金澤 翔子(かなざわ しょうこ、1985年6月12日 - )… 金澤 翔子(かなざわ しょうこ、1985年6月12日 - )は、東京都目黒区出身の書家。 母は書家で随筆家の金澤泰子。号は小蘭(号の場合、苗字は金沢)。「ダウン症の書家」として知られる。 伊勢神宮や東大寺をはじめ、名だたる神社仏閣の総本山にて奉納揮毫や個展を開催する。ニューヨーク、チェコ、シンガポール、ロシア、台湾など多くの海外個展も成功させる。また、バチカンに大作『祈』を寄贈しローマ教皇庁より金メダルが授与された。 国連本部でのスピーチや国体開会式での巨大文字揮毫、天皇御製謹書など活動の幅は多岐にわたる。これまで、延べ200万人以上が金澤翔子の書に触れ、年間10万人以上が個展等に訪れる。 東日本大震災後に発表された代表作『共に生きる』を合言葉に、被災地への応援や障害者支援など共生社会の実現に向けた活動にも積極的に取り組んでいることでも知られている。
安倍 昭恵(あべ あきえ、旧姓:松崎〈まつざき〉、1962年… 安倍 昭恵(あべ あきえ、旧姓:松崎〈まつざき〉、1962年〈昭和37年〉6月10日 - )は、日本の書家、社会運動家。社会貢献支援財団会長。第90・96・97・98代内閣総理大臣である安倍晋三の妻。 東京都出身。生家の松崎家は、森永製菓創業家の森永家と繋がりが深い家系である。聖心女子専門学校卒業後、電通に入社。衆議院議員の安倍晋太郎の次男である晋三と1987年に結婚。夫の晋三ものちに衆議院議員、さらには内閣総理大臣となったが、昭恵はラジオのディスクジョッキー、居酒屋の経営など、政治家の妻としては異色の活動を展開した。森友学園瑞穂の國記念小學院では名誉校長を務めていたが、森友学園問題が浮上した際に退任した。
一円破顔(いちえんはがん、1952年〈昭和27年〉10月14… 一円破顔(いちえんはがん、1952年〈昭和27年〉10月14日 - 2020年〈令和2年〉9月12日)は日本の画家、書家、彫刻家。本名は山田順久。東京都生まれ。 13歳のとき、ゴッホの作品に芸術的感銘を受け、画家を志す。各種の表現様式を独学で遍歴し、19歳で「絵画の究極的本質は、丸ひとつでも、その表現が可能である」という直感を得る。以降、仏教にも造詣を深め、絵と書を、表現方法の両輪として創作活動を展開。自身の体験を通して辿り着いた「芸術は人間の霊性の表現である」という哲学的信条のもと、62才まで画家、書家として専心する。その後、雅号を「爪弾菴無才(そうだんあんむさい)」と改め、模写職人を自称して西洋名画の肉筆模写を仕事とする傍ら、書を通して「人間の霊性」を世に問い続ける(“思想”欄を参照)。
橘 右龍(たちばな うりゅう、本名:須賀雅信、1952年 -… 橘 右龍(たちばな うりゅう、本名:須賀雅信、1952年 - 2021年9月17日)は橘流寄席文字書家。寄席文字橘会理事。 東京都出身。日本大学豊山高校、日本大学文理学部卒業。 寄席文字との出会いは高校での落語研究会。高校2年生で本牧亭に通い出し、寄席文字の魅力にとりつかれ、大学入学後橘右近に正式に入門。芸人とも親交を深める。1976年に「橘右龍」の名前を許される。 浅草演芸ホール・東洋館の看板・めくりや各種筆耕などを数多く手掛け、寄席文字を理論的に研究した上での普及と橘右近の作品の継承に携わり、ビラ字研究の第一人者であった。 2021年9月17日に心臓病で死去。
橘 右樂(たちばな うらく、筆名、1946年 - )は橘流寄… 橘 右樂(たちばな うらく、筆名、1946年 - )は橘流寄席文字書家、寄席資料研究家。寄席文字橘流理事。男性。 東京都葛飾出身。1975年橘右近に入門、1977年寄席文字伝承者として「橘右樂」の名前を許される。寄席文字の普及と継承に務めながら、江戸期から現在に至る東京の寄席とその周辺情報の調査研究を1993年ごろからライフワークにしている。 落語協会百周年(2024年)の際には、大正13年(1924年)2月25日に上野精養軒で落語協会発会式が行われたという27日付の都新聞の記事を国立国会図書館で発見、発足記念日の根拠となった。
