鳥海 光弘(とりうみ みつひろ、1946年12月22日 - … 鳥海 光弘(とりうみ みつひろ、1946年12月22日 - )は、日本の地球科学者、東京大学名誉教授。 1946年神奈川県生まれ。1965年神奈川県立多摩高等学校卒業。1969年東京大学理学部地学科(地質学・鉱物学)卒業。1972年同大学院理学系研究科地質学専攻修士課程修了。1974年、同博士課程中退。1974年「関東山地の三波川変成岩の岩石学的研究」で理学博士の学位を取得。1974年、東京大学総合資料館助手、1978年愛媛大学理学部助教授、1985年東京大学理学部助教授、1991年同教授、1999年東京大学大学院新領域創成科学研究科教授。2011年定年退官、名誉教授、海洋研究開発機構海洋地球生命史研究分野分野長。
桃井 恒和(ももい つねかず、1946年12月19日 - )… 桃井 恒和(ももい つねかず、1946年12月19日 - )は、日本の新聞記者、実業家。株式会社読売巨人軍代表取締役会長。 株式会社読売新聞東京本社総務局局長、株式会社読売新聞東京本社執行役員、株式会社読売巨人軍ではオーナーや社長などを歴任した。 神奈川県出身。栄光学園高等学校を経て東京大学文学部卒業後の1970年に読売新聞社に入社。 読売新聞では主に社会部記者として活動、犯罪報道を担当した。2000年3月に読売新聞東京本社社会部長に就任。2000年5月に京都大学で開催された『日本刑法学会』大会では第3分科会「犯罪報道と人権」にてマスコミ側関係者としてコメンテーターを務めている。 2002年1月に東京本社編集局次長、2003年に東京本社総務局人事部長、2004年には東京本社執行役員(総務局長兼任)にそれぞれ就任。
碓井 敏正(うすい としまさ、1946年12月6日 -)は、… 碓井 敏正(うすい としまさ、1946年12月6日 -)は、日本の哲学者。京都橘大学名誉教授。福祉法人おひとりさま監事(前理事長)、大学評価学会顧問。 東京都出身。近代西洋哲学の研究から出発し、現在は規範哲学(正義論や人権論)を専門としている。貧困問題や格差問題に詳しい。左派系の知識人であるが、近年では社会主義的な立場から成熟社会論を展開し、市民運動や革新組織のあり方についても問題提起をしている。
渋谷 昌三(しぶや しょうぞう、1946年11月23日 - … 渋谷 昌三(しぶや しょうぞう、1946年11月23日 - )は、日本の社会心理学者・エッセイスト。学位は、文学博士(東京都立大学・1977年)(学位論文「対人場面におけるパーソナル・スペースの役割」)。目白大学名誉教授。 神奈川県厚木市出身。神奈川県立厚木高等学校、学習院大学理学部化学科を経て、1972年学習院大学文学部哲学科卒業、1977年東京都立大学大学院人文科学研究科心理学専攻博士課程満期退学、「対人場面におけるパーソナル・スペースの役割」で東京都立大学より文学博士の学位を取得。学習院大学助手、山梨医科大学助教授、山梨医科大学教授を経て、2001年目白大学社会学部社会情報学科教授、大学院心理学研究科教授。
岡本 富士太(おかもと ふじた、1946年〈昭和21年〉11… 岡本 富士太(おかもと ふじた、1946年〈昭和21年〉11月21日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。円企画所属。 神奈川県横浜市出身。藤嶺学園藤沢高等学校卒業。妻は元スクールメイツの鶴間エリ。 1966年、東京芸術座附属演劇研究所を卒業。同期には、小野寺昭、小野川公三郎がいた。同年、劇団雲に入団。 1975年には、演劇集団 円の会員に昇格し現在に至る。 1974年の『事件狩り』でのゲスト出演が好評で、プロデューサーの野添和子が『バーディー大作戦』プロデューサーの近藤照男へ紹介したことにより、同作の出演が決まる。後番組の『Gメン'75』に続投し、初代メンバーの1人である津坂真一刑事として1975年5月24日から1977年5月14日まで2年間出演した。
大石 吾朗(おおいし ごろう、本名:輿石 秀之、1946年〈… 大石 吾朗(おおいし ごろう、本名:輿石 秀之、1946年〈昭和21年〉11月20日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者・MC、CS日本番組審議会。委員所属事務所はホリプロ。神奈川県横浜市出身。聖ミカエル学院卒業。 グループ・サウンズ「寺内タケシとバニーズ」のセカンドギタリストを経て、「ジ・エドワーズ」のヴォーカリストとなる。この当時は本名で活動していた。 ニッポン放送と日本テレビの番組『コッキーポップ』では、今も語り継がれる伝説のパーソナリティだった。特に『クイズバトンタッチ』での巧みな話術と臨機応変でスピード感が溢れる進行[独自研究?]は有名[誰に?]。エフエム東京 (TOKYO FM) では永く、モータースポーツ番組『ADVAN サウンドコックピット』のパーソナリティを務めた。
