竹田 浩一(たけだ こういち、1982年5月31日 - )は… 竹田 浩一(たけだ こういち、1982年5月31日 - )は、日本の実業家、睡眠研究家、著作家である。 ムーンムーン株式会社代表取締役。一般社団法人熊本創生企業家ネットワーク副代表理事。 熊本県立熊本工業高等学校卒業。九州ルーテル学院大学人文学部卒業。 2006年(平成18年)5月、DVDコンテンツ製造販売チクデン合同会社を設立。 2011年(平成23年)7月、快眠グッズ製造販売ムーンムーン株式会社を設立。 熊本本社、東京支店、ニューヨーク支社が拠点。 幼少期から睡眠障害で悩む。 2005年九州ルーテル学院大学在籍時に個人事業主として創業。 2006年サッカー指導者向けやラーメン店開業希望者向けにノウハウをDVDに収め販売するチクデン合同会社を設立。
藤本 由香里(ふじもと ゆかり、1959年8月13日 - )… 藤本 由香里(ふじもと ゆかり、1959年8月13日 - )は、熊本県に生まれ育った漫画研究家、明治大学国際日本学部教授。元筑摩書房編集者。 マンガ評論や、女性のセクシュアリティ(いわゆるジェンダー論)、家族論、あるいは時事問題を扱う評論家、作家、性(セックス)の研究も行なうリベラル・フェミニスト。文化庁芸術選奨推薦委員。国立国会図書館納本制度審議会委員。「東京都青少年健全育成条例改正を考える会」(同条例反対派団体)代表。自称・風俗評論家として白藤 花夜子(しらふじ かやこ)という別名がある。 編集者として手がけた書籍として『レイプ・男からの発言』(1988年)、『発情装置』(1998年)、『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(2000年)、『竹宮惠子のマンガ教室』(2001年)、など多数ある。
太田 洪量(おおた ひろかず、おおた こうりょう、1944年… 太田 洪量(おおた ひろかず、おおた こうりょう、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の宗教家、政治活動家、日韓古代史研究家。全国大学連合原理研究会(J-CARP)の初代会長を務めた。国際勝共連合会長、世界平和連合会長、世界日報社取締役などを歴任。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の「777双」の一人。 東京都に生まれる。直後に熊本県に疎開。熊本県立熊本高等学校卒業。1963年、京都大学工学部原子核工学科に入学。在学中は片山泰久教授に師事した。当初は日本共産党系の日本民主青年同盟(民青)で活動し、のちに反共主義に転向した。 統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の教理「統一原理」を研究する団体である全国大学連合原理研究会(J-CARP)が発足。
松尾 光伸(まつお みつのぶ、または、こうしん、1943年 … 松尾 光伸(まつお みつのぶ、または、こうしん、1943年 - )は日本の彫刻家、基礎造形研究家、中国中央美術学院教授、中国清華大学美術学院彫塑学科客座教授。熊本県出身。東京藝術大学美術学部卒。 柳宗理に師事。東京南画廊にて楕円形をモチーフとした作品で第一回個展を開催、作品が文化庁買上げ(東京国立近代美術館収蔵)となる。文化庁芸術家在外研修員、ハーバード大学視覚芸術センター客員芸術家。 