市原 佐都子(いちはら さとこ、1988年9月27日 - )… 市原 佐都子(いちはら さとこ、1988年9月27日 - )は、日本の演出家、脚本家、劇作家、小説家、俳優、城崎国際アートセンター芸術監督。大阪府生まれ、福岡県北九州市出身。劇団「Q」代表。 3歳からクラシックバレエを習う。当初は舞台女優志望で、AO入試でバレエの授業がある東筑紫学園高等学校に入学。北九州芸術劇場の演劇ワークショップなどに参加した。 その後上京し、桜美林大学文学部総合文化学群演劇専修に入学、在学中は主に役者として活動し、鐘下辰男、坂口芳貞など様々な演出家の作品に出演。2010年に卒業研究として初の作・演出作品『虫虫Q』を発表。 2011年劇団「Q」を旗揚げ、『虫虫Q』を元にした戯曲『虫』で第11回AAF戯曲賞優秀賞受賞。
吹原 幸太(ふきはら こうた、1982年12月23日 - 2… 吹原 幸太(ふきはら こうた、1982年12月23日 - 2020年5月17日)は、日本の脚本家、演出家、構成作家、小説家、俳優。アンドリーム(&REAM)所属。身長175cm。 福岡県大牟田市出身。2005年、法政大学経営学部在学中に劇団ポップンマッシュルームチキン野郎を旗揚げし、主宰となる。2009年、『オトメン(乙男)』でテレビ脚本家デビュー。 2020年5月17日未明、脳幹出血を発症して死去。37歳没。同年6月5日、遺作の1つとなった特撮テレビドラマ『ウルトラマンZ』(テレビ東京)のオンライン発表会では、メイン監督の田口清隆による追悼が捧げられた。 死去時点でポップンマッシュルームチキン野郎の舞台『コチラハコブネ、オウトウセヨ』の脚本を途中まで書いており、後の2022年12月22日には劇団員の小岩崎小恵とNPO法人による作劇を経て、NPO法人とニシオカ・ト・ニールによる演出で上演された。
菜月 チョビ(なつき ちょび、1978年5月3日 - )は、… 菜月 チョビ(なつき ちょび、1978年5月3日 - )は、日本の演出家、女優。劇団鹿殺し座長。 1978年5月3日、福岡県稲築町出身。福岡県立嘉穂高等学校、関西学院大学文学部西洋史学科卒業。 演劇サークルの先輩であった丸尾丸一郎とともに、2000年1月に劇団鹿殺しを旗揚げ。 劇団鹿殺し全作品に演出・出演している。 2013年11月より文化庁の新進芸術家海外研修制度によるカナダに1年間の派遣留学をする。
大森 美香(おおもり みか、1972年〈昭和47年〉3月6日… 大森 美香(おおもり みか、1972年〈昭和47年〉3月6日 - )は、日本の脚本家、演出家、小説家、映画監督。福岡県築上郡築城町(現・築上町)出身。 映画やドラマや芝居が好きな母親に影響を受け中学の頃は、演劇部に入部した。神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業。青山学院女子短期大学芸術学科卒業。短大卒業後、名古屋テレビ放送に入社。東京本部で一般職として経理、秘書業務等を担当。24歳で退社。在職中から受講していたマスコミセミナーの講師であったフジテレビの山田良明編成局制作室第一制作部企画担当部長(当時)に掛け合い、フジテレビの契約ADの職を得る。AD休職中に書き上げた脚本を山田に持ち込み、1998年『美少女H』・第12話「十七歳の記録」で脚本家・演出家デビュー。
吉田 照幸(よしだ てるゆき、1969年12月13日 - )… 吉田 照幸(よしだ てるゆき、1969年12月13日 - )は、日本のテレビディレクター、演出家、プロデューサー。NHKエンタープライズ番組開発部所属エグゼクティブプロデューサー。福岡県北九州市生まれ、山口県防府市育ち。 山口県立防府高等学校、青山学院大学法学部卒業。同大学在学時にフジテレビの深夜特番『北半球で一番くだらない番組』とTBSのドキュメンタリー『世界で一番過酷なマラソン』に感銘を受け、テレビ業界を目指す。 民放の最終面接に落ちた後に1年就職浪人をして、1993年(平成5年)日本放送協会 (NHK) 入局。元々報道・ドキュメンタリー志望だったというが、入局時の研修での第3希望に『何か新しいこと』と書いたために番組制作局第2制作センターエンターテイメント番組部に配属され、公開派遣番組を担当する(前説を多く担当したという)。
松尾 スズキ(まつお スズキ、本名:松尾 勝幸(まつお かつ… 松尾 スズキ(まつお スズキ、本名:松尾 勝幸(まつお かつゆき)、1962年12月15日 - )は、日本の俳優、劇作家、演出家、脚本家、映画監督、コラムニスト。福岡県北九州市八幡西区生まれ。八幡大学附属高等学校(現・九州国際大学付属高等学校)、九州産業大学芸術学部デザイン学科卒業。『大人計画』主宰。コクーンアクターズスタジオ学長。以前は松尾すずきと表記していた。愛猫は「オロチ(雌)」、その後「チース」。現在は飼っていない。既婚。 漫画家になりたくて高校生の時に漫画賞に応募し続け、大学ではデザインを専攻し漫画研究会に入ったが、漫研の中で最も絵が下手であったためプライドが叩き潰され、演劇研究会に入った。
