木内 貴史(きうち たかし、旧姓:増田、1940年8月25日… 木内 貴史(きうち たかし、旧姓:増田、1940年8月25日 - )は、静岡県出身の元バスケットボール選手。元日本バスケットボール協会専務理事兼強化本部長。現役時代のポジションはガード。 静岡高校3年でインターハイ準優勝を経験。 慶大でも1年でレギュラーを獲得し、インカレ優勝を経験、2年で全日本にも選ばれローマ五輪に出場した。 卒業後、住友金属に入社。1963年世界選手権にも出場し、東京五輪も2大会連続出場を果たした。 引退後、地元に戻り産業建設に入社。後に社長となる。 一方で、静岡県バスケットボール協会理事長、静岡県体育協会副会長などを務める。 2008年、日本協会専務理事兼強化本部長に就任。
杉井 ギサブロー(すぎい ギサブロー、本名:杉井 儀三郎(す… 杉井 ギサブロー(すぎい ギサブロー、本名:杉井 儀三郎(すぎい ぎさぶろう)、1940年8月20日 - )は、日本の男性アニメ監督、脚本家。日本映画監督協会会員。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。代表作に『タッチ』、『銀河鉄道の夜』、『ストリートファイターII MOVIE』、『あらしのよるに』など。タツノコプロ出身のアニメーターの杉井興治は実弟。 静岡県沼津市出身。沼津市に小学校5年生の途中まで在住。1945年7月の沼津大空襲にも遭遇している。小学校時代は漫画を愛する「マンガ少年」であった。沼津時代の末期に見たディズニーの『バンビ』に強い印象を受け、アニメーションを「一生の仕事にしよう」と決意する。
鈴木 悳夫(すずき のりお、1940年7月7日 - 2007… 鈴木 悳夫(すずき のりお、1940年7月7日 - 2007年6月14日)は、静岡県静岡市出身のプロ野球選手(捕手、一塁手)・コーチ、評論家。 清水東高校では1年次の1956年秋から捕手として活躍し、2年次の1957年には春季中部大会決勝に進み、掛川西高を降し優勝を飾る。同年には1年上のチームメイトに4番・遊撃手の漆畑勝久を擁して夏の甲子園に出場するが、2回戦(初戦)で法政二高の延藤謙吉(三重交通)、青木武文(駒大)の継投の前に完封負けを喫す。 同年の秋季中部大会では同期の山田茂利(明大-日本鋼管)とバッテリーを組み決勝に進出し、中京商のエース伊藤竜彦に完封を喫するが、3年次の1958年の選抜へ出場を決めた。
磯部 修三(いそべ しゅうぞう、1940年4月15日 - )… 磯部 修三(いそべ しゅうぞう、1940年4月15日 - )は、高校野球の指導者、高校・大学教員。 1978年、浜松商業高校、2007年には、常葉菊川高校野球部を、それぞれ選抜高等学校野球大会全国優勝に導いた。 静岡県生まれ。1959年、静岡県立静岡高等学校卒業。神戸大学卒業。 1965年、掛川西高校社会科教諭・野球部副部長、1972年、浜松商業高校社会科教諭・野球部監督に就任。1978年、センバツ大会優勝。1980年、選手権大会8強。1984年3月で浜松商業高校を退任後、浜松南高校社会科教諭を経て、磐田南高校社会科教諭・野球部監督を務めた。 その後は一時、野球部の指導から離れ、県教育研究所指導主事・浜名高校教頭、磐田北高校教頭など歴任した。
大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023… 大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023年11月28日)は、静岡県清水市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 「剃刀」と喩えられたストレートとスライダーを武器に、「カープ史上最速のピッチャー」と評された。 清水商業高校では3年次の1958年に春季中部大会1回戦で岐阜商に逆転負けし、夏も県予選で敗れ甲子園には届かなかった。卒業後は清水商野球部後援会と立教大学校友会静岡支部の推薦で立大進学が決まっていたが、家庭の事情でプロ入りが決まる。 1959年に広島カープへ入団し、同期には後に阪急でもコーチとして同僚となる上田利治らがいた。選手の給料もままならない弱小・広島において、1年目から39試合に登板して9勝を挙げ、若くして主戦投手となる。
