谷口 雄哉(たにぐち ゆうや、2000年4月1日 - )は、… 谷口 雄哉(たにぐち ゆうや、2000年4月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家である。新潟県佐渡市出身。 足立学園中学校・高等学校卒業。中学1年の冬に何気なく見ていたテレビ朝日系列のドラマ『相棒』があまりに面白く『相棒』を制作したいと夢を抱き幾度となく東映東京撮影所をアポ無しで訪れた。その後通っていた中学校における夏期休暇中の課題として職業見学があり、正式に東映東京撮影所を訪れる。その際、所内の職員伝に相棒シリーズのメイン監督を務める橋本一と面識を持つ。中学、高校在学中はアメリカンフットボールの選手としても活躍し部活の練習の合間を縫って『相棒』の現場見学に没頭した。 法政大学法学部に進学後、助監督としての経験を積みながら脚本の勉強を始め、数多くの短編作品を制作。
杉田 愉(すぎた さとる、1974年(昭和49年)10月29… 杉田 愉(すぎた さとる、1974年(昭和49年)10月29日 - )は、日本の映画監督・脚本家、新潟産業大学客員講師。 新潟県柏崎市出身。柏崎市立第二中学校、新潟県立柏崎高等学校を経て、中央大学文学部哲学科卒業。 2003年、第3回伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞にて『貝ノ耳』が大賞を受賞、第9回函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞にて『空の私と私の空』が準グランプリを受賞し注目を集める。 2004年、『貝ノ耳』(主演:鰐淵晴子、坂井昌三)がヴロツワフ国際映画祭にて審査委員長のアンジェイ・ズラウスキーから最優秀剣士賞を授与され、数多くの国際映画祭で招待上映、初監督作にしてグランプリを含む10冠の快挙に輝く。
落合みつを(おちあい みつを、1973年〈昭和48年〉8月3… 落合みつを(おちあい みつを、1973年〈昭和48年〉8月3日 - )は、日本のシンガーソングライター、楽曲提供、舞台演出家、脚本家、バイク雑誌「カワサキバイクマガジン」ライターとしても活動。新潟県出身。Smile Factory所属。 1973年、新潟県五泉市出身。新潟県立五泉高等学校商業科卒業[要出典]。 2001年、TBSラジオ企画「エンターテイメントマザーズ」第1弾オーディションのMUSIC部門に参加し、グランプリ受賞[要出典]。もんた&ブラザーズ・大橋純子(美乃家セントラル・ステーション)等の制作プロデューサーにスカウトされ北島三郎が代表を務める北島音楽事務所に所属する。 2002年1月TBSエンターテイメントマザーズよりシングル『キャベツ』発売。
五藤 利弘(ごとう としひろ、1968年11月8日 - )は… 五藤 利弘(ごとう としひろ、1968年11月8日 - )は、日本の脚本家、映画監督。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡向陵高等学校を経て大学在籍中より自主映画の製作・脚本・演出・上映を続ける。 2008年、自身の出身地である新潟県中越地方を舞台とした作品『モノクロームの少女』の企画・監督・脚本を手がけた。撮影監督は『LOFT』『叫』など、映画監督の黒沢清と組んだ芦澤明子。 2010年9月から10月にかけ、前作同様に新潟県長岡市栃尾地区で主な撮影が行われた映画『ゆめのかよいじ』の監督を務める。同作品は前作同様に芦澤明子が撮影監督を務めた。石橋杏奈と竹富聖花がダブル主演。 2011年3月18日より27日まで開催の第3回沖縄国際映画祭上映の短編映画『雪の中のしろうさぎ』の脚本・監督を務める。
