岩本 輝雄(いわもと てるお、1972年5月2日 - )は、… 岩本 輝雄(いわもと てるお、1972年5月2日 - )は、神奈川県横浜市金沢区出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。ベルマーレ平塚を皮切りに名古屋グランパスエイトを退団するまで6チーム(ベルマーレの前身、フジタを除く)に在籍した。 2004年に名古屋グランパスエイトを退団後、約2年間選手生活から遠ざかっていたが、2006年10月、ニュージーランドのオークランド・シティFCと契約を結び、12月に行われたFIFAクラブワールドカップのオセアニア地区代表として2試合に出場した。独身。 横浜商科大学高等学校卒業後の1991年、フジタサッカークラブに加入。高校時代まではミッドフィールダーだったが、同年7月にニカノールヘッドコーチによって左サイドバックにコンバートされた。
木村 直樹(きむら なおき、1972年4月15日 - )は、… 木村 直樹(きむら なおき、1972年4月15日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。 2007年に日本サッカー協会から公認B級コーチとして認定された(2006年に受講)。2025年4月よりディオッサ出雲FCのコーチに就任した。
佐藤 浩(さとう ひろし、1972年3月7日 - )は、神奈… 佐藤 浩(さとう ひろし、1972年3月7日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手(GK)、指導者。現:横浜F・マリノス育成GKコーチ。 横浜フリューゲルス時代は森敦彦や楢﨑正剛の控えGKとして活躍。1997年に楢﨑正剛が代表招集されたため出場機会が得られた。1998年末球団消滅に伴い、1999年にサンフレッチェ広島へ移籍。広島では下田崇、前川和也らとポジション争いするも正GKの座を奪うことはできず、同年9月には正GKの楢﨑正剛が怪我で長期離脱したためGKの層が薄くなった名古屋グランパスエイトへレンタル移籍。翌2000年に広島に復帰するもトップ公式戦出場はなかった。2001年には名古屋へ移籍。
木村 哲昌(きむら てつまさ、1972年1月24日 - )は… 木村 哲昌(きむら てつまさ、1972年1月24日 - )は、神奈川県大和市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック)。 駒澤大学を卒業後、1994年に京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に入団。その後、1997年にヴァンフォーレ甲府に移籍。甲府がJ2参入を果たした1999年にはリーグ戦36試合に出場した。翌2000年はJ1のジェフユナイテッド市原へ移籍したが、ここでは公式戦出場はなかった。2002年からはニュージーランドのクラブでプレーして、2004年に引退した。 帰国後は、ニュージーランド出身のウィントン・ルーファーが創設したサッカースクールWYNRS JAPANの理事と、神奈川大学サッカー部のコーチに就いた。
冨樫 剛一(とがし こういち、1971年7月15日 - )は… 冨樫 剛一(とがし こういち、1971年7月15日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。JSL時代の姓は「富樫」で登録されていた。 読売サッカークラブのユースで育ち、読売クラブ/ヴェルディ川崎、横浜フリューゲルスを経て、1997年に当時ジャパンフットボールリーグ(JFL)所属のコンサドーレ札幌で引退。 1998年にヴェルディのスクールコーチとして指導者としてのキャリアをスタートさせる。トップチームのマネージャーを経て、2002年にはコンサドーレ札幌の新監督に就任した柱谷哲二のもとでコーチを務めた。2003年に東京Vに復帰してからはアカデミーの指導やスカウトを歴任、2010年から2011年まで川勝良一が監督を務めるトップチームのコーチを務めた。
川元 正英(かわもと まさひで、1971年6月21日 - )… 川元 正英(かわもと まさひで、1971年6月21日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手。 厚木南高校から東海大学に進学してサッカー部に所属。卒業後は富士通に入社し、アマチュア選手としてジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に所属する自社の富士通サッカー部でプレーし、レギュラーを獲得した。その後自らの負傷や他の選手とのレギュラー争いにより出場試合数が増減し、1997年には「川崎フロンターレ」としてプロ化してJリーグを目指すこととなった。旧JFLとしての最後のシーズンとなった1998年には再びレギュラーに返り咲いた。後に「博多の森の悲劇」と語られる同年11月19日のJ1参入決定予備戦でも延長戦を含めてフル出場したがチームはアビスパ福岡に3ゴールを許して敗れた。
