伊藤 蒼唯(いとう あおい、2004年1月12日 - )は、… 伊藤 蒼唯(いとう あおい、2004年1月12日 - )は、島根県出雲市出身の陸上競技選手。富士通陸上競技部所属。 出雲市立河南中学校、出雲工業高等学校、駒澤大学法学部政治学科卒業。 出雲駅伝及び全日本大学駅伝の出場はなかったが、11月の日体大長距離記録会で10000mの自己ベストを更新。箱根駅伝では1年生ながら6区に抜擢されると区間賞の走りを見せ、2年ぶりの総合優勝・史上5校目の大学駅伝三冠に貢献した。 初出場となった出雲駅伝と全日本大学駅伝では共に区間2位の走りで優勝に貢献したが、箱根駅伝は欠場。また、駒澤大は総合2位となり2年連続の大学駅伝三冠はならなかった。 箱根駅伝後の丸亀国際ハーフマラソンでは自己ベストを3分以上更新した。
三浦 龍司(みうら りゅうじ、2002年(平成14年)2月1… 三浦 龍司(みうら りゅうじ、2002年(平成14年)2月11日 - )は、島根県浜田市出身の陸上競技選手、専門は中距離、長距離で主に3000mSC。浜田市立浜田東中学校、洛南高等学校、順天堂大学卒業。現在はSUBARU所属。2021年に東京オリンピック3000mSCに出場し、日本人初入賞となる7位入賞を果たす。 3000mSCの日本記録保持者で、日本学生記録、U20日本記録、U18日本記録、高2最高記録も保持。2000mSCのU20及びU18日本記録保持者。3000mのU20日本記録保持者。 小学1年から、陸上クラブの浜田JASに所属。小学校時代から負けず嫌いで体力があり、縄跳び競技で二重跳びを10分間飛び続け、優勝した時の記録は浜田市小学生記録で2021年現在も更新されていない。
福田 翔子(ふくだ しょうこ、1998年8月20日 - )は… 福田 翔子(ふくだ しょうこ、1998年8月20日 - )は、日本の女子陸上競技選手。専門は短距離走(400m)・中距離走(800m)。 主に400mと800mが専門。 松江市立第一中学校から島根県立松江北高等学校に進学した。 中学時代は、3年時に第40回全日本中学校陸上競技選手権大会の800mで8位入賞した。 2015年6月、日本選手権の800mで5位入賞した。7月、第9回世界ユース陸上競技選手権大会の日本代表に選出され、800mに出場した。 2016年6月、日本選手権の800mで優勝した。高校生の優勝は1999年の西村美樹以来17年ぶり。また、予選で高校日本歴代4位となる2分5秒02を記録し、大会前の自己ベスト(2分7秒21)を2秒以上更新した。
青山 聖佳(あおやま せいか、1996年5月1日 - )は、… 青山 聖佳(あおやま せいか、1996年5月1日 - )は、日本の女子陸上競技選手。専門は短距離走。 主に200mと400mが専門。 松江市立第一中学校から島根県立松江商業高等学校に進学し、高校生になってから200mで頭角を現した。高校1年生ながら高校総体で5位に入り、国体では優勝した。翌年からは400mでも記録を伸ばし、高校総体で4位、国体で3位に入った。 2014年、中国高校選手権で100m、200m、400mの3冠を達成した。日本選手権に初出場し、200mでは9位、400mでは2位だったものの、アジア大会の代表に選出された。高校総体では200mと400mの2冠を達成している。アジア大会では400mの予選で自己新、日本歴代4位となる52秒99を記録し決勝に進出した。
荒井 悦加(あらい よしか、旧姓辰巳、1982年2月26日 … 荒井 悦加(あらい よしか、旧姓辰巳、1982年2月26日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は3000メートル障害。松江市立第一中学校、島根県立松江北高等学校、島根大学教育学部卒業。SMTC所属。かつてはスターツやノーリツ、エディオンに所属していた。 2007年2月、千葉国際クロスカントリー選手権一般女子6キロで8位入賞を果たし、ヨルダンで開催されたアジアクロスカントリー選手権日本代表に選出される。6月の第91回日本選手権では3000m障害に出場し準優勝。この成績により、第11回世界選手権日本代表入りを果たした。世界選手権では、1周目の水濠で後続選手に突き飛ばされ転倒。2回目の水濠でも転倒し予選不通過で終えた。
錦織育子(にしこおり いくこ、1980年1月5日 - )は、… 錦織育子(にしこおり いくこ、1980年1月5日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は棒高跳。屋外元日本記録保持者、室内日本記録保持者である。2005年アジア選手権・東アジア競技大会日本代表。2006年ドーハアジア競技大会日本代表。島根県出雲市出身。出雲市陸協所属。
三代 直樹(みしろ なおき、1977年3月16日 - )は… 三代 直樹(みしろ なおき、1977年3月16日 - )は、日本の陸上競技選手。陸上競技指導者。専門は長距離種目。島根県松江市出身。島根県立松江商業高等学校、順天堂大学卒業。富士通陸上競技部所属。世界陸上選手権エドモントン大会日本代表。身長166cm、体重53kg。 順天堂大学時代は長距離トラック種目を中心に優れた結果を残し、日本インカレではダニエル・ジェンガや小林雅幸、山本佑樹(日本大学)らと頂点を競い、4年時(1998年)には5000m・10000mともに優勝を飾った。駅伝では、箱根駅伝に1年(1996年)から出場し、2年時1997年以降順天堂大学のエースとして、当時の駒澤大学のエース藤田敦史、東海大学の諏訪利成らと名勝負を演じた[独自研究?]。
