西川 篤夢(にしかわ あつむ、2007年12月28日 - )… 西川 篤夢(にしかわ あつむ、2007年12月28日 - )は、三重県伊賀市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。広島東洋カープ所属。 上野東小学校では稲沢中央ボーイズ、桔梗ボーイズ、緑ルーキーズ、府中少年野球クラブ、緑ケ丘中学校では大阪箕面ボーイズに所属した。家族は両親と姉2人、兄1人。 神村学園伊賀では1年夏から背番号7でベンチ入りし、同秋から正遊撃手を務めた。遊撃に加え、2年秋からは投手も兼務。最終学年では主将を務めた。同3年夏の三重大会は打率4割超え。高校通算9本塁打。 2025年度新人選手選択会議において広島東洋カープから内野手として6位指名。この年の広島にとって唯一の高校生指名及び、神村学園伊賀出身の選手として初のプロ野球選手となった。
藤原 聡大(ふじわら そうた、2003年11月20日 - )… 藤原 聡大(ふじわら そうた、2003年11月20日 - )は、三重県伊賀市出身のプロ野球選手(投手)。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 リーグ通算20勝達成。花園大学時代は1年春からベンチ入りし、2年春には京滋大学リーグ優勝に貢献した。リーグ通算20勝5敗。 2025年のドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスから1位指名を受けた。花園大学からは初のドラフト指名であった。 11月14日に契約金1億円、年俸1600万円(推定)で契約合意に至った。 最速156km/hのストレート、スプリット、スライダー、カーブ、ツーシーム等といった多彩な変化球が持ち味。 大学時代には、自宅のある三重県伊賀市から京都市内の大学まで往復5時間かけて通学していた。
前川 右京(まえがわ うきょう、2003年5月18日 - )… 前川 右京(まえがわ うきょう、2003年5月18日 - )は、三重県津市出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)。左投左打。阪神タイガース所属。 津市立白塚小学校1年生の時にソフトボールを始め、津市立一身田中学校では硬式野球のクラブチームである津ボーイズでプレーした。 その後、智辯学園高等学校に進学。入部当初は投手として高い評価を受けており、小坂将商監督からも「エースになってくれよ。」と期待の言葉を掛けられたが、「投手はやりません。野手一本で行きます。」と宣言した。1年春から左翼手のレギュラーに定着し、同年夏から4番に座った。第101回全国高等学校野球選手権大会に出場し、八戸学院光星との初戦(2回戦)で2安打3打点を記録したが、チームは敗れた。
岡林 勇希(おかばやし ゆうき、2002年2月22日 - )… 岡林 勇希(おかばやし ゆうき、2002年2月22日 - )は、三重県松阪市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 兄は元プロ野球選手の岡林飛翔。 NPBにおける、21世紀生まれ初の打撃タイトル獲得者。 松阪市立徳和小学校2年時に2学年上の兄・飛翔と共に野球を始めると、松阪市立久保中学校時代は硬式チーム「松阪梅村リトルシニア」(現:奥伊勢松阪リトルシニア)でプレーする。小中学校の同級生に村田怜音が居た。 投手としてのプロ入りを目指し、他の強豪校の勧誘を蹴って兄が在学する三重県立菰野高等学校に進学すると、入学してすぐに141、2km/hを計測。3年夏は「エースで4番」として、チームを県大会ベスト4に導いた。
上田 大河(うえだ たいが、2001年11月15日 - )は… 上田 大河(うえだ たいが、2001年11月15日 - )は、三重県尾鷲市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 三重県尾鷲市で生まれ、尾鷲市立宮之上小学校1年生のときに『尾鷲野球少年団』で野球を始めた。小学校時代のチームメイトには2学年上に湯浅京己、1学年上に石伊雄太が居た。中学1年夏に大阪府へ引っ越し、大阪市立東生野中学校では硬式野球の『ナガセボーイズ』でプレーした。 大阪商業大学高校では1年春からベンチ入りし、2年秋から背番号1。3年春は大阪大会で優勝したが、3年夏は大阪大会3回戦で大商大堺に敗れた。 大阪商業大学に進学すると、1年秋からリーグ戦に登板し、2年春は4勝を挙げて平古場賞(新人賞)を獲得。
