常岡 浩介(つねおか こうすけ、1969年7月1日 - )は… 常岡 浩介(つねおか こうすけ、1969年7月1日 - )は、日本のフリージャーナリスト。東京都中野区在住。イスラム改宗後のムスリム名はシャミル。 長崎県島原市生まれ。青雲高等学校から早稲田大学人間科学部に進学。大学在学中にアルジェリア、リビアなどの紛争地を旅した。 1994年、長崎放送報道部記者に。長崎県警察の内部犯罪を取材、発表。記者になってから4年半後に退社し、1998年からイスラム世界各地の戦場で取材を行う。 2000年2月にモスクワでイスラムに改宗。 一時期、アジアプレス・インターナショナルに所属していたが[いつから?]、2001年3月にメンバー資格剥奪。 2001年6月、ジョージア[要検証 – ノート]、アブハジア取材中に行方不明と報道される。
村田 信之(むらた のぶゆき、1966年5月27日 - )は… 村田 信之(むらた のぶゆき、1966年5月27日 - )は、日本のジャーナリスト、政治家、大学教員、一般社団法人ストーンスープ代表理事。 長崎県長崎市出身。海星高等学校卒業。高校ではラグビー部に所属し、3年生のときに長崎県代表チームとして奈良国体に出場した。 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。大学では佐佐木幸綱のゼミに所属。大学在学中からフリーライターとして新聞や雑誌に寄稿していた。 1993年に蓮舫と結婚したが、2020年に離婚。 2002年より早稲田大学の「グローバル・エデュケーションセンター」の設置科目である「たくましい知性を鍛える」の前身である通称大隈塾「21世紀日本の構想」に関わっていた。
平井 文夫(ひらい ふみお、1959年8月9日 - )は、日… 平井 文夫(ひらい ふみお、1959年8月9日 - )は、日本のジャーナリスト、政治評論家、フジテレビ客員解説委員。主に国内政治及び外交などを専門としている。 長崎県長崎市生まれ、山口県防府市出身。父親は医師で、昭和天皇や田中角栄の病状報道についてアドバイスを得ていたという。山口県立防府高等学校卒業。1982年、立命館大学経済学部卒業。大学時代には探検部に所属するとともに単身で世界15ヶ国を旅した。 大学卒業後、1982年にフジテレビジョンに入社。『スーパータイム』ディレクターを経て社会部では厚生省や宮内庁を担当した。1989年の昭和天皇崩御の際は宮内庁前から中継を担当した。 社会部記者を経て、1989年春に外信部へ次期海外特派員含みで異動した数ヶ月後、北京で起きた六四天安門事件を部長に志願して現地取材した。
内田 正洋(うちだ まさひろ、1956年 - )は、 長崎県… 内田 正洋(うちだ まさひろ、1956年 - )は、 長崎県大村市出身の日本のジャーナリスト、冒険家、シーカヤックの指導者。パリ・ダカール・ラリーにナビゲーターとして参加し、シーカヤックの普及活動にも取り組んでいる。また、海洋文化や自然保護に関する活動も行っている。 内田は自然や海に興味を持ち、1978年に日本大学農獣医学部水産学科を卒業した。専攻は遠洋漁業学で、在学中にマグロ漁の実習として半年間の航海に参加した。高校ではラグビー部に所属し、全国大会(花園)に出場した。 内田は、1979年に株式会社ACP(Adventurous Creative Pearsons)に入社し、TBSテレビの「おはよう720」内のコーナー「キャラバンⅡ」でスタッフドライバーとしてアメリカ横断ロケに参加した。
松竹 伸幸(まつたけ のぶゆき、1955年2月4日 - )は… 松竹 伸幸(まつたけ のぶゆき、1955年2月4日 - )は、日本のジャーナリスト、編集者。かもがわ出版編集主幹。元・かもがわ出版編集長、元・日本共産党中央委員会勤務員。 日本平和学会会員、日本ジャーナリスト会議出版部会世話人。専門は外交・安全保障。 自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会事務局長、国際刑事法典の制定を国会に求める会事務局長を務める。 1955年、長崎県西海市生まれ。父親は炭鉱労働者。閉山のため東京、神戸に移住。兵庫県立神戸高等学校を経て、一橋大学経済学部・一橋大学社会学部卒業。全日本学生自治会総連合(全学連)委員長を務め、学費値上げ反対闘争を率いた。大学の経済学部卒業後の社会学部への学士入学は全学連での活動継続が主目的だったため、入学試験での面接ではどう回答するか苦労したという。