日中両国で、造形教育及び医療福祉に活用可能な『情報造形(INFORMART)』の特許を取得し、 普及事業の実施を開始 中国清華大学芸術博物館前庭に『歴史の輪』を設置 オランダで財団法人《Matsuo Form Art 》を設立 中国深圳第二回琵鷺杯公共芸術精鋭展にて『里・外 夜間』を発表 日本基礎造形学会名誉会員に任命される 中国河南省鄭州国際彫塑公園に『繁衍』を設置 『繁衍』鄭州国際彫塑公園(河南省) 福井・滋賀・三重市民活動フォーラムʻ98(三重県)実行委員長 ヘルスケアアートフォーラム東海イン四日市実行委員長横浜市磯子区公会堂緞帳を障害を持つ画家の原画で構成監修国際バリアフリーアート2000カレンダー発行(2009年迄10回発行) 国際バリアフリーアートサミット展(福岡・宮崎・沖縄) 主宰 バリアフリーアート中国交流展(ウェファン市図書館)主宰みえ健康福祉フェスタ企画プロデュース 水俣国際エコ・バリアフリーカイトフェスタ企画プロデュース 中国美術系教育機関での基礎造形及び抽象造形についての指導、教諭を本格的に実施 造形言語と基礎造形への応用》を発表 オランダで財団法人《Matsuo Form Art 》を設立 日本基礎造形学会名誉会員に任命される
池田 運(いけだ はこぶ、1928年 - )は、ヒンディー語… 池田 運(いけだ はこぶ、1928年 - )は、ヒンディー語文学の翻訳者でインド研究家。日印友好のために広く活動したことでも著名であり、代表的著作に『インドの農村に生きる』がある。一般社団法人日印サルボダヤ交友会員。 池田運は、1928年(昭和3年)、熊本県の農家に生まれた。1945年(昭和20年)、旧制熊本県立中学校済々黌を卒業し、その後は、自宅で家業を手伝った。1949年(昭和24年)からは熊本県菊池郡西合志町の役場に勤務していた。 1956年(昭和31年)、熊本の篤志家児玉亀太郎の世話で、当時、東京大学の神谷慶治教授が主催していた「日印土の会」から、農業指導のために派遣される青年6名のうちの1人に選ばれてインドへ渡った。
鈴木 喬(すずき たかし、1920年11月10日 - 201… 鈴木 喬(すずき たかし、1920年11月10日 - 2010年10月29日)は、熊本県の歴史研究家。地名研究家としても知られる。 鈴木喬は、父・鈴木登(1888年 - 1954年、京都帝国大学文学部史学科出身)が京都市視学であったので、京都大学医学部附属病院で生まれた。満2歳で父が第五高等学校教授に招請されて、熊本で育つ。碩台幼稚園、白川小学校時代を通じて本を読むのが好きであった。熊本中学校(現県立熊本高等学校)時代は3年にわたって結核を患う。日本大学文学部史学科卒業。1945年の東京大空襲は辛うじて逃れたが、熊本大空襲で自宅が被爆、父親の多くの史料が焼失した。 戦後は新制中学で教職につき、熊本市立白川中学校、熊本市立出水中学校などに勤務する。
宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 19… 宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 1980年3月16日)は、日本の古代史研究家、作家、元会社役員。『まぼろしの邪馬台国』によって邪馬台国論争に参入した。本名は懋、失明後に一章に改名。 正確な表記は「宮﨑」(「崎」の字は山偏に竒)であるが「宮﨑」と表記出来ない環境が一部存在するので「宮崎」で通すことが多い。以下本項でも「崎」の字を用いる。 本名は宮崎懋(みやざきつとむ)。のちに一章(墓誌名)、一彰と改名する。ペンネームは当初、日夏耿之介の名前から一字を取って「宮崎耿平」(みやざきこうへい)としていたが、人から正しく「こうへい」と呼んでもらえなかったことからその後「康平」に変更している。
浜名 志松(濱名 志松、はまな しまつ、1912年10月12… 浜名 志松(濱名 志松、はまな しまつ、1912年10月12日 - 2009年1月9日)は、日本の民俗学者、天草文化研究家、キリシタン研究家。 熊本県天草郡魚貫村(現・天草市魚貫町)出身。1936年より小学校・中学校教員、熊本県立本渡高等女学校(現・熊本県立天草高等学校)教諭、熊本県教育庁指導主事、天草教育研究所長、1972年天草町教育長。1959年天草文化賞、1987年信有社賞受賞、1991年熊日賞受賞、勲五等双光旭日章受章、1992年荒木精之賞受賞、1995年地域文化功労者文部大臣表彰受賞、1998年天草観光協会賞、日本観光協会九州支部長賞受賞。