前 佑囲斗(まえ ゆいと、2001年8月13日 - )は、三… 前 佑囲斗(まえ ゆいと、2001年8月13日 - )は、三重県亀山市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 津田学園では3年時に春夏連続で甲子園に出場。春の甲子園では龍谷大平安を相手に9回までノーヒットに抑えるが、延長11回に2失点し敗北。同年夏の甲子園では初戦の静岡高校戦では11奪三振1失点で勝利を収めるが、続く2回戦では履正社を相手に3回9安打6失点と打ち込まれ、チームは7対3で敗退。その後侍U18代表メンバーに選出された。 2019年のドラフト会議では、オリックス・バファローズから4位指名を受け、11月13日に契約金4000万円、年俸550万円(いずれも推定)で仮契約を結んだ。
村田 怜音(むらた れおん、2001年8月4日 - )は、三… 村田 怜音(むらた れおん、2001年8月4日 - )は、三重県松阪市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 松阪市立徳和小学校3年時に地元の軟式チームである揥水野球少年団で野球を始め、松阪市立久保中学校では軟式野球部に所属。身長は中3の時点で190cmを超えていた。岡林勇希は小中学校の同級生。 三重県立相可高等学校では入学直後の打撃練習の際に右第一肋骨を骨折し、9か月間離脱。回復した2年時は4番を務めたが、得意の打撃は振わなかった。しかし猛練習の結果、1番打者となった3年春に打撃が一気に開花し、夏までに20本塁打を量産した。3年夏の三重県大会は3回戦で敗退し、甲子園出場は果たせなかった。
石伊 雄太(いしい ゆうた、2000年8月18日 - )は、… 石伊 雄太(いしい ゆうた、2000年8月18日 - )は、三重県尾鷲市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 尾鷲市立宮之上小学校4年時に「尾鷲少年野球団」で野球を始め、尾鷲市立尾鷲中学校へ進学後は「伊勢ボーイズ」に所属した。小学校の1学年下に上田大河がおり、野球団では上田および1学年上の湯浅京己とチームメイトの間柄だった。また、湯浅とは中学校時代の所属チームは違うが、学校は同じであった。 近畿大学工業高等専門学校では3年間で甲子園大会出場はなく、3年夏は三重大会2回戦で敗退した。 近大高専3年次修了後は近畿大学工学部へ進学。3年秋のリーグ戦で最優秀選手賞を受賞し、通算で4度ベストナインに選出された。
是澤 涼輔(これさわ りょうすけ、2000年4月19日 - … 是澤 涼輔(これさわ りょうすけ、2000年4月19日 - )は、三重県いなべ市出身のプロ野球選手(捕手・育成選手)。埼玉西武ライオンズ所属。 暁中学校時代は三重川越ヤングでプレー。 柘植世那に憧れて進学した健大高崎高校では2番手の控えとして過ごし、2年春に甲子園出場も自身はメンバーに入れず実績はなかった。高校の1学年先輩に湯浅大、同級生に山下航汰、2学年後輩に下慎之介、麦谷祐介(※ 1年次に大崎中央高等学校へ転校)がいる。 指定校推薦で進学した法政大学では、3番手の控え捕手であり試合ではもっぱらブルペン捕手を務めていた。4年春に東京六大学リーグ戦デビューし、通算4試合で3打数0安打。 2022年10月20日に開催された2022年度ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから育成4巡目で指名を受けた。
湯浅 京己(ゆあさ あつき、1999年7月17日 - )は、… 湯浅 京己(ゆあさ あつき、1999年7月17日 - )は、三重県尾鷲市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。 NPBにおける史上初・史上唯一の独立リーグ出身の投手タイトル受賞者かつ国際大会日本代表投手。 尾鷲市立尾鷲小学校4年時から「尾鷲野球少年団」で野球を始め、尾鷲市立尾鷲中学校時代は「伊勢志摩ボーイズ」でプレー、主に内野手を務めた。小学校時代のチームメイトには1学年下に石伊雄太、2学年下に上田大河が居て、石伊とは同じ中学に通っていた。 聖光学院高校への進学後まもない1年の5月に成長痛による腰痛を発症、完治するまでの間はマネージャーへの転身を余儀なくされた。2年秋に投手として選手に復帰し11月の練習試合で初登板、3年春の県大会で公式戦デビューを果たし、同大会決勝戦での先発にも抜擢された。
