三重ノ富士 真豪(みえのふじ しんご、2002年9月7日 -… 三重ノ富士 真豪(みえのふじ しんご、2002年9月7日 - )は、三重県伊勢市出身で、伊勢ヶ濱部屋(入門時は宮城野部屋)所属の現役大相撲力士。本名は向中野 真豪(むかいなかの しんご)。身長180cm、体重175kg。最高位は西十両10枚目(2023年11月場所)。部屋公式ホームページによると、好物は海鮮系、趣味は音楽鑑賞、外食。座右の銘は「初志貫徹」。2023年9月場所から2025年11月場所までの旧四股名は天照鵬 真豪(てんしょうほう しんご)。 相撲は伊勢市立四郷小学校3年次から志摩市にある志友館相撲道場で始めた。小学校時代は3年次に白鵬杯優勝、5年次と6年次に全日本小学生相撲優勝大会で2連覇などの実績を残した。
朝玉勢 大幸(あさぎょくせい たいこう、1993年5月29日… 朝玉勢 大幸(あさぎょくせい たいこう、1993年5月29日 - )は、三重県伊勢市出身で、高砂部屋所属の現役大相撲力士。本名は玉木 一嗣磨(たまき かづま)。身長180.5cm、体重142.1kg。得意技は押し、叩き。最高位は東十両12枚目(2020年1月場所)。 伊勢市立浜郷小学校1年次から相撲を始め、地元の相撲道場(志友館相撲道場)に通った。志摩市立磯部中学校3年次に全国都道府県中学生相撲選手権大会で優勝の実績を残している。父親が近畿大学相撲部の監督と相撲部時代に同期だった縁で近畿大学付属高校に進学すると1年生から国体に出場し、2・3年次に高校総体で2年連続のベスト8や、3年次に国体ベスト4などの実績を残した。
千代の国 憲輝(ちよのくに としき、1990年7月10日 -… 千代の国 憲輝(ちよのくに としき、1990年7月10日 - )は、三重県伊賀市出身で九重部屋所属の元大相撲力士。本名は澤田 憲輝(さわだ としき)。身長182.0cm、体重148.0kg、血液型はA型。最高位は東前頭筆頭(2017年5月場所)。現在は年寄・佐ノ山。兄は同じく九重部屋に在籍した元大相撲力士の千代の眞。 寺院の息子として生まれ、幼少時から日本空手道 義心塾で空手を習うなど大の格闘技好きだった。4つ年上の兄・賢澄、2つ年上の姉と自身は共に父に厳しく拳骨で育てられたこともあって、数々の大会に出場し賞を独占するなどして「伊賀の澤田3兄弟」と全国に名が知れ渡るほどであった。幼少の頃、千代の富士ファンの父と九重部屋に名古屋場所宿舎へ稽古見学に行き力士の強さに感動したことから、小学4年生の時点で既に「将来は力士になる」と決めていたという。
志摩ノ海 航洋(しまのうみ こうよう、1989年7月11日 … 志摩ノ海 航洋(しまのうみ こうよう、1989年7月11日 - )は、三重県志摩市出身で、木瀬部屋所属の現役大相撲力士。本名は福薗 航洋(ふくぞの こうよう)。結婚前の旧姓は「濱口」。身長177cm、体重160.0kg。最高位は西前頭3枚目(2021年3月場所)。趣味はトレーニング、懐メロ(河島英五など)鑑賞。好物は肉、嫌いなものは寿司。目標とする力士は武双山、琴奨菊。ライバルは英乃海。 布施田小学校3年生の時に相撲を始め、地元の志友館相撲道場で稽古に励んだ。和具中学校(現:志摩中学校)在学中から松ヶ根部屋をはじめ複数の相撲部屋からスカウトはあったが、この段階では入門しなかった。小学校3年から中学校3年まで相撲の他に野球をやっていたが、あくまで相撲がメインであったため行ったのは基礎トレーニングのみであった。
