滝波 宏文(たきなみ ひろふみ、1971年〈昭和46年〉10… 滝波 宏文(たきなみ ひろふみ、1971年〈昭和46年〉10月20日 - )は、日本の政治家、財務官僚。自由民主党所属の参議院議員(3期)。 農林水産副大臣、経済産業大臣政務官、参議院農林水産委員長、自由民主党水産部会長を歴任。 福井県出身。大野市立下庄小学校、大野市立陽明中学校、福井県立大野高等学校、東京大学法学部卒業。 1994年、大蔵省に入省した。配属先は大臣官房秘書課。 1995年5月、大臣官房秘書課調査係長心得。 1998年6月、アメリカ合衆国シカゴ大学大学院公共政策学科を修了し、修士号を取得。帰国後は法務省刑事局、内閣官房への出向も経て、主計局総務課長補佐(歳入・国債係主査)や主計局主計官補佐(厚生労働第五係主査)、大臣官房秘書課人事企画室長兼秘書課首席監察官、大臣官房文書課広報室長、大臣官房信用機構課機構業務室長等を歴任。
三田 一博(みた かずひろ、1970年〈昭和45年〉3月9日… 三田 一博(みた かずひろ、1970年〈昭和45年〉3月9日 - )は、日本の郵政・総務官僚。 福井県坂井市生まれ。愛知県名古屋市の東海高等学校を経て、1992年(平成4年)、東京大学法学部を卒業。同年郵政省に入省。入省後、官民交流での三井不動産への出向などを経て、情報流通行政局総務課調査官、内閣官房内閣参事官(内閣広報室)、総合通信基盤局電気通信事業部データ通信課長、情報流通行政局地上放送課長などを歴任。情報通信政策局情報通信政策課新事業支援推進官在任中には総務省におけるSNS普及を推進する取り組みを担った。 2019年(令和元年)7月5日、北陸総合通信局長に就任。 2021年(令和3年)7月1日、情報流通行政局総務課長に就任。
中山光輝(なかやま みつてる、1969年6月9日 - )は、… 中山光輝(なかやま みつてる、1969年6月9日 - )は、日本の財務・金融官僚。 福井県今庄町(現南越前町)出身。福井県立武生高等学校、京都大学法学部卒業。京大法学部在学中に国家公務員一種試験(法律)を合格。1992年4月 大蔵省入省(銀行局総務課)。1993年5月 銀行局特別金融課。1994年4月 銀行局付(東京大学大学院経済学研究科研究員)。1996年7月 大臣官房調査企画課企画係長。2014年7月28日 財務省主計局主計企画官(財政分析担当)。2015年6月19日 主計局調査課長。2016年6月22日 主計局主計官(国土交通、公共事業総括担当)兼主計局調査課長。同年7月19日 主計局主計官(国土交通、公共事業総括担当)。
辻 庄市(つじ しょういち、1963年9月14日 - )は、… 辻 庄市(つじ しょういち、1963年9月14日 - )は、日本の官僚。北陸財務局長を経て、信大教授。 1963年生まれ、福井県小浜市出身。1987年東京大学法学部卒業。1986年、東大法学部在学中に国家公務員一種試験(法律)に合格。1987年 大蔵省(現・財務省)入省(大臣官房文書課)。1989年4月 大臣官房調査企画課。1990年7月 主計局総務課調査主任。1991年7月 主計局総務課企画係長。1992年7月 桐生税務署長。1993年7月 横浜市財政局財政担当課長。1997年、ハーバード大学国際問題研究所研究員。1998年、大臣文書課企画調整室課長補佐。1999年、理財局国庫課課長補佐。2001年、関税局関税課企画調整室長。
山田 治徳(やまだ はるのり、1960年 - )は、日本の経… 山田 治徳(やまだ はるのり、1960年 - )は、日本の経済学者、元大蔵官僚。早稲田大学政治経済学術院公共経営科教授。早稲田大学マニフェスト研究所所長。専門は公共政策学(政策評価・行政評価・自治体改革・自治体経営とガバナンス)。 福井県鯖江市出身。福井県立藤島高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、大蔵省(現・財務省)に入省、理財局で民営化企業の株式売却等に関わる。大蔵省在職中に人事院長期在外研究員として渡米、ジョージタウン大学大学院公共政策学課程を修了する。外務省出向、三菱総合研究所勤務を経て、1998年、九州大学法学部助教授に就任。一橋大学法学部、東北大学法学部等でも非常勤講師を務める。