山本 晃大(やまもと こうだい、1999年4月23日 - )… 山本 晃大(やまもと こうだい、1999年4月23日 - )は、三重県南伊勢町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 南伊勢町立宿田曽小学校1年時に「伊勢リトル」で野球を始める。南伊勢町立南勢中学校では「伊勢ジャガーズ」に所属し、投手として活躍した。 高校は長野県の佐久長聖高等学校に進学。チームメイトに元山飛優らがいた。2年時の夏にチームは甲子園出場を果たすもベンチ外。3年夏に背番号10を背負い、県大会で控え投手としてベンチ入りを果たす。その後、4回戦の長野東高校戦に先発し、4回1失点の好投を見せた。しかし、チームは決勝の松商学園高校戦で敗退し準優勝に終わった。 進学した関西学院大学では1年秋からリーグ戦に出場。
一尾 星吏夏(いちお せりか、1999年4月5日 - )は、… 一尾 星吏夏(いちお せりか、1999年4月5日 - )は、三重県四日市市出身の元女子プロ野球選手。神戸弘陵学園高等学校卒。ポジションは投手。 2018年レイアに入団。 2019年に埼玉アストライアへ移籍した。11月1日、今季限りで女子プロ野球リーグを退団することが発表された。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
出口 匠(でぐち たくみ、1998年3月3日 - )は、三重… 出口 匠(でぐち たくみ、1998年3月3日 - )は、三重県桑名市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。2018年シーズンの登録名は「匠(たくみ)」。 10歳の頃に両親が離婚。様々な事情からどちらの親にも引き取られず、当時所属していた少年野球クラブチーム代表の娘の家庭に引き取られた。桑名市立正和中学校時代に名古屋フレンズボーイズへ所属。 津田学園高校への進学後は、1年時の夏から出場機会を得て中心選手として活躍。2年時の3月には、岐阜県立岐阜商業高校との練習試合で、髙橋純平から本塁打を放った。3年時の夏には、投手としても活躍。選手権三重大会の3回戦では、菰野高校の山田大樹と投げ合った末に、4-3のスコアでチームを勝利に導いた。
伊藤 裕季也(いとう ゆきや、1996年8月30日 - )は… 伊藤 裕季也(いとう ゆきや、1996年8月30日 - )は、三重県四日市市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 中学時代に四日市トップエースボーイズでプレーする。1年先輩に東克樹がいる。高校は日大三高に進学し、2年秋から外野手としてベンチメンバー入りしたが、秋の都大会では準決勝で髙橋優貴も登板した東海大菅生高に敗れるなど、全国大会出場はなかった。 大学は立正大学に進学すると、2年春から主に一塁手としてレギュラーを獲得する。4年時には二塁手に転向し、主将を務め小郷裕哉とともにクリーンナップを組み、同校初となる秋季リーグ優勝でMVP、ベストナインを受賞、神宮大会優勝の日本一に貢献した。
石垣 幸大(いしがき こうだい、1996年8月8日 - )は… 石垣 幸大(いしがき こうだい、1996年8月8日 - )は、三重県員弁郡東員町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 小学3年生秋から地元のスポーツ少年団の稲部スポーツ少年団で軟式野球を始める。三塁・外野手を経て小学4年生時から投手を務め、中学生時代は桑員ブルーナイン(現桑員ボーイズ)に所属。中学3年生の夏には日本代表として日中友好親善野球試合を経験した。 いなべ総合では1年生時から控え投手としてベンチ入り。2年秋よりエースとなり、県大会準決勝・三重戦で8回を6安打1四球で12奪三振を奪うなど、1失点完投したものの0対1で敗退したものの、翌日の3位決定戦では津田学園戦でも7回1失点と好投し、県大会3位で東海大会に進出した。