德真鵬 元久(とくしんほう もとひさ、1984年5月13日 … 德真鵬 元久(とくしんほう もとひさ、1984年5月13日 - )は、三重県松阪市出身で木瀬部屋(閉鎖処分中は北の湖部屋)に所属した元大相撲力士。本名は白塚 元久(しらつか もとひさ)、愛称はしらっち。身長193cm、体重231kg、血液型はA型。最高位は西十両6枚目(2013年9月場所)。 幼少期には寛水流のフルコンタクト空手を習っており、中学校進学以前にすでに100kgに達する巨体であった。松阪市立久保中学校、三重高等学校を経て朝日大学に進学。高校在学時は柔道部に所属していたが、相撲部の試合にも出場して国体の三重県代表に選ばれた。大学4年生時には第66回西日本選抜学生相撲大会で個人の部準優勝、全国学生相撲選手権大会個人の部ではベスト16など活躍、大学卒業となる2007年3月場所新弟子検査を受験し合格、角界入りした。
2代 木村 要之助(にだい きむら ようのすけ、本名:奥野 … 2代 木村 要之助(にだい きむら ようのすけ、本名:奥野 真志(おくの まさし)、1975年2月4日 - )は、大相撲の幕内格行司である。三重県伊勢市出身。八角部屋所属。血液型はA型。 伊勢市立倉田山中学校在学中は野球に親しんでいたが、三重県相撲連盟の理事長を務める父親が12代東関(元関脇・高見山)と友人だった縁で東関部屋に入門することが決まり、中学校卒業後の1990年3月場所で初土俵を踏んだ。同期入門には3代木村銀治郎がいる。師匠は33代木村庄之助であり、1994年に師匠の若名乗りだった木村要之助の2代目を襲名した。 2006年3月場所から三重県出身者としては初めてとなる十両格に昇進、2015年5月場所から幕内格に昇進している。
燁司 大(ようつかさ だい、1973年9月25日 - 202… 燁司 大(ようつかさ だい、1973年9月25日 - 2025年8月11日)は、三重県松阪市出身で入間川部屋に所属した元大相撲力士。本名は鈴木 大司(すずき だいし)。現役時の体格は身長178cm、体重153kg、最高位は東前頭11枚目(2004年1月場所)。得意手は突き、押し。血液型はB型。趣味は音楽を聞く事等。 小学校4年生から相撲を始め、三重高等学校では全国大会に出場、日本大学に進み1993年の全国学生相撲個人体重別選手権大会で135キロ以上の部準優勝(優勝は谷村竜太(のち幕下・栃大揮)、3位に山本敏生(のち関脇・土佐ノ海))など活躍した。大学卒業後に入間川部屋に入門し、1996年1月場所に幕下付出で初土俵を踏んだ。
北尾 光司(きたお こうじ、1963年〈昭和38年〉8月12… 北尾 光司(きたお こうじ、1963年〈昭和38年〉8月12日 - 2019年〈平成31年〉2月10日)は、三重県津市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。第60代横綱。引退後は総合格闘家・スポーツ冒険家・武道家・プロレスラーなど、様々な肩書を名乗っていた。 横綱時代の四股名は双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ)。横綱まで昇進しながら幕内最高優勝を一度も経験せずに相撲界を去った力士でもあった。 幼少期に父親の影響で柔道を始めたが、津市立敬和小学校に土俵が完成してからは毎日のように相撲を取って相撲が徐々に好きになり、地元の商店街で出場を勧められた相撲大会で優勝してからはさらに好きになった。次第に対戦相手に困るようになると、立浪部屋後援会会員の中にアマチュア相撲三段の腕を持ち「津相撲クラブ」の責任者を務める人物から指導を受け、津市立東橋内中学校へ入学して以降は立合いの当たりで対戦相手を土俵下まで吹っ飛ばすほどの実力を付けた。