眞島 浩一(ましま こういち、1964年7月23日-)は、脚… 眞島 浩一(ましま こういち、1964年7月23日-)は、脚本家、漫画原作者、ゲームシナリオライター。青木健生と共作のペンネームとしてましま蒼樹を使う。社団法人日本シナリオ作家協会会員。新潟県新潟市出身。2002年、アニメ『パタパタ飛行船の冒険』でデビュー。総合学園ヒューマンアカデミーのシナリオ総合講座講師。アンドリーム(&REAM)所属。 新潟南高校を卒業後、専修大学の法学部に入学。在学中に、一年間のイギリス留学を経験。翌年には世界放浪の旅に出る。卒業後、IT関連の企業に就職する。会社で社内報の作成などを手掛けるうちに、文章で生計を立てることを志すようになり、9ヶ月ほどで退職する。当初は小説家志望であったが、劇団『テアトル・エコー』を卒業した友人たちの舞台を手伝ううちに、その脚本を担当するようになる。
野島 伸司(のじま しんじ、1963年3月4日 - )は、日… 野島 伸司(のじま しんじ、1963年3月4日 - )は、日本のテレビドラマ、映画、アニメーションの脚本家、シナリオライター。血液型はA型。 脚本業を始め現代詩、作詞、絵本、小説、漫画、アニメーションの分野にも進出している。 新潟県柏崎市出身。1981年、さいたま市立浦和高等学校卒業。その後中央大学法学部政治学科中退後に渡米し、ロサンゼルスに滞在。ホームステイをしながらUCLAに通う。帰国後、飲食店、肉体労働、テレビ局におけるフロアディレクターなどのアルバイトを転々とし、22,3歳の頃、青森県の製缶工場でまるでロボットのように黙々と作業していた時の反動でアイデンティティを確立したいと強く思い、帰りがけにたまたま見た雑誌に載っていたシナリオ募集に応募してみようと決意し、ワープロで初めて執筆した。
山賀 博之(やまが ひろゆき、1962年3月23日 - )は… 山賀 博之(やまが ひろゆき、1962年3月23日 - )は、日本の映画監督、脚本家。株式会社ガイナックス元代表取締役社長。 監督作品として映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』などが知られる。 新潟県新潟市生まれ。新潟市立宮浦中学校卒業、新潟県立新潟南高等学校卒業、1980年、大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)入学、中退。 映画監督の庵野秀明とは同じ寮で知り合い、この時に初めてアニメーションに興味を持つ。 1981年、第20回日本SF大会(愛称:DAICON 3)のオープニングムービー制作を期に集まったDAICON FILMのメンバーとして自主制作アニメや映画に携わる。 1984年、ガイナックスを設立。
村松 利史(むらまつ としふみ、1956年8月5日 - )は… 村松 利史(むらまつ としふみ、1956年8月5日 - )は、新潟県長岡市出身の俳優、脚本家、演出家、構成作家。身長170 cm、体重55 kg。趣味は読書、散歩、喫茶店巡り。 新潟県立六日町高等学校卒業。学生時代から『MBSヤングタウン』『オールナイトニッポン』などのラジオ番組でハガキ職人として活躍。 大学へ進学したものの舞台俳優を志して中退し、劇団東京ヴォードヴィルショーに入団(在籍中には『山口良一のオールナイトニッポン』に構成作家として参加しており、愛称は「ヘンリー」「モンリー(ニソクサンモンリー)」だった)。 『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』も担当し、鶴光とはMBSヤングタウン以来、DJとはがき職人としての縁があり、構成作家として参加する様になり「感慨無量です」と村松自身が話していて、鶴光からは「役者くずれの放送作家」と呼ばれていた。