東 克樹(あずま かつき、1995年11月29日 - )は、… 東 克樹(あずま かつき、1995年11月29日 - )は、三重県四日市市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 四日市市立三重北小学校1年時から、軟式野球チームの「三重クラブ野球少年団」で野球を始める。四日市市立大池中学校時代には「四日市トップエースボーイズ」に所属。野茂英雄が総監督を務める「JUNIOR ALL JAPAN(NOMOジャパン)」の一員としてアメリカ遠征を経験した。 愛知県名古屋市の愛工大名電高校への進学後は、1年夏の選手権愛知大会で2試合に先発した。2年時にはチームが春夏連続で甲子園球場の全国大会に出場したが、1学年先輩で自身と同じ左投手の濱田達郎がエースだったことから、いずれの大会でも登板の機会がなかった。
辻 東倫(つじ はるとも、1994年8月11日 - )は、読… 辻 東倫(つじ はるとも、1994年8月11日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(内野手)。
中川 誠也(なかがわ せいや、1993年12月3日 - )は… 中川 誠也(なかがわ せいや、1993年12月3日 - )は、三重県多気郡明和町出身の元プロ野球選手(投手)。
西濵 幹紘(にしはま みきひろ、1993年8月4日 - )は… 西濵 幹紘(にしはま みきひろ、1993年8月4日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。
川崎 貴弘(かわさき たかひろ、1993年8月2日 - )は… 川崎 貴弘(かわさき たかひろ、1993年8月2日 - )は、三重県津市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。津市消防本部消防吏員。現在の姓は「前田」。 小学2年から西が丘スポーツ少年団でソフトボールを始める。津市立橋北中学校時代は軟式野球部に所属。 高校は、進学高である津東高に進学。2年夏は、三重県予選2回戦で敗退も、1回戦の名張高戦で5回参考完全試合を達成。 3年夏は、三重県予選3回戦でシード校の皇學館高に1-0で勝利するも、続く4回戦で津高に3-7で敗れる。結局、在学中には春夏とも、阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。 2011年プロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから5巡目で指名。
谷口 雄也(たにぐち ゆうや、1992年6月1日 - )は、… 谷口 雄也(たにぐち ゆうや、1992年6月1日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(外野手)。愛称は「谷口きゅん」。
加藤 匠馬(かとう たくま、1992年4月29日 - )は、… 加藤 匠馬(かとう たくま、1992年4月29日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(捕手)。
寺田 光輝(てらだ こうき、1992年1月5日 - )は、三… 寺田 光輝(てらだ こうき、1992年1月5日 - )は、三重県伊勢市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 内科・胃腸内科の医師として、伊勢市内で病院を開業している実父の長男として出生。伊勢市立厚生小学校(厚生イーグルス)3年時に軟式野球を始め、伊勢市立厚生中学校進学後は軟式野球部へ所属した。 三重県立伊勢高等学校への進学後は硬式野球部へ入部。甲子園球場での全国大会と無縁であったが、3年時の春季三重県大会では、チームを準決勝にまで導いた。 高校卒業後は三重大学教育学部に進学したが、「レベルの高さに圧倒された」とのことで、入学から2か月後に休学。祖父や叔父なども医師であったことを背景に、一時は医学部への転部を検討していた。
