安間 貴義(あんま たかよし、1969年5月23日 - )は… 安間 貴義(あんま たかよし、1969年5月23日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 静岡県浜松市出身。出身校は浜松市立泉小学校、浜松市立高台中学校、静岡県立浜松商業高等学校、駒澤大学。 1992年より本田技研でプレー。選手としては引退まで一貫してプロ契約であった。旧姓は大仲、1998年より安間で登録されている。 ポジションは主にMF(ボランチ)で、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)・日本フットボールリーグ(JFL)と跨いで現役通算10年、ベストイレブンに4回選出され、1998年の旧JFLではフェアプレー賞を受賞、現行のJFLにおいて1999年にMVPを受賞した。
平沢 政輝(ひらさわ まさき、1969年4月25日 - )は… 平沢 政輝(ひらさわ まさき、1969年4月25日 - )は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはFW(センターフォワード)。東京都大田区出身。 父親の転勤もあって小学時代は埼玉県浦和市(現在のさいたま市)、中学時代は広島県といったサッカー王国と呼ばれた地域で過ごし、小学時代はFC浦和 の一員として全日本少年サッカー大会3位入賞と優秀選手に選出。中学時代はさいたま市立大谷口中学校に進学、父親の転勤にともない途中転校しクラブチームの大河FC でサッカーを学んだ。 高校進学の際には静岡県の東海大一高校へ越境入学。ポジショニングが良く、左足とヘディングを得意とした。2年時の1986年に沢登正朗やアデミール・サントスらと共に高校サッカー選手権に初出場し優勝。
加藤 寿一(かとう としかず、1969年4月22日 - )は… 加藤 寿一(かとう としかず、1969年4月22日 - )は、静岡県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA公認A級コーチ)。 吉田中学時代、平木隆三監督のもと、礒貝洋光・菊原志郎らと共に1984年第1回アジアジュニア選手権に出場。藤枝東高校を卒業後、筑波大学へ入学。高校と大学の先輩に中山雅史。 大学を卒業後、ミズノに入社。その後はサンフレッチェ広島担当として働く。 1995年にゴールキーパーコーチとしてサンフレッチェ広島へ入団。同年、正GKの前川和也が負傷してしまい、控えの河野和正・2年目の下田崇・ルーキーの玉田真人の3人だけになり、しかも下田がU-20日本代表に選ばれワールドユースに出場し不在になるため、緊急事態にそなえ選手登録された。
加藤寿一(かとう としかず、1969年4月22日 - )は、… 加藤寿一(かとう としかず、1969年4月22日 - )は、静岡県出身のサッカー指導者(JFA公認A級コーチ)。現Jリーグ・サンフレッチェ広島ジュニアユースGKコーチ。
熊埜御堂 智(くまのみどう さとし、1969年4月5日 - … 熊埜御堂 智(くまのみどう さとし、1969年4月5日 - )は、東京都出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 東海大一高では、冬の選手権で優勝を経験。国士舘大学、NTT関東を経て、1995年に柏レイソルに加入、1996年にモンテディオ山形。現役引退後に町田FCコーチ、東京農業大学監督
北村 邦夫(きたむら くにお、1968年8月4日 - )は、… 北村 邦夫(きたむら くにお、1968年8月4日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。 1968年8月4日静岡県生まれ。静岡学園高校卒業後、本田技研工業フットボールクラブ、ガンバ大阪で活躍。1994年から1995年にかけてガンバ大阪でディフェンダーおよびミッドフィールダーとして出場した。1996年シーズンは出場機会がなく、同年に引退。 1989年に北村はオランダで開催されたフットサル世界選手権にフットサル日本代表として選出された。
杉山 学(すぎやま まなぶ、1968年7月24日 - )は、… 杉山 学(すぎやま まなぶ、1968年7月24日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW。 静岡北高校、国士舘大学卒。1992年に清水エスパルスへ入団。その後NEC山形(現・モンテディオ山形)を経て、1996年から1998年までアルビレオ新潟FC/アルビレックス新潟でプレーした。 現在も新潟のサッカー界で活動をしており、JAPANサッカーカレッジコーチや監督をつとめた後、2003年に新潟経営大学サッカー部の監督に就任し、総理大臣杯や全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)出場に導いた。また、東口順昭や新井直人筆頭に多くのJリーガーを輩出した。なお、2020年より同部の部長を務めている。
