那須 大亮(なす だいすけ、1981年10月10日 - )は… 那須 大亮(なす だいすけ、1981年10月10日 - )は、日本の元プロサッカー選手、YouTuber。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック、サイドバック)、ミッドフィールダー(ディフェンシングハーフ)。守備的ポジションであればどこでもこなせるユーティリティプレイヤーであった。 神奈川県横浜市生まれ、鹿児島県南さつま市出身。鹿児島実業高等学校、駒澤大学文学部地理学科卒業。 高校の同期に松井大輔、2学年上に遠藤保仁、1学年下には田原豊、上本大海、2学年下には赤嶺真吾らがいた。 駒澤大学2年生の時に全日本大学サッカー選手権大会優勝に貢献。年代別カテゴリーの日本代表に選出される。 2002年、大学3年時に大学生Jリーガーとして横浜F・マリノスに入団。
白川 伸也(しらかわ しんや、1981年8月7日 - )は、… 白川 伸也(しらかわ しんや、1981年8月7日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。ポジションはDF。
白尾 秀人(しらお ひでひと、1980年9月30日 - )は… 白尾 秀人(しらお ひでひと、1980年9月30日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。 鹿児島県奄美群島の最南端、与論島出身。与論中学校時代にも少しサッカーをやっていたが、1学年上の遠藤保仁(当時桜島中学校)のプレーに衝撃を受けて一旦サッカーから離れ、与論高校入学後に本格的にサッカーを再開し、県選抜にも選ばれた。高校3年の時に国見高校に転校し、小嶺忠敏の指導を受けたことで『サッカーは厳しさの中に面白さ』ということを学んだという。 国士舘大学時代には2000年の関東大学サッカーリーグ得点王にも輝き、ユニバーシアード日本代表の経験がある。当時サッカー部が参加していた日本フットボールリーグ (JFL) にも出場している。
椎原 拓也(しいはら たくや、1980年7月9日 - )は、… 椎原 拓也(しいはら たくや、1980年7月9日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。 高校時代は、名門鹿児島実業高校で10番を背負い、高校総体などに出場した。その後、大阪ガスに入社し、関西サッカーリーグに所属する同社のサッカー部でアマチュア選手として仕事とサッカーを両立していた。 2001年、Jリーグディビジョン1(J1)・ジェフユナイテッド市原が実施していたアマチュアチームのセレクションに合格するものの、安定した生活を捨てきれず大阪ガスに残留。その後は、大阪ガスサッカー部に在籍しながら市原のキャンプや練習に参加してきた。なお、2002年には国体サッカー成年男子の部で優勝を飾っている。
田ノ上 信也(たのうえ しんや、1980年2月5日 - )は… 田ノ上 信也(たのうえ しんや、1980年2月5日 - )は鹿児島県薩摩川内市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 選手時代は攻撃的な中盤の選手だが、ベガルタでは主に左サイドバックとしてプレーしていた。両足が使えるため、ポジションの左右を問わずプレーできた。 鹿児島実業高等学校では、10番を付けて遠藤保仁らと共にプレーしていた。横浜F・マリノスから戦力外通告を受けた後、テスト生として練習に参加していたベガルタ仙台への入団が決まった。柏レイソル時代、ブラジル留学をしていたり、やって来るブラジル人選手とコミュニケーションをとっていたためポルトガル語が堪能。 2008年12月1日、契約期間満了に伴い同年限りでベガルタ仙台を退団。