鬼屋敷 正人(きやしき まさと、1991年6月19日 - )… 鬼屋敷 正人(きやしき まさと、1991年6月19日 - )は、三重県南牟婁郡紀宝町出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 小学校時代は柔道と野球の2つの競技に取り組む。柔道も嫌いではなかったが野球の中学校時代は野球に取り組み、卒業後は甲子園出場を目指し「小学生の時によく柔道の試合で行っていた」という近畿大学工業高等専門学校へ進学した。 2009年、高専3年時に、遠投118メートル、二塁送球到達タイムが1秒64の強肩を誇る高校球界NO.1捕手として注目を集める。目立った実績は残していなかったが、その身体能力からプロ11球団が視察に訪れていた。しかし、鬼屋敷は5年制の高専生であることから野球協約の「日本の学校に在学している選手に対しては、選択会議開催の翌年3月卒業見込みのものに限り選択することができる」という規約に引っ掛かり、当初は3年生時点でのドラフト対象外であった。
西 勇輝(にし ゆうき、1990年11月10日 - )は、オ… 西 勇輝(にし ゆうき、1990年11月10日 - )は、オリックス・バファローズに所属する三重県三重郡菰野町出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。
山根 佐由里(やまね さゆり、1990年1月24日 - )は… 山根 佐由里(やまね さゆり、1990年1月24日 - )は、三重県度会郡度会町出身の女子ソフトボール選手(投手)。元ソフトボール日本代表。日本リーグ42連勝の記録保持者。 度会町立中川小学校4年生の時に地域のスポーツ少年団(現在の度会エンペラーズ)に入団。6年生の時に第15回全日本小学生大会に出場したが、1回戦で京都のホワイトビッキーズに敗れた。 2002年、度会町立度会中学校に進学。2年生の時にピッチャーを始めた。同年、全国中学校大会に出場したが登板機会は無かった。 2005年、三重県立宇治山田商業高等学校に進学。高校3年生に進級する直前の3月、練習中に右膝の前十字靭帯を断裂した。手術が必要な大怪我であったが、5月にインターハイが、6月には世界ジュニア選手権が控えていたため、手術を後回しにして試合に出場し続けた。
中井 大介(なかい だいすけ、1989年11月27日 - )… 中井 大介(なかい だいすけ、1989年11月27日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(内野手、外野手)。
高木 勇人(たかぎ はやと、1989年7月13日 - )は、… 高木 勇人(たかぎ はやと、1989年7月13日 - )は、三重県津市出身のプロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。ベースボール・チャレンジ・リーグの神奈川フューチャードリームス所属。 小学4年から野球を始め、三重・海星高校では投手として2年秋に県大会優勝、東海大会4強。3年夏は準決勝で中井大介がいた宇治山田商業高校に敗れた。プロ志望届を提出したが指名はなかった。 高校卒業後は社会人野球・三菱重工名古屋に7年在籍。都市対抗大会に6度出場(うち2度は補強選手)。最速153km/hの速球は各球団のスカウトからも注目され、毎年のようにドラフト候補に挙がっていた。制球の悪さがネックとなり指名を見送られ続けたが、2014年に大きく改善され、10月のドラフトにて読売ジャイアンツから3位指名を受け入団。
柴田 章吾(しばた しょうご、1989年4月13日 - )は… 柴田 章吾(しばた しょうご、1989年4月13日 - )は、三重県いなべ市出身の元プロ野球選手(投手・育成選手)。
池ノ内 亮介(いけのうち りょうすけ、1988年11月22日… 池ノ内 亮介(いけのうち りょうすけ、1988年11月22日 - )は、三重県伊賀市荒木出身の元プロ野球選手(投手)。
梅村 学人(うめむら まなと、1988年5月18日 - )は… 梅村 学人(うめむら まなと、1988年5月18日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(投手)。