青嶋 文明(あおしま ふみあき、1968年7月12日 - )… 青嶋 文明(あおしま ふみあき、1968年7月12日 - )は静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。
遠藤 孝弘(えんどう たかひろ、1968年7月7日 - )は… 遠藤 孝弘(えんどう たかひろ、1968年7月7日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 中央防犯在籍時には日本サッカーリーグ2部のベストイレブンに選出される。 Jリーグ昇格を実現する為、ホームタウンを藤枝市から福岡市に移したブルックスにも参加し、唯一の生え抜き選手として1995年のクラブ悲願のJリーグ昇格に貢献。 クラブ名をアビスパ福岡と改称した翌年には念願のJリーグの選手としてリーグ初戦から出場し、第13節には初得点も上げるなど活躍するもその年に戦力外通告を受け退団する。 その後、佐川急便東京SCから出身地の島田市をホームタウンとする矢崎バレンテに移籍する。
内藤 直樹(ないとう なおき、1968年5月30日 - )は… 内藤 直樹(ないとう なおき、1968年5月30日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手(DF)・サッカー指導者。現在は清水エスパルス強化部長。 東海大一高校3年次に第65回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。同学年には大嶽直人、1学年下には澤登正朗、三渡洲アデミールらがいた。中央大学卒業後、日立製作所へ。大学時代の2年後輩に、のちに日立入りする沢田謙太郎がいる。Jリーグ発足後に清水エスパルスに加入。クラブ草創期のDFの中心選手として活躍した。1996年、守備陣の層の薄かったサンフレッチェ広島へレンタル移籍。翌1997年にヴィッセル神戸へ移籍し2年間プレーし引退。 引退後は母校である東海大翔洋高校の監督・コーチを務めたあと、2006年から清水エスパルスのスカウトを務めた。
加藤 慎一郎(かとう しんいちろう、1968年4月17日 -… 加藤 慎一郎(かとう しんいちろう、1968年4月17日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。 清水東高校では1学年上に武田修宏、同期に塩川哲也や長澤徹がいる。 法政大学を経て1991年に日本サッカーリーグのNKKサッカー部に加入。1991年3月17日に行われたJSL1部第15節の三菱自動車戦でデビューすると、1990-91シーズンにはリーグ戦8試合に出場し1アシストを記録した。 1993年、日本プロサッカーリーグの清水エスパルスへ移籍。2シーズンに渡り在籍したが、トップチームでの出場機会はなく、1994年限りで退団した。 引退後はサッカー指導者となり、清水の育成組織のコーチや監督を歴任している。
佐野 友昭(さの ともあき、1968年4月14日 - )は、… 佐野 友昭(さの ともあき、1968年4月14日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。
塩川 哲也(しおかわ てつや、1968年4月10日 - )は… 塩川 哲也(しおかわ てつや、1968年4月10日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 清水東高校では1学年上に武田修宏、同期に長澤徹らがいる。3年時には高校総体に出場したが、高校選手権は静岡県予選決勝で東海大学第一高校に敗れた。 高校卒業後に順天堂大学へ進学し蹴球部に入部。同期に大嶽直人、1学年下に森山泰行らがいる。4年時の1990年には主将を務めると中盤を牽引し、関東大学選手権、総理大臣杯、関東大学リーグの三冠獲得に貢献した。 1991年に日本サッカーリーグ1部の松下電器産業サッカー部に加入。1990-91シーズンのJSL1部第11節で追加登録され、同年3月24日に行われた本田技研戦でデビュー。
山田 泰寛(やまだ やすひろ、1968年2月13日 - 2… 山田 泰寛(やまだ やすひろ、1968年2月13日 - 2013年4月8日)は、広島県広島市南区出身のサッカー選手、サッカー指導者、常葉大学サッカー部監督。 広島市の少年サッカークラブ・大河FCから、静岡県の東海大学第一高校(現・東海大学付属翔洋高校)へ進学。 1986年に早稲田大学に進学し、同大学ア式蹴球部に入部。同年に日本ユース代表に選出され、AFCユース選手権1次予選に出場した。1990年にJSL1部のヤンマーに入団するも、Jリーグ創設に伴い発足した清水エスパルスへ移籍し、左サイドバックとしてプレー。オーバーラップを武器として、1992年から1995年までの間にJリーグ通算31試合に出場した。
