立川 桃(たつかわ もも、2001年1月6日 - )は、愛媛… 立川 桃(たつかわ もも、2001年1月6日 - )は、愛媛県四国中央市出身の、日本の柔道選手。階級は63kg級。身長158cm。血液型はB型。組み手は左組み。得意技は大内刈。姉に48㎏級の立川莉奈、兄に73㎏級の立川新がいる。 柔道は3歳の時に川之江柔道会で始めた。川之江北中学から新田高校に進むと、2年の時には高校選手権の63㎏級で3位になった。3年の時には全日本カデで2位、インターハイでは5位だった。 2019年に東海大学へ進学すると、1年の時には学生体重別、優勝大会、体重別団体と全国タイトルを総なめにした。3年の時には優勝大会で優勝したものの、学生体重別では2位、体重別団体では3位だった。
立川 新(たつかわ あらた、1997年11月30日 - )は… 立川 新(たつかわ あらた、1997年11月30日 - )は、愛媛県四国中央市出身の、日本の柔道家である。階級は73kg級。身長170cm。血液型はB型。組み手は左組み。段位は二段。得意技は大内刈、首抜きによる指導勝ち。現在は旭化成に所属。姉は48kg級の立川莉奈、妹は63㎏級の立川桃。 柔道は3歳の時に宇摩柔道会(川之江柔道会)で始めた。上分小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会45kg級に出場するも、決勝トーナメント1回戦で敗れた。6年の時には50kg級に出場して決勝まで進むが、バルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦の長男である古賀颯人に判定で敗れた。古賀とはこれ以降も全国大会で何度となく競い合うことになる。
立川 莉奈(たつかわ りな、1996年7月14日 - )は、… 立川 莉奈(たつかわ りな、1996年7月14日 - )は、愛媛県四国中央市出身の、日本人の柔道選手である。階級は48kg級。身長158cm。血液型はO型。組み手は右組み。得意技は内股。弟は73kg級の立川新、妹は63㎏級の立川桃。 柔道は5歳の時に宇摩柔道会(川之江柔道会)で始めた。上分小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会40kg級で優勝を飾った。6年の時には45kg超級に出場するも予選リーグで敗れた。福岡県の敬愛中学へ進むと、3年の時には全国中学校柔道大会の57kg級決勝で帝京中学3年の西尾直子に敗れて2位だった。 2012年には敬愛高校へ進んだ。1年先輩には芳田司がいた。1年の時には全日本カデで3位になった。
影浦 心(かげうら こころ、1995年〈平成7年〉12月6日… 影浦 心(かげうら こころ、1995年〈平成7年〉12月6日 - )は、愛媛県出身の、日本の柔道家である。階級は100kg超級。身長179 cm。体重114 kg。血液型はA型。組み手は左組み。段位は五段。得意技は背負投。 柔道は小学校4年の時に友達に誘われたことがきっかけで、弟と一緒に松前柔道会で始めた。なお、父親は神戸製鋼所属のラグビー選手、母親も実業団のバレーボール選手だった。 松山市立西中学校3年の時に全国中学校柔道大会90kg超級で5位になった。 新田高校に進学すると、インターハイ100kg超級で、1年の時は初戦敗退、2年の時に3位に入った。3年の時は2回戦で敗れた。 東海大学へ進むと、1年の時には全日本選手権に初出場するが、3回戦で旭化成の西潟健太に横四方固で敗れた。