大村雅基(おおむら まさき、1953年1月21日 - )は日… 大村雅基(おおむら まさき、1953年1月21日 - )は日本の財務官僚。近畿財務局長、アジア開発銀行日本代表理事などを務めてきた。血液型はO型。 福井県出身。福井県立藤島高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1975年 大蔵省入省(関税局企画課)。1980年7月10日 行橋税務署長。1981年7月10日 国税庁長官官房付(ハーバード大学国際租税講座へ留学)。 1989年6月 神戸税関総務部長。1991年6月 日本輸出入銀行海外投資研究所主任研究員。1994年7月 国税庁課税部所得税課審理室長。 1995年2月24日 国税庁課税部法人税課長。1996年7月12日 国際金融局開発機関課長。
山本 信一郎(やまもと しんいちろう、1950年(昭和25年… 山本 信一郎(やまもと しんいちろう、1950年(昭和25年)8月23日 - )は、日本の自治・総務官僚。内閣府事務次官、宮内庁次長、宮内庁長官を歴任。 福井県今立郡池田町出身。1969年(昭和44年)福井県立藤島高等学校卒業。1973年(昭和48年)京都大学法学部卒業、同年自治省入省。2008年(平成20年)7月から2009年(平成21年)7月まで内閣府事務次官を務めた。のち消防試験研究センター理事長。 2016年(平成28年)7月13日にされた「天皇陛下(現在の上皇)には、次期皇位継承者である皇太子徳仁親王殿下(現在の天皇)へ譲位のご意向を示されている」という報道について、宮内庁次長(当時)として「報道されたような事実は一切ない。
西川 一誠(にしかわ かずみ(通称:いっせい)、1945年1… 西川 一誠(にしかわ かずみ(通称:いっせい)、1945年1月2日 - )は、日本の自治官僚、政治家。前福井県知事(4期)、元関西大学政策創造学部客員教授。家族構成は妻と二男一女、血液型はA型。 福井県丹生郡朝日町(現越前町)生まれ。福井県立丹生高等学校、京都大学法学部卒業。1968年4月、自治省に入省。入省同期に早川忠孝(元衆議院議員・弁護士)、谷本正憲(元石川県知事)、井戸敏三(元兵庫県知事)らがいる。本省勤務の他香川県、茨城県、福井県、国土庁への出向を経験。国土庁長官官房審議官を務めた後、1995年に栗田幸雄福井県知事の下で副知事に就任し、2002年に退任した。 2003年4月13日執行の福井県知事選挙に無所属で出馬し、元外務官僚の高木文堂ら2候補を破り、初当選を果たした。
松宮 勲(まつみや いさお、1944年5月28日 - )は、… 松宮 勲(まつみや いさお、1944年5月28日 - )は、日本の政治家、通産官僚。民主党所属の元衆議院議員(3期)。 福井県鯖江市出身。福井県立藤島高等学校を経て、1968年 東京大学経済学部卒業後、通商産業省に入省。同期には次官の村田成二、一柳良雄、元ダイエー会長の雨貝二郎ら。 ケンブリッジ大学留学後、生活産業局住宅産業課長などを歴任し、1994年 大臣官房審議官を最後に退官。 1996年10月第41回衆議院議員総選挙で福井1区で無所属で出馬し、新進党現職笹木竜三に惜敗したが自民党現職(宮沢派)平泉渉を凌駕。その後、平泉や新進党分党に伴い無所属となった笹木との自民党公認争いを制し、2000年6月の第42回衆議院議員総選挙に福井1区から立候補し初当選。
田中 節夫(たなか せつお、1943年4月 - )は、日本の… 田中 節夫(たなか せつお、1943年4月 - )は、日本の警察官僚。元警察庁長官。公益財団法人警察協会会長。 福井県鯖江市戸ノ口町出身。京都大学法学部卒。1966年警察庁入庁。警察庁長官では山本鎭彦以来となる非東大法学部出身者である。2013年、瑞宝重光章受章。 2002年退官、2006年6月から2012年6月日本自動車連盟会長、一般社団法人全日本指定自動車教習所協会連合会会長、2018年一般社団法人日本自動車運行管理協会顧問を歴任した。 2019年6月、公益財団法人警察協会会長に就任。