志州山 真国(ししゅうやま まさくに、1959年6月22日 … 志州山 真国(ししゅうやま まさくに、1959年6月22日 - )は、三重県鳥羽市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は木下 昌彦。最高位は東幕下筆頭。194cm、114kg。 鳥羽市立菅島中学校(現在の鳥羽市立鳥羽東中学校)時代はバレーボール部に所属、中学時代、身長は190cm、足のサイズは30cmもあり、靴は特注品でないと買えなかった。中学3年生の時に市の大会で学校は準優勝。バレーボールだけでなく他のスポーツからの勧誘もあった。三重ノ海を相撲界に入れた人から誘いがあり、出羽海が直々に自宅に来て「高校に入る」ことを条件に出羽海部屋への入門が決まった。高校は両国高校の定時制に通った(卒業か中退かは不明)。
琴風 豪規(ことかぜ ごうき、1957年4月26日 - )は… 琴風 豪規(ことかぜ ごうき、1957年4月26日 - )は、三重県津市出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士、演歌歌手。本名は中山 浩一(なかやま こういち)。江東区立深川第二中学校卒業。最高位は東大関。現役時代の体格は身長183cm、体重173kg。得意手は左四つ、寄り。元年寄・尾車。日本放送協会の大相撲専属解説者。スポーツ報知評論家。愛称は「ペコちゃん」。日本相撲協会退職後は、琴風 浩一(ことかぜ こういち)を名乗っている。 海軍相撲で鍛えた相撲好きの父(1989年、63歳で死去)の下に生まれる。中山少年が幼稚園児であった頃から家族と佐渡ヶ嶽部屋との縁はすでにできており、父は巡業で地元に佐渡ヶ嶽部屋一行が来ると送迎から夜の接待まで務めた。
巨砲 丈士(おおづつ たけし、1956年4月18日 - )は… 巨砲 丈士(おおづつ たけし、1956年4月18日 - )は、三重県四日市市出身で大鵬部屋(入門時は二所ノ関部屋)所属の元大相撲力士。本名は松本 隆年(まつもと たかとし)。最高位は東関脇。身長183cm、体重148kg。得意手は右四つ、寄り、上手出し投げ。時津風部屋所属の元十両筆頭・劍龍は父で、全日本選抜柔道体重別選手権大会で2度優勝するなど柔道選手として活躍した松本宣子は妹。歴代横綱13人との対戦は大相撲史上2位の記録。 中学時代は野球と空手を行い、野球の腕前は東邦高校から勧誘が来るほどのものであった。相撲には興味が無かったが大鵬の元兄弟子が近くに引っ越してきてその娘が松本と同級生になり、 そこから内弟子探しに奔走していた大鵬に連絡が渡って大鵬から松本へ電話がかかった。
三重ノ海 剛司(みえのうみ つよし、1948年2月4日 - … 三重ノ海 剛司(みえのうみ つよし、1948年2月4日 - )は、三重県松阪市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。第57代横綱。本名は石山 五郎(いしやま ごろう)。現役引退後は年寄として後進の指導に尽くし、日本相撲協会理事長、退職後は、相撲博物館館長を務めた。 幼少期は山で木を削って刀を作ったり、ターザンごっこをしたり、寺で三角ベースをやったりしていた。野球も少ししていたが、特別好きなチームはなく、好きな選手はいなかった。運動神経は悪かったため、野球ではチームの足を引っ張っていた。父が建設関係の仕事をしていたころは普通の生活を送っていたが、父が病気で倒れてからは途端に貧しくなった。以来、ベルトを買う金もなく、母の腰巻の紐で代用していたほどの貧窮家庭に育った。