戸倉 健一郎(とくら けんいちろう、1971年5月31日 -… 戸倉 健一郎(とくら けんいちろう、1971年5月31日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(サイドバック)。
長谷部 茂利(はせべ しげとし、1971年4月23日 - )… 長谷部 茂利(はせべ しげとし、1971年4月23日 - )は、神奈川県横浜市栄区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。現在はJリーグ・川崎フロンターレの監督を務める。 横浜市栄区のFC本郷出身。同クラブでの1学年後輩に有馬賢二。桐蔭学園高等学校では李国秀監督体制の第一期生として指導を受け、背番号10を背負い3年時には主将として第68回全国高等学校サッカー選手権大会に出場し、準々決勝で延長・PK戦の末に服部浩紀・鳥居塚伸人を擁した前橋商業高等学校に敗れた。高校の同期生に戸倉健一郎、1期下に林健太郎・福永泰、2期下に栗原圭介・松川友明がいた。高校卒業後の進路として大学サッカーの強豪・筑波大学への進学が候補として挙がっていたが、李のアドバイスを受け中央大学に進学してサッカー部に所属。
扇谷 健司(おおぎや けんじ、1971年1月3日 - )は、… 扇谷 健司(おおぎや けんじ、1971年1月3日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の元サッカー審判員。2023年現在は日本サッカー協会 (JFA) 理事・審判委員会委員長。 藤沢西高校、青山学院大学で選手として所属した後、1998年に1級審判員登録した。2004年からはJリーグ、2005年からはJ1リーグの主審として活動している。長らく湘南ベルマーレ、シミズオクトの社員を務めながら審判活動を行っていたが、2007年からはスペシャルレフェリー(SR、現プロフェッショナルレフェリー:PR)として登録された。2010年8月8日のJ1第17節・ヴィッセル神戸-浦和レッズ戦で通算18人目のJ1主審100試合を達成した。
菊原 伸郎(きくはら のぶお、1970年12月18日 - )… 菊原 伸郎(きくはら のぶお、1970年12月18日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。2017年現在、埼玉大学教育学部准教授、専門分野はコーチ学とサッカー。 かながわクラブ、読売サッカークラブジュニアユース、神奈川県立相模原高等学校、筑波大学を経て、1994年に浦和レッドダイヤモンズに選手として入団した。この年の浦和レッズにはヴェルディ川崎からレンタル移籍(同制度のJリーグ適用第1号)で入団した実兄の菊原志郎が入団しており、兄弟での活躍が期待された。しかし伸郎は出場機会を得られず、わずか1年で戦力外となり現役を引退した。翌1995年は浦和レッズ営業部で販促グッズの企画に携わった。
宮澤 浩(みやざわ ひろし、1970年11月22日 - )は… 宮澤 浩(みやざわ ひろし、1970年11月22日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の元サッカー選手(DF)、サッカー指導者。 小学4年からサッカーを始め、中央大学学友会サッカー部時代にU-19日本代表に選出され、バルセロナオリンピック日本代表候補に選ばれている。 1993年、Jリーグが始まった年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)とプロ契約を結ぶ。 その後1996年からベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)、1998年からサンフレッチェ広島に所属する。ただ広島での晩年は怪我により全く公式戦には出場していなかった。 2000年10月、広島時代のコーチだったトム・サーマンニに誘われる形でオーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ(NSL)のキャンベラ・コスモスFC(英語版)に移籍し1シーズン在籍する。