徳永 二男(とくなが つぎお、1946年11月20日 - )… 徳永 二男(とくなが つぎお、1946年11月20日 - )は、日本のヴァイオリニスト。 神奈川県横須賀市出身。父はヴァイオリニストの徳永茂、兄はチェリストの徳永兼一郎。父の英才教育を受け、鷲見三郎にも師事した。1958年、小学校6年生の時、第12回全日本学生音楽コンクール全国大会で第1位を受賞。桐朋学園大学音楽科に進み、斎藤秀雄に師事。1965年、第34回日本音楽コンクールで第3位を受賞した。 1966年、当時日本楽壇史上最年少のコンサートマスターとして東京交響楽団に入団。1968年、文化庁在外派遣研修生としてベルリンへ留学、ミシェル・シュヴァルベに師事した。1974年、チャイコフスキー国際コンクールに出場し、ディプロマ賞を受賞した。
阿藤 快(あとう かい、、1946年〈昭和21年〉11月14… 阿藤 快(あとう かい、、1946年〈昭和21年〉11月14日 - 2015年〈平成27年〉11月14日)は、日本の俳優・タレントである。神奈川県小田原市出身。東京都立大学法学部法律学科(二部)卒業。劇団俳優座、舞プロモーションを経て、 ボニート合同会社(Bonito LLC)に所属していた。血液型A型。本名は阿藤 公一(あとう こういち)。旧芸名は阿藤 海(読み同じ)。 中学時代は野球に熱中していた。神奈川県立西湘高等学校に入学するが、高校に野球部がなかったため2年時に退学。その後、野球部名門校の編入試験を受験するも不合格になり、西湘高校へ復学。卒業後は、東京都立大学法学部法律学科の第二部に合格し、入学。
河野 一郎(こうの いちろう、1946年(昭和21年)11月… 河野 一郎(こうの いちろう、1946年(昭和21年)11月6日 - )は、日本のスポーツ医学者、内科医、体育科学者。日本オリンピック委員会(JOC)理事。一般財団法人嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センター理事長。日本ラグビーフットボール協会元理事。筑波大学名誉教授。元・筑波大学人間総合科学研究科スポーツ医学専攻教授で、学長特別補佐(2011年時点)。元・独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)理事長。元・2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会副会長。 東京五輪(1964年)担当国務大臣や日本陸上競技連盟理事長などを務めた政治家の河野一郎(1898年 - 1965年)は、同姓同名の別人。
諸星 裕(もろほし ゆたか、1946年10月7日 - )は、… 諸星 裕(もろほし ゆたか、1946年10月7日 - )は、日本の学者、桜美林大学名誉教授・ミネソタ州立大学特別功労教授・一般社団法人日本ゴルフツアー機構会長。日本ゴルフ改革会議副議長。BS日本番組審議会委員。神奈川県二宮町出身。なお、関西ローカル番組『ちちんぷいぷい』出演時の肩書きは、大手前大学客員教授。ニックネームはモロパン。
西岡 德馬(にしおか とくま、1946年〈昭和21年〉10月… 西岡 德馬(にしおか とくま、1946年〈昭和21年〉10月5日 - )は、日本の俳優、声優、タレント。本名および旧芸名は西岡 德美(にしおか のりよし)。西岡 徳馬とも表記されるが、芸名と本名共に「徳」の字は旧字体(德)が正式表記である。 神奈川県横浜市出身。横浜市立大綱中学校、学校法人聖ミカエル学院を経て、玉川大学文学部芸術学科演劇専攻卒業。文学座、赤坂プロ、グランパパプロダクションを経て、アンシャンテ所属。 2人兄弟の長男で、幼少期には子役として活躍した。幼少時は喘息で体が弱く、体調が悪くなり演劇の仕事も一時活動休止した。その後は中学に入り、器械体操部で体を鍛えることにより他の学生と喧嘩で負けなしだったが、本人から仕掛けることは一度もなかった。
西岡 德馬(にしおか とくま、1946年10月5日 - )は… 西岡 德馬(にしおか とくま、1946年10月5日 - )は、日本の俳優。神奈川県横浜市出身。身長175cm、体重65kg。本名は旧芸名と同じ西岡 德美(にしおか のりよし)。芸名、本名共に「徳」の字は旧字体(德)が正式表記である。スタッフ・ポイント所属。