髙市 賢悟(たかいち けんご、1993年(平成5年)4月6日… 髙市 賢悟(たかいち けんご、1993年(平成5年)4月6日 - )は、日本の柔道家。愛媛県出身。階級は66kg級。身長168cm。組み手は右組み。段位は三段。血液型はB型。得意技は背負投で変則的なやり方が多い。2025年(令和7年)現在は旭化成に所属。 柔道は4歳の時に父親の影響で、同郷の先輩である浅見八瑠奈や中矢力の出身道場でも知られる伊予柔道会で始めた。また、髙市の父親が動物園の飼育員だった関係から、ホッキョクグマの赤ちゃん「ピース」を国内初の人工飼育に成功させるため、自宅で24時間世話することになり、6歳の時から4ヶ月ほど一緒に遊んだり、布団に包まって寝るなどして過したこともあった。小学校5年の時には全国少年柔道大会に出場すると、決勝で46kgも重い長野竜希に2-1の僅差ながら勝利して優勝を飾った。
高市 賢悟(たかいち けんご、1993年4月6日 - )は、… 高市 賢悟(たかいち けんご、1993年4月6日 - )は、愛媛県出身の日本の柔道選手。階級は66kg級。身長168cm。組み手は右組み。段位は二段。得意技は背負投。現在は旭化成に所属。
金 琳煥(キム・イムファン、Kim Lim-Hwan、199… 金 琳煥(キム・イムファン、Kim Lim-Hwan、1992年5月6日 - )は、大韓民国の柔道選手。在日三世。階級は66kg級。 相原中学3年の時に全国中学校柔道大会団体戦でチームメイトの丸山剛毅などとともに活躍して3位になった。 新田高校3年の時にインターハイ73kg級で5位になった。 東海大学へ進学すると、3年の時に全国体育系学生柔道体重別選手権大会66kg級で優勝した。4年の時にはグランドスラム・バクーで3位に入った。 大学を卒業後は韓国馬事会の所属になると、2016年のグランプリ・サムスンでIJFワールド柔道ツアー初優勝を飾るも、この階級には世界チャンピオンのアン・バウルがいたためにリオデジャネイロオリンピックには出場できなかった。
小倉 武蔵(おぐら むさし、1989年10月20日 - )は… 小倉 武蔵(おぐら むさし、1989年10月20日 - )は、愛媛県出身の日本の柔道家。66kg級の選手。身長は169cm。組み手は左組み。得意技は背負投。 柔道は4歳の時に皿が嶺柔道会で始めた。川内中学3年の時に全国中学校柔道大会の60kg級で2位になった。埼玉栄高校へ進むと、3年の時にはインターハイ66kg級決勝で東海大第五高校の前野将吾を破って優勝した。全日本ジュニアでは3位だった。 2008年に筑波大学へ進学すると、1年の時には学生体重別の決勝で山梨学院大学の早野友樹を破って優勝した。2年の時には学生体重別の決勝で同じ筑波大学の同級生である田中浩平を破って2連覇を達成した。東アジア大会でも優勝を飾った。
中矢 力(なかや りき、1989年7月25日 - )は、日本… 中矢 力(なかや りき、1989年7月25日 - )は、日本の柔道家。階級は73kg級。身長168cm。血液型はA型。組み手は右組み。段位は六段。得意技は背負投、寝技。2012年より綜合警備保障に所属。 愛媛県松山市出身。中矢が誕生して命名するにあたっては母親がプロレスファンであり、当初は藤波辰巳に肖って『辰巳』とつけるつもりでいたが、字数が揃わなかったことから藤波の好敵手である長州力から名前を取って『力』と命名した。 幼稚園の時に兄が柔道をやっていた三津浜柔道会に入会して柔道を始める。中矢は少年時代に伊予柔道会との対抗戦で浅見八瑠奈と対戦したことがあり、伊予柔道会の稽古ぶりに感銘を受けて兄と共に伊予柔道会に移籍した。
浅見 八瑠奈(あさみ はるな、1988年4月12日 - )は… 浅見 八瑠奈(あさみ はるな、1988年4月12日 - )は、愛媛県伊予市出身の日本人の女子柔道家である。階級は48キロ級。血液型はA型。段位は四段を取得。組み手は右組み。得意技は背負投、体落、袖釣込腰。父親は講道館杯や体重別等で優勝経験のある浅見三喜夫。 3歳くらいの時から柔道を始めて、幼稚園の時には同級生の男子を投げ飛ばしてすかさず抑え込み、べそをかかせたりしていたが、先生に柔道は喧嘩のために使うものではないと怒られたことにより、それ以降は素人相手に柔道の技を使っていないという。 伊予柔道会に所属していた伊予市立南山崎小学校時代には、愛媛県青少年柔道大会の学年別大会に毎年出場して、1回を除いて全て優勝を果たした。
