清水 詩太(しみず うた、2007年9月27日 - )は、福… 清水 詩太(しみず うた、2007年9月27日 - )は、福井県福井市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 福井市木田小学校1年生時に、木田ネイビーブルースで野球を始める。遊撃手兼投手として、6年生時には全日本大会でベスト8入りを果たした。 福井市明倫中学校に進学後は硬式野球クラブの福井中央リトルシニアに所属。1番・遊撃手に定着すると3年時に北信越大会優勝、全国大会ベスト16を達成した。 福井県内外から声がかかっていたが、「甲子園、その先のプロを目指すためにどこがベストか」と悩み抜いた末に、京都国際高等学校へ進学。 1年秋からベンチ入りを果たし、秋季近畿大会の準々決勝・近江高校戦では、入院療養中だった正遊撃手に代わってスタメン出場し、9回にサヨナラ打を放って翌春のセンバツ出場を決定づける活躍を見せた。
竹下 海斗(たけした かいと、2006年11月6日 - )は… 竹下 海斗(たけした かいと、2006年11月6日 - )は、福井県大野市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。広島東洋カープ所属。 スポーツ好きの両親の元に生まれ幼少はサッカーに興じていたが、小学生より母親の勧めで兄が所属していた地元大野市のスポーツ少年団で野球を始める。小学2年時から投手を任され、小学3年時の低学年対象地区大会で優勝投手となり最優秀選手に選ばれ野球にのめり込む。中学時には福井市のオールスター福井ヤングに所属し、大野市から通ってプレーした。この時に福井県の強豪、敦賀気比高等学校の東哲平監督の目に留まり、同校に進学することとなった。 敦賀気比高では1学年上に、後に横浜DeNAベイスターズに入団する高見澤郁魅がいた。
笠島 尚樹(かさしま なおき、2002年12月7日 - )は… 笠島 尚樹(かさしま なおき、2002年12月7日 - )は、福井県鯖江市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。ハヤテベンチャーズ静岡所属。NPBでは育成選手であった。 鯖江市鳥羽小学校3年の時に野球を始め、鯖江市中央中学校時代は鯖江ボーイズに所属し、3年時にはジャイアンツカップに出場している。 敦賀気比高等学校では1年春から公式戦に登板。1年夏と2年夏に甲子園大会に出場し、2年夏は3回戦に進出した。3年夏の福井県独自大会は、決勝の福井工大福井戦で先発し8回を4安打無失点に抑えたのを始め、計27回1/3を投げ、防御率2.30、28奪三振の成績でチームを3連覇に導いた。 2020年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツより育成ドラフト3巡目で指名を受けた。
玉村 昇悟(たまむら しょうご、2001年4月16日 - )… 玉村 昇悟(たまむら しょうご、2001年4月16日 - )は、福井県丹生郡越前町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。広島東洋カープ所属。 3歳上の兄がプレーしていた影響で越前町立宮崎小学校4年から「宮崎ファイヤーズ」で野球を始め、越前町立宮崎中学校では軟式野球部に所属。右利きであるが、グラブを購入する時に「左の方が投げやすかった」という理由で左利き用のグラブを購入し左投げとなった。 中学時代から注目され県内の私立強豪校からも誘いを受けたが地元の福井県立丹生高等学校に進学し、1年春の県大会からベンチ入り。3年夏には敦賀気比・山田修義が保持していた49奪三振を超える大会新記録の52奪三振(5試合)を記録し「越前のドクターK」の異名を取り、無名の公立校だった同校を初の福井県大会準優勝に導いた。
黒田 響生(くろだ ひびき、2000年7月21日 - )は、… 黒田 響生(くろだ ひびき、2000年7月21日 - )は、福井県福井市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 敦賀気比では1年春から内野手でレギュラー。2年夏は県8強敗退。3年夏はチーム3年ぶりの甲子園出場に貢献し、1回戦の木更津総合戦に「2番・遊撃手」で先発出場するも敗退。 2018年10月25日、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから育成選手ドラフト4位指名を受けた。11月16日に支度金200万円、年俸240万円で仮契約を結んだ。背番号は021。 育成選手ながらルーキーの2019年からイースタン・リーグ42試合に出場。 2020年は阿部慎之助二軍監督から「勇人(坂本)の19歳の頃よりもポテンシャル、技術は上」と絶賛され、春季キャンプの一軍メンバーに抜擢された。