相田 慎一(あいだ しんいち、1946年10月2日 - )は… 相田 慎一(あいだ しんいち、1946年10月2日 - )は、日本の経済学者。経済学博士(大阪市立大学・論文博士・1994年)。専修大学名誉教授。 専門は、マルクス経済学・経済史。特に、カール・カウツキーを研究。 神奈川県厚木市生まれ。 1965年早稲田大学高等学院卒業。1969年早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業。1978年大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。 その後、大阪市立大学経済学部助手、桃山学院大学経済学部非常勤講師、龍谷大学経済学部非常勤講師、福知山女子高等学校社会科教諭、大阪薬業専門学校兼任講師等を経て、1986年専修大学北海道短期大学経済科助教授。1994年同経済科教授。
須藤 徹(すどう とおる、1946年10月1日 - 2013… 須藤 徹(すどう とおる、1946年10月1日 - 2013年6月29日)は、日本の俳人、文芸評論家。多田裕計、小川双々子の門下生。俳句を中心とした文芸誌「ぶるうまりん」の代表(編集・発行人)を務めた。「豈」同人。 東京都杉並区生まれ。神奈川県立平塚江南高等学校卒業後、上智大学文学部ドイツ哲学科へ進学した。在学中同大学の文芸誌「紀尾井文学」の編集に従事、小説・評論等を発表。開高健選の「ソフィア祭賞」の「小説」部門に応募、最終4作に残った(入選作なし)。 「上智大学新聞」(1967年10月30日号)に掲載された、開高健の選評「精錬された一語一句」において、当該作品「出発できない朝」につき、懇切な批評を受ける。
井上 節子(いのうえ せつこ、1946年9月16日 - )は… 井上 節子(いのうえ せつこ、1946年9月16日 - )は、日本の元バレーボール選手。1968年メキシコオリンピックバレーボール女子銀メダリスト。
うえず みのる(1946年9月16日 - )は、日本の俳優。… うえず みのる(1946年9月16日 - )は、日本の俳優。神奈川県横浜市出身。 本名:植頭 実(読みは同じ)。旧芸名・別名はうえず・みのる。 旧所属事務所は日活株式会社、東宝株式会社、アート未来派、エヌ・エー・シー。 静岡県で放送されている『丸六かまぼこ』のCMに20年以上にわたり出演しており、「かまぼこおじさん」の愛称で親しまれている。 以前は神奈川県横浜市南区南太田のドンドン商店街にて、居酒屋「あっぱれや」を経営していた。 趣味はイラスト、特技は落語。
高須 幸雄(たかす ゆきお、1946年(昭和21年)8月29… 高須 幸雄(たかす ゆきお、1946年(昭和21年)8月29日 - )は、日本の外交官、国際公務員。2012年から2017年まで国際連合事務次長(管理局長)。 2007年から2010年まで国連大使。 東京大学法学部第二類中退、1969年外務省に入省する。オックスフォード大学留学。 1981年国際連合日本代表部参事官としてニューヨークに赴任する。1988年本省に戻り欧亜局西欧第二課長。1989年国際連合局国連政策課長。1992年インドネシア公使。1993年国連事務次長補・行政管理局財務官。1997年国連日本代表部大使。2000年総合外交政策局国際社会協力部長。2001年在ウィーン国際機関日本政府代表部特命全権大使。
麻生 泰(あそう ゆたか、1946年〈昭和21年〉8月28日… 麻生 泰(あそう ゆたか、1946年〈昭和21年〉8月28日 - )は、日本の実業家。株式会社麻生代表取締役会長、麻生セメント株式会社代表取締役会長、慶應義塾連合三田會11代目会長、福岡雙葉学園理事長、学校法人麻生塾前理事長 現塾長、九州経済連合会名誉会長。一般財団法人東京メトロポリタンオペラ財団参与、福岡地域戦略推進協議会会長。元2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事、九州IR推進協議会会長。 1946年、衆議院議員で実業家の麻生太賀吉の三男として福岡県飯塚市に生まれる。 松濤幼稚園、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、1969年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。
市川 瑛子(いちかわ えいこ、1946年8月15日 - )は… 市川 瑛子(いちかわ えいこ、1946年8月15日 - )は、日本の女優、歌手。神奈川県鎌倉市村木座出身。聖和学院高等学校(現:聖和学院中学校・高等学校)卒。松竹、EMIミュージック・ジャパンに所属していた。趣味・特技は琴、茶道、華道。 1961年、「ミス平凡」を受賞。
