伊藤 大晟(いとう たいせい、2007年10月27日 - )… 伊藤 大晟(いとう たいせい、2007年10月27日 - )は、大分県中津市出身のプロ野球選手。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 れいめい高等学校では1年生の秋からベンチ入り。 県大会準V、九州1回戦が最高成績。甲子園の経験は無し。 2025年のドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスから5位指名を受けた。11月5日に契約金3000万円、年俸550万円で契約合意した。 最速147km/hのストレート、スライダー 、チェンジアップ、カーブ を武器とする。 セットから始動して前傾して重心を下げ、早めに着地し、後ろ小さめにヒジを使った腕の振りから、投球を行う。
狩生 聖真(かりう しょうま、2006年12月25日 - )… 狩生 聖真(かりう しょうま、2006年12月25日 - )は、大分県佐伯市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 佐伯市立明治小学校2年生のときに『佐伯スラッガーズ』で野球を始め、佐伯市立昭和中学校では軟式野球部に所属。3年春は県大会で優勝し、九州大会ベスト4。中学までは投手も兼任していたが、主に遊撃手であった。 佐伯鶴城高校へ進学すると、投手に専念し、1年夏の大分大会では背番号12でベンチ入り。1年秋は背番号1を付けたが、県大会では明豊との準決勝に敗れ、高田との3位決定戦にも敗れ、県4位であった。エースとして臨んだ2年夏の大分大会は鶴崎工業との3回戦で敗退。2年秋は背番号10を付け、県大会ではまたも明豊との準決勝に敗れたが、杵築との3位決定戦には勝利し、県3位であった。
武内 涼太(たけうち りょうた、2005年10月25日 - … 武内 涼太(たけうち りょうた、2005年10月25日 - )は、大分県日田市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。千葉ロッテマリーンズ所属。 南海・広島で捕手としてプレーした祖父の長尾辰雄に素質を見抜かれ、小学校2年生のときに『日田ライジングボーイズ』で野球を始めた。当初は祖父と同じ捕手としてプレーしたが、4年生からは投手の練習を始め、5年生からは試合でも登板するようになった。日田市立三隈中学校では硬式野球の『久留米東ボーイズ』に所属し、1年夏から登板機会を得て、2年秋には最速138km/hを計測した。 星稜高校へ進学すると、1年春に最速142km/hを計測してベンチ入り。2年春は甲子園に出場し、國學院久我山との準々決勝では先発したが、制球に苦しんで5回途中で降板し、チームも敗れた。
古川 雄大(ふるかわ ゆうだい、2004年5月25日 - )… 古川 雄大(ふるかわ ゆうだい、2004年5月25日 - )は、大分県佐伯市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれる。佐伯市立上野小学校3年生の時に野球を始め、佐伯市立昭和中学校在学時は硬式野球のクラブチームである佐伯マリンボーイズに所属していた。 大分県立佐伯鶴城高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り。2年夏は背番号20ながら4番を務めた試合もあり、同年秋から4番に定着した。3年夏の大分県大会、大分国際情報との初戦(2回戦)では9球団、25人のスカウトが視察に訪れた中で本塁打を含む3安打の活躍で勝利に貢献した。同大会ではベスト4まで勝ち上がったが、準決勝で大分舞鶴に逆転サヨナラ負けを喫した。
三代 祥貴(みしろ よしき、2004年3月29日 - )は、… 三代 祥貴(みしろ よしき、2004年3月29日 - )は、大分県豊後大野市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 豊後大野市立緒方小学校1年生から「緒方野球スポーツ少年団」で軟式野球を始め、豊後大野市立緒方中学校では同校の軟式野球部に在籍する。 高校は大分商業高校に進学、1年生の秋からベンチ入りを果たす。出場校に選抜されていた2年生の春に開催される予定であった第92回選抜高等学校野球大会が、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大の影響で中止となり、甲子園出場はならなかったが、その救済措置として開催された2020年甲子園高校野球交流試合で5番・左翼手として出場する。
