橋本 以蔵(はしもと いぞう、1954年2月21日 - )は… 橋本 以蔵(はしもと いぞう、1954年2月21日 - )は、日本の脚本家、映画監督。 島根県出身。島根県立津和野高等学校卒業。 映画好きだった公務員の父の影響もあって子供の頃から映画監督になりたかったという。高校卒業後に上京し、映画への接点を見つけるために新劇の俳優養成所に入る。映画監督の神代辰巳らとの接点も出来、シナリオを書いては見てもらう習作活動に入る。映画評論家の白井佳夫の紹介で映画化の話があった『喜作新道』の映画監督をやるよう声がかかったが制作会社が倒産したために実現しなかった。自主制作活動を経て1982年、自主映画『パソコンウォーズISAMI』で監督デビュー。テレビドラマ『スケバン刑事』シリーズの脚本を担当してメジャーデビュー。
芹 明香(せり めいか、1954年(昭和29年)1月14日 … 芹 明香(せり めいか、1954年(昭和29年)1月14日 - )は、島根県出雲市出身の女優。
小田川 義和(おだがわ よしかず、1954年または1955年… 小田川 義和(おだがわ よしかず、1954年または1955年 - )は、日本の労働運動家、法務局職員。全法務中国地本書記長、国公労連書記長を経て全国労働組合総連合 (全労連) 議長。 島根県木次町 (現・雲南市) 生まれ。高校卒業後、広島法務局に採用され、三次支局に勤務。人権関係を長く担当。全法務省労働組合 (全法務) では、21歳で広島支部書記長、29歳から中国地方本部書記長を務めた。日本国家公務員労働組合連合会 (国公労連) では広島県国公事務局長を務め、県労連や広島地域労連の準備会の中心を担い、JRのローカル線存続など幅広く地域での運動に関わった。1991年 国公労連中央執行委員。同調査部長、同書記次長を経て同書記長。
野波 浩(のなみ ひろし、1954年 - )は、日本の写真家… 野波 浩(のなみ ひろし、1954年 - )は、日本の写真家。島根県生まれ。 LUNA SEA写真集「ZOE」、そして江角マキコ写真集「E-MODE」、劇団☆新感線写真集「婆娑羅」を発表。 その作品の数々はCG、コンピュータ処理ではなくすべて手作業であり、圧倒的で独特な[大言壮語的]世界観を放ってきた。 デジタル写真に移行してからもそのスタイルを変えず、多彩な写真技法を用いての作品制作を続けている。 ナイトメア、陰陽座、劇団☆新感線、宝塚歌劇団など音楽、舞台など多数の宣伝写真を手掛け活動中。また近年では、ライフワークとして撮り続けてきたスナップ写真も発表の場を増やしている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
島田 二郎(しまだ じろう、1953年〈昭和28年〉8月30… 島田 二郎(しまだ じろう、1953年〈昭和28年〉8月30日 - )は、日本の政治家、歯科医師。元島根県安来市長(3期)。 1953年(昭和28年)8月30日、島根県能義郡安来町(現:安来市)にて島根県議会議員であった島田芳雄の次男として生まれる。実兄は後に医師となって関東へ移住し、関東の病院に勤務する。 幼い頃に実母を病で亡くし、その後父の島田芳雄が義母と再婚し、それから1956年7月6日にはその間に異母弟で後に参議院議員となる島田三郎が誕生する。 1972年(昭和47年)、島根県立松江北高等学校を卒業。1982年(昭和57年)、神奈川歯科大学大学院を修了し、歯学博士の学位を取得後、埼玉医科大学で口腔外科講師として勤務した。
梨田 昌孝(なしだ まさたか、本名:梨田 昌崇(読み同じ)、… 梨田 昌孝(なしだ まさたか、本名:梨田 昌崇(読み同じ)、1953年8月4日 - )は、島根県浜田市出身の元プロ野球選手(捕手)、監督、野球評論家。1984年より登録名を「昌孝」としている。
ながい のりあき(本名:長井 紀昭、1953年7月1日 - … ながい のりあき(本名:長井 紀昭、1953年7月1日 - )は、日本の漫画家。島根県隠岐郡海士町出身。血液型はO型。主に小学館の児童向け雑誌などで執筆。 代表作は、『月刊コロコロコミック』などに連載されたサッカー漫画『がんばれ!キッカーズ』、ウェブコミックにもなった『男たちの好日』など。 子供の頃は『週刊少年ジャンプ』を読み、ちばあきお、ちばてつやが好きだった。法政大学合格を機に上京。漫画研究会に入ったのがきっかけで漫画を描き始めるも、卒業後は会社に就職。3年勤めた会社を辞め、漫画家の道を本格的に志すようになる。 何度も出版社に持込を続け、『少年ジャンプ』にてギャグ漫画でデビューも後が続かず、1980年、27歳の時に『月刊コロコロコミック』にて『GOGOゴロー』で第2回藤子不二雄賞佳作を受賞。
