樋口 好雄(ひぐち よしお、1962年 - )は、日本の指揮… 樋口 好雄(ひぐち よしお、1962年 - )は、日本の指揮者、自衛官。第18代海上自衛隊東京音楽隊隊長、IMMS(国際軍楽協会)国際委員および日本代表を歴任。 神奈川県出身。神奈川県立大和高等学校を経て駒澤大学卒業。1981年に海上自衛隊入隊。護衛艦「あやなみ」勤務後、打楽器奏者として東京音楽隊配属。 1985年、遠洋練習航海参加(オセアニア、東南アジア、インド方面)。1993年、幹部候補生学校(江田島)卒業。横須賀音楽隊勤務。 1994年に東京藝術大学研修後、呉音楽隊、東京音楽隊勤務。1998年、大湊音楽隊音楽科長。1999年、東京音楽隊音楽科長。 2003年、舞鶴音楽隊長。2005年、自衛隊福井地方協力本部広報室長。
德丸 伸一(とくまる しんいち、1958年〈昭和33年〉 -… 德丸 伸一(とくまる しんいち、1958年〈昭和33年〉 - )は、海上自衛官。最終階級は海将補。 神奈川県立横須賀高等学校(高29期)を経て、防衛大学校を1981年3月(第25期)に卒業。海上自衛隊へ入隊する。 おおよど艦長、第4護衛隊群司令、練習艦隊司令官、護衛艦隊幕僚長、掃海隊群司令、第1術科学校長などを歴任し、2015年8月4日退官。 退官後は公益社団法人安全保障懇話会理事(2020年度〈令和2年度〉)への就任や雑誌『世界の艦船』に多くの記事を投稿をしている。
鍜治 雅和(かじ まさかず、1957年(昭和32年)4月 -… 鍜治 雅和(かじ まさかず、1957年(昭和32年)4月 - )は、元海上自衛官。第20代潜水艦隊司令官。
鍜治 雅和(かじ まさかず、1957年(昭和32年)4月 -… 鍜治 雅和(かじ まさかず、1957年(昭和32年)4月 - )は、海上自衛官。第20代潜水艦隊司令官。 神奈川県立横須賀高等学校(高28期)を経て、防衛大学校を1980年3月(第24期)に卒業。海上自衛隊へ入隊する。第27護衛隊司令、護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令、呉地方総監部幕僚長、海上自衛隊第1術科学校長、潜水艦隊司令官などを歴任し、2015年8月4日退官。 高校時代、日本の古典やギ・ド・モーパッサンの小説から太宰治や大森実の著作までを読みあさる読書家であった。また、鍜治の後に第1術科学校長に就いた徳丸伸一は横須賀高校の一年後輩である。
君塚 栄治(きみづか えいじ、1952年〈昭和27年〉7月1… 君塚 栄治(きみづか えいじ、1952年〈昭和27年〉7月16日 - 2015年〈平成27年〉12月28日)は、日本の陸上自衛官。第33代陸上幕僚長。1等陸佐までの職種は野戦特科。自衛隊初の災統合任務部隊(JTF)指揮官・東北方面総監経験者初の陸上幕僚長。位階は従三位。 神奈川県相模原市出身。東京都立豊多摩高等学校卒業。防衛大学校(第20期)卒業後、陸上自衛隊に入隊。アメリカ陸軍上級砲兵学校、アメリカ陸軍指揮幕僚大学及び幹部レンジャー課程、空挺課程を修了。東北方面総監在任時に発生した東日本大震災においては自衛隊の統合運用史上最大となる10万人規模からなる陸海空の統合任務部隊(JTF-TH:Joint Task Force - Tohoku)の指揮官を務め、人命救助や被災地支援などの陣頭指揮にあたった(東日本大震災に対する自衛隊の対応)。
齋藤 隆(さいとう たかし、1948年〈昭和23年〉2月11… 齋藤 隆(さいとう たかし、1948年〈昭和23年〉2月11日 - )は、日本の海上自衛官。第2代統合幕僚長、第27代海上幕僚長。防大14期。戦後生まれ(団塊の世代)初の統合幕僚長でもある。神奈川県出身。 父の斎藤頼男は海軍機関学校(第47期)を卒業し、海上自衛隊では防衛大学校学生課長などを務め、第2術科学校長(海将補)を最後に退官した。祖父も海軍水兵であった。横須賀市立池上小学校、横須賀市立池上中学校を経て、父(中22期)と同じく神奈川県立横須賀高等学校(高18期)に進学。高校時代は陸上部に所属し、200メートルハードルでインターハイ出場。のちに齋藤の海幕長在任時に海幕副長となる荒川堯一は高校の同窓である。