森下 仁之(もりした ひとし、1967年12月9日 - 20… 森下 仁之(もりした ひとし、1967年12月9日 - 2025年6月25日)は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 国士舘大学を中退し、1987年に発足したPJMフューチャーズ(1995年に鳥栖フューチャーズへ改称)に入団。チームが解散した1996年に現役を引退した。 1997年より母校の静岡県立浜名高等学校のコーチに就任。2001年よりコンサドーレ札幌U-15コーチに、2002年に札幌U-15監督にそれぞれ就任。2007年に札幌の育成部部長を務めた。2008年、ジュビロ磐田U-15コーチに就任。 2009年、アビスパ福岡トップチームヘッドコーチに就任。同年11月18日から2011年まで福岡のチーム統括部長を務めた。
中山 雅史(なかやま まさし、1967年9月23日 - )は… 中山 雅史(なかやま まさし、1967年9月23日 - )は、静岡県志太郡岡部町(現:藤枝市)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード(センターフォワード)。 日本プロサッカー選手会名誉会長。愛称の「ゴン」「ゴン中山」は元サッカー選手の鋤柄昌宏がつけた。これは大学時代、当時の先輩に「オレたちひょうきん族に登場したビートたけし扮する鬼瓦権造に顔が似ている」と言われたことから。ほかに、中山隊長、隊長の愛称がある。1996年から1998年までジュビロ磐田でキャプテンを務めた。 日本代表として1998 FIFAワールドカップ、2002 FIFAワールドカップにも出場。1998年のFIFAワールドカップ本大会で日本代表のW杯初ゴールを決めている。
江尻 篤彦(えじり あつひこ、1967年7月12日 - )は… 江尻 篤彦(えじり あつひこ、1967年7月12日 - )は、静岡県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 清水商業高校時代(同級生に真田雅則・望月敬之)の3年次は主将を務め、1985年の全国高校選手権において初優勝を果たした。 その後は明治大学を経て1990年に古河電工に入団。Jリーグ参入し名称がジェフユナイテッド市原となった1993年には日本代表に初選出された。 引退後は千葉の育成部門のコーチとなり、2000年から5シーズンはトップチームのコーチとして監督のズデンコ・ベルデニックやイビチャ・オシムを支えた。その後2005年から2シーズンはアルビレックス新潟のコーチ、2007年から2シーズンはU-23日本代表コーチとしてチームの北京オリンピック出場にも貢献した。
杉本 雅央(すぎもと まさお、1967年6月26日 - )は… 杉本 雅央(すぎもと まさお、1967年6月26日 - )は、元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 順天堂大学在籍時に日本代表Bとして参加した第9回アジア・カップの予選全4試合(国際Aマッチに相当する公式戦だが、日本代表Bとしての出場のため日本サッカー協会は記録から抹消)に出場 したほどの小柄だが運動量豊富なテクニシャン。 大学卒業後は、ヤマハ発動機に正社員(総合職)で入社し、GHP営業部に配属された。また同期入社の中山雅史と同じくヤマハ発動機サッカー部に入部した。しかし、Jリーグ開幕の1993年にJリーグ参加の叶わなかった為、ヤマハ発動機を退社。 清水エスパルスに移籍し、1996年を最後に引退した。
武田 修宏(たけだ のぶひろ、1967年5月10日 - )は… 武田 修宏(たけだ のぶひろ、1967年5月10日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロサッカー選手、スポーツコメンテーター、タレント。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。 Jリーグ通算94ゴール(8位タイ)、日本サッカーリーグ(JSL)新人王、MVP、ベストイレブンはJSL時代3回、Jリーグ時代1回の記録を持つ。 静岡県浜松市で、トラック運転手の父と看護婦の母との間に生まれる。兄がいる。小学校1年の頃にサッカーを始めた。少年時代から静岡県内では天才サッカー少年と呼ばれ、浜松市立丸塚中学校2年時には東海選抜に選出され全日本選抜中学生サッカー大会で優勝、3年時には日本ジュニアユース代表に選出されシンガポールで開催されたライオンシティカップに出場し、得点王となった。
三浦 知良(みうら かずよし、1967年〈昭和42年〉2月2… 三浦 知良(みうら かずよし、1967年〈昭和42年〉2月26日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の日本のプロサッカー選手。Jリーグ・福島ユナイテッドFC所属。ポジションはフォワード。元サッカー日本代表、元フットサル日本代表。 Jリーグ史上最高齢の54歳でJ1リーグでプレーした経験を持つ。ポルトガルリーグ最年長出場記録保持者(56歳)。愛称は「カズ」。 日本代表としてもFIFAワールドカップ初出場に貢献。ワールドカップ地区予選では総得点を27点記録するも、ワールドカップ本大会へは未出場。Jリーグ年間最優秀選手賞1回、得点王1回、ベストイレブンを2回受賞、1993年にアジア年間最優秀選手賞を受賞。釜本邦茂と共に、国際Aマッチ1試合で6得点の日本代表1試合最多得点記録、通算得点記録(55得点)を持つ(2011年時点)。