遠藤 保仁(えんどう やすひと、1980年1月28日 - )… 遠藤 保仁(えんどう やすひと、1980年1月28日 - )は、鹿児島県鹿児島郡桜島町(現:鹿児島市)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。現在はガンバ大阪のコーチを務める。 実兄の遠藤彰弘も元プロサッカー選手。日本代表国際Aマッチ出場数最多記録保持者。2009年アジア年間最優秀選手。2014年JリーグMVP。また、Jリーグではアシストの統計をとっていないため、公式記録ではないが、2018年シーズン終了時点での通算Jリーグ最多アシストを記録している。 鹿児島県鹿児島郡桜島町に三人兄弟の三男として生まれ、6つ年上の長男・拓哉と4つ年上の次男・彰弘に影響され、物心ついた頃から自宅の庭でボールを蹴り、高校選手権やワールドカップのビデオを見ては、気に入ったプレーを真似していたという。
稲本 潤一(いなもと じゅんいち、1979年9月18日 - … 稲本 潤一(いなもと じゅんいち、1979年9月18日 - )は、鹿児島県姶良郡湧水町生まれ、大阪府堺市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。元日本代表。 2002年、2006年、2010年と3大会連続でFIFAワールドカップに出場。2002年大会では2得点を挙げ、日本代表初のベスト16に貢献した。 妻はモデルの田中美保。 生後まもなく鹿児島県から大阪府に転居。6歳の時に堺市の青英学園幼稚園でサッカーボールに触れる。堺市立深井西小学校へ入学するも同校のサッカー部は5年生からであったため、稲本の才能を惜しんだ周囲が青英学園SCに参加出来るよう取り計らった。
原 信生(はら のぶき、1979年9月6日 - )は鹿児島県… 原 信生(はら のぶき、1979年9月6日 - )は鹿児島県薩摩川内市出身の元プロサッカー選手。れいめい高校卒。ポジションはミッドフィールダー。 両足からの正確なキックを得意し、主にボランチや左右のサイドを任される。横浜F・マリノスとヴィッセル神戸時代は左サイドバック、サテライトではリベロでもプレイした。
石谷 吾一(いしたに ごいち、1979年7月6日 - )は、… 石谷 吾一(いしたに ごいち、1979年7月6日 - )は、鹿児島県出身の実業家、元プロサッカー選手。ポジションはFW。 鹿児島実業高等学校では1年生でありながら、平瀬智行と2トップを組み、第74回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝した。高校卒業後、1年半ブラジルのユースチームにサッカー留学。2000年にサガン鳥栖に入団。得点源として期待されたが故障が多く数試合の出場に留まった。現在は引退し、実家の建築業、株式会社イシタケで代表取締役をつとめている。
田畑 輝樹(たばた てるき、1979年4月16日 - )は、… 田畑 輝樹(たばた てるき、1979年4月16日 - )は、元プロサッカー選手、元ビーチサッカー選手であり、元ビーチサッカー日本代表であった。現在はビーチサッカー日本代表監督を務める。 以前はサッカー選手としてアルビレックス新潟、かりゆしFC、FC琉球、静岡FCに所属し、2005年引退。その後はビーチサッカーに活動の場を移す。2016年11月9年在籍した東京レキオスBSを退団し2017年4月ヴィアティン三重BSに所属 監督兼選手を務める。FIFAビーチサッカーワールドカップに8度出場。ビーチサッカー日本代表ではフィールドプレーヤーとしては初めて国際Aマッチ100試合を達成した。2021年時点ではビーチサッカー日本代表のフィールドプレーヤーとして国際Aマッチ出場数最多記録保持者。
山下 一弥(やました かずや、1979年4月2日 - )は鹿… 山下 一弥(やました かずや、1979年4月2日 - )は鹿児島県出身の元サッカー選手(ディフェンダー)、サッカー指導者。 鹿児島実業高では第77回天皇杯全日本サッカー選手権大会に出場、コンサドーレ札幌戦でゴールを決めている。同級生に遠藤保仁や田ノ上信也ら。 1998年4月にサンフレッチェ広島F.Cに途中から入団したがJリーグ出場はなかった。 広島退団後は将来Jリーグ入りを目指した石川県のクルゼイロジャパンFC、同様にJリーグ入りを目指したプロフェソール宮崎FCに入団。その後は佐川急便京都へ在籍。 現役引退後は、バニーズ京都で指導者として活躍。2016年時点で鹿児島市AリーグのLONDO BELLに所属している
