大西 由菜(おおにし ゆな、2006年〈平成18年〉11月2… 大西 由菜(おおにし ゆな、2006年〈平成18年〉11月23日 - )は、香川県観音寺市出身の陸上競技選手。専門は長距離走、3000mSC。四国学院大学香川西高等学校卒業。城西大学経営学部在学中。 観音寺市立中部中学校、四国学院大学香川西高等学校卒業。 2025年の全日本大学女子駅伝では3区に出走。同学年の本間香、3学年先輩の兼子心晴の連続区間賞・区間新で城西大は独走を図る中、大西も区間3位ながら3区間連続区間新記録で1位を保つ。城西大の25年ぶり3度目の総合優勝に貢献した。富士山女子駅伝でも8区で村山愛美沙(東北福祉大)との駆け引きの末競り勝ち、城西大の初優勝に貢献した。 この頃から3000mSCを専門とする。
荻田 大樹(おぎた ひろき、1987年12月30日 - )は… 荻田 大樹(おぎた ひろき、1987年12月30日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は棒高跳。 香川県出身。観音寺市立大野原中学校、香川県立観音寺第一高等学校を経て、関西学院大学商学部卒業。 大野原中学で棒高跳を始め、観音寺第一高校に進学し、高校3年の2005年(平成17年)国体少年男子Aで優勝。 2006年(平成18年)関西学院大学に進学。同年7月の日本ジュニア選手権で自己ベストを更新する5m20で優勝。同年8月に世界ジュニア選手権(北京)に出場したが、5m10で予選落ちした。 2008年(平成20年)6月、関西学生対校選手権で学生記録(当時)の5m56を記録を樹立した。2009年(平成21年)12月、東アジア競技大会(香港)で優勝。
桝見 咲智子(ますみ さちこ、1984年12月20日 - )… 桝見 咲智子(ますみ さちこ、1984年12月20日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は走幅跳、三段跳。世界陸上選手権ベルリン大会女子走幅跳日本代表。 香川県高松市出身。福岡大学スポーツ科学部を卒業後、2007年に九電工に入社。 香川県明善中学校時代から超中学級選手として全国で注目を集め、2年生だった1998年に全日中走高跳で2位、三種競技Aでは優勝。同年の香川県中学新人戦では不滅とも言われた佐藤恵の持つ三種競技Aの日本中学記録を破った。記録は3395点(1m76-12秒85-13m55)。 翌1999年、富山県で開催された全日中で、三種競技A、三種競技Bの二冠を達成、共に大会新、Bの記録は中学新という離れ業を演じた。
三津谷 祐(みつや ゆう、1984年12月18日 - )は、… 三津谷 祐(みつや ゆう、1984年12月18日 - )は、香川県三豊郡大野原町(現・観音寺市)出身の男性陸上競技元選手、指導者。専門は長距離走・マラソン。世界選手権はヘルシンキ大会10000m、大阪大会5000mに出場した。 小学校時代から陸上競技を始める。尽誠学園高等学校入学後は持ち前のスピードを生かした走りでトラック、駅伝に活躍した。なお高校時代にはマイルリレー(4×400mリレー)のアンカーを務めるなど、スプリント能力も優れている。トヨタ自動車九州に入社後も、バルセロナオリンピックマラソン銀メダリストの森下広一監督の指導で着実に力をつけた。 2005年の第89回日本選手権10000mで優勝し一度は世界選手権日本代表に選ばれたが、参加標準記録Bのみの突破であったため、上位のA標準ながら落選した高知・くろしお通信の大森輝和サイドから抗議があり、日本陸上競技連盟が誤りを認め異例の再選考となった。
河北 尚広(かわきた なおひろ、1980年7月10日 - )… 河北 尚広(かわきた なおひろ、1980年7月10日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は400mハードル。自己ベストは2009年10月の新潟国体で記録した49秒04。 香川県高松市出身。高松市立龍雲中学校の時に陸上競技を始める。香川県立香川中央高等学校、筑波大学卒。RATTLE、石丸製麺に所属した後、2012年4月より香川県教職員。 2005年、日本陸上競技選手権大会400mハードルで3位入賞。翌2006年も連続で3位。 2006年9月、スーパー陸上400mハードルで2位入賞(日本人1位)。10月、九州石油ドームで行われた全日本実業団陸上で初優勝。12月9日、ドーハアジア大会の400mハードル予選を1位で突破すると、翌10日に行われた決勝では3位となり、銅メダルを獲得した。