江本 城幸(えもと じょうこう、1966年4月9日 - )は… 江本 城幸(えもと じょうこう、1966年4月9日 - )は、富山県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。 富山県富山市の出身で、小学6年時に岩瀬少年団の一員として全日本少年サッカー大会に出場し優秀選手に選出された。 中学から高校にかけて郷里の富山を離れて静岡県にサッカー留学。東海大学第一高校では2学年上に行徳浩二、同期に郷司弘和、1学年下に杉本雅央や山田泰寛らがいる。1年時には日本ジュニアユース代表に選ばれ、シンガポールで開催されたライオンシティカップ(16歳以下の国際大会)に出場した。高校選手権は1年時と3年時の静岡県予選で決勝進出を果たすも、1年時は清水東高校に、3年時は藤枝東高校に敗れたため出場はならなかった。
向島 建(むこうじま たつる、1966年1月9日 - )は、… 向島 建(むこうじま たつる、1966年1月9日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手である。ポジションはFW。現在は川崎フロンターレの強化部スカウト。
三浦 泰年(みうら やすとし、1965年7月15日 - )は… 三浦 泰年(みうら やすとし、1965年7月15日 - )は、静岡県静岡市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手、サッカー解説者であり、元日本代表。現役時代のポジションはDF、(MF)。 静岡学園高校時代からテクニシャンとして名を馳せたが、全国の舞台とは無縁であった。同期には向島建がいる。1984年に卒業し、ブラジルのサントスFCでのサッカー留学を経験した。 1986年に読売サッカークラブに入団。1990年に弟知良も読売に入団した。1991年3月10日、ヤマハ発動機戦では、高校時代以来となる知良からのアシストでのゴールを決めた。 Jリーグ発足に伴い、1992年に前身となるチームを持たず新規に立ち上げられた清水エスパルスに移籍し初代主将を務める。
半田 悦子(はんだ えつこ、1965年5月10日 - )は、… 半田 悦子(はんだ えつこ、1965年5月10日 - )は、静岡県清水市(現在の静岡市清水区)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはフォワード。 清水市立入江小学校の3年(1974年)からサッカーを始める。1980年に清水第八SCに入団して、チームの一員として全日本選手権7連覇を果たし、1982年の第3回全日本女子サッカー選手権大会では最優秀選手に選ばれた。 1989年に清水第八SCの選手らによって発足した鈴与清水FCラブリーレディース(1989年は清水FCレディース)へ移籍して日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)に参加した。1991年には静岡県体育協会から優秀選手章を木岡二葉らとともに受賞し、第8回(1996年)まで131試合出場70ゴールを記録した。
行德 浩二(ぎょうとく こうじ、1965年1月28日 - )… 行德 浩二(ぎょうとく こうじ、1965年1月28日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー協会公認S級コーチライセンス保有。 サッカー選手の行德瑛は子にあたる。 ユース代表の経験を持ち、西ドイツ留学後、日本サッカーリーグのトヨタ自動車に加入し、3シーズンにわたってプレーした。Jリーグの発足を前に引退。 1994年以降、清水エスパルスのコーチングスタッフを歴任。2002年3月にJFA公認S級コーチライセンスを取得。2003年12月にはリーグ終了後に解任された大木武監督に代わってトップチーム監督に就任。天皇杯で清水をベスト4に導いた。2005年には清水エスパルスユース監督としてJユースカップに優勝した。
久保山 雅彦(くぼやま まさひこ、1964年12月29日 -… 久保山 雅彦(くぼやま まさひこ、1964年12月29日 - )は、静岡県焼津市出身の元サッカー選手。ポジションはFW、MF。 現在、日本経済大学サッカー部の監督を務めている。
膳亀 信行(ぜんがめ のぶゆき、1964年5月27日 - )… 膳亀 信行(ぜんがめ のぶゆき、1964年5月27日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー (GK)。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)に生まれる。小学校5年生でサッカーを始め、6年生からGKを務めた。静岡県立清水東高等学校に進学し、1年生時からレギュラー選手となる。全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会(インターハイ)では1年生時から連覇を達成する一方、全国高等学校サッカー選手権大会では2年生時まで優勝を経験できなかった。膳亀の学年は1学年上に沢入重雄、反町康治、望月達也、1学年下に長谷川健太、大榎克己、堀池巧がおり、彼らに挟まれた「谷間の年」と言われたが、3年生時の1982年度の第61回全国高等学校サッカー選手権大会(3年生は進学を控えた時期の大会ながら9人が部に残留)では準決勝まで4戦連続で完封、決勝の山梨県立韮崎高等学校戦で1点を失ったものの4-1で勝利し、清水東高校に初の全国優勝をもたらした。