内山 俊彦(うちやま としひこ、1978年10月21日 - … 内山 俊彦(うちやま としひこ、1978年10月21日 - )は、鹿児島県出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 JFL時代から9年間、モンテディオ山形でプレーし、通算で201試合に出場し6ゴールを記録。 ヴィッセル神戸のオファーを受け、2007シーズンからは神戸でプレー。同年第4節鹿島アントラーズ戦でJ1公式戦に初めて先発出場した。鹿島戦以降14節連続スタメン出場も果たすもその後は 坪内秀介、茂木弘人などにポジションを奪われ出番を減らし、10月末に左足関節外側側副靭帯損傷で離脱した。怪我から復帰した2008年シーズンでは先述の2人が移籍、負傷離脱したこともありレギュラーとして出場。
濵野 勇気(はまの ゆうき、1978年6月23日 - )は、… 濵野 勇気(はまの ゆうき、1978年6月23日 - )は、鹿児島県薩摩川内市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 大学卒業後、当時JFLに加盟するYKKに加入。JFLベストイレブンに3度選ばれるなどJFLの有力センターバックとして活躍。2008年、所属するYKK APと北陸電力サッカー部アローズ北陸が統合し誕生したカターレ富山に加入。初代キャプテンとしてチームをまとめ、クラブ創設1年でのJリーグ昇格に貢献。J初年度となる2009年も、堅守を誇るチームの中心選手として活躍した。2010年にも再びキャプテンに指名された。同シーズン終了をもって引退。その後2011年に1シーズンのみ富山新庄クラブでプレーした。
濱野 勇気(はまの ゆうき、1978年6月23日 - )は、… 濱野 勇気(はまの ゆうき、1978年6月23日 - )は、鹿児島県薩摩川内市出身の元サッカー選手。ポジションはDF。
久永 辰徳(ひさなが たつのり、1977年12月23日 - … 久永 辰徳(ひさなが たつのり、1977年12月23日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 1977年、鹿児島県姶良郡姶良町(現・姶良市)生まれ。1976年夏に高校野球で東海大学付属相模高等学校の原辰徳の活躍が有り全国的に新生児に「辰徳」と言う名前を付けることが流行った。 鹿児島実業高等学校在学時に第74回全国高等学校サッカー選手権大会に優勝。 松澤隆司監督から同校卒業後の東京ガスサッカー部への加入を持ちかけられたものの就職試験がうまくいかなかったため、1996年よりアビスパ福岡へ入団。2002年、横浜F・マリノスに1年間の期限付き移籍。
牛鼻 健(うしばな たけし、1977年9月21日 - )は、… 牛鼻 健(うしばな たけし、1977年9月21日 - )は、鹿児島県薩摩郡樋脇町(現薩摩川内市)出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
大久保 毅(おおくぼ たけし、1977年7月30日 - )は… 大久保 毅(おおくぼ たけし、1977年7月30日 - )は鹿児島県出身、サッカー指導者。日本サッカー協会公認A級コーチ。 鹿児島県内のクラブチームなどを指導した後、2008年よりV・ファーレン長崎のコーチに就任。 2009年6月4日、東川昌典の監督解任に伴って長崎の監督に就任したが、同年6月30日に一身上の都合により、監督を辞任した。 2013年、FC KAGOSHIMAのコーチ就任。同年6月にFC KAGOSHIMAの監督に就任した。 2014年、FC KAGOSHIMAとヴォルカ鹿児島が統合して発足した鹿児島ユナイテッドFCの初代監督に就任。2014年シーズンをもって契約満了により鹿児島Uの監督を退任し、2015年より鹿児島Uのアカデミーダイレクター兼U-18監督に就任した。
