角田 長雄(つのだ ながお、1902年〈明治35年〉 - 没… 角田 長雄(つのだ ながお、1902年〈明治35年〉 - 没年不明)は、日本の地主。 東京府荏原郡碑衾村大字碑文谷出身。角田元亮の長男。母・いくは現在の世田谷区北沢の地主・阿川信平の妹。1931年、家督を相続した。東京府立園芸学校を卒業し、1年志願兵となり陸軍砲兵少尉に任ぜられた。地主として知られた。1934年、清水池公園のために若干の土地を寄付した。戦後、公職追放となった。住所は東京市目黒区碑文谷。
瀬田 醻一(せた しゅういち、1895年〈明治28年〉8月1… 瀬田 醻一(せた しゅういち、1895年〈明治28年〉8月16日 - 1968年〈昭和43年〉)は、日本の政治家、東京府多額納税者、鍋屋、金融業、地主・家主。東京市会議員(板橋区選出、革正会会員)、板橋区会議員。 東京府北豊島郡板橋町大山出身。質商・瀬田文次郎の長男。 早稲田中学、同高等学院を経て1917年、早稲田大学大学部法学科英法科卒業。貸地貸家業、金融業を営んだ。 1921年5月、板橋町会議員に当選し、1932年9月市郡併合迄3期在職。1931年4月、板橋町名誉助役として市郡併合迄在職。 1932年11月、板橋区会議員に当選。1933年3月、東京市会議員に当選。1938年4月、東京市参事会員に当選。
栗山 徳蔵(くりやま とくぞう、1884年〈明治17年〉11… 栗山 徳蔵(くりやま とくぞう、1884年〈明治17年〉11月 - 没年不明)は、日本の政治家(東京目黒区会議員、碑衾町会議員)、地主。 東京府・栗山万之丞の長男。1918年、家督を相続した。農業を営み、地主であった。目黒区会議員に推された。宗教は日蓮宗。住所は東京目黒区緑ヶ丘。 目黒区古民家(目黒区指定文化財)は、緑ヶ丘一丁目の栗山重治の旧宅であった。江戸時代に「年寄」という村の重要な役職を務めた旧衾村(ほぼ現在の環七通り西側)の栗山家の主屋を、竹林が生い茂る「すずめのお宿緑地公園」内に移築・復元(昭和59年4月に開設)し、保存・公開している。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
飯島 彌十郎(いいじま やじゅうろう、前名・賢一、1882年… 飯島 彌十郎(いいじま やじゅうろう、前名・賢一、1882年〈明治15年〉4月27日 - 1939年〈昭和14年〉1月24日)は、日本の醤油醸造家、政治家(東京府北豊島郡上板橋村長、東京府会議員)、地主、豊島病院管理者、実業家。 先代彌十郎の三男。「栗原屋」と称し、醤油醸造業を営んだ。 また浅草土地興行取締役、三東鉱業監査役、東京府北豊島郡郡会議員、同郡農会幹事、同郡教育会幹事、上板橋村長、同村会議員、同村青年団団長、同村安養院信徒総代、同村土木衛生学務各委員長、同村消防組頭、同村農会長などをつとめた。 1930年7月、板橋町長花井源兵衛の後を襲い豊島病院組合の管理者に当選した。 住所は上板橋。
岸野 伊太郎(きしの いたろう、1880年〈明治13年〉2月… 岸野 伊太郎(きしの いたろう、1880年〈明治13年〉2月16日 - 没年不明)は、日本の政治家、地主。 東京府・伊平の長男。農業を営む。1917年に西巣鴨町会議員となり、1期満了、2期再選する。1920年、国勢調査委員に任命される。 出納監査委員、西巣鴨町教育会評議員、上睦会会長、西巣鴨第四部青年団副団長、氷川神社氏子総代である。宗教は日蓮宗。住所は東京市豊島区池袋2丁目。 岸野家について『豊島区大総覧 2597年版』によると、 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
大熊 仁三郎(おおくま にさぶろう、1879年〈明治12年〉… 大熊 仁三郎(おおくま にさぶろう、1879年〈明治12年〉11月29日 - 1945年〈昭和20年〉3月5日)は、日本の政治家、実業家、地主。浅草区会議員。日出土地社長。族籍は東京平民。 東京府浅草区橋場町(現・東京都台東区)・大熊政次郎の二男。浅草橋場生まれ。1896年、家督を相続した。尋常高等両小学を通じて8年間常に最優等を以て首席を占めたが、卒業後不幸にして病気となり学事に親しむことを得なかった。 1899年、日本護謨会社の設立に奔走する。日本護謨合資会社出資社員として会計監督の任に当たる。1900年、組織を改めて株式会社となると、監査役に挙げられ、後取締役となり1924年8月、専務取締役に就任し、傍ら1925年、日出土地会社を創立して社長に就任した。
13代 絲原 武太郎(いとはら ぶたろう、1879年(明治1… 13代 絲原 武太郎(いとはら ぶたろう、1879年(明治12年)11月21日 - 1966年(昭和41年)9月4日)は日本の地主、実業家、政治家。鉄師絲原家13代、貴族院多額納税者議員。旧姓・江角、旧名・徳次郎。 島根県出雲郡原鹿村(現出雲市斐川町原鹿)で、地主・江角勝太郎の二男として生まれた。1900年、東京正則中学校を卒業し東京高等商業学校(現一橋大学)に入学したが、1901年に鉄師糸原家12代・絲原武太郎の養子となり中退した。1911年、養父の死去に伴い家督を継承し武太郎を襲名した。 家業の製鉄業を1922年に廃業し、新たな事業として、先代が推進した植林を継続する中で製炭に着目して、島根木炭として関東地方にも出荷した。
