真柴 あずき(ましば あずき、本名:佐々木直美、1964年3… 真柴 あずき(ましば あずき、本名:佐々木直美、1964年3月20日 - )は、日本の女優、演出家、劇作家、脚本家。山口県岩国市出身。演劇集団キャラメルボックス所属。 山口県立岩国高等学校、早稲田大学第二文学部文芸専攻卒業。学生劇団「てあとろ50'」を経て、成井豊・加藤昌史等と共に1985年、演劇集団キャラメルボックスを旗揚げ。 1993年『四月になれば彼女は』で劇作家デビュー。以後、成井豊と共同(作品のプロットはほぼ彼女が担当)でキャラメルボックス作品の作・演出を年1-2本程度手がける。 また、同劇団員の坂口理恵・声優の緒方恵美と共に、2009年に劇団「ARMs」を旗揚げした。 太字以外は全て成井豊と共同担当している
福田 靖(ふくだ やすし、1962年 - )は、日本の脚本家… 福田 靖(ふくだ やすし、1962年 - )は、日本の脚本家。株式会社CRG所属。山口県徳山市(現・周南市)出身。 山口県立徳山高等学校を卒業後、上京し明治学院大学文学部仏文学科に進学した。その後、大学を中退し、劇団の主宰を経て、脚本家としてデビューした。 全国朝日放送と共同テレビジョンが製作した『BLACK OUT』にて、脚本家としてのデビューを果たす。以降はテレビドラマの脚本を中心に活動しており、群像劇を多く手掛けている。 2002年、『ウエディングプランナー SWEETデリバリー』にて、初めて連続ドラマの脚本を単独で執筆した。また、2010年の大河ドラマに起用され、『龍馬伝』の脚本を手がけた。
庵野 秀明(、1960年〈昭和35年〉5月22日 - )は、… 庵野 秀明(、1960年〈昭和35年〉5月22日 - )は、日本のアニメ監督、アニメーター、脚本家、映画監督、プロデューサー。 山口県宇部市出身。株式会社カラー代表取締役社長、株式会社プロダクション・アイジー・株式会社でほぎゃらりー・POPOPO株式会社取締役、株式会社プロジェクトスタジオQ創作管理統括、特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構理事長。山口県立宇部高等学校卒業。大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)除籍。妻は漫画家の安野モヨコ。 別名義として、アニメーションを手がける際のあんの ひであきやアンノ ヒデアキ、作詞家としての空母そ・そ・そ・そ、樋口真嗣との作詞コンビHIDE&シンディー♡などがある。
小池 要之助(こいけ ようのすけ、1941年(昭和16年)1… 小池 要之助(こいけ ようのすけ、1941年(昭和16年)11月13日 - 2010年(平成22年)9月22日)は、日本の映画監督、脚本家。ミュージックシネマズジャパン顧問。山口県下関市出身。 山口県立豊浦高等学校から、上京して舞台芸術学院に進学、1962年(昭和37年)同校本科卒業。29歳で助監督となり、34歳の時にテレビドラマ『それ行け!カッチン』で監督デビューしている。以降、長年にわたってさまざまな映画やテレビドラマの監督、助監督を務めている。 『探偵物語』では、第19話および最終話である27話で監督を務めた。第19話の予告編のナレーションは、主演の松田優作が同郷出身ということで、本編の内容には一言も触れず小池の紹介に徹していた。
山田 洋次(やまだ ようじ、1931年〈昭和6年〉9月13日… 山田 洋次(やまだ ようじ、1931年〈昭和6年〉9月13日 - )は、日本の映画監督、脚本家、演出家。 大阪府豊中市出身。東京大学法学部卒業。川島雄三、野村芳太郎の助監督を経て1961年に『二階の他人』でデビュー。『男はつらいよ』シリーズなど人情劇を発表し、現役でキネマ旬報ベストテンに最多入賞した監督。紫綬褒章(1996年)、文化功労者(2004年)、日本芸術院会員(2008年)。文化勲章(2012年)受章。財団法人いわさきちひろ記念事業団理事長。関西大学大学院文学研究科および立命館大学映像学部の客員教授、文化学院の特別講師。日本映画監督協会会員。 妻は「平塚らいてうの記録映画を上映する会」副会長を務めた山田よし恵(1932年5月23日 - 2008年11月8日)。
國弘 威雄(くにひろ たけお、1931年6月8日 - 200… 國弘 威雄(くにひろ たけお、1931年6月8日 - 2002年10月21日)は、日本の脚本家。中華民国吉林省長春県(現:中華人民共和国吉林省長春市)生れ。出版している本や、脚本家としての映画などでは「国弘」と表記されているが、本名は「國弘」の表記である。 中学途中まで満洲で育ち、戦後父の郷里の山口県に引き揚げる。少年時代から映画好きだったことから、脚本家を志すようになる。山口県立柳井高等学校中退後、公務員となるが後に上京、雑誌社・東芝労組書記局などに勤務しながら投稿を続ける。 1957年に日本シナリオ作家協会主催のコンクールで1位となり、同年同協会主宰のシナリオ研修所に入所。修了後橋本忍門下となり、1959年に橋本との共作『空港の魔女』(東映・佐伯清監督)でデビュー。
山野辺 一記(やまのべ かずき、本名:山部 康男)は、脚本家… 山野辺 一記(やまのべ かずき、本名:山部 康男)は、脚本家、ゲームシナリオライター、ゲームクリエイター、劇作家。株式会社エッジワークス代表取締役。山口県下関市出身。 山口県立豊浦高等学校、帝京大学文学部心理学科卒業。日本脚本家連盟会員、日本放送作家協会会員、日本児童文芸家協会会員、日本ゲームシナリオライター協会(JAGSA)理事。 帝京大学卒業後、マッドハウス・ぴえろに制作進行として入社。退職後、アニメーション演出家の井内秀治に師事。1997年の『超魔神英雄伝ワタル』第4話「求む!こわ〜いお化け」で脚本家デビューを果たし、脚本とシリーズ構成を様々な作品で担当する。 山野辺一記という筆名は『超ぽじてぃぶ! ファイターズ』執筆時に本名の山部康男から変更した。