平瀬 智行(ひらせ ともゆき、1977年5月23日 - )は… 平瀬 智行(ひらせ ともゆき、1977年5月23日 - )は、鹿児島県出身 の元サッカー選手。ポジションはFW。 鹿児島市立西陵小学校、鹿児島市立西陵中学校を卒業。1993年、鹿児島実業高等学校に入学。1年生時は2学年上の城彰二と2トップを組む。3年時の第74回高校サッカー選手権で優勝(静岡学園高と両校優勝)を果たすと、1996年に鹿島アントラーズへ入団。同期に柳沢敦や池内友彦がいる。1998年にはブラジルのCFZ・ド・リオへ留学を果たし、1999年、当時の代表監督フィリップ・トルシエに見込まれ、シドニーオリンピック予選の代表に選出された。アジア予選ではゴールを量産し、チーム最多の17得点を挙げる活躍を見せ、本戦出場の原動力となった。
遠藤 彰弘(えんどう あきひろ、1975年9月18日 - )… 遠藤 彰弘(えんどう あきひろ、1975年9月18日 - )は、鹿児島県鹿児島郡桜島町(現:鹿児島市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 実弟の遠藤保仁も元プロサッカー選手。横浜在籍時、ガンバとの対戦は兄弟対決として注目されることも多かった。 1994年にJリーグの横浜マリノス(後の横浜F・マリノス)に入団。長きに渡りレギュラーとして活躍した。2004年には中村俊輔の移籍で空いた10番も付けたが、2005年には故障に加え、補強選手や若手の台頭もあって出場機会が激減。7月にヴィッセル神戸へ完全移籍。2008年に契約満了で退団後、5月13日に引退を発表した。
藤崎 義孝(ふじさき よしたか、1975年5月16日 - )… 藤崎 義孝(ふじさき よしたか、1975年5月16日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。日本サッカー協会公認S級コーチ。 鹿児島実業高校3年次には城彰二や野見山秀樹らと共に高校総体準優勝、全日本ユース準優勝、高校選手権ベスト4進出に貢献した。 鹿屋体育大学を経て1998年にアビスパ福岡へ入団。2002年には主将を務めるが、そのオフに解雇。現役を引退後は福岡の下部組織を指導し、2014年からはアカデミーダイレクターを務めた。2019年6月からは福岡のトップチームのコーチに就任した。
横山 博敏(よこやま ひろとし、1975年5月9日-)は、鹿… 横山 博敏(よこやま ひろとし、1975年5月9日-)は、鹿児島県姶良市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 長男の横山歩夢(ベルギー・チャレンジャープロリーグ・ヨング・ヘンク所属)、次男の横山夢樹(セレッソ大阪所属)、共にプロサッカー選手。 加治木町立加治木中学校、鹿児島実業高等学校、大阪商業大学を経て1998年にJリーグのジェフユナイテッド市原へ入団。2年間所属したのち2000年に日本フットボールリーグ(JFL)・横浜FCに移籍し、Jリーグ入りに貢献した。その後も横浜FCの主力として活躍したが、若手の台頭で出場機会が減少したため、活躍の場を求めて2004年にヴァンフォーレ甲府にレンタル移籍。
野見山 秀樹(のみやま ひでき、1975年4月28日 - )… 野見山 秀樹(のみやま ひでき、1975年4月28日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 小学3年時からサッカーを始めて、鹿児島市立明和中学校を卒業後、鹿児島実業高校へ入学。城彰二、遠藤彰弘らが高校の同級生に当たる。第72回全国高等学校サッカー選手権大会で5得点をあげ、得点王に輝いた。その後九州産業大学へ進学するが1年で中退し、1995年にガンバ大阪へ入団。リーグ戦2試合に出場するも、1997年にケガのためにG大阪を退団。1998年に京セラへ入社した。 2018年6月、京都サンガF.C.のスポーツダイレクターに就任した。
徳重 隆明(とくしげ たかあき、1975年2月18日 - )… 徳重 隆明(とくしげ たかあき、1975年2月18日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。ポジションはMF(両サイド)、フォワード。 高校卒業後、デンソーに入社。2001年に25得点で日本フットボールリーグ得点王となった。2002年にセレッソ大阪に入団。その後、京都サンガF.C.や徳島ヴォルティスでプレーして2013年3月にプロサッカー選手として現役を引退を表明。また、加賀産業(名古屋市)で働きながら名古屋サッカークラブでプレーするとコメントした。2015年7月18日に京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場で開催された「関西レジェンドマッチ2015」に出場した。 なお、名古屋サッカークラブは2014年で退団。