天谷 直弘(あまや なおひろ 1925年8月31日 - 19… 天谷 直弘(あまや なおひろ 1925年8月31日 - 1994年8月30日)は、日本の官僚、経済評論家。 資源エネルギー庁長官、通商産業審議官、電通総研初代所長、松下政経塾評議員。福井市名誉市民。天谷直次郎陸軍中将は父、国土交通官僚の天谷直昭は甥。 福井県吉田郡岡保村(現・福井市)出身。旧制福井中学(現・福井県立藤島高等学校)を卒業後、旧制静岡高校、東京大学法学部政治学科へと進学した。1948年、商工省(のちの通産省)に入省。入省同期に、矢野俊比古(通産事務次官、のち参議院議員)、金森久雄(日本経済研究センター理事長)、岸田文武、熊谷善二(特許庁長官)、生田豊朗、黒田四郎(名古屋通産局長)など。
真田 秀夫(さなだ ひでお、1918年〈大正7年〉10月18… 真田 秀夫(さなだ ひでお、1918年〈大正7年〉10月18日 - 1981年〈昭和56年〉1月10日)は、日本の法制官僚、裁判官、弁護士。内閣法制局長官。 福井市出身。弁護士・真田一夫、政乃夫妻の七男として生まれた。福井県立福井中学校、第三高等学校を卒業。大学在学中に高等試験司法科試験に合格。京都帝国大学法学部を卒業。1942年(昭和17年)1月、司法官試補となり東京地方裁判所判事に任官。召集され陸軍の戦車隊に配属されたが、海軍短期現役士官を志願し海軍法務官に転じ、終戦時は海軍法務中尉であった。 戦後、裁判官に復帰したが、1947年(昭和22年)法制局に転じ参事官となり、第二部長、第一部長、内閣法制次長などを歴任。
松崎 芳伸'(まつざき よしのぶ、1913年3月22日 - … 松崎 芳伸'(まつざき よしのぶ、1913年3月22日 - 1997年11月6日 )は、日本の厚生労働官僚。日経連専務理事。 福井県小浜市出身。東京帝国大学卒業。昭和13年厚生省入省。のち労働省、中央労働委員会事務局長など経て、36年退官。厚労省在職中は、児童福祉法を起草した。その後、富士製鉄(現・新日本製鉄)に入社。40年子会社の東海製鉄常務。45年桜田武に雇われて、日経連専務理事に就任。第1次石油危機の際に賃上げガイドラインをまとめるなど、労使交渉の調整にあたった。84歳没。
小倉 武一(おぐら たけかず、1910年〈明治43年〉10月… 小倉 武一(おぐら たけかず、1910年〈明治43年〉10月2日 - 2002年〈平成14年〉2月14日)は、日本の農林官僚、経済学者。 農林事務次官、政府税制調査会会長などを歴任した。特に、政府税制調査会会長は16年間を務め,「ミスター税調」と呼ばれた。旧姓は大井。著作に『土地立法の史的考察』など。 長男は元国際交流基金理事長で外交官の小倉和夫。三男は社会学者で津田塾大学名誉教授の小倉充夫。
軽部弥生一(かるべ やよいち、1908年 - 1989年7月… 軽部弥生一(かるべ やよいち、1908年 - 1989年7月2日)は、日本の官僚。福井県出身。
井手 成三(いで なるみ、1906年4月6日 - 1978年… 井手 成三(いで なるみ、1906年4月6日 - 1978年7月28日)は、日本の官僚。法制局当時には、現憲法の作成にも参画した数少ない人物として知られる。 先祖は、椙本正俊といわれ、祖母は梅田雲浜の従姉にあたる。父が京都へ移住したため、井手は京都で生まれたが、先祖代々の墓は小浜にあり、毎年墓参に訪れていた。第三高等学校を経て、東京大学入学と同時に郷土出身者の会である雲城会に入り、若狭人の自覚を持ち、若狭出身であることを生涯誇りとしていた。東大卒業後は内務省の官吏となり、兵庫県庁を振り出しに官界に身を置いたが、最高の事務次官にまで昇進したのは、若狭では井手一人である。官界を退いた後、政治家を志し、1952年(昭和27年)、1963年(昭和38年)の2回にわたって福井県から衆議院総選挙に立候補したが当選を果たせず、政治家として郷土のために活躍したいという夢を実現できなかった。