永山 邦夫(ながやま くにお、1970年9月16日 - )は… 永山 邦夫(ながやま くにお、1970年9月16日 - )は、神奈川県出身の元プロサッカー選手。サッカー指導者。横浜マリノス/横浜F・マリノスで主に右サイドバック、右ウイングバックとしてプレーした。 マリノス前身の日産時代から15年間(ユースを含め18年間)を1クラブのみ在籍した「ワン・クラブ・マン」である。愛称の「オニク」はサッカーを始めた神大寺幼稚園以来のもの。 小・中学校の時期に所属したかながわクラブでは1年先輩に天才と言われ、後に16歳でプロデビューする菊原志郎(読売/ヴェルディ川崎→浦和レッズ)がおり、憧れであるとともに目標にしていたという。日産ユースではユース日本代表に選出され、第26回アジアユース(1988年)に出場した。
小椋 哲也(おぐら てつや、1970年8月26日 - )は、… 小椋 哲也(おぐら てつや、1970年8月26日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF。 1970年、神奈川県生まれ。県立藤沢西高校卒業後、早稲田大学に進学しア式蹴球部でプレー。ユース日本代表にも選ばれたサイドバックで、ガンバ大阪や京都パープルサンガに所属し、1995年に引退。積極的なオーバーラップを得意とするファイタータイプのディフェンダーであった。 各シーズンの所属クラブ/背番号/出場・得点記録の出典1995年の天皇杯予選の記録は不明。
小屋 禎(こや ただし、1970年5月24日 - )は、神奈… 小屋 禎(こや ただし、1970年5月24日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 安定感には欠けるがハードマークと攻撃参加を得意とし両サイドをこなすサイドバックとして、市原やブランメル仙台でプレーした。 各シーズンの所属クラブ/背番号/出場・得点記録の出典1996年の天皇杯予選の記録は不明。
沢田 謙太郎(さわだ けんたろう、1970年5月15日 - … 沢田 謙太郎(さわだ けんたろう、1970年5月15日 - )は、神奈川県鎌倉市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはDFで主に右サイド。 鎌倉市の粟船FC、大船中学校、藤沢西高校から中央大学を経て、1993年に柏レイソルに入団。入団当時は攻撃的なMFでの出場機会が多かったが、2年目から右サイドバックにコンバートされた。右サイドからの素早い上がりを持ち味とし、DFとしても堅実な守備で貢献した。この活躍が認められJFLの新人王とベストイレブンに輝くなど、チームの原動力となりJリーグ昇格も果たした。1995年はJリーグ昇格1年目の柏で活躍を見せ、柏レイソル発足後初の日本代表にも選出され通算4試合に出場。
藤井 泰行(ふじい やすゆき、1970年4月2日 - )は、… 藤井 泰行(ふじい やすゆき、1970年4月2日 - )は、神奈川県横浜市出身のサッカー指導者。JFA認定A級指導者、JFA認定GK LvⅢ級指導者。 神奈川県立旭高等学校、明治学院大学を経て、1992年から2014年にかけて横浜F・マリノスのアカデミーで長く指導者を務め数多くのJリーガーを輩出した。特に飯倉大樹、秋元陽太などJリーグで活躍しているGKに多く携わった。 2012年、横浜スポーツ&カルチャークラブTOPチームGKコーチに就任し、2014年には関西国際大学サッカー部の監督に就任する。マリノス時代と同様に「やって楽しい、見て楽しい」サッカーを標榜している。2018年2月よりJFAアカデミー福島にて、男子ユースのGKコーチに就任した。
古賀 聡(こが さとし、1970年2月12日 - )は、神奈… 古賀 聡(こが さとし、1970年2月12日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手(MF)、サッカー指導者。現・早稲田大学ア式蹴球部監督。
高尾 敬治(たかお けいじ、1969年11月17日 - )は… 高尾 敬治(たかお けいじ、1969年11月17日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 神奈川県立旭高校では大本忠輝と同期。3年時の高校選手権ではベスト8進出。 高校卒業後、関東社会人リーグの読売ジュニア(後の読売ジュニオール)に加入。1989年に全国地域リーグ決勝大会で勝利し、1990年から1992年にかけて日本サッカーリーグ2部でプレーした。読売ジュニオールがヴェルディ川崎(後の東京ヴェルディ1969)のサテライトチームとして発展解消されたことに伴い同クラブに加入したが、トップチームでの出場機会はなく、同シーズン限りで退団した。 V川崎を退団後は大塚FCヴォルティス徳島でプレー。
