嘉藤 貴行(かとう たかゆき、1981年11月5日 - )は… 嘉藤 貴行(かとう たかゆき、1981年11月5日 - )は、JRA・美浦トレーニングセンターに所属する調教師で、元騎手。 大井競馬場近くの東京都大田区大森で育つ。競馬とは縁のない家庭であり、ゲーム「ダービースタリオン」で競馬に興味を持ち、身長が低いこともあって競馬学校を受験し合格する。2000年、JRA競馬学校を卒業。同期には梶晃啓、金子光希、小林慎一郎、鈴来直人、畑端省吾らがいる。 初騎乗は3月4日、中山競馬3レースでウインワイズマンに騎乗し16頭中9着。初勝利は同日の12レースでリアルヴィジョンに騎乗し3戦目で挙げた。同年19勝をマークし、民放競馬記者クラブ賞を受賞。デビュー3年目の2002年には菊花賞トライアルのセントライト記念で11番人気マイネルアムンゼンに騎乗し3着に入り、第63回菊花賞でGI初騎乗を果たした。
石井 勝男(いしい かつお、1972年1月20日 - )は、… 石井 勝男(いしい かつお、1972年1月20日 - )は、船橋競馬場所属の調教師、元騎手。東京都江戸川区出身。 父親が馬主で函館喜弘厩舎に預託していて幼稚園時代より競馬場に行っていた。小学校時代には体も小さかったことから函館からも騎手になるよういわれており、本人も動物好きでもあったことから騎手を志す。中学時代には函館の紹介で中山競馬場の乗馬クラブに通ったほか、休みには函館厩舎で手伝いなどをしていた。中学卒業とともに地方競馬教養センターに入る。 初騎乗は1989年4月19日の船橋競馬第3競走(フミノアスター)、初勝利は同日の第10競走(ミヤマビクトリー)。NARグランプリ優秀新人騎手賞を獲得した。
小手川 準(こてがわ ひとし、1971年11月16日 - )… 小手川 準(こてがわ ひとし、1971年11月16日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。東京都出身。 東京都町田市出身。私立駒場東邦中学校・高等学校卒業。一橋大学社会学部中退。 小学6年から中学1年にかけて、何気なくテレビの競馬中継で見たミスターシービーやシンボリルドルフをきっかけに競馬に興味を持ち始める。次第に競馬の世界のドラマ、ロマンに強く惹きつけられるようになり、毎週の競馬を欠かさずに見るようになった。寺山修司の競馬エッセイを愛読していたせいか主役より脇役の馬を応援することが多く、当時好きだった馬は「G1を勝てそうで勝てなかった」スダホークだという。高校、大学時代には友人たちと自らが編集長となりミニコミ誌を発行するほど、さらに競馬にのめり込んでいった。
村山 明(むらやま あきら、1971年8月18日 - )は、… 村山 明(むらやま あきら、1971年8月18日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師、元騎手、元調教助手。東京都東村山市出身。 1990年に競馬学校第6期生として卒業し、騎手免許を取得。同期には江田照男、浜野谷憲尚らがいる。斉藤義美厩舎所属として騎手デビュー。初騎乗は同年3月3日阪神競馬第3競走のユーワコスモスで11着、初勝利は同年4月22日福島競馬第8競走のヤマノオリオンであった。 3年目からは障害競走にも騎乗するようになり、1994年には中京障害ステークスをキンセンアラシで制して重賞初勝利を挙げた。平地競走の重賞は2000年の武蔵野ステークスをサンフォードシチーで優勝している。
中舘 英二(なかだて えいじ、1965年7月22日 - )は… 中舘 英二(なかだて えいじ、1965年7月22日 - )は、東京都荒川区出身の元騎手・現調教師。 騎手時代には3度のJRA賞を受賞したヒシアマゾンなどに騎乗し、GI4勝、通算1869勝を挙げている。また、福島競馬場で歴代2位の425勝を記録している。 平成27年度新規調教師免許試験に合格し、2015年3月1日に厩舎を開業した。 父も母も荒川に生まれ育ち、中舘は小さい頃は、家の近くにあった東京スタジアムの無料券を貰って、よく野球を見に行った。 父は全然競馬をやらなかったが、競馬評論家の宮城昌康と親交があり、後に中舘は宮城の長女と結婚している。 母もパートタイムで中山競馬場内の馬券売り場に勤めるなど、競馬との繋がりを持つ家庭であった。