笹原 義巳(ささはら よしみ、1974年4月2日 - )は、… 笹原 義巳(ささはら よしみ、1974年4月2日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。
仁田尾 博幸(にたお ひろゆき、1973年11月27日 - … 仁田尾 博幸(にたお ひろゆき、1973年11月27日 - )は鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。 1989年、鹿児島実業高校に入学。2年次に出場した全国高校選手権では大会を通して好セーブを連発し、準決勝武南戦のPK戦では相手の3人目までのキッカーを全員止めて鹿実高初の決勝進出及び準優勝に貢献。同期には前園真聖、藤山竜仁らがいた。1992年に福岡大学へ進学し、4年次の1995年にはユニバーシアードに参加。掛川誠とポジションを争った。 1996年に横浜フリューゲルスへ入団。しかしレギュラーには加われず、同年中にジェフ市原へ移籍。1998年には横浜Fの解散と天皇杯優勝を経験した。
前園 真聖(まえぞの まさきよ、1973年10月29日 - … 前園 真聖(まえぞの まさきよ、1973年10月29日 - )は、鹿児島県薩摩郡東郷町(現:薩摩川内市)出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者、タレント。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。元日本代表。所属事務所はサニーサイドアップ、ジャパンエフエムネットワーク。 長年Jリーグを担当している英国人記者は全盛期の前園をジョージ・ベストに例えた。血液型はO型。 Kリーグ時代の登録名は前園(ハングル: 마에조노)。 日本が28年ぶりに出場した1996年アトランタオリンピックの予選突破の最大の功労者で、本大会でブラジルに勝利した「マイアミの奇跡」のU-23サッカー日本代表キャプテン。
藤山 竜仁(ふじやま りゅうじ、1973年6月9日 - )は… 藤山 竜仁(ふじやま りゅうじ、1973年6月9日 - )は、鹿児島県鹿児島郡桜島町(現 鹿児島市)出身の元プロサッカー選手。ポジションは主にディフェンダー(DF)。 小学校3年生のときに兄の影響でサッカーを始める。1989年に鹿児島実業高へ進学。1990年度の全国高校選手権で準優勝。在学中、鹿児島県選抜として3年連続で国体に出場した。この頃学んだスライディングに頼らずにボールを奪う守備が後々ディフェンダーとして活かされることになった。同期に前園真聖、仁田尾博幸。 1992年に高校を卒業し東京ガスに入社。ジャパンフットボールリーグ所属の同社サッカー部(1999年よりFC東京)に加入した。午前にガスメーターの検針を担当し、午後に練習をこなすという社員選手として活動を続けていたが、1994年からはJリーグ参画に向けて体制作りを進めるチームの方針に沿ってプロ契約を締結。
笛 真人(ふえ まさと、1973年3月22日 - )は、鹿児… 笛 真人(ふえ まさと、1973年3月22日 - )は、鹿児島県の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW/MF。 鹿児島実業高等学校出身。同級生に若松賢治、2期先輩に岩元洋成、1期先輩に片野坂知宏、1期後輩に前園真聖・仁田尾博幸・藤山竜仁、2期後輩に笹原義巳がいる。高校3年の時に第69回全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝した。 1991年、マツダSC(現サンフレッチェ広島)に入団する。同期に森山佳郎・森秀昭・柳本啓成・路木健・松山大輔・小倉一浩。しかし、トップチームであるマツダSCでの出場機会はなく、サテライトチームであるマツダSC東洋でプレーした。1992年サンフレッチェ広島発足後プロ契約し、創成期には俊足で鳴らしたスーパーサブ的ストライカーとして、その後は主に右のアウトサイドとして活躍した。