山本 浩(やまもと ひろし、1953年4月12日 - )は、… 山本 浩(やまもと ひろし、1953年4月12日 - )は、日本の元アナウンサー、法政大学スポーツ健康学部教授(社会学・スポーツジャーナリズム論)。日本スポーツ協会国民スポーツ大会委員会委員長。元日本放送協会 (NHK) エグゼクティブアナウンサー、解説委員(スポーツ・体育分野担当)。 アナウンサーとしてはサッカー中継の実況に数多く携わったことで知られる。 島根県松江市生まれ。小学4年から中学2年まで静岡県浜松市に住んだことでサッカーに親しむ環境を得る。埼玉県立川越高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部ドイツ語学科卒業。大学時代に当時ワールドカップ西ドイツ大会が行われていた西ドイツに3ヶ月間インターンシップで訪れている。
柏木 登(かしわぎ のぼる、1953年4月3日 - )は、日… 柏木 登(かしわぎ のぼる、1953年4月3日 - )は、日本のテレビプロデューサー。BS日本常勤監査役。 日本テレビにてチーフプロデューサー、人事部長、情報センター長、事業局長等を歴任後、中京テレビ常務取締役、バップ代表取締役社長を務めた。 島根県松江市出身。島根県立松江北高等学校、一橋大学社会学部卒業後、1977年に日本テレビに入社。ディレクターとして『木曜スペシャル』『11PM』『アメリカ横断ウルトラクイズ』などといった人気番組を担当。1987年、ディレクターとして『time21』の「涙をこらえて笑わせて」で放送文化基金賞を受賞。その後、チーフプロデューサーに昇格し、『スーパーテレビ情報最前線』や『ザ!鉄腕!DASH!!』『行列のできる法律相談所』をスタートさせるほか、主に情報番組やバラエティ番組を担当した。
服部 正策(はっとり しょうさく、1953年 - )は、日本… 服部 正策(はっとり しょうさく、1953年 - )は、日本の哺乳類学者・爬虫類学者。元東京大学医科学研究所奄美病害動物研究施設准教授。博士(農学)(東京大学・論文博士・1998年)(学位論文「ワタセジネズミ(Crocidura watasei)に関する研究」)。 1953年島根県生まれ。島根県立浜田高等学校、東京大学農学部畜産獣医学科卒業。東京大学医科学研究所奄美病害動物研究施設に在職中、ハブ・ウミガメなどの爬虫類やワタセジネズミやトゲネズミなど哺乳類の研究をおこなった。1998年、東京大学より「ワタセジネズミ(Crocidura watasei)に関する研究」で博士(農学)の学位を授与される。
三沢 淳(みさわ じゅん、1952年〈昭和27年〉10月1日… 三沢 淳(みさわ じゅん、1952年〈昭和27年〉10月1日 - 2022年〈令和4年〉3月3日)は、島根県浜田市出身のプロ野球選手(投手)・解説者、政治家、元衆議院議員(1期)。 浜田市立第一中学校で野球を始める。主に三塁手を務め、投手もこなしたが、中学当時は上手投げだった。野球部の1年後輩に梨田昌孝がいる。島根県立江津工業高等学校へ進学後、下手投げ投手に転向。同校では1年秋に高橋寛とのバッテリーで県大会決勝へ進み、大田高の福間納と投げ合うも1失点で惜敗。2年夏は西中国大会へ進むが有田修三が4番を打つ宇部商に敗れた。2年秋も県大会決勝で前年に続いて大田高に敗れたが中国地区大会では準決勝へ進出、広陵高の佐伯和司と延長11回を投げ合って敗れた。
伊藤 誠(いとう まこと、1952年8月5日 - )は、日本… 伊藤 誠(いとう まこと、1952年8月5日 - )は、日本のシンガーソングライター。島根県松江市出身。同志社大学卒業。 島根県松江市出身。松江南高校、同志社大学商学部を卒業後、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)に入行。銀行マンとしての仕事のかたわらで、音楽活動を続けてきた。 大学在学中に、フォークデュオ『ドン・キホーテ』を結成し、1975年5月、ワーナー・パイオニア主催の、第2回京都音楽祭にて優秀賞を受賞。同年のうちにワーナー・パイオニアと、東芝EMIから、レコード『京の雪舞い』『小さな白いページ』をリリース。 1976年、第一勧銀に入行。以降、趣味として歌作りとコンサート活動を続ける。 1990年代、スペイン、マドリードに支店開設のために赴任。
斉藤 鉄夫(さいとう てつお、1952年2月5日 - )は、… 斉藤 鉄夫(さいとう てつお、1952年2月5日 - )は、日本の政治家。公明党所属の衆議院議員(8期)、公明党幹事長代行。