菊原 志郎(きくはら しろう、1969年7月7日 - )は、… 菊原 志郎(きくはら しろう、1969年7月7日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。中央大学卒業。 読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)の下部組織で育ち、戸塚哲也から繋がり、菊原以後山口貴之、財前宣之へと続く「ヨミウリ天才少年」の系譜である。1986年2月1日の日本サッカーリーグ第15節フジタ工業戦において16歳7ヶ月の若さでデビューを果たした。これは当時の最年少出場記録であった。その後レギュラーの座を掴み、ラモス瑠偉らと共に中盤を支え読売クラブの黄金時代を築き上げた。またこの活躍から「日本サッカーの未来を背負う男」とも呼ばれ、1990年には日本代表に選出された。 読売時代は天才ドリブラー、テクニシャン等数々の異名をとったが、Jリーグ開幕前後は、層の厚いチームにあったため出場機会に恵まれず、日本代表にも招集されることはなかった。
大倉 智(おおくら さとし、1969年5月22日 - )は、… 大倉 智(おおくら さとし、1969年5月22日 - )は、神奈川県川崎市出身の元サッカー選手、経営者。現役時代のポジションはFW。 東京都で生まれ、その後神奈川県川崎市に移って幼少期を過ごす。1985年に暁星高校に入学。第65回および第66回の2度全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。1988年に早稲田大学商学部に入学してア式蹴球部に入部し、4年時に第40回全日本大学サッカー選手権大会で優勝した。 大学を卒業後は日立製作所に入社して社員選手としてプレイしていたが、1994年に柏レイソルとしてJリーグに昇格に伴いプロに転向。レイソルではカレッカと相性の良いプレーを見せ、カレッカは大倉を「弟子の様な存在であった。
大本 忠輝(おおもと ただてる、1969年4月6日 - )は… 大本 忠輝(おおもと ただてる、1969年4月6日 - )は、日本出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。 神奈川県立旭高校では高尾敬治と同学年。2年時と3年時に神奈川県選抜に選ばれ国体少年の部に出場。3年時の高校選手権ではベスト8進出に貢献し、優秀選手に選出された。 青山学院大学を経て、ジャパンフットボールリーグのフジタサッカークラブに加入。Jリーグ昇格後の1994年にベルマーレ平塚と改称した後もチームに在籍し、同年4月13日に行われたサントリーシリーズ第9節の浦和レッドダイヤモンズ戦でJリーグデビュー。4月16日に行われた第10節のジュビロ磐田戦で初得点を記録した。
堀 孝史(ほり たかふみ、1967年9月10日 - )は、神… 堀 孝史(ほり たかふみ、1967年9月10日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代はフォワード、ミッドフィールダー、ディフェンダーをこなすユーティリティープレーヤーだった。 神奈川県立鎌倉高等学校3年次に高校選手権に出場し優秀選手に選出。明治大学を経て1990年に日本サッカーリーグ1部の東芝に加入すると1年目からレギュラーの座を獲得しリーグ戦22試合で7得点を記録、ペドロ・ペデルッチや向島建らと共に1990-91シーズンの4位に貢献した。1991年に日本代表に選出され、同年4月4日に国立競技場で行われたスパルタク・モスクワとの親善試合でベンチ入りしたが試合出場の機会はなかった。
本吉 剛(もとよし たけし、1967年7月26日 - )は、… 本吉 剛(もとよし たけし、1967年7月26日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー(センターバック、ストッパー)。 鎌倉高等学校では、3年次に第64回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。3回戦で同大会を制する清水商高に敗れたが、優秀選手に選出された。同期には堀孝史がいる。1986年に中央大学に進学。サッカー部に入部し、センターバックとして活躍。1987年のユニバーシアードに出場。日本B代表にも選出され、AFCアジアカップ1988で2試合に出場した。 1990年に日本サッカーリーグ2部・フジタ(現 湘南ベルマーレ)に入団。この年のフジタのリーグ最小失点に貢献し、ルーキーながらベストイレブンに選出された。