中野 真実(なかの まみ、1979年3月12日 - )は、日… 中野 真実(なかの まみ、1979年3月12日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は棒高跳。 香川県出身。観音寺市立観音寺中学校、香川県立観音寺第一高等学校を経て、東京学芸大学卒業。 観音寺中学時代には100メートルハードルで全国大会で優勝する。観音寺第一高校に進学後も、100メートルハードルで高校総体2位、国体優勝の実績を残した。その一方で、2年の冬に棒高跳を始めると、翌年の4月に3m42の日本記録を樹立する。その後も日本記録を更新し、東京学芸大学に進学した後の1997年(平成9年)4月には3m80まで伸ばした。 その後、怪我に苦しんだ時期もあったが、2000年(平成12年)5月には4m00を記録した。
田村 育子(たむら いくこ、1978年9月24日 - )は、… 田村 育子(たむら いくこ、1978年9月24日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は中距離走。元1500m日本記録保持者。元1マイル走日本最高記録保持者。 香川県出身。香川県立高松商業高等学校卒業。現役時代は、藤田信之監督が率いるワコール、グローバリーに所属していた。 1998年秋、解任された藤田に従いワコールを退社し、京都市内のアパートで野口みずきと共同生活を送り、失業保険をもらいながら職業安定所に通う日々を過ごす。1999年春に藤田・真木和・野口らとともにグローバリー所属となる。 2000年、日本選手権で1500mに出場し優勝。2001年、日本選手権で1500mに出場し優勝。2連覇を達成した。
横山 学(よこやま まなぶ、1974年7月20日 - )は、… 横山 学(よこやま まなぶ、1974年7月20日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は棒高跳。現在、香川高等専門学校 教員 准教授 香川県三豊市出身。詫間町立詫間中学校、香川県立観音寺第一高等学校を経て、筑波大学体育専門学群卒業。 小学校4年生の時に初めてテレビでロサンゼルスオリンピックの棒高跳の競技を見て、外国人選手が跳んでいる姿が格好いい、自分もああいう舞台に出たいと思った。 詫間中学で陸上を始め、アジア大会棒高跳の金メダリスト木川泰弘の指導を受ける。観音寺第一高校時代は、1991年(平成3年)6月、第7回日本ジュニア陸上競技選手権大会で5メートルを跳び優勝。同年10月、第46回国民体育大会では、5メートル10で優勝。
上田 誠仁(うえだ まさひと、1959年1月9日 - )は、… 上田 誠仁(うえだ まさひと、1959年1月9日 - )は、日本の元陸上競技選手。山梨学院大学スポーツ科学部教授(体育学)・山梨学院大学陸上競技部顧問兼中距離コーチ。また、関東学生陸上競技連盟では駅伝対策委員長と評議員を務めている。 香川県生まれ。善通寺市立東中学校3年時(1973年)に2000mで5分43秒4の中学新を樹立し全中陸上の前身である全日本中学校放送陸上競技選手権大会で全国1位のタイムとなった。 尽誠学園高等学校3年時には長野インターハイ(1976年)、5000mで2位。高校生としては珍しく、1977年2月には別府大分毎日マラソンのハーフマラソン部門に出場し、2010年現在で日本高校最高記録として残る1時間4分15秒を残している。
木川 泰弘(きがわ やすひろ、1956年10月17日 - )… 木川 泰弘(きがわ やすひろ、1956年10月17日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は棒高跳。 香川県観音寺市出身。香川県立三豊工業高等学校から順天堂大学に進学し、その後は教職員。 高校2年生時の1973年、インターハイ棒高跳で優勝。準優勝は同校で1学年上の高橋卓巳だった。 翌1974年のインターハイでも連覇を達成。同年、テヘランアジア大会に出場し、5m00(当時の高校日本記録)で金メダルを獲得した。 1978年に開催されたバンコクアジア大会にも出場し、5m00で銅メダルを獲得。 1979年、東京で開催されたアジア陸上選手権でも5m00で銅メダルを獲得。 香川県内では鉄道ファンとしても知られている。