山村 裕也(やまむら ひろや、1987年6月24日 - )は… 山村 裕也(やまむら ひろや、1987年6月24日 - )は、日本のプロ野球審判員。審判員袖番号は18(2016年までは56)。父は元プロ野球選手、元プロ野球審判員の山村達也。元プロ野球選手であり、現役時代のポジションは捕手。 八木学園高等学校時代は高校通算34本塁打、強肩強打の捕手として活躍。高校卒業後は大阪商業大学に進む。大阪商業大学硬式野球部時代は関西六大学リーグで4回ベストナインに選出され、NPBドラフト指名候補と目されるも、指名はかなわなかった。 2010年2月には、フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結ぶと発表されたが頓挫し、同年四国・九州アイランドリーグ(2011年より四国アイランドリーグplus)の徳島インディゴソックスに入団。
江川 智晃(えがわ ともあき、1986年10月31日 - )… 江川 智晃(えがわ ともあき、1986年10月31日 - )は、三重県度会郡二見町(現:伊勢市)出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属。
市川 卓(いちかわ すぐる、1986年6月7日 - )は、三… 市川 卓(いちかわ すぐる、1986年6月7日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(内野手)。
桑原 謙太朗(くわはら けんたろう、1985年10月29日 … 桑原 謙太朗(くわはら けんたろう、1985年10月29日 - )は、三重県名張市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。右投右打。 現役時代はオリックス・バファローズと阪神タイガースでプレーし、引退後は阪神でコーチを務める。 名張市立名張小学校の4年時に、地元の名張少年野球団で軟式野球を始めた。 三重県内にある津田学園高校への進学後に硬式野球部へ入部すると、1年秋から控え投手としてベンチ入り。3年時の春にエースの座をつかんだものの、在学中には甲子園球場での全国大会とは無縁で、卒業を機に奈良産業大学(現在の奈良学園大学)へ進学した。 奈良産業大学では、1年の秋季近畿学生野球リーグ戦で4勝。
谷元 圭介(たにもと けいすけ、1985年1月28日 - )… 谷元 圭介(たにもと けいすけ、1985年1月28日 - )は、三重県鈴鹿市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 三重県立稲生高等学校の1年時までは内野手だったが、肩の強さを買われて投手に転向。二番手投手ではあったが制球がよく、信頼される人物であった。スパイクやグローブなど大切に磨き、人一倍情熱を費やしていた。中部大学への進学後は、愛知大学野球のリーグ戦で、通算12勝20敗という成績を残した。3年時の2005年秋季リーグでは敢闘賞、4年時の2006年には春・秋季ともベストナインに選出。しかし、投手としては身長が低い(160cm台後半)ことが災いして、社会人野球の有力チームからは勧誘されなかった。
西川 明(にしかわ あきら、1984年4月2日 - )は、三… 西川 明(にしかわ あきら、1984年4月2日 - )は、三重県多気郡明和町出身の元プロ野球選手(内野手)。
清水 昭信(しみず あきのぶ、1983年10月26日 - )… 清水 昭信(しみず あきのぶ、1983年10月26日 - )は、三重県松阪市出身の元プロ野球選手(投手)。
竹下 哲史(たけした あきふみ、1983年5月26日 - )… 竹下 哲史(たけした あきふみ、1983年5月26日 - )は、三重県鈴鹿市出身の元プロ野球選手(内野手)。2006年から2007年まで育成選手として中日ドラゴンズに所属していた。2008年からは、社会人野球のエイデン愛工大OB BLITZ(現:BASEBALL ONE BLITZ)でプレー。2015年に選手兼任でコーチを務めた後に、2016年1月22日から監督を兼任し、2019年からは監督を専任していた。 豊田大谷高等学校から名古屋商科大学に入学。大学4年の秋に、愛知大学野球連盟2部リーグで優勝するとともに、同リーグの最優秀選手に選ばれた。 大学時代に中村順司監督の下で磨かれた堅実な守備が評価されたことから、2005年のプロ野球育成ドラフト会議では、中日ドラゴンズから1巡目で指名。
