谷口 雄哉(たにぐち ゆうや、2000年4月1日 - )は、… 谷口 雄哉(たにぐち ゆうや、2000年4月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家である。新潟県佐渡市出身。 足立学園中学校・高等学校卒業。中学1年の冬に何気なく見ていたテレビ朝日系列のドラマ『相棒』があまりに面白く『相棒』を制作したいと夢を抱き幾度となく東映東京撮影所をアポ無しで訪れた。その後通っていた中学校における夏期休暇中の課題として職業見学があり、正式に東映東京撮影所を訪れる。その際、所内の職員伝に相棒シリーズのメイン監督を務める橋本一と面識を持つ。中学、高校在学中はアメリカンフットボールの選手としても活躍し部活の練習の合間を縫って『相棒』の現場見学に没頭した。 法政大学法学部に進学後、助監督としての経験を積みながら脚本の勉強を始め、数多くの短編作品を制作。
柴野 太朗(しばの たろう、1992年6月7日 - )は、日… 柴野 太朗(しばの たろう、1992年6月7日 - )は、日本の映画監督、映像作家。 宮城県仙台市生まれ、新潟県長岡市出身。東京造形大学在学時の卒業制作『モラトリアム・カットアップ』が、ぴあフィルムフェスティバル PFFアワード2015に入選。第9回 田辺・弁慶映画祭にてグランプリを受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
相沢 美羽(あいざわ みう、1986年12月13日 - )は… 相沢 美羽(あいざわ みう、1986年12月13日 - )は、日本のタレント、歌手、映画監督、写真家。 新潟県長岡市出身。愛称は「みーちゅ」。2011年6月をもって株式会社ドリームゲートを退所。2011年10月〜2013年1月末までカナダに留学。帰国後は都内を中心に活動していた。
杉田 愉(すぎた さとる、1974年(昭和49年)10月29… 杉田 愉(すぎた さとる、1974年(昭和49年)10月29日 - )は、日本の映画監督・脚本家、新潟産業大学客員講師。 新潟県柏崎市出身。柏崎市立第二中学校、新潟県立柏崎高等学校を経て、中央大学文学部哲学科卒業。 2003年、第3回伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞にて『貝ノ耳』が大賞を受賞、第9回函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞にて『空の私と私の空』が準グランプリを受賞し注目を集める。 2004年、『貝ノ耳』(主演:鰐淵晴子、坂井昌三)がヴロツワフ国際映画祭にて審査委員長のアンジェイ・ズラウスキーから最優秀剣士賞を授与され、数多くの国際映画祭で招待上映、初監督作にしてグランプリを含む10冠の快挙に輝く。
五藤 利弘(ごとう としひろ、1968年11月8日 - )は… 五藤 利弘(ごとう としひろ、1968年11月8日 - )は、日本の脚本家、映画監督。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡向陵高等学校を経て大学在籍中より自主映画の製作・脚本・演出・上映を続ける。 2008年、自身の出身地である新潟県中越地方を舞台とした作品『モノクロームの少女』の企画・監督・脚本を手がけた。撮影監督は『LOFT』『叫』など、映画監督の黒沢清と組んだ芦澤明子。 2010年9月から10月にかけ、前作同様に新潟県長岡市栃尾地区で主な撮影が行われた映画『ゆめのかよいじ』の監督を務める。同作品は前作同様に芦澤明子が撮影監督を務めた。石橋杏奈と竹富聖花がダブル主演。 2011年3月18日より27日まで開催の第3回沖縄国際映画祭上映の短編映画『雪の中のしろうさぎ』の脚本・監督を務める。