牧田 有史(まきた ゆうし、1964年1月10日 - )は、… 牧田 有史(まきた ゆうし、1964年1月10日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 静岡県立清水東高等学校では望月達也、反町康治、澤入重雄と同期。2年時の高校総体では優勝、高校選手権では準優勝した。 東京農業大学を経て1986年、日本サッカーリーグのマツダサッカークラブに加入。1991-92シーズンにはリーグ戦5試合に出場し1得点1アシストを記録した。プロ化によりサンフレッチェ広島へ移行後も1992年までプレーした[要出典]。
澤入 重雄(さわいり しげお、1963年5月8日 - )は、… 澤入 重雄(さわいり しげお、1963年5月8日 - )は、静岡県清水市(現:静岡県静岡市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW(センターフォワード)。JFA公認S級コーチ(2004年取得)。 静岡県立清水東高等学校時代は望月達也、反町康治らと共に高校総体2連覇(1980、1981年度)、高校選手権準優勝(1980年度)に貢献。法政大学を経て、1986年に日本サッカーリーグ2部のトヨタ自動車へ入部。打点の高いヘディングを武器に センターフォワードとして活躍し、Jリーグの発足により名古屋グランパスエイトとなってからも活躍、初代主将を務めた。1995年に現役引退。 引退後は名古屋のスタッフを経て、中京大学の監督を務め後進の指導に努めたほか、中日スポーツ評論家、東海テレビの『グランパスExpress』解説等を務めた。
望月 達也(もちづき たつや、1963年4月20日 - )は… 望月 達也(もちづき たつや、1963年4月20日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手・指導者。 清水東3年時の高校選手権、FW沢入重雄やMF反町康治らと共にエースとして活躍したが準優勝に終わる。 当時の高校選抜のメンバーとしてヨーロッパ遠征に参加した際、オランダサッカー協会コーチであったハンス・オフトに見初められる。卒業後の1982年6月にオランダに渡り、同年7月にエールディヴィジ(オランダ1部)のHFCハーレムにアマチュア契約で入団。第4節アウェイのフローニンゲン戦、69分から途中出場でデビューを果たすも、82-83シーズンは2試合(途中出場計37分)の出場に留まった。翌83-84シーズンは第10節ホームでのAZ戦で初先発を果たし70分までプレーしたが、以降エールディビジでの出場機会には恵まれなかった。
松永 英機(まつなが ひでき、1963年2月8日 - )は、… 松永 英機(まつなが ひでき、1963年2月8日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 大阪商業大学サッカー部時代は全日本大学選手権2連覇を果たした。卒業後は[要出典]松下電器産業サッカー部(現:ガンバ大阪)でプレー。 引退後は松下電器およびプロ化したG大阪や、ヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ1969)で指導者経験を積む。またこの間、日本サッカー協会の強化委員スタッフに加わり、アトランタ五輪ではスカウティングスタッフとして対戦相手チームを分析。マイアミの奇跡と呼ばれるブラジル戦での勝利に貢献した。 1999年にはV川崎で初めてJリーグチームの監督を務める(ただし実質的な指揮は総監督の李国秀が執っていた。
倉田 安治(くらた やすはる、1963年2月1日 - )は、… 倉田 安治(くらた やすはる、1963年2月1日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 藤枝東高校3年次の高校選手権(1979年度)に出場、優勝候補の一角と目されたが1回戦敗退に終わった。卒業後は筑波大学に進学。4年次の1985年にユニバーシアード代表 に選出され、同年8月の神戸大会に出場しベスト4進出に貢献した。 1986年に本田技研工業に入部。また同年に日本代表に選出され、1987年のソウル五輪アジア予選など国際Aマッチ6試合に出場。1989 FIFAフットサル世界選手権にフットサル日本代表として出場した。北澤豪共々読売サッカークラブ所属選手として日本リーグ最終シーズンを過ごした。