宇高 菜絵(うだか なえ、1985年3月6日 - )は、愛媛… 宇高 菜絵(うだか なえ、1985年3月6日 - )は、愛媛県西条市出身の、日本人の女子柔道選手である。愛媛県立宇和島東高等学校から愛媛女子短期大学に進み、さらに帝京大学に編入して同校卒業。階級は57キロ級。身長161cm。得意技は大外刈。組み手は右組み。段位は参段。血液型はA型。コマツ女子柔道部から、現在はブイテクノロジーに所属している 。 6歳の時に柔道を始める。愛媛女子短大2年の時福岡国際女子柔道選手権大会 で優勝を果たした。その後も、国内外で一定の活躍をしていたものの代表には至らなかったが、2010年の体重別において、昨年の講道館杯に引き続いて松本薫に一本勝ちを果たして、ついに代表の座を勝ち取った。
佐野 明日香(さの あすか、1982年5月27日 -)は、愛… 佐野 明日香(さの あすか、1982年5月27日 -)は、愛媛県宇和島市出身の日本の柔道及びレスリング選手。階級は70kg級(柔道)と72kg級(レスリング)。身長168cm。 小学校1年の時に柔道を始めた。中学の時には四国大会で優勝を飾った。宇和島東高校に進学すると、2年の時に全国高校選手権70kg級でベスト16、3年の時には全国女子体重別で9位となった。なお、高校の1年先輩には2002年の選抜体重別で優勝した風戸晴子、1年後輩には2005年世界選手権57kg級代表の宮本樹理、2年後輩には2014年世界選手権57kg級で優勝した宇高菜絵がいた。大学は風戸のいる帝京大学に進むと、1年の時に全日本ジュニアで3位になった。
風戸 晴子(かざと はるこ、1981年6月5日 -)は愛媛県… 風戸 晴子(かざと はるこ、1981年6月5日 -)は愛媛県宇和島市出身の日本の柔道家。現役時代は70kg級の選手。身長165cm。得意技は内股。 柔道は7歳の時に始めた。小学校6年生の時には「愛媛のYAWARAちゃん」としてテレビに取り上げられたこともあった。城北中学3年の時には全国中学校柔道大会56kg超級決勝で淑徳中学2年の岩田千絵に敗れた。宇和島東高校1年の時に全国高校選手権70kg級で2位になると、3年の時には全日本ジュニアで優勝を飾った。2000年に帝京大学へ進学すると、1年の時には全国女子体重別でコマツの天尾美貴を破って優勝を果たした。アジアジュニアでも優勝した。福岡国際では3位だったが、オーストリア国際では優勝を飾った。
棟田 康幸(むねた やすゆき、1981年2月10日 - )は… 棟田 康幸(むねた やすゆき、1981年2月10日 - )は、日本の柔道家。講道館柔道七段。警視庁警部補。 愛媛県松山市出身。松山市立石井北小学校に入学。幼少時に父の手ほどきを受けて柔道を始め、小学校卒業後に上京。柔道私塾講道学舎へ入寮し、世田谷区立弦巻中学校を経て世田谷学園高等学校へと進学する。講道学舎は、厳しい規律と練習で知られ、同期入門者13人のうち最後まで残ったのは4人だった。1998年、世田谷学園3年時、金鷲旗の決勝・国士舘高校戦において史上初となる4人抜きを成し遂げ、世田谷学園を優勝に導く。個人戦においても全国高等学校柔道選手権大会、インターハイを制覇し、史上最年少で嘉納治五郎杯優勝を飾るなど、名実ともに高校柔道界最強の選手と呼ばれた。