高橋 衛(たかはし まもる、1903年〈明治36年〉2月26… 高橋 衛(たかはし まもる、1903年〈明治36年〉2月26日 - 1986年〈昭和61年〉4月26日)は、日本の台湾総督府官僚、大蔵官僚、政治家。参議院議員(3期)、経済企画庁長官(第14-15代)。 福井県武生市(現越前市)出身。高橋茂平の長男として生まれる。武生中学、第四高等学校を経て、1927年3月、東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。1926年11月、高等試験行政科試験に合格。1927年4月、台湾総督府属となり財務局に配属。新竹州内務部教育課長、総督官房審議室、兼台湾総督府秘書官などを歴任。1937年3月から1939年2月まで欧米各国に出張した。 1939年7月、台湾総督府財務局主計課長に就任。
加賀山 之雄(かがやま ゆきお、1902年(明治35年)12… 加賀山 之雄(かがやま ゆきお、1902年(明治35年)12月30日 - 1970年(昭和45年)8月7日)は、昭和期の鉄道官僚、政治家。位階は正三位。 第2代日本国有鉄道総裁(在任1949年-1951年)、参議院議員。 福井県大野郡大野町(現在の大野市)生まれ。大野中学、一高を経て、1927年(昭和2年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業し、鉄道省に入省した。 1932年(昭和7年)10月17日に十河信二の娘と結婚。 その後、運輸省鉄道総局長官などを経て1949年(昭和24年)6月1日の国鉄発足時、副総裁に就任する。当初は総裁の予定だったが、GHQが「戦中にベルリンの滞在が長かった」として難色を示し、アメリカ視察の経験があり、GHQが米国通と評価していた下山定則が初代総裁となった。
植木 庚子郎(うえき こうしろう、1900年〈明治33年〉1… 植木 庚子郎(うえき こうしろう、1900年〈明治33年〉1月28日 – 1980年〈昭和55年〉3月11日)は、昭和期の政治家、大蔵官僚。位階は正三位、勲等は勲一等。法務大臣(第15、28代)、大蔵大臣(第76代)、衆議院議員(9期)。 福井県丹生郡天津村清水山(後の清水町清水山、現在の福井市清水山町)に、清水伊右衛門の長男として生まれる。後に植木信一の養子となる。福井県立福井中学校(現・福井県立藤島高等学校)を首席で卒業後、第一高等学校を経て、1925年東京帝国大学法学部法律学科を卒業、大蔵省に入省する。税務監督局兼主税局属。 主計局調査課長、主計局予算課長、主計局長、専売局長官を歴任するが、1946年公職追放により退職する。
織田 智(おだ さとる、1899年(明治32年)3月20日 … 織田 智(おだ さとる、1899年(明治32年)3月20日 - 1981年(昭和56年)7月19日)は、昭和期の内務官僚。戦後山形県知事(官選最後)を経て、市川市長となる。 福井市出身。東京帝国大学を経て内務省に入省し、1940年から3年間、千葉県書記官・経済部長を務める。その後、朝鮮総督府物価課長となるが、戦後帰国して本省に戻り、1947年3月14日に山形県知事に任命される。 ところが、就任直後に千葉県知事選挙に出馬すべく県知事の辞表を出して無所属での立候補を表明した。折しも日本自由党と日本進歩党(3月31日に民主党となる)の間で統一候補の合意に失敗し、候補を欠いた進歩党は3月17日になって織田を推薦した。
品川 主計(しながわ かずえ、1887年1月15日 - 19… 品川 主計(しながわ かずえ、1887年1月15日 - 1986年2月14日)は、日本の内務官僚、実業家、読売ジャイアンツ球団社長。「球界の頑固親父」との異名も持つ[要出典]。従五位。 福井県福井中学校卒業後、1904年9月 旧制第四高等学校に入学した。同期には正力松太郎や河合良成がいた。第四高等学校卒業後は東京帝国大学に入学、同期に正力、河合の他、重光葵、芦田均、石坂泰三など。 東京帝国大学卒業後、内務省に入省して警視庁警視、京都府書記官・内務部長、宮城県書記官・内務部長などを務めた。1932年の満州国成立後、監察院長、監察院審計部長などを務める。黒竜江省長の韓雲階による汚職を摘発、一時彼を要職から遠ざけた。