大橋 昭好(おおはし あきよし、旧姓:菅藤、1962年12月… 大橋 昭好(おおはし あきよし、旧姓:菅藤、1962年12月11日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。 藤枝東高校2年時に高校選手権に出場し、初戦敗退。 卒業後の1981年に日本サッカーリーグのヤマハ発動機(後のジュビロ磐田)に加入。2年目の1982年シーズンに出場機会を得ると、JSL2部優勝に貢献。天皇杯では決勝のフジタ工業戦を無失点に抑えてチームの初優勝に貢献した。 翌1983年、大学NO.1キーパーと称され、後に日本代表となる森下申一が加入すると、出場機会を失うようになった。「シュートに対する反応の早さ」が持ち味の森下に対して、1対1の強さに定評があったが、ヤマハではJSL1部通算12試合出場に留まった。
松永 成立(まつなが しげたつ、1962年8月12日 - )… 松永 成立(まつなが しげたつ、1962年8月12日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。元日本代表。 静岡県浜松市で運送業を営む家庭の三人兄弟の末っ子として生まれる[要出典]。当時の浜松地区はサッカーよりも野球の方が盛んであり、松永も浜松市立飯田小学校時代に入学すると野球チームに所属していた。しかし監督と対立して退部すると小学6年生からはサッカー少年団に加入し、本格的にサッカーへの道へと進んだ。なお、当時から長身であったこともあり、ゴールキーパーを務めるようになった。中学校は浜松市立東部中学校へ進学。ここでもゴールキーパーを務め3年次には静岡県大会決勝まで駒を進めたが、準優勝に終わった。
池谷 友良(いけや ともよし、1962年6月17日 - )は… 池谷 友良(いけや ともよし、1962年6月17日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、ロッソ熊本(現:ロアッソ熊本)の初代監督であり、ロアッソ熊本を運営する株式会社アスリートクラブ熊本の代表取締役社長も務めた。現在はFC今治のグローバル事業部スタッフとして所属している。 静岡県立浜名高校時代は全国大会の出場経験はないが、3年生の時に国体の静岡県選抜の一員として優勝。中央大学に進学し、卒業後日立製作所サッカー部(現在の柏レイソル)に入部。当時の日立製作所サッカー部は日本サッカーリーグの1部と2部の往復生活で、池谷もそれほど出場機会が多くないこともあり、選手としては全国区になれないまま29歳で引退した。
内田 一夫(うちだ かずお、1962年4月18日 - )は、… 内田 一夫(うちだ かずお、1962年4月18日 - )は、日本の元サッカー選手で、サッカー指導者。 全国有数のサッカーの街である清水市(現・静岡市清水区)に生まれ育ち、高校は清水東高校に進学。この世代の清水東は全盛期が始まった頃であり、一学年上に大木武と望月一頼、一学年下に反町康治、沢入重雄、望月達也などのちにJリーグの選手や監督として活躍する人物がいた。内田本人も3年次に高校総体で優勝、選手権大会で準優勝、さらに国民体育大会では静岡県選抜チームに選ばれ優勝を経験。大学は駒澤大学へ進み、一学年下の佐久間悟とプレーした。社会人では清水市役所に勤務する傍ら、地元サッカークラブクラブでプレー。また、東京大学の研究生として浅見俊雄の下でフィジカルトレーニングの指導を2年間受けている。
池田 司信(いけだ しのぶ、1962年1月5日 - )は、静… 池田 司信(いけだ しのぶ、1962年1月5日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 選手時代には日産自動車で活躍し、のち松下電器でもプレー。引退後は日本体育協会公認A級コーチ、日本サッカー協会公認S級コーチの資格を取得。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するガンバ大阪やアビスパ福岡のコーチ、日本女子代表監督などを歴任。2007年から2008年までツエーゲン金沢の監督を務めた。
望月 一頼(もちづき かずより、1961年11月20日 - … 望月 一頼(もちづき かずより、1961年11月20日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手 (GK)、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。筑波大学卒業。 清水東高出身。同期に大木武、二年先輩に内山篤、一年後輩に内田一夫、二年後輩に反町康治や望月達也・沢入重雄らがいる。1977年高1時、高校では控え選手だったが偶然松本育夫日本ユース代表監督の目にとまり、地元開催の1979 FIFAワールドユース選手権に出場するユース日本代表に選出されるも、最終的には本選出場選手に選ばれなかった。 高校卒業後、筑波大学に進学した。一年先輩に松田浩、同期に風間八宏・鈴木淳、一年後輩に小野剛がいる。4年時にはキャプテンも務めた。