高橋 卓巳(たかはし ともみ、1956年1月29日 - )は… 高橋 卓巳(たかはし ともみ、1956年1月29日 - )は、日本の男子陸上競技(棒高跳)選手。名前については、現役時代のマスコミ報道で「高橋卓己」と表記されていた例が複数あり、2015年の時点でもそのように表記されていた。 香川県三豊郡大野原町(現:観音寺市)出身。香川県立三豊工業高等学校3年時の1973年、全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)の棒高跳で準優勝。この時の優勝者は、同じ高校の1学年後輩である木川泰弘だった。 中京大学卒業後は香川県教職員となる。1978年、日本陸上競技選手権大会で初優勝。バンコクアジア大会棒高跳に出場し、5メートル (m)10で金メダルを獲得。 1980年、日本選手権で2年ぶり2回目の優勝。
山田 恵子(やまだ けいこ、1953年6月23日 - )は日… 山田 恵子(やまだ けいこ、1953年6月23日 - )は日本の女子陸上競技(短距離走)選手。 香川県綾歌郡端岡村(現:高松市国分寺町)出身。国分寺中学校、香川県立丸亀高等学校、日本体育大学卒。その後は教員となる。 高校1年生時の1969年インターハイで100メートルと200メートルの2冠を達成。3年生時の1971年にも再び100メートルと200メートルの2冠を達成し、この大会で丸亀高校は学校対抗(女子)で総合優勝した。 日本陸上競技選手権大会では1970年、高校2年生のときに100メートルと200メートルの2冠を達成。翌1971年にも2年連続で100メートルと200メートルの2冠を達成。その後、100メートルは1973年まで優勝して4連覇を達成。
西内 文夫(にしうち ふみお、旧姓・平井、1922年3月2日… 西内 文夫(にしうち ふみお、旧姓・平井、1922年3月2日 - 2001年8月23日)は、日本の陸上競技選手。 香川県丸亀市広島町出身。丸亀商業学校(現:丸亀城西高校)、中央大学卒。 1951年、インドのニューデリーで開催された第1回アジア競技大会十種競技で金メダルを獲得(記録:6324点)。1954年、フィリピンのマニラで開催された第2回アジア競技大会では銀メダルを獲得した(記録:5429点)。 日本陸上競技選手権大会では1950年から1953年まで四連覇を達成。 その後、母校の中央大学陸上競技部監督に就任し、東京箱根間往復大学駅伝競走で8回優勝した。 2001年8月23日、急性心不全のため死去。
岡澤 吉夫(おかざわ よしお、1914年(大正3年)12月2… 岡澤 吉夫(おかざわ よしお、1914年(大正3年)12月25日 - 1982年(昭和57年)7月16日)は日本の陸上選手、スキー指導者、スキー選手、政治家。 日本初の常設スキー学校開設者であり、全日本スキー連盟(SAJ)公認スキー学校の起案者。勲五等瑞宝章(現・瑞宝双光章)受勲。 岡澤(旧姓・香川)惣吉の二男。兄に喬。妹に千賀子、友子。妻は冨美。子に伸夫、由美子。 北海道網走郡美幌村(現・美幌町)に生をうける。 学生時代は陸上選手として活躍する。1927年(昭和2年)、新潟県立新潟商業学校(現・新潟県立新潟商業高等学校)に進学、陸上競技にうちこみ、ハードルでは常に上位の成績をおさめている。新潟商業学校4年の時、香川県の父の実家に預けられ、父の母校でもある香川県立高松商業学校(現・香川県立高松商業高等学校)4年に編入する。
塩飽 玉男 (しわく たまお、1906年5月12日 – 19… 塩飽 玉男 (しわく たまお、1906年5月12日 – 1990年12月15日)は、日本の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。1936年ベルリンオリンピックに日本代表選手としてマラソンに出場した。 当時大規模な入浜式塩田を擁していた坂出周辺では、「浜子」と呼ばれる塩田労働者が塩田内で仕事として終日走る生活を送っていた。1919年にはマラソンへの関心に火がつき、地元出身で1920年アントワープオリンピック陸上競技代表選手となった大浦留市(東京高等師範学校)が、帰国後に郷里で開かれたロードレースで2人が自分より上位に入ったことを評価・激励したこともそれを後押しした。1928年アムステルダムオリンピックのマラソンに「浜子」出身の山田兼松が4位入賞を果たし、それを追う形で楠好蔵や塩飽も陸上競技に進んだ。
綾 真澄 は、日本の陸上競技選手。元ハンマー投日本記録保持者… 綾 真澄 は、日本の陸上競技選手。元ハンマー投日本記録保持者。2001年世界陸上選手権エドモントン大会、世界陸上競技選手権大会パリ大会および世界陸上競技選手権大会大阪大会女子ハンマー投日本代表。アジア陸上競技選手権大会神戸大会女子ハンマー投金メダリスト。香川県出身。