川瀬 堅斗(かわせ けんと、2002年6月18日 - )は、… 川瀬 堅斗(かわせ けんと、2002年6月18日 - )は、大分県大分市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 兄はプロ野球選手で福岡ソフトバンクホークス所属の川瀬晃。 小学校入学前から「賀来ヤンキース」で軟式野球を始め、大分市立賀来小中学校の中学生時には「湯布院ボーイズ」に所属する。中学3年の頃に、交通事故で頭蓋骨骨折などの重傷を負い、一時は生死をさまよった。当初は、野球などのスポーツはもちろん、普通の生活でさえできるか分からない状況だった。 大分県立大分商業高校に進学。2020年甲子園高校野球交流試合では、8回3失点に終わり敗戦する。なおこの交流試合では、花咲徳栄の井上朋也と共に選手宣誓を行っている。
常廣 羽也斗(つねひろ はやと、2001年9月18日 - )… 常廣 羽也斗(つねひろ はやと、2001年9月18日 - )は、大分県大分市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 大分市立豊府小学校で3年生の時に野球を始める。大分市立南大分中学校在学時は硬式野球のクラブチームである大分シニアでプレーしていた。 大分県立大分舞鶴高等学校では1年秋からエースを務めた。3年夏は大分大会2回戦で三重総合高校に敗れた。3年間で甲子園大会出場はなかった。 東京六大学や東都リーグで野球を続けたいと考えていたが、実績不足からスポーツ推薦を得ることができなかったため、自ら大学に問い合わせて練習会に参加し、指定校推薦で青山学院大学へ進学。2年春からリーグ戦に登板し、3年秋には自己最速となる153km/hを計測した。
江川 侑斗(えがわ ゆうと、2001年6月29日 - )は、… 江川 侑斗(えがわ ゆうと、2001年6月29日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 小島よしおに憧れ、大分市立松岡小学校在学時に松岡少年野球クラブで野球を始める。大分中学校では大分明野シニアに所属し、MCYSA全米選手権大会日本代表にも選ばれた。 大分高校進学後、2年春からベンチ入り。2年夏の大分県大会は左翼手で先発出場するも初戦で敗れた。2年秋から捕手として活躍。第91回選抜高等学校野球大会では、初戦の松山聖陵高校戦で好リードを見せ、同校初の甲子園勝利に貢献。続く2回戦の水上桂擁する明石商高校戦では1安打放ったが、敗れた。3年夏の大分県大会では初戦の杵築高校に敗れた。
川上 理偉(かわかみ りい、2001年3月10日 - )は、… 川上 理偉(かわかみ りい、2001年3月10日 - )は、大分県大分市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 大分市立滝尾小学校を経て、中高一貫校の大分中学校・高等学校、専門学校である宮崎福祉医療カレッジへ進学。卒業を前に社会人で野球を続けるか検討していた際、九州アジアリーグが設立され地元の球団である大分B-リングスへ入団した。 2021年は、47試合に出場して打率.213、1本塁打、16打点の成績を残した。 2022年は、73試合に出場して打率.224、4本塁打、29打点だった。 2023年は、78試合に出場して打率.285、4本塁打、54打点とキャリアハイの数字を残し、打点王のタイトルを獲得した。
小幡 竜平(おばた りゅうへい、2000年9月21日 - )… 小幡 竜平(おばた りゅうへい、2000年9月21日 - )は、大分県大分市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。阪神タイガース所属。 小学3年時に投手兼遊撃手としてソフトボールを始めると、大分市立明野中学校在学中には、大分明野ボーイズへ所属した。 中学校からの卒業後に、大分県と南接する宮崎県の延岡学園高校へ進学。内野手として、1年時の秋からレギュラーに起用された。「4番・遊撃手」に定着した2年時秋の宮崎県大会と九州大会では、通算9試合の出場で17安打9打点と活躍。3年時の春には第90回記念選抜高等学校野球大会へ出場。初戦(國學院栃木高校との2回戦)で初回に同点適時打を打ったが、チームは敗れた。
梶原 昂希(かじわら こうき、1999年9月19日 - )は… 梶原 昂希(かじわら こうき、1999年9月19日 - )は、大分県大分市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 小学4年生の時に第2回WBCで2連覇をした日本代表の姿に心を打たれて野球を始め、金池少年野球団に入る。大分市立上野ヶ丘中学校では軟式野球部に所属していた。 中学校卒業後は、大分県立大分雄城台高等学校に進学。1年生時からレギュラーを獲得。2年生秋からは4番を任され、秋季大会では初戦の情報科学高校戦で3安打を放つなど活躍し、県ベスト8に貢献。3年生夏の選手権予選では、2回戦で3安打、3回戦でも安打を放つもチームは敗戦した。高校の同級生に陸上選手の兒玉芽生がおり、100m走対決を挑んだことがある。