西 眞一(にし しんいち、1973年2月17日 - )は、鹿… 西 眞一(にし しんいち、1973年2月17日 - )は、鹿児島県姶良町(現:姶良市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。愛称はキング。 1990年、鹿児島市立鹿児島玉龍高校3年次に国民体育大会に鹿児島県選抜チームの一員として参加し、3位入賞。高校卒業後は鹿児島経済大学(現在の鹿児島国際大学)経済学部経済学科に進学。九州大学サッカーリーグ2部でプレーし、3年次にはチームを1部昇格に導いたほか、九州大学選抜にも選ばれた。 大学卒業後は1995年より姶良町役場に務めながら、九州サッカーリーグ所属の鹿児島サッカー教員団(後にヴォルカ鹿児島に改称)に参加してアマチュア選手として活動した。
若松 賢治(わかまつ けんじ、1972年8月16日 - )は… 若松 賢治(わかまつ けんじ、1972年8月16日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手(FW)、指導者(JFA B級コーチ)。登録名は「若松 賢治」 小学3年生から本格的にサッカーを始め、当初はゴールキーパーとしてプレーする。中学2年時からFWに転向、以降現役時代はポストプレーを得意とした。 鹿児島実業高等学校出身。同級生に笛真人、2期先輩に岩元洋成、1期先輩に片野坂知宏、1期後輩に前園真聖・仁田尾博幸・藤山竜仁、2期後輩に笹原義巳がいる。高校3年の時にエースとして第69回全国高等学校サッカー選手権大会準優勝に導いた。 1991年に福岡大学へ進学し、バルセロナ五輪代表候補にも選ばれている。 1991年から練習参加していたものの、1992年ヤマザキナビスコカップではサンフレッチェ広島の選手として登録されていない。
岩間 竜一(いわま りゅういち、1972年4月25日 - )… 岩間 竜一(いわま りゅういち、1972年4月25日 - )は、鹿児島県出身(東京都八王子市生まれ)の元サッカー選手。ポジションは主にディフェンダー(DF)。 1988年、鹿児島実業高校に入学。1990年度の全国高校選手権では同期の笛真人、若松賢治、1期下の藤山竜仁、前園真聖、仁田尾博幸と共に決勝戦進出を果たすも、国見高校に敗れ準優勝。 1991年に高校を卒業し、東京ガスサッカー部に社員選手として加入。1995年に東京ガスを退社し、父親の下、地元鹿児島で損害保険代理業に従事。2003年からは父から会社を引継ぎ、イワマジャパンライフ(後のLife map Japan)代表取締役として各種生命保険及び損害保険の代理業を行っている。
片野坂 知宏(かたのさか ともひろ、1971年4月18日 -… 片野坂 知宏(かたのさか ともひろ、1971年4月18日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA Proライセンス所持)。現役時代のポジションはディフェンダー。 鹿児島市立錦江台小学校、鹿児島市立和田中学校出身。鹿児島実業高等学校から1990年、マツダSCへ入団。当初はサテライトチームであるマツダSC東洋で鍛えられると、左SBとして頭角を現す。1994年のサンフレッチェ広島のステージ制覇にも貢献した。スチュワート・バクスター体制では不動のレギュラーだったが、1995年に就任したビム・ヤンセン体制では路木龍次に取って代わられるようになり、同年シーズン途中に柏レイソルへの移籍を決断。
岩元 洋成(いわもと ひろなり、1970年6月27日 - )… 岩元 洋成(いわもと ひろなり、1970年6月27日 - )は、鹿児島県出身の元プロサッカー選手。 両サイドバック、ウイング、ボランチ、攻撃的MFと複数のポジションをこなせる貴重な存在として、最盛期の平塚を支えた。 当時の平塚には苗字が同じ読みで、アイドル的な人気を誇っていたMF岩本輝雄がいたため、「イワゲン」という愛称がつけられていた。 引退後は、サッカーで培ってきた経験を元に、人材育成会社の社員として力を注いでいる。