遠山 美枝子(とおやま みえこ、1946年8月12日 - 1… 遠山 美枝子(とおやま みえこ、1946年8月12日 - 1972年1月7日)は、日本の新左翼活動家、共産主義者同盟赤軍派メンバー。赤軍派最高幹部高原浩之は夫。 神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校卒。明治大学法学部卒。 幼くして父を亡くした貧困から、高校卒業とともにキリンビールに勤めながら明大の夜間に通う。大学在学中に赤軍派に参加。明治大学現代思想研究会で重信房子や上原敦男らと活動した。赤軍派では主にプロパガンダ映画の上映会などの後方支援を行っていた。 1971年2月には「国際根拠地論」に基づいて、パレスチナに赤軍派の海外基地を作るために日本を出国する重信を羽田空港で見送る。 1972年1月7日、連合赤軍幹部の永田洋子らによって山岳ベース事件により死亡。
野村 収(のむら おさむ、1946年8月9日 - )は、神奈… 野村 収(のむら おさむ、1946年8月9日 - )は、神奈川県平塚市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ、解説者。NPBで史上初めて全12球団から勝利を挙げた。 中学から本格的に野球を始めた。打撃投手を務めていた際に肘に違和感を覚えると、三塁手で出場した際に一塁手への送球で肘を故障、医師からは投手は難しいと言われたが風呂で温めてから肘を伸ばす日課を続けていると肘が伸びて投げられるようにまで回復。家庭の事情で私立の強豪校は諦め、1962年に平塚農業高校へ進学。入学当初のシートノックでは三塁手を指示されたが外野手を希望して強肩をアピールし、狙い通り投手の座を掴んだ。県大会1回戦負けの常連であったが、3年次の1964年春に強豪の鎌倉学園に2-1で勝利して評価を高めた。
滝田 賢治(たきた けんじ、1946年8月2日 - )は、日… 滝田 賢治(たきた けんじ、1946年8月2日 - )は、日本の政治学者。専門は、国際政治史・アメリカ外交史。中央大学名誉教授。元中央大学政策文化総合研究所所長。 横浜市生まれ。1969年3月東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業、1974年3月一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、1977年一橋大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。指導教官は細谷千博。 1977年4月日本学術振興会奨励研究員、1978年4月埼玉大学教養学部非常勤講師、1979年4月中央大学法学部専任講師、1980年4月中央大学法学部助教授、1986年4月中央大学法学部教授。この間1985年から国際連合大学グローバル・セミナー運営委員・講師を務めるほか、1991年3月から1993年3月までジョージワシントン大学中ソ研究所客員研究員、2002年4月から2009年3月まで中央大学政策文化総合研究所所長。
岩崎 俊男(いわさき としお、1946年7月9日 - )は、… 岩崎 俊男(いわさき としお、1946年7月9日 - )は、日本の実業家。三菱グループの創業者一族・岩崎家の一員で、ベンチャーキャピタルの世界で活動している。 岩崎寿男の長男として神奈川県鎌倉市に生まれる。小学1年生のときに東京都港区赤坂青山高樹町(現・港区南青山7丁目)に転居し、港区立青南小学校を卒業。港区立青山中学校、東京都立日比谷高等学校を卒業後、1966年(昭和41年)4月東京大学入学。1970年(昭和45年)3月東京大学経済学部卒業。同年4月三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)入行、大手町支店に配属される。アメリカ合衆国カリフォルニア州の現地法人で新規取引営業、企画部門を経験したのち1994年6月資金証券部長に就任。
戸谷 真人(とや まこと、1946年7月6日 - 2024年… 戸谷 真人(とや まこと、1946年7月6日 - 2024年12月27日)は、文化放送の元アナウンサーでフリージャーナリスト。 神奈川県鎌倉市出身、栄光学園高等学校を経て、早稲田大学第一政治経済学部経済学科へ進学。早稲田大学では、数多くのアナウンサーを輩出している放送研究会で活動していた。 大学卒業後の1969年に、アナウンサーとして文化放送に入社した。入社後は、プロ野球や大相撲を中心に、スポーツ中継の実況で活躍。モスクワ・ロサンゼルス・バルセロナの各オリンピックでも実況を担当した。ロサンゼルスオリンピックで実況を任された柔道無差別級決勝のラジオ中継では、山下泰裕による金メダル獲得の瞬間を伝えている。