廣澤 伸哉(ひろさわ しんや、1999年8月11日 - )は… 廣澤 伸哉(ひろさわ しんや、1999年8月11日 - )は、大分県別府市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 小学2年で野球を始めた。 別府市立青山中学校を経て、高校は大分県立大分商業高等学校へ進学。同校では遊撃手として2年秋に九州大会進出したが、2回戦で敗退した。3年夏は大分県大会決勝で明豊に敗れ、3年間を通じて甲子園出場はなかった。 2017年10月26日に行われたドラフト会議では、オリックス・バファローズから7位指名を受け、11月20日に契約金2000万円、年俸480万円(推定)の条件で契約を結んだ。背番号は64。担当スカウトは山口和男。 2018年は、二軍で60試合に出場し打率.177という成績で、一軍昇格の機会はなかった。
田中 瑛斗(たなか えいと、1999年7月13日 - )は、… 田中 瑛斗(たなか えいと、1999年7月13日 - )は、大分県中津市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 兄の影響で中津市立小楠小学校2年生のときに小楠ベースボールクラブで軟式野球を始めた。中学への進学にあたり、硬式野球のクラブチームである京築ボーイズへの入団を希望していたが、父親の猛反対があり、中津市立中津中学校では同校の軟式野球部に所属した。中学では2年夏までショート専任であり、投手が1人しかいなくなったことから、新チームでは2番手投手も務めたが、投手としての経験は少なかった。 柳ヶ浦高校に進学すると、投手を志した。1年夏(8月)に定岡智秋が同校の監督に就任し、指揮官から投手のあり方、練習の取り組み方を学ぶと、投げ方はほとんど教わっていないにもかかわらず、2年春の県大会で最速143km/hを計測。
川瀬 晃(かわせ ひかる、1997年9月15日 - )は、福… 川瀬 晃(かわせ ひかる、1997年9月15日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(内野手)。大分県大分市出身。
佐野 皓大(さの こうだい、1996年9月2日 - )は、大… 佐野 皓大(さの こうだい、1996年9月2日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 小学校4年時に「佐伯リトルヤンキース」で軟式野球を始めると、佐伯市立鶴谷中学校時代には「大分南リトルシニア」でプレー。九州大会でベスト4を経験した。 大分高等学校への進学後は、1年生の秋にエースの座を確保すると、2年生の秋から「4番・投手」として投打にわたって活躍。明豊高校と対戦した3年夏の選手権大分大会決勝では、延長10回を投げて5失点ながら、打者として4打数3安打を記録。チームを春夏通じて初めての全国大会出場へ導いた。全国大会では日本文理高校との1回戦に「4番・投手」として先発したが、8回を投げて13安打で5失点。
永野 将司(ながの しょうじ、1993年3月2日 - )は、… 永野 将司(ながの しょうじ、1993年3月2日 - )は、大分県速見郡山香町(現:杵築市)出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 山香町立山香小学校(現在の杵築市立山香小学校)2年時に山香少年野球クラブで軟式野球を始めると、山香町立山香中学校(現在の杵築市立山香中学校)では投手として軟式野球部に所属した。 大分県立日出暘谷高等学校(現在の大分県立日出総合高等学校)への進学後は、右翼手兼2番手投手としてプレー。「3番・右翼手」として出場した3年夏の選手権大分大会では、国東高校との初戦で、チーム唯一の安打を放った。投手としても2番手で登板すると、3回1/3を投げて無失点で凌いだもののチームは敗退し、甲子園球場での全国大会とは縁がなかった。
田中 太一(たなか たいち、1993年2月27日 - )は、… 田中 太一(たなか たいち、1993年2月27日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(投手)。 大分県大分市出身。小学2年時に桃園スポーツ少年団で野球を始めた。中学時代は大分リトルシニアに所属し、3年時の春と夏に全国大会に出場。また、源田壮亮は中学校の同級生である。 大分工高では1年時から公式戦に登板。3年夏には、エースとして同校17年振りの甲子園出場に貢献。甲子園では、同校の初勝利を狙い延岡学園高と対戦したが、延長戦の末に惜敗。 2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツから3位指名を受けた。背番号は68。 育成・強化指定選手に指名され、2011年は体づくりと技術向上に集中。