土江 寛裕(つちえ ひろやす、1974年6月14日 - )は… 土江 寛裕(つちえ ひろやす、1974年6月14日 - )は、日本の元陸上競技選手、スポーツ科学者。陸上競技指導者。1990年代後半から日本を代表するスプリンターとして活躍。 島根県平田市(現出雲市)出身。富士通所属。出雲市立平田中学校、島根県立出雲高等学校を経て、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。早稲田大学大学院人間科学研究科修士課程、博士課程修了。早稲田大学非常勤講師、早稲田大学競走部女子コーチなどの要職を歴任した。日本陸連短距離副部長。2017年より東洋大学法学部教授。 元200m日本チャンピオンの土江良吉は実父。錦織育子、信岡沙希重らは早稲田大学競走部の後輩。甲南大学で教鞭を執る伊東浩司、法政大学スポーツ健康学部教授の苅部俊二、横浜市立金沢高等学校教諭の簡優好、200mで活躍した伊藤辰哉、元110mH日本記録保持者で順天堂大学陸上競技部コーチの岩崎利彦らとは富士通のチームメイト。
野見山 俊一(のみやま しゅんいち、1933年9月1日 - … 野見山 俊一(のみやま しゅんいち、1933年9月1日 - 2012年7月16日)は、日本の陸上競技選手・指導者(長距離)、熊本学園大学名誉教授。 島根県松江市生まれ。福岡県立嘉穂高等学校、東京教育大学体育学部卒。 高校時代は水泳部に所属していたが、長距離選手としての特性を見いだされ陸上競技部に転部。東京教育大学時代は箱根駅伝に2回出場(第30回7区、第31回10区)。 熊本国体(1960年)の開催年に熊本商科大学(現・熊本学園大学)に招聘され、以後46年間にわたり指導にあたる。野見山の指導する熊本商科大学は、全日本大学駅伝対抗選手権大会に2回出場を果たした(第2回、第12回)。 九州一周駅伝では熊本県チームの監督団の一員として参加。
福田 時雄(ふくだ ときお) のち 森山 時雄(もりやま と… 福田 時雄(ふくだ ときお) のち 森山 時雄(もりやま ときお、1915年2月10日 - 2001年1月6日)は、日本の陸上競技(障害走)選手・指導者、実業家、美術収集家。1936年ベルリンオリンピックに男子400メートルハードルで出場。 島根県出身。県立大社中学校(現在の島根県立大社高等学校)卒業。 関西大学に入学。1936年ベルリンオリンピックで日本代表選手となり、男子400メートルハードルに出場。 1937年9月5日、日本陸上競技選手権大会400メートルハードルにおいて、当時の日本学生記録(54秒8)をマーク。 1938年(昭和13年)関西大学法学部卒業。醸造業を営み、島根県醤油工業協同組合理事長を務めた。
津田 晴一郎(つだ せいいちろう、1906年7月26日 - … 津田 晴一郎(つだ せいいちろう、1906年7月26日 - 1991年9月20日)は、島根県松江市出身の日本の陸上競技選手(長距離)。1928年アムステルダムオリンピックと1932年ロサンゼルスオリンピックでマラソンに出場し、連続して入賞を果たした。 旧制松江中学校(現・島根県立松江北高等学校)を経て関西大学予科に進学する。旧制中学時代から陸上競技を始めたが、当時は県内大会に出場する程度のレベルであった。 しかし、「なぜ日本のマラソン選手はオリンピックで勝てないのか」という疑問を抱くようになり、親交のあった大阪毎日新聞や大阪朝日新聞の運動記者から資料を得て、研究を行うようになる。その中で、ハンネス・コーレマイネンやパーヴォ・ヌルミをはじめとするフィンランドの長距離選手の強さに着目し、彼らのようなトラックでのスピードをつけることがマラソンで勝つために必要だと考えるに至る。
上田 精一(うえだ せいいち、1899年3月1日 - 没年不… 上田 精一(うえだ せいいち、1899年3月1日 - 没年不明)は、日本の陸上競技選手。 現在の島根県出雲市出身。島根師範学校から東京高等師範学校に進む。 東京高等師範学校在学中、1922年・1923年の日本陸上競技選手権大会のやり投種目を連覇。1923年には第6回極東選手権競技大会(大阪)に五種競技で出場して優勝した。 東京高等師範学校在学中に、1924年パリオリンピックで男子五種競技に出場した。 1925年には第7回極東選手権競技大会(マニラ)に五種競技で出場した。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
土江 良吉(つちえ りょうきち、生年不明 - 1997年9月… 土江 良吉(つちえ りょうきち、生年不明 - 1997年9月27日)は、日本の元陸上競技(短距離走・ハードル)選手。200メートルハードルの元日本記録保持者。 島根県出身。幼少時は病弱で、小学校3年生のとき一時危篤状態に陥るが奇跡的に回復。しかし、学校は休みがちで、イジメにも遭っていたという。中学校に入学後、陸上競技部に入部。3年生のとき、出雲陸上競技大会の100メートル競走で優勝。このときの感激が忘れられず陸上競技にのめりこむ。 島根県立出雲商業高等学校時代は、1年生から主力選手として活躍。今岡進の指導により素質が開花した。1964年、インターハイに出場。200メートルハードルで2年生ながら優勝を果たした。