小川 亜佐美(おがわ あさみ、1955年10月31日 - )… 小川 亜佐美(おがわ あさみ、1955年10月31日 - )は、新潟県出身の日本の女優・脚本家。日本脚本家連盟会員。 1977年に『OL官能日記 あァ!私の中で』で主演デビュー。その後も日活ロマンポルノの主力女優の一人として小沼勝、山本晋也、長谷部安春らの監督作品で主演を務めた他、助演としても多数の成人映画やテレビドラマに出演する。1980年代中盤には小川 あさ美名義で『ドラえもん』『オバケのQ太郎』などの子供向けアニメーションの脚本も執筆している。
野澤 和之(のざわ かずゆき、1954年〈昭和29年〉 - … 野澤 和之(のざわ かずゆき、1954年〈昭和29年〉 - )は、日本の映画監督、脚本家、演出家、プロデューサー。新潟県南魚沼郡六日町(現・南魚沼市)出身。 新潟県立六日町高校卒、立教大学社会学部社会学科卒、立教大学大学院文学部博士前期課程修了。文化人類学専攻。その後、米国に留学している。 記録文化映画のフリーランス助監督を経て、テレビ報道の道を歩んだ。その後、テレビドキュメンタリーの世界へも進出し、数々の賞も受賞している。現在は、ドキュメンタリー映画監督として広く知られている。 野澤の作品づくりには、大学で文化人類学を学んだ経験が活かされているという。それは、つまり、「周縁に生きる人々を描く」という、野澤監督独特の感性であり、特徴ともなっている。
梅沢 薫(うめざわ かおる、1934年9月10日 - 199… 梅沢 薫(うめざわ かおる、1934年9月10日 - 1998年12月26日)は、日本の映画監督、脚本家である。元俳優。1966年(昭和41年) - 1979年(昭和54年)の一時期、東元 薫(とうもと かおる)と名のったことがある。その初期には東本 薫とクレジットされた作品もあり、1972年(昭和47年) - 1974年(昭和49年)の一時期黒木 剛(くろき ごう)の名で監督、小泉 大介(こいずみ だいすけ)の名で脚本を書いたこともある。 1934年(昭和9年)9月10日、新潟県高田市(現在の同県上越市)に生まれる。 長じて東京に移り早稲田大学に進学したが、中途退学する。当初は俳優を志しており、日本文化協会(NBK)という劇団に所属、同劇団には野上正義(1940年 - 2010年)らがいた。
杉山 義法(すぎやま ぎほう、1932年1月17日 - 20… 杉山 義法(すぎやま ぎほう、1932年1月17日 - 2004年8月3日)は、新潟県新発田市出身の脚本家。新潟県立新発田高等学校を経て、日本大学芸術学部映画学科卒業。 代表作は、日本テレビ系列の「年末時代劇スペシャル」シリーズ。本名をそのまま筆名にしているが、読み方は、筆名が「すぎやま・ぎほう」、本名が「すぎやま・よしのり」。 日本放送作家協会、脚本家連盟、各会員。 生家は映画館で、本人も少年時代は映画少年だったと話す。映画監督を志すも、映画会社の入社試験には次々に失敗。「そんなに映画が僕を嫌うなら映画の敵になってやる」として、まず映画とは違う方向へ行ってみようと、フリーでラジオ界入り。野坂昭如と知り合い、野坂が回してくれた伝手を頼って紹介してくれたNHKディレクターの安江泰雅との出会いが大きな転機となる。
近藤 伊與吉(こんどう いよきち、1894年〈明治27年〉8… 近藤 伊與吉(こんどう いよきち、1894年〈明治27年〉8月17日 - 1944年〈昭和19年〉)は、日本の俳優、脚本家、映画監督である。村田実らの起こした新劇の劇団「踏路社」を振り出しに、映画俳優になり、映画も監督し、無声映画時代のスター俳優となったことで知られる。 1894年、新潟県佐渡に生まれる。 その後上京し、1917年2月17日に村田実、青山杉作、関口存男、木村修吉郎らの起こした新劇の劇団「踏路社」(1917年 - 1920年)に参加し、俳優として舞台を踏む。1919年、25歳のとき、「天然色活動写真」(天活)の社員であり映画理論家として知られる帰山教正の「映画芸術協会」設立に、村田実、青山杉作らとともに参加、設立第一作『深山の乙女』および『生の輝き』にそろって出演する。