小西 洋之(こにし ひろゆき、1972年〈昭和47年〉1月2… 小西 洋之(こにし ひろゆき、1972年〈昭和47年〉1月28日 - )は、日本の政治家、郵政・総務官僚。立憲民主党所属の参議院議員(3期)。 参議院外交防衛委員会筆頭理事、同政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会委員、裁判官弾劾裁判所裁判員。このほか、参議院国土交通委員長、沖縄北方問題特別委員長、環境委員会理事、参議院憲法審査会野党筆頭幹事、立憲民主党参議院政策審議会長を歴任した。 徳島県徳島市に生まれる。10歳の時に父親が脳卒中を患い、1級障がい者となる。1990年3月、徳島市立高等学校卒業。父親の病気の経験や家庭事情から、医師を志して同年4月に徳島大学医学部へ入学する。2年次で中退し、1993年4月に東京大学教養学部へ入学する。
富田 望(とみた のぞみ、1966年〈昭和41年〉2月27日… 富田 望(とみた のぞみ、1966年〈昭和41年〉2月27日 - )は、日本の労働・厚生労働官僚。 徳島県小松島市出身。愛光高等学校を経て、1989年(平成元年)3月に京都大学法学部を卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格し、1991年に労働省入省(労働基準局監督課配属)。 2000年岡山労働局総務部長、2003年外務省経済協力開発機構日本政府代表部一等書記官、2012年厚生労働省職業安定局派遣・有期労働対策部需給調整事業課長、2018年労働基準局総務課長、2019年大臣官房人事課長、2020年大臣官房審議官(人材開発、雇用環境・均等担当)、2021年大臣官房審議官(職業安定、労働市場整備担当)などを歴任。
矢野 和彦(やの かずひこ、1965年(昭和40年)12月2… 矢野 和彦(やの かずひこ、1965年(昭和40年)12月29日 - )は、日本の文部科学官僚。文部科学審議官を務める。 徳島県出身。徳島県立城北高等学校を経て、1989年3月に青山学院大学法学部卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格し、1989年4月に文部省入省。 2021年文部科学省大臣官房長。2022年には故安倍晋三国葬儀葬儀実行幹事会幹事も務めた。 2022年8月26日、全日本私立幼稚園連合会から国家公務員倫理規程に抵触する接待を受けたとして減給10分の1(3カ月)の懲戒処分を受けた。 2023年8月8日、文部科学省初等中等教育局長。 2024年7月11日、文部科学審議官。
稲山 博司(いなやま ひろし、1959年3月5日 - )は、… 稲山 博司(いなやま ひろし、1959年3月5日 - )は、日本の総務官僚。総務省大臣官房総括審議官や、消防庁長官、内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局地方創生総括官等を経て、全国市長会事務総長。 徳島県名東郡国府町(現徳島市国府町)出身。徳島市立高等学校を経て、1983年東京大学法学部卒業、自治省入省。行政局行政課兼大臣官房総務課配属。 1994年4月広島県総務部財政課長。2008年6月群馬県副知事。2010年9月総務省自治財政局交付税課長。2012年総務省大臣官房参事官兼大臣官房企画課政策室長。2014年総務省自治行政局選挙部長。2015年7月総務省大臣官房総括審議官(政策評価・選挙制度改革・政策企画担当)。
厚木 進(あつき すすむ、1953年6月29日 - )は、日… 厚木 進(あつき すすむ、1953年6月29日 - )は、日本の財務官僚。財務省関東財務局長、経済産業省貿易経済協力局長を経て、日本郵政代表執行役副社長。 徳島県鳴門市撫養町出身。徳島県立城南高等学校を経て、一橋大学経済学部経済学科卒業。1977年4月 大蔵省入省(主計局総務課)。 パリでOECD政府代表部参事官を務めていた際に、韓国のOECD加盟に尽力。1997年から財務省国際局で課長を務めアジア通貨危機に対応した。2000年からは金融庁、証券取引等監視委員会で課長、担当審議官として検査に携わる。 2010年、日本国憲法下で初めて経済産業省と財務省との間(通産省、大蔵省時代含む)で局長交流人事が行われ、経済産業省貿易経済協力局長に就任。