いのうえ ひでのり(本名:猪上 秀徳、1960年1月24日 … いのうえ ひでのり(本名:猪上 秀徳、1960年1月24日 - )は、日本の演出家、劇作家。劇団☆新感線主宰。 福岡県出身。福岡大学附属大濠高等学校卒業後、大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科に入学。大学在学中の1980年に劇団☆新感線を結成(初の公演は『熱海殺人事件』)。旗揚げ当初は役者も兼ねていたが、1995年からは演出に専念している。 演出家としてはハードロックやヘヴィメタルを大音量で頻繁に使用し、ライブコンサート並みの派手な照明を駆使するのが特徴。特に歴史や神話をモチーフとした作品はいのうえ歌舞伎と呼ばれ、演劇ファンのみならず音楽ファンも巻き込んだ爆発的な観客動員数を誇る。劇団の本公演以外にもホリプロやジャニーズ事務所、松竹など大手芸能事務所と手を組み、数々の公演を手掛けている。
二代目 一条 さゆり(にだいめ いちじょう さゆり、1958… 二代目 一条 さゆり(にだいめ いちじょう さゆり、1958年8月9日 - )は、日本の女優、新劇女優、ストリッパー、コラムニスト、著作家、作家、脚本家、演出家、香港映画研究家、中国問題評論家。 1980年代初め頃から萩尾なおみ名義でピンク映画を中心に活躍。その後ストリッパーに転身して、その世界では伝説的な存在であった、一条さゆりの二代目を襲名した。本名は萩尾菜穂美。 ストリップとしての出し物は、ろうそくを片手に持ち、自らの体に蝋を振りかけるという初代から受け継いだろうそくショー、縄による縛りなどのSMパフォーマンスの他、水割りの入った巨大なワイングラスの中に入って、グラスをレンズ代わりにして下半身を客に大きく見せて、わかめ酒は観客にふるまうという芸があった。
竹林 紀雄(たけばやし のりお、1958年2月12日 - )… 竹林 紀雄(たけばやし のりお、1958年2月12日 - )は、日本のテレビ演出家、TVプロデューサー、放送作家。特に、ドキュメンタリーの構成・演出に定評がある。文教大学情報学部メディア表現学科長・教授、文教大学大学院情報学研究科教授、文化庁芸術祭執行委員、日本映画監督協会理事、湘南総合研究所所長。 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)生まれ。大学入学のために上京した1979年春より、自主映画制作団体 『都会村』を設立・主宰し、8ミリ映画の制作を始める。1981年より2年間、イメージフォーラム付属映像研究所で、松本俊夫、金井勝、かわなかのぶひろ、鈴木志郎康、萩原朔美、松田政男、そして寺山修司などから、実験映画を中心にアートとしての映像表現を学ぶ。
山崎 清介(やまさき せいすけ、1957年3月28日 - )… 山崎 清介(やまさき せいすけ、1957年3月28日 - )は日本の俳優、演出家。福岡県北九州市出身。 福岡大学の演劇部、青年座養成所を経て、1984年に劇団EDメタリックシアターを結成。 1991年からはグローブ座カンパニーに参加し、出口典雄、ペーター・ストルマーレ、ジェラード・マーフィー、ロベール・ルパージュなどの演出するシェイクスピア作品に出演。 1995年から始まった「子供のためのシェイクスピアシリーズ」に初回から参加し、第2回公演「十二夜」からは演出も担当する。 2008年からはチェーホフ作品の演出にも取り組む。 テレビでは、1987年から1993年までフジテレビの子供番組「ひらけ!ポンキッキ」にレギュラー出演した。
山縣 慎司(やまがた しんじ、1950年8月11日 - )は… 山縣 慎司(やまがた しんじ、1950年8月11日 - )は演出家。元フジテレビジョン社員、元同局ディレクター・プロデューサー。横澤彪班の1人。愛称は「ベースケ」。福岡県北九州市(旧小倉市)出身。大阪府立勝山高等学校・日本大学芸術学部卒業。
古賀 義弥(こが よしや、1943年12月8日 - )は、日… 古賀 義弥(こが よしや、1943年12月8日 - )は、日本の作曲家、ギタリスト、演出家、ボイストレーナー。旧芸名:古賀 修。 福岡県福岡市出身。福岡大学法学部法律学科卒業。 音楽大学を志すも家族(特に姉)の反対により断念し、法学部に進学。地元の福岡でカントリーバンド「シュガーフット・ブラザース」を結成しボーカルを担当。1966年に渡辺プロダクションにスカウトされて上京、GSグループの「レオ・ビーツ」を結成し、ギター・ボーカルを担当。キングレコードから『霧の中のマリアンヌ』でデビュー。 1973年に渡辺プロから独立し、レオ・ビーツ6名のうち3名に新しいメンバー1名を加えて「ブルー・ジャッカス」結成。
