友金 良太(ともがね りょうた、1988年11月16日 - … 友金 良太(ともがね りょうた、1988年11月16日 - )は、日本の男性AIエンジニア、実業家、YouTuber、TikToker。 兵庫県神戸市出身。AIエンジニア、ヒューマンビートボクサー。 関西学院大学卒業後、大手SIerに就職しSEとして働く。現在はAIエンジニアとしてコンサルティングや企業向けDX推進業務などに勤しむ。その傍ら、2014年頃からYouTuberとしても本格始動。ビートボックスや海外駐在経験で培った英語力を武器に、Google認定YouTuberとしてチャンネル登録者数53万人を突破。TikTokのフォロワー数は53万人超え、TEDxTALKスピーカーとして登壇経験もある。
谷口 恒(たにぐち ひさし、1964年 - )は、日本の技術… 谷口 恒(たにぐち ひさし、1964年 - )は、日本の技術者、実業家。株式会社ZMP創業者で、同社代表取締役社長。日本イノベーター大賞等受賞。 兵庫県姫路市船津町の天台宗薬常寺の家に生まれ、中学時代に比叡山で得度。進学先は大正大学を勧められたが、兵庫県立姫路東高等学校を経て、1988年群馬大学工学部高分子化学科卒業。大学在学中比叡山で僧侶資格を取得。日本エヤーブレーキ(現ナブテスコ)のエンジニアや、商社勤務を経て、2001年株式会社ゼットエムピーを設立し、同社代表取締役社長に就任。2019年東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了、博士(美術)。ロボット開発や、「株式会社ロボットタクシー」の設立、自動運転技術開発を進め、日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況を受け、需要が増した無人フォークリフトを上市するなどした。
服部 洋平(はっとり ようへい、1963年〈昭和38年〉3月… 服部 洋平(はっとり ようへい、1963年〈昭和38年〉3月15日 - )は、日本の地方公務員、土木技術者。兵庫県県土整備部長を経て同県副知事。 神戸市出身。1986年 大阪大学工学部環境工学科を卒業し、兵庫県庁に入庁。阪神・淡路大震災や2004年台風23号の水害に対応した経験がある。2011年4月 同県県土整備部県土企画局技術企画課副課長、2012年4月 同部土木局道路街路課街路担当参事、2014年4月 同局総合治水課長、2015年4月 同部県土企画局技術企画課長(災害復興室参事(連携‣調整担当))、2017年4月 阪神北県民局宝塚土木事務所長、2018年4月 同県県土整備部土木局長、2020年 4月 同部県土企画局長兼危機管理員、同年6月 関西高速鉄道取締役、同年 県土整備部長と、土木部門一筋で財政部門や人事部門など管理系の部署の経験は特にない。
降籏 達生(ふるはた たつお、1961年2月23日 - )は… 降籏 達生(ふるはた たつお、1961年2月23日 - )は、日本の起業家、実業家、建設コンサルタント技術者。 ハタコンサルタント株式会社 代表取締役。NPO法人建設経営者倶楽部KKC 理事長。兵庫県神戸市出身。 1961年、兵庫県神戸市出身。小学生の時に映画「黒部の太陽」を観て、困難に負けずにトンネルを掘り進む男たちの姿に憧れる。 1983年、大阪大学工学部土木工学科を卒業後、熊谷組に入社。ダム工事、トンネル工事、橋梁工事など大型工事に参画。阪神・淡路大震災にて故郷兵庫県神戸市の惨状を目の当たりにして開眼。建設コンサルタント業を始める。建設技術者研修20万人、現場指導は5000件を超え、東京オリンピック施設やマンション傾斜問題等にて、建設の専門家としてテレビ、ラジオ、新聞取材多数。
