土屋 かおり(つちや かおり、現姓:徳永、1969年〈昭和4… 土屋 かおり(つちや かおり、現姓:徳永、1969年〈昭和44年〉10月14日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 神奈川県綾瀬市出身。小田急ジュノーが日本リーグ中位で奮闘していた時代に、チームの得点源として活躍したエース。 1995年にはチームの2枚看板である末国愛里と共に念願の全日本入りを果たし、代表でもスタメンを獲得。同年のワールドカップにも出場した。しかし翌年からは、自身の故障やチームの方針転換(若返り)からバックアップ要員に回り、若いチームを支えた。 1998年、チームを退部し、ビーチバレーに転向する(所属企業は小田急のまま)。インドアバレーを離れ、若手時代から大会に出場していたビーチバレーで2年後のシドニー五輪を目指すこととなった。
佐藤 浩明(さとう ひろあき、1969年3月4日 - )は、… 佐藤 浩明(さとう ひろあき、1969年3月4日 - )は、バレーボール指導者。郡山女子大学家政学部准教授、郡山女子大附属高校バレーボール部監督。神奈川県大和市出身。 藤沢商業高等学校(現:藤沢翔陵高等学校)、明治大学を経る。1992年から1998年まで、日立ベルフィーユのアシスタントコーチを務め、チームのリーグ3連覇に貢献し、オーストラリアやオランダの代表チームなどで、コーチ、アシスタントコーチを務めた。 2008年、パイオニアレッドウィングスのアシスタントコーチに就任。 2009年7月に監督に昇格し、後任として多治見麻子が選手兼コーチとなった。 2010年5月に監督を退任し、再びコーチとなった。
大竹 秀之(おおたけ ひでゆき、1967年7月16日 - )… 大竹 秀之(おおたけ ひでゆき、1967年7月16日 - )は、元全日本男子代表のバレーボール選手。日本バレーボール協会発掘育成委員会副委員長。NPO法人日本バレーボール・オリンピアンの会理事。 神奈川県横浜市出身。法政二高を経て法政大学に入学。大学在学中(4年)に全日本代表になる。卒業後はNECブルーロケッツに入部。日本リーグ/Vリーグでは、優勝3回、ベスト6が4回と活躍した。 1992年バルセロナオリンピック出場。1989年から1999年にかけてワールドカップ4回、世界選手権3回出場し日本を代表する選手となる。2001年に現役生活を引退し、コーチとして指導にあたった。 2008年にバレーボール全日本男子のコーチとして北京オリンピックバレーボール世界最終予選で16年ぶりに本選に切符を手に入れた。
吉田 康伸(よしだ やすのぶ、1967年 - )は、日本の元… 吉田 康伸(よしだ やすのぶ、1967年 - )は、日本の元バレーボール選手、指導者。体育学者。 法政大学経営学部教授。法政大学スポーツ研究センター所員。法政大学SSI教員。 1990年、法政大学経営学部経営学科卒業後、東レ株式会社バレーボール部(東レ九鱗会→東レアローズ)に所属しながら、筑波大学大学院体育学研究科にてコーチ学を専攻し博士前期修了。 菅野幸一郎は高校から東レまで同じチームの同級生であった。 1996年に東レアローズを退団。 2003年より、法政大学経営学部助教授。2008年、同大学教授となる。 過去に、全日本大学バレーボール連盟強化委員を歴任し、現在は法政大学体育会バレーボール部部長、及び監督を務めている。
杉山 明美(すぎやま あけみ、1965年3月1日 - )は、… 杉山 明美(すぎやま あけみ、1965年3月1日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、スポーツコメンテーター、ヘルスコーディネーター。 神奈川県平塚市出身。中学時代にバレーボールを始め、神奈川県立五領ヶ台高等学校で頭角を現した。 東海大学時代の1985年、神戸ユニバーシアード優勝、関東大学1部春季リーグ優勝に貢献。 1987年日本電気に入社し、1年目からレギュラー獲得。第21回日本リーグではスパイク賞を獲得した。1988年全日本に初選出。同年開催のソウル五輪に出場。 1997年第3回Vリーグ優勝を最後に現役引退。1998年まで後進の指導などに当たり、その後社業専念。2001年退社。 現在は日本放送協会のプレミアリーグ中継解説者、分子整合栄養医学管理士として栄養療法のヘルスコーディネーターとして活動。