高橋 寛(たかはし ひろし、1951年12月20日 - 20… 高橋 寛(たかはし ひろし、1951年12月20日 - 2025年2月10日)は、島根県邑智郡桜江町(現・江津市)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ。 江津工高では2年秋に1学年下の三沢淳とバッテリーを組んで県大会決勝へ進むが大田高の福間納に完投されて惜敗。3年次の1969年、2年生エースとなった三沢と夏の西中国大会準決勝に進出するが、有田修三捕手がいた宇部商に敗れて甲子園出場を逸する。卒業後は松下電器へ入社し、高校時代に対戦した福間や山口高志とバッテリーを組んだ。 1973年のドラフトで阪神タイガースから5位指名され翌年入団するつもりが入団できず、木原弘人の加入後は控えであったが、1976年のドラフト5位でヤクルトスワローズに入団。
野々村 直通(ののむら なおみち、1951年12月14日 -… 野々村 直通(ののむら なおみち、1951年12月14日 - )は、島根県出身の教育評論家、画家、野球指導者。元高等学校教員(美術科教諭)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属(マネジメント契約)。 島根県立大東高等学校(第22期卒)から広島大学(学校教育学部美術科)に進学。 硬式野球部では2年時に広島六大学の首位打者を獲得。4年時は主将として全日本大学野球選手権大会に初出場。四番・一塁手で出場した初戦で同志社大学に0-11で敗れた。 大学卒業後に広島県立府中東高校に美術教師として赴任。また、野球部監督ともなり、1978年秋の中国大会で準優勝し、翌年の第51回選抜高等学校野球大会の出場校に選出され監督として甲子園初出場を果たした。
川村 信子(かわむら しんこ、1951年12月14日 - )… 川村 信子(かわむら しんこ、1951年12月14日 - )は、株式会社カウカウフードシステム創業者であり、現在は同社代表取締役会長。別名「マダム シンコ(マダム しんこ)」 島根県生まれ、両親が共に韓国人の在日韓国人2世である。現在は日本国籍を取得。10歳の時、父親の仕事の都合で大阪府へ移る。 21歳の時、母親が用意してくれた50万円で喫茶店を開業。 未経験のまま、18歳で不動産業、高級クラブ、貴金属などの販売を経て、26歳の時に大阪・北新地で高級クラブをオープン。 1989年、37歳の時に上京し、4か月で銀座No.1ホステスになるも、その9か月後に独立。銀座にクラブ「銀座クラブ信子」をオープンした。
高橋 正尚(たかはし まさなお、1951年11月10日 - … 高橋 正尚(たかはし まさなお、1951年11月10日 - )は、日本の教育者。横浜市立南高等学校附属中学校初代校長。横浜市教育委員会首席指導主事、横浜市統括校長などを歴任し、鎌倉女子大学児童学部教授を務めた。 島根県江津市出身。立教大学卒業後、帝人株式会社に勤務。その後教育界に転じ、1979年に小学校教員となった。 1986年に中学校教員となり、横浜市教育委員会指導主事などを務めた。その後、横浜市立中学校校長、横浜市教育委員会首席指導主事、横浜市統括校長などを歴任した。 2011年10月から2016年3月まで横浜市立南高等学校附属中学校校長を務めた。同校は2012年に開校した横浜市初の中高一貫教育校であり、高橋はその初代校長として学校設立と運営に携わった。
伊藤 鉃也(いとう てつや、1951年11月 - )は、日本… 伊藤 鉃也(いとう てつや、1951年11月 - )は、日本の国文学者(中古文学)。学位は、博士(文学)(大阪大学・論文博士・2002年)(学位論文「源氏物語本文の研究」)。国文学研究資料館及び総合研究大学院大学教授、大阪大学招へい教授、大阪観光大学学長、学校法人明浄学院理事などを歴任。 島根県出雲市生まれ。1975年、國學院大學文学部日本文学専攻卒業。1978年、同大学院修士課程修了。大阪府立大正高等学校教諭を経て、1987年、大阪府立盾津高等学校教諭。1991年、学校法人明浄学院大阪明浄女子短期大学専任講師、1997年、同短期大学助教授。1997年から大阪大学大学院文学研究科博士後期課程在学、1999年3月、同大学大学院中途退学。