牧 丈一郎(まき じょういちろう、1999年9月23日 - … 牧 丈一郎(まき じょういちろう、1999年9月23日 - )は、京都府京都市左京区出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 京都市立松ヶ崎小学校3年時に、松ヶ崎シャークスで野球を始めた。京都市立下鴨中学校時代は、京都嵐山ボーイズに所属し、3年時には全国大会に出場。野茂英雄率いるジュニア選抜チーム「NOMOジャパン」にも選出され、アメリカへの遠征も経験した。 中学卒業後の進路として、高校球界の強豪である高知県の明徳義塾高校へ進学することも検討していたが、「明徳義塾は自分がいなくても甲子園に行ける。啓新を自分の力で甲子園に連れて行きたい」との思いから、福井県の啓新高校への進学を決断した。入学直後に腰の疲労骨折に見舞われながら、1年時の秋からベンチ入りを果たした。
橋本 侑樹(はしもと ゆうき、1998年1月8日 - )は、… 橋本 侑樹(はしもと ゆうき、1998年1月8日 - )は、福井県大飯郡高浜町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。 高浜町立高浜小学校3年生の時から野球を始めた。高浜町立高浜中学校時代は若狭高浜ボーイズで活躍した。高校は岐阜県の大垣日本大学高等学校に在学していた若狭高浜ボーイズの1年先輩から勧誘を受け、同校へ進学した。 高校1年の夏には、高校野球岐阜県大会決勝戦で胴上げ投手となり、監督の阪口慶三から賛辞を受けた。試合に集中するあまり、チームメイトがマウンドへ集まるまで、甲子園出場が決定したことに気付かなかった。夏の甲子園大会では開幕戦の有田工業高等学校戦で救援登板するも、1回3失点で敗戦投手となった。
平沼 翔太(ひらぬま しょうた、1997年8月16日 - )… 平沼 翔太(ひらぬま しょうた、1997年8月16日 - )は、福井県福井市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。
栗原 陵矢(くりはら りょうや、1996年7月4日 - )は… 栗原 陵矢(くりはら りょうや、1996年7月4日 - )は、福井県福井市出身のプロ野球選手(内野手、外野手、捕手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 2021年開催の東京オリンピック 野球 金メダリスト。 福井市森田小学校1年生の時に「森田ファイターズ」で野球を始めた。福井市森田中学校では「福井ブレイブボーイズ」に入団、当初は主に遊撃手としてプレーしたが、2年生時に捕手になった。3年生時にボーイズリーグの中学日本代表に選ばれ、海外遠征を経験している。 中学卒業後は、福井ブレイブボーイズ監督・南博介の母校である福井県立福井商業高等学校で同級生だった川村忠義が監督を務める福井県立春江工業高等学校に進学。
岸本 淳希(きしもと じゅんき、1996年2月19日 - )… 岸本 淳希(きしもと じゅんき、1996年2月19日 - )は、中日ドラゴンズに所属する福井県鯖江市出身のプロ野球選手(投手)。
中村 辰哉(なかむら たつや、1996年1月24日 - )は… 中村 辰哉(なかむら たつや、1996年1月24日 - )は、福井県大野市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズのチームサポーター兼チーム付デスクを務めていた。 兄は東京ヤクルトスワローズ所属の中村悠平。 大野市立下庄小学校、大野市立陽明中学校卒業後、福井県立福井商業高等学校に進学。3年生夏に第95回全国高等学校野球選手権大会に出場し、3回戦で敗退。高校卒業後は関西六大学野球連盟に属する龍谷大学に進学。 高校時代から大学時代までの7年間、長谷川凌汰とバッテリーを組み続けた。学生時代は怪我に悩まされ、中学、高校、大学とトミー・ジョン手術を含む右肘の手術を三度受けている。 大学卒業後の2018年にプロ野球独立リーグであるベースボール・チャレンジ・リーグの福井ミラクルエレファンツに地元枠で入団。
