本赤十字社常勤嘱託職員。今上天皇と皇后雅子の第1皇女。上皇と上皇后美智子の皇孫にあたる。2000年代に誕生した初の皇族で、2000年代に誕生した唯一の女性皇族でもある。現在、女性皇族11方かつ内廷皇族の最年少者。