福田 正博(ふくだ まさひろ、1966年12月27日 - )… 福田 正博(ふくだ まさひろ、1966年12月27日 - )は、神奈川県横浜市緑区出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。 Jリーグ開幕前の1989年から引退する2002年まで浦和レッズ(三菱自動車サッカー部)の象徴的存在として活躍し、サポーターには「ミスター・レッズ」「大将」と呼ばれた。 神奈川県横浜市緑区で生まれる。子供の頃は野球少年だったが小学5年の時に横浜市から藤沢市に転居し、転校先の小学校でサッカーと出会う。小学校の担任の義兄が読売サッカークラブのコーチを務めていた橋本章也という人物で、福田は橋本からサッカー技術を学んでいった。
公文 裕明(くもん ひろあき、1966年10月20日 - )… 公文 裕明(くもん ひろあき、1966年10月20日 - )は神奈川県出身の日本の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。 1994年後半のベルマーレ旋風の立役者。ジャパンフットボールリーグ時代からの、岩本輝雄、名良橋晃による超攻撃的両サイドバックがどんどん上がるスタイルを取っていたベルマーレだったが、Jリーグでは通用せず、Jリーグ昇格直後の1994年のJリーグ・サントリーシリーズでは大量失点に悩んでいた。しかし、岩本をオフェンシブハーフ(本来はMF)の位置にあげ、公文を左サイドに置くと、本来の攻撃力はそのままに守備が安定、快勝を続けた。公文が出場停止となった2試合ではともに敗れており、この2敗がなければ優勝できる可能性が高かった(優勝はヴェルディ川崎。
山本 富士雄(やまもと ふじお、1966年5月27日 - )… 山本 富士雄(やまもと ふじお、1966年5月27日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者である。 フィジカルコンタクトに強く、ミッドフィールダーまたはディフェンダーとして守備的なポジションをいずれもこなす 選手だった。 神奈川県立小田原高等学校出身、卒業後筑波大学に進学した。 1990年に日本サッカーリーグ1部に復帰した三菱自動車に加入し2シーズンでJSL5試合1得点を記録するが浦和レッドダイヤモンズになってから出場機会がなく、翌年はNKKに移籍した。翌1994年にはベルマーレ平塚に移籍し、守備のバックアッパーとして活躍し、1996年に引退した。 1997年にはサッカー指導者として桐蔭学園高等学校サッカー部の監督に就任。
平川 弘(ひらかわ ひろし、1965年1月10日 - )は、… 平川 弘(ひらかわ ひろし、1965年1月10日 - )は、神奈川県藤沢市出身の元サッカー選手、サッカー解説者。元サッカー日本代表。ポジションはDF(左サイドバック)、MF(左ウイングバック)、FW(左ウイング)。愛称は「デンさん」。 元プロサッカー選手の平川元樹は実子。 若い頃から俊足フォワードとして名を馳せ、順天堂大学在籍時の1985年に日本代表に選出。同年のワールドカップ・メキシコ大会予選に参加。スーパーサブとして最終予選進出に貢献した。 1987年に日本サッカーリーグの日産自動車サッカー部に入部。当時のポジションは左ウイングであったが、1988年に横山兼三日本代表監督の下で左ウイングバックにコンバート、後に日産でもこのポジションを務めた。
堀 直人(ほり なおと、1964年11月24日 - )は、神… 堀 直人(ほり なおと、1964年11月24日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手。元サッカー日本代表。現役時代のポジションはDF。実弟の堀孝史は元サッカー選手、指導者。 神奈川県立厚木高等学校、早稲田大学を経て、日本サッカーリーグ2部の全日空横浜クラブ(後の全日空クラブ)に加入。1987-88シーズンにJSL2部で優勝し、1部昇格直後の1988-89シーズンでは第1節の松下電器戦を含む全22試合に出場し1得点1アシストを記録。その後、4シーズンの間にJSL1部通算82試合に出場し4得点5アシストを記録した。 代表レベルでは1988年に日本B代表に選ばれインドネシアで開催されたマラハリム・カップに参加。
森 淳(もり あつし、1964年4月5日 - )は、神奈川県… 森 淳(もり あつし、1964年4月5日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカークラブスタッフ。 神奈川県立旭高等学校、日本体育大学を経て、日本サッカーリーグ(JSL)のフジタ工業サッカー部(のちのベルマーレ平塚、湘南ベルマーレ)に在籍。 1988年には日本代表の西アジア遠征メンバーに選ばれたが、試合出場はなかった。 29歳で現役を退き、1994年に同年よりJリーグに参入したベルマーレ平塚のクラブスタッフとなる。スカウトとなって一年目に当時Jリーグの12クラブ中11クラブが獲得に乗り出していた中田英寿の獲得に成功する。その後は石原直樹、中町公祐らを獲得。 2005年から2009年までベガルタ仙台にて強化部チーフスカウトを務める。