源田 壮亮(げんだ そうすけ、1993年2月16日 - )は… 源田 壮亮(げんだ そうすけ、1993年2月16日 - )は、日本の大分県大分市出身 のプロ野球選手(内野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。
甲斐拓也(かいたくや、1992年11月5日 - )は、大分県… 甲斐拓也(かいたくや、1992年11月5日 - )は、大分県大分市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 福岡ソフトバンクホークス時代の2011年から2016年までの登録名は「拓也」。日本シリーズでMVPを受賞した最初の育成ドラフト出身選手で、千賀滉大とともに育成出身選手史上初のオリンピック代表選手にも選出された。 また、NPB史上初となる育成選手出身のシーズン2桁本塁打達成者。 小学校1年生の時に3歳年上の兄の影響で野球を始めた。兄は第89回全国高等学校野球選手権大会に楊志館高等学校のエースとして出場している。中学時代は「大分リトルシニア」に所属し、内野手としてプレーし、田中太一とともに全国大会にも出場。
奥村 政稔(おくむら まさと、1992年8月14日 - )は… 奥村 政稔(おくむら まさと、1992年8月14日 - )は、大分県中津市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。右投右打。現在は福岡ソフトバンクホークスで2軍ファーム投手コーチを務める。 中津市立鶴居小学校3年生のころに「鶴居少年野球クラブ」において軟式野球を始め、中津市立緑ケ丘中学校では同校の軟式野球部に所属。 高校は大分県立中津商業高校に進学。甲子園出場の経験はなく、2年生の秋季大分大会、対由布高校戦では、8回コールドゲームの参考ながら18奪三振でノーヒットノーランを記録する。学校統合による生徒募集停止により、中津商業としても最後の夏となった3年生の夏は、野球部員はわずか10人でエースを務め、初戦の対三重総合高校で敗退したが最速147km/hを記録する。
山野 恭介(やまの きょうすけ、1992年5月6日 - )は… 山野 恭介(やまの きょうすけ、1992年5月6日 - )は、大分県別府市出身の元プロ野球選手(投手)。2014年から広島東洋カープ打撃投手。
今宮 健太(いまみや けんた、1991年7月15日 - )は… 今宮 健太(いまみや けんた、1991年7月15日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(内野手)。
日高 亮(ひだか りょう、1990年7月19日 - )は、大… 日高 亮(ひだか りょう、1990年7月19日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 大分県佐伯市立色宮小学校では5年生から色宮少年野球クラブで投手として野球を始めた。佐伯市立米水津中学校時代は軟式野球部に所属した。 日本文理大附高では1年の秋からベンチ入りを果たし、2年秋の県南リーグではノーヒットノーランを記録した。 2008年(3年春)は34年ぶりに大分県大会で優勝したが、九州大会では初戦敗退。大分大会では初戦の2回戦で大分高校に初回の3安打で2失点したものの2回以降無安打13奪三振の投球を見せて最速144km/hも記録した。チームは次の3回戦で敗退し、甲子園出場は叶わなかった。
藤澤 拓斗(ふじさわ たくと、1990年5月27日 - )は… 藤澤 拓斗(ふじさわ たくと、1990年5月27日 - )は、大分県宇佐市出身の元プロ野球選手、野球指導者(内野手)。右投左打。 柳ヶ浦高等学校時代には投手兼三塁手としてプレー。しかし、春夏ともに甲子園での全国大会出場はならなかった。 高校卒業後に西濃運輸へ入社すると、3年目の2011年に第81回都市対抗野球大会へ出場。5年目の2013年にも東邦ガスの補強選手として、第83回都市対抗野球大会へ出場した。 2013年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから6巡目指名を受け、契約金3000万円、年俸1000万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は46。中日から指名された直後には、西濃運輸の選手として第39回社会人野球日本選手権大会へ出場している。
松冨 倫(まつとみ りん、1990年4月26日 - )は、大… 松冨 倫(まつとみ りん、1990年4月26日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 楊志館高時代は、2年時の夏に第89回全国高等学校野球選手権大会に出場。3番遊撃手として起用され、ベスト8進出に貢献した。3年時の夏は、大分県予選1回戦で国東高に敗れ初戦敗退に終わった。2学年後輩に甲斐拓也がいる。 別府大学では、1年時から主軸で遊撃手のレギュラーに定着し、ベストナインにも選出された。3学年先輩に岩尾利弘、安田圭佑がいる。 2012年10月25日、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから育成選手ドラフト2位指名を受け入団。 2013年は二軍で7試合に出場し3打数0安打の成績に終わった。