大龍 隆寛(だいりゅう たかひろ、1944年10月15日 -… 大龍 隆寛(だいりゅう たかひろ、1944年10月15日 - 1999年7月27日)は、三重県鈴鹿市出身で友綱部屋に所属した元大相撲力士。本名は的場 猛(まとば たけし)。175cm、145kg。最高位は東十両6枚目。得意技は押し、右四つ。 1961年5月場所に初土俵。入門してから約1週間の間は気の小ささからか、淋しくて寝られなかったこともあった。1966年3月場所に十両昇進。以後十両を11場所務めたが、腰の重さと粘り強さに頼り過ぎる消極的な取り口であったせいか、負傷が多かった。特に、1970年1月場所で右足首を骨折してからは休場が続き、1970年5月場所限りで25歳で廃業。廃業後は1972年から鈴鹿市で肉料理店「まと場」を経営した。
柴田 勝久(しばた かつひさ、1943年12月4日 - 20… 柴田 勝久(しばた かつひさ、1943年12月4日 - 2010年1月16日)は、日本の元大相撲力士、元プロレスラー、レフェリー。三重県桑名市出身。 大鳴戸部屋(師匠は二瀬山)に入門して、柴田の四股名で1960年7月場所に16歳で初土俵を踏む。鉄扇(てっせん)と改名して1961年5月場所には序ノ口優勝、1963年9月場所には三段目優勝を果たした。この間、大鳴戸部屋と朝日山部屋の合併に伴い新・朝日山部屋所属となり、四股名も三重ノ山と改名した。しかし1966年9月場所限りで廃業、最高位は幕下35枚目。 プロレスへ転向、1966年に東京プロレスに入団して同年10月12日プロレスデビューした。1967年2月の東京プロレス崩壊後は、アントニオ猪木らとともに日本プロレスに移籍。
黒鷲 二千郎(くろわし にちろう、1940年11月10日 -… 黒鷲 二千郎(くろわし にちろう、1940年11月10日 - 没年不明)は、二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は東 二千郎(ひがし にちろう)(二千六百)。現在の三重県尾鷲市出身。181cm、113kg。最高位は東十両3枚目。得意技は左四つ、寄り。 1958年5月場所に初土俵。1967年11月場所に十両昇進し、5場所連続で在位。1970年1月場所限りで廃業。廃業後は名古屋市で料理店を経営した。
三平(さんぺい、1937年4月1日 - )は、大相撲の呼出。… 三平(さんぺい、1937年4月1日 - )は、大相撲の呼出。本名:伊藤三平。三重県一志郡一志町(現・津市)出身、高砂部屋所属。 小父は呼び上げの名人・多賀之丞。長兄も呼出であった(光之助)。 1950年9月初土俵。裁縫が得意で、呼出の袴の修繕を一手に引き受けていたという。 最終場所の初日の結びの一番で、柝の音を間違ったタイミングで鳴らしてしまうというハプニングがあった。
伊勢錦 貫二郎(いせにしき かんじろう、1929年10月18… 伊勢錦 貫二郎(いせにしき かんじろう、1929年10月18日 - 2001年12月14日)は、三重県四日市市出身で高嶋部屋に所属した元大相撲力士。本名は稲見 徳男(いなみ とくお)(旧姓伊藤)。引退後は若者頭(友綱部屋(高嶋を襲名していた巴潟の名跡変更によるもの)所属)として停年まで勤務した。177cm、92kg。最高位は西十両12枚目。得意技は左四つ、寄り。 1949年5月場所初土俵、1955年5月場所十両昇進。1958年9月場所で引退してからは若者頭に転じ、1994年10月定年退職。1999年まで間垣部屋で指導した。
冨田濱 正治(とみたはま まさじ、1914年4月27日 - … 冨田濱 正治(とみたはま まさじ、1914年4月27日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。高砂部屋から大山部屋に所属。三重県四日市市出身。本名は広瀬 政治(ひろせ まさじ)。最高位は西十両9枚目。得意技は左四つ、寄り。 1931年5月場所に初土俵。1939年5月場所に十両に昇進。この場所は6勝9敗と負け越した。関脇・高登が引退し大山部屋を興すとともに移籍し、その最初の場所である翌1940年1月場所でも3勝12敗と大きく負け越し、幕下に陥落した。1941年5月場所に27歳で廃業した。