永田 生慈(ながた せいじ、昭和26年(1951年)8月1日… 永田 生慈(ながた せいじ、昭和26年(1951年)8月1日 - 平成30年(2018年)2月6日)は、日本の浮世絵研究家。特に葛飾北斎の研究と作品蒐集を精力的に行い、コレクションは島根県立美術館に寄贈・収蔵された。 島根県津和野町生まれ。小学3年生の時、古本屋で北斎の『画本早引』の入手がきっかけで北斎に魅せられ、十代半ばから作品を蒐集する。浮世絵研究者の楢崎宗重を慕って立正大学文学部に入学。在学時から、北斎専門研究雑誌『北斎研究』の発行・編集に関わった(2016年、第56号で休刊)。 卒業後、1977年より太田記念美術館に勤務、副館長兼学芸部長を歴任した。その間にも、国内外の北斎展で監修を務め、多くの著作を記した。
福間 納(ふくま おさむ、1951年7月13日 - )は、島… 福間 納(ふくま おさむ、1951年7月13日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 現役時代には、阪神へ在籍していた時期に一時、福間 納一(読み方は本名と同じ)を登録名に使用していた。 2009年からは株式会社アイランドプロモーションに所属。2021年からはカナフレックスで投手コーチ、2022年に監督就任。 大田高校では2年次の1968年からエースとなり、同年夏の甲子園県予選準決勝に進出するが、浜田高に敗退。3年次の1969年には春の選抜に出場し、1回戦で丸亀商の井原慎一朗と投げ合うが4-9で敗れる。同年夏は県予選準決勝で三沢淳、高橋寛のバッテリーを擁する江津工に抑えられ1-4で敗退、甲子園には届かなかった。
久保田 章市(くぼたしょういち、1951年〈昭和26年〉4月… 久保田 章市(くぼたしょういち、1951年〈昭和26年〉4月11日 - )は、日本の政治家。元島根県浜田市長(3期)。元法政大学大学院教授。 島根県浜田市生まれ。島根県立浜田高等学校を卒業。 東京大学卒業後、三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。支店長、厚生省や三和総合研究所への出向などを経て2005年に退社。2006年に三菱UFJリサーチ&コンサルティングの執行役員に就任。執行役員時代には法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科客員教授を務め、2008年には教授に就任した。 学外では島根県立大学総合政策学部の非常勤講師や浜田市政策アドバイザー、学校法人江の川学園石見智翠館高等学校常務理事を務めていた。
長岡 秀人(ながおか ひでと、1951年(昭和26年)2月5… 長岡 秀人(ながおか ひでと、1951年(昭和26年)2月5日 - )は、日本の政治家。元島根県出雲市長(3期)、元平田市長(1期)。 島根県出雲市出身。岡山大学法文学部法律学科卒業。1975年(昭和50年)4月、法務省法務教官となる。1977年(昭和52年)9月、平田市役所に入庁。1999年(平成11年)7月、平田市助役に就任。 2003年(平成15年)、平田市長の太田満保が島根県知事選挙に立候補するため辞職。これに伴って行われた平田市長選挙に立候補し無投票で初当選した(4月20日確定)。 2005年(平成17年)3月22日、平田市は旧出雲市・佐田町・多伎町・湖陵町・大社町と合併し廃止となる。
古橋 美知子(ふるはし みちこ、女性、旧姓:塩川、1951年… 古橋 美知子(ふるはし みちこ、女性、旧姓:塩川、1951年(昭和26年)1月26日 - )は、日本の元バレーボール選手。 島根県松江市出身。「他に部活がなくて」小学5年よりバレーボールを始める。四天王寺高校を経て、1969年(昭和44年)に日本リーグのユニチカ貝塚(当時)に入部。 1970年(昭和45年)に全日本メンバーに選出され、1970年(昭和45年)の世界選手権銀メダル、1972年(昭和47年)のミュンヘンオリンピック銀メダルを獲得した。 一方国内では、1973年(昭和48年)からチーム主将を務め、1976年(昭和51年)の第9回日本リーグにおいてサーブ賞を獲得し、チーム準優勝に大きく貢献した。
宮廻 正明(みやさこ まさあき、1951年1月24日 - )… 宮廻 正明(みやさこ まさあき、1951年1月24日 - )は、日本画家。 島根県松江市生まれ。島根県立松江南高等学校を経て、1975年、東京芸術大学美術学部デザイン科入学。大藪雅孝に師事し、1979年に同大学を卒業。1981年、同大学院修士課程修了、東京芸術大学大学院美術研究科保存修復技術研究室非常勤助手となり平山郁夫に師事。1986年、同非常勤講師。1995年、東京芸術大学大学院美術研究科文化財保存学日本画助教授。2000年、同教授。2009年、東京芸術大学学長特命社会連携センター長。2018年、東京芸術大学を定年退職し、同名誉教授。 1984年、日本美術院院友。1995年、日本美術院同人。
