日向丸 晃宏(ひむかまる あきひろ、2004年6月30日 -… 日向丸 晃宏(ひむかまる あきひろ、2004年6月30日 - )は、宮崎県延岡市出身で、木瀬部屋所属の現役大相撲力士。本名及び旧四股名は長村 晃宏(ながむら-)。身長173cm、体重142kg。最高位は東十両13枚目(2025年11月場所)。 少年時代からスポーツが好きで、水泳、柔道、サッカーに取り組んだ。体が大きかったため周囲に勧められて相撲の大会に出場すると、6年時にわんぱく相撲全国大会まで進んだため、これを機に地元の北方相撲クラブで本格的に相撲を始めることになった。延岡市立南中学校在学中は相撲部が無かったため柔道部に所属したが、夜は移籍した延岡相撲道場に通って相撲の練習を重ねた。2年時に全国都道府県中学生相撲選手権大会で個人8強となった時は、翌年に同大会で優勝して大相撲に入門する青写真を描くも、3年時は怪我で実績を残せなかったため、大相撲入りを延期して静岡県の飛龍高等学校に進学。
琴恵光 充憲(ことえこう みつのり、1991年〈平成3年〉1… 琴恵光 充憲(ことえこう みつのり、1991年〈平成3年〉11月20日 - )は、宮崎県延岡市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は柏谷 充隆(かしわだに みつたか)。身長176.0cm、体重129.0kg、血液型はO型。得意技は右四つ、寄り、押し。最高位は東前頭4枚目(2021年7月場所)。現在は年寄・尾車。 祖父は元十両の松惠山である。現役時代は立浪部屋に所属し、引退後は宮崎県でちゃんこ料理店を営んでいた。父親は祖父亡き後に店を継いでいる。この家系で、3人きょうだいの末っ子(兄1人、姉1人)として生まれた。幼少期から柔道に親しんでいたが、同時に相撲も習っており、小学生時代は地元の松恵山相撲道場で相撲経験を積み、6年次にはわんぱく相撲全国大会でベスト8の成績を残している。
春日国 晃大(かすがくに あきひろ、1981年10月30日 … 春日国 晃大(かすがくに あきひろ、1981年10月30日 - )は、宮崎県小林市出身の元大相撲力士。本名は安冨 勇太。春日山部屋→追手風部屋→中川部屋所属。身長182.5cm、体重154.2kg。最高位は東幕下筆頭(2009年3月)。 小学校時代から野球と柔道を掛け持ちし、日章学園高等学校では野球部に所属、捕手として活躍した。白法山との知り合いがいた縁で20代春日山(元前頭・春日富士)が宮崎まで勧誘に訪れたため、春日山部屋に入門し、2000年3月場所で初土俵を踏む。2001年3月場所で三段目に昇進。2年後の2003年5月場所で幕下に上がる。2005年1月場所後、網膜剥離で入院し、3月場所は初めて休場する。
郡山 勇二(こおりやま ゆうじ、1971年8月8日 - )は… 郡山 勇二(こおりやま ゆうじ、1971年8月8日 - )は、宮崎県宮崎市出身で三保ヶ関部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。177.5cm、176kg。最高位は西幕下2枚目。 1987年3月初土俵、2013年9月引退。非常に息が長く通算在位は159場所に上った。現役引退後は、実家の郡山板金で営業マンをしている。
草竹 幸一(くさたけ こういち、1957年12月5日 - )… 草竹 幸一(くさたけ こういち、1957年12月5日 - )は、宮崎県串間市出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。184cm、135kg。最高位は東十両11枚目。得意技は左四つ、寄り。 中学校から柔道を始めて宮崎商業高校でも続けた。体格の良さを見込んで訪ねて来た大鵬から勧誘され、相撲は好きではなかったが、周囲に説得されて入門した。1973年7月場所に初土俵、1982年1月場所に24歳で十両昇進を果たすも5勝10敗と負け越し、十両在位はこの1場所に終わる。1984年7月場所限りで廃業。 初めて序ノ口に在位した1973年9月場所では、非常に珍しい「5勝2敗の6名による序ノ口優勝決定戦」に出場した(結果は初戦敗退)。
