敷田 直人(しきた なおと、1971年10月25日 - )は… 敷田 直人(しきた なおと、1971年10月25日 - )は、福岡県出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は1996年-2003年は46。2004年-2010年までは2、2011年から3。 福岡県立八幡工業高等学校を卒業後、新日鐵君津に入社。新日鐵時代は下柳剛、松中信彦らとチームメイトであった。野球部で捕手として3年間プレーしたが、目立った結果は残すことなく1992年限りで退部、同時に新日鐵も退社した。 その後1994年に歯医者の待合室で見たスポーツ新聞でセ・リーグ審判員公募の記事を見かけた。その記事が心に残ったためにそのままコンビニエンスストアに寄り、同新聞を購入しセレクションに応募、合格を果た
千代丸 亮彦(ちよまる あきひこ、1970年12月25日 -… 千代丸 亮彦(ちよまる あきひこ、1970年12月25日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(内野手)。1996年から1997年までの登録名は千代丸 祥士(ちよまる しょうし)。 常磐高では1年秋に九州大会初戦で先発したが途中降板して敗退、3年春は北部県大会で優勝して九州大会へ進むが初戦で延長10回を完投したがサヨナラ負け。5月の高校NHK杯でノーヒットノーランを達成。夏の県大会は準々決勝で9回裏に二死満塁で登板すると初球で暴投によるサヨナラ負けを喫した。 1988年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから6位指名を受け入団。同期のドラフト5位には江藤智がいる。 1年目の1989年春季キャンプでは打力を見込まれ打者に転向し、プロ3年目の1991年に一軍初出場を果たし、1993年には二軍で13本塁打を記録し、ウエスタン・リーグ本塁打王を獲得する。
吉元 伸二(よしもと しんじ、1970年4月24日 - )は… 吉元 伸二(よしもと しんじ、1970年4月24日 - )は、福岡県宗像市出身の元プロ野球選手(外野手)。
服部 文夫(はっとり ふみお、1969年8月6日 - )は、… 服部 文夫(はっとり ふみお、1969年8月6日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 筑紫工業高では2年秋に南部県大会ベスト4へ進むが石貫宏臣 - 柴原浩のバッテリーを擁する西日本短大付高に敗れる。卒業後、社会人野球の九州三菱自動車に入団。1990年の都市対抗野球に補強選手として出場した。 1991年のプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから6位指名され入団。 1994年に一軍初登板を含む6試合に登板するが、翌1995年は一軍登板がなくオフに現役を引退した。 その後は、沖データコンピュータ教育学院のコーチ・監督を経て、福岡県糟屋郡の野球塾「PBS野球塾」プロフェッショナルコーチとして指導にあたっている。
石貫 宏臣(いしぬき ひろおみ、1969年6月5日 - )は… 石貫 宏臣(いしぬき ひろおみ、1969年6月5日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(投手)。
小野 一也(おの かずや、1968年8月13日 - )は、福… 小野 一也(おの かずや、1968年8月13日 - )は、福岡県北九州市小倉南区出身の元プロ野球選手(投手)。 常磐高校時代はとにかく球速が速いことで知られ、1986年春の福岡県大会ではノーヒットノーランを含む4試合連続完封試合を記録した。無名校で甲子園出場は果たせなかったものの公式戦128イニングで155奪三振を奪うなど九州No.1左腕と評判も高く12球団が獲得に動くほどの注目を集めた。 1986年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け入団した。 プロ1年目の1987年は、高校3年生の最後の夏の大会で肘を痛めた影響でウエスタンリーグでもほとんど登板がなかった。秋のアメリカ教育リーグでは完封を記録するが、翌シーズンのオープン戦で再度肘痛を発症し、その後手術をした。
樽見 金典(たるみ かねのり、1968年7月20日 - )は… 樽見 金典(たるみ かねのり、1968年7月20日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
西村 英嗣(にしむら ひでつぐ、本名:西村 秀嗣(読み同じ)… 西村 英嗣(にしむら ひでつぐ、本名:西村 秀嗣(読み同じ)、1968年7月16日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
藤崎 靖彦(ふじさき やすひこ、1968年7月11日 - )… 藤崎 靖彦(ふじさき やすひこ、1968年7月11日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(外野手)。 豊国学園高では2年春に県北部大会決勝で延長10回完投勝利、3年夏は準決勝で西村秀嗣が先発の柳川高に勝利したが、決勝で石貫宏臣と青柳進のバッテリーを擁する西日本短大付高に敗退。高校卒業後は社会人野球の新日本製鐵八幡に入団。1990年の第61回都市対抗野球大会では、1回戦・2回戦とも7番ライトで先発出場。2回戦の対大阪ガス戦では、当時ホームランの出にくい球場とされていた東京ドームの左翼上段に特大ホームランを放ち、これがプロ入りのきっかけになったとされている。この大会では7打数3安打の記録を残した。