油井 洋明(ゆい ひろあき、1958年12月10日-)は、日… 油井 洋明(ゆい ひろあき、1958年12月10日-)は、日本の地方公務員、土木技術者。 神戸市役所では土木技術職の出世コースとされている都市計画畑を長く歩み、都市計画局計画部計画課街路係長、都市計画総局計画部主幹、都市計画総局計画部長、建設局道路部長、建設局長などの主要な職を歴任し、2019年4月に神戸市副市長就任。 神戸市民生活協同組合理事長兼務。2023年3月に任期満了で神戸市副市長退任。 2023年4月に神戸市立博物館長に就任。 危機管理室、建設局、建築住宅局、港湾局、消防局、水道局、監査事務局を所管し、三宮駅前再整備事業、人口減少社会への対応、大阪湾岸道路西伸部(六甲アイランド北~駒栄)の計画・事業、ジャイアントパンダ貸与に関する中国との交渉などを進めた。
山下 良則(やました よしのり、1957年8月22日 - )… 山下 良則(やました よしのり、1957年8月22日 - )は、日本の技術者、実業家。リコー取締役会長、元経済同友会副代表幹事。 兵庫県加西市出身。兵庫県立北条高等学校を経て、1980年広島大学工学部卒業、リコー入社。資材部で部品調達などに当たる。1995年から2002年英国駐在。2008年Ricoh Electronics, Inc.(米国カリフォルニア)社長。2010年グループ執行役員。2011年常務執行役員。2011年総合経営企画室長。2012年取締役専務執行役員。2016年取締役副社長執行役員。2017年から代表取締役社長を務め、複写機需要の低迷が続く中、2017年をリコーが成長を実現するための「再起動」のフェーズとし、前例にとらわれない構造改革による体質強化をはかった。
藤本 幸人(ふじもと さちと、1957年 - )は、日本の自… 藤本 幸人(ふじもと さちと、1957年 - )は、日本の自動車技術者。
西 和彦(にし かずひこ、1956年〈昭和31年〉2月10日… 西 和彦(にし かずひこ、1956年〈昭和31年〉2月10日 - )は、日本のエンジニア・クリエーター・ビジネスマン・教育者。日本のパーソナルコンピューターの黎明期に活躍した人物でASCIIの創業者、MSXの生みの親である。 学校法人須磨学園学園長、NPO法人IoTメディアラボラトリー特別顧問、日本先端工科大学(仮称)設置準備委員会特別顧問。 兵庫県神戸市生まれ。須磨学園創立者・西田のぶの孫。 父の西邦大は須磨学園前理事長。関西大学商学部卒業。万世特攻基地で終戦を迎える。神戸銀行に入行。退行して須磨学園に奉職。商業科教諭、理事長を務めた。 母の西都は西田音吉とのぶの3女。奈良女子高等師範学校家政科卒業。
内藤 弘康(ないとう ひろやす、1955年〈昭和30年〉4月… 内藤 弘康(ないとう ひろやす、1955年〈昭和30年〉4月20日 - )は、日本の実業家、技術者である。リンナイ代表取締役社長、名古屋鉄道社外取締役、名古屋商工会議所副会頭、日本ガス石油機器工業会副会長。 兵庫県姫路市出身。神奈川県川崎市、横浜市に転居し、栄光学園中学校・高等学校(22期)を卒業。精神科医の中嶋聡は中高大の友人である。1979年3月に東京大学工学部を卒業し、日産自動車に入社。同社には4年間勤務し、トランスミッションの設計を担当した。 1983年4月、当時リンナイ社長であった内藤明人の長女との結婚を機に同社に入社。営業・品質・製造・開発部門を順に経験する。1991年6月に取締役新技術開発部長、1998年7月に取締役開発本部長、2003年6月に常務取締役経営企画部長兼総務部長を歴任。
藤岡 高広(ふじおか たかひろ、1954年8月31日 - )… 藤岡 高広(ふじおか たかひろ、1954年8月31日 - )は、日本のエンジニア・実業家。愛知製鋼代表取締役会長、一般社団法人特殊鋼倶楽部会長、一般社団法人日本鉄鋼連盟理事、学校法人鉄鋼学園評議員。信州大学大学院工学研究科精密工学専攻修了。レクサス・NXやトヨタ・MIRAIの開発に携わった。兵庫県神戸市生まれ。信州大学工学部硬式テニス部出身。海外投資などを進めた。
