岡本 賢明(おかもと やすあき、1988年4月9日 - )は… 岡本 賢明(おかもと やすあき、1988年4月9日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。現役時のポジションはMF。 父親の影響で4歳からサッカーを始めストイコビッチに憧れ技術を磨いた。小学校時代は地元のクラブチームブレイズ熊本でプレー。中学からは熊本のルーテル学院中学校・高等学校に進学した。同学年には三原雅俊、園田清次、栗山裕貴、副島貴司がいる。中学時代は全国中体連で3位、高校2年、3年時には高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会に出場した。 2006年11月7日、コンサドーレ札幌が2007年の新加入選手として獲得を発表した。同じく高卒新人の同期入団には岩沼俊介がいる。清水、東京V、鳥栖など他のJクラブからも勧誘を受けていたが、それらを断っての加入だった。
清水 智士(しみず さとし、1988年3月16日 - )は、… 清水 智士(しみず さとし、1988年3月16日 - )は、茨城県出身のサッカー指導者。 2006年、つくばFCで指導者のキャリアをスタートさせた。筑波大学大学院を経て、2014年よりサガン鳥栖のテクニカルコーチに就任。 2015年、蔚山現代FCのテクニカルコーチに就任。
本田 真吾(ほんだ しんご、1987年11月23日 - )は… 本田 真吾(ほんだ しんご、1987年11月23日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
松尾 昇悟(まつお しょうご、1987年7月28日 - )は… 松尾 昇悟(まつお しょうご、1987年7月28日 - )は、熊本県熊本市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。
大塚 翔太(おおつか しょうた、1987年5月15日 - )… 大塚 翔太(おおつか しょうた、1987年5月15日 - )は、熊本県出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
岡田 祐政(おかだ ゆうせい、1987年5月8日 - )は、… 岡田 祐政(おかだ ゆうせい、1987年5月8日 - )は、熊本県出身のサッカー選手。ポジションは、ディフェンダー。 福岡大学を経て、2010年より栃木ウーヴァFCへ入団、3年間プレーした。 2013年、グルージャ盛岡へ移籍。 2016年、ヴァンラーレ八戸に移籍。シーズン終了後に現役引退を発表 するが、翌2017年に盛岡ゼブラへ加入し、現役を続行している。
市原 大嗣(いちはら ひろし、1987年4月24日 - )は… 市原 大嗣(いちはら ひろし、1987年4月24日 - )は、熊本県菊池郡大津町出身のサッカー指導者・元プロサッカー選手。現役時代の登録ポジションはフォワード。 プロ入り当初はFW登録であったが、2009年シーズン途中からDFに転向。 2011年、レノファ山口FC移籍を機に再びFW登録となる。 2012年、カマタマーレ讃岐に移籍。同年シーズン終了後に讃岐を退団。 2013年、ホンダロックSCに移籍。 2017年限りで現役を引退し、2018年よりホンダロックのコーチに就任。
西 弘則(にし ひろのり、1987年2月25日 - )は、熊… 西 弘則(にし ひろのり、1987年2月25日 - )は、熊本県熊本市東区出身の元プロサッカー選手。現役時代の登録ポジションはミッドフィールダー。 熊本国府高校卒業後、流通経済大学に進学。大学では2年生時からレギュラーに定着し、総理大臣杯優勝や2度の関東大学リーグ制覇に貢献した。 2009年より地元のロアッソ熊本に加入。初年度は8得点を挙げた。 2011年より大分トリニータに移籍。古巣となる熊本戦では2011年、2012年と2年連続で得点を決めた。2013年自身初めてJ1リーグでプレー。公式戦33試合に出場(内25試合で先発出場)。リーグ戦では無得点に終わったが、同年の天皇杯4回戦・柏レイソル戦で決勝点となるゴールを記録し、大分の天皇杯最高成績となるベスト8進出に貢献した。
木村 絵梨(きむら えり、1986年7月25日 - )は、熊… 木村 絵梨(きむら えり、1986年7月25日 - )は、熊本県出身の女子サッカー選手。FC琉球さくら所属。ポジションはMF。 元福岡大学サッカー部女子主将。2006年度・2008年度九州女子サッカーリーグ得点王。