斎藤まさし(さいとうまさし、1951年〈昭和26年〉 - )… 斎藤まさし(さいとうまさし、1951年〈昭和26年〉 - )は、日本の政治活動家、市民運動家。MPD・平和と民主運動(市民の党)代表。本名は酒井剛(さかいたける)。 島根県邇摩郡五十猛村生まれ。島根県立大田高等学校卒業。1970年、上智大学外国語学部ロシア語学科に進学し、在学中から学生運動に参加。1971年の学生訪中団にも加わる。1972年に上智大学から除籍処分を受けた。1974年に学生運動団体「日本学生戦線」を、1979年に「立志社」を設立した。 1983年、参議院議員の田英夫元社会民主連合代表や八代英太、宇都宮徳馬らと政治団体「MPD・平和と民主運動」を立ち上げ、1996年には、市民の党を結成。
小林 淳一(こばやし じゅんいち、1951年 - )は、日本… 小林 淳一(こばやし じゅんいち、1951年 - )は、日本の地方公務員。島根県副知事、同県信用保証協会会長、同県社会福祉協議会会長などを歴任。 安来市出身。県外の大学に進み、民間企業に就職するつもりだったが県庁に進路を転換。島根県地方課長、同農林水産部長、同商工労働部長を経て、2012年 (平成24年) 3月 前任の松尾秀孝に代わり島根県副知事。副知事退任後は島根県信用保証協会会長、しまね産業振興財団評議員、県社会福祉協議会会長、島根県立産業交流会館理事長を歴任。 2021年、秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
井原 勝美(いはら かつみ、1950年9月24日 - )は、… 井原 勝美(いはら かつみ、1950年9月24日 - )は、日本の実業家。ソニー代表執行役副社長を経て、ソニーフィナンシャルホールディングス代表取締役社長や、同社取締役会長、ソニー生命保険代表取締役社長、同社取締役会長等を歴任した。 島根県松江市出身。島根県立松江北高等学校を経て、1973年東京工業大学工学部経営工学科卒業。高原康彦研究室出身。同年三井情報開発入社。1989年スタンフォード大学経営大学院修了、経営学修士(M.Sc. in Business)。ソニーで、エリクソンの携帯電話事業との統合などにあたり、2005年にはソニー取締役代表執行役副社長に昇格。 2009年ソニーフィナンシャルホールディングス代表取締役副社長。
忍の山 剛(おしのやま つよし、1950年1月29日 - )… 忍の山 剛(おしのやま つよし、1950年1月29日 - )は、島根県大田市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は清水 光範(しみず みつのり、旧姓は森脇(もりわき))。186cm、99kg。最高位は東十両8枚目。得意技は突き、押し。 小学校では野球やサッカーが好きで、中学校では水泳部に所属して自由形を得意としていた。中学卒業後は家業を手伝うために職業訓練所に入所したが、約1年後に実家へ戻ると家業が潰れていたので土建会社「三和開発」に就職して土方を務めた。しかし、社長と喧嘩して関係が悪くなったことで退社し、隠岐島で汽船会社に入社したが、前の会社と変わらず喧嘩が絶えない様子を見かねた元島根県相撲連盟理事の重役が「お前みたいな極道者は相撲社会で一から出直せ」と、重役の弟である栃桜が居る春日野部屋への入門を命じた。
渡部 哲郎(わたなべ てつろう、1950年- )は、スペイン… 渡部 哲郎(わたなべ てつろう、1950年- )は、スペイン史学者、横浜商科大学教授。専攻はスペイン史、地域研究(バスク) 。 島根県安来市生まれ。島根大学文理学部卒業、上智大学大学院文学研究科博士課程満期退学。常葉学園大学外国語学部助教授、ビルバオのデウスト大学客員教授、横浜商科大学商学部教授。
竹腰 創一(たけごし そういち、1949年(昭和24年)12… 竹腰 創一(たけごし そういち、1949年(昭和24年)12月17日 - )は、日本の政治家。元島根県大田市長(3期、新市制)、元島根県議会議員(2期)、元大田市議会議員(2期、旧市制)。 島根県大田市出身。東京教育大学体育学部(現・筑波大学)卒業後、広島市で会社勤務。1975年(昭和50年)に帰郷。 1988年(昭和63年)、島根大田青年会議所第17代理事長。 1990年(平成2年)、旧大田市議会議員に初当選。1995年(平成7年)、島根県議会議員に初当選。1999年(平成11年)に再選するも、2003年(平成15年)、落選。県議時代は自由民主党に所属した。 2005年(平成17年)10月1日、旧大田市は温泉津町と仁摩町と合併し、新大田市が発足。