大山 暁史(おおやま さとし、1988年10月6日 - )は… 大山 暁史(おおやま さとし、1988年10月6日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(投手)。
岩尾 利弘(いわお としひろ、1987年7月20日 - )は… 岩尾 利弘(いわお としひろ、1987年7月20日 - )は、大分県津久見市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。
山口 俊(やまぐち しゅん、1987年7月11日 - )は、… 山口 俊(やまぐち しゅん、1987年7月11日 - )は、読売ジャイアンツに所属する大分県中津市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。
川口 容資(かわぐち ようすけ、1987年7月9日 - )は… 川口 容資(かわぐち ようすけ、1987年7月9日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校3年時に地元の金池少年野球団で軟式野球を始める。大分市立上野ヶ丘中学校から主に投手を務める。 楊志館高等学校時代は、3年時に全国高校野球選手権大会・大分県大会で竹田高校に敗れ2回戦で敗退、甲子園出場はならなかった。 2005年、同年のドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから高校生ドラフト5巡目で指名され入団。全12球団で最後の指名選手となった。 入寮後の新人合同自主トレでは、連日ブルペンに入り40球ほどを投げ込みキャンプイン。ルーキーイヤーの2006年はシーズン途中のフォーム修正や、度重なる怪我などで登板の機会がないまま終わるが、フェニックスリーグにて初登板・初ホールド。
小石 博孝(こいし ひろたか、1987年4月13日 - )は… 小石 博孝(こいし ひろたか、1987年4月13日 - )は、大分県速見郡日出町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。
小野 淳平(おの じゅんぺい、1987年4月5日 - )は、… 小野 淳平(おの じゅんぺい、1987年4月5日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。
吉良 俊則(きら としのり、1986年1月1日 - )は、大… 吉良 俊則(きら としのり、1986年1月1日 - )は、大分県臼杵市出身の元プロ野球選手(外野手)。
阿南 徹(あなん とおる、1984年7月28日 - )は、大… 阿南 徹(あなん とおる、1984年7月28日 - )は、大分県大野郡緒方町(現在の豊後大野市)出身の元プロ野球選手(投手)。 小学3年時に野球を始める。柏原高では怪我の影響で公式戦未勝利に終わった。首都大学野球連盟所属の城西大学では4年時の春季リーグ戦で最優秀選手賞を受賞した。 2007年に社会人野球の日本通運に入団。2009年には、比嘉幹貴らと共に第38回IBAFワールドカップ日本代表に選出された。 2009年のプロ野球ドラフト会議で、オリックス・バファローズから5巡目で指名。契約金4000万円、年俸1000万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は43。 2012年11月5日に、東野峻・山本和作との交換トレードによって、香月良太と共に読売ジャイアンツ(巨人)へ移籍することが発表された。
鉄平(てっぺい、本名:土谷 鉄平〈つちや てっぺい〉、198… 鉄平(てっぺい、本名:土谷 鉄平〈つちや てっぺい〉、1982年12月27日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。
脇谷 亮太(わきや りょうた、1981年11月4日 - )は… 脇谷 亮太(わきや りょうた、1981年11月4日 - )は、大分県大分市出身のプロ野球選手(内野手)。