前田 浩二(まえだ こうじ、1969年2月3日 - )は、鹿… 前田 浩二(まえだ こうじ、1969年2月3日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 現役時代はディフェンダーとして、横浜フリューゲルスやアビスパ福岡など10クラブでプレー。「男・前田」と呼ばれた。現役最晩年の2003年にヴォルカ鹿児島の選手兼任監督となり、引退後はヴィッセル神戸の強化ディレクター、コーチを務めた。 2012年、1年契約でアビスパ福岡の監督に就任するが、成績不振によりシーズン途中の同年10月29日大分トリニータ戦終了後に解任された。 その後、2013年にガイナーレ鳥取の強化部長に就任。同年8月には小村徳男監督を解任し、強化部長職に留まったまま自ら監督を兼務したが、監督就任後のリーグ14戦で1勝も出来ないまま最下位に沈み、J2・JFL入れ替え戦もカマタマーレ讃岐に敗れて鳥取はJ3へ降格。
田原 輝幸(たはら てるゆき、1968年5月3日 - )は、… 田原 輝幸(たはら てるゆき、1968年5月3日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 大分トリニティ時代はキャプテンも勤めた。
小久保 悟(こくぼ さとる、1967年12月29日 - )は… 小久保 悟(こくぼ さとる、1967年12月29日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはフォワード。 鹿児島商業高校では1学年上に池ノ上俊一がいる。東海大学を卒業後、1990年に日本サッカーリーグの古河電気工業サッカー部に加入。JSL1部第1節の、ヤマハ発動機戦でリーグ戦デビューを果たし、この試合で初アシストを記録した。1990-91シーズンにはリーグ戦通算11試合に出場したが、翌1991-92シーズンは4試合の出場に留まった。1992年、ジェフユナイテッド市原とプロ契約を結ぶも同年限りで退団。 引退後は郷里の鹿児島に戻り、1993年に創部されたばかりの鹿児島城西高校のサッカー部の監督に就任。
池ノ上 俊一(いけのうえ しゅんいち、1967年2月16日 … 池ノ上 俊一(いけのうえ しゅんいち、1967年2月16日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現役時代はMF(攻撃的MF)としてプレー。1989年に松下電器産業サッカー部に入部。横山兼三監督時代の1988年から1989年には日本代表に選出されて国際BおよびCマッチ13試合に出場したが、Aマッチ出場はない。Jリーグ開幕後は横浜フリューゲルス、ジャパンフットボールリーグの鳥栖フューチャーズに在籍した。 引退後は小学生から高校生までの育成年代の指導にあたる。鹿児島城西高校を経て、アミーゴス鹿児島U-18監督を務めた。 2016年1月にV・ファーレン長崎のクラブアドバイザーに就任。
牧内 辰也(まきうち たつや、1964年1月30日 - )は… 牧内 辰也(まきうち たつや、1964年1月30日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、指導者(JFA 公認S級コーチ)。 鹿児島商時代に全国高等学校サッカー選手権大会に出場、大会優秀選手に選ばれている。当時はMF。福岡大学を卒業後、1986年に全日空横浜サッカークラブ(のちに全日空サッカークラブに改名、横浜フリューゲルスの前身)へ入団、DFとしてモネール、反町康治、前田治、冨嶋均らとプレーした。1992年、現役を引退した。 1995年、アーセン・ベンゲル率いる名古屋グランパスエイトに入団、主にサテライトのスタッフとして活躍する。1996年に日本サッカー協会公認B級ライセンスを取得した。 2000年、アビスパ福岡育成部門責任者に就任。