高木 祥吉(たかぎ しょうきち、1948年(昭和23年)5月… 高木 祥吉(たかぎ しょうきち、1948年(昭和23年)5月22日 - )は、日本の大蔵・金融官僚。金融庁長官、ゆうちょ銀行社長、日本格付研究所社長を歴任。徳島県出身。 徳島県徳島市南前川町出身。父は助任川周辺の材木店街に店を構える材木商。小学校時代に徳島市北前川町に転居。小中学校時代の得意科目は体育で、ローラースケートを好んで遊んでいたが、余り勉強はしなかった。高校時代に数学が好きになり、他の授業は聞かずに2年生までに高校の全範囲を終えた。数学科への進学も考えたが、親の勧めで東京大学文科一類に進学。東大紛争のため講義が少なく、独学で公務員試験の勉強を行い合格。東大紛争のため卒業が遅れ、1971年6月に東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業し、同年大蔵省入省。
岡本 芳郎(おかもと よしろう、1943年10月5日 - )… 岡本 芳郎(おかもと よしろう、1943年10月5日 - )は、日本の農水官僚、政治家。学位は博士(農学)(東京大学・1997年)。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。 徳島県徳島市出身。徳島県立城南高等学校を経て、東京大学農学部農業工学科にて農学を修め農業工学科、1967年に卒業した。 大学卒業後、農林省に入省。徳島県庁耕地課長などを歴任し、1996年より農林水産省構造改善局次長を務めた。 2000年、第42回衆議院議員総選挙に徳島1区から出馬するも、仙谷由人に敗れた。2003年、第43回衆議院議員総選挙に比例四国ブロックより立候補し初当選。自由民主党内では平成研究会に所属した。2005年9月、第44回衆議院議員総選挙に出馬し、徳島1区で再び仙谷に敗れるも、比例四国ブロックで復活当選。
圓藤 寿穂(えんどう としお、1943年(昭和18年)5月2… 圓藤 寿穂(えんどう としお、1943年(昭和18年)5月28日 - )は、日本の運輸官僚。政治家。元徳島県知事。 東京大学法学部卒業。徳島県板野町出身。父は香川大学名誉教授の圓藤眞一。 徳島県板野郡板野町出身。香川大学名誉教授である圓藤眞一の長男として生まれる。 東京大学法学部を卒業し運輸官僚になる。その後、1993年9月26日に自民党、社会党、公明党など7党推薦の無所属で徳島県知事に当選した。10月5日に、知事に就任した。 しかし、2002年3月4日に業際研事件に絡み、収賄容疑で逮捕される。同年3月15日に知事を辞職した。同年11月15日、懲役3年執行猶予4年追徴金800万円の有罪判決が確定した。
亀長 友義(かめなが ともよし、1920年9月26日 - 2… 亀長 友義(かめなが ともよし、1920年9月26日 - 2011年1月17日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(2期)、全国農業共済協会長。 徳島県三好市池田町生まれ。徳島県立池田中学校卒業。第六高等学校在学中は江尻宏一郎(元三井物産社長)と柔道部に所属した。 東京帝国大学法学部卒業後、1943年 農林省入省(馬政局嘱託)。食糧庁総務部企画課長、水産庁生産部長、林野庁林政部長、農林経済局長、大臣官房長、食糧庁長官を経て、1972年 農林事務次官に就任。退官後は大日本水産会長に就任。 1977年の第11回参議院議員通常選挙徳島県選挙区で自由民主党から出馬し、初当選。2期務める。 1989年の第15回参議院議員通常選挙で連合の乾晴美にやぶれ落選。
後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2… 後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2005年9月19日)は、日本の内務・警察・防衛・自治官僚、政治家。
広岡 謙二(廣岡 謙二、ひろおか けんじ、1901年〈明治3… 広岡 謙二(廣岡 謙二、ひろおか けんじ、1901年〈明治34年〉1月27日 - 1995年〈平成7年〉6月30日)は、日本の内務官僚。石川県知事、警視総監。位階は正四位。 徳島県出身。広岡四郎の二男として生まれる。徳島中校、第一高等学校を経て、1923年4月、東京帝国大学文学部に入学したが、翌年3月に退学。1926年11月、高等試験行政科試験に合格。1927年3月、東北帝国大学法文学部英法科を卒業。同年4月、内務省に入り山口県属として内務部庶務課兼地方課に配属された。 1929年5月、山口県警部を兼務。以後、山口県商工水産課長、地方警視・鹿児島県保安課長、宮城県特高課長、警視庁特別高等警察部特高第一課長、同部労働課長、山口県学務部長、大分県書記官・警察部長、警視庁消防部長、熊本県書記官・警察部長、福岡県部長・警察部長などを歴任。