金花 芳則(かねはな よしのり、1954年〈昭和29年〉 -… 金花 芳則(かねはな よしのり、1954年〈昭和29年〉 - )は、日本の実業家、技術者。 兵庫県神戸市出身。父も川崎重工業の技術者だった。兵庫県立神戸高等学校を経て、1976年大阪大学基礎工学部電気工学科卒業後、川崎重工業入社。 2007年車両カンパニープロジェクト本部長、2009年執行役員、2011年常務執行役員、2012年常務取締役マーケティング本部長、2013年代表取締役常務車両カンパニープレジデント、2016年代表取締役副社長、2018年代表取締役社長執行役員CEO、2020年代表取締役会長。2021年取締役会長。 日本鉄道車輌工業会の会長を務め、2018年5月に一度退任したが、2020年5月に再び会長に就任している。
伊藤 昇(いとう のぼる、1950年(昭和25年)7月30日… 伊藤 昇(いとう のぼる、1950年(昭和25年)7月30日 - )は、日本の技術者。すばる望遠鏡開発者の一人。
中川 勝博(なかがわ かつひろ、1949年1月3日 - 20… 中川 勝博(なかがわ かつひろ、1949年1月3日 - 2024年7月11日)は、日本の技術者、実業家。ITX取締役会長や、ビッグローブ代表取締役会長兼社長を経て、アラクサラネットワークス代表取締役社長兼CEOを務めた。 兵庫県出身。1967年滝川高等学校卒業。1971年同志社大学工学部電気工学科卒業、日本電気入社。1997年日本電気交換移動通信事業本部移動通信国内システム本部長。2001年NECネットワークス国内事業本部国内第二システム事業部長。2002年NECネットワークス国内事業本部副事業本部長。2003年日本電気執行役員兼モバイルソリューション事業本部長。2006年日本電気執行役員常務兼第二キャリアソリューション事業本部長。
中倉 健二(なかくら けんじ、1948年8月24日 - )は… 中倉 健二(なかくら けんじ、1948年8月24日 - )は、日本の技術者、実業家。東洋ゴム工業代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本自動車タイヤ協会会長を務めた。 兵庫県出身。兵庫県立姫路東高等学校を経て、1971年徳島大学工学部卒業、東洋ゴム工業入社。タイヤ技術部長を経て、2003年執行役員タイヤカンパニータイヤ技術本部長。2004年取締役執行役員タイヤカンパニータイヤ技術本部長。2005年取締役執行役員タイヤカンパニータイヤ企画部長。2006年取締役常務執行役員タイヤカンパニー タイヤ企画部長。2007年取締役常務執行役員ダイバーテックカンパニー執行社長。2008年から代表取締役社長を務め、大型タイヤ事業の強化や、グローバル化を進めた。
三村 仁司(みむら ひとし、1948年8月20日 - )は、… 三村 仁司(みむら ひとし、1948年8月20日 - )は、日本の技術者。競技スポーツ用シューズの職人。 1948年、兵庫県印南郡志方町(現:加古川市)生まれ。中学時代から陸上部に所属し、陸上競技の強豪校への進学を目指す。兵庫県立飾磨工業高等学校時代には陸上部キャプテンを務め、長距離走選手としてインターハイなどに出場。練習中に感じたシューズの摩耗の早さから、丈夫で長持ちするシューズを作ることを志す。大学からの競技続行の誘いを断り、高校卒業後の1966年、オニツカ株式会社(現:アシックス)に入社。第二製造部を経て、1971年、入社当時から希望していた研究室に配属される。 1974年、別注シューズの製作を開始し、陸上競技にとどまらず、野球、サッカー、テニス、バレーボール、バスケットボール、ボクシング、モータースポーツ、近代五種など多岐にわたる競技のシューズを手がける。