長谷川 豊喜(はせがわ とよき、1986年4月18日 - )… 長谷川 豊喜(はせがわ とよき、1986年4月18日 - )は、熊本県出身のサッカー指導者・元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 2005年に熊本県のルーテル学院高校から、サガン鳥栖に入団。主に攻撃的MFとして出場し、初出場から2試合連続ゴールを決めるなど、1年目から活躍した。2006年には右SBにコンバートされ、レギュラーとして活躍した。 2008年シーズンを以って鳥栖との契約が満了。2009年より当時大分県リーグ1部に所属したHOYO Atletico ELAN(現:ヴェルスパ大分)に移籍。2018年は原一生が現役を引退した為クラブ最古参選手となったが、2試合の出場に留まり同年限りで現役を引退。
藤本 康太(ふじもと こうた、1986年4月2日 - )は、… 藤本 康太(ふじもと こうた、1986年4月2日 - )は、熊本県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー・ディフェンダー。現役時代はセレッソ大阪一筋でプレーした。 J1リーグ戦で、プロ初ゴールからの連続得点記録保持者(4試合)。[要出典] 実弟は同じくサッカー選手の藤本大。 セレッソ大阪にはボランチとして入団したが、当初は主に右ウイングバックや、サイドバックとして出場。[要出典] 2005年の優勝がかかった最終節では出場停止になったブルーノ・クアドロスに代わり出場した。[要出典] 2006年のJ1第19節・対京都戦でJ初得点を決めると、以降4戦連続ゴールを記録した。
西田 信孝(にしだ のぶなり、1986年3月13日 - )は… 西田 信孝(にしだ のぶなり、1986年3月13日 - )は、熊本県出身のサッカー選手である。ポジションはゴールキーパー。 熊本県内でも強豪とはいえない専大玉名高校出身だったが、U-15、U-16日本代表候補、3年生時には熊本県国体選抜などに選ばれた。福岡大学では大学選抜に選ばれるなど大学屈指のGKであった。 2007年12月にFC岐阜のセレクションを受けて合格し、2008年シーズンより正式加入した。しかし出場機会は無く、1年で契約満了となり退団した。
森山 大地(もりやま だいち、1985年8月25日 - )は… 森山 大地(もりやま だいち、1985年8月25日 - )は、熊本県八代市出身の元サッカー選手。
西森 正明(にしもり まさあき、1985年3月12日 - )… 西森 正明(にしもり まさあき、1985年3月12日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 流通経済大学時代は4年間コンスタントに出場機会はあったものの、レギュラーに定着することはなかった。2007年より地元ロッソ熊本(後のロアッソ熊本)に加入。同年JFL第7節のアルテ高崎戦に初出場。以降は負傷離脱した約1か月間を除き、左サイドハーフのレギュラーに定着した。 Jリーグ参入が決まった後もチームにとどまり、準レギュラーとしてチームの一員として活躍していた。藤田俊哉が熊本在籍時にそのセンスの高さを認めるなど潜在能力の高さは示していたが、2012年シーズンを持って契約満了となり、当時九州サッカーリーグのFC KAGOSHIMAに移籍した。
矢野 大輔(やの だいすけ、1984年10月26日 - )は… 矢野 大輔(やの だいすけ、1984年10月26日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダーだった。 大津高校を卒業し、ガンバ大阪に入団するがプロ入り後2年間で公式戦出場機会を得られず、サガン鳥栖に期限付き移籍した。1年半のレンタル期間ののち、ガンバ大阪からロッソ熊本へ完全移籍となった。 ロッソ熊本/ロアッソ熊本加入後はセンターバックの中心的選手として長くチームを引っ張った。2014年シーズンもセンターバックの主力として活躍していたものの、シーズン中盤より負傷にて長期離脱してしまい、その怪我からの回復が思わしくないことから2014年12月17日に現役引退の発表を行った。2015年からもフロントスタッフとしてロアッソ熊本に残る。
山内 祐一(やまうち ゆういち、1984年10月26日 - … 山内 祐一(やまうち ゆういち、1984年10月26日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 オーストラリア時代は語学学校に通いながらプレーを続けていた。2013年オフにタイへ渡り元同僚の宇留野純の自宅に泊まり、TTMカスタムズFCのトライアウトに参加し合格、入団の運びとなった。 2016年をもって現役を引退。