神戸 清雄(かんべ すがお、1961年8月2日 - )は、静… 神戸 清雄(かんべ すがお、1961年8月2日 - )は、静岡県出身のサッカー選手、サッカー指導者。 選手時代は本田技研サッカー部(現・Honda FC)でプレー。引退後は本田技研サッカースクールコーチを経て、1991年から2001年までジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)で各年代コーチを歴任。2000年と2001年には監督代行も経験した。 2002年からは日本サッカー協会強化スタッフとしてフィリピン、グアムに派遣されて代表監督を務める。 2005年からは名古屋グランパスエイトでユース年代の指導にあたり、2008年からはトップチームのコーチに就任し、シーズン終了後退団。 2009年、日本サッカー協会から北マリアナ諸島へサッカー代表監督として派遣される。
山田 松市(やまだ まついち、1961年2月21日 - )は… 山田 松市(やまだ まついち、1961年2月21日 - )は、静岡県沼津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 国士舘大学で教員免許を取得、一時は教員を志したが、本田技研工業サッカー部の練習に参加した事から同サッカー部に入部。攻撃的MFとしてプレーした。 1990年に本田技研のヘッドコーチに就任。1992年にはJリーグ入りを目指すヤマハ発動機(現・ジュビロ磐田)に転じて、10年間にわたって磐田のコーチングスタッフとして活動する。 2002年から湘南ベルマーレのコーチに就任。2003年から就任したサミアが監督を辞任したため、2003年5月に湘南の監督に就任。翌2004年シーズンも引き続き指揮を執ったが低迷し、7月に解任された。
森下 申一(もりした しんいち、1960年12月28日 - … 森下 申一(もりした しんいち、1960年12月28日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手。サッカー指導者。日本サッカー協会公認S級ライセンス取得。元日本代表。 静岡学園高校1年生の時に第55回全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝。東京農業大学卒業後の1983年にヤマハ発動機サッカー部(現・ジュビロ磐田)に入部後、直ちに正GKの座を獲得した。 1985年にサッカー日本代表に選出され、その年の1986 FIFAワールドカップ・アジア予選に参加。正GKに松井清隆の存在があった為に控えに甘んじたが、同年9月のアウェー、香港戦に出場。松井に劣らないスーパーセーブを連発。相手のラフプレーにも動じない冷静な守備で、1点は失うものの、2-1の勝利に貢献した。
杉山 誠(すぎやま まこと、1960年5月17日 - )は、… 杉山 誠(すぎやま まこと、1960年5月17日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 ポジションはDF。双子の弟の杉山実 も元サッカー選手である。 藤枝市立藤枝中央小学校でサッカーを始める。藤枝市立藤枝中学校3年次には全国中学校サッカー大会に出場し準優勝に貢献した。高校は地元の藤枝を離れ、静岡学園高校に進学。井田勝通監督の下で1年次に高校サッカー選手権準優勝。2年次には静岡県国体選抜に選出され、国民体育大会サッカー競技で優勝。3年次には日本ユース代表に選出、松本育夫監督の厳しい指導を受けた結果、最終メンバーに残り、1979年のFIFAワールドユース日本大会に出場した。 東京農業大学卒業後、1983年に日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部に加入。
柳下 正明(やなぎした まさあき、1960年1月1日 - )… 柳下 正明(やなぎした まさあき、1960年1月1日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 静岡県立浜名高等学校3年次に第56回全国高校サッカー選手権に出場。優勝候補と目されたが、1回戦で同じ優勝候補の北陽高校にPK戦の末敗退。東京農業大学在学中に1979 FIFAワールドユース選手権で3試合に出場した。 卒業後はヤマハ発動機サッカー部(後のジュビロ磐田)でDFとして活躍。1982年度の天皇杯優勝、1987年の日本リーグ優勝などに貢献した。本人は現役時代の自分を「もともとは激しいプレーヤー。だんだん経験を積み、また体もそんなに大きくなかったので、徐々にポジショニングや予測を生かしてボールを奪うという守備をするようになった」と回想している。
三浦 哲治(みうら てつじ、1959年10月15日 - )は… 三浦 哲治(みうら てつじ、1959年10月15日 - )は、日本のサッカー指導者・経営者である。 静岡県静岡市生まれ。静岡産業大学サッカー部(1994年創部)初代監督。静岡産業大学磐田ボニータ(2008年創部)初代監督。静岡SSUボニータ代表理事CEOを経て、現在は、サンヨークリーニング顧問•日本トリム顧問•静岡県サッカー協会評議員•静岡産業大学サッカー部アドバイザー、日ノ本学園サッカー部総監督兼学園アドバイザー、ブレス浜松取締役 甥(姉の子)はサッカー指導者の泰年とプロサッカー選手の知良。 小学校からサッカーを始めたが、当時は野球との掛け持ちで静岡県学童少年野球大会の優勝投手・主将を務めるなど両競技で活躍していた。