廣瀬 悠(ひろせ はるか、1979年7月17日 - )は、愛… 廣瀬 悠(ひろせ はるか、1979年7月17日 - )は、愛媛県松山市出身の日本の柔道家。視覚障害者柔道90kg級及び100kg級の選手。身長173cm。 柔道は小学校2年の時に友達に誘われて始めた。宇和島東高校時代にはインターハイにも出場を果たした。しかし緑内障を患ったことにより、高校を卒業すると柔道から離れた。乳製品工場に就職するもその後退職すると、2004年には鍼灸師の資格を得るために愛媛県立松山盲学校へ入学した。その時の担任だったシドニーパラリンピックの陸上競技男子400メートルリレー2位の矢野繁樹に、「廣瀬君のレベルだったらパラリンピックに出られるよ」とアドバイスを受けたことや、親の熱意などもあって視覚障害者柔道で復帰することになった。
広瀬 悠(ひろせ はるか、1979年7月17日 - )は愛媛… 広瀬 悠(ひろせ はるか、1979年7月17日 - )は愛媛県松山市出身の日本の柔道家。視覚障害者柔道90kg級及び100kg級の選手。身長173cm。
徳野 和彦(とくの かずひこ、1974年5月1日 - )は、… 徳野 和彦(とくの かずひこ、1974年5月1日 - )は、愛媛県伊予市出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級の選手。現在はコマツ女子柔道部の助監督を務める。 新田高等学校時代はインターハイ2位止まりだったが、東海大学入学後1年生で早くも学生体重別に優勝して注目されるようになり、その後着実に力を付けアトランタオリンピックも代表候補の一人になったが、代表にまでは至らず。 しかしそれ以降は野村忠宏の最大のライバルとして立ちはだかることになり、バンコクアジア大会では圧倒的な強さで優勝を飾り、翌年にはついに野村を破って世界選手権代表になり、そこでも順調に勝ち上がり、キューバのマノロ・プロ相手の決勝でも優位に試合を進めながらも、一瞬の隙をつかれて敗れる。
南條 充寿(なんじょう みつとし、1972年4月30日 ‐ … 南條 充寿(なんじょう みつとし、1972年4月30日 ‐ )は、愛媛県松山市出身の柔道選手。現役時代は65kg級の選手。現在は仙台大学教授で柔道部の総監督。姪は女子レスリングの南條早映。 柔道は4歳の時に始めた。小学校5年と6年の時には、松山少年柔道教室の一員として全国少年柔道大会の団体戦で3位になった。道後中学3年の時には全国中学校柔道大会55kg級で2位となった。新田高校2年の時には新人体重別65kg級で決勝まで進むものの、同じ高校2年である東海大第五高校の中村行成に効果で敗れた。翌年も決勝まで進むが2年連続2位に終わった。国際高校選手権では優勝を飾った。筑波大学進学後、2年の時にはジュニア体重別で2年ぶりに決勝まで進むが、3度敗れることになった。
藤原 健(ふじわら たけし、男性、1964年7月24日 -)… 藤原 健(ふじわら たけし、男性、1964年7月24日 -)は、愛媛県越智郡大三島町(現・今治市)出身の空手家・柔道家・グレコローマンレスラー・キックボクサー・格闘家。 芦原会館創始者・初代館長の芦原英幸は師匠である。 更にはサウンドエンジニア・プロデューサー・プロドライバーである。 1969年(昭和44年)初頭より喧嘩十段と云われた天才空手家、芦原英幸より極真空手を学ぶ。 小学生の時第一回全世界空手道選手権大会を応援観戦為上京した際、極真会館大山倍達館長より 「極真空手はねぇ、総合武道だよー、空手向上の為にキックボクシング・柔道・レスリング何でもやりなさい。 そして、空手で一番強く成りなさい」と言われた。
村上 修司(むらかみ しゅうじ、1964年5月28日 - )… 村上 修司(むらかみ しゅうじ、1964年5月28日 - )は愛媛県出身の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長185cm。体重120kg。 今治南高校3年の時にインターハイの重量級で優勝を飾った。1983年に日本大学へ進学すると、1年の時には優勝大会と新人体重別95kg超級で3位になった。2年の時には優勝大会で3位だったが、新人体重別では優勝を飾った。正力国際の無差別では決勝で天理大学4年の正木嘉美に敗れて2位だったものの、団体戦では優勝した。3年の時には講道館杯で優勝を飾った。優勝大会でも1年後輩の持田達人などとともに活躍してチームの優勝をもたらした。正力杯でも決勝で秋田経済法科大学4年の渡辺浩稔を破って優勝を飾り、団体戦との2冠を達成した。