長谷川 凌汰(はせがわ りょうた、1995年11月8日 - … 長谷川 凌汰(はせがわ りょうた、1995年11月8日 - )は、福井県越前市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 福井工大福井高校の選手として甲子園に出場した父の影響もあり、越前市立北新庄小学校2年から父が監督を務める軟式野球チーム「北新庄ヒーローズ」に所属。越前市立万葉中学校では軟式野球部に所属した。 福井商業高校進学後、当初は外野手だったが、長身に注目した北野尚文元監督の勧めもあり、投手に転向。1年秋から控え投手としてベンチ入り。3年夏の福井県大会では1イニングの登板にとどまったが、エースの中村文英の活躍もあり、第95回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦の帯広大谷高校戦で中村文が右肘を痛め、7回から登板し、3イニングを4奪三振1失点に抑え、逆転勝利に繋げた。
玉村 祐典(たまむら ゆうすけ、1995年11月4日 - )… 玉村 祐典(たまむら ゆうすけ、1995年11月4日 - )は、福井県鯖江市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。
吉田 正尚(よしだ まさたか、1993年7月15日 - )は… 吉田 正尚(よしだ まさたか、1993年7月15日 - )は、オリックス・バファローズに所属する福井県福井市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。
森本 将太(もりもと しょうた、1992年5月25日 - )… 森本 将太(もりもと しょうた、1992年5月25日 - )は、福井県坂井市出身のプロ野球選手(投手)。
山田 修義(やまだ のぶよし、1991年9月19日 - )は… 山田 修義(やまだ のぶよし、1991年9月19日 - )は、オリックス・バファローズに所属する福井県福井市出身のプロ野球選手(投手)。
宮﨑 駿(みやざき はやお、1990年11月27日 - )は… 宮﨑 駿(みやざき はやお、1990年11月27日 - )は、福井県福井市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。
中村 悠平(なかむら ゆうへい、1990年6月17日 - )… 中村 悠平(なかむら ゆうへい、1990年6月17日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(捕手)。 マネジメント契約はエイベックス・スポーツ。
梅田 尚通(うめだ なおみち、1989年6月28日 - )は… 梅田 尚通(うめだ なおみち、1989年6月28日 - )は、福井県鯖江市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。 河和田小1年時に河和田スポーツ少年団で野球を始め、東陽中では鯖江ボーイズ(硬式)に所属。中学時代から注目され、県外からの誘いも受けたが、野球名門校ではなく地元で文武両道の県立高校である鯖江高に進学。 鯖江高時代は甲子園出場はなく、3年の夏は県大会2回戦で早々と敗退し、全国的にはほとんど無名の存在であった。投手・一塁手・遊撃手を兼任し、ドラフト指名は内野手としてだった。高校通算15本塁打。 2007年8月に北信越地区高校選抜としてハワイに遠征し、ハワイ島選抜、オアフ島選抜と5試合を戦った。
山本 翔也(やまもと しょうや、1988年10月12日 - … 山本 翔也(やまもと しょうや、1988年10月12日 - )は、阪神タイガースに所属する福井県武生市(現:越前市)出身のプロ野球選手(投手)。
林 啓介(はやし けいすけ、1987年9月7日 - )は、福… 林 啓介(はやし けいすけ、1987年9月7日 - )は、福井県鯖江市出身の元プロ野球選手(投手)。
齊藤 悠葵(さいとう ゆうき、1987年6月20日 - )は… 齊藤 悠葵(さいとう ゆうき、1987年6月20日 - )は、福井県吉田郡永平寺町出身の元プロ野球選手(投手)。