金子 敏和(かねこ としかず、1964年6月27日 - )は… 金子 敏和(かねこ としかず、1964年6月27日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 神奈川県鎌倉市出身。 藤沢商業高等学校(現・藤沢翔陵高等学校)では、春高バレーの第12回大会でベスト8、第13回大会で優勝の成績を残した(バックアタックなどで貢献)。 明治大学に進学、卒業後の1987年に日本電気(NECブルーロケッツ)に入社。 同チームにおいて、1993年度から選手兼任コーチ、1996年度は選手兼任監督、翌1997年度からは専任監督となった。1998年度(第5回Vリーグ)では優勝監督賞を受賞した。2003年度(第10回Vリーグ)まで監督を務めた(2004年5月17日付、後任は楊成太)。
熊田 康則(くまだ やすのり、1963年3月18日 - )は… 熊田 康則(くまだ やすのり、1963年3月18日 - )は、日本の元バレーボール選手、ビーチバレーボール選手、指導者。 神奈川県出身。横浜市立末吉中で当初野球部に所属するが、2年次にバレーボール部に転部。法政二高に進学し、2年までセッターを務めたが3年からアタッカーに転向。高校3年で全日本に呼ばれ、法政大学に進学し4年次には大学主要タイトル4冠を達成。 1985年、大学卒業とともに富士フイルム入社。1年目から日本リーグでの21試合全勝優勝を経験するなど富士フイルム黄金時代を支え、同チームの主将も務めた。川合俊一(中学からの顔見知り)、井上謙(高2の練習試合で出会う)と共に、「バレーボール界のビッグ3」と言われ、大砲として日本バレーボール界をリード。
吉川 正博(よしかわ まさひろ、1963年1月21日 - )… 吉川 正博(よしかわ まさひろ、1963年1月21日 - )は、日本のバレーボール元選手・指導者。神奈川県出身。元バレーボール全日本女子監督。 中学校からバレーボールを始める。藤沢商業高等学校(現:藤沢翔陵高等学校)から東海大学を経て、1985年にNEC入社。全日本ジュニア、アトランタ五輪のバレーコーチを経て、1997年にはNECレッドロケッツの監督に就任。同年開催の全日本選手権ではチームを初優勝へと導いた。 2001年、葛和伸元の後任として全日本女子バレーボールチーム監督に就任する。同年開催のグラチャンバレーで銅メダルを獲得した。しかし、続くアジア選手権では中国、韓国に及ばず3位決定戦で地元のタイに敗れ、日本女子バレー史上初のアジア選手権メダル無しという結果に終わった。
宮下 直樹(みやした なおき、1956年11月22日 - )… 宮下 直樹(みやした なおき、1956年11月22日 - )は、日本のバレーボール指導者である。神奈川県川崎市出身。 1975年、東海大学男子バレーボール部に入部し、セッター・レシーバーでプレーし、副将も経験する。 1979年に朝日生命男子バレーボール部に入団し、同社バレーボール教室専任講師にも就任。選手としては1986年までセッターでプレーする。女子バレーボール部のコーチ及び監督に就任し、2000年まで務めた。1996年に同社バレーボール教室の校長に就任し、2001年まで務めた。 2001年には、カナダ女子代表コーチに就任。2006年に監督に昇格し、2008年まで務めた。(コーチ時代は、カナダウィニペグ大学女子バレーボールチーム及び、ウィニペグ大学ジュニアクラブチームメントールコーチも務める) 2008年に武富士バンブーのコーチに就任。
保田 靖則(やすだ やすのり、1952年11月20日 - )… 保田 靖則(やすだ やすのり、1952年11月20日 - )は、日本の元男子バレーボール選手(全日本代表)、バレーボール指導者。 神奈川県南足柄市出身。 藤沢高等学校時代は3年連続で全国大会出場を果たした。卒業後の1971年、富士フイルムに入社し、富士フイルム・プラネッツ(自身の出身地に本拠地を持つ)の選手として活躍。1977年度から主将を務め、1980年度からは御嶽和也に主将を引き継いで選手兼任コーチとなった(1983年度まで)。1984年度から1989年度まで専任コーチを務めた。