井垣 清明(いがき せいめい、1944年 - )は日本の書家… 井垣 清明(いがき せいめい、1944年 - )は日本の書家。井垣北城長子。中国大陸に1965年~2025の間35回訪問。2025年9月1日現在、中華人民共和国貴州省文化和旅行庁のホームページでは「著名な日本の書法家」と紹介されている。日中友好協会参与。全日本書道連正会員。書道文化研究会会員。東京都日中友好協会参与・書道部会副会長。「蘭亭書会」東京研究院名誉顧問。東京都在住。 平成28年より令和6年まで、日本書学院代表。 東京都立小石川高等学校(現東京都立小石川中等教育学校)卒業 早稲田大学第一文学部卒業 東京都立大学大学院文学研究科中退
木村 東道(きむら とうどう、1935年11月4日 - 20… 木村 東道(きむら とうどう、1935年11月4日 - 2007年7月8日)は、書家。木村卜堂の長男として東京都荒川区に生まれる。本名は繁男、東道は号。
小山 やす子(こやま やすこ、1924年8月25日 - 20… 小山 やす子(こやま やすこ、1924年8月25日 - 2019年2月27日)は、日本の書家。東京府東京市本所区(現・東京都墨田区)生まれ。川口芝香に師事し、現代かな書を代表する書家の一人として活動した。2008年度、書「更級日記抄」により恩賜賞・日本藝術院賞を受賞し、2016年には書の分野で女性初の文化功労者に選ばれた。 1950年から川口芝香に学び、1961年に日展へ初入選した。1979年に日展特選、1987年に日展審査員、1999年に日展評議員となった。2000年から2016年まで現代書道二十人展に出品した。 また、1951年から書道研究団体玉青会を組織し、後進の育成に尽力した。毎日新聞社主催のサンパウロ展(1975年)など海外展にも出品し、自身の個展を多胡碑記念館(2001年)などで開催した。
磯貝 碧蹄館(いそがい へきていかん、1924年3月19日 … 磯貝 碧蹄館(いそがい へきていかん、1924年3月19日 - 2013年3月24日)は、俳人、書家。 東京出身。本名は甚吉。豊南商業学校(現・豊南高等学校)中退。川柳、自由律俳句を経て、1954年中村草田男に師事。1960年『与へられたる現在に』で角川俳句賞受賞。1966年『握手』で俳人協会賞受賞。1974年俳誌「握手」を創刊し主宰する。2004年句集『馬頭琴』により第5回雪梁舎俳句大賞特別賞受賞。書を金子鷗亭に学び、創玄展審査員を務めた。2013年3月24日、肺癌のため死去。89歳没。
西川 寧(にしかわ やすし、1902年〈明治35年〉1月25… 西川 寧(にしかわ やすし、1902年〈明治35年〉1月25日 - 1989年〈平成元年〉5月16日)は、20世紀を代表する日本の書家、金石学者、中国文学者、西域出土晋代墨蹟の書道史的研究で文学博士(慶應義塾大学)。字は安叔。号は靖闇。贈正三位(没時叙位)、贈勲一等瑞宝章(没時陞叙)。息子の西川杏太郎は奈良国立博物館長、東京国立文化財研究所所長を歴任した仏像を中心とした日本彫刻史の研究者。 明治の大家、西川春洞の三男として東京に生まれる。俗に「昭和の三筆」の一人とも言われる。現代の書壇に最も影響を及ぼし、書の巨人と呼ばれ、文字学研究者として、また書壇を驚かす強烈なインパクトの作品を数々残した。子に美術史研究者の西川杏太郎がある。