志茂田 景樹(しもだ かげき、1940年〈昭和15年〉3月2… 志茂田 景樹(しもだ かげき、1940年〈昭和15年〉3月25日 - )は、日本の作家(小説家・絵本作家)、タレント。株式会社志茂田景樹事務所代表取締役。日本文芸家クラブ会長。よい子に読み聞かせ隊隊長。日本ペンクラブ会員。芸能プロダクション「ビッグ・ブッキング・エンターテインメント」所属。本名は下田 忠男(しもだ ただお)。 ペンネームの由来は、「茂る田んぼを志す」という気持ちから変名し、また「景樹」は昔、父親の書斎でよく目にしていた本に、江戸時代の国文学者である香川景樹の著作があり、その賑やかな名前が気に入って拝借したという。また、一時期は境 忠雄(さかい ただお)のペンネームを使用していた時期もあった。
藤木 孝(ふじき たかし、1940年3月5日 - 2020年… 藤木 孝(ふじき たかし、1940年3月5日 - 2020年9月20日)は、日本の俳優、歌手。静岡県富士宮市出身。ホリプロ最終所属。本名は遠藤 與士彦(えんどう よしひこ)。 1970年代には、藤木 敬士(読みは同じ)という芸名で活動していた。 玉川学園中等部卒業。 東宝芸能学校卒業後の1959年、歌手として渡辺プロダクションと契約。テイチクレコードからデビューし、歌唱力とダンスの才を活かし、1960年代前半にヒット曲を連発して「ツイスト男」の異名で当時のツイスト・ブームを牽引した。 1962年、人気絶頂の中で歌手引退を表明。渡辺晋の反対を押し切って退社し、同年、文芸プロダクションにんじんくらぶに入り、俳優へと転身。
高橋 敏(たかはし さとし、1940年3月1日 - )は、日… 高橋 敏(たかはし さとし、1940年3月1日 - )は、日本の日本史学者。専門は静岡の近世・近代史、江戸時代の教育史、江戸時代の博徒、江戸の訴訟など多岐にわたる。国立歴史民俗博物館、総合研究大学院大学名誉教授。 静岡県下田市生まれ。1963年東京教育大学文学部史学科卒業、1965年同大学大学院文学研究科修士課程修了。静岡県立高校の教員を長年務めた後、1983年群馬大学教育学部助教授に就任。1989年3月同教授、4月国立歴史民俗博物館教授。1990年「近世村落生活文化史序説 上野国原之郷村の研究」で文学博士(筑波大学)。1999年総合研究大学院大学教授。2005年定年退職、名誉教授 従来の歴史学において扱われてこなかった博徒や義民に注目した研究を行い、上州の国定忠治、竹居安五郎・黒駒勝蔵など甲州博徒、駿河の清水次郎長に関する著作を著した。
八木 健(やぎ けん / やぎ たけし、1940年2月19日… 八木 健(やぎ けん / やぎ たけし、1940年2月19日 - )は、俳人で、元NHKアナウンサー。
牧野 宗則(まきの むねのり、1940年2月11日 - )は… 牧野 宗則(まきの むねのり、1940年2月11日 - )は日本の木版画作家。浮世絵木版画の高度な技術と創作木版画の精神性を融合・昇華させ、自然の生命の輝きを華麗に表現する。静岡市葵区出身。
村松 岐夫(むらまつ みちお、1940年1月3日 - )は、… 村松 岐夫(むらまつ みちお、1940年1月3日 - )は、日本の政治学者。専門は、行政学・地方自治論。学位は、法学博士(京都大学・1984年)。京都大学名誉教授。日本学士院会員、文化功労者。瑞宝中綬章。 京都大学法学部教授、京都大学評議員、京都大学大学院法学研究科教授、京都大学大学院法学研究科研究科長、京都大学法学部学部長、学習院大学法学部教授などを歴任した。 静岡県出身の政治学者である。政治学界で従来主流を占めていた官僚優位論に疑問を持ち、新たに政党優位論を提唱した。さらに、戦前戦後断絶論の見地から、日本の行政官僚制や地方公共団体を実証的に分析し、太平洋戦争後の日本の政治体制は多元的な統治構造を持つことを明らかにした。
見城 尚志(けんじょう たかし、1940年 - )は、日本の… 見城 尚志(けんじょう たかし、1940年 - )は、日本の工学者、精密小型モーター開発のエンジニア。ニデックモーター基礎研究所名誉所長。ニデック技術顧問。工学博士(東北大学)。 1940年、静岡市に生まれる。1958年、静岡県立静岡高等学校卒業。1964年、東北大学大学院工学専攻科修士課程修了。同年、TEAC入社。磁気記録機器用精密小型モータの設計と研究を開始。1965年、職業訓練大学校常勤講師。1966年より学生の指導を始める。最初の学生の中に永守重信がいた。1970年、東北大学より交流モータの回転電気機械の電磁界理論で工学博士。1971年、職業訓練大学校助教授。1976年、ロンドンで開かれた世界最初の小型モータ学会に出席。