中野 滋樹(なかの しげき、1980年8月1日 - )は、大… 中野 滋樹(なかの しげき、1980年8月1日 - )は、大分県臼杵市出身の元社会人野球選手(捕手)、野球指導者。 柳ヶ浦高等学校では同学年の古卿大知とともに2年の夏からレギュラーとなり、3年次に夏の甲子園に出場。初戦で松坂大輔らを擁する横浜高校に敗れた。東洋大学では2年上に小川将俊、同級生の飯田庸資(大学卒業後東芝野球部)の存在があり控えだった。 大学卒業後はミキハウスに入社。1年目の2003年からレギュラー捕手となり、日本選手権では首位打者賞を獲得する活躍でベスト4進出に貢献するも、能見篤史を擁する大阪ガスに敗れた。2004年のシーズン終了後、ミキハウスが企業スポーツ活動の見直しで野球部の活動を大幅縮小したのに伴い、吉田博之監督の誘いを受けてJR九州に移籍。
平石 洋介(ひらいし ようすけ、1980年4月23日 - )… 平石 洋介(ひらいし ようすけ、1980年4月23日 - )は、大分県杵築市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、左投左打)、プロ野球コーチ、野球解説者、野球評論家。 東北楽天ゴールデンイーグルスでプレーし、コーチを務めた後、球団史上初の生え抜き監督を2019年シーズンに務めた。その後福岡ソフトバンクホークスの一軍打撃コーチ,埼玉西武ライオンズのヘッド兼打撃戦略コーチを務めた。 杵築市立杵築小学校、八尾市立成法中学校卒業。小学校時代は「杵築臥牛少年野球クラブ」に入団。6年次に父親の知人から紹介されたボーイズリーグの強豪チーム「八尾フレンド」の入団テストに合格し、中学進学を期に大阪府八尾市へ移り住んだ。
萱島 大介(かやじま だいすけ、1980年1月6日 - )は… 萱島 大介(かやじま だいすけ、1980年1月6日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(内野手)で、現在は日本競輪選手会大分支部所属の競輪選手。 国東高校から進学した福岡大学ではプロでも同僚となる喜田剛と同期。社会人野球のローソンに進むが、2002年シーズン限りでチームの廃部が決定していたため、同年10月に阪神タイガースの入団テストを受験。50 m走5秒7、ベース一周 (109.728 m) では当時5年連続盗塁王だった赤星憲広の記録13秒6を上回る13秒29と俊足をアピールし、この年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから11巡目指名を受け入団した。このドラフトでは、チームメイトの新井智が9巡目、伊代野貴照が10巡目で阪神から指名を受けそれぞれ入団、吉川昌宏は8巡目でヤクルト指名を受け入団している。
廣瀬 純(ひろせ じゅん、1979年3月29日 - )は、大… 廣瀬 純(ひろせ じゅん、1979年3月29日 - )は、大分県臼杵市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。野球解説者。現役時代は広島東洋カープに所属した。
安藤 優也(あんどう ゆうや、1977年12月27日 - )… 安藤 優也(あんどう ゆうや、1977年12月27日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ。 アテネオリンピック野球の銅メダリスト。 小学生の時、野球を始め「ふじが丘少年野球団」でプレー。ちなみに小中学校の後輩に鉄平がいる。大分雄城台高校時代は県大会ベスト8が最高成績で、比較的無名の存在だった。同郷の山中正竹監督率いる法政大学に進学後は2年時に慶応大学の高橋由伸にそれまで大学の先輩・田淵幸一が持っていた東京六大学リーグ通算本塁打記録を破る23本目の本塁打を打たれ、右肩の故障などもあって4年春に2勝、秋4勝したが大学通算7勝4敗の成績だった。 卒業後は地元の大分銀行に就職して軟式野球に転向する予定だったが、のちに夫人となる大学の同級生の勧めもあり「23本目を打たれた投手と言われ続けるのは嫌だ」と、内定を辞退して社会人野球のトヨタ自動車に入社。
葛城 育郎(かつらぎ いくろう、1977年9月28日 - )… 葛城 育郎(かつらぎ いくろう、1977年9月28日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。現在、西宮市にて飲食店経営。
吉武 真太郎(よしたけ しんたろう、1975年6月3日 - … 吉武 真太郎(よしたけ しんたろう、1975年6月3日 - )は、大分県東国東郡国見町(現:国東市)出身の元プロ野球選手(投手)。 国東高校では2年秋に県大会準決勝で城島健司が捕手の別府大付高に敗れた。野球部在籍時代にはプロには興味がなく、教員志望だった。ドラフト当日も自転車で帰宅し、指名を知った監督が追いかけて来た程だった。1993年度ドラフト会議にて福岡ダイエーホークスから4位指名を受けて入団。 入団1年目の1994年は一軍登録はなく、二軍でも未勝利に終わった。しかし秋の教育リーグで投球のコツを掴む。 1995年は、春季キャンプで村田兆治コーチの指導を受けて才能が開花。この年は24試合(先発11試合)に登板し最終的に5勝5敗、防御率4.28の成績を残した。