竹下 克彦(たけした かつひこ、1943年1月10日 - )… 竹下 克彦(たけした かつひこ、1943年1月10日 - )は、日本の技術者、実業家。ノーリツ代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本ガス石油機器工業会会長などを務めた。 兵庫県明石市出身。1965年大阪府立大学工学部金属工学科卒業。1967年能率風呂工業(現ノーリツ)入社。1985年取締役技術研究所副所長に昇格。1995年常務取締役。1997年専務取締役営業本部長。1999年から代表取締役社長を務め、「地球環境と人へ配慮する」を理念に、ゼロ・エミッション に向けた取り組みにあたった。2004年代表取締役会長。2007年日本ガス石油機器工業会会長。2009年ノーリツ取締役。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
長島 徹(ながしま とおる、1943年1月2日 - )は、日… 長島 徹(ながしま とおる、1943年1月2日 - )は、日本の技術者・実業家。帝人代表取締役社長や、同社取締役会長、経済同友会副代表幹事、日本化学繊維協会会長、イオン取締役報酬委員会議長などを務めた。 日本統治時代の朝鮮の馬山で生まれる。 日本の降伏後引き揚げ、広島県を経て、英語教師だった父の仕事の関係で、小学校3年のときに京都府から兵庫県篠山町に移り、1955年篠山町立篠山小学校卒業。1958年篠山町立篠山中学校卒業。1961年兵庫県立篠山鳳鳴高等学校卒業。中学・高校では軟式テニスに打ち込んだ。 1965年名古屋工業大学工学部繊維工学科卒業、帝人入社。パラ型アラミド繊維テクノーラの開発などを経て、セールスエンジニアとなる。
関本 忠弘(せきもと ただひろ、1926年11月14日 - … 関本 忠弘(せきもと ただひろ、1926年11月14日 - 2007年11月11日)は日本の実業家・技術者。位階は従三位。1980年より1998年にかけて日本電気株式会社(NEC)の社長と会長を務め、この間に日本電気を日本電信電話公社(現・NTT)に依存する〝国策企業〟から、世界中にコンピュータ、半導体、通信機などを売る総合電機メーカーに成長させた。 兵庫県神戸市生まれ。神戸市立川池小学校(現・神戸市立会下山小学校)、旧制瀧川中学校(四修)、旧制姫路高等学校理科甲類(首席)を経て、東京大学理学部物理学科を卒業。 1948年、日本電気に入社。入社後は同社の中央研究所で研究に従事し、PCM(パルス符号変換方式)の研究等を行う。
菊原 静男(きくはら しずお、1906年 - 1991年8月… 菊原 静男(きくはら しずお、1906年 - 1991年8月6日)は、日本の航空技術者。兵庫県姫路市出身。飛行艇の第一人者で九七式飛行艇、二式飛行艇、紫電改や実験機UF-XSなどの設計に従事した。 1906年、兵庫県姫路市の商家に長男として生まれる。三高へ入学する頃、航空の道を選択。1930年(昭和5年)東京帝国大学工学部航空学科卒。卒業設計では、シュナイダー・トロフィー・レース用の水上競争機の機体を担当した。卒業論文のタイトルは「Torsion of Prismatic Bar.」。 卒業後、川西航空機(現新明和工業)に入社する。入社理由は、川西航空機が自宅に近く、少年時代から海が好きであったからという。