藤川 孝幸(ふじかわ たかゆき、1962年10月10日 - … 藤川 孝幸(ふじかわ たかゆき、1962年10月10日 - 2018年11月15日)は、神奈川県川崎市出身の元サッカー選手(GK)、サッカー指導者、経営者。 読売ユースを経て、1981年から読売クラブ、1992年からヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)でプレーした。PK戦の強さで一躍名を広めた。1995年に引退。現役晩節は実質的にGKコーチを兼任していたが、Jリーグでは現役選手のコーチ・監督兼任登録が認められていないため、登録上は選手専任だった。 引退後はV川崎で5年間、ヴィッセル神戸で4年間、ベガルタ仙台で1年間GKコーチを歴任し、2006年は甲南大学サッカー部監督として関西大学2部秋季リーグ初優勝。
大友 正人(おおとも まさと、1961年1月22日 - )は… 大友 正人(おおとも まさと、1961年1月22日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。 日本大学高校時代にチームのエースとして、第56回全国高校サッカー選手権へ出場。 卒業後は大学進学を目指して予備校に通っていたが、1979年のシーズン途中より、日本サッカーリーグ(JSL)1部に所属する読売クラブの選手として追加登録されると、同年のJSLカップでは準決勝・決勝戦合わせて3得点の活躍で、クラブに初タイトルをもたらした。その後も快足の左ウイングとして長きに渡りレギュラーに定着。80年代に世界的スーパースターであったアルゼンチンのディエゴ・マラドーナになぞらえて「和製マラドーナ」の異名をとった。
菅野 将晃(かんの まさあき、1960年8月15日 - )は… 菅野 将晃(かんの まさあき、1960年8月15日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 息子は元サッカー選手でサッカー指導者の菅野将太。 神奈川県立旭高等学校卒業後、古河電気工業入社。 現役時代は古河電工サッカー部、ジェフユナイテッド市原、当時ジャパンフットボールリーグ所属の京都パープルサンガを最後に現役引退。 現役引退後の1995年から京都パープルサンガのユースチームコーチに就任、1998年からはトップチームコーチ兼サテライト監督、1999年からはジュニアユースの監督を務めた。この間、1997年にJFA公認S級コーチライセンス研修を受講し合格している。 2001年からは水戸ホーリーホックのヘッドコーチとなっていたが、7月に小林寛監督がゼネラルマネージャーに転身したのに伴い監督に昇格、2002年まで務めた。
石井 肇(いしい はじめ、1959年5月26日 - )は、神… 石井 肇(いしい はじめ、1959年5月26日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 日本大学高校から日本大学へ進み、1982年に日産自動車サッカー部へ入部した。選手時代のポジションはディフェンダー。JSL1部における試合出場は8試合にとどまった。 1988年に徳島県リーグの大塚製薬サッカー部へコーチ兼選手として移籍し、チームの四国リーグ、そして日本サッカーリーグ2部への昇格に貢献。1991年にコーチ専任となり、1993年には監督に就任。1995年、S級ライセンスを取得し、翌年には総監督に就任した。 1997年にジャパンフットボールリーグのコンサドーレ札幌にヘッドコーチとして招かれた。
坂下 博之(さかした ひろゆき、1959年5月6日 - )は… 坂下 博之(さかした ひろゆき、1959年5月6日 - )は、神奈川県三浦市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 神奈川県立横須賀高等学校を卒業後、筑波大学体育専門学群に入学し、蹴球部に所属。在学中に関東大学サッカーリーグ戦、全日本大学サッカー選手権大会、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントでの優勝を果たした。また、1980年に日本代表に選出され、1982 FIFAワールドカップアジア・オセアニア予選で国際Aマッチに出場した。 大学卒業後はフジタ工業、読売サッカークラブでプレーして1991年に現役を引退。1991年から2004年まで亜細亜大学サッカー部監督、2007年から2012年まで産業能率大学サッカー部監督をそれぞれ務めた。