御嶽 和也(みたけ かずや、1951年8月14日 - )は、… 御嶽 和也(みたけ かずや、1951年8月14日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 神奈川県足柄下郡湯河原町出身・中学3年次よりバレーボールを始める。藤沢商業高等学校(現:藤沢翔陵高等学校)卒業後、日本大学に進学しアタッカーとして活躍する。 1974年に富士フイルム・プラネッツに所属し、セッターへ転身。 1981年に全日本入り、同年ワールドカップに出場。1982年に第10回世界選手権出場、1984年にはロサンゼルスオリンピックに出場と活躍した。1988年ソウルオリンピックではコーチを担当した。 現役引退後は、富士フイルムのコーチ、トレーナーなどを務めた。
大古 誠司(おおこ せいじ、1948年2月15日 - )は、… 大古 誠司(おおこ せいじ、1948年2月15日 - )は、日本の元バレーボール選手(元全日本代表)。元バレーボール全日本男子監督。 現在は、沖縄県バレーボール協会スーパーアドバイザー。中山農場顧問。日本大学鶴ヶ丘高等学校、東芝学園卒業。 神奈川県川崎市出身。甥に元プロサッカー選手の水内猛がいる。
井上 節子(いのうえ せつこ、1946年9月16日 - )は… 井上 節子(いのうえ せつこ、1946年9月16日 - )は、日本の元バレーボール選手。1968年メキシコオリンピックバレーボール女子銀メダリスト。
小野沢 愛子(おのざわ あいこ、1945年8月19日 - )… 小野沢 愛子(おのざわ あいこ、1945年8月19日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。メキシコオリンピック銀メダリスト。 神奈川県津久井郡中野町(現相模原市緑区)出身。高身長だったため、先生の強い勧めで中学1年よりバレーボールを始める。中学時代には陸上競技大会の砲丸投で全国10位入賞の経験がある。 高校は県内強豪校の京浜女子商業高校に進学し、1961年の秋田国体3位入賞に貢献した。卒業後は実業団のヤシカに入部する。 1967年度の第1回日本リーグでは、スパイク賞とブロック賞を獲得し、ヤシカは準優勝ながら最優秀選手に選出された。 1967年に全日本メンバーに選出され、同年の世界選手権優勝、1968年のメキシコオリンピック準優勝に貢献した。
樋口 時彦(ひぐち ときひこ、1941年6月10日 - )は… 樋口 時彦(ひぐち ときひこ、1941年6月10日 - )は、神奈川県出身の元バレーボール選手。1964年東京オリンピックバレーボール男子銅メダリスト。法政二高を経て、法政大学卒業。
加藤 明(かとう あきら、1933年1月3日 - 1982年… 加藤 明(かとう あきら、1933年1月3日 - 1982年3月20日)は、日本のバレーボール選手、バレーボール全日本選手、バレーボールペルー女子代表監督。 無名であったペルーのバレーボールチームを世界のトップレベルまで引き上げて、わずか3年で1968年のメキシコ五輪ではチームを4位入賞へと導いた。 神奈川県小田原市出身。慶應義塾大学法学部在学時からバレーボールの選手として活躍する。1955年に八幡製鉄に入社し、1960年に主将を務めた。1960年世界選手権に出場した後、現役を引退した。 1961年、加藤の大学の先輩で母校の監督をしていた松平康隆から加藤に「後任として監督をしないか」という誘いがあり、加藤はこれを引き受けた。
塚田 しおり は、日本の元女子バレーボール選手である。
横田 千里 は、日本の元女子バレーボール選手。
吉村 志穂 は、日本の元女子バレーボール選手。
山上 有紀 は、日本の女子バレーボール選手である。
安藤 典莉子 は、日本の元女子バレーボール選手。
大竹 里歩 は、日本の元女子バレーボール選手である。
島村 春世 は、日本の女子バレーボール選手。日本代表。
白井 美沙紀 は、日本の元女子バレーボール選手。
二見 梓 は、日本の元女子バレーボール選手、元ビーチバレー選… 二見 梓 は、日本の元女子バレーボール選手、元ビーチバレー選手。東レエンジニアリング所属。
鍋谷 友理枝 は、日本の元女子バレーボール選手。