岡 麓(おか ふもと、1877年〈明治10年〉3月3日 - … 岡 麓(おか ふもと、1877年〈明治10年〉3月3日 - 1951年〈昭和26年〉9月7日)は、歌人、書家。東京府本郷区湯島生まれ。本名・三郎。書号・三谷(さんこく)、俳号・傘谷(さんこく)。 徳川幕府奥医師の家系に生まれる。岡櫟仙院は祖父。東京府立一中(現東京都立日比谷高等学校)中退後、木村正辞が校長、落合直文などが教授を務めていた私塾大八洲学校に通う。ついで宝田通文に和歌と古典を、多田親愛に書を学んだ。かなりの箱入り息子であったらしく、17歳のとき香取秀真に一緒に国学を勉強にしに行こうと誘われたところ、「交際するのはこれまで自宅を訪問した人だけだった。こうして自分から訪うのは初めてだ」と答えたという。
浅野 長祚(あさの ながよし、文化13年6月9日〈1816年… 浅野 長祚(あさの ながよし、文化13年6月9日〈1816年7月3日〉 - 1880年〈明治13年〉2月17日)は、江戸時代末期(幕末)、明治時代の幕臣(旗本)、蔵書家、書画家、芸術鑑定家。字は胤卿、通称は金之丞、号の梅堂で知られる。官途は中務少輔、和泉守、備前守など。他に池香、蔣潭、蝦侶斎漱芳閣、楽是幽居、柏洪楼とも名乗った。 文化13年(1816年)、江戸飯田町(現・千代田区)で旗本浅野長泰(号は金谷)の子として生まれる。家系は播磨赤穂藩浅野家の支族(家原浅野家)で、家禄3500石の上級旗本であった。幼少より父から漢詩・和歌・俳句等を学び、書画をよくした。出羽亀田藩主岩城隆喜の3女直子と結婚。
河野 重陽(かわの ちょうよう)は日本の書家、現代破体書道家… 河野 重陽(かわの ちょうよう)は日本の書家、現代破体書道家。女性。東京都八王子市生まれ。東洋書道芸術学会副会長。全部門師範。評議員。松本書道会主幹。幼少のころから書に囲まれて育つ。破体書に関心を持ち、国内にとどまらず、世界各地の破体展に出品する。 二松学舎大学文学部中国文学科書道専攻卒業。 大学在学中は、祖父・石橋犀水に学ぶ。卒業後は一貫して父・松本筑峯に師事する。母親は、石橋犀水の長女である女流破体書家・松本子游。 破体書の教育・普及活動を国内外を問わず積極的に展開する。東京都美術館で開催される東洋書芸展大賞を受賞した。中国、韓国、イギリス、ポーランド(トルン)、スロバキア(ブラチスラバ)などの海外展にも出品している。
游高(ゆうこう)は日本の書家、現代破体書道家。女性。東京都八… 游高(ゆうこう)は日本の書家、現代破体書道家。女性。東京都八王子市生まれ。東洋書道芸術学会理事。全部門師範。松本書道会銀座ルーム長。 松本筑峯、松本子游、河野重陽に師事。4歳から筆を持つようになる。日々、書の世界に囲まれた生活を過ごす。小学生のとき、書き方の授業の教科書は曽祖父の石橋犀水が監修した教科書で授業をうけていた。小学校3年生の時、初めての海外渡航である中国に行き、松本筑峯、松本子游、河野重陽などの筑峯の門下生である現代破体書道家と一緒に浙江省の美術館で開催された揮毫会に参加し、中国の能書家たちと揮毫を通して交流し、エネルギッシュな書道の壮大な世界に魅了された。 現代破体書道家である祖父母、松本筑峯と松本子游が他界したことをきっかけに、破体書にさらに関心を持ち、国内にとどまらず、世界各地の破体展に出品し、破体書の魅力を伝えるべく、精力的に普及活動を行う。
本田 定年(ほんだ さだとし)は明治時代の地方行政官・民権家… 本田 定年(ほんだ さだとし)は明治時代の地方行政官・民権家・書家。通称は孫三郎、号は退庵。武蔵国多摩郡下谷保村名主、神奈川県第十大区一小区戸長、北多摩郡役所書記。書記時代は公務の傍ら自由民権運動に関わり、晩年は東京に書法専修義塾を開いて書道を教えた。 幼名は簡蔵。幕末の政情不安の中、府中宿の近藤勇、日野宿の佐藤彦五郎の道場に通い、天然理心流剣術を学んだ。元治2年(1865年)2月21日父覚庵、慶応3年(1867年)9月15日兄東朔が急死して急遽家督を継ぐことになったが、医術は未熟だったため、伊豆国賀茂郡長津呂村(南伊豆町)から覚庵の同門武田宗堅を招いて医業を任せ、診療収入を宗堅のものとする代わりに無償で医業を学んだ。