今川 淵(いまがわ ふかし、1886年(明治19年)7月18… 今川 淵(いまがわ ふかし、1886年(明治19年)7月18日 - 1955年〈昭和30年〉)は、台湾総督府官僚。 福井県福井市出身。1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、翌年に高等文官試験に合格。台湾総督府属、同事務官、台北庁庶務課長、内務局地方課長、殖産局糖務課長、専売局参事・庶務課長などを歴任。一時退官したが、1932年(昭和7年)に台南州知事となり、1936年(昭和11年)に台北州知事に転じた。同年、専売局長に就任し、1939年(昭和14年)に退官した。 退官後は、南方協会常務理事を経て、台湾石炭株式会社社長を務めた。
木田川 奎彦(きたがわ ふみひこ / けいひこ、1873年(… 木田川 奎彦(きたがわ ふみひこ / けいひこ、1873年(明治6年)1月19日 - 1951年(昭和26年)3月30日)は、日本の会計検査院・内務官僚。官選奈良県知事、小樽市長。旧姓:桑名。 福井県坂井郡で桑名金五郎の三男として生まれ、木田川梅吉の養子となる。福井中学校を卒業。1900年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、農商務省に入省し農商務属となり鉱山局に配属された。 1901年1月、会計検査院に転じ検査官補に発令され第一部第二課勤務となる。以後、同院書記官兼検査官補などを務めた。1909年8月、内務省に転じ内務大臣秘書官兼内務省参事官に就任。以後、内務事務官、神奈川県港務部長、同内務部長などを歴任。
斎藤 修一郎(さいとう しゅういちろう、1855年8月24日… 斎藤 修一郎(さいとう しゅういちろう、1855年8月24日〈安政2年7月12日〉- 1910年〈明治43年〉5月6日)は、日本の外交官、農商務官僚、実業家。農商務次官。号・半狂学人、談笑門人。「斉藤」と表記する場合がある。 越前国南条郡武生で、福井藩越前府中領主本多家家臣・眼科医、斎藤策順の息子として生まれる。沼津兵学校付属小学校、大学南校で学ぶ。1873年(明治6年)、大学南校が開成学校と改称して、1875年(明治8年)に卒業し、同年7月、文部省第一回海外留学生として渡米し、1878年(明治11年)6月、ボストン大学法科を卒業した。 1880年(明治13年)9月に帰国し、同年11月、外務省権少書記官に任じられ公信局勤務となる。
岡 五郎(おか ごろう、1855年7月12日(安政2年5月2… 岡 五郎(おか ごろう、1855年7月12日(安政2年5月29日) - 1928年(昭和3年)10月31日)は、日本の教育者・文部官僚。 越前藩出身。岡源太夫の五男。藩校で漢学を学ぶ。福井県師範学校変則生を経て、1877年(明治10年)に官立愛知師範学校を卒業。東京麹町清水小学校訓導、千葉県鶴舞小学校校長、茂原町中学校教諭を歴任した。1882年(明治15年)、東京師範学校(後の東京高等師範学校)を卒業。その後、徳島県師範学校一等教諭・学務課勤務、徳島県中学校一等教諭、高等師範学校助教諭・附属小学校主任、同教諭、女子師範学校教諭・同高等女学校主任、同教授・文部省普通学務局勤務、高等師範学校書記・教授、文部省普通学務局第一課長、宮城県尋常師範学校校長、東京府視学官・文部省視学官を歴任した。
渡辺 洪基(わたなべ ひろもと / こうき、1848年1月2… 渡辺 洪基(わたなべ ひろもと / こうき、1848年1月28日〈弘化4年12月23日〉- 1901年〈明治34年〉5月24日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代の日本の官僚、政治家。帝国大学初代総長。幼名は静寿、のち孝一郎。号は浩堂、旦堂。 越前国南条郡府中(のち福井県南条郡武生町、現越前市)にて蘭方医渡辺静庵の長男として生まれる。母の名は蔦埜(つたの)。 府中の立教館、福井藩医学校済世館で学んだ後、下総国佐倉の佐藤舜海の下で医学を修め、江戸で開成所(箕作麟祥)、福沢諭吉の蘭学・英学塾(後の慶應義塾)等で英学を学ぶ。次いで幕府医学所の句読師となったが、戊辰戦争勃発で失職。会津藩へ赴き英学を教授したが、会津戦争の敗北に伴い庄内藩へ向かう途上、米沢藩に招かれ、洋学校開設に尽力した。