太刀若 峯五郎(たちわか みねごろう、1903年(明治36年… 太刀若 峯五郎(たちわか みねごろう、1903年(明治36年)10月1日 - 1988年(昭和63年)8月13日)は、三重県度会郡宇治山田町(現在の伊勢市)出身で高砂部屋(入門時は友綱部屋)に所属した大相撲力士。本名は馬場 米藏(ばば よねぞう)。身長178cm、体重98kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は前頭6枚目(1937年1月場所)。 1917年(大正6年)に横綱・太刀山一行が伊勢に巡業に来た際に入門し、太刀山の内弟子として1918年(大正7年)1月場所に友綱部屋(前頭・海山太郎)から初土俵を踏んだ。この場所限りで太刀山が引退して年寄・東関を襲名して東関部屋を興したため移籍したが、1919年(大正8年)5月に行われた勝負検査役選挙での落選して廃業したため、高砂部屋(大関・2代朝潮)に移籍した。
四海波 静太夫(しかいなみ せいだゆう、1836年4月16日… 四海波 静太夫(しかいなみ せいだゆう、1836年4月16日(天保7年3月1日) - 1883年(明治16年)11月1日)は、伊勢国員弁郡(現在の三重県いなべ市員弁町大泉)出身で境川部屋、宮城野部屋、再度境川部屋に所属した力士。本名は水谷 清八。2代鏡山。身長体重不明。最高位は東前頭2枚目。 1859年11月境川部屋に入門し、故郷の大泉を四股名にしたが、伊勢ノ濱大五郎に改名。期待をされて盛岡藩の抱えになった。1871年4月、34歳で入幕。宮城野部屋に転籍して荒馬大五郎に改める(宮城野の婿になった為)。その後巡業中の女性問題から破門、同時に離縁され、四海波に改名して古巣に復帰。幕内上位を保っていたが三役昇進はならず、1879年6月限りで引退し鏡山を襲名。
宮城野 馬五郎(みやぎの うまごろう、1826年(文政9年)… 宮城野 馬五郎(みやぎの うまごろう、1826年(文政9年) - 1889年(明治22年)8月17日)は、伊勢国三重郡(現在の三重県四日市市)出身で宮城野部屋に所属した力士。本名は宮城野 馬五郎(旧姓近藤)。4代宮城野。身長体重不明。最高位は東小結。 1844年1月に宮城野部屋に入門し、一時は八戸藩の抱えになるほどに期待をされた。しかしなかなか番付が上がらず、入幕を果たしたのは1858年11月で既に数え33歳であった。師匠の元の四股名の荒馬大五郎を名乗り幕内を務めたが、引き分け・預かりが多く番付は小康状態であった。1866年に二枚鑑札となり、その後1868年7月に数え43歳で小結に昇進している。
勢イ 力八(いきおい りきはち、生没年不詳)は、現在の三重県… 勢イ 力八(いきおい りきはち、生没年不詳)は、現在の三重県四日市市智積町(旧・伊勢国三重郡)出身で境川部屋に所属した力士。本名は橋本 利八(はしもと りはち)。身長、体重共に不明。最高位は西前頭9枚目。 1871年4月場所に初土俵(序ノ口)。1878年6月場所に新十両(二段目8枚目となり十両相当となった)。1884年1月場所に新入幕。幕内は3場所務めたが、いずれも負け越しに終わった。1885年9月場所を最後に十両に陥落すると、以後も幕内に返り咲くことはなく、1887年5月場所後引退した。 まだ幕下だった頃、故郷に凱旋した際に歓迎の席にて、地元の有名人だった五俵力の男(米俵を5俵担ぐことができる。