阿部 邦一(あべ くにいち、1899年12月5日 - 198… 阿部 邦一(あべ くにいち、1899年12月5日 - 1988年3月14日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。徳島県知事を務めた。 1899(明治32)年に麻植郡鴨島町牛島に生まれる。旧制徳島中学校を卒業後、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学法学部卒業。 在学中に高等文官試験行政科に合格し、卒業後内務省に入省。戦前においては、石川県河北郡長、大阪府警察部調停課長、兵庫県都市計画課長・学務部学務課長、鹿児島県経済部長、内務省土木局道路課長、愛知県内務部長、三重県書記官・総務部長などをつとめ、戦後は 1951年、公選第二代目の徳島県知事に就任する(在任期間1951年 - 1955年)。高度経済成長期の産業構造を見通した県政運営を行った。
工藤 昭四郎(くどう しょうしろう、1894年7月30日 -… 工藤 昭四郎(くどう しょうしろう、1894年7月30日 - 1977年10月13日)は、日本の官僚、実業家。日本興業銀行大阪支店長、大蔵省物価部長、復興金融金庫理事長、東京都民銀行頭取、経済同友会代表幹事などをつとめた。従三位勲一等瑞宝章。 1894年 徳島県 徳島市に生まれる。旧制徳島中学校、 第六高等学校を経て1921年に東京帝国大学法学部卒業。卒業後、日本興業銀行に入行、参事、調査部長、融資第四部長と昇進し、終戦時は大阪支店長であった。 1945年 大蔵省物価部長に転じ、翌年2月16日から相次いで実施された預金封鎖、財産税徴収、国家補償の全面打ち切り、米の強制供出、隠退蔵物資の強制買い上げ、失業対策など一連の非常措置の実施を主となって行い、成果を上げた。
藤井 真信(ふじい さだのぶ、1885年(明治18年)1月1… 藤井 真信(ふじい さだのぶ、1885年(明治18年)1月1日 – 1935年(昭和10年)1月31日)は、日本の財政家、大蔵官僚。大蔵大臣。 徳島県麻植郡牛島村(現・吉野川市)に、藤井市三郎の四男として生まれる。生家は古くから藍商を営む名家であった。徳島中学校、第三高等学校を経て、1909年、東京帝国大学法科大学独法科を首席で卒業。高文試験16番目(180人中)で大蔵省に入省する(配属先は専売局書記)。主に税務畑を歩み、1923年9月19日、蔵相事務担当秘書官(〜1926年11月11日)、1924年6月6日、主税局国税課長併任(〜1926年11月11日)、同年12月20日、大臣官房秘書課長併任(〜1926年11月11日)、1926年11月5日、東京税務監督局長、1927年7月17日、主税局長、1929年7月4日、主計局長と順調に昇進を重ね、1934年5月に高橋是清蔵相の下で大蔵次官に就任する。
井上 十吉(いのうえ じゅうきち、文久2年10月28日(18… 井上 十吉(いのうえ じゅうきち、文久2年10月28日(1862年12月19日) - 昭和4年(1929年)4月7日)は、明治期の英語学者、和英辞典編纂者、官吏。ヘボンの影響を脱した最初の和英辞典である『新訳和英辞典』を完成させた。 阿波国徳島藩に井上高格の次男として生まれ、藩主の命により江戸に出て明治4年(1871年)慶應義塾に入学(『慶應義塾入社帳」第一巻487頁)。同塾卒業後の明治6年(1873年)、旧藩主蜂須賀茂韶に選抜された7人の留学生の1人として随行し、イギリスに渡る。一行のうち最年少だった。 1873年にロンドンの小学校に入り、1878年卒業、ラグビー校初の日本人生徒として進学し、成績優秀のため賞と年金を獲得。
井内 恭太郎(いうち きょうたろう、嘉永7年4月10日(18… 井内 恭太郎(いうち きょうたろう、嘉永7年4月10日(1854年5月6日) - 昭和9年(1934年)3月9日)は、明治時代から大正時代の官吏。徳島県阿波市出身。 嘉永7年4月10日(1854年5月6日)、阿波国阿波郡大俣村(現在の徳島県阿波市)で生まれる。徳島県庁に入り、海部郡長・麻植郡長・美馬郡長を歴任。1902年(明治35年)より名西郡長を務め、吉野川から水をひく麻名用水、板名用水の建設・整備に力を注いだ。 1934年(昭和9年)3月9日、79歳で亡くなる。没後、名西郡石井町の麻名用水土地改良区に銅像が建つ。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
