緒方 武(おがた たけし、1873年〈明治6年〉1月12日 … 緒方 武(おがた たけし、1873年〈明治6年〉1月12日 - 1940年〈昭和15年〉6月4日)は、熊本県出身の日本の剣道家(教士)、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は、陸軍歩兵中尉(従七位勲六等)、元熊本県議会議員。 明治6年(1873年)1月12日、父清彦、母千伊の長男として熊本県西合志村梅屋敷(現合志市)に生まれる。 心通学舎(現・合志小学校)から済々黌で学び、東京師範学校に入る。剣道は新陰流(戸波派)宮川末五郎の相伝を受け、第十九代当主となる。 明治30年(1897年)から明治33年まで第五高等学校に奉職。同僚に夏目漱石がいる。 明治33年(1900年)三宅多留次と武徳祭にて柔道試合。 明治36年(1903年)より紫溟会から熊本県議会議員選挙に出馬、当選。
吉岡 範策(よしおか はんさく、1869年5月8日(明治2年… 吉岡 範策(よしおか はんさく、1869年5月8日(明治2年3月27日) - 1930年(昭和5年)3月19日)は、日本の海軍軍人。海軍中将。 1869年(明治2年)5月、肥後国(現・熊本県宇城市小川地区)に、肥後藩士の長男として生まれる。済々黌卒業。1891年(明治24年)海軍兵学校18期を卒業し、海軍少尉となる。日清戦争では防護巡洋艦「浪速」の分隊士として東郷平八郎艦長の下に従軍。「富士」回航委員などを経て、1901年(明治34年)海軍大学校2期を卒業。1904年(明治37年)海軍少佐となり、日露戦争では、第2艦隊旗艦「出雲」の砲術長として日本海海戦に参戦した。1912年(大正元年)大喪儀海軍事務委員、海軍演習審判官となる。
木下 宇三郎(きのした うさぶろう、1865年11月15日〈… 木下 宇三郎(きのした うさぶろう、1865年11月15日〈慶応元年9月27日〉- 1946年〈昭和21年〉1月27日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級。 肥後国菊池郡、現在の熊本県菊池市で木下居中の長男として生まれ、1903年(明治36年)1月に家督を相続した。 1887年(明治20年)7月、陸軍士官学校旧9期を卒業し、陸軍砲兵少尉に任官。1892年(明治25年)12月、陸軍大学校(11期)に入学したが、日清戦争勃発のため退学し出征。1896年(明治29年)2月に復学し、1897年(明治30年)12月に卒業し参謀本部に配属された。日露戦争では第1軍作戦参謀として出征し、満洲軍が創設されると帰国し大本営陸軍部参謀を務めた。
松永 正敏(まつなが まさとし、嘉永4年6月1日(1851年… 松永 正敏(まつなが まさとし、嘉永4年6月1日(1851年6月29日) - 明治45年(1912年)2月18日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将正三位勲一等功二級男爵。幼名・山平。 熊本藩士、郡吏・松永和吉の二男として山鹿郡中富村に生まれる。明治4年(1871年)、伏見青年学舎を経て伏見教導隊に入る。二等伍長、二等軍曹、権曹長、曹長と昇進し、明治6年(1873年)5月、陸軍少尉に任官し歩兵第19大隊付となる。明治7年(1874年)5月から10月まで台湾出兵に従軍。歩兵第14連隊付、近衛歩兵第2連隊付などを経て、陸軍戸山学校で学んだ。明治10年(1877年)3月から10月まで西南戦争に出征した。 近衛局参謀、東部監軍部参謀、歩兵第4連隊大隊長、広島鎮台参謀、監軍部参謀、近衛歩兵第4連隊大隊長、対馬警備隊司令官、広島大本営付等を歴任し、日清戦争には歩兵第2連隊長として出征し、田庄台や営口での戦闘に参加した。
富田 義信(とみた よしのぶ)は日本の軍人。最終階級は陸軍大… 富田 義信(とみた よしのぶ)は日本の軍人。最終階級は陸軍大佐。熊本県生まれ。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校)を経て、陸軍士官学校(31期)を大正8年に卒業した。 その後、陸軍歩兵少尉に任官した。 累進して陸軍中佐となり、太平洋戦争が始まると、新たに編成された南海支隊の参謀附副官となった。 小田健作少将の下で軍務(ポートモレスビー作戦)に従事した。 南海支隊幹部が撤退に失敗すると、小田健作少将と共に自決した。 死後、陸軍中佐から陸軍大佐に昇任した。