菊川 正達(きくかわ まさたつ、1962年11月17日 - … 菊川 正達(きくかわ まさたつ、1962年11月17日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンター所属の調教師で、元騎手。 東京都足立区出身。北千住で育ち、親戚に浅草の場外馬券場に連れて行かれているうちに競馬に興味を持つ。1982年3月、美浦・尾形盛次厩舎の騎手としてデビュー。 1982年3月6日、アイズセンジュで初騎乗(8着)。同年6月5日、ベルクレールで初勝利。1983年11月20日、目黒記念のベルクレールで重賞初騎乗(15着)。 1998年4月30日に騎手を引退。騎手成績1116戦63勝。重賞勝利はなかった。柴崎勇厩舎で調教助手となる。 2000年に調教師試験に合格、翌年2001年に開業。
矢作 芳人(やはぎ よしと、1961年3月20日 - )は、… 矢作 芳人(やはぎ よしと、1961年3月20日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の栗東トレーニングセンターに所属している調教師。東京都出身。開成高等学校卒業。
浅野 洋一郎(あさの よういちろう、1956年11月26日 … 浅野 洋一郎(あさの よういちろう、1956年11月26日 - )はJRA・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。浅野武志調教師は義父。旧姓は小島。 1956年東京都新宿区にて4人兄姉の末子として出生。当時「小島」姓を名乗っていた洋一郎であるが暫くして両親が離婚し、彼だけが母方の故郷である山梨県の富士吉田市の祖母の元で幼少期を送る。 その後、母が浅野武志調教師(東京競馬場所属)と息子洋一郎を連れて再婚。洋一郎は東京の府中市にある小学校へ転校、再び東京に移り住むこととなる。洋一郎は母の再婚後も小島姓を名乗っていたが中学1年の夏に自らの希望により「浅野」へと姓を改めている。 中学1年生から父・武志の厩舎業務を手伝うようになった洋一郎は、やがて馬関係の仕事に就きたいと告げ、「馬をやるなら『馬の足元』を勉強するのが一番」という父・武志の助言もあり、駒場学園の装蹄畜産科を経て麻布獣医大学へと進学。
岡林 光浩(おかばやし みつひろ、1955年5月28日 -)… 岡林 光浩(おかばやし みつひろ、1955年5月28日 -)とは、船橋競馬場所属の元調教師である。日本大学第一高等学校卒業。2000・2010年代の南関東公営競馬を代表する調教師のひとりで、帝王賞をはじめ多くのビッグタイトルを制覇しており、中央競馬の重賞優勝も果たした。千葉県調教師会会長もつとめた。父・喜和も元調教師。 初出走は1988年7月14日船橋競馬第9競走(ミロク、2着)、初勝利は同年10月2日川崎競馬第2競走(コナウインズ)。 2007年11月12日船橋競馬第2競走で、地方競馬通算500勝を達成した。 2008年2月27日付で関東地区公営競馬協議会により認定厩舎(外厩)を認定された。場所はミッドウェイファームで馬房数は3。
高橋 祥泰(たかはし よしやす、1952年1月31日 - )… 高橋 祥泰(たかはし よしやす、1952年1月31日 - )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター北に所属していた元調教師。日本大学農獣医学部獣医学科卒業。 1952年、国営競馬所属騎手高橋英夫の次男として生まれる。幼少期は騎手を志していたが、身体が大きくなり過ぎたために断念。代わって獣医師を志し、日本大学第一高等学校を経て、日本大学農獣医学部獣医学科に入学した。獣医師資格取得、大学卒業後の1973年より中山競馬場、次いで日本中央競馬会宇都宮育成場で獣医師助手を務める。宇都宮育成場では助手業の傍らで騎乗技術を習得、1975年に父・英夫の厩舎で調教助手となり、7年間を務めた。 1983年に調教師免許を取得。