藤井 宏海(ふじい ひろみ、1985年11月20日 - )は… 藤井 宏海(ふじい ひろみ、1985年11月20日 - )は、福井県吉田郡永平寺町出身の元プロ野球選手(投手)。
天谷 宗一郎(あまや そういちろう、1983年11月8日 -… 天谷 宗一郎(あまや そういちろう、1983年11月8日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。妻はフリーアナウンサーの坪山奏子。
髙橋 聡文(たかはし あきふみ、1983年5月29日 - )… 髙橋 聡文(たかはし あきふみ、1983年5月29日 - )は、福井県大飯郡高浜町出身の元プロ野球選手(投手)、少年野球指導者、YouTuber。左投左打。愛称は「アッキー」。 実家は明治38年創業の和菓子屋『大次郎』を営み、父が3代目社長で現在は兄が継いでいる。 その後、富山県の高岡第一高等学校に進学し、2年の時に第72回選抜高等学校野球大会に出場した。1回戦の国士舘戦は、3番右翼手で先発出場したが、小島紳二郎に完封負けを喫した。打撃にも定評があり、中日のスカウトが高校へ髙橋の投球練習を見に行った際に、その時行われていた練習試合で髙橋は登板しなかったが(ケガをしていたとも言われている)、監督が「バッティングも良いものを持ってますから」と急遽、代打で髙橋を出したところ、初球を右翼席へ本塁打を放ち、「投手でダメだったら打者でもいける」と評価された。
髙橋 聡文(たかはし あきふみ、1983年5月29日 - )… 髙橋 聡文(たかはし あきふみ、1983年5月29日 - )は、阪神タイガースに所属する福井県大飯郡高浜町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。
仲澤 忠厚(なかざわ ただあつ、1982年9月1日 - )は… 仲澤 忠厚(なかざわ ただあつ、1982年9月1日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手(内野手)。
山岸 穣(やまぎし みのる、1982年8月17日 - )は、… 山岸 穣(やまぎし みのる、1982年8月17日 - )は、福井県鯖江市出身の元プロ野球選手(投手)。
牧田 明久(まきだ あきひさ、1982年6月3日 - )は、… 牧田 明久(まきだ あきひさ、1982年6月3日 - )は、福井県越前市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)。コーチ。 大阪近鉄バファローズの最終年(2004年)に同球団へ所属していた選手の1人で、東北楽天ゴールデンイーグルスには創設1年目の2005年から在籍。現役引退後の2017年からは楽天の球団職員として「楽天イーグルスアカデミー」ジュニア部門のコーチを務める傍ら、野球解説者としても活動している。 1982年に福井県越前市に産まれる。北日野小学校に通いつつ、地元の少年野球チーム「北日野マウンテンズ」で小学2年生から野球を始める。ポジションは主に投手。部活動で野球を続けながら越前市立万葉中学校から高校は鯖江市にある鯖江高校に進学した。
東出 輝裕(ひがしで あきひろ、1980年8月21日 - )… 東出 輝裕(ひがしで あきひろ、1980年8月21日 - )は、福井県鯖江市出身の元プロ野球選手(内野手)、コーチ。
坂井 寛子(さかい ひろこ、1978年11月3日 - )は、… 坂井 寛子(さかい ひろこ、1978年11月3日 - )は、福井県福井市出身の女子ソフトボール選手(投手)。2004年アテネオリンピック銅メダリスト、2008年北京オリンピック金メダリスト。 「シュートボールで名を馳」せ、「数々の経験で培った、打者との間・巧みなボールの出し入れで相手を手玉に取る、日本を代表する投手」である。モットーは、グローブにもその字を刻む「無心」(「心の中の雑念を捨てること。悪い事だけでなく、良い事も雑念は、雑念」)。座右の銘は「今 頑張れ!今頑張らなくて、いつ頑張る!」。 無類のドラえもんファン。好きな曲は湘南乃風の『黄金魂』。 ソフトボール部の顧問であった兄の担任から、「『(背丈が)でっかいけど、(ソフトボール)やってみないか?』と誘われた」のを契機に、金沢市の長田中学校で通常の部活動としてソフトボールを始める。
川崎 泰央(かわさき やすお、1977年6月14日 - )は… 川崎 泰央(かわさき やすお、1977年6月14日 - )は、福井県敦賀市出身の元プロ野球選手(投手)。
