大島 綾華(おおしま あやか、2003年1月31日 - )は… 大島 綾華(おおしま あやか、2003年1月31日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。女流棋士番号は74。広島県広島市出身。森信雄門下。 小学6年生のとき、双子の弟と父が将棋を指してるのを見て、自分もやりたくなり、父から教わった。何十分も考えて熱中してるのを見た父が将棋道場に連れて行き、弟と共に通うようになった。 中学2年生のとき、初めて全国大会に出場した際、予選を抜けて本戦一回戦で野原未蘭と対戦した。熱戦だったが最終盤、7手詰めが見えながら受けに回り頓死した。その光景が頭から離れず、以来、将棋に本格的に打ち込むようになった。 2016年11月、関西研修会にD2で入会。 中学生から奨励会を目指していた。
糸谷 哲郎(いとだに てつろう、1988年10月5日 - )… 糸谷 哲郎(いとだに てつろう、1988年10月5日 - ) は、将棋棋士。森信雄七段門下。棋士番号は260。日本将棋連盟棋士会副会長(2019年6月7日 - )。日本将棋連盟常務理事(2025年6月6日 - )。 広島県広島市西区出身。広島学院中学校・高等学校を経て大阪大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士前期課程修了(修士(文学))。 関西所属であり、豊島将之、村田顕弘、稲葉陽とともに「関西若手四天王」と呼ばれる棋士の一人。 1998年(平成10年)、小学校4年で第23回小学生将棋名人戦に広島県代表で出場。西日本大会で佐藤天彦(5年、福岡県代表)らを破り、テレビ放送される全国準決勝進出まであと1勝としたが、船江恒平(5年、兵庫県代表)に敗れる。
竹内 雄悟(たけうち ゆうご、1987年12月17日 - )… 竹内 雄悟(たけうち ゆうご、1987年12月17日 - )は、将棋棋士。森信雄七段門下。棋士番号は292。広島市出身・大阪市在住。奨励会二段時代までの名は大悟(だいご)。 幼少期に母方祖父に教わり、将棋を覚えた。本格的に将棋を始めたのは小学3年生のときで、その後は地元の広島将棋センターに通って腕を磨いた。広島観音高校在学中に、村山聖九段を偲んで広島で開催されている「怪童戦」を2連覇して注目を集める。 2004年9月、高校2年生の時に3級で奨励会に入会。同期入会者の中では2番目に年長であった。奨励会に入会したのは、将棋を全く知らない祖母から「そんなに将棋が好きだったらプロ目指してみないの?」と言われ、学校の勉強も好きではなかったことから「好きな将棋をして生きていけたら最高」と思ったのがきっかけ。
坂東 香菜子(ばんどう かなこ、1986年3月31日 - )… 坂東 香菜子(ばんどう かなこ、1986年3月31日 - )は、将棋の女流棋士。広島県因島市三庄町(現尾道市)生まれの、大阪府育ち。飯野健二八段門下。女流棋士番号27(2011年3月31日までの旧番号は旧51)。身長164 cm・体重40 kg(将棋年鑑のプロフィールにおける発表)、血液型A型。日本女子大学卒業。2014年3月31日付で現役を引退。 幼稚園時代に父から将棋を教わり、小学3年生の秋から飯野健二八段の子ども教室に通い始める。 1997年9月に11歳で女流育成会入会後、2001年10月に15歳で女流2級としてプロデビュー。 予選の概念が存在しない倉敷藤花戦を除くと、女流公式戦において本戦に進出した経験はないものの、2003年5月18日の第17回レディースオープントーナメント予選1回戦で矢内理絵子を、2005年10月22日の第10回鹿島杯女流将棋トーナメント予選2回戦で甲斐智美を、いずれも得意とする四間飛車で撃破した。
片上 大輔(かたがみ だいすけ、1981年8月28日 - )… 片上 大輔(かたがみ だいすけ、1981年8月28日 - )は、将棋棋士。棋士番号は251。森信雄七段門下。広島県広島市出身。東京大学在学中にプロデビューし、史上初の‘東大生棋士’として時の人となる。その後、同大学を卒業したが、‘東大卒棋士’も史上初である。
今泉 健司(いまいずみ けんじ、1973年7月3日 - )は… 今泉 健司(いまいずみ けんじ、1973年7月3日 - )は、将棋棋士。棋士番号は299。愛知県豊橋市生まれ、広島県福山市出身。桐谷広人八段門下(1999年に奨励会を年齢制限で退会する前は、小林健二九段門下)。 2014年度に実施されたプロ編入試験に合格し、2015年4月1日付でプロ棋士四段となった。なお、プロ入り直前のアマ段位は七段であった。 小学2年で父から教えられ将棋を覚える。関西研修会に入会後、関西奨励会を受験も1回目は不合格。翌年関西研修会でクラスを上げ1987年9月に中学2年で関西奨励会編入。関西同期では四段入りしたものは居らず、関東同期では川上猛・三浦弘行・田村康介ら。1994年の第15回から三段リーグに在籍していたが、1999年の第25回で年齢制限により退会。