油井喜夫(ゆい よしお、 1940年 - )は、日本の社会運… 油井喜夫(ゆい よしお、 1940年 - )は、日本の社会運動家、社会運動研究家。新日和見主義事件に遭い、のちにこれを考察する書籍を著した。 6歳のとき中国・遼寧省遼陽より引揚。静岡県立藤枝東高等学校、通信教育課程を経て慶應義塾大学を卒業。静岡県職員、司法書士などに従事。 労働組合運動、青年運動などに携わる。日本民主青年同盟班長・同地区委員長・同県委員長・同中央委員、日本共産党静岡県委員などを歴任。 日本共産党静岡県委員、日本民主青年同盟中央委員・静岡県委員長在任時の1972年5月、分派活動の疑いで査問され、処分を受ける。これらの役職をすべて罷免され、足かけ3年にわたって党員権を停止された。(新日和見主義事件) 以後事件について沈黙を守っていたが、川上徹が事件の実態や問題点を世に問う『査問』(筑摩書房)を1997年12月に刊行したことをきっかけに、自身の経験を通して事件について明らかにすることを決意。
高橋 五郎(たかはし ごろう、1940年 - 2017年)は… 高橋 五郎(たかはし ごろう、1940年 - 2017年)は、日本のドキュメンタリー映像プロデューサー、作家。静岡県焼津市生まれ。 日本初の求人専門の写真週刊誌を都内JRと地下鉄で発売、1960年代初頭、太陽電池(雲母体)と半導体(チップ)の現物をアメリカから日本へ初めて持ち込み、旧通産省において国内大手電機メーカーへ初公開。 スペイン政府と王室のための、歴史的文物類と王室所有の秘蔵品をスペイン史上初めて映像に収録。 1980年代には、再生医療の開発・研究のために、カリフォルニア大学バークレー校とバイオ・タイム社として、世界初の人工血液開発実験に成功、その全記録映像を世界へ配信。 主な映像企画作品に「零戦第4617号」(NHK-BS)、「アルタミラ原始洞窟絵画」(TBS)、「スペイン王室の記録」「幻の巨大地下壕」(以上、日本テレビ)、「広島原爆はナチス製だった!?」(テレビ朝日)など多数。
後藤 晃吾(ごとう こうご、1940年 - 2023年12月… 後藤 晃吾(ごとう こうご、1940年 - 2023年12月24日)は、静岡県島田市出身のアマチュア野球選手(投手)。 榛原郡金谷町(現島田市)出身で、金谷中学時は県下に知られた投手。掛川西高では2年生の時、エースとして1957年夏の甲子園予選山静大会決勝に進み清水東高と対戦。後に大学の1年先輩となる漆畑勝久や早大に進む鈴木悳夫らに打ち崩され大敗、甲子園出場を逸する。 明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは、同期の八木孝と投の二本柱を組み1961年春季リーグで優勝、ベストナイン(投手)にも選出される。同年の全日本大学野球選手権大会に出場するが、準決勝でエース宮田征典を擁する日大に敗れた。リーグ通算43試合13勝10敗、防御率1.87、96奪三振。
山本 肇(やまもと はじめ、1940年 - 2006年10月… 山本 肇(やまもと はじめ、1940年 - 2006年10月29日)は、元NHKの解説委員。 静岡県静岡市出身。静岡県立静岡高等学校、京都大学法学部を卒業後1962年NHK入局。神戸、大阪放送局を経て報道局社会部記者、ニュースキャスター、プロデューサー、解説主幹、地元静岡放送局長を務めた。 1994年、第31回ギャラクシー賞・テレビ部門個人賞を受賞。 NHKを定年退職した後、1997年に静岡県文化財団副理事長に就任。静岡県コンベンションアーツセンター「グランシップ」の館長も務め、教育、文化、地域振興などの分野で活躍した。2006年10月29日に66歳で死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
海野光弘(うんの みつひろ、1939年(昭和14年)11月1… 海野光弘(うんの みつひろ、1939年(昭和14年)11月19日 - 1979年(昭和54年)9月23日)は、日本の木版画家。静岡県静岡市出身。 静岡市新富町(現在の葵区新富町)4丁目で染色業を営んでいた海野家の次男として生まれる。1952年(昭和27年)、静岡市立末広中学校に入学。1年の頃、日記の中に入れた版画が教諭の目に留まり、日本教育版画協会所属の教諭・蒔田晋治を紹介され、以後版画制作に没頭するようになる。静岡商業高校卒業後は日立製作所東京本社に就職したが、20歳になった1959年(昭和34年)に退職。本格的に版画家としての道を歩むようになり、同年、静岡市内で初の個展を開く。1964年(昭和39年)に発表した「触」が日本版画協会賞奨励賞を受賞。