中嶋 雄大(なかしま ゆうだい、1984年8月31日 - )… 中嶋 雄大(なかしま ゆうだい、1984年8月31日 - )は、熊本県合志市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 大津高校時代は2年生でレギュラーとして全国高校サッカー選手権ベスト8進出に貢献。3年生の時に熊本県国体選抜に選出される。高校卒業後は福岡教育大学に進学。4年生の時には九州大学リーグで8得点を挙げ、リーグ得点王に輝いた。2007年に当時九州リーグに参加していたニューウェーブ北九州(現・ギラヴァンツ北九州)に加入し16得点を記録し前年まで在籍した池元友樹の穴を埋める活躍を見せた。2010年は初のJリーグでのプレーとなり、第2節の徳島ヴォルティス戦において北九州のJ初得点となるゴールを記録したがこの年限りで北九州を退団。
樋口 大輝(ひぐち だいき、1984年4月8日 - )は、熊… 樋口 大輝(ひぐち だいき、1984年4月8日 - )は、熊本県八代市出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。 高校時代には九州ユース選抜に、大学時代には九州大学選抜に選ばれるなど、九州学生サッカー界を代表するサイドプレーヤーとして活躍。JFL合同セレクションでのプレーが認められ、2007年シーズンよりJリーグ準加盟チームとなったガイナーレ鳥取に加入。開幕からスターティングメンバーに名を連ね、その後も主力選手として活躍する。 しかし2008年になると出場機会が激減。同年8月4日にガイナーレ鳥取からの退団が発表された。9月30日に佐川印刷SCへの移籍が決定した。 佐川印刷SC移籍後すぐにレギュラーとなり、以降もチームの主力として活躍。
松本 純一(まつもと じゅんいち、1983年11月4日 - … 松本 純一(まつもと じゅんいち、1983年11月4日 - )は、熊本県玉名市出身のサッカー指導者。 2007年から2008年にかけてアメリカに渡り、野球の独立リーグやアイスホッケーのチームでインターンシップトレーナーを経験した。帰国後は地元・ロアッソ熊本のトレーナーを務め、2013年にトップチームのフィジカルコーチに就任した。座右の銘は起死回生。 2018年、FC町田ゼルビアのフィジカルコーチに就任。 2021年12月27日、ベガルタ仙台のフィジカルコーチに就任。 2024年より、レノファ山口FCのフィジカルコーチに就任。 2025年より、鹿児島ユナイテッドFCのフィジカルコーチに就任。 2026年6月、2026/27シーズンより奈良クラブのフィジカルコーチに就任。
松岡 卓(まつおか たく、1983年7月15日 - )は、熊… 松岡 卓(まつおか たく、1983年7月15日 - )は、熊本県出身のサッカー選手である。ポジションはDF。
宮崎 大志郎(みやざき だいしろう、1983年4月21日 -… 宮崎 大志郎(みやざき だいしろう、1983年4月21日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはMF。サッカーは小学校4年生の時から始め、全国少年サッカー決勝大会でベスト16に入った。
田中 英雄(たなか ひでお、1983年3月1日 - )は、熊… 田中 英雄(たなか ひでお、1983年3月1日 - )は、熊本県下益城郡豊野町(現:宇城市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 幼少期は桑田真澄に憧れ、小学4年生の時は野球部に所属していた。サッカーを始めたのは小学5年生の時であり、サッカー部の監督を務めていた当時の担任から誘われたことがキッカケだった。鹿屋体育大学時代には、九州学生選抜としてデンソーカップサッカーの準優勝(2004年)も経験している。 2005年、ヴィッセル神戸に入団。入団1年目からコンスタントに出場機会を得てきた。2006年、スチュアート・バクスター監督に信頼されレギュラーを獲得。7得点を挙げた。
原田 拓(はらだ たく、1982年10月27日 - )は元プ… 原田 拓(はらだ たく、1982年10月27日 - )は元プロサッカー選手。ポジションはMF。 熊本県熊本市出身。地元の大津高校を卒業後、2001年に名古屋グランパスに入団。同年1stステージ第11節のコンサドーレ札幌戦(厚別)で公式戦デビューを果たした。 2004年に大分トリニータに移籍すると、当時のハン・ベルガー監督からレギュラーに抜擢され、同年1stステージ第11節の清水エスパルス戦(日本平)では公式戦初ゴールも記録した。しかし、ベルガー監督の退任後は徐々に出場機会が減り、2005年6月には出場機会を求め川崎フロンターレに期限付き移籍し、2006年から完全移籍。2007年のAFCチャンピオンズリーグでは、グループリーグ第5節のアレマ・マラン戦(等々力)、同第6節のバンコク・ユニバーシティFC戦(Royal Thai Army Stadium)で2試合連続ゴールを記録した。