村山 聖(むらやま さとし、1969年〈昭和44年〉6月15… 村山 聖(むらやま さとし、1969年〈昭和44年〉6月15日 - 1998年〈平成10年〉8月8日)は、日本の将棋棋士、九段(追贈)。森信雄七段門下。棋士番号は180。いわゆる「羽生世代」と呼ばれる棋士の一人。 広島県安芸郡府中町出身。 3人きょうだいの末子(兄と姉がいる)として生まれる。5歳のとき、腎臓の難病であるネフローゼ症候群にかかっていることが発覚。府中町立府中小学校に入学するも病状が悪化し、1か月ほどで広島市立広島市民病院の院内学級に転校する。次いで広島県立原養護学校(国立療養所原病院に隣接)に転校し6年生の1月まで過ごす。ともに入院していた子が亡くなることもあったという。 入院中に父から将棋を教わり、それに没頭するようになる。
桐谷 広人(きりたに ひろと、1949年10月15日 - )… 桐谷 広人(きりたに ひろと、1949年10月15日 - )は、日本の将棋棋士、投資家。升田幸三実力制第四代名人門下。棋士番号120。2007年に引退。 広島県竹原市出身。将棋棋士の門をたたこうとしていたところ、紹介により同郷の升田幸三の弟子となった。1975年に桐谷のライバルとされた沼春雄と共に四段昇段を果たしプロ棋士となった。当時まだ珍しかった、研究派の棋士で「コンピューター桐谷」の異名をとった。棋風は居飛車党の受け将棋。相手の攻め駒を攻める、駒得を重視する戦術で、優勢になってもなお相手の攻撃の応接を継続する「マッサージ戦術」を得意として「桐谷マッサージ戦術」(青野照市)などと呼ばれた。また入玉が得意の棋士としても知られる。
升田 幸三(ますだ こうそう/ますだ こうぞう、1918年〈… 升田 幸三(ますだ こうそう/ますだ こうぞう、1918年〈大正7年〉3月21日 - 1991年〈平成3年〉4月5日)は、将棋棋士、実力制第四代名人。棋士番号18。 木見金治郎の弟子であり、木村義雄・塚田正夫・大山康晴と死闘を演じ、木村引退後は大山と戦後将棋界で覇を競った。昭和の将棋界で一番のスター棋士である。 名前の読みは「こうそう」であるが、将棋界では「こうぞう」で通した。 父栄一、母カツノの四男として生まれる。1932年(昭和7年)2月に「日本一の将棋指し」を目指して家出。家出の時に愛する母の使う物差しの裏に墨でしたためた「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら…」の文言は、後に現実のものとなる(詳細は後述)。
松浦 卓造(まつうら たくぞう、1915年1月22日 - 1… 松浦 卓造(まつうら たくぞう、1915年1月22日 - 1977年3月11日)は、将棋棋士。八段。神田辰之助九段門下。広島県三原市出身。棋士番号なし。 商業学校を中退後にアマチュア強豪として活躍。 入門は遅く、27歳だった1942年に神田辰之助に入門。28歳で二段。 1944年に四段に昇段。 戦後の1946年の順位戦C級クラスに参加、10勝4敗の好成績で六段特進。以後トントン拍子にA級へ昇級。 晩年は病気のために休場する事がしばしばあり、第30期順位戦B級2組を休場したのが順位戦の最後となった。 主催者変更問題に伴う順位戦の中断期間の最中、1977年3月11日に現役死去。 研究熱心で、豪快な攻め将棋で知られる。
畝 美与吉(うね みよきち、1900年11月15日 - 19… 畝 美与吉(うね みよきち、1900年11月15日 - 1971年9月7日)は、将棋棋士。七段。神田辰之助九段門下。広島県呉市出身。 1931年、神田辰之助に入門。翌1932年に四段昇段。 戦後は戦災のために第1期順位戦は不参加。1947年の第2期順位戦からC級に参加。1954年11月2日、第9期順位戦(C級2組)で当時14歳の加藤一二三と対戦したが、敗れている。1956年の第11期順位戦でC級2組から降格し、翌1957年は56歳にして予備クラス(現在の三段リーグに相当)で対局することになったが、1957年前期の予備クラスでも1勝11敗と大きく負け越し、1957年前期限りで引退した。 1954年の第9期順位戦(C級2組・西組)では当時14歳の加藤一二三と2局対局しいずれも敗れている。