下村 祐一郎(しもむら ゆういちろう、1984年5月10日 … 下村 祐一郎(しもむら ゆういちろう、1984年5月10日 - )は、福岡県内を中心に活動している日本のシンガーソングライター、キーボーディスト、アレンジャー、ラジオパーソナリティ。 アコースティックバンド「トリミライト」のボーカル・キーボード担当メンバーとしても活動中。その際のアーティストネームは「ハーモニー下村」となっている。 他ミュージシャンへのサポート活動については、後述を参照。 2004年から福岡で活動するミュージシャンのライブやレコーディングにピアノ・キーボードプレイヤーとして参加。基本的にはアコースティック系のインディーズミュージシャンが中心だが、手掛けたミュージシャンがメジャーデビューを果たしたり(ももちひろこなど)、最近ではヒップホップやロックバンドのサポートも務めるなど、音楽の幅を拡げている。
岡村 トモ子(おかむら トモこ、1984年〈昭和59年〉1月… 岡村 トモ子(おかむら トモこ、1984年〈昭和59年〉1月23日 - )は、日本のサックス奏者、作曲家、編曲家。 ビッグバンド「たをやめオルケスタ」のリーダー、SKAバンド「The SKAMOTTS」のリーダーをつとめる。チャラン・ポ・ランタンのバックバンド「カンカンバルカン楽団」のメンバーでもある。 山口県下関市生まれ・出身。 下関市立豊浦小学校、下関市立長府中学校、山口県立下関西高等学校卒業。中学でアルトサックスを始め、中高は吹奏楽部に在籍。 早稲田大学第一文学部に進学、夜間は文化服装学院に通い、ダブルスクール過程修了。向井志門にジャズサックスを師事し、音楽理論、作編曲、ホーンアレンジ、フルートは独学。
多田 尚人(ただ なおと、1983年5月21日 - )は、日… 多田 尚人(ただ なおと、1983年5月21日 - )は、日本のベーシスト。本名同じ。山口県下関市出身。血液型O型。 15歳でベースを始める。19歳の時にTEENS MUSIC FESTIVALで自身のバンドで関西エリア代表として全国大会出場(会場は渋谷公会堂)。 同年プロ活動開始。上京後は、伊東ミキオ、サンコンJr.(ウルフルズ)とのピアノトリオを初め、サポートベーシストとして、あいみょん、石野真子、ウルフルケイスケ、瑛人、海蔵亮太、Kainatsu、Keishi Tanaka、コニー(ex.ザ・ヴィーナス)、土屋公平、中島美嘉、KnightA-騎士A-、Michael Kaneko、かまやつひろし、村上佳佑、森山直太朗、などのライブ、レコーディングに参加している。
末廣 健児(すえひろ けんじ、1975年 - )は、日本の作… 末廣 健児(すえひろ けんじ、1975年 - )は、日本の作曲家・編曲家・マンドロンチェロ奏者。 岩国市美和町生まれ。現在は京都府宇治市に在住。4歳からエレクトーンを始め、作曲の基礎を学ぶ。15歳の時、自作曲にてヤマハジュニアオリジナルコンサートに出演。その後、岩国高等学校プレクトラムアンサンブル部にてマンドロンチェロを始め、京都大学入学後は同大学マンドリンオーケストラにて指揮者を務めた。 大学卒業後、井上泰信主宰のARSNOVA Mandolin Orchestraに結成当初より所属。マンドロンチェロ首席奏者や指揮者を務めた他、ARSNOVA Mandolin QuartetおよびARSNOVA Mandolin Ensembleにもマンドロンチェロ奏者として参加しながら、同団体での演奏ピース全般の編曲を担当。
甲斐 大作(かい だいさく、1962年4月12日 - )は、… 甲斐 大作(かい だいさく、1962年4月12日 - )は、日本のサックス奏者。 1962年4月12日、山口県下関市に生まれる。 1975年、下関市立彦島中学校にて吹奏楽部に入部。サックスを始める。 1981年4月、東京音楽大学に入学。クラシックサックスを学びながら、銀座、新宿のキャバレー、ダンスホール等で研鑽を積む。 1984年、近藤真彦のバックバンド『YAMATO』に所属し、全国ツアー、テレビ出演、レコーディングを行う。 1996年、福岡に活動の拠点を移す。 市内のライブハウス、ジャズクラブを中心に演奏。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
河合 わかば(かわい わかば、1960年8月6日 - )は日… 河合 わかば(かわい わかば、1960年8月6日 - )は日本のトロンボーン奏者。米米CLUB、クレイジーケンバンド、ホーンセクション・BIG HORNS BEEのトロンボーン担当。 トロンボーン以外にもサクソフォーン、チューバ、フルートなど管楽器全般を演奏するマルチリード奏者。クレイジーケンバンドではホーンアレンジも担当。 出生は福岡県小倉市(現・北九州市)、育ちは山口県下関市。 中学校の時に管弦楽部に入部し、他に誰もやりたい人がいなかったという理由でトロンボーンを始める。山口県立豊浦高等学校卒業。鹿児島大学中退。 1987年にBIG HORNS BEEに加入。以降米米CLUBのサポート及びレコーディングメンバーとして定着する。