横山 竜士(よこやま りゅうじ、1976年6月11日 - )… 横山 竜士(よこやま りゅうじ、1976年6月11日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手(投手)。
後藤 光貴(ごとう みつたか、1974年8月27日 - )は… 後藤 光貴(ごとう みつたか、1974年8月27日 - )は、福井県南条郡今庄町(現:南越前町)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は埼玉西武ライオンズのスカウト。 鯖江高では捕手。2年秋には福井県大会で優勝し、北信越大会に進むが初戦となる準々決勝で星稜高校と対戦して松井秀喜の本塁打などで6回コールド負け。当時のエースとバッテリーで新日本製鐵堺に入社したが、足を活かして内野手へ転向。1994年にチームが休部となるもまだ実績がなく、多くの選手のように同社の他チームへは移籍できなかった。当時の監督が動き、大和銀行へ転籍。チーム事情から強肩を買われて投手に転向した。1998年はNTT関西の補強選手として都市対抗野球で登板、秋の日本選手権へはチーム初出場。
橋本 信治(はしもと しんじ、1973年7月20日 - )は… 橋本 信治(はしもと しんじ、1973年7月20日 - )は、福井県福井市出身の元プロ野球審判員。審判員袖番号は40。 福井県立高志高等学校、大正大学出身。ジム・エバンス審判学校、東都大学野球連盟審判員を経て2003年にパシフィック・リーグ審判部に入局。審判員袖番号は40(2010年までは3)。 2010年にはオールスターゲーム初出場を果たし、第2戦(7月24日、新潟)で球審を務めた。 2020年終了時点での試合出場数は1051試合。後述するように、近年は球審を務めるときに構えを頻繁に変えている。 2014年から球審時の構えをボックススタンスからシザーススタンスに変更し、更に翌2015年シーズンからは更に膝を深くしたいわゆるニースタンスに近い形で構えるようになった。
正津 英志(しょうつ えいじ、1972年11月13日 - )… 正津 英志(しょうつ えいじ、1972年11月13日 - )は、福井県大野市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、中日ドラゴンズのスカウトを務めている。 小学生の頃から野球をはじめ、進学した大野高で本格的に投手に取り組み、3年夏に第72回全国高等学校野球選手権大会に出場。 龍谷大では投球フォームの改造に取り組み、速球派からコントロール重視の投手へと転向した。4年の大学選手権は初戦で完投勝利。関西六大学リーグ通算18勝10敗。 NTT北陸では都市対抗野球で初戦先発し、勝利。1997年ドラフトで中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。 ルーキーイヤーから主に中継ぎとして4年連続して40試合以上に登板。
刀根 剛(とね つよし、1962年4月3日 - )は、福井県… 刀根 剛(とね つよし、1962年4月3日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。1984年と1985年の登録名は刀根 健。
杉永 政信(すぎなが まさのぶ、1961年5月5日 - )は… 杉永 政信(すぎなが まさのぶ、1961年5月5日 - )は、福井県武生市(現:越前市)出身の元プロ野球選手(投手)、元プロ野球審判員。審判員袖番号は16。 中学時代から県内でも注目される投手だったが、高校は当時野球部員が十数人しか居なかった(本人曰く、「3年生になればレギュラーになれるようなところ」)鯖江高に進学した。1978年秋季北信越大会準々決勝に進むが、森隆峰のいた高岡第一高に延長13回サヨナラ負けを喫する。 1979年のプロ野球ドラフト会議で、木田勇の外れ1位で横浜大洋ホエールズから指名を受け入団。高校球界では無名ながら、巨体から繰り出す速球は150キロ近いと言われ、本人も入団会見の際に、「400勝する」と宣言していた。