橋本 一(はしもと はじめ、1968年1月17日 - )は、… 橋本 一(はしもと はじめ、1968年1月17日 - )は、日本の映画監督。元東映所属。 新潟県出身。新潟明訓高校出身。日本大学藝術学部映画学科卒業後、1990年東映入社。京都撮影所に配属され、『御宿かわせみ』(沢口靖子版)にて監督デビュー。以降、東映の社員監督として時代劇、現代劇、任侠映画、スーパー戦隊シリーズまでジャンルを問わず活躍中。2013年12月東映退社。フリーランスの演出家として活動開始。 『相棒 season15』からは前シーズンをもって製作から離れた和泉聖治の後を引き継ぎシリーズのメイン監督を務めている
東條 政利(とうじょう まさとし、1968年 - )は、日本… 東條 政利(とうじょう まさとし、1968年 - )は、日本の映画監督。新潟県長岡市出身。新潟県立長岡高等学校、同志社大学文学部社会学科卒業。 KYOTO映画塾ディレクターズコースを卒業後、1996年『ピーター・グリーナウェイの枕草子』(イギリス・フランス・オランダ合作、監督ピーター・グリーナウェイ)に制作スタッフとして参加。その後、助監督として『FAMILY』(2001年、三池崇史監督)、『トリック劇場版』(2002年、堤幸彦監督)、『恋愛寫眞』(2003年、堤幸彦監督)、『シベリア超特急3』(2003年、MIKE MIZNO監督)、『カミュなんて知らない』(2005年、柳町光男監督)、韓国ドラマ『天国の樹』(2006年、イ・ジャンス監督)など国内外の数々の作品に就く。
伊比 恵子(いび けいこ、1967年 - )は、日本のドキュ… 伊比 恵子(いび けいこ、1967年 - )は、日本のドキュメンタリー映画監督。第19回ミス日本グランプリ受賞者。 新潟県柏崎市生まれ。日本女子大学附属高等学校から日本女子大学文学部日本文学科に進学。大学在学中(大学2年生)の1987年に第19回ミス日本グランプリを獲得。大学卒業後は松竹シナリオ研究所を経て1993年にシラキュース大学に留学、1998年に上映した「パーソナルズ~黄昏のロマンス~」で第71回アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞を受賞した(#外部リンクに映像)。 2003年にはアクサ生命「人生格言」のCMに登場した。
山賀 博之(やまが ひろゆき、1962年3月23日 - )は… 山賀 博之(やまが ひろゆき、1962年3月23日 - )は、日本の映画監督、脚本家。株式会社ガイナックス元代表取締役社長。 監督作品として映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』などが知られる。 新潟県新潟市生まれ。新潟市立宮浦中学校卒業、新潟県立新潟南高等学校卒業、1980年、大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)入学、中退。 映画監督の庵野秀明とは同じ寮で知り合い、この時に初めてアニメーションに興味を持つ。 1981年、第20回日本SF大会(愛称:DAICON 3)のオープニングムービー制作を期に集まったDAICON FILMのメンバーとして自主制作アニメや映画に携わる。 1984年、ガイナックスを設立。
星 護(ほし まもる、1958年4月23日 - )は、日本の… 星 護(ほし まもる、1958年4月23日 - )は、日本のテレビドラマ演出家・映画監督。共同テレビジョン部長待遇ゼネラルディレクター。新潟県出身。 新潟市立上所小学校、新潟大学教育学部附属新潟中学校、新潟県立新潟高等学校を経て早稲田大学卒業。 映像に強いこだわりを見せる監督で、熱烈なファンが数多く存在する。代表作に『世にも奇妙な物語』、『僕の生きる道』、『名探偵金田一耕助』シリーズ、映画『笑の大学』、映画『僕と妻の1778の物語』など。2012年に6年ぶりに『高校入試』にて連続ドラマの演出を担当。これまで手掛けた連続テレビドラマではすべてパイロット演出を務めている数少ない監督の一人であったが、2015年放送の『癒し屋キリコの約束』では初のセカンドディレクターを務めた(チーフディレクターは星田良子)。