鐡戸 裕史(てつと ひろし、1982年9月28日 - )は、… 鐡戸 裕史(てつと ひろし、1982年9月28日 - )は、熊本県上益城郡益城町出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。Jリーグ・松本山雅FCアンバサダーを2017年度より務めている。 熊本県より鹿児島県内に転居した際、「友達を増やすため」と父親に薦められて5歳でサッカーを始める。広安小学校、益城中学校、熊本商業高校卒業。高校時代から漠然とプロサッカー選手への憧れは抱いていたが、自分より力量が上のチームメートがプロにならずに進学したことやプロチームからオファーを受けたり練習参加した経験がまったくないことから夢を諦め、佐賀大学経済学部へ進学しサッカー部へ入部。自動車メーカーへの就職を志し大学ではサッカーを「趣味として」続けようと考えていたが、大学2年次にプロへの思いが再燃するようになったと後にインタビューで振り返っている。
大塚 和征(おおつか かずゆき、1982年7月7日 - )は… 大塚 和征(おおつか かずゆき、1982年7月7日 - )は、熊本県小国町出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 2006年10月、アビスパ福岡からV・ファーレン長崎に期限付き移籍。契約期間満了により同年12月には福岡へ復帰したが、2008年に長崎へ完全移籍した。
大瀬良 直人(おおせら なおと、1982年4月9日 - )は… 大瀬良 直人(おおせら なおと、1982年4月9日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手、サッカー指導者である。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 大津高校3年時はキャプテンとしてチームを牽引。高校卒業後は駒澤大学に進学し、総理大臣杯3連覇やインカレ優勝など数多くのタイトルを獲得。2005年、ロッソ熊本とプロ契約。 2006年限りで現役を引退し、2007年シーズンよりロアッソ熊本トップチームコーチに就任した。 2010年より熊本のアカデミーコーチに就任したが、2015年1月14日に退任が発表された。
落合 正幸(おちあい まさゆき、1981年7月11日 - )… 落合 正幸(おちあい まさゆき、1981年7月11日 - )は、熊本県宇城市(旧下益城郡松橋町)出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(主にボランチ)だが、ディフェンダーもこなす。熊本県立大津高等学校卒業。 2008年、栃木SCを指揮した柱谷幸一監督から「チームの背骨となる選手」の一人として名をあげられ、副キャプテンに指名された。 2010年-2011年には同クラブのキャプテンを務めた。2012年3月21日、現役を引退した。
杉山 哲(すぎやま てつ、1981年6月26日 - )は日本… 杉山 哲(すぎやま てつ、1981年6月26日 - )は日本の元サッカー選手。ポジションはGK。元ユニバーシアード日本代表。 宇土鶴城中学校、熊本国府高校を経て、福岡大学へ進学。大学時代はユニバーシアードに2度選出されるも、2001年大会では後にチームメイトとなる高原寿康に、2003年大会では塩田仁史にそれぞれ正GKの座を譲った。 2004年、鹿島アントラーズに入団。長きにわたり第3GKであったが、小澤英明が退団して背番号1を継承した2010年シーズン以降は第2GK争いで広島からレンタル加入した佐藤昭大等を一歩リードしていた。しかし、曽ヶ端準の牙城は高く試合出場は叶わなかった。2011年12月4日、契約満了に伴い、次シーズンの契約を更新しないことが発表された。
中村 幸聖(なかむら こうせい、1981年4月5日 - )は… 中村 幸聖(なかむら こうせい、1981年4月5日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。