青柳 進(あおやぎ すすむ、1968年7月9日 - )は、福… 青柳 進(あおやぎ すすむ、1968年7月9日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(捕手)。
中村 良二(なかむら りょうじ、1968年6月19日 - )… 中村 良二(なかむら りょうじ、1968年6月19日 - )は、福岡県三井郡北野町(現:久留米市)出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。左投げ右打ち。
有隅 昭二(ありすみ しょうじ、1968年5月26日 -)は… 有隅 昭二(ありすみ しょうじ、1968年5月26日 -)は、福岡県糟屋郡須恵町出身の元プロ野球選手(投手)。現在はプロ野球審判員である。審判員袖番号は37。 小学校5年生から野球を始め、九産大九州高校から九州産業大学に進学するが2年で中退。その後、ヤクルトスワローズの練習生となり、1989年のシーズンオフにドラフト外入団した。 一軍公式戦への出場のないまま、1991年は主に打撃投手を務め、この限りで退団。 1992年よりセントラル・リーグ審判部に入局した。 2009年6月17日に通算1,000試合出場を達成。 2014年よりクルーチーフに昇任し、同年9月3日に史上87人目の通算1,500試合出場を、2019年10月7日には史上68人目の通算2,000試合出場を達成した。
樋口 一紀(ひぐち かずとし、1967年9月9日 - )は、… 樋口 一紀(ひぐち かずとし、1967年9月9日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(内野手)。大阪府生まれ。
福澤 洋一(ふくざわ よういち、1967年5月26日 - )… 福澤 洋一(ふくざわ よういち、1967年5月26日 - )は、福岡県飯塚市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者。 直方学園高では、1984年秋季県北部大会準々決勝に進むが、西田川高に敗退した。 大学は九州産業大学に進学。福岡六大学野球リーグでは2年生までに3回の優勝を経験した。1987年秋季リーグではベストナインを受賞、明治神宮大会では初戦でコールド負け。その後に中退。有藤通世監督に「キャッチャーがいないんだ」と見込まれて、ロッテオリオンズの練習生となり、1988年オフにドラフト外で入団した。 1989年から袴田英利に替わる正捕手として期待され、開幕2戦目となった4月11日のオリックス戦(川崎球場)では斉藤巧に代わり捕手として初出場した。
高 信二(こう しんじ、1967年4月16日 - )は、福岡… 高 信二(こう しんじ、1967年4月16日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(内野手)、現広島東洋カープ一軍ヘッドコーチ。
桧山 泰浩(ひやま やすひろ、1967年4月11日 - )は… 桧山 泰浩(ひやま やすひろ、1967年4月11日 - )は、元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は、司法書士と早稲田セミナー専任講師を兼任している。
平井 光親(ひらい みつちか、1966年11月8日 - )は… 平井 光親(ひらい みつちか、1966年11月8日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。
松井 隆昌(まつい たかまさ、1966年8月20日 - )は… 松井 隆昌(まつい たかまさ、1966年8月20日 - )は、福岡県飯塚市出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球コーチ。
村上 隆行(むらかみ たかゆき、1965年8月26日 - )… 村上 隆行(むらかみ たかゆき、1965年8月26日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)、野球解説者、コーチ。現在はサムスン・ライオンズ一軍打撃コーチ。 トゥルーマサ所属。現役時代後半の登録名は村上 嵩幸(読み同じ)。 大牟田市で鮮魚商の家庭の長男として生まれ、弟と妹が一人ずついる。歴木中学校で本格的に野球を始め、同じ大牟田市出身の原辰徳に憧れて三塁手を務めた。中学3年生の時には巨人の宮崎キャンプを見学し、原から声をかけられたという。大牟田高校では1年生の間は一塁手、2年生からは投手を任された。高校時代の同級生に中島浩二がいた。 高校では練習試合で3階建ての校舎を越える本塁打を放つなど、強打でNPBのスカウトから注目されている。
山田 武史(やまだ たけし、1965年6月1日 - )は、福… 山田 武史(やまだ たけし、1965年6月1日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
城土 大治朗(じょうど だいじろう、1965年3月6日 - … 城土 大治朗(じょうど だいじろう、1965年3月6日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。旧登録名は城土 大二郎。右投げ両打ち。背番号は40だった。
馬場 敏史(ばば としふみ、1965年2月10日 - )は、… 馬場 敏史(ばば としふみ、1965年2月10日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。
藤野 正剛(ふじの せいごう、1963年6月22日 - )は… 藤野 正剛(ふじの せいごう、1963年6月22日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。