岡本 篤志(おかもと あつし、1981年5月20日 - )は… 岡本 篤志(おかもと あつし、1981年5月20日 - )は、三重県名張市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現役時代は一貫して西武ライオンズ・埼玉西武ライオンズに所属。2016年の現役引退を機に、タレントとして活動している。 大阪府茨木市で出生。小学校5年生の時に、三重県名張市へ転居した。 海星高等学校(三重県)の2年生だった1998年には、140km/hを超える速球を武器に、エースとして第80回全国高等学校野球選手権大会に出場。翌1999年の第71回選抜高等学校野球大会では、チームを準々決勝進出に導いた。3季連続で阪神甲子園球場での全国大会出場を目指した夏の三重県大会でも決勝に進んだが、3点リードの9裏に4点を失ってサヨナラ負けを喫した。
古木 克明(ふるき かつあき、1980年11月10日 - )… 古木 克明(ふるき かつあき、1980年11月10日 - )は、三重県松阪市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投左打)、元総合格闘家、YouTuber、一般社団法人スポーツFプロジェクト代表理事。事業構想大学院大学修了。 1980年11月10日に三重県松阪市で生まれ、松阪市立南小学校を卒業した。三重県出身だったことから、野球中継では中日ドラゴンズ戦をよく観戦していたという。 小学校入学当時、身長が141 cmあった。父親は大柄な体格だった克明をプロ野球選手かプロゴルファーに育てようと考えており、克明が小学校3年生のころ、行きつけのゴルフ練習場で出会った南海ホークスOBの鈴木正(当時、福岡ダイエーホークス東海地区担当スカウト)に克明を紹介、鈴木が主宰していたボーイズリーグのチーム「ジュニアホークス松阪」に入団させた。
川添 將大(かわぞえ まさひろ、1980年10月8日 - )… 川添 將大(かわぞえ まさひろ、1980年10月8日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(投手)。
小山 伸一郎(こやま しんいちろう、1978年6月13日 -… 小山 伸一郎(こやま しんいちろう、1978年6月13日 - )は、三重県度会郡二見町(現:伊勢市)出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。2026年はベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の千葉スカイセイラーズで投手コーチを務める。 二見町立二見小学校3年時に友達の影響で地元の軟式野球チーム「二見スポーツ少年団」に入団し、野球を始める。小学6年のころは外野手の補欠だった。二見町立二見中学校では軟式野球部に入り、「8番・一塁手」。三重県大会で春夏連覇、東海大会で準優勝した。 三重県立明野高等学校に進学し、はじめは三塁手だったが、強肩を見出されて1年夏から投手に転向。2年秋からエースを任された。
星野 智樹(ほしの ともき、1977年7月29日 - )は、… 星野 智樹(ほしの ともき、1977年7月29日 - )は、三重県員弁郡東員町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 1977年に三重県員弁郡東員町で生まれる。四日市工に進学後は、1年夏の県大会準決勝で先発、海星高・広田庄司と投げ合うが敗れた。1995年、3年春の県大会優勝で東海大会ベスト4。夏は県大会2回戦(対鳥羽高戦)でノーヒットノーランを達成するが、準優勝に終わり甲子園出場は果たせなかった。当時からプロ注目の投手とされていた。 高校卒業後はプリンスホテルに入社、1年上に左腕の土肥義弘、同期に小林幹英らがいて全国舞台での登板は限られたが1998年のドラフト会議において西武ライオンズから3巡目で指名を受け、入団。
広田 庄司(ひろた しょうじ、1975年4月3日 - )は、… 広田 庄司(ひろた しょうじ、1975年4月3日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(投手)。 海星高等学校では3年春、夏とエースとして甲子園に出場。本格派左腕投手として注目されるが、春は真木将樹擁する東筑紫学園に、夏は平井正史がエースの宇和島東に初戦で敗れる。東都大学野球リーグの立正大学へ進学、入学時は西口文也が4年生エースだったが、春からリーグ戦に登板。秋から2部降格も最優秀選手、最優秀投手となる活躍で西口との両輪で翌春の1部復帰を決める。東都大学1部リーグ通算53試合登板、15勝27敗、防御率3.41、262奪三振。2部リーグ通算7試合、6勝0敗、防御率1.45。 プロも注目していたが日本通運へ進み、木村一喜とのバッテリーで1年目のスポニチ大会で優勝に貢献、日本選手権では大会タイ記録の6者連続三振。