堀江 清市(ほりえ せいいち、1949年12月7日 - )は… 堀江 清市(ほりえ せいいち、1949年12月7日 - )は、元NHKチーフアナウンサー。2016年12月退職。 島根県立松江南高等学校を経て東洋大学卒業後、1973年入局。2016年12月退職。
布野 修司(ふの しゅうじ、1949年8月10日 - )は、… 布野 修司(ふの しゅうじ、1949年8月10日 - )は、日本の建築・都市研究家、建築批評家。工学博士(東京大学・論文博士・1987年)。滋賀県立大学名誉教授。同副学長及び理事(研究・評価担当)を歴任。日本建築学会副会長、復旧復興支援部会部会長。 島根県出雲市生まれ。1972年東京大学工学部建築学科卒業。1976年同大学院博士課程中退、同大学工学部助手、1978年東洋大学工学部講師、1984年助教授、1991年京都大学工学部建築学科助教授。2005年滋賀県立大学環境科学部教授。2015年定年退官。 1987年「インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究 ハウジング・システムに関する方法論的考察」で東京大学より工学博士の学位を取得。
谷岡 弘規(たにおか こうき、1949年6月5日 - )は、… 谷岡 弘規(たにおか こうき、1949年6月5日 - )は、日本の元俳優。本名および旧芸名は、谷岡 行二()。 島根県松江市出身。島根県立松江北高等学校卒業。たむらプロに所属していた。 高校卒業後に上京し、ビルの清掃夫などの職業を経て、東宝芸能アカデミーで演技を学ぶ。 時代劇の端役でデビューした後、1972年にテレビドラマ『飛び出せ!青春』(日本テレビ)の谷岡次郎役でレギュラー出演。以降も青春ドラマを中心に多数の作品に出演した。 1973年に放送された『ダイヤモンド・アイ』の主役オーディションに東宝の推薦で参加。大浜詩郎とともに最終選考まで残るが、放送局であるNET側の意見により大浜に決定。本作品の第5話から第11話まで、北見八郎役で出演している。
岡田 光雄(おかだ みつお、1949年4月2日 - )は、島… 岡田 光雄(おかだ みつお、1949年4月2日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 邇摩高校では1966年、2年生の時、春の選抜にエースとして出場。1回戦で室蘭工業高校に敗退。同年夏は西中国大会の決勝で早鞆高校の坂本義雄と投げ合うが惜敗、翌年も予選で敗れ甲子園出場には届かなかった。 1967年ドラフト会議で東京オリオンズから2位指名されるも拒否し、松下電器へ入社した。1968年の第39回都市対抗野球大会に富士鉄広畑の補強選手として出場。松下電器同僚の加藤秀司、福本豊も同じく富士鉄広畑に補強されている。大会では神部年男投手との二本柱で勝ち進み、河合楽器との決勝戦でも神部をリリーフしてチームを優勝に導く。
田中 武夫(たなか たけお、1949年〈昭和24年〉1月27… 田中 武夫(たなか たけお、1949年〈昭和24年〉1月27日 - )は、日本の政治家。島根県安来市長(2期)。元安来市議会議員(4期)。 島根県安来市清井町に生まれる。安来市立宇賀荘小学校、安来市立第二中学校を経て1967年3月、島根県立安来高等学校卒業。 会社員、自営業を経て2005年(平成17年)、安来市議会議員に立候補し、初当選。2015年(平成27年)、議長に就任した。2017年(平成29年)に4選を果たした。 2020年(令和2年)10月18日に行われた安来市長選挙に立候補。現職の近藤宏樹、前市議の作野幸憲らを破り初当選した。10月24日、市長就任。 2024年(令和6年)10月13日、無投票で再選。
藤井 保(ふじい たもつ、1949年 - )は日本の写真家。… 藤井 保(ふじい たもつ、1949年 - )は日本の写真家。 JR東日本、日清カップヌードル(シュワルツェネッガー)、マグライト、無印良品などの広告写真で知られる。 是枝裕和監督作品『幻の光』のスチル撮影を担当したことから、同作品のタイトルワーク・広告美術担当の葛西薫とともに、出演者の江角マキコ写真集『ESUMI』を出版した。 かつてのアシスタントのひとりに写真家の瀧本幹也がいる。 大判カメラ 特に4X5(シノゴ)をネガフィルムで使用することが多い ADC賞グランプリ、ADC賞、ACC最優秀賞、朝日広告賞、カンヌ国際広告祭フィルム部門銀賞、APA賞、NY・ADC賞など。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