宮崎 光平(みやざき こうへい、1981年2月6日 - )は… 宮崎 光平(みやざき こうへい、1981年2月6日 - )は、熊本県山鹿市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 平小城保育園、平小城小、山鹿鶴城中、鹿本高普通科 体育コース(2期生)を経て1999年にサンフレッチェ広島に加入。高校3年の選手権県予選では、FW巻誠一郎を擁する大津高校に準決勝で1-0で勝利した。決勝で国府高校に敗れるも準優勝した。国体の熊本県代表としても活躍。プロ同期入団は、高橋泰、池田学徳、吉田幸生。広島では出場機会が与えられず、2002年にアビスパ福岡へ移籍。2003年にはチームでただ1人全試合出場を果たすなど、左右こなせるサイドアタッカーとしてチームに貢献したが、2007年シーズン終了後に戦力外通告受け、当時GMであった小林伸二(後の山形監督)とともに2008年シーズンからはモンテディオ山形でプレーしており、開幕からベンチ入りしている。
高木 建太(たかぎ けんた、1980年12月26日 - )は… 高木 建太(たかぎ けんた、1980年12月26日 - )は、熊本県出身のサッカー選手。
巻 誠一郎(まき せいいちろう、1980年8月7日 - )は… 巻 誠一郎(まき せいいちろう、1980年8月7日 - )は、熊本県下益城郡小川町(現:宇城市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。 実父はロアッソ熊本持株会元理事の巻昇治、実弟は元プロサッカー選手の巻佑樹。実妹はハンドボール選手の巻加理奈。 幼い頃は色々なスポーツに触れて育ち、小学1年生からアイスホッケー、小学5年生からサッカーを続け、高校2年生まで両スポーツを両立していた。高校1年時には父親が監督を務めるアイスホッケー熊本県代表チームの選手として国体にも出場した。熊本県立大津高等学校では2年次に冬の選手権でベスト8進出に貢献。高校時代も本職はFWだったが、DFとしてプレーした際の評価のほうが高く、実際Jリーグのクラブのほか、スペインからもDFとしてオファーがあった。
吉村 和紘(よしむら かずひろ、1979年11月19日 - … 吉村 和紘(よしむら かずひろ、1979年11月19日 - )は、熊本県熊本市出身の元サッカー選手。
山口 武士(やまぐち たけし、1979年6月10日 - )は… 山口 武士(やまぐち たけし、1979年6月10日 - )は、熊本県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはミッドフィールダー。 高校在学時はユース代表に選ばれるなどチームの中心選手として活躍。高校卒業後、鹿島アントラーズとプロ契約を結ぶ。同期には小笠原満男、本山雅志、中田浩二、曽ヶ端準、中村祥朗といったユース代表の常連だった選手たちがいる。怪我が多く、2000年にレンタル移籍した大分トリニータ時代も含めJリーグでの出場はなかった。2002年にJFLのソニー仙台へ移籍。 2005年には地元熊本のロッソ熊本へ移籍。2009年11月17日、今シーズン限りでの現役引退を発表。 引退後は、2010年から2012年までロアッソ熊本のアカデミーコーチを務め、2013年からは同チームのトップチームコーチに就任。
櫛野 亮(くしの りょう、1979年3月3日 - )は、熊本… 櫛野 亮(くしの りょう、1979年3月3日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー(GK)。 熊本県立大津高等学校3年時に第75回全国高校選手権に出場したが1回戦で茨城県の水戸商業に3-4で敗れた。 1997年にジェフユナイテッド市原に入団。入団当初は日本代表でもあった下川健一の前に出場機会に恵まれなかったが、2000年より出場機会が増加。2001年に下川が退団して以降はレギュラーに定着した。その後も正GKとしてプレーしていたが2005年8月21日の柏レイソルとの「千葉ダービー」で負傷退場。以降、立石智紀にポジションを奪われ出場機会が減少。2006年はリーグ戦での出場がなかった。
佐藤 真也(さとう しんや、1978年11月13日 - )は… 佐藤 真也(さとう しんや、1978年11月13日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはDF、MF。
福留 亮(ふくどめ りょう、1978年6月26日 - )は、… 福留 亮(ふくどめ りょう、1978年6月26日 - )は、熊本県出身のサッカー選手。ポジションはFW。
森田 浩史(もりた ひろし、1978年5月18日 - )は、… 森田 浩史(もりた ひろし、1978年5月18日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはFW。 2001年当時J2サガン鳥栖に入団。2002年、14ゴールを挙げて2003年にアルビレックス新潟に移籍を果たす。2004年7月、期限付き移籍で大宮アルディージャに加わり、10ゴールを挙げてJ1昇格に貢献。翌年も期限付き移籍期間を延長して在籍し、2006年に完全移籍。得点数はあまり多くないが打点の高いヘディングによるポストプレーや献身的な守備でチームに貢献する。2009年はヴァンフォーレ甲府への移籍しセカンドトップとして7得点を挙げたが、この年限りで退団。 2010年4月、タイ・プレミアリーグのタイ・ポートFCへ移籍。
