久保 有政(くぼ ありまさ、1955年〈昭和30年〉7月13… 久保 有政(くぼ ありまさ、1955年〈昭和30年〉7月13日 - )は、日本のプロテスタント系の聖書解説家、単立・池袋キリスト教会初代牧師。レムナント出版、レムナント・ミニストリー代表。作家として、月刊誌『レムナント』の主筆を務め、誌上で求道者、クリスチャン向けに、聖書の基本的な教えを解説している。また、キリスト教に関する著述や講演も行なっている。兵庫県伊丹市生まれ。 米国カリフォルニア州立大学留学(キャンパス名および学位取得の有無は不明)(1975年)を経て、東京聖書学院(日本ホーリネス教団の同名校とは異なる、単立系の非認可神学校とされる)卒業(1982年)。1986年にレムナント出版を設立。
榊原 康夫(さかきばら やすお、1931年9月21日 - 2… 榊原 康夫(さかきばら やすお、1931年9月21日 - 2013年1月6日 )は、日本の牧師、神学者、説教者、著作家。 新改訳聖書のイザヤ書、エレミヤ書、哀歌を翻訳した。福音主義神学会の創立に関わった。 兵庫県芦屋市出身。灘高等学校卒業。大阪大学工学部機械科中退。1957年、神戸改革派神学校卒業。日本基督改革派教会の和歌山伝道所、甲子園教会牧師を歴任し、1967年(昭和42年)より東京恩寵教会牧師となる。1977年(昭和52年)- 1981年(昭和56年)日本基督改革派教会大会議長。 2001年(平成13年)に定年によって正牧師を引退し、東京恩寵教会名誉牧師となる。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。
榎本 保郎(えのもと やすろう、1925年5月5日 - 19… 榎本 保郎(えのもと やすろう、1925年5月5日 - 1977年7月27日)は、日本の牧師。アシュラム運動の普及に貢献した。「ちいろば牧師」の愛称で知られる。三浦綾子の「ちいろば先生物語」で広く知られるようになった。 配偶者はアシュラムセンター主事の榎本和子(1925-2023)。榎本栄次牧師は実弟。後宮俊夫牧師は義弟。娘は実践神学者の榎本てる子(関西学院大学准教授、1962-2018)。 1925年、兵庫県三原郡神代村(現南あわじ市神代)に生まれる。1938年に旧制洲本中学校に入学する。少年時代は軍国少年だった。1944年に徴兵検査を受け、満州に出征する。1945年満州で敗戦を迎える。帰国後、敗戦の喪失の中で虚無感に陥っていた。
後宮 俊夫(うしろく としお、1922年4月12日 - 20… 後宮 俊夫(うしろく としお、1922年4月12日 - 2018年12月23日)は、日本の海軍軍人、牧師(日本基督教団)。最終階級は海軍大尉。海軍兵学校70期。陸軍大将の後宮淳は叔父、榎本保郎は義兄に当たる。 1922年(大正11年)、陸軍軍人(陸軍中佐)であった後宮太朗の長男として和歌山県和歌山市に生まれる。神戸第一中学校4年の時、海軍兵学校に入学し、1941年、70期としてこれを卒業。卒業後には連合艦隊勤務となり士官として戦艦「霧島」に乗務、1942年にはソロモン海戦で負傷している。その後、戦艦「山城」、駆逐艦「霜月」に続けて乗務するも、1944年9月からは結核のため療養となりそのまま終戦を迎えた。
由木 康(ゆうき こう、1896年4月16日 - 1985年… 由木 康(ゆうき こう、1896年4月16日 - 1985年1月27日)は、日本の牧師、讃美歌作家。日本の讃美歌の発展の中心的な役割を果たし、賛美歌「きよしこの夜」の訳者として知られる。パスカルの研究家で「パンセ」を翻訳した。教育者・郷土史研究者足立正の次男。 鳥取県西伯郡上道村(現境港市)に足立正の次男として生まれ、生後間もなく由木虎松の養子になる。 養父虎松の宣教活動のために、鹿児島、神戸、対馬などに転居する。養父の影響を受けてクリスチャンになり、神戸二中時代に洗礼を受ける。洗礼を受けてすぐの中学3年の時、すでに最初の賛美歌を作った。1914年、死の危険に直面して献身を決意する。関西学院高等学部文科(関西学院大学文学部の前身)で聖書学と神学を専攻する。
鵜崎 庚午郎(うざき こうごろう、明治3年3月17日(187… 鵜崎 庚午郎(うざき こうごろう、明治3年3月17日(1870年4月17日) - 昭和5年(1930年)4月3日)は、明治時代から昭和時代初期の日本の牧師である。 1870年に播磨国飾磨郡姫路町元町(現・兵庫県姫路市)に、姫路藩士で漢学者の鵜崎久平の子として生まれる。1887年、アメリカ南メソヂスト監督教会宣教師のウォルター・R・ランバスから洗礼をうける。献身して関西学院に入学してJ.C.C.ニュートン宣教師に育てられる。メソジストの神戸・広島・大阪・京都で伝道をする。 第三高等学校教授、関西学院教授になり、1912年に日本メソジスト教会機関誌『護教』主筆。1914年には鎮西学院の院長に就任して。
辻 密太郎(つじ みつたろう、1860年12月28日(万延元… 辻 密太郎(つじ みつたろう、1860年12月28日(万延元年11月17日) - 1945年(昭和20年)12月21日)は、明治時代から昭和時代初期にかけて活動した日本組合基督教会の牧師。 播磨国加西郡在田村字中富(現・兵庫県加西市中富町にて、辻退蔵と阿以(愛子)の長男として生まれる。1874年姫路病院で医療伝道者ベリーから聖書について学び、1878年に大阪英学校に入学し、11月11日浪花教会で澤山保羅(パウロ)により洗礼を受けた。その後1881年に同志社英学校三年に編入学した後、江州彦根年堂派遣を振り出しに、岡山県高梁教会、熊本県熊本教会などに派遣された。1888年大阪島之内教会で按手礼を受け牧師になった後、三重県津市での伝道、群馬県甘楽教会・高崎教会での牧会を経て、熊本県大牟田教会牧師に就任するなど、日本国内各地で伝道に当たった後ハワイや米国カリフォルニア州・ユタ州の各地で牧会、伝道にあたった。