小澤 雄二(おざわ ゆうじ、1963年7月8日 - )は、愛… 小澤 雄二(おざわ ゆうじ、1963年7月8日 - )は、愛媛県出身の、日本の柔道選手である。階級は60kg級。身長161cm。 今治南高校2年の時にインターハイの軽量級で3位になった。 筑波大学3年の時に講道館杯の決勝で奈良工業高校教員の細川伸二に敗れて2位だった。正力杯でも2位にとどまった。また、東ドイツ国際では3位だったが、西ドイツ国際 では優勝を飾った。4年の時にはフランス国際でも優勝した。1986年には山形県教育委員会の所属になると、講道館杯では決勝でダイコロの木田守に敗れて2位だった。1987年の講道館杯では3位だった。1988年にはハンガリー国際で優勝するも、体重別では3位だった。
浅見 三喜夫(あさみ みきお、1959年1月7日 - )は、… 浅見 三喜夫(あさみ みきお、1959年1月7日 - )は、愛媛県の宇和島市・九島出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級及び65kg級の選手。次女は48kg級の世界チャンピオンである浅見八瑠奈。現在は新田高校の教頭及び柔道部顧問。 柔道は城南中学に入ってから兄の影響で始めた。新田高校2年の時にはインターハイ軽量級で3位になると、3年の時には中量級で3位となった。その後筑波大学に進学するが、1年の時に肘をケガして従来の得意技だった背負投が使えなくなったので、今までとは違ったスタイルの背負投を編み出すことになった。2年の時には新人体重別で優勝を飾った。4年の時には60kg級の選手ながら全日本学生柔道優勝大会のメンバーに選ばれて準優勝を果たした。
濱田 初幸(はまだ はつゆき、1955年7月15日 - )は… 濱田 初幸(はまだ はつゆき、1955年7月15日 - )は愛媛県出身の日本の柔道家。60kg級の選手。現在は鹿屋体育大学の教授を務める。
河野 義光(こうの よしみつ、1946年10月17日 - )… 河野 義光(こうの よしみつ、1946年10月17日 - )は、愛媛県出身の日本の柔道家。階級は軽中量級(70kg級)。 今治南高校2年の時にインターハイ軽量級で優勝すると、3年の時には中量級で優勝を飾った。1965年に日本大学へ進むと、1966年の全日本学生柔道優勝大会では2位となった。1967年に東京で開催されたユニバーシアードには団体戦に出場してチームの優勝に貢献した。1968年のソ連及びハンガリー遠征の際には活躍して、ハンガリー大会での個人戦中量級で優勝を果たした。全日本学生柔道選手権大会軽中量級では中央大学の津沢寿志に優勢負けして2位だった。1969年の世界選手権には軽中量級に出場して決勝まで進むが、金沢工業大学教員の湊谷弘に掬投で敗れて2位にとどまった。
道上 伯(みちがみ はく、1912年10月21日 - 200… 道上 伯(みちがみ はく、1912年10月21日 - 2002年8月4日)は、日本の柔道家である。講道館七段、フランス柔道連盟九段。 愛媛県八幡浜市出身。1926年、愛媛県立八幡浜商業学校(のちの県立八幡浜高校)入学を機に柔道を始める。1927年に大日本武徳会柔道初段を取得。しかし実際は1926年の時点で既に昇段審査を通過しており、13歳という当時としては異例の若さでの合格だった為、試験官の一存によりこの時点での昇段は見送られていた。その後、15歳の誕生日を迎えた時に改めて正式に初段の段位を与えられている。 1929年、武徳会二段を取得。1930年、アメリカ渡航の夢を抱き、誰にも告げずに八幡浜から出奔。