佐藤 光治(さとう こうじ、1977年8月24日 - )は、… 佐藤 光治(さとう こうじ、1977年8月24日 - )は、熊本県出身の元プロサッカー選手、フットサル選手である。ポジションはディフェンダー。現在は熊本国府高等学校サッカー部の監督を務める。
藤本 敏史(ふじもと さとし、1976年6月19日 - )は… 藤本 敏史(ふじもと さとし、1976年6月19日 - )は、熊本県出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。現役を退いた後は熊本県の鹿本高校コーチを経て、ルーテル学院高校サッカー部でGKコーチを務めていた。
上村 健一(うえむら けんいち、1974年4月22日 - )… 上村 健一(うえむら けんいち、1974年4月22日 - )は、熊本県八代市生まれの元サッカー選手(DF)、サッカー指導者。元日本代表。 熊本県生まれ。小学校5年時に広島県福山市に転居。小中学校の1年先輩に家本政明がいた。広島県立松永高等学校から1993年にサンフレッチェ広島に入団。同期入団は、盧廷潤、アンドレイ、安部雄大、若松賢治。 ヘディングの強いDFとして、Jリーグ発足直後から試合にも出場、当初は相手に強力なエースストライカーがいる時、それをマンマークで抑える時に出番があった。特に1994年優勝したサントリーシリーズ天王山となった清水エスパルス戦で、清水のエース・トニーニョをハードマークし、仕事をさせなかった。
土肥 洋一(どい よういち、1973年7月25日 - )は、… 土肥 洋一(どい よういち、1973年7月25日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表。 中学校1年生の時にサッカーを始めた。1992年、熊本県立大津高等学校卒業後の日本サッカーリーグが内定していたが、足の骨折により契約が流れた。 プロ選手への夢を諦めきれず、日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の番組内企画「GENKI FC」(コーチはセルジオ越後)に出演。Jリーグクラブへのアピールを行い、ジャパンフットボールリーグ・日立製作所サッカー部(後の柏レイソル) との契約を果たした。 加藤竜二らとのポジション争いを経て正GKの地位を掴み、1996年にはアトランタ五輪バックアップメンバー選出や、JOMOカップ出場など活躍を見せたが、1998年以降は南雄太 や吉田宗弘の台頭を受け、ベンチ入りメンバーからも外れがちとなっていた。
藤本 義一(ふじもと よしかず、1972年12月13日 - … 藤本 義一(ふじもと よしかず、1972年12月13日 - )は、熊本県出身の元プロサッカー選手である。ポジションはDF、MF。 九州学院高校卒業後、日本サッカーリーグ2部の住友金属に入団。Jリーグが開幕し鹿島アントラーズとなった1993年までプレーし、翌年に福島FCへ移籍。1996年に福島FCのアマチュア選手を中心に結成されたFCプリメーロに移籍した。
山崎 慎治(やまざき しんじ、1972年1月17日 - )は… 山崎 慎治(やまざき しんじ、1972年1月17日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはGK。 熊本県の大津高校卒業後、日本サッカーリーグのNKKサッカー部に入団。大津高校在学時には、バルセロナオリンピックを目指す、五輪代表候補に選ばれた経験がある。元ユース日本代表。JSLデビュー戦はルーキーイヤーの1990年10月28日対読売クラブ戦。後の武田修宏が度々メディアで語るオーバーヘッドキックを決められる。その後、1996年までセレッソ大阪に在籍。ヤンマー時代はレギュラーとしてJリーグ昇格に貢献するもJリーグでの公式戦出場はなく、ベンチ入りに留まった。現在は会社経営をし、奥さんもまた元女子リーグの選手。