宇敷 赳夫(うしき たけお、1891年(明治24年)7月24… 宇敷 赳夫(うしき たけお、1891年(明治24年)7月24日 - 没年不明)は兵庫県出身の土木技術者。台湾総督府の技師として、日本統治時代の台湾で様々な公共建築物を手がけた。 明治24年に姫路市で出生、本籍地は同県神戸市上筒井通。兵庫県立第一神戸中学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)を経て、その後の経歴は以下のとおり。 総督府の技師として以外にも当時の民間組織『台湾建築會』で井手薫などとともに常議員を務めていた。 関東大震災(1923年)や新竹台中地震(1935年)を経た耐震強化など、当時の設計思想の変化を盛り込んだ簡素な設計を多く採用している。多くの建築物が木造建築から鉄筋コンクリートで再建される課程で宇敷が担当した物件は以下の通り。
大野 一造(おおの いちぞう, 1885年4月5日 – 19… 大野 一造(おおの いちぞう, 1885年4月5日 – 1967年3月6日)は、愛知県碧海郡刈谷町(現・刈谷市)出身の技術者・実業家・政治家。刈谷町会議員、愛知県会議員、刈谷町長、衆議院議員を務めた。刈谷市名誉市民。かんばん方式などの「トヨタ生産方式」を築いた大野耐一は息子。 1885年(明治18年)4月5日、愛知県碧海郡刈谷町緒川町(現・刈谷市八幡町6丁目78番地)にて旧刈谷藩士の大野介蔵の長男として生まれた。介蔵は刈谷城本丸隅の十朋亭を隠居家としており、1936年(昭和11年)には十朋亭を刈谷町に売却している。 刈谷町立亀城小学校を中途退学。兵庫県立神戸中学校(のちの兵庫県立神戸高等学校)を経て、東京高等工業学校(のちの東京科学大学)窯業科を卒業。
藤木 吉松(ふじき きちまつ、1880年(明治13年)- 1… 藤木 吉松(ふじき きちまつ、1880年(明治13年)- 1965年(昭和40年)8月10日)は、日本の技術者である。 兵庫県小野に生まれる。後に大阪市内で島根県で製造されている雲州そろばんの技術を学んだり、製造にも携わった。 これによって、1903年(明治36年)に故郷の小野で雲州そろばんの改良したそろばんの製造を始める。後にこのそろばんは「播州そろばん」呼ばれ、知名度の上昇及び普及に貢献した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、兵庫県に関連した書きかけの項目です。
直木 倫太郎(なおき りんたろう、1876年(明治9年)12… 直木 倫太郎(なおき りんたろう、1876年(明治9年)12月1日 - 1943年(昭和18年)2月11日)は、日本の土木技術者・土木工学者、都市計画家。元帝都復興院技監。大陸科学院初代院長。元大阪市都市計画部長。関西工学専修学校(現:大阪工業大学)の創設時協力者。元大林組取締役。 新聞に投稿して入選した俳句から燕洋と号した。技術者の地位向上分野の先駆をなした「日本工人倶楽部」の活動でも活躍した技術官僚。 1876年、兵庫県で真島顕蔵の長男として生まれ、17歳で実業家・直木政之介(日本燐寸製造創業者)の養子となる。 姫路中学校、第三高等学校、第二高等学校を経て、1899年7月、東京帝国大学工科大学土木工学科卒業。
鍋谷 淳(なべたに あつし)は、日本の石油探鉱技術者、地球科… 鍋谷 淳(なべたに あつし)は、日本の石油探鉱技術者、地球科学者。 1956年 兵庫県赤穂市生まれ 1974年 兵庫県立赤穂高等学校卒 1978年 岡山大学理学部地学科卒。岡大時代は逸見吉之助教授に師事。鍋谷の岡大時代の同期に金沢大学名誉教授の奥野正幸がいる。 1981年 東京大学大学院理学系研究科修士課程修了(地質学専攻)。同大学院では飯山敏道教授に師事。 1981年、INPEXの前身であるインドネシア石油に入社。石油探鉱技術者として従事。インドネシア、ベトナム、シリア、イエメン、ブラジル、アフリカ諸国などでの探鉱プロジェクトを担当(主に本社にて現場から送られてくる地震探鉱データおよび物理検層データの解析作業に従事)したほか、海外の主要石油会社の上流資産調査を担当した。