瓜生 寅(うりゅう はじめ/はじむ、1842年2月24日(天… 瓜生 寅(うりゅう はじめ/はじむ、1842年2月24日(天保13年1月15日)- 1913年(大正2年)2月23日)は、幕末から明治時代の官僚、教育者、英学者、実業家である。別称は寅(とら)、通称は三寅、号は梅村・六合魁民、幼名は乕作。本姓は多部。海援隊士・瓜生震(雷吉)の兄。 日本の近代教育の起源となる1872年(明治5年)の「学制」起草者の一人で、故郷福井藩の英学教育にも大きな足跡を残した。大阪理学校(現・京都大学)校長、初代神戸税関長、日本鉄道会社幹事などの要職も歴任し、実業家としても活躍した。ホーム・リンガー商会と協同で下関に設立した「瓜生商会」は、三菱・三井の両財閥の石炭輸出の主要な仲介業者となった。
渡辺 徹(渡邉 徹、わたなべ とおる、1841年9月15日(… 渡辺 徹(渡邉 徹、わたなべ とおる、1841年9月15日(天保12年8月1日) - 1913年(大正2年)10月19日)は、幕末の勤王家、明治期の内務官僚、政治家、実業家。茨城県参事、御影町長、衆議院議員。幼名・政吉、後左衛門、又衛。 越前国南条郡武生で、福井藩越前府中領主本多家家臣・渡辺良右衛門の三男として生まれ、のち大坂の国学者・渡辺資政の養子となる。剣鎗銃砲の術を修めた。幕末の国事に奔走し、錦小路頼徳に仕え、七卿落ちの際にも随行し、錦小路死去後に東久世通禧に仕えた。 明治維新後、神奈川府巡察補に就任。以後、同巡察、神奈川県少参事、五條県大参事、甲府県権大参事、租税寮七等出仕、秋田県参事などを歴任。
田辺 良顕(たなべ よしあき、1834年5月9日(天保5年4… 田辺 良顕(たなべ よしあき、1834年5月9日(天保5年4月1日)- 1897年(明治30年)2月8日)は、幕末の福井藩士、明治期の内務官僚。高知県知事、元老院議官、錦鶏間祗候。通称・平学、字・士順。 越前国足羽郡福井竹ヶ鼻町(現:福井市)で、福井藩士・田辺周吉の長男として生まれる。 明治4年4月(1871年5-6月)、由利公正の勧めに応え、福井藩兵を常備一番隊長として引率し上京、第一大区取締(警察)に就任。以後、東京府権典事・第四大区総長、羅卒総長、司法省警保寮大警視、権大警視、少警視などを歴任。 西南戦争勃発に伴い、1877年3月、警部巡査を引率し京都に向かい警備に従事。同年同月、巡査250名を引率し博多に向かい、同年4月、陸軍歩兵中佐兼少警視に任じられ、別働第三旅団参謀となり各地を転戦。
千本 久信(せんもと ひさのぶ、1827年7月13日(文政1… 千本 久信(せんもと ひさのぶ、1827年7月13日(文政10年6月20日) - 1885年(明治18年)10月15日)は、幕末の福井藩士、明治期の官僚・実業家。広島県権参事(未赴任)。初名・弥三郎。 越前国足羽郡福井下江戸町(現:福井県福井市)で、福井藩士・千本久備の長男として生まれる。天保2年4月5日(1831年5月16日)実父・久備の危篤に伴い、千本家は養父として小林久達(藤左衛門、東岫)を迎える。嘉永6年7月20日(1853年8月24日)江戸での砲術調練修行を命ぜられ、その後、兵科懸り、兵科局詰、兵科取調方などを務める。文久2年3月29日(1862年4月27日)書院番格として江戸詰となり、以後、松平春嶽の側近として活躍。
天谷 直昭(あまや なおあき)は、日本の国土交通官僚。天谷直… 天谷 直昭(あまや なおあき)は、日本の国土交通官僚。天谷直弘元通商産業審議官の甥で、鉄道建設・運輸施設整備支援機構経営自立推進統括役や、海上保安庁総務部長、国土交通省近畿運輸局長などを務めた。 福井県出身。天谷直弘元通商産業審議官の甥。福井県立藤島高等学校を経て、1983年東京大学法学部卒業、運輸省入省。国土交通省大臣官房総務課企画官(航空局担当)を経て、2001年運輸施設整備事業団総務部総務課長。2002年国際観光振興機構ロサンゼルス事務所長。2004年成田国際空港取締役付。2006年海上保安庁総務部人事課長。 2009年国土交通省総合政策局海洋政策課長。2010年観光庁総務課長。2012年鉄道建設・運輸施設整備支援機構経営自立推進統括役。