角谷 美知夫(かどたに みちお、1959年5月14日 - 1… 角谷 美知夫(かどたに みちお、1959年5月14日 - 1990年8月5日)は、日本のギタリスト、ボーカリスト、シンガーソングライター、宅録音楽家(英語版)、詩人。サイケデリック・ロックバンド「腐っていくテレパシーズ」リーダー。角谷 美智夫、角谷 未知夫とも表記される。 精神分裂病(現・統合失調症)に起因する幻覚や幻聴を創作に反映させた唯一無二の作風で知られる。1979年前後の吉祥寺マイナー周辺で頭角を現し、1980年代初頭の日本アンダーグラウンド・シーンにおいて特異な存在感を示した。オーバードーズにより31歳で夭折した後も、没後に編まれたP.S.F.の追悼盤により伝説的なアーティストとして語り継がれている。
マモル・マヌー(Mamoru Manu、1949年6月3日 … マモル・マヌー(Mamoru Manu、1949年6月3日 - 2020年9月1日)は、日本のドラマー、ボーカリスト。本名は三枝 守(さえぐさ まもる)。山口県出身、横浜育ち。 歌のうまさに関しては、音楽家や音楽評論家の評価が高く、親族にアメリカ人と結婚した人がいたため、子供のころから米軍基地に出入りしていた。 1949年6月3日、山口県で誕生し、すぐに横浜に移る。 子供の頃から米軍キャンプに出入りし、バンドのボーカリストとして活動を始める。 デイヴ平尾の誘いにより、「平尾時宗とグループ・アンド・アイ(後のザ・ゴールデン・カップス)」を結成、1967年6月、「いとしのジザベル」でデビュー。3枚目のシングル「長い髪の少女」で初めてソロ・パートを担当して以降、その凛々しく甘いルックスでアイドル的な人気を博し、ゴールデン・カップスの活動を支えた。
国吉 良一(くによし りょういち、1948年4月24日 - … 国吉 良一(くによし りょういち、1948年4月24日 - )は日本の音楽プロデューサー、作曲家、編曲家、キーボーディスト。山口県宇部市出身。 主として德永英明の楽曲編曲、陣内大蔵のプロデュース、長渕剛のアルバムに於けるスタジオ・ミュージシャンやバックバンドとしてライブツアーでの演奏、映画音楽の分野で活動している。 ※特記以外は全て編曲のみの作品 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
石井 志都子(いしい しづこ、1942年 - )は、日本のヴ… 石井 志都子(いしい しづこ、1942年 - )は、日本のヴァイオリニスト。洗足学園音楽大学名誉教授。桐朋学園大学名誉教授。 山口県山口市出身。ヴァイオリニストであった父・石井洋之助の元で、6歳からヴァイオリンを始める。その後、竹内文子、鷲見三郎、ジャンヌ・イスナールに師事。 1959年、渡仏。パリ音楽院にて、ガブリエル・ブイヨン(ドイツ語版)、ジャック・フェヴリエに師事。パリ音楽院卒業後はソリストとして活動する一方、パリ音楽院管弦楽団のコンサートマスターを4年間務めた。 1970年より山口芸術短期大学、1974年より桐朋学園大学、1987年より洗足学園音楽大学にて後進の指導に当たる。2002年、第12回日本クラシック音楽コンクールに際し、日本クラシック協会より優秀指導者賞を受ける。
伊藤 拾郎(いとう じゅうろう、1918年〈大正7年〉2月1… 伊藤 拾郎(いとう じゅうろう、1918年〈大正7年〉2月13日 - 2003年〈平成15年〉3月19日)は、日本のハーモニカ演奏者。 兄は詩人の中原中也であり、中也の兄弟で最後の存命者であった。日本ハーモニカ芸術協会理事を務めた。 名前が中也、亜郎(亜は2番目の意)、恰三、思郎(四)、呉郎(五)ときて急に飛んで拾郎(十)になったのは長年謎に包まれている。最近の研究では恐らく親は十という数字が好きなのだろうと考えられている。 山口県山口市において、中原医院を営む父・中原謙助、母・フクの六男として生まれる。出生名は中原拾郎。6人兄弟の末弟であり、長兄の中也は11歳年上であった。拾郎が5歳の頃に中也は郷里を離れており、末弟の拾郎にとっては時折山口に帰省してくる「兄様」であった。