池尻 勉(いけじり つとむ、1948年10月16日 - )は… 池尻 勉(いけじり つとむ、1948年10月16日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手(捕手)。 島根農科大附属農林高時代は、4番で捕手。 1966年、捕手に限定して実施した入団テストで合格しドラフト外で南海ホークスへ入団。1軍は偵察メンバーの1試合のみ。 1971年に引退した。
高松 伸(たかまつ しん、1948年8月5日 - )は、日本… 高松 伸(たかまつ しん、1948年8月5日 - )は、日本の建築家。京都大学名誉教授。工学博士。一級建築士。株式会社高松伸建築設計事務所代表取締役。日本建築学会会員、アメリカ建築家協会名誉会員 (AIA)、ドイツ建築家協会 (BDA) 名誉会員、王立英国建築家協会会員 (RIBA)。 島根県出身。1984年、「織陣Ⅰ」にて日本建築家協会新人賞を受賞し建築家としてデビューを飾る。1989年、40才にして日本建築界最高の栄誉であるところの日本建築学会賞を「キリンプラザ大阪」にて受賞。その後、芸術選奨文部大臣賞、国土庁長官賞、BCS賞(建築業協会賞)、公共建築賞など数々の賞を受賞する。「天津博物館」、「ドイツ・ドュースブルグ市駅前再開発」などの国際設計競技にて最優秀賞を獲得するなど、海外でも活躍。
宇野 邦一(うの くにいち、1948年7月30日 - )は、… 宇野 邦一(うの くにいち、1948年7月30日 - )は、日本の哲学者、フランス文学者、翻訳家。立教大学名誉教授。専門は映像身体論、身体論、現代思想。 島根県松江市出身。松江工業高等専門学校、京都大学文学部仏文学科卒業。パリ第8大学でジル・ドゥルーズの指導を受け、アントナン・アルトーについての研究で1980年に博士号取得。1979年、「文学の終末について」で第22回群像新人文学賞評論部門優秀作。1983年神戸市外国語大学助教授、1987年立教大学助教授。法学部、現代心理学部で教授を務めた。2014年退任。立教大学名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
園田 喜則(そのだ よしのり、1948年7月29日-1989… 園田 喜則(そのだ よしのり、1948年7月29日-1989年9月6日)は、大阪府出身(出生地は島根県大田市)で、東京オリオンズ・ロッテオリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)に所属した元プロ野球選手。ポジションは内野手。
金子 哲夫(かねこ てつお、旧姓:松浦(まつうら)、1948… 金子 哲夫(かねこ てつお、旧姓:松浦(まつうら)、1948年(昭和23年)7月18日 - )は、日本の政治家、労働運動家、市民活動家。全国電気通信労働組合役員、原水爆禁止広島県協議会代表委員、衆議院議員(1期)、社会民主党広島県連代表を務めた。退任後は原水禁共同議長に就任している。 2001年12月7日に、当時の社民党副党首である渕上貞雄参議院議員や朝鮮総連副議長らとともに警視庁を訪問し、「朝鮮総聯中央本部に対する強制捜査は不当な政治弾圧」という決議文を伝達した。警察庁の幹部は、朝鮮総連幹部に国会議員が同行したことに「経済事件でバッジ(国会議員)が来るとは何事だ」と激怒し、警察庁は抗議文を内容証明付きで送り返した。
岡村 佳典(おかむら よしのり、1948年7月3日 - )は… 岡村 佳典(おかむら よしのり、1948年7月3日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
松浦 正敬(まつうら まさたか、1948年(昭和23年)3月… 松浦 正敬(まつうら まさたか、1948年(昭和23年)3月18日 - )は、日本の政治家。元松江市長(4期、旧市時代を入れると6期目)。
石橋 良三(いしばし りょうぞう、1948年(昭和23年)1… 石橋 良三(いしばし りょうぞう、1948年(昭和23年)1月2日 - 2019年(平成31年)1月22日)は、日本の政治家。 自由民主党所属の元広島県議会議員(7期)。広島県議会副議長(第103代)、文教委員長、建設委員長などを歴任。 息子は衆議院議員の石橋林太郎。 島根県浜田市出身。 日本歯科大学卒業後、広島市安佐南区で石橋歯科医院開業。 平成3年、広島県議会議員に初当選(広島市安佐南区選出)。 文教委員長、建設委員長などを歴任。当選7回。 自民党県議であったが亀井静香に近く、2005年の郵政解散の際には自民党が郵政民営化反対派に刺客を立てたことに抗議し第44回衆議院議員総選挙で広島3区から国政に出馬したが落選した。