四宮 鉄男(しのみや てつお、1940年5月30日 - 20… 四宮 鉄男(しのみや てつお、1940年5月30日 - 2025年3月9日[要出典])は、福岡県福岡市生まれ、ドキュメンタリー映画監督、テレビ演出家。 早稲田大学第一文学部社会学科を卒業。講談社に勤務するが、友人の泉田昌慶が黒木和雄監督の助監督だったことから、岩波映画製作所の演出家たちを中心にした同人組織「青の会」に入会。 1965年に講談社を退社し、フリーの助監督として土本典昭に師事する。1969年に岩波映画で『カラーの眼』を初演出。 のち、「日本リクルートセンター」、小泉修吉の「グループ現代」などで、教育・環境・障害者などに関わる、多数の作品を演出。 また、1970年代初期には「ある日のヨーロッパ」(フジテレビ)などのテレビのミニ番組も制作。
瓜生 良介(うりゅう りょうすけ、1935年3月3日 - 2… 瓜生 良介(うりゅう りょうすけ、1935年3月3日 - 2012年9月5日)は、日本の演出家、鍼灸師。劇団「発見の会」主宰。「ウリウ治療室」を開設し「快医学」を提唱。発見の会は「最初のアングラ劇団」と言われる。青年劇場の瓜生正美は兄。 1935年(昭和10年)、福岡県若松市(現・北九州市)に生まれる。兄たちの影響で、小中学生のころより劇団や人形劇に携わる。15歳のとき父が死去。1951年、若松高校に入学、演劇部に入部。18歳のとき家が破産。 1954年、19歳で上京。黒雅舎で印刷工として働く。1956年、舞台芸術学院に入学。1958年、劇団「舞芸座」の演出部に所属(23歳)。演出家・土方与志に師事。
米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月… 米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月10日 - 2014年〈平成26年〉8月26日)は、日本の俳優・演出家・絵本作家・絵師。 福岡県福岡市(現在の同市中央区)出身。福岡市立警固中学校、福岡県立福岡中央高等学校卒業。高校ではバスケットボール部で主将を務めバスケットボールで西南学院大学への推薦を受けるも、当時はバスケットボールで生きる道はなく、役者として生きる道を選択する。戸籍上は正扶三(まさふみ)であったが、小学生の頃から「斉加年」と名乗り続け、改名し戸籍上も「斉加年」(1983年)となる。 推薦を断り一浪し、西南学院大学文学部英文科入学。演劇部で演劇に没頭する。1954年には、中退し単身東京へ。
久野 浩平(ひさの こうへい、1929年11月2日 - 20… 久野 浩平(ひさの こうへい、1929年11月2日 - 2010年1月1日)は、日本のテレビドラマおよびラジオドラマの演出家、ディレクター。福岡県北九州市出身。 九州大学卒業後、ラジオ九州(現:RKB毎日放送)に入社し、ラジオドラマのディレクターとして活躍。『魚と走る時』などを担当した。また、『中村一郎』で、劇作家として駆け出しだった寺山修司を見出した人物でもある。 その後、テレビドラマでも活躍し、特に「東芝日曜劇場」や「近鉄金曜劇場」など、TBS系列に全国放送されたRKB制作の単発ドラマを数多く演出。『死ぬほど逢いたい』、『ひとりっ子』(放送中止)、『山ほととぎす ほしいまま』、『海より深き』、『目撃者』といったテレビ創生期の名作を生み出した。
瓜生 正美(うりゅう まさみ、1924年11月30日 - 2… 瓜生 正美(うりゅう まさみ、1924年11月30日 - 2021年6月27日)は、日本の劇作家・演出家。青年劇場顧問。 福岡県若松市(現・北九州市若松区)出身。旧制第五高等学校卒業、九州大学中退。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田中 はくどう(たなか はくどう)は、福岡県柳川市出身の、劇… 田中 はくどう(たなか はくどう)は、福岡県柳川市出身の、劇作家・演出家・プロデューサーである。田中 博道の表記を使っていた時期もある。 日本芸能教育センターからメジャーデビューしたレッスン生 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
桑野 智宏(くわの ともひろ)は、日本の演出家。NHK職員。… 桑野 智宏(くわの ともひろ)は、日本の演出家。NHK職員。 福岡県筑後市出身。久留米大学附設高等学校から、早稲田大学へ進学。 在学中は、大学公認サークルの学生劇団 「てあとろ50’」に在籍(25期生)。『She See Sea』『Marginal Man かえりたがる脱獄者』『マージナル・マン ルームナンバー151へ』などの、作・演出を手がける。 3回目の受験、6年生の時に内定を勝ち取り、卒業後の2005年にNHKに入局。 2018年、NHK名古屋放送局での4年間の勤務を経て、東京に戻る。