漆畑 勝久(うるしばた かつひさ、1939年10月12日 -… 漆畑 勝久(うるしばた かつひさ、1939年10月12日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 清水東高校では1957年春季中部大会決勝に進み、掛川西高を降し優勝を飾る。同年の夏の甲子園に四番打者、遊撃手として出場。2回戦(初戦)で、この大会に準優勝する法政二高の延藤謙吉(三重交通)、青木武文(駒大)の継投の前に完封を喫する。1年後輩のチームメートに捕手の鈴木悳夫がいた。 1958年に明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは後藤晃吾、八木孝両投手を擁し、1961年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会に出場するが、準決勝でエース宮田征典を擁する日大に敗れた。
大嶽 隆司(おおたけ たかし、1939年9月15日 - )は… 大嶽 隆司(おおたけ たかし、1939年9月15日 - )は、日本の実業家。小糸製作所第10代社長、元小糸製作所会長。 静岡県出身。1958年、静岡県立静岡高等学校卒業。1962年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、小糸製作所入社。1979年6月、同社取締役。1983年6月、同社常務取締役。1985年6月、同社専務取締役。1992年7月、同社取締役副社長。2003年6月、同社代表取締役社長。2007年6月、同社代表取締役会長。2015年6月、同社取締役相談役。2017年11月、旭日中綬章受章。
鈴木 忠志(すずき ただし、1939年6月20日 - )は、… 鈴木 忠志(すずき ただし、1939年6月20日 - )は、日本の演出家。世界各地での上演活動や共同作業、俳優訓練法「スズキ・トレーニング・メソッド」で知られている。唐十郎、寺山修司らとともに、1960年代におこった新しい演劇運動の代表的な担い手の一人である。 静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身。東京都立北園高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。早稲田大学在学中に、学生劇団「自由舞台」に参加。劇作家の別役実らと知り合い、本格的に演劇活動を開始した。 1966年 大学卒業後、鈴木を中心として、別役、斉藤郁子、蔦森皓祐らと劇団「早稲田小劇場」を結成、早稲田大学近くの喫茶店「モンシェリ」2階に劇団と同名の劇場をかまえ、活動を続けた(2015年、早稲田大学は鈴木忠志に名称使用の了解を得て、跡地に「早稲田小劇場どらま館」を再建した)。
遠藤 秀男(えんどう ひでお、1939年3月1日- )は、地… 遠藤 秀男(えんどう ひでお、1939年3月1日- )は、地誌研究家、富士山研究家。 静岡県富士宮市出身。筆名・富士宗四郎。國學院大學文学部卒。大学時代から富士山の研究を始める。地元で教師をしながら研究、のちにフリーになった。1968年静岡県教育奨励賞受賞。富士宮市史執筆委員。福よし美術店主を務めた。
小池 兼司(こいけ けんじ、1939年2月5日 - )は、静… 小池 兼司(こいけ けんじ、1939年2月5日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。内野手。
足立 直樹(あだち なおき、1939年2月3日 - )は、日… 足立 直樹(あだち なおき、1939年2月3日 - )は、日本の実業家。凸版印刷代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。 1939年2月23日生まれ、静岡県袋井市出身。1958年3月、静岡県立磐田南高等学校卒業。1962年3月、中央大学法学部法律学科卒業。1962年4月、凸版印刷株式会社入社。2000年6月、常務取締役、専務取締役、代表副社長などを歴任した後、凸版印刷株式会社代表取締役社長に就任。2010年6月、社長を金子眞吾に譲り、凸版印刷株式会社代表取締役会長に就任。2012年5月、印刷工業会会長に就任。2012年6月、日本印刷産業連合会会長に就任。2019年6月、凸版印刷特別相談役に就任。