青砥 恭(あおと やすし、1948年 - )は、日本の社会活… 青砥 恭(あおと やすし、1948年 - )は、日本の社会活動家。NPO法人さいたまユースサポートネット代表理事。 島根県松江市出身。明治大学法学部卒業。大学卒業後は、警備員のアルバイトに従事しており、教師になってからは20年間にわたり埼玉県の公立高校で教員として勤務した後、2019年3月まで関東学院大学、埼玉大学、明治大学などで教育学・教育法学・教育社会学などの分野で講師を務めた。主に「子ども・若者の貧困と格差」を研究テーマに教育と持続的な地域づくりという視点から研究をしている。2011年7月に友人らと特定非営利活動法人さいたまユースサポートネットを設立。その後は、さいたま市で学習支援、居場所づくり、就労支援など若者たちの包括的支援のネットワークと地域拠点をつくる活動をしている。
藤井 秀人(ふじい ひでと、1947年12月13日 - )は… 藤井 秀人(ふじい ひでと、1947年12月13日 - )は、日本の財務官僚。主計局長、財務事務次官等を歴任。2007年退官。 松江市立第四中学校、島根県立松江南高等学校卒業。高校の同期だった松浦正敬らと東京大学を受験するも不合格となり、翌年に親戚が京都にいるため京都大学法学部へ入学する。 好きな言葉は五省。趣味は囲碁、読書。好きなスポーツはゴルフ、水泳。家族は夫人と二男。東京都世田谷区代沢在住(いずれも1991年時)。 頭が切れすぎるのが欠点とされている同期の寺澤辰麿に対し、藤井は温厚な人柄からノンキャリア組の人気も高い。その一方で「出世よりギャンブル優先」と言う豪胆さもあり、あだ名は「ジャン助」である。
福田 仁志(ふくだ ひとし、1947年12月12日 - )は… 福田 仁志(ふくだ ひとし、1947年12月12日 - )は、NKT日本海テレビの元アナウンサー。石見銀山テレビ放送相談役。 島根県大田市出身。中央大学卒業後、1971年にNKT入社。アナウンサーを経て報道制作局へ。幹部職となってからもドキュメンタリー番組のナレーションなどを務めた。2012年3月に報道制作局次長を最後に退職し、同年4月から石見銀山テレビ放送相談役兼放送部長。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
山内 新一(やまうち しんいち、1947年12月3日 - )… 山内 新一(やまうち しんいち、1947年12月3日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手(投手)。 島根県立邇摩高等学校を経て三菱重工三原に入社。1966年の都市対抗では準々決勝に進出し、大昭和製紙と対戦。リリーフで登板し逆転負けを喫するが、好投手として注目を集める。 1967年のドラフト2位で巨人に入団。 1969年から一軍で起用された。 1970年には主に中継ぎで8勝を記録する。同年のロッテオリオンズとの日本シリーズでも2試合に登板。第3戦では9回途中からリリーフ、延長11回まで無安打に抑える好投でシリーズ初勝利を飾り、チーム日本一に貢献した。 1972年は故障もあって低迷。 1973年に松原明夫と共に富田勝との交換トレードで南海ホークスへ移籍する。
こうま・すう(1947年11月22日 - )は日本の漫画家。… こうま・すう(1947年11月22日 - )は日本の漫画家。島根県大田市出身、男性。他にこうます信行のペンネームを持つ。本名は幸増信行。 芳文社の漫画雑誌『コミックマガジン』でデビュー。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ:漫画家)。
曽田 博久(そだ ひろひさ、1947年10月23日 - )は… 曽田 博久(そだ ひろひさ、1947年10月23日 - )は、日本の映画・テレビドラマ作品の脚本家、小説家。特にスーパー戦隊シリーズでは参加17作品、メインライター担当9作品、執筆本数399本はいずれもシリーズの最多記録である。 島根県簸川郡大社町(現:出雲市)出身、在住。横浜国立大学工学部中退。 大学時代は新左翼の活動家だったが内ゲバの激化に嫌気がさして、学校に通うのも嫌になり、「宮大工になるか、古美術商を目指すか、それとも陶芸家を目指そうか」と進路を迷っていた。そんな時に立ち寄った本屋でたまたま月刊誌『シナリオ』を手にとり、「これなら書けそう」と“勘違い”して、シナリオライターになることを決意。