杉本信昭(すぎもと のぶあき、1956年(昭和31年) - … 杉本信昭(すぎもと のぶあき、1956年(昭和31年) - )は、日本の映画監督。新潟県新潟市出身。 新潟県の新潟高等学校時代に、ヤクザ映画に傾倒する。特に『仁義なき戦い』シリーズを貪るように見た。また、日活ロマンポルノにも傾倒した。映画を作るために東京に上京。法政大学文学部に入学。その後、映画のプロダクションでアルバイトをしながら映画の手法を学ぶ。その後、1977年(昭和52年)に大学を中退。ドキュメンタリーを専門に監督業を行っている。2003年(平成15年)の『自転車でいこう』は全国の小規模な映画館で興行されたが、ロングランとなった。
野澤 和之(のざわ かずゆき、1954年〈昭和29年〉 - … 野澤 和之(のざわ かずゆき、1954年〈昭和29年〉 - )は、日本の映画監督、脚本家、演出家、プロデューサー。新潟県南魚沼郡六日町(現・南魚沼市)出身。 新潟県立六日町高校卒、立教大学社会学部社会学科卒、立教大学大学院文学部博士前期課程修了。文化人類学専攻。その後、米国に留学している。 記録文化映画のフリーランス助監督を経て、テレビ報道の道を歩んだ。その後、テレビドキュメンタリーの世界へも進出し、数々の賞も受賞している。現在は、ドキュメンタリー映画監督として広く知られている。 野澤の作品づくりには、大学で文化人類学を学んだ経験が活かされているという。それは、つまり、「周縁に生きる人々を描く」という、野澤監督独特の感性であり、特徴ともなっている。
河合 義隆(かわい よしたか、1947年1月18日 - 19… 河合 義隆(かわい よしたか、1947年1月18日 - 1990年4月30日)は、日本の映画監督、演出家。映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』の監督。 1947年(昭和22年)生まれ。現在の新潟県上越市出身。 1965年(昭和40年)、錦城高等学校卒業。同年フジテレビに入社 。映画部、演出部を経てドラマ制作に携わる。その後、朝の子供番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」を担当、1971年(昭和46年)にギャラクシー大賞を受賞する。若くしてディレクターに抜擢後はドラマ制作で活躍[要出典]。その後、1981年(昭和56年)にフジテレビを退社してフリーランスとなり 、制作会社「ティンダー・ボックス」を設立。
鶴橋 康夫(つるはし やすお、1940年1月15日 - 20… 鶴橋 康夫(つるはし やすお、1940年1月15日 - 2023年10月9日)は、日本のテレビディレクター・映画監督。本名:倉田 康夫(くらた やすお)。新潟県村上市出身。長男は、ドラマ制作を手がける日本テレビ社員・倉田貴也。 兄妹は自身を含め2男1女で、弟は新潟日報編集委員。出生名は鶴橋康夫であるが、婿取婚であるために改姓している。 新潟県立村上高等学校、中央大学法学部卒業。当初は新聞社志望だったが、読売新聞記者だった伊藤一男に讀賣テレビ入社を勧められる。 1962年、讀賣テレビ放送(読売テレビ)入社。東京支社制作部に所属し、一貫してドラマ演出を手がける。 社会派ドラマの名手として知られ、特に「木曜ゴールデンドラマ」枠における単発作品群で数多くの賞を獲得したことから「芸術祭男」の異名を取る。
梅沢 薫(うめざわ かおる、1934年9月10日 - 199… 梅沢 薫(うめざわ かおる、1934年9月10日 - 1998年12月26日)は、日本の映画監督、脚本家である。元俳優。1966年(昭和41年) - 1979年(昭和54年)の一時期、東元 薫(とうもと かおる)と名のったことがある。その初期には東本 薫とクレジットされた作品もあり、1972年(昭和47年) - 1974年(昭和49年)の一時期黒木 剛(くろき ごう)の名で監督、小泉 大介(こいずみ だいすけ)の名で脚本を書いたこともある。 1934年(昭和9年)9月10日、新潟県高田市(現在の同県上越市)に生まれる。 長じて東京に移り早稲田大学に進学したが、中途退学する。当初は俳優を志しており、日本文化協会(NBK)という劇団に所属、同劇団には野上正義(1940年 - 2010年)らがいた。