神本 武征(かみもと たけゆき、1939年1月8日 - 20… 神本 武征(かみもと たけゆき、1939年1月8日 - 2018年8月28日)は、日本の工学者。専門は内燃機関工学。東京工業大学名誉教授。東京工業大学工学部長、ロンドン大学シティ校客員教授、ウィスコンシン大学マディソン校客員教授、ものつくり大学学長、自動車技術会会長等を歴任した。 静岡県沼津市生まれ。1958年埼玉県立浦和高等学校卒業。1963年東京工業大学理工学部機械工学科卒業。1965年東京工業大学大学院理工学研究科機械工学専攻修士課程修了、東京工業大学助手。1976年東京工業大学工学博士。1981年東京工業大学助教授。1987年東京工業大学教授。 1990年航空宇宙技術研究所客員研究員。1997年東京工業大学工学部長。
浦田 周社(うらた かねたか、1939年 - )は、日本の版… 浦田 周社(うらた かねたか、1939年 - )は、日本の版画家。江戸寛政年間から続く浮世絵木版画の伝統的技術を継承。 浮世絵は、安藤広重や葛飾北斎に代表される「絵師」だけでなく、「彫師」、「摺師」の三者の共同作業によるが、絵師、彫師、摺師の三つの作業を一人でこなす。創作版画家として、郷土静岡の風景や東大寺お水取りのシリーズなど日本を題材に描く。 静岡市昭和町に江戸時代から続く浮世絵処「版隈」五代目儀一の長男として誕生。1958年、静岡県立静岡高等学校卒業。高校卒業後、家業を継ぎ、浮世絵処「版隈」六世。1976年、文化庁認定重要民俗文化財選定保存技術保持者に認定。浮世絵木版画彫摺技術保存協会会員となる。
遠藤恵美子(えんどう えみこ 1939年-)は、日本の看護学… 遠藤恵美子(えんどう えみこ 1939年-)は、日本の看護学者。博士(看護学)(ミネソタ大学)。専門分野はがん看護学。マーガレット・ニューマンに師事した。武蔵野大学名誉教授。遠藤恵美子のリーダーシップにより、ニューマン・理論・研究・実践研究会が2016年に日本に設立され、理事長を務める。日本がん看護学会理事を歴任。 静岡県出身。1958年に静岡県立沼津西高等学校を卒業。1960年に東京女子大学短期大学部英語科卒業。国立東京第一病院附属高等看護学院に入学し、卒業後、1969年まで国立東京第一病院看護師、1974年まで国立東京第一病院専任教員。1974年に東京都立公衆衛生看護学院保健婦科を卒業し、1975年まで東京都衛生局保健師。
樋口 裕康(ひぐち ひろやす、1939年 - )は、日本の建… 樋口 裕康(ひぐち ひろやす、1939年 - )は、日本の建築家。静岡県静岡市生まれ。 1958年、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。1965年、早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。1965年から1971年までU研究室。1971年に富田玲子や大竹康市らと象設計集団を設立。同年、返還前の沖縄子供の国マスタープラン策定、今帰仁中央公民館、名護市庁舎で芸術選奨文部大臣賞、都市計画学会賞、日本建築学会賞などを受賞。1986年より台湾北東部の宜蘭懸冬山河風景区開発計画に着手。1990年、事務所を十勝に移し、全国各地で学校、公共施設、福祉施設をはじめとする地域性に根差した建築を進める。
木村 仲久(きむら なかひさ、1938年11月26日 - 1… 木村 仲久(きむら なかひさ、1938年11月26日 - 1999年3月29日)は、日本の写真家。地方公務員。全日本写真連盟や二科会にて活動した。写真集団影法師、写真集団山月会影法師を創立。写真集「静岡の民家」で林忠彦賞受賞。長年撮り続けた富士山の写真集「富士秀景」は静岡県の作品として国外の要人への贈呈品とされている。 1938年(昭和13年)、静岡県志太郡大井川町(現・焼津市)に生まれる。1957年(昭和32年)、静岡県立静岡高等学校卒業。日本大学に進学し、旧工学部(現日本大学理工学部)の土木工学科で学んだ。卒業後は静岡県庁に入庁した。 静岡県の職員として勤務する傍ら、アマチュア写真家として全日本写真連盟や二科会で活動した。