赤松 一朗(あかまつ いちろう、1955年10月17日 - … 赤松 一朗(あかまつ いちろう、1955年10月17日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手(投手)。 丸岡高校では、1973年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが三国高に敗退。地元の福井工業大学へ進学し、北陸大学野球リーグで活躍。3年秋に明治神宮大会初戦で先発したが、大宮龍男、石毛宏典らが出場した駒澤大に敗れた。大学卒業後は電電北陸へ入社。エースとして1979年の都市対抗に13年ぶりに出場。1回戦は新日鐵堺を延長10回の末降すが、2回戦では日本楽器の武居邦生に逆転打を喫し敗退。サイドハンドから、カーブ、シュート、シンカーを武器とした。 1979年ドラフト会議で阪神タイガースから2位指名され入団。1983年に一軍初登板を果たすが、故障もあって同年限りで現役を引退した。
新谷 祐二(しんたに ゆうじ、1953年4月30日 - )は… 新谷 祐二(しんたに ゆうじ、1953年4月30日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
乗替 寿好(のりかえ ひさよし、1950年11月15日 - … 乗替 寿好(のりかえ ひさよし、1950年11月15日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手(投手)。 若狭高校では甲子園に3回出場。2年生の時には、1年上のエース川藤幸三を擁し、一塁手、控え投手として1967年春の選抜に出場。1回戦で報徳学園に敗退。同年夏の選手権では先発を任されるが、1回戦で武相高の島野修と投げ合い、完封を喫する。 翌1968年にはエースとして夏の甲子園に出場。やはり1回戦で北日本学院の有沢賢持に抑えられ、0-1で惜敗。しかし同年の福井国体では、決勝で谷岡潔のいた松山商を下し初優勝を飾る。同国体では3試合で失点1、24三振を奪い、特に内角へ食い込む速球に威力があった。 同年のドラフト2位で西鉄ライオンズへ入団、貴重な左腕として期待された。
川藤 幸三(かわとう こうぞう、1949年7月5日 - )は… 川藤 幸三(かわとう こうぞう、1949年7月5日 - )は、福井県三方郡美浜町出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者・評論家・タレント・YouTuber。本名:開田 幸三(かいだ こうぞう、旧姓:川藤→武田)。通称「浪速の春団治」、「野次将軍」。あるいは「川さん」、「川」とも。 所属事務所は有限会社ダッシュ・フォーで、田辺エージェンシーのグループ会社・ぐあんばーると業務提携している。 元プロ野球投手の川藤龍之輔は実兄。 地元の名士の家に生まれ、少年時代はやんちゃであったが、佛國寺の甚玄和尚に諭されて、野球に取り組んだ。本格的に野球を始めたきっかけは、同郷で当時日体大生にしてラグビー日本代表選手であった山口良治である。
高橋 里志(たかはし さとし、1948年5月17日 - 20… 高橋 里志(たかはし さとし、1948年5月17日 - 2021年1月31日)は、福井県敦賀市出身のプロ野球選手(投手)。 福井県立敦賀工業高等学校では、1966年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、北陸大会準決勝に進出するが金沢高等学校に敗退。 高校卒業後は社会人野球の電電北陸に進む。1967年の第38回都市対抗野球大会に東洋レーヨンの補強選手として出場するが、登板機会はなかった。 1967年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから4位指名を受け入団。将来のエースとして期待されたが、なかなか一軍から声がかからなかった。 1970年5月28日に阪急ブレーブスを相手に先発するが、1回を4失点と打ち込まれ降板。
川藤 龍之輔(かわとう りゅうのすけ、1947年8月17日 … 川藤 龍之輔(かわとう りゅうのすけ、1947年8月17日 - 2021年3月21日)は、福井県三方郡美浜町出身のプロ野球選手(投手)。 元プロ野球選手の川藤幸三は実弟。 地元の名士の家に生まれ、若狭高校では1年次の1963年、控え投手として夏の甲子園に出場するが、1回戦で横浜高に敗退し登板機会はなかった。2年次の1964年夏はエースとして北陸大会準決勝に進出するが、小松実業に敗退。同年秋季の北信越大会では準決勝に進むが、塚原天竜高に敗れ春の選抜出場を逸する。3年次の1965年夏は、県予選準決勝で武生高に敗れ、甲子園には出場できなかった。同年のドラフト9位で東京オリオンズに入団。 貴重な大型左腕と期待され、2年目の1967年に一軍初登板を果たす。