松山 康久(まつやま やすひさ、1943年9月4日 - )は… 松山 康久(まつやま やすひさ、1943年9月4日 - )は日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属した調教師である。
浜田 光正(はまだ みつまさ、1938年7月23日 - )は… 浜田 光正(はまだ みつまさ、1938年7月23日 - )は、日本の騎手(国営競馬、日本中央競馬会)、調教助手(日本中央競馬会)、調教師(日本中央競馬会)。 2009年に定年のため引退し、2012年現在は競馬評論家。栗東トレーニングセンター所属であった。 JRAにおける表記では浜田となっているが、濱田が正しい。 東京都荒川区の千住大橋付近で生まれる。競馬との出会いは1951年の東京優駿(日本ダービー)を父の友人である馬主に招待され観戦したことによるという。トキノミノルが優勝したこのレースを見たことをきっかけに騎手を目指すようになり、その馬主の紹介で18歳のときに騎手見習いとなった。 1957年3月1日に騎手免許を取得し、東京競馬場の内藤潔厩舎所属でデビューした。
保田 隆芳(やすだ たかよし、1920年3月18日 - 20… 保田 隆芳(やすだ たかよし、1920年3月18日 - 2009年7月1日)は、日本の騎手(東京競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会(JRA))、調教師(日本中央競馬会)。 1936年に騎手デビュー。10代の頃から名門・尾形藤吉厩舎の主戦騎手として頭角を現し、数々の大競走を制する。1958年、アメリカ遠征を機に、従来の日本では見られなかったアメリカ式のモンキー乗りを習得し、日本における騎手の騎乗フォームに大きな変革をもたらしたことから、モンキー乗りの先駆者とされている。1959~1961年、中央競馬全国リーディングジョッキー(年間最多勝利騎手)。1963年、中央競馬史上初の通算1000勝を達成。
田中 康三(たなか やすぞう、1915年3月22日 - 19… 田中 康三(たなか やすぞう、1915年3月22日 - 1989年6月18日)は、日本の騎手(東京競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬)、調教師(日本中央競馬会)。 第二次世界大戦前後の時期に花形騎手として名を馳せ、1941年秋の帝室御賞典や、戦後最初のダービー開催となった1947年の東京優駿などに優勝した。しかし1949年に自身が引き起こしたミナトクヰン事件を境に斜陽となり、1955年に調教師に転身。1989年に勇退するまで、それぞれ宝塚記念に優勝したエイトクラウン、ナオキ母子などを手掛けた。 1915年、東京府南多摩郡忠生村(現:東京都町田市)に生まれる。尋常小学校卒業後、1933年9月に東京競馬場の北郷五郎厩舎に騎手見習いとして入門した。
松井 麻之助(まつい あさのすけ、1900年6月18日 - … 松井 麻之助(まつい あさのすけ、1900年6月18日 - 1989年3月19日)は、日本の陸軍軍人、競馬騎手、調教師。 大日本帝国陸軍において一貫して騎兵畑を進み、1936年にはベルリンオリンピックに総合馬術競技日本代表として出場した。太平洋戦争後に軍籍を離れ、1956年より騎手、翌1957年より調教師として日本中央競馬会に所属した。1985年引退。 1900年、秋田県雄勝郡三輪村(現羽後町)に、農業を営む菅原良吉、ヨシの間に五男として生まれる。小学校卒業後に母方の叔父に当たる陸軍中将・松井庫之助の養子となり、東京に移った。旧制早稲田中学入学後、3年次から陸軍幼年学校に転じ、軍人への道を進み始める。