小川 佳実(おがわ よしみ、1959年6月23日 - )は静… 小川 佳実(おがわ よしみ、1959年6月23日 - )は静岡県出身の元サッカー審判員(国際主審)。アジアサッカー連盟 (AFC) 審判部長(レフェリーディレクター)、日本サッカー協会 (JFA) 審判委員長を歴任した。 静岡県立藤枝東高等学校を経て筑波大学体育専門学群に進学。在学中は蹴球部でプレーし、帰郷後高校教諭を務める傍ら、教員チームでもプレーをした。現役引退後審判としての活動を本格化させ、1994年のヤマザキナビスコカップでは決勝の主審も務めた。 1997年3月に教員を辞め、翌月から日本サッカー協会 (JFA) の職員となり、審判部部長代理としてサッカー審判関係の取りまとめに従事(この時の業務負担の兼ね合いから1998年に審判員としての活動から退いている)。
今井 雅隆(いまい まさたか、1959年4月2日 - )は、… 今井 雅隆(いまい まさたか、1959年4月2日 - )は、静岡県清水市(現・静岡県静岡市清水区)出身 の元サッカー選手、サッカー指導者。 興津中学校2年からGKを始め、静岡県自動車工業高校では国体優勝を経験、インターハイ全国大会では主将として出場しベスト8。国士舘大学を経て、本田技研で7年間プレーした。また、1989 FIFAフットサル世界選手権にフットサル日本代表として出場した。 1989年から1992年まで本田技研の監督を務めた後、2年間は本田技研の社員として働きながら日本サッカー協会のナショナルトレセンコーチを務めた。1995年からは名古屋グランパスエイトのサテライト監督やトップチームのコーチを務める(当時のトップチームの監督の1人にアーセン・ベンゲルがいた)。
芦川 昌彦(あしかわ まさひこ、1958年9月13日 - )… 芦川 昌彦(あしかわ まさひこ、1958年9月13日 - )は、静岡県出身のサッカー指導者、元サッカー選手。選手時代のポジションはゴールキーパー。現在はジェフユナイテッド市原・千葉レディースでGKコーチを務める。 静岡県立沼津工業高等学校卒業後、トヨタ自動車工業サッカー部でプレー。現役引退後、名古屋グランパスエイトのGKコーチとなり、ハーフナー・ディドの元でコーチング論を学んだ。 1995年からジェフユナイテッド市原のGKコーチを務めた後、2004年に名古屋に復帰した。
大野 聖吾(おおの せいご、1958年5月28日 - )は、… 大野 聖吾(おおの せいご、1958年5月28日 - )は、日本のサッカー指導者。元岐阜工業高等学校サッカー部監督。アルビレックス新潟の成岡翔は甥。 静岡県藤枝市出身。藤枝東高校3年時に静岡県選抜に選出され国体で優勝。高校卒業後に筑波大学へ進学すると大学選手権優勝2回(1979年、1980年)、関東大学リーグ優勝1回(1980年)に貢献。4年時の1980年には全日本学生選抜に選出されマラハリムカップに出場した。 卒業後は日本サッカーリーグの数チームからの誘いを固辞して教員の道を選び、岐阜藍川高校、岐阜工業高校、大垣北高校、大垣工業高校のサッカー部監督を歴任。 岐阜工業高校時代の1998年の高校総体では準優勝。
山本 昌邦(やまもと まさくに、1958年4月4日 - )は… 山本 昌邦(やまもと まさくに、1958年4月4日 - )は、静岡県沼津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元サムデイ所属。 国士舘大学時代から冷静な判断と鋭いタックルが売り物のディフェンダーとして将来を嘱望された。1977年、ユース代表に選出され、AFCユース選手権1977に出場。大学時代に1979年夏季ユニバーシアードのサッカー競技に代表として出場。1980年には日本代表として1982 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選に出場した。 1981年にジュビロ磐田の前身、ヤマハ発動機サッカー部に入団。1982年の日本サッカーリーグ2部優勝、1983年の天皇杯優勝に貢献。しかしDFとしては致命的ともいえる肩の脱臼癖が手術をしても完治せず、1987年に29歳で現役を引退した。
吉田 弘(よしだ ひろし、1958年2月11日 - )は、静… 吉田 弘(よしだ ひろし、1958年2月11日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 静岡県立静岡工業高等学校時代は攻撃的MFとしてプレー。3年次の全国高等学校サッカー選手権大会では石神良訓らと共に準優勝に貢献。 1980年に古河電工に加入。日本サッカーリーグにおいて2度の得点王(1981年、1985年)を獲得するなど、同サッカー部のエースストライカーとして活躍した。また日本代表としても1982年のアジア競技大会など、国際Aマッチ9試合に出場1得点を記録している。しかし1985年のリーグ戦は好調だったにも関わらず、1986 FIFAワールドカップ・アジア予選のメンバーに招集される事はなかった。