弦屋 光溪(つるや こうけい、 昭和21年(1946年)7月… 弦屋 光溪(つるや こうけい、 昭和21年(1946年)7月 - )は、日本の版画家、浮世絵師。歌舞伎役者の大首絵でデビューした。 本名は三井 弦。昭和21年 (1946年)、神奈川県茅ヶ崎市生まれ、父は洋画家の藤川光次、祖父は同じく洋画家の中澤弘光。東京都新宿区諏訪町で育つ。1971年(昭和46年)に富士短期大学を卒業。サラリーマンを経て木版画家に転身し、独学で制作を続け、1978年(昭和53年)に木版画家としてデビューする。歌舞伎座で役者大首絵の展覧会を22年間続け、大英博物館の「日本20世紀後半の版画展」ほかにも出品。2000年に大首絵を完結させると、猫をモチーフにした戯画「猫三連作」(「三扇面流し 猫の忠臣蔵」2011年)や「アルチンボルドに捧ぐ五題」(「虫」 2014年)ほかだまし絵、さらに自画像へと、浮世絵を探求していく。
新藤 宗幸(しんどう むねゆき、1946年6月25日 - 2… 新藤 宗幸(しんどう むねゆき、1946年6月25日 - 2022年3月13日)は、日本の政治学者。千葉大学名誉教授。専門は、行政学、地方自治論。市民主体の行政のあり方を提唱し、論壇でも活動した。 神奈川県逗子市(当時は横須賀市の一部)生まれ。神奈川県立横須賀高等学校、中央大学経済学部卒業。1972年中央大学大学院法学研究科修士課程修了。指導教授は横山桂次・島崎晴哉・中村陽一。財団法人東京市政調査会研究員を務める。78年「1972年州・地方政府財政援助法の成立―一般歳入分与プログラムの創設」によって第4回東京市政調査会・藤田武夫賞を受賞。 1980年専修大学法学部助教授。1987年立教大学法学部教授、その後シェフィールド大学客員教授、2002年千葉大学法経学部教授。
大野 市太郎(おおの いちたろう、1946年5月10日 - … 大野 市太郎(おおの いちたろう、1946年5月10日 - )は、日本の元裁判官。神奈川県出身。東京大学卒業。司法研修所長、福岡高等裁判所長官などを経て、大阪高等裁判所長官で定年退官。主に刑事裁判を担当。
廣川 信隆(ひろかわ のぶたか、1946年3月25日 - )… 廣川 信隆(ひろかわ のぶたか、1946年3月25日 - )は、日本の分子生物学者。東京大学医学部教授、東京大学大学院医学系研究科特任教授を歴任。キネシンスーパーファミリーを中心に、細胞生物学、分子生物学、発生学、生物物理学の研究に従事している。 1970年代に「急速凍結顕微鏡法」を開発し、神経細胞の中で働く分子モーターの働きを解明し、現在発見されている90種の分子モーターの大部分を発見した。特に分子モーターが微小管の上を毎秒数マイクロメートルで動いて物質を運んでいることを発見した。また心臓の左右の位置が分子モーター (KIF3) の働きで左右されることや、がんを抑制する分子モーターを発見した。
近藤 誠一(こんどう せいいち、1946年3月24日 - )… 近藤 誠一(こんどう せいいち、1946年3月24日 - )は、日本の外交官。第20代文化庁長官。国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)大使、デンマーク駐箚特命全権大使を歴任。退官後は、近藤文化・外交研究所を設立し、JXホールディングス取締役、カゴメ取締役、パソナグループ取締役、長野県文化振興事業団理事長、東京都交響楽団理事長、東京大学政策ビジョン研究センター特任教授、東京芸術大学客員教授、公益財団法人京都市芸術文化協会理事長などに就任。神奈川県生まれ。夫人との間に一女がいる。
瀧本 泰行(たきもと やすゆき、1946年3月21日 - 2… 瀧本 泰行(たきもと やすゆき、1946年3月21日 - 2019年6月)は日本の実業家。株式会社エアーリンク(現・エアトリインターナショナル)創業者・名誉会長。同社代表取締役会長を務めた。サイバー大学客員教授、可処分時間研究所代表。長男は実業家で株式会社maneoマーケット元代表取締役の瀧本憲治である。 神奈川県小田原市生まれ。神奈川県立小田原高等学校を経て、1970年一橋大学経済学部卒業。大学在学中は一橋大学消費生活協同組合専務理事を務め、大学卒業後全国大学生活協同組合連合会に入社。 1979年EEC(エンジョイ・エコノミークラブ)を設立。旅行会社の株式会社エアーリンクトラベルを設立。1994年には国際航空運送協会公認旅行代理店となり、1995年に株式会社エアーリンクに商号変更。