辻 佳紀(つじ よしのり、1940年12月20日 - 198… 辻 佳紀(つじ よしのり、1940年12月20日 - 1989年4月25日)は、福井県敦賀市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者。
浜中 祥和(はまなか よしかず、1938年1月14日 - )… 浜中 祥和(はまなか よしかず、1938年1月14日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 若狭高校では、同期のエース松井武雄を擁し1955年春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では準々決勝に進むが、県尼崎高の今津光男投手に完封を喫する。夏の選手権は、2回戦で立命館の富永格郎投手に抑えられ敗退。同年の神奈川国体は決勝に進むが、エース高橋正勝を擁する四日市高に接戦の末に3-4で敗れ、準優勝にとどまる。 卒業後は立教大学へ進学。長嶋茂雄の2年後輩に当たり、東京六大学野球リーグでは5回優勝。1957年、1958年に全日本大学野球選手権大会連続優勝。リーグ通算37試合出場、126打数33安打、打率.262。
牧野 伸(まきの のぼる、1937年6月5日 - )は、福井… 牧野 伸(まきの のぼる、1937年6月5日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球審判員。 武生高校ではエースとして1954年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で新宮高の前岡勤也と投げ合い0-2で惜敗。高校同期の田中平八郎とともに、1956年に東映フライヤーズに入団。その年ルーキーながら開幕投手を務め、翌年には15勝をマークするなど将来を嘱望されていたが、3年目の1958年から調子が下がり始め、1961年オフに近鉄バファローズに移籍。1964年には久保征弘に次ぐ27試合に先発し8勝をあげるが、その後は登板機会が漸減し、1968年限りで現役を引退した。スリークォーターからのスライダー、シュートが武器。
湊谷 武雄(みなとや たけお、1937年4月9日 - )は福… 湊谷 武雄(みなとや たけお、1937年4月9日 - )は福井県出身の元プロ野球選手、横浜ベイスターズ代表取締役(1997 - 2003年)。選手時代の姓は松井。 福井県立若狭高等学校では1955年、エースとして甲子園に春夏連続出場を果たす。春の選抜では準々決勝に進むが、県尼崎高の今津光男投手に完封を喫する。同年の春季北信越地区大会県予選決勝で、武生高を相手にノーヒットノーランを達成。北信越地区大会でも決勝で大町南高を降し優勝した。同年夏の選手権では、2回戦で立命館高の富永格郎投手に抑えられ敗退。カーブ、ドロップ、シュートが武器だった。高校同期には、後にプロで同僚となる遊撃手の浜中祥和がいた。 1956年に投手として大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。
田中 平八郎(たなか へいはちろう、1937年2月6日 - … 田中 平八郎(たなか へいはちろう、1937年2月6日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手。 武生高校では1954年に夏の甲子園へ出場した。 1955年に東映フライヤーズへ入団。1956年に退団した。
市石 巌(いちいし いわお、1931年 - )は、日本の野球… 市石 巌(いちいし いわお、1931年 - )は、日本の野球選手。大阪府立北野高等学校野球部を甲子園優勝に導いた数少ない人物として知られる。 西区内の小学校卒業後、旧制大阪府立高津中学(現・大阪府立高津高等学校)に入学。兵庫県西宮市甲子園在住中、大阪大空襲、神戸大空襲により、福井県小浜市へ縁故疎開し、旧制小浜中学校へ転校。野球部に所属した。 その後、再び大阪へ戻ると、学制改革に伴い、1948年、新制大阪府立北野高等学校へ入学し、第1回選抜高校野球に出場、準決勝まで進出した。1949年、甲子園で優勝を果たす。 北野高校卒業後は、京都大学に進学した。