瀬田 熊太郎(せた くまたろう、1877年〈明治10年〉4月… 瀬田 熊太郎(せた くまたろう、1877年〈明治10年〉4月12日 - 1945年〈昭和20年〉11月6日)は、日本の政治家、実業家、商人(農具商)、精米業者、地主。 物品貸付業、農具商、精米業、農業などを営んだ。エステー自動車商会長、東京ガレージ常務取締役、伊豆水産、日本住宅各取締役、東京府北豊島郡上板橋村会議員、同村青年団名誉団員、同村在郷軍人分会名誉会員、同村学務委員、北豊島郡町村組合会議員、同村消防組委員などをつとめた。 1945年11月6日に死去。行年69才。東京都豊島区雑司が谷の霊園に墓がある。 板橋町大山の質商・瀬田文次郎の弟、瀬田醻一の叔父である。住所は上板橋村字宿(現・板橋区弥生町)、上板橋一丁目。
西山 金蔵(にしやま きんぞう、1874年〈明治7年〉11月… 西山 金蔵(にしやま きんぞう、1874年〈明治7年〉11月19日 - 没年不明)は、日本の政治家、地主・家主。 西山常次郎の長男。西巣鴨町会議員、池袋第二小学校小学会副会長、西巣鴨町第四部青年団長、西山会第一部長、氏神氷川神社世話人である。また1930年2月17日より1931年6月29日まで西巣鴨町助役をつとめた。住所は東京府北豊島郡西巣鴨町字池袋(のち東京都豊島区池袋1丁目)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
石川 茂吉(いしかわ もきち、1872年〈明治5年〉11月2… 石川 茂吉(いしかわ もきち、1872年〈明治5年〉11月29日 - 没年不明)は、日本の政治家、地主・家主。 農業を営み、西巣鴨町町会議員、衛生委員、同町教育会評議員、青年団名誉会員、共賛会委員、氏神氷川神社総代、重林寺総代である。住所は東京府北豊島郡西巣鴨町字池袋。 父・瀧之進は池袋村の村長や、1889年6月5日より1891年9月5日まで巣鴨村助役をつとめた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
伊藤 武七郎(いとう ぶしちろう、1868年7月23日(明治… 伊藤 武七郎(いとう ぶしちろう、1868年7月23日(明治元年6月4日)- 1936年(昭和11年)10月26日)は、大正から昭和前期の大地主、政治家。衆議院議員、東京府荏原郡荏原町長。 武蔵国荏原郡下蛇窪村(東京府荏原郡平塚村、平塚町、荏原町、東京市荏原区を経て現東京都品川区)で、地主・伊藤受房の二男として生まれる。父は杜松斎景湖と名乗り寺子屋を開いていた。攻玉社中学校(現攻玉社中学校・高等学校)で学んだ。1917年(大正6年)5月に家督を相続した。 平塚村内堀普通水利組合議員、同村会議員、同耕地整理組合長、荏原郡会議員、荏原町長、東京府会議員(4期)、同副議長、土地貸借価格調査委員、品川普通水利組合会議員、東京市会議員、同参事会員、荏原区公民学務委員などを務めた。
西山 安久作(西山 阿久作、にしやま あくさく、1866年1… 西山 安久作(西山 阿久作、にしやま あくさく、1866年1月10日〈慶應元年11月24日〉 - 没年不明)は、日本の政治家、地主・家主、会社役員。東京府北豊島郡西巣鴨町長。 東京市に西山家の長男として生まれる。1887年、家督を相続する。信用組合事務員、会社員になる。金融業を営む。 北豊島郡会議員、豊島信用組合長、氷川神社氏子総代、帝国種苗殖産監査役をつとめる。 また1915年4月23日に巣鴨村長に就職、1923年4月21日に西巣鴨町長を退職。 宗教は浄土宗。趣味は碁。住所は東京府北豊島郡西巣鴨町字池袋(のち東京都豊島区池袋1丁目)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
恩田 峰次郎(恩田 峯次郎、おんだ みねじろう、1863年5… 恩田 峰次郎(恩田 峯次郎、おんだ みねじろう、1863年5月7日〈文久3年3月20日〉 - 没年不明)は、日本の政治家、地主、家主。 東京府北豊島郡池袋村・恩田権十郎の二男。1882年、家督を相続する。農業を営む。池袋村会議員となる。公徳会を組織し、会長をつとめる。北豊島郡長崎村第一耕地整理組合評議員である。住所は東京市豊島区池袋2丁目。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
朝倉 徳次郎(あさくら とくじろう、1841年〈天保12年〉… 朝倉 徳次郎(あさくら とくじろう、1841年〈天保12年〉 - 1916年〈大正5年〉4月22日)は、日本の農民、米屋、精米業、水車業、地主、政治家。 武蔵国出身。金蔵の長男。朝倉家は江戸時代から米を作る傍ら、三田用水の水車を利用して米の賃搗きを行っていたが、明治のはじめに徳次郎は百姓が嫌になり「暁天に野菜を洗って出荷して5銭にしかならぬ」と言って精米業に転じた。 1869年、朝倉米店開業。米の賃搗きで得た現金により農民が安く手放した土地を次々と買い取った。 質朴勤勉な富民として平和な生活をなし、名望のため渋谷村会議員をつとめた。また徳次郎以来、代々朝倉家が渋谷の氷川神社の大総代をつとめた。 住所は東京府豊多摩郡渋谷村大字下渋谷(のち渋谷町、現・東京都渋谷区)。