山口 敏弘(やまぐち としひろ、1971年11月19日 - … 山口 敏弘(やまぐち としひろ、1971年11月19日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手(FW)、サッカー指導者。元日本代表。 近畿大学を中退して1993年にガンバ大阪に入団。突破力と強力なシュートが武器のフォワードとして活躍。レギュラーに定着し、1994年には日本代表にも選ばれた。 1996年途中からは京都パープルサンガに移籍。1998年、京都を解雇後どこにも所属せず佐川急便へ練習参加していた。その後同年6月からサンフレッチェ広島に入団。若手の多いチームの中で経験豊富な攻撃的MFとしてチームの攻撃を支えた。 現在は飲食店を経営。一時期、芸能人女子フットサルチームの一つ、「Team Good」(現・ZENT sweeties)のコーチとして活躍。
坂田 恵(さかた めぐみ、1971年10月18日 - )は、… 坂田 恵(さかた めぐみ、1971年10月18日 - )は、熊本県菊池郡大津町出身の元女子サッカー日本代表選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。熊本県立大津高等学校、日本体育大学卒業。 高校からサッカーを始める。日本体育大学在学中に日本女子代表へ招集され、1989年12月24日に行われた第7回AFC女子選手権ネパール戦(香港・モンコック)で初出場した。 翌1990年には日本女子サッカーリーグ・日産FCレディースに加入し、新人ながら全試合に出場した。翌年には第1回FIFA女子選手権(W杯)のメンバーに選ばれたが、チーム廃部により1994年にプリマハムFCくノ一へ移籍。1995年の第7回日本女子サッカーリーグでチーム初優勝に貢献し、また第2回FIFA女子選手権(W杯)のメンバーにも選ばれた。
森山 佳郎(もりやま よしろう、1967年11月9日 - )… 森山 佳郎(もりやま よしろう、1967年11月9日 - )は、日本の元サッカー選手(DF)、指導者。熊本県熊本市東区出身。元サッカー日本代表、JFA公認S級コーチ。2024年より、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に所属するベガルタ仙台の監督を務める。 熊本市立東町小学校時代の小学3年にサッカーを始めた。野球部が小学4年からしか入部できず、それまでの一年間体を鍛える目的でサッカー部に入部したが、思った以上に楽しく小学校卒業までサッカーを続けた。熊本市立錦ヶ丘中学校入学を機にバスケットボール部へ入部したが、中学2年の時にサッカー部へ編入した。 熊本県立第二高等学校から鹿児島の大学に進学し、将来は高校の体育教師になろうと考えていたが、入学願書の提出期日を間違えてしまい、結局一浪してしまう。
柏原 丈二(かしはら じょうじ、1963年4月19日 - )… 柏原 丈二(かしはら じょうじ、1963年4月19日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手、元サッカー審判員(元国際審判員)、アジアサッカー連盟審判委員長。 名前より、一部のサポーターからは「ジョージ」とも呼ばれる。 神奈川県立寒川高等学校卒業後、東邦チタニウムサッカー部でプレー。1996年12月に1級審判に登録され、2003年にはスペシャルレフェリー(SR、現プロフェッショナルレフェリー:PR)となり、Jリーグの審判員として活動。しかし、他のPR同様、ジャッジの質や技量に対する批判が散見される。 問題点としては、以下が挙げられる。 愛用のホイッスルはバルキーンである。 2011年6月11日に行なわれた横浜F・マリノス対柏レイソル戦の主審が審判員としての最後の試合となった。
田嶋 幸三(たしま こうぞう、1957年11月21日 - )… 田嶋 幸三(たしま こうぞう、1957年11月21日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手、元サッカー日本代表。サッカー指導者。第14代日本サッカー協会会長(JFA初の会長選挙で当選)及びアジアサッカー連盟(AFC)理事。JFAアカデミー福島初代スクールマスター。 若年層の育成システム構築に深く関わり、著書も多い。 内科医で、FIFA医学委員会委員・JFA医学委員会委員・オリンピック日本選手団スポーツドクターを務めた土肥美智子は妻。プロサッカー選手の田嶋凜太郎は息子。熊本県天草郡苓北町長を務めた田嶋章二は実兄で、甥(夫人の姉の息子)にプロサッカー選手の日髙慶太がいる。 現役時代のポジションはフォワードであった。
大渕 龍介(おおふち りゅうすけ、1956年10月1日 - … 大渕 龍介(おおふち りゅうすけ、1956年10月1日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。サッカー解説者、指導者。「大淵龍介」とも表記される。2007年2月からV・ファーレン長崎の監督に就任するが、シーズン開幕前の3月24日に解任。