田中 学(たなか まなぶ、1961年8月22日 - )は、福… 田中 学(たなか まなぶ、1961年8月22日 - )は、福岡県山門郡山川町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 三池農業高から社会人野球の日立造船有明に入団。1983年の都市対抗野球に鹿児島鉄道管理局の補強選手として出場。2回戦でリリーフとして登板、新日本製鐵広畑の藤高俊彦と投げ合うが敗退。 1983年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから2位指名を受け入団。サイドスローの変則フォームから投げ込むクセ球を武器とした。 プロ1年目の1984年は先発2試合を含む6試合に登板し、初勝利も記録する。しかしその後はあまり登板機会に恵まれず、1988年シーズン終了後に戦力外通告を受け、現役続行を希望して故郷の福岡県への移転が決まり、福岡ダイエーホークスへ移行する直前だった南海ホークスの中百舌鳥球場での秋季練習に参加して入団テストを受けるが、不合格となり現役を引退した。
村井 一男(むらい かずお、1961年3月12日 - )は、… 村井 一男(むらい かずお、1961年3月12日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 福岡県の筑紫工業高等学校(現・筑紫台高等学校)から九州産業大学に進む。1年上に高校の先輩である中原朝日、同期に左腕エースの大畑徹がおり、登板機会は多くなかったが、タイプの異なるサイドスローとして要所で活躍。福岡六大学リーグでは在学中7季連続優勝。武器はスライダー、カーブ、シンカー。 将来性を買われ、1982年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズに4位指名され入団。1985年にアメリカ1A・サンノゼ・ビーズに野球留学した。 1987年3月、川本智徳と共に栗岡英智との交換で中日ドラゴンズへ移籍。
大畑 徹(おおはた とおる、1961年1月10日 - )は、… 大畑 徹(おおはた とおる、1961年1月10日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(投手)。左投げ左打ち。
吉竹 春樹(よしたけ はるき、1961年1月5日 - )は、… 吉竹 春樹(よしたけ はるき、1961年1月5日 - )は、福岡県春日市出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)・監督・コーチ。
金山 晃士(かなやま こうじ、1960年12月15日 - )… 金山 晃士(かなやま こうじ、1960年12月15日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。
加藤 良治(かとう りょうじ、1960年12月13日 - )… 加藤 良治(かとう りょうじ、1960年12月13日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(遊撃手)。
松永 浩美(まつなが ひろみ、1960年9月27日 - )は… 松永 浩美(まつなが ひろみ、1960年9月27日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(内野手)。「史上最高のスイッチヒッター」と称される。
野田 雲平(のだ うんぺい、1960年1月16日 - )は、… 野田 雲平(のだ うんぺい、1960年1月16日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。
二村 忠美(ふたむら ただみ、1959年10月8日 - )は… 二村 忠美(ふたむら ただみ、1959年10月8日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。 伝習館高校では投手で4番を打ち、1年秋は県南部大会決勝へ進むが柳川商・久保康生と投げって敗退。社会人野球の三協精機へ入社するが野球部が休部となり、九州産交に移籍。社会人では三塁手に転向。1982年の都市対抗に電電九州の補強選手として出場。同年に日本ハムファイターズからドラフト3位指名され入団。 1983年、左翼手の定位置を得て打率.282、13本塁打、35打点の好成績を記録し、新人王を獲得。 1984年には規定打席(26位、打率.258)に到達。入団から4年連続で二ケタ本塁打を放つ等活躍した。 長嶋茂雄が解説者時代、日本ハムのキャンプ取材で彼を熱心に打撃指導していたシーンが、テレビの珍プレー番組でよく放送されていた。
清家 政和(せいけ まさかず、1959年10月7日 - )は… 清家 政和(せいけ まさかず、1959年10月7日 - )は、福岡県北九州市小倉北区出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。
田島 克彦(たじま かつひこ、1959年9月28日 - )は… 田島 克彦(たじま かつひこ、1959年9月28日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
田中 和博(たなか かずひろ、1959年9月15日- )は、… 田中 和博(たなか かずひろ、1959年9月15日- )は、福岡県大川市出身の元プロ野球選手(投手)である。