佐野 洋子(さの ようこ、1938年〈昭和13年〉6月28日… 佐野 洋子(さの ようこ、1938年〈昭和13年〉6月28日 - 2010年〈平成22年〉11月5日)は、日本の絵本作家、エッセイスト。 代表作として、絵本『100万回生きたねこ』(1977年)。エッセイ、児童文学、脚本、小説、海外絵本の翻訳も手がけた。 1938年、満鉄調査部勤務の父利一、母シズの間に、長女(7人きょうだいの第二子)として北京で生まれる。幼少期を北京で過ごし、1945年(7歳)に大連に転居して小学校に入学、同地で日本の敗戦を迎える。1947年(9歳)に一家は山梨県に引き揚げ、当初は父方伯父のもとに身を寄せた。 1942年に三弟(生後33日)、1947年の引き揚げ後に四弟(4歳)を亡くし、1948年(10歳)には大好きであった兄(11歳)を亡くしている。
斎藤 達雄(さいとう たつお、1938年6月20日- )は、… 斎藤 達雄(さいとう たつお、1938年6月20日- )は、静岡県出身の元プロ野球選手(内野手・右投右打)である。 登録名は、1963年のみ「斎藤 達男」。 静清工業高校を卒業後、パーフェクト リバティー教団(PL教団)の硬式野球部を経て、1960年に広島カープへ入団。 カープでは主に二塁と三塁を守ったが、同郷・同世代の興津立雄らの影に隠れ、出場機会にはあまり恵まれなかった。 1962年オフに大毎オリオンズへ移籍。翌1963年に自己シーズン最多となる53試合に出場し、プロ初本塁打も記録するも、在籍わずか1年ほどで引退した。
岩辺 晃三(岩邊 晃三、いわなべ こうぞう、1938年5月6… 岩辺 晃三(岩邊 晃三、いわなべ こうぞう、1938年5月6日 - )は、日本の会計学者。埼玉大学名誉教授、聖カタリナ大学元教授。日本商学研究学会名誉会長。 静岡県庵原郡由比町(現静岡市清水区由比)出身。「イタリア式簿記の日本伝播説」、「天海・明智光秀同一説」を唱えている。また神武天皇の詔「六合開都、八紘為宇」を新解釈して、「実協ピラミッド企業モデル」を考案し、神武天皇の実在性を追究して、神武天皇は「モーセの墓」を意識し、モーセを封印したことを明らかにしたと主張している。 世界の言語の起源は日本語にあったと結論する。一蔀は72年であることを明らかにしたと主張している。付加価値税(消費税)の直接税化を提言し、「特別会計」の成立ちを明らかにする。
赤池 彰敏(あかいけ あきとし、1938年5月1日 - )は… 赤池 彰敏(あかいけ あきとし、1938年5月1日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。
リサ長尾(りさながお) (1938-04-13) 1938年… リサ長尾(りさながお) (1938-04-13) 1938年4月13日 - (2026-06-20) 2026年6月20日(88歳没)は、日本の女性歌手。日本歌手協会会員、日本ラテンアメリカ音楽協会会員、長尾ピアノアカデミー院長。ラテンボーカリストとして、三越劇場、ラテンフェスティバル、都民芸術フェスティバル、横浜アリーナライブ 等、数多くのステージで活躍。また、毎年後援会主催のリサイタルも開催している。 静岡県裾野市出身。国立音楽大学卒業後、不二聖心女学院音楽講師を経て、長尾ピアノアカデミーを設立。院長として幼児、小中高生、音大受験生、音大生、音楽教室講師、また、趣味で楽しむ人などにも技術の向上、感動する心、豊かな音楽性、それぞれ個性に合った教育を心がけ、後進の指導に積極的に取り組んでいる。
杉本 英世(すぎもと ひでよ、1938年2月16日 - )は… 杉本 英世(すぎもと ひでよ、1938年2月16日 - )は、静岡県伊東市出身の日本のプロゴルファーである。
種茂 雅之(たねも まさゆき、1938年2月13日 - )は… 種茂 雅之(たねも まさゆき、1938年2月13日 - )は、静岡県磐田市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督。
大木 利男(おおき としお、1938年2月11日 - )は、… 大木 利男(おおき としお、1938年2月11日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(外野手)。