中西 宏明(なかにし ひろあき、1946年〈昭和21年〉3月… 中西 宏明(なかにし ひろあき、1946年〈昭和21年〉3月14日 - 2021年〈令和3年〉6月27日)は、日本の実業家。位階は正三位。勲等は旭日大綬章。 一般社団法人日本経済団体連合会会長(第5代)、株式会社日立製作所相談役(取締役会長兼執行役、代表執行役兼執行役社長兼取締役、代表執行役兼執行役会長兼CEO兼取締役)、日本赤十字社副社長、一般社団法人中東協力センター会長、公益財団法人奈良先端科学技術大学院大学支援財団理事、一般社団法人2025年日本国際博覧会協会会長、株式会社日立グローバルストレージテクノロジーズ会長、株式会社日立グローバルストレージテクノロジーズ最高経営責任者、株式会社日立製作所副社長、株式会社日立製作所社長、一般社団法人日本電機工業会会長などを歴任した。
島田 行雄(しまだ ゆきお、1946年(昭和21年)3月3日… 島田 行雄(しまだ ゆきお、1946年(昭和21年)3月3日 - )は、日本の政治家。埼玉県ふじみ野市元市長。元大井町長(5期)、元大井町議(2期)。 1946年生まれ。埼玉県大井町出身。立教大学卒業。 埼玉県大井町議会議員2期、大井町長5期を務める。 大井町と上福岡市の合併に伴う、埼玉県ふじみ野市市長選挙に立候補し、2005年11月13日、ふじみ野市市長選挙の投開票が行われ、初代市長に当選した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
遠藤 ふき子(えんどう ふきこ、旧姓:有馬、1946年3月2… 遠藤 ふき子(えんどう ふきこ、旧姓:有馬、1946年3月2日 - )は、日本のフリーアナウンサー、元NHKアナウンサー。現在はNHK放送研修センター・日本語センターに在籍。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜平沼高等学校、青山学院女子短期大学卒業後、1966年にNHKに入局。入局後は東京アナウンス室に在籍し、テレビの情報番組などを担当する。1989年、ドイツに転勤する夫に同行するためNHKを退職した。 1993年までドイツに一時生活し、ドイチェ・ヴェレのドイツ語講座を担当したこともあった。帰国後は主にNHKのラジオ番組で活動している。
椎 正年(しい まさとし、1946年2月21日 - )は、神… 椎 正年(しい まさとし、1946年2月21日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)。 日大高から神奈川大学へ進学するも中退して、1968年にドラフト外で東映フライヤーズへテスト入団。下手投げから、シュート、カーブを武器とした。 1970年に一軍登板を果たすが、1971年に現役を引退した。
臼井 隆一郎(うすい りゅういちろう、1946年2月9日 -… 臼井 隆一郎(うすい りゅういちろう、1946年2月9日 - )は、日本のドイツ文学者。東京大学名誉教授、元帝京大学教授。 1946年、福島県生まれ。1958年に熱海市立桃山小学校を卒業し、熱海市立熱海中学校へ入学。1961年に卒業し、神奈川県立小田原高等学校へ進学した。1964年に同校を卒業し、東京教育大学文学部文学科ドイツ語ドイツ文学専攻へ入学。卒業後は東京教育大学大学院に進み、1974年5月に博士課程を単位取得後退学した。 1974年6月、新潟大学教養部講師に就いた。1977年から1979年まで、ボン大学に留学。1983年、東京大学教養学部助教授に転じた。1987年から89年まで、テュービンゲン大学に研究留学。
高橋 亨(たかはし とおる、1946年(昭和21年)- )は… 高橋 亨(たかはし とおる、1946年(昭和21年)- )は、日本の元海上自衛官、軍事評論家。 陸上自衛隊生徒から海上自衛隊一般幹部候補生に転じ、海上自衛官となった。 P-3Cの海上自衛隊への採用に際して心臓部であるA-NEWシステムのオペレーションプログラムの日本へのリリースに関連して米国で研修を受けており、航空対潜戦の専門家である。 1999年航空集団司令部幕僚長(厚木)、2001年海上幕僚監部監察官(市ヶ谷)等を歴任し、2003年に海将として第29代航空集団司令官(厚木)を務めた。退官後は軍事評論家として、jbpressでコラム等を執筆している。
木本 芳雄 / 奇本 芳雄(きもと よしお、1946年 ‐ … 木本 芳雄 / 奇本 芳雄(きもと よしお、1946年 ‐ )は、山形県出身の高校野球指導者、高校野球解説者、社会科教諭。旧姓・奇本。 神奈川県の武相高等学校野球部では5番・一塁手、副主将として、1964年の第46回全国高等学校野球選手権大会に出場している。駒澤大学進学後は、足の怪我を理由に指導者への転身を勧められ、母校・武相高のコーチを頼まれる。熱心に有望な中学生のスカウトにあたっていた。更に大学3年の時に武相高の監督が辞めた際には、奇本(当時)が実質的な監督状態となっていた。武相高からは大学の学費まで出してもらえており、教員になれるよう支援され、あとは正式な打診を待つばかりであった。しかし、学内の事情により、別の指導者が正式な監督に就任、はしごを外された状態となってしまう。