高瀬 毅(たかせ つよし、1955年1月18日 - )は、日… 高瀬 毅(たかせ つよし、1955年1月18日 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、ラジオパーソナリティ。 長崎県長崎市出身。被爆二世。高校は、カトリック系の南山高校。明治大学政治経済学部を卒業後、ニッポン放送に入社。報道、編成、制作各部で活動したのち、情報センター出版局編集者を経てジャーナリストとなり現在に至る。日本文藝家協会会員。YouTube番組であるデモクラシータイムスにて司会を務める。 1982年、ラジオドキュメンタリー「通り魔の恐怖」で日本民間放送連盟賞最優秀賞。放送文化基金賞奨励賞。2009年には、『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』で「平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞」受賞。
山口 進(やまぐち すすむ、1948年〈昭和23年〉2月23… 山口 進(やまぐち すすむ、1948年〈昭和23年〉2月23日 - 2022年〈令和4年〉12月23日)は、日本の昆虫植物写真家、自然ジャーナリスト。自然科学写真家協会会員、日本鱗翅学会会員。 1948年、三重県に生まれる。小学校3年時から長崎県長崎市に移り、長崎市立西町小学校、長崎市立緑が丘中学校を経て長崎県立長崎西高等学校卒業まで長崎で過ごした。海洋研究者だった父親の影響を受けて、子どもの頃は昆虫図鑑や冒険小説などの本を読むことや自然が大好きだったという。高校2年の時に長崎の古書店で眺めた高山蝶の写真集に感銘を受け、自身の目で国外の虫や花を見たくなり、翌年には台湾へ60日間の一人旅に出かけた。
大石 一男(おおいし かずお、1945年11月15日 - )… 大石 一男(おおいし かずお、1945年11月15日 - )は、日本のファッション写真家でフォトジャーナリスト。日本におけるファッション報道(コレクション)写真の草分けである。 1945年(昭和20年) 長崎市生まれ。育英工高(現在のサレジオ高専)から私立瓊浦高等学校を経て、法政大学文学部日本文学科卒業。 大学卒業後は、スポニチテレビニュース社(現在のスポニチクリエイツ)で、主にスポーツ、芸能番組の制作などを8年間担当した。その後、SUNデザイン研究所ヘ移り、ファッションイベントの制作に携わった。 1979年(昭和54年) パリ・コレクションの撮影を契機に写真家に転向。以後、パリ、ミラノ、ニューヨーク、ロンドン、ソウル、東京と、32年間世界のファッションシーンを撮りつづけ、2010年(平成22年)を最後に海外のコレクション撮影を引退。
杉田 亮毅(すぎた りょうき、1937年7月19日 - )は… 杉田 亮毅(すぎた りょうき、1937年7月19日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。公益社団法人日本経済研究センター代表理事参与、株式会社日本経済新聞社参与。 株式会社日本経済新聞社代表取締役社長、株式会社日本経済新聞社代表取締役会長、日本記者クラブ理事長、公益社団法人日本経済研究センター会長などを歴任。2006年に株式会社日本経済新聞東京本社編集局にデジタル編集本部を設立し、2010年に発足した日経電子版のプロジェクトを開始させた立役者となった。
神近 市子(かみちか いちこ、出生名:神近 イチ、1888年… 神近 市子(かみちか いちこ、出生名:神近 イチ、1888年6月6日 - 1981年8月1日)は、日本のジャーナリスト、婦人運動家、作家、翻訳家、評論家。ペンネームは榊 纓(さかき おう/えい)。1916年の日蔭茶屋事件で一躍著名になり、大杉栄に対する殺人未遂罪で2年間服役した。戦後に政治家になり、左派社会党および再統一後の日本社会党から出馬して衆議院議員を5期務めた。 長崎県北松浦郡佐々村(現在の佐々町)生まれ。漢方医の神近養斉とハナ夫妻の子で、出生当時父は47歳、母は43歳になっていた。夫妻はすでに二男二女をもうけていて、彼女は末の子であった。 父は幼い末娘を「チコ」と呼んで可愛がっていたが、1891年、彼女が3歳のときに死去した。
渋川 玄耳(しぶかわ げんじ、1872年6月3日(明治5年4… 渋川 玄耳(しぶかわ げんじ、1872年6月3日(明治5年4月28日) - 1926年(大正15年)4月9日)は、明治期に活躍したジャーナリスト、随筆家、俳人。佐賀県出身。本名渋川柳次郎。ほかに薮野椋十(やぶの むくじゅう)の筆名を用いる。 佐賀県杵島郡西川登村小田志(現武雄市西川登町小田志)出身。長崎商業を卒業後、法律家を志し上京。獨逸学協会中学校および國學院で学び、東京法学院(現中央大学)に進み卒業。高等文官試験に合格し、福島県いわき市平区裁判所の裁判官となる。その後、陸軍法務官として熊本県の第六師団に勤務。熊本時代には、夏目漱石を主宰に寺田寅彦、厨川千江らがおこした俳句結社紫溟吟社(しめいぎんしゃ)に参加。