荒川 堯一(あらかわ ぎょういち、1947年(昭和22年)1… 荒川 堯一(あらかわ ぎょういち、1947年(昭和22年)11月6日 - )は、日本の海上自衛官。第37代横須賀地方総監。神奈川県出身。 神奈川県立横須賀高等学校を経て、防衛大学校本科第16期卒業。 第4航空群司令、第1航空群司令、自衛艦隊司令部幕僚長、教育航空集団司令官、海上幕僚副長などを歴任し、第37代横須賀地方総監に就任。荒川の海上幕僚副長在任時に海上幕僚長となった齋藤隆は高校の同窓であった。 退官後は三笠保存会理事長、横須賀市観光協会会長に就任。
高橋 亨(たかはし とおる、1946年(昭和21年)- )は… 高橋 亨(たかはし とおる、1946年(昭和21年)- )は、日本の元海上自衛官、軍事評論家。 陸上自衛隊生徒から海上自衛隊一般幹部候補生に転じ、海上自衛官となった。 P-3Cの海上自衛隊への採用に際して心臓部であるA-NEWシステムのオペレーションプログラムの日本へのリリースに関連して米国で研修を受けており、航空対潜戦の専門家である。 1999年航空集団司令部幕僚長(厚木)、2001年海上幕僚監部監察官(市ヶ谷)等を歴任し、2003年に海将として第29代航空集団司令官(厚木)を務めた。退官後は軍事評論家として、jbpressでコラム等を執筆している。
林 吉永(はやし よしなが、1942年 - )は、日本の航空… 林 吉永(はやし よしなが、1942年 - )は、日本の航空自衛官。神奈川県出身。
平間 洋一(ひらま よういち、1933年(昭和8年)5月14… 平間 洋一(ひらま よういち、1933年(昭和8年)5月14日 - 2020年(令和2年)3月11日)は、日本の海上自衛官、歴史学者。海上自衛官としての最終階級は海将補。元防衛大学校教授。太平洋学会理事、戦略研究学会理事、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)委員、横須賀市史編纂委員、特定非営利活動法人岡崎研究所理事、社会福祉法人興寿会理事などを務めた。放送法遵守を求める視聴者の会の賛同者。 神奈川県横須賀市出身。父の平間源之助は海軍軍人で第二次世界大戦後は、公職追放の対象となり、一家は経済的に困窮していたという。一時は社会主義に傾倒するも左派社会党の選挙運動を応援した際に実態を知り転向し、そのことがきっかけとなってコミンテルンの研究を行うようになった。
米川 忠吉(よねかわ ただよし、1932年(昭和7年)10月… 米川 忠吉(よねかわ ただよし、1932年(昭和7年)10月1日 - 2011年(平成23年)9月16日)は、日本の航空自衛官。第19代航空幕僚長。 神奈川県横浜市出身。横浜第一中学、希望ヶ丘高校を経て、青山学院大学へ進み、学生時代はラグビーに熱中した。入隊の動機は、1955年(昭和30年)頃は不況で入社を予定していた会社は皆、採用中止となり、自衛隊に入隊した親戚やラグビー部の同輩に相談し、入隊を勧められた。陸上自衛隊の採用試験を受験し、第15期一般幹部候補生として採用されたが、採用となってから航空自衛隊のパイロット要員が足りないため、空自に行かないかとの話があり、興味もあったことから航空自衛隊に入隊した。
横山 保(よこやま たもつ、1909年(明治42年)8月11… 横山 保(よこやま たもつ、1909年(明治42年)8月11日 - 1981年(昭和56年)3月)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵59期。最終階級は海軍で中佐、空自で空将補。 1909年8月11日、神奈川県横須賀市で海軍軍人の次男として生まれる。横須賀中学校を経て、1928年4月、海軍兵学校に59期生として入校。1931年11月7日兵学校を卒業。1934年11月、第26期飛行学生拝命。1935年7月、同課程修了、戦闘機搭乗員となる。1936年11月、佐伯空。 1937年2月、大分空分隊長。7月、支那事変の勃発に伴い、十三空分隊長として上海の公大飛行場に着任。哨戒任務を行う。9月19日、南京の中国空軍機殲滅を目的とした南京第一次空襲に第1大隊(制空隊、九六式艦戦13機)第3中隊長として参加。