金城 興福(かねしろ こうふく、1953年2月27日 - 2… 金城 興福(かねしろ こうふく、1953年2月27日 - 2002年12月29日)は、宮崎県児湯郡高鍋町大字北高鍋出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。 1979年3月場所から1985年1月場所まで、大関・栃光正之に因んだ栃光 興福(とちひかり こうふく)の四股名に改名していたため、一般的には「栃光」の四股名で知られている。最高位は西関脇(1977年7月場所)。現役当時の体格は185cm、144kg。得意手は右四つ、寄り、下手投げ。 宮崎日本大学高校では柔道やレスリングで活躍し、在学中にRKB毎日放送の社員に見出され、そこからTBSの小坂秀二アナウンサーを通して春日野親方(元横綱・栃錦)を紹介された。
羽黒岩 智一(はぐろいわ ともかず、1946年6月30日 -… 羽黒岩 智一(はぐろいわ ともかず、1946年6月30日 - 2016年10月23日)は、宮崎県延岡市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は戸田 智次郎(とだ ともじろう)。最高位は東小結(1973年5月場所)。 引退後は年寄・雷として後進の指導に努め、停年まで日本相撲協会に在籍していた。身長179cm、体重133kg。得意手は右四つ、寄り、押し。 本名の戸田を四股名としていた時期も長く、その当時に横綱・大鵬の連勝を45で止める金星を挙げているが、後に「誤審」であると大きな話題となった、このこともあって戸田 智次郎の名でも知られる。 中学校在学中に立浪部屋へ入門し、1961年(昭和36年)5月場所に於いて、14歳で初土俵を踏んだ。
橋口 弘次郎(はしぐち こうじろう、1945年10月5日 -… 橋口 弘次郎(はしぐち こうじろう、1945年10月5日 - )は、日本の元調教師で、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターに所属していた。宮崎県北諸県郡三股町出身。宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、九州産業大学卒業。 大学卒業後の1969年より公営・佐賀競馬で騎手となり1年ほど騎乗、のちに中央競馬へ転じ調教師となった異色の経歴をもつ。1982年に厩舎開業。当時としては先進的な調教法であった坂路調教で頭角を現し、1990年にはJRA最多勝利調教師となる。1992年にGI競走を初制覇して以降、11頭のGI優勝馬を手がけ、地方競馬、日本国外成績との合算では通算1000勝を越える。 JRA騎手であった橋口満朗は実弟、JRA調教師の橋口慎介は長男。
松恵山 邦治(まつえやま くにはる、1929年9月1日 - … 松恵山 邦治(まつえやま くにはる、1929年9月1日 - 2001年8月31日)は、立浪部屋に所属した元力士。本名は柏谷 邦治(かしわだに くにはる)。現在の宮崎県延岡市出身。身長168cm、体重102kg。最高位は東十両17枚目。得意技は右四つ、寄り。 1950年5月場所に初土俵、1955年3月場所に十両昇進。1957年5月場所に廃業した。引退後は故郷に帰ってちゃんこ料理店を開業した。2001年8月31日に死去、71歳没。現在、宮崎県には松恵山の教え子が開いた松恵山相撲道場がある。また、佐渡ヶ嶽部屋に所属している9代尾車(元幕内・琴恵光)は孫であり、この道場の出身者である。
可愛嶽 実男(えのだけ さねお、1905年7月17日 - 没… 可愛嶽 実男(えのだけ さねお、1905年7月17日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。出羽海部屋所属。本名は森 実雄。最高位は十両4枚目。 宮崎県延岡市出身。出羽海部屋に入門し、1926年1月「嶋和泉」の四股名で序ノ口に就く。番付を上げ、1932年1月には幕下上位だったが、春秋園事件による大量の脱退者が出たため、その穴埋めのため十両に昇進した。2場所続けて勝ち越すことなく同年5月に幕下に落ちた。この場所から「可愛嶽」と改名した。1933年1月再び十両に上がったが、2場所続けて負け越して幕下に落ち、1934年1月に廃業した。