倉野 信次(くらの しんじ、1974年9月15日 - )は、… 倉野 信次(くらの しんじ、1974年9月15日 - )は、三重県度会郡小俣町(現:伊勢市)出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。 宇治山田高校では2年夏の大会で県ベスト8、3年夏には同校史上77年ぶりの全国大会出場を狙って決勝まで進出するが、三重高校にサヨナラ負けを喫し甲子園には出場できず。東都大学野球リーグの青山学院大では同期の井口忠仁・澤崎俊和・清水将海や2学年下の高須洋介らと共に黄金時代を築く。3年秋の明治神宮大会では初戦で先発勝利、決勝の明大戦は先発したが途中降板し準優勝。4年春は大学選手権で準々決勝に先発して完封すると決勝の九州共立大戦で先発したが序盤で澤崎に交代し、井口の2本塁打もあって優勝。
井手元 健一朗(いでもと けんいちろう、1973年10月2日… 井手元 健一朗(いでもと けんいちろう、1973年10月2日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手・社会人野球選手(投手)、指導者。 小学3年から野球を始める。四日市工業高では2年からエースとなり、2年夏は県大会準優勝すると秋は東海大会へ進むも初戦で岩下修一(浜松工)と投げ合って惜敗。1991年、3年春も東海大会へ出場して、決勝では愛工大名電高の鈴木一朗と投げ合って準優勝に終わるが夏の甲子園に出場。初戦となった2回戦は、エース黒木知宏を擁する延岡学園高と対戦、8-4のスコアで競り勝って甲子園初勝利を成し遂げる。3回戦では松商学園高と対戦し、エース上田佳範と延長16回に及ぶ壮絶な投げ合いを展開したが、最後は打席の上田にサヨナラ押し出し死球を与えてしまい3 - 4のスコアで惜しくも敗れている。
徳本 政敬(とくもと まさのり、1973年6月22日 - )… 徳本 政敬(とくもと まさのり、1973年6月22日 - )は、三重県熊野市出身の元プロ野球選手(内野手)。
広沢 好輝(ひろさわ よしてる、1971年5月25日 - )… 広沢 好輝(ひろさわ よしてる、1971年5月25日 - )は、三重県度会郡小俣町(現:伊勢市)出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、俳優、スポーツライター。 明野高では、2年時に春のセンバツに出場。初戦で近大附高に敗れた。また、高校の2学年先輩に大道典良がいた。 1989年のドラフト会議でヤクルトスワローズから6位指名を受け入団。 1994年に一軍初出場を果たす。 1995年は一軍出場なし、オフに自由契約。 1996年にテスト入団で、阪神タイガースへ移籍した。 1997年限りで現役引退。 引退後は、俳優、スポーツニッポンの評論家として活動。阪神時代の同僚である新庄剛志とは同学年の親友であり(2年間ともにプレー)、長年自主トレーニングのパートナーを務めていたほか、新庄がメジャーリーグへ移籍した2001年には『週刊ベースボール』の新庄付特派員として派遣されていた。
豊田 清(とよだ きよし、1971年2月2日 - )は、三重… 豊田 清(とよだ きよし、1971年2月2日 - )は、三重県亀山市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。現在は埼玉西武ライオンズの一軍投手チーフコーチを務める。 小学生の頃、スモールスポーツ少年団で野球をはじめる。鈴鹿高等学校から同朋大学へ進学。1990年愛知大学野球連盟秋季二部リーグ戦では最優秀選手に選ばれる活躍でチーム初の一部リーグ昇格に貢献。愛知大学野球一部リーグ戦通算9勝16敗。二部も通じて29勝。 1992年度ドラフト会議にて西武ライオンズから3位指名を受け、入団。 森祇晶が監督を務めていた1993年シーズンと1994年シーズンの2年間は一軍での登板はなかった。 1995年は監督に東尾修が就任。