芳川 顕正(よしかわ あきまさ、1842年1月21日〈天保1… 芳川 顕正(よしかわ あきまさ、1842年1月21日〈天保12年12月10日〉- 1920年〈大正9年〉1月10日)は、日本の官僚・政治家。旧姓は原田、高橋、幼名は賢吉。号は越山。栄典は従一位勲一等伯爵。 官僚時代は、藩閥の後ろ盾がなく苦労するが、銀行制度の確立に貢献。山縣有朋に認められて政界へ進出した。東京府知事(第8代)、貴族院議員。司法大臣(第5代)、文部大臣(第3代)、内務大臣(第12・16・23代)、逓信大臣(第9・12代)、枢密院副議長(第4代)を務めた。東京府知事では市区改正や築港に尽力し、第1次山県内閣の文部大臣では教育勅語の制定に関与した。 阿波国麻植郡山川町(現:徳島県吉野川市)で医師であった原田民部の5人兄弟の末子として生まれる。
青江 秀(あおえ ひいず、1834年(天保5年) - 189… 青江 秀(あおえ ひいず、1834年(天保5年) - 1890年(明治23年))は、日本の官僚。阿波国(現在の徳島県阿南市)出身。 1834年(天保5年)に阿波国那賀郡西方村(現在の徳島県阿南市長生町)に生まれる。幼名は慎一。 1864年(元治元年)に何礼之が長崎の自邸で英語の私塾を開くと、巻退蔵(のち前島密)、林謙三(のち安保清康)、瓜生雷吉(のち瓜生震)らその他数十名とともに塾生として学ぶ。 1871年(明治4年)に友人で当時紙幣頭の芳川顕正の紹介で、紙幣寮へ就職。1873年(明治6年)の紙幣頭代理のときに「郵便葉書」の名称を発案した。また鹿児島県・大蔵省・内務省・海軍省・北海道庁で勤務した。
中島 錫胤(なかじま ますたね、1830年1月2日(文政12… 中島 錫胤(なかじま ますたね、1830年1月2日(文政12年12月8日) - 1905年(明治38年)10月5日)は、幕末の徳島藩士、明治時代の内務・司法官僚、裁判官。官選県知事を歴任、元老院議官・貴族院議員。錦鶏間祗候、華族(男爵)。旧名は三木永吉。明治維新後に直人、錫胤と名乗る。号は可庵、無外。 徳島藩士・三木章助の長男として、徳島城下の佐古町楠小路(現在の徳島県徳島市佐古地区)で生まれる。はじめ漢学を楠本鼇山・岩本贅庵に学ぶ。少壮の頃、篠崎小竹・古賀謹堂(古賀謹一郎)の門、及び昌平黌に学ぶ。京都の儒者・中島棕隠の門下となり、のち老齢の棕隠の養子となり、中島永吉と称した。 幕末期には新居水竹らと交わり、尊王攘夷派として国事に奔走。
岡本 直之(おかもと なおゆき)は、日本の財務官僚。内閣官房… 岡本 直之(おかもと なおゆき)は、日本の財務官僚。内閣官房日本経済再生総合事務局次長や、内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官、初代財務省大臣官房政策立案総括審議官等を経て、国土交通省政策統括官。 徳島県徳島市出身。徳島県立城南高等学校を経て、1985年 東京大学法学部卒業、大蔵省入省。理財局国有財産総括課配属。銀行局調査課調査係長から1990年7月10日 関東信越国税局潮来税務署長。1991年 横浜市企画財政局財政部財政課財政担当課長。大蔵省関税局課長補佐、大蔵省理財局課長補佐、独立行政法人日本貿易振興機構チューリヒ事務所長、財務省理財局国債企画官などを歴任し、2005年 農林水産省生産局畜産部畜産企画課畜産総合推進室長。
米田 浩(よねだ ひろし)は、日本の国土交通官僚。秋田県企画… 米田 浩(よねだ ひろし)は、日本の国土交通官僚。秋田県企画振興部長、運輸安全委員会事務局審議官などを経て、日本倉庫協会理事長。 徳島県小松島市出身。小松島市立小松島小学校、灘中学校・高等学校を経て、東京大学法学部卒業。1983年運輸省入省。在タイ日本大使館一等書記官等を経て、2000年から秋田県企画振興部長を務め、秋田空港のソウル直行便を実現するなどした。 2001年国土交通省大臣官房総務課企画官。2002年国土交通省関東運輸局交通環境部長。2003年国土交通省鉄道局総務課鉄道企画室長。2006年中部国際空港管理本部経営企画部長。2008年国土交通省鉄道局都市鉄道課長。2010年国土交通省総合政策局海洋政策課長。
鳴門 義民(なると よしたみ)は、明治時代の英学者、農政官僚… 鳴門 義民(なると よしたみ)は、明治時代の英学者、農政官僚。阿波国美馬郡出身。江戸で大木忠益に蘭学、横浜で外国人に英語を学び、神奈川奉行所に勤務した。東京に英学塾を開いた後、農業行政に転じ、全国でメイガの駆除法を指導した。晩年芝区会議員。 天保4年(1833年)または天保6年(1835年)7月15日阿波国美馬郡重清村東原(現徳島県美馬市美馬町中東原)に佐々治藤太の次男として生まれた。幼名は次郎、後に次郎吉。 佐々家口伝によれば、厳格な継父の教育に耐えかねて家出を決意し、草鞋製作により800文を蓄え、12歳の時吉野川岸に着物と下駄を置いて投身自殺を偽装し、家出を決行した。徳島からは金刀比羅宮参詣者に変装して無賃で大坂に渡り、呉服屋・大工・武家に奉公して旅費を貯めた後、横浜に上り、中浜万次郎出入りの米屋に住み込みで働き、毎日単語カードを譲り受けて英語を学んだという。