相川 亮一(あいかわ りょういち、1946年 - 2011年… 相川 亮一(あいかわ りょういち、1946年 - 2011年)は、神奈川県出身のサッカー指導者。 栄光学園高等学校出身で、独自のサッカー感を持ち、独学でサッカー理論を学ぶ。高校2年次の1963年から栄光サッカー部の指導を始め、大学3年次の1967年まで務めた。1965年に早稲田大学第一政治経済学部政治学科へ進学し、2年次の1966年には山手学院コーチとなり、卒業後の1971年まで務めた。1971年に日本サッカー協会主催第2回公認サッカー・コーチング・スクールを受講し、平木隆三(日本サッカー協会主任コーチ)に師事。1973年にテヘランで開催された国際サッカー連盟主催公認アジアコーチング・スクールを受講し、主任コーチのデットマール・クラマーに師事。
渡辺 浩(わたなべ ひろし、1946年〈昭和21年〉- )は… 渡辺 浩(わたなべ ひろし、1946年〈昭和21年〉- )は、日本の政治学者。法政大学名誉教授、東京大学名誉教授、日本学士院会員。専門は日本政治思想史、アジア政治思想史。丸山眞男に師事。 神奈川県横浜市生まれ。1969年、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。東京大学法学部助手、同助教授を経て、1983年より東京大学教授。同じ丸山眞男門下の松本三之介の後任として日本政治思想史講座を担当する。東京大学理事副学長、日本政治学会理事長などを経て、2010年、法政大学法学部教授。2017年定年、法政大学名誉教授。同年、日本学士院会員に選ばれる。2025年文化功労者選出 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
塩島 賢次(しおじま けんじ、1946年 - )は、日本の実… 塩島 賢次(しおじま けんじ、1946年 - )は、日本の実業家、藤田リゾート開発株式会社元代表取締役社長、ホテル椿山荘東京元総支配人、日本ホテル株式会社元常務取締役、ホテルメトロポリタン元総支配人。 1946年、神奈川県横浜市生まれ。1970年3月、立教大学経済学部卒業。 1970年4月、藤田観光株式会社入社、経理部財務課に配属。1980年、フジタグアムタモンビーチホテル副総支配人。 1987年、ニューヨーク椿山荘総支配人に就任。 1992年、フォーシーズンズホテル椿山荘東京開業にともないレストラン支配人、料飲支配人を経て、1998年、総支配人に就任。 2003年、藤田観光株式会社執行役員 ラグジュアリーホテル事業部長兼フォーシーズンズホテル椿山荘東京総支配人。
秋山 賢司(あきやま けんじ、1946年 - )は、囲碁観戦… 秋山 賢司(あきやま けんじ、1946年 - )は、囲碁観戦記者、囲碁ライター。観戦記者としてのペンネームは春秋子。アマチュア6段。 神奈川県川崎市生まれ。早稲田大学法学部卒業。在学中は囲碁部で活躍、学生囲碁連盟幹事を務める。卒業後、囲碁雑誌編集者を経て、フリーの囲碁ライターとなる。 観戦記者としてのキャリアは日本棋院選手権戦に始まり、その後天元戦で10年以上、名人戦で36年間に亘って観戦記者を務めた。2024年の第49期名人戦七番勝負観戦記にて、体力の衰えを理由として、当期を以ての引退を表明。 囲碁ライターとしては「週刊碁」や各囲碁雑誌に執筆。季刊の個人通信誌「凡鳥庵だより」を発行している。 囲碁史の研究も行い、2006年4月にスタートした「囲碁史会」の運営委員。
中村 洋子(なかむら ようこ、1946年 - )は、日本の実… 中村 洋子(なかむら ようこ、1946年 - )は、日本の実業家及び社会事業者。神奈川県出身。実兄はサザビーリーグ創業者の鈴木陸三。 祖父はスズキヤ創業者の鈴木安治。父はスズキヤ初代代表取締役社長の鈴木雄二。長兄はスズキヤ第3代代表取締役社長や逗子市議会議長を務めた鈴木安之。次兄はスターバックスジャパン創業者の角田雄二。三兄はサザビーリーグ創業者でスズキヤ取締役会長を歴任し、兄とともにスターバックスジャパンの設立も行った鈴木陸三。
大木 幹雄(おおき みきお、1946年 - )は、日本の工学… 大木 幹雄(おおき みきお、1946年 - )は、日本の工学者、(株)ツールテクノ顧問。 ソフトウェア分析設計論、ソフトウェアアーキテクチャ論、ソフトウェア分析過程の脳科学、データモデリング、プロジェクトマネジメントの研究に従事。2012年以降は複数のパッケージソフトウェアがそれぞれ個別に管理しているデータ資産の統合的な管理を概念データモデルにまでさかのぼって実現する実作業に従事。複数データベースで分散管理されたデータ間の関連を効率的に明らかにする手段の有効性を確認している。 主なものとして次がある(年代降順)。