唐井 直(からい ただし、1957年6月15日 - )は、神… 唐井 直(からい ただし、1957年6月15日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 早稲田大学政治経済学部を卒業 して、1980年に東芝に入団。1981年に全日空横浜サッカークラブへ移籍した。1985-86年シーズンは主将を務めたが、1986年3月22日の三菱重工戦の直前に競技場から姿を消して試合をボイコット(全日空横浜サッカークラブ・ボイコット事件)したことを理由として日本サッカー協会から無期限の出場停止処分を受けた(1989年に処分解除)。 1986年9月、横浜スポーツ&カルチャークラブ (Y.S.C.C.横浜)を創設。1990年1月から1994年6月まで公認会計士として青山監査法人(現:みすず監査法人)で勤務した。
松浦 敏夫(まつうら としお、1955年11月20日 - )… 松浦 敏夫(まつうら としお、1955年11月20日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 1980年代の日本において突出した190cm・80kgの恵まれた体躯と俊足を兼ね備えたストライカー。長身を活かしたヘディングだけでなく、ポストプレーや両サイドへ流れてのチャンスメイクやアシスト役も務めていた。 神奈川県立横浜緑ケ丘高校、早稲田大学(同期に西野朗)を経て、1978年に日本サッカーリーグ1部の日本鋼管に入部。チームの先輩・藤島信雄と共に中心選手として活躍、1980年代前半にはJSL2部降格も味わったが、1部復帰後は2シーズン連続得点王 (1986-87, 1987-88) の活躍を見せ、中堅チームである日本鋼管の3シーズン連続準優勝に貢献した。
早野 宏史(はやの ひろし、1955年11月14日 - )は… 早野 宏史(はやの ひろし、1955年11月14日 - )は、神奈川県川崎市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、解説者。 神奈川県立生田高等学校を経て、中央大学法学部政治学科を卒業。1978年、のちに横浜F・マリノスの母体となる日産自動車サッカー部に加入。小柄だがスピードに乗ったドリブル突破とゴール近くで得点感覚に優れたFWとして活躍した。中央大学時代の後輩金田喜稔、その金田の高校時代の後輩木村和司とともに、当時日産ターボトリオと称される。 12年間の現役選手生活を経て1987年から日産サッカー部の下部組織である日産ファーム(現在のサテライトチーム)、日産ユース、日産FCレディースなどで監督として指導者の下積みを送った。
植木 繁晴(うえき しげはる、1954年9月13日 - 20… 植木 繁晴(うえき しげはる、1954年9月13日 - 2024年4月11日)は、神奈川県川崎市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィルダー、フォワード。上武大学ビジネス情報学部教授、同大学サッカー部監督。 神奈川県立新城高等学校、日本大学を経て、1977年に日本サッカーリーグ(JSL)のフジタ工業(現-湘南ベルマーレ)に入部。フジタ工業の3度のJSL優勝、2度の天皇杯制覇に貢献した。 1987年限りで現役引退後はフジタ工業のコーチ、Jリーグ入りを目指してフジタから名称変更されたベルマーレ平塚のサテライト監督を歴任、1995年には監督代行を務めた。この年のアジアカップウィナーズカップで優勝し12月にアジア月間最優秀監督に選ばれた。
大住 良之(おおすみ よしゆき、1951年7月17日 - )… 大住 良之(おおすみ よしゆき、1951年7月17日 - )は、日本のサッカージャーナリスト、サッカー指導者。サッカーマガジン編集長、FC PAF監督、日本スポーツプレス協会副会長、日本サッカー協会審判委員等を歴任。アジアサッカー連盟フットボール・ライター・オブ・ザ・イヤー受賞。 神奈川県横須賀市久里浜出身。日本のサッカージャーナリストの先駆者的な存在で知られる。 栄光学園中学校・高等学校、一橋大学法学部卒業後、大学時代にアルバイトをしていたベースボール・マガジン社に1974年に入社、サッカーマガジン編集部に在籍。1978年以降は編集長を務めた。 1982年にベースボール・マガジン社退社。 その後はアンサーを経て1988年からはフリーとなる。