山本 迪夫(やまもと みちお、1933年7月6日 - 200… 山本 迪夫(やまもと みちお、1933年7月6日 - 2004年8月23日)は、日本の映画監督。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡高等学校を経て早稲田大学卒業後、1956年に東宝に入社。岡本喜八の助監督を多く務め、1966年に『遊撃戦』でテレビドラマ監督としてデビュー。1969年には三橋達也主演のアクション映画『野獣の復活』で劇場用映画を初監督する。女性スリラー映画を得意とした。 代表作は、『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』(1970年)、『呪いの館 血を吸う眼』(1971年)、『血を吸う薔薇』(1974年)の3本からなる血を吸うシリーズ。日本の風土に吸血鬼ならびにヨーロッパのゴシック的ムードを大胆に導入し、さらに演出もハマー・フィルムを思わせるショッカー演出で、日本のホラー映画史でもひときわ異彩を放つものになっている。
関川 秀雄(せきがわ ひでお、1908年12月1日 ‐197… 関川 秀雄(せきがわ ひでお、1908年12月1日 ‐1977年12月16日)は、日本の映画監督。 1908年12月1日、新潟県佐渡郡(現・佐渡市)の地主の家の四男に生まれる。旧制佐渡中学在学中は画家に憧れていた。卒業後、旧制新潟高校に入学して中退。 劇映画『ひろしま』(日教組プロ、1953年)でベルリン映画祭長編劇映画賞受賞。記録映画『鉄路に生きる』(1951年)が1952年ヴェネツィア国際映画祭教育科学部門第2位。また、児童向け劇映画『トランペット少年』(東映教育映画部、1955年)が第9回エディンバラ国際映画祭で受賞。 戦争孤児を描いた『第二の人生』、学徒兵を描いた反戦映画『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』、砂川の立川基地拡張反対闘争を描いた『爆音と大地』など社会意識の強い作品が多い一方、刑事ドラマ、少年探偵団シリーズなどの映画もつくり、娯楽作品でも腕を振るった。
近藤 伊與吉(こんどう いよきち、1894年〈明治27年〉8… 近藤 伊與吉(こんどう いよきち、1894年〈明治27年〉8月17日 - 1944年〈昭和19年〉)は、日本の俳優、脚本家、映画監督である。村田実らの起こした新劇の劇団「踏路社」を振り出しに、映画俳優になり、映画も監督し、無声映画時代のスター俳優となったことで知られる。 1894年、新潟県佐渡に生まれる。 その後上京し、1917年2月17日に村田実、青山杉作、関口存男、木村修吉郎らの起こした新劇の劇団「踏路社」(1917年 - 1920年)に参加し、俳優として舞台を踏む。1919年、25歳のとき、「天然色活動写真」(天活)の社員であり映画理論家として知られる帰山教正の「映画芸術協会」設立に、村田実、青山杉作らとともに参加、設立第一作『深山の乙女』および『生の輝き』にそろって出演する。
青山 杉作(あおやま すぎさく、1889年7月22日 - 1… 青山 杉作(あおやま すぎさく、1889年7月22日 - 1956年12月26日)は、日本の俳優、演出家、映画監督である。本名は青山 達美(あおやま たつみ)。 新潟県北蒲原郡紫雲寺村(紫雲寺町を経て、現在の新発田市米子)にある浄土真宗大谷派紫雲寺に、父・宣と母・綱の長男として生まれる。12歳下の弟に青山敏美 がいる。旧制新発田中学校(現在の新潟県立新発田高等学校)を卒業した。 1909年(明治42年)、旧制早稲田大学哲学科に入学した。在学中から演劇活動に参加し、同大学創立記念祭の野外公演で、青山杉作を名乗り初舞台を踏む。しかし、僧籍を拒み演劇活動に熱中しすぎたため、実家から送金を絶たれてしまい、英文科に転じた後大学を中退する。