加藤 剛(かとう ごう、1938年〈昭和13年〉2月4日 -… 加藤 剛(かとう ごう、1938年〈昭和13年〉2月4日 - 2018年〈平成30年〉6月18日)は、日本の俳優。本名:加藤 剛(かとう たけし)。身長173cm。体重70kg。俳優座所属。 2001年、紫綬褒章受章。2008年、旭日小綬章受章。 静岡県榛原郡白羽村(御前崎市)出身。父・鉉一郎は小学校の校長。姉四人と兄、弟がいる。父親が校長というのはプレッシャーにはならなかった。父・鉉一郎は剛を医者にしたかった。なお俳優のうえだ峻は甥で、うえだの母は加藤の姉にあたる。また第32代日本銀行総裁の植田和男は従弟の孫にあたる。 加藤家は古くからの地主で、農地改革で大半を失ったとはいえ自宅の敷地は八百坪近く、敷地に続くすぐ裏に持ち山があり、庭にはたくさん木があった。
勝間田 具治(かつまた ともはる、1938年2月4日 - )… 勝間田 具治(かつまた ともはる、1938年2月4日 - )は、静岡県下田市出身の日本のアニメーション演出家、アニメ監督である。 日本大学芸術学部卒業後、叔父で俳優の岸井明の紹介で1960年に映画製作会社の東映に入社。東映京都撮影所でマキノ雅弘に師事し、工藤栄一、加藤泰、田坂具隆監督らの助手を務めた。これら監督につき、『次郎長血笑記・富士見峠の対決(1960年公開)』『次郎長血笑記・殴り込み荒神山(1960年公開)』 『ちいさこべ(1962年公開)』などの制作に関わった。その後、テレビアニメ事業に進出した東映動画(現・東映アニメーション)から請われて1964年に移籍し、アニメーションの演出家に転向。
冨士 眞奈美(ふじ まなみ、1938年〈昭和13年〉1月15… 冨士 眞奈美(ふじ まなみ、1938年〈昭和13年〉1月15日 - )は、日本の女優、随筆家、俳人。血液型はA型。本名、岩崎 真奈美。アンテーヌ所属。俳号は衾去(きんきょ)。 6人きょうだいの三女(上から女、女、本人、男と続き、5人目と6人目の性別は不明)として育った。静岡県三島市で生まれた後、1歳の頃に一家で東京都滝野川区(現・北区)で暮らし、小学校に上がる前、三島で暮らす祖父の急死により、ひとり娘の母とともに一家で三島へ戻った。県立三島北高校卒業。 1956年にNHKのテレビドラマ『この瞳』の主役に抜擢されてデビューし、これを機に上京して芸能活動を始めた。1957年、NHK専属女優の第一号となり、『輪唱』の三姉妹役で共演した馬渕晴子・小林千登勢とNHK三人娘と呼ばれて人気を博した。
和田 春樹 (わだ はるき、1938年(昭和13年)1月13… 和田 春樹 (わだ はるき、1938年(昭和13年)1月13日 - )は、日本の歴史学者。専門は、近代ロシア史とソビエト連邦史および現代朝鮮。東京大学名誉教授。 1968年にキング牧師が暗殺されたことをきっかけに、妻の和田あき子と共に地元の大泉学園でベトナム戦争反対の市民運動を始めた。主な著作として『ニコライ・ラッセル』『マルクス・エンゲルスと革命ロシア』および『朝鮮戦争』がある。 大阪府出身、静岡県立清水東高等学校卒業。父の和田捷雄は歴史の教師で、清水東高等学校の校長代理をつとめた。東京大学文学部卒業。ドイツ語クラスの同級生に古井由吉や加藤祐三がいた。大学入学から退官まで、約50年間にわたって東京大学においてのみ過ごした。
海野 泰男(うんの やすお、1938年(昭和13年) - )… 海野 泰男(うんの やすお、1938年(昭和13年) - )は、日本の国文学者。専門は中古文学、美術史(西洋絵画)。常葉学園大学第5代学長・名誉教授・名誉学長。文学修士。 1938年(昭和13年)、静岡県出身。1957年(昭和32年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年(昭和38年)、東京大学文学部国語国文学科卒業。1967年(昭和42年)、同大学院人文科学研究科修士課程(国文学)修了。麻布高校教諭等を経て、1984年(昭和59年)、常葉学園大学教授。2002年(平成14年)、同大学長。常葉学園大学名誉教授、名誉学長。
木村 栄一(木村 榮一、きむら えいいち、1938年 - )… 木村 栄一(木村 榮一、きむら えいいち、1938年 - )は、日本の薬学者・化学者(専門は生物有機科学)。静岡大学理学部客員教授、広島大学医学部名誉教授、元日本薬学会会頭。 1957年(昭和32年)、静岡県立静岡高等学校卒業、東京大学薬学部卒業、同大学院修士修了後、フルブライト留学生としてNorth Carolina州立大大学院博士課程入学、化学系Ph.D(博士)取得。帰国後、広島大学医学部総合薬学科に着任、同活性構造化学講座教授。2002年(平成14年)、同大学定年退職、医学部名誉教授。2003年(平成15年)度日本薬学会会頭、2004年(平成16年)、紫綬褒章、2014年(平成26年)度春、瑞宝中綬章受章。