相川 亮一(あいかわ りょういち、1946年 - 2011年… 相川 亮一(あいかわ りょういち、1946年 - 2011年)は、神奈川県出身のサッカー指導者。 栄光学園高等学校出身で、独自のサッカー感を持ち、独学でサッカー理論を学ぶ。高校2年次の1963年から栄光サッカー部の指導を始め、大学3年次の1967年まで務めた。1965年に早稲田大学第一政治経済学部政治学科へ進学し、2年次の1966年には山手学院コーチとなり、卒業後の1971年まで務めた。1971年に日本サッカー協会主催第2回公認サッカー・コーチング・スクールを受講し、平木隆三(日本サッカー協会主任コーチ)に師事。1973年にテヘランで開催された国際サッカー連盟主催公認アジアコーチング・スクールを受講し、主任コーチのデットマール・クラマーに師事。
内野 正雄(うちの まさお、1934年4月21日 - 201… 内野 正雄(うちの まさお、1934年4月21日 - 2013年以前)は、神奈川県出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW(インサイドライト)。 神奈川県立小田原高等学校を1953年に卒業。中央大学ではサッカー部に所属。卒業後は古河電工サッカー部に入団。1960年度天皇杯にて、実業団チームとして初となる天皇杯優勝に貢献した。翌1961年度、1964年度にも天皇杯優勝。 学生時代から日本代表に選出され、1956年のメルボルンオリンピック予選では韓国代表との1戦目で貴重な先制点を挙げた。2戦目は韓国に敗れたものの、抽選で本大会出場が決定。本大会でのオーストラリア代表戦にも出場した。
小林 忠生(こばやし ただお、旧姓:早川、1930年7月7日… 小林 忠生(こばやし ただお、旧姓:早川、1930年7月7日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。父親は日本海軍中将の早川幹夫、実兄の早川純生もサッカー選手で、東京大学、日本鋼管で活躍した。 神奈川県立湘南中学校時代の1948年に第3回国民体育大会で準優勝。卒業後は慶應義塾大学経済学部に進学しソッカー部に所属。在学中の1953年には鈴木徳衛と共に日本学生選抜に選出され、1953年国際大学スポーツ週間(英語版)(ユニバーシアードの前身)に出場した。1954年3月に大学を卒業。卒業後は東京海上火災保険に入社した(勤務先でサッカー部活動を行ったかは不明)。 卒業後も慶應BRB(現役、OBで構成された混成チーム)の一員として1954年、1956年の全日本サッカー選手権大会優勝に貢献。
田中 美南 は、タイ出身の日本の女子サッカー選手。ユタ・ロイ… 田中 美南 は、タイ出身の日本の女子サッカー選手。ユタ・ロイヤルズFC所属。サッカー日本女子代表。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。
秋葉 夢子 は、神奈川県出身の女子サッカー選手。ヴィクサーレ… 秋葉 夢子 は、神奈川県出身の女子サッカー選手。ヴィクサーレ沖縄FCナビィータ所属。
杉田 亜未 は、神奈川県座間市出身の女子サッカー選手。アルビ… 杉田 亜未 は、神奈川県座間市出身の女子サッカー選手。アルビレックス新潟レディース所属。ポジションはミッドフィールダー。
鈴木 智子 は、神奈川県出身の元女子サッカー選手。現役時代の… 鈴木 智子 は、神奈川県出身の元女子サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。双子の妹。
宇津木 瑠美 は、神奈川県川崎市高津区出身の女子サッカー選手… 宇津木 瑠美 は、神奈川県川崎市高津区出身の女子サッカー選手。日テレ・東京ヴェルディベレーザ所属。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。元サッカー日本女子代表。神奈川県立栗原高等学校卒業。フットサル選手の宇津木有香と宇津木めぐみは姉。
大野 忍 は、神奈川県座間市出身の元女子サッカー選手。元日本… 大野 忍 は、神奈川県座間市出身の元女子サッカー選手。元日本女子代表(なでしこジャパン)。現サッカー指導者。神奈川県立栗原高等学校卒。ポジションはフォワード・ミッドフィールダー。
久野 吹雪 は、神奈川県出身の女子サッカー選手。アルビレック… 久野 吹雪 は、神奈川県出身の女子サッカー選手。アルビレックス新潟レディース所属。ポジションはゴールキーパー。
上尾野辺 めぐみ は、神奈川県横浜市瀬谷区出身の女子サッカー… 上尾野辺 めぐみ は、神奈川県横浜市瀬谷区出身の女子サッカー選手。WEリーグ・アルビレックス新潟レディース所属。ポジションはミッドフィールダー。