大塚 明(おおつか あきら、1975年4月28日 - )は、… 大塚 明(おおつか あきら、1975年4月28日 - )は、大分県別府市出身の元プロ野球選手(外野手)。
田﨑 昌弘(たざき まさひろ、1974年9月30日 - )は… 田﨑 昌弘(たざき まさひろ、1974年9月30日 - )は、大分県西国東郡真玉町(現:豊後高田市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学3年生から野球を始めるが、進学した中学校に野球部が無かった為、中学ではテニス部に所属した。 大分県立高田高校時代は中堅手兼二番手投手で、打撃では4番を打った。 九州工業大学でも投手として登板する一方で打線の中軸も任され、投打の柱として活躍した。大学時の通算成績は3勝47敗で、福岡六大学リーグの最多敗戦数である。 大学卒業後の1997年春にはJR九州に入社。長身と強靭な上体を活かしたフォームから150km/hに迫る速球を投げこんで、入社早々から速球派エースとして台頭した。
田﨑 昌弘(たざき まさひろ、1974年9月30日 - )は… 田﨑 昌弘(たざき まさひろ、1974年9月30日 - )は、大分県西国東郡真玉町(現:豊後高田市)出身の元プロ野球選手(投手)。
藤澤 英雄(ふじさわ ひでお、1973年11月30日 - )… 藤澤 英雄(ふじさわ ひでお、1973年11月30日 - )は、元社会人野球選手(内野手)、野球指導者。 大分県出身。大分東高では甲子園に出場することができなかったが、法大に進学し、持ち前の機敏な守備と巧打でレギュラーをつかみ、1995年の大学選手権優勝にも貢献した。 1996年、いすゞ自動車に入社。背番号は3。入社してしばらくしてショートのレギュラーを獲得し、自チームのみならず列強居並ぶ神奈川地区で他チームの補強選手として都市対抗野球大会に出場を続けた。入社5年目の2000年シーズンから主将としてチームを引っ張っていたが、2002年、シーズンが始まってすぐにこの年限りでの休部がチームに告げられ、動揺が広がった。
徳丸 哲史(とくまる さとし、1973年8月9日 - )は、… 徳丸 哲史(とくまる さとし、1973年8月9日 - )は、大分県出身の元社会人野球選手(投手)。右投右打。 臼杵高では2年夏にエースとして県大会ベスト4、3年夏は県大会決勝へ進むが柳ヶ浦高の岡本克道と投げ合って敗れた。明治大学に進学、野球部でプレーした。3年次には春のリーグ戦で優勝に貢献する活躍を見せている。高校からの2学年先輩に鳥越裕介がおり、同期にはバッテリーを組んだ野村克則や中村豊が、1学年下に筒井壮、2学年下に川上憲伸らがいた。 大学卒業後の1996年に三菱自動車川崎に入社。チームのエースとして同僚の谷村逸郎らと投手陣の屋台骨を支え、第70回都市対抗野球では東芝の補強選手として、第71回・第74回・第76回は自チームで優勝に貢献した。
竹下 慎太郎(たけした しんたろう、1971年7月10日 -… 竹下 慎太郎(たけした しんたろう、1971年7月10日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学4年の時に野球を始める。大分工業高時代の甲子園出場はならなかったが、3年夏の大分県大会でベスト8入りを果たした。エースピッチャーだが当時の背番号は3だった。 高校卒業後は、社会人野球の三菱自動車川崎に入社、1995年の日本選手権では準決勝で救援で6回を投げて勝利し、優勝を経験。1997年の都市対抗では2回戦の延長11回裏に登板したがサヨナラ負け。その後、郷里の大分に戻り、クラブチームの大分硬式野球倶楽部で野球を続けた。 右足を高く上げて始動するフォームから、140km/hを超える速球と「まともに打たれたことはない」と豪語するほどの切れを誇るスライダーを投げ下ろした。
鳥越 裕介(とりごえ ゆうすけ、1971年7月1日 - )は… 鳥越 裕介(とりごえ ゆうすけ、1971年7月1日 - )は、大分県臼杵市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 愛称は「トリさん」「ゴエ」。 現役引退後は福岡ソフトバンクホークス・千葉ロッテマリーンズでコーチ、二軍監督を務めた。その後は野球解説者として活動したのち、2025年シーズンからは埼玉西武ライオンズの一軍ヘッドコーチを務める。 大分県立臼杵高等学校を経て明治大学へ進学。大学時代は「3番・遊撃手」として活躍し、1991年の第20回日米大学野球選手権大会、1993年の第22回日米大学野球選手権大会おいては小久保裕紀や井口資仁らとともに全日本メンバーにも選ばれる。リーグ
川崎 憲次郎(かわさき けんじろう、1971年1月8日 - … 川崎 憲次郎(かわさき けんじろう、1971年1月8日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、野球指導者。妻は堀恵子。