藤原 義江(ふじわら よしえ、1898年(明治31年)12月… 藤原 義江(ふじわら よしえ、1898年(明治31年)12月5日 - 1976年(昭和51年)3月22日)は、日本の男性オペラ歌手、声楽家(テノール)。愛称は吾等のテナー(われら-)。 太平洋戦争の戦前から戦後にかけて活躍した世界的オペラ歌手。藤原歌劇団を創設した。父親はスコットランド人で貿易商、母親は日本人で琵琶芸者、大阪府で生まれた。 1898年(明治31年)、山口県下関市で貿易会社のホーム・リンガー商会下関支社「瓜生商会」を営んでいた28歳のスコットランド人、ネール・ブロディ・リード(Neil Brodie Reid)と、同県で活動していた23歳の琵琶芸者、坂田キクとの間に出生。母キクの実家がある大阪で生まれたが、ネールは我が子を認知せず、また手切れ金の類を渡すこともなかった為、キクは働きながら九州各地を転々とした。
田川 ヒロアキ(たがわ ひろあき、6月9日 - )は、日本の… 田川 ヒロアキ(たがわ ひろあき、6月9日 - )は、日本のギタリスト、キーボーディスト、シンガーソングライター。先天性の全盲で、ギターのネックを上から持つ独特の演奏スタイル。山口県下関市出身。 生まれて間もなく医師から先天性の視覚障害の可能性を告げられる。田川の記憶では3歳の頃は、うっすらと光と色を感じ取れていたという。幾度も治療を試みるも改善の兆しはなく徐々に視力が失われ、13歳で光を感じることもなくなり全盲となったが、不思議と精神的ダメージはなかったという。 幼少期の田川は、輪ゴムを空の菓子箱に嵌め、和音として弾き始め、その音を楽しむ一人遊びに夢中であった。その様子を見た両親が、音楽に興味を示していると思い、5歳からピアノを 8歳で琴を習わせてくれた。
山下 やよい(やました やよい)は、山口県岩国市出身の打楽器… 山下 やよい(やました やよい)は、山口県岩国市出身の打楽器・マリンバ奏者、吹奏楽指導者。 所属事務所は、ハラヤミュージックエンタープライズ。 打楽器・マリンバを松嶋秀男、佐藤正二郎、佐藤須美子、吉岡考悦に師事。 吹奏楽指導者としては、母校である山口県立岩国工業高等学校吹奏楽部のコーチとして小編成ながらコンクールにて中国大会にほぼ毎年導いている。
桑野 聖(くわの ひじり、2月12日 - )は、山口県山口市… 桑野 聖(くわの ひじり、2月12日 - )は、山口県山口市生まれのヴァイオリニスト、作曲家、編曲家。 6歳からヴァイオリンを始め、石井洋之助、石井志都子、田中千香士の各氏に師事。山口県立山口高等学校、東京藝術大学音楽学部器楽科卒業。東京藝術大学在学中より、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、宮城フィルハーモニー管弦楽団(現・仙台フィルハーモニー管弦楽団)等のゲストコンサートマスターとして活躍する。 小学生の頃から、プロのヴァイオリニストへの道を歩み、全日本学生音楽コンクールなどにも一位入賞。中学・高校時代にはクラシック以外の音楽にも深く興味を持ち、実はギタリストにもなりたかったが、芸大受験のため、断念。
中村 めぐみ(なかむら めぐみ)は、山口県生まれのフルート奏… 中村 めぐみ(なかむら めぐみ)は、山口県生まれのフルート奏者、広島市在住。広島交響楽団在籍。エリザベト音楽大学の非常勤講師。 山口県防府市生まれ。9歳から、小学校 ブラスバンド部にてフルートを始め、その後、国府中学校、防府高校、国立音楽大学を卒業。 国立音楽大学卒業時、武岡賞受賞し、首席で卒業。 ドイツ ロベルト・シューマン大学デュッセルドルフ大学院、卒業試験において最高得点を得て卒業。 1997年ドイツ演奏家国家試験において審査員全員一致の最高得点で合格。日本帰国。 1997年 神戸国際コンベンションコンクールのソロ部門にて2位入賞。 1998年 広島交響楽団入団。 2000年よりエリザベト音楽大学にて 非常勤講師として後進の指導にあたる。
植村 理葉(うえむら りよ)は、日本のヴァイオリニスト。山口… 植村 理葉(うえむら りよ)は、日本のヴァイオリニスト。山口県下関市生まれ。 4歳からヴァイオリンを始めた。第36回全日本学生音楽コンクール全国大会小学生の部で第1位を受賞。桐朋女子高等学校音楽科に入学し、第58回日本音楽コンクールで第2位を受賞した。また、1989年、ロドルフォ・リピツァー賞国際ヴァイオリン・コンクールで第4位。千本芳恵、鈴木共子、和波孝禧、小林健次に師事した。 同高校を卒業した後、文化庁芸術家在外研修員として、ケルン音楽大学に留学し、イゴール・オジムに師事する。ヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクールで第5位、ミケランジェロ・アバド国際ヴァイオリン・コンクールで第1位、レオポルト・モーツァルト国際ヴァイオリン・コンクールでは1位なしの第2位及びモーツァルト賞を受賞した。