國枝 昌樹(くにえだ まさき、1946年 - )は、日本の外… 國枝 昌樹(くにえだ まさき、1946年 - )は、日本の外交官。ジュネーブ軍縮会議日本政府代表部公使などを経て、駐カメルーン特命全権大使、駐シリア特命全権大使を務めた。 神奈川県出身。栄光学園中学校・高等学校を経て、1970年に一橋大学経済学部を卒業し、外務省入省。フランス語研修のためフランスに留学。妻は留学中にパリで知り合ったスイス人。後年、かつて妻の実家の近くに祖父母夫婦が居住しており、神学者カール・バルトを通じて交友関係にあったことが、祖父から指導を受けたことがある神学者滝沢克己からの手紙で判明した。なお妻の祖父はバルトとの約束で、2人で娘に同じ名前を付け、さらに妻にも同じ名前を付けたという。
高岡 和子(たかおか かずこ、1946年(昭和21年) - … 高岡 和子(たかおか かずこ、1946年(昭和21年) - 1964年(昭和39年))は、日本の詩人。子供のころから詩作に関心を持ち、中学1年からひそかに詩人をめざして高校2年まで抒情詩をひたすら書き続けた。遺されたノートから死後に才能が評価されるようになった。神奈川県茅ヶ崎市出身。 神奈川県茅ヶ崎市で育つが後に横浜に転居する。父親は貿易を営む。兄と妹のいる3人兄妹。中学時代から詩人になることを夢見て、自分が感じたことを抒情詩として書き続けた。横浜にあるミッション系の高校に進学し新聞部に所属した。1964年2月17日の放課後、横浜から東海道線に乗車し、藤沢市の辻堂駅で下車。そのまま、湘南海岸まで歩き、夕方6時頃に最後の日記を書き、砂浜にノートを置いて消息を絶った。
油井 大三郎(ゆい だいざぶろう、1945年12月2日 - … 油井 大三郎(ゆい だいざぶろう、1945年12月2日 - )は、日本の歴史学者、東京女子大学現代文化学部特任教授、東京大学名誉教授、一橋大学名誉教授。専門はアメリカ現代史。
波乃 久里子(なみの くりこ、1945年12月1日 - )は… 波乃 久里子(なみの くりこ、1945年12月1日 - )は、日本の女優。本名および旧芸名、波野 久里子(読み同じ)。 神奈川県鎌倉市出身。東京都出身。家政学園卒業。劇団新派所属。所属事務所は株式会社ディーピーエヌ。父は歌舞伎役者の十七代目中村勘三郎、弟は歌舞伎役者の十八代目中村勘三郎。 1945年12月1日、歌舞伎役者十七代目中村勘三郎の長女として神奈川県鎌倉市に生まれる。 1950年1月、東京劇場における「十七世中村勘三郎襲名披露初春大歌舞伎」で初舞台。 1961年1月から劇団新派に参加し、翌1962年4月に正式入団。 1968年4月、六世・猿若明石を襲名。以降、新派以外にも新橋演舞場、明治座、三越劇場、大阪松竹座、京都南座をはじめ全国の舞台で活動。
五十嵐 英夫(いがらし ひでお、1945年11月25日 - … 五十嵐 英夫(いがらし ひでお、1945年11月25日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 武相高校では1963年の夏の甲子園神奈川県予選の準々決勝に進出するが、法政二高に敗れる。卒業後は神奈川大学へ進学。神奈川五大学野球リーグでは4度の優勝に貢献。1学年下の片岡建との二本柱で活躍した。1年秋に防衛大学校戦で完全試合を達成。1966年の全日本大学野球選手権大会では、1回戦で立大を4安打1点に抑えて勝利。準決勝に進出するが日大に延長11回1-2で敗退。最優秀選手4回、ベストナイン3回。大学同期に雨宮捷年外野手がいる。 1967年ドラフト会議で近鉄バファローズから7位指名を受け入団。
岡本 行夫(おかもと ゆきお、1945年〈昭和20年〉11月… 岡本 行夫(おかもと ゆきお、1945年〈昭和20年〉11月23日 - 2020年〈令和2年〉4月24日)は、日本の外交評論家、実業家、外交官。産経新聞「正論」メンバー。 内閣総理大臣補佐官(イラク担当・沖縄担当)、内閣官房参与、内閣総理大臣外交顧問等を経て、マサチューセッツ工科大学国際研究センターシニアフェロー、立命館大学客員教授、青山学院大学特別招聘教授。位階は正五位。 神奈川県生まれ。鎌倉市及び藤沢市で育つ。父親は農林省職員で、父親の仕事の関係で、中学時代2年間マレーシアの首都クアラルンプールに滞在した。 神奈川県立湘南高等学校を経て、1968年(昭和43年)に一橋大学経済学部を卒業し、外務省入省。
篠原 修(しのはら おさむ、1945年11月22日 - )は… 篠原 修(しのはら おさむ、1945年11月22日 - )は、日本の景観に関する専門家で土木設計家、東京大学、政策研究大学院大学名誉教授・客員教授。エンジニア・アーキテクト協会会長。栃木県生まれ、神奈川県育ち。