坂東 正明(ばんどう まさあき)は日本の海軍軍人。最終階級は… 坂東 正明(ばんどう まさあき)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍中佐。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校)を経て、海軍兵学校を卒業した。(海兵56期) その後、海軍少尉、海軍中佐となり、海軍航海学校を卒業した。 開戦時は第二艦隊の気象長。 その後、新たに編成された第七六二海軍航空隊の気象長を経て、海軍航海学校教官などを歴任し、終戦を迎えた。 終戦後は、海軍省軍務局に勤務し、戦後処理に従事した。
松浦 九州男(まつうら くすお、? - 1950年)は、日本… 松浦 九州男(まつうら くすお、? - 1950年)は、日本の軍人。最終階級は陸軍少佐。熊本県出身。 熊本県立玉名中学校、陸軍士官学校卒業。陸士卒業後、終戦時は関東軍暗号課長だった。満洲に侵攻して来たソビエト軍の捕虜となった。 1946年にA級戦犯を裁く東京裁判のソビエト側の証人として、満州国総務長官・武部六蔵、瀬島龍三陸軍中佐と共に証言台に立たされた。主に日本軍の人体実験についての証言であった。 1950年に死去(自殺)した。
田中 三雄(たなか みつお)は大日本帝国海軍軍人、航空自衛隊… 田中 三雄(たなか みつお)は大日本帝国海軍軍人、航空自衛隊員。戦前の海軍時代の姓は田中だが、戦後の航空自衛隊時代の姓は大谷だった。 熊本県立旧制玉名中学校を経て海軍機関学校(第36期)に進む。海軍機関学校を卒業後、霞ヶ浦海軍航空隊教官などを経て、海軍機関大尉に昇進する。その後、海軍大学校機関学科を卒業した。 卒業後は軍令部部員(第3部第5課)兼大本営海軍参謀、南東方面艦隊参謀などを歴任した。 1945年2月には海軍省人事局局員となり、海軍中佐で終戦を迎え、退役した。 その後、1952年に航空自衛隊に入隊し、整備学校(現・航空自衛隊第1術科学校)初代校長や北部航空方面隊司令や補給本部長などを歴任した。
両角 昂(もろずみ のぼる)は、海軍軍人。最終階級は海軍主計… 両角 昂(もろずみ のぼる)は、海軍軍人。最終階級は海軍主計大佐。 熊本県に生まれる。大正6年に熊本県立玉名中学校(同期生に坂口主税や弘好文)を卒業した。 その後、海軍経理学校に進学し、11期生として1922年6月に海軍経理学校を卒業した。 海軍主計少尉候補生に任官後は、1927年に海軍主計大尉となり、第29駆逐隊主計長や、第12駆逐隊主計長などを歴任した。 1935年11月には海軍主計少佐となり、佐世保防備隊の主計長や横須賀海軍経理部部員などを歴任した。 1941年に海軍主計中佐、1944年に海軍主計大佐となり、大湊警備府の札幌支部長で終戦を迎えた。 終戦直後に大湊警備府主計長に任命され、戦後処理に尽力した。
石光 真臣(眞臣)(いしみつ まおみ、1870年6月7日〈明… 石光 真臣(眞臣)(いしみつ まおみ、1870年6月7日〈明治3年5月9日〉- 1937年〈昭和12年〉12月8日)は、日本陸軍の軍人。陸軍中将従三位勲一等功四級。日露戦争時の諜報活動で知られる石光真清は兄。
石光 真清(眞清)(いしみつ まきよ、1868年10月15日… 石光 真清(眞清)(いしみつ まきよ、1868年10月15日(慶応4年8月30日) - 1942年(昭和17年)5月15日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少佐。従六位勲四等功四級。諜報活動家。明治から大正にかけてシベリア、満洲での諜報活動に従事した。石光真臣(陸軍中将)は弟。 明治元年(1868年)、熊本藩士・石光真民(100石)の長男として、熊本市(現)に生れる。少年時代を神風連の乱や西南戦争などの動乱の中に過ごし、陸軍幼年学校に入る。陸軍中尉で日清戦争に参加して台湾に遠征、ロシア研究の必要を痛感して帰国、明治32年(1899年)に特別任務を帯びてシベリアに渡る。 日露戦争後は東京世田谷の三等郵便局長を務めたりしたが、大正6年(1917年)に起きたロシア革命の後、再びシベリアに渡り諜報活動に従事する。