中園 直樹(なかぞの なおき、1974年2月19日 -)は、… 中園 直樹(なかぞの なおき、1974年2月19日 -)は、日本の小説家、詩人。筆名は、小学生6年生の時の担任中園先生の名字を使用し、中園が「公園の中」と読めることから、「公園の中に真っ直ぐな樹が一本立っている」という情景が美しいだろうと、「中園直樹」とする。自身が小学校3年から大学2年までいじめられ続け、何度も自殺を考えたことから、いじめや自殺、その周辺をテーマとしている。 大阪府に生まれ、宮崎県に育つ。大人しく本好きな本の虫のような子供だった。小学校3年から大学2年までいじめられ続ける。日南市立細田小学校6年で担任になった中園先生のおかげで、一旦いじめがなくなるも、日南市立細田中学校進学後再発。
銀色 夏生(ぎんいろ なつを、1960年3月12日 - )は… 銀色 夏生(ぎんいろ なつを、1960年3月12日 - )は、日本の女性詩人、随筆家、作詞家、写真家。 1960年、宮崎県えびの市に生まれる。えびの市立真幸小学校、えびの市立真幸中学校、宮崎県立小林高等学校、埼玉大学教養学部を卒業。 1982年に作詞家として活動を開始し、翌1983年に沢田研二の「晴れのちBLUE BOY」を作詞した。その後も大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」「ゴーゴーヘブン」や、2011年度NHK全国学校音楽コンクール課題曲「僕が守る」 などを作詞した。また、山本みき子・山元みき子(やまもと みきこ)名義で太田裕美に歌詞を提供している。 1985年に第1詩集『黄昏国』を河出書房新社より刊行。
岩切 正一郎(いわきり しょういちろう、1959年 - )は… 岩切 正一郎(いわきり しょういちろう、1959年 - )は、日本のフランス文学者、詩人である。国際基督教大学学長・教養学部アーツ・サイエンス学科教授。専門はシャルル・ボードレールをはじめとした近現代フランス詩・演劇。 宮崎県出身。宮崎大学教育学部附属中学校、宮崎県立宮崎西高等学校、東京大学文学部仏文科卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学、パリ第7大学テクスト・資料科学科第三課程修了(DEA)。1996年、国際基督教大学教養学部助教授、2007年、同教授、2011年、同大学アドミッションズ・センター長、2019年、同教養学部長を経て、2020年、日比谷潤子学長の任期満了に伴い学長就任。
杉谷 昭人(すぎたに あきと、1935年1月13日 - )は… 杉谷 昭人(すぎたに あきと、1935年1月13日 - )は、日本の詩人。 朝鮮半島鎮南浦府(現北朝鮮南浦特別市)生まれ。戦後宮崎市に引き揚げる。宮崎県立宮崎大宮高等学校、宮崎大学学芸学部卒。本多利通らと「白鯨」「赤道」に拠る。1991年『人間の生活』でH氏賞、2007年『霊山』で壺井繁治賞、2014年『農場』で小野十三郎賞受賞。『詩人会議』『詩と思想』に参加。日本詩人クラブ会員。鉱脈社勤務。
宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6… 宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6月20日)は、日本の詩人・評論家・仏文学者・翻訳家。本名は古賀 照一(こが てるいち)。法政大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 福岡県遠賀郡戸畑町(後の北九州市戸畑区)に生まれる。天籟寺小学校、戸畑小学校、宮崎第二小学校、宮崎中学(現・宮崎県立宮崎大宮高等学校)、小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)を経て上京。旧制一高を卒業後、1942年、東京帝国大学哲学科に入学した。1945年4月、召集により横須賀海兵隊に入隊したが、精神錯乱を装い除隊というエピソードもある。 同年5月25日の東京大空襲により、母を亡くす。母と一緒に逃げ込んだ墓地の中で炎に取り囲まれた彼が「炎の一本道」(『絆――ドキュメント・わが母』)を通って脱出しようと走り去った時、母が転倒。
黒木清次(くろき せいじ、1915年5月2日 - 1988年… 黒木清次(くろき せいじ、1915年5月2日 - 1988年8月22日)は、日本の作家、詩人。 宮崎県西諸県郡須木村(現小林市)生まれ。宮崎師範学校(のち宮崎大学)卒。小学校教員となる。1938年に富松良夫らと同人誌『龍舌蘭』を創刊。太平洋戦争中は上海に渡り、『上海文学』を創刊する。43年「棉花記」で芥川賞候補。戦後、宮崎市の日向日日新聞社(現・宮崎日日新聞社)勤務、のち同社社長(1977~1982)。
高森 文夫(たかもり ふみお、1910年1月20日 - 19… 高森 文夫(たかもり ふみお、1910年1月20日 - 1998年6月2日)は、宮崎県生まれの詩人、政治家。 中原中也と親交が深かったことで知られる。旧制成城高等学校時代に後輩の吉田秀和と同居を始め、吉田のフランス語の家庭教師だった中也と知り合った。当時高森は21歳、中也は24歳だった。高森は同人誌「白痴群」などで発表されていた中也の詩をすでに読んでいたため、二人はすぐに仲良くなり、1932年5月には京都・奈良を二人で旅行。8月には山口県に帰省中だった中也を高森が訪問した後に二人で高森の実家の宮崎へと向かい、そのまま九州旅行をした。中也の死後も積極的に回想などを綴り、研究にも協力した。中也が藁の上で寝転んでいる有名な写真は、中也が宮崎を訪れた際に高森の手で撮影されたものである。
富松 良夫(とみまつ よしお、1903年3月 - 1954年… 富松 良夫(とみまつ よしお、1903年3月 - 1954年11月)は、日本の詩人、作詞家、文芸評論家。 教育家富松柏の長男として宮崎県都城市姫城町に生まれる。母方の親戚に有馬馨がいる。 6歳のとき脊髄カリエスにかかり身体障害者となる。翌年には生母を亡くし、伯母に背負われて小学校に通った。1917年に高等小学校を卒業、1919年にキリスト教の洗礼を受ける。1925年に文芸誌「盆地」を刊行し、1929年に詩誌「白」を主宰。いずれもガリ版刷りであった。1930年に友人坂元彦太郎の助力により第一詩集『寂しき候鳥』を出版。1938年、黒木清次らと「竜舌蘭」を創刊。 独学で美術論、音楽論、宗教論を書き、またフランス語を学び訳詩もした。