中原 朝日(なかはら のぼる、1959年6月1日 - )は、… 中原 朝日(なかはら のぼる、1959年6月1日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 筑紫工業高から九州産業大学へ進学。福岡六大学リーグでは通算28試合に登板し13勝2敗、1981年春季のリーグ戦では九州工業大戦でノーヒットノーランを達成した。 1981年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから2位指名を受け入団。1981年のドラフトでは日ハムの「隠れ一位候補」だった。 3年目の1984年に一軍登板を果たすが結果を残せず、1986年限りで現役を引退した。 ダイナミックなオーバースローで、踏み出す足を軸足よりも極端に三塁側へクロスさせるインステップ投法であった。この投法はボールが高めにいく傾向がありメッタ打ちにあう危険もはらんでいた。
大久保 弘司(おおくぼ ひろし、1959年2月4日 - )は… 大久保 弘司(おおくぼ ひろし、1959年2月4日 - )は、福岡県田川市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投げ右打ち。
中原 勇一(なかはら ゆういち、1959年2月2日 - )は… 中原 勇一(なかはら ゆういち、1959年2月2日 - )は福岡県出身の元プロ野球選手(捕手)。現在は中日ドラゴンズのスカウト(東海・北信越地区)を務める。
立花 義家(たちばな よしいえ、1958年10月27日 - … 立花 義家(たちばな よしいえ、1958年10月27日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)、コーチ。現在は福岡ソフトバンクホークス一軍打撃コーチ。
久保 康生(くぼ やすお、1958年4月8日 - )は、19… 久保 康生(くぼ やすお、1958年4月8日 - )は、1970年代後半から1990年代後半にかけて活躍した元プロ野球選手(投手)。現役引退後は、大阪近鉄バファローズや阪神タイガースで投手コーチを務めている。
鐘井 裕治(かねい ゆうじ、1957年12月3日 - )は福… 鐘井 裕治(かねい ゆうじ、1957年12月3日 - )は福岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
加倉 一馬(かくら かずま、1957年10月19日 - )は… 加倉 一馬(かくら かずま、1957年10月19日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(外野手)。1979年から1981年途中までの登録名は加倉 克馬(読み同じ)。
山本 和範(やまもと かずのり、1957年10月18日 - … 山本 和範(やまもと かずのり、1957年10月18日 - )は、福岡県小倉市(現:北九州市小倉北区)出身の元プロ野球選手(外野手)。1994年シーズン後半戦から1995年シーズンまでの登録名はカズ山本。
外園 正(ほかぞの まさし、1957年7月14日 - )は、… 外園 正(ほかぞの まさし、1957年7月14日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手。巨人と横浜大洋に所属した投手。左投げ右打ち。178cm、62kg。
広橋 公寿(ひろはし こうじゅ、1957年1月11日 - )… 広橋 公寿(ひろはし こうじゅ、1957年1月11日 - )は、福岡県宗像郡玄海町(のちの宗像市)出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、野球指導者。
松浦 正(まつうら ただし、1956年7月27日 - )は福… 松浦 正(まつうら ただし、1956年7月27日 - )は福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
角 富士夫(すみ ふじお、1956年5月31日 - )は、福… 角 富士夫(すみ ふじお、1956年5月31日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。1996年以降は角 冨士夫。
武居 邦生(たけすえ くにお、1956年4月27日 - )は… 武居 邦生(たけすえ くにお、1956年4月27日 - )は、福岡県飯塚市出身の元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者、スカウト。右投右打。 九州工業高等学校では投手として活躍していた。1974年の県北部予選3回戦では松浦正らがいた小倉工業高校に敗れ、甲子園への出場を果たすことができなかった。 高校卒業後は国士舘大学に進学し一塁手に転向。東都大学野球リーグでは、1学年下のエース片岡大蔵を擁し1977年春季リーグ二部優勝。入替戦で日大を破り、初の一部昇格を果たす。しかし優勝には届かず、1978年秋季リーグの3位が最高成績であった。ベストナイン(一塁手)2回選出。大学同期に外野手の高柳秀樹らがいた。
門田 富昭(かどた ふみあき、1956年2月6日 - )は、… 門田 富昭(かどた ふみあき、1956年2月6日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 小倉商高では、1973年にエースとして春の選抜に出場。1回戦で桜美林高を降すが、2回戦でこの大会に優勝した横浜高の永川英植と投げ合い、延長13回サヨナラ負けを喫する。 卒業後は西南学院大学に進学。九州六大学リーグでは優勝に届かず、2位3回にとどまる。しかし速球投手として知られ、4年春には久留米大学戦で10回を投げて完全試合を記録するなど活躍、リーグ戦通算最多の39勝を記録して「西の江川」と呼ばれた。 1977年のドラフト1位で横浜大洋ホエールズに、西南学院大学出身として初のプロ野球選手として入団した。
藤岡 貞明(ふじおか さだあき、1955年6月24日 - )… 藤岡 貞明(ふじおか さだあき、1955年6月24日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。