柴 順三郎(しば じゅんざぶろう、1938年 - )は、日本… 柴 順三郎(しば じゅんざぶろう、1938年 - )は、日本の地方公務員、教育者。元静岡県副知事、元気象審議会委員、元学校法人三島学園理事等を務めた。 静岡県出身。静岡県立韮山高等学校卒業。1959年(昭和34年)3月、日本大学短期大学部卒業後は静岡県に奉職。県の企画部長・出納長などの職務を経験した後、同県副知事に就任。副知事に就任して以来、静岡県広報協会会長、気象審議会委員、静岡県日中友好協議会理事長などの要職に就いた。 副知事の任期満了に伴い、後任として鈴木雅近氏が選任された。退任後は、学校法人三島学園(知徳高等学校)理事を務めた。 2008年(平成20年)4月、瑞宝中綬章を受賞。
永田 俊彦(ながた としひこ、1937年12月5日 - 20… 永田 俊彦(ながた としひこ、1937年12月5日 - 2010年9月6日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。元順天堂大学医学部教授。学位は、医学博士。 1965年、東京医科歯科大学医学部神経精神医学教室に入局し、島崎敏樹教授、宮本忠雄助教授のもとで学んだ。村上靖彦、市橋秀夫、中安信夫らと共に日本の精神病理学第3世代を代表する人物である。主として統合失調症の研究を行った。 1937年12月5日、静岡市生まれ。1957年、静岡県立静岡高等学校卒業。1964年、東京医科歯科大学医学部卒業。1965年4月、東京医科歯科大学医学部神経精神医学教室入局、1965年10月、関東労災病院神経科勤務、1967年1月、私立多摩湖病院勤務、1972年7月、成増厚生病院勤務、1975年1月、同愛記念病院神経科勤務。
國松 孝次(くにまつ たかじ、1937年6月28日 - )は… 國松 孝次(くにまつ たかじ、1937年6月28日 - )は、日本の元警察官僚、警察庁長官。静岡県浜松市出身。
桜町 弘子(さくらまち ひろこ、1937年6月16日 - )… 桜町 弘子(さくらまち ひろこ、1937年6月16日 - )は、日本の女優。本名は臼井 真琴。静岡県賀茂郡出身。静岡県立下田南高等学校卒業。 高校2年生の時に「ミス丹後ちりめん」のコンテストに応募して入選。そしてたまたま、地元の伊豆にロケに来ていた映画監督の松田定次がタクシーの運転手からこの話を聞き付けたことで桜町本人と会い、1956年に東映ニューフェイスの第3期生として迎える形で東映入りした。同期には里見浩太朗・大川恵子・大村文武らがいた。1957年、大友柳太朗・美空ひばり・大川橋蔵主演『大江戸喧嘩纏』に、松原 千浪の名で映画デビュー。 同年の『ふたり大名』から桜町 弘子に改名、以後丘さとみ・大川恵子らと東映三人娘として活躍。
松浦 三千男(まつうら みちお、1937年5月8日 - )は… 松浦 三千男(まつうら みちお、1937年5月8日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。
青木 宥明(あおき ひろあき、1937年4月18日- 200… 青木 宥明(あおき ひろあき、1937年4月18日- 2001年11月8日)は、静岡県出身のプロ野球選手。
安藤 治久(あんどう はるひさ、1937年4月3日 - )は… 安藤 治久(あんどう はるひさ、1937年4月3日 - )は、静岡県伊豆の国市出身の元プロ野球選手(投手)。
市野 道弘(いちの みちひろ、1937年〈昭和12年〉1月1… 市野 道弘(いちの みちひろ、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2019年〈平成31年〉10月28日)は、日本の写真家(富士山)。静岡県駿東郡小泉村久根出身。35年以上、富士山だけを被写体に、写真撮影を行った。現代の写真家では珍しく、リバーサルフィルムだけを使用した写真撮影にこだわった。主に使用していた機材は、HASSELBLAD 503CW(ハッセル・ブラッド)、FUJIFILM GA645Zi(フジフイルム)である。リバーサルフィルムは、FUJIFILM Velvia100 Professional(フジフイルム)を多用した。元フォトクラブ赤富士&岩波会長。元矢崎総業常務取締役。元(株)エーライフ矢崎社長。