慶越 雄二(けいごし ゆうじ、1963年9月17日 - )は… 慶越 雄二(けいごし ゆうじ、1963年9月17日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。ポジションはGK。 鹿児島実業高校を経て1982年に松下電器産業サッカー部に加入。第70回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝の日産自動車戦では、120分間を無失点に抑えたのちPK戦で2本のキックを弾いて松下の初優勝に貢献した。Jリーグ発足後はヴェルディ川崎、アビスパ福岡、京都パープルサンガでプレーした。 引退後は1998年から2006年までガンバ大阪でサテライトや育成組織のGKコーチを担当。2007年からはJFAナショナルコーチングスタッフとして年代別日本代表のGKコーチを務めた。2014年から2016年までFC岐阜のトップチームGKコーチ。
梶居 勝志(かじい かつし、1963年7月11日 - )は… 梶居 勝志(かじい かつし、1963年7月11日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカークラブのフロントスタッフ。ガンバ大阪強化部長。 小学6年の時にサッカーを始める。フォワードや攻撃的ミッドフィールダーとしてプレーし、ドリブルでチャンスを広げ多くのアシストを記録した。自身ではプレーの特長を「スピードで相手をぶっちぎること」と述べている。鹿児島実業高等学校、大阪商業大学を経て、1986年にガンバ大阪の前身である松下電器産業サッカー部に加入。JSL1部での通算成績は102試合出場12得点24アシスト。これは松下において永島昭浩(107試合出場)に次ぐ試合出場数であり、アシスト数では通算1位である。
上川 徹(かみかわ とおる、1963年6月8日 - )は、鹿… 上川 徹(かみかわ とおる、1963年6月8日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、元サッカー審判員(元国際審判員)。元日本サッカー協会 (JFA) 審判委員長。 息子はサッカー選手の上川琢。 鹿児島高専3年修了後中退、東海大学を経てフジタ工業でプレーした。1992年引退後、日本初のプロサッカーリーグ(Jリーグ)のために設置された選手経験者向け審判養成講座の一期生として審判員のキャリアをスタートする。1994年、1級審判員を取得し、1996年にJリーグの主審デビュー。1998年から国際主審登録され、国際Aマッチでも笛を吹いた。2002年からはJFAのスペシャルレフェリー(現:プロフェッショナルレフェリー)(審判活動によって主たる収入を得る審判員)として活動していた。
松澤 隆司(まつざわ たかし、1940年10月19日 - 2… 松澤 隆司(まつざわ たかし、1940年10月19日 - 2017年8月11日)は、鹿児島県鹿児島市出身のサッカー指導者。鹿児島実業高等学校サッカー部総監督。鹿児島県サッカー協会副理事長、九州サッカー協会常任理事、全日本ユース選手権大会実施委員。 市立甲南中学校時代にサッカーを始める。鹿児島市立鹿児島商業高等学校2年次の1958年に高校選手権に出場したが、2回戦で静岡県立藤枝東高等学校に敗れた。卒業後は一般企業に就職するが、知人の勧めもあり無線通信士を目指す様になった。上級資格試験まであと一歩の時に、鹿児島実業高校の教員に採用。当初は国家試験までの半年間の約束であったが、サッカー部の顧問も同時に引き受け、九州大会予選で優勝したことから本格的にサッカー指導者の道へ進む事になった。
有吉 佐織 は、佐賀県佐賀市出身の女子サッカー選手。アルビレ… 有吉 佐織 は、佐賀県佐賀市出身の女子サッカー選手。アルビレックス新潟レディース所属。元サッカー日本女子代表。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。日本プロサッカー選手会理事。
清原 万里江 は、滋賀県出身の元女子サッカー選手・指導者。現… 清原 万里江 は、滋賀県出身の元女子サッカー選手・指導者。現役時代のポジションはディフェンダーおよびミッドフィールダー。
吉良 知夏 は、大分県臼杵市出身の女子サッカー選手。フラウエ… 吉良 知夏 は、大分県臼杵市出身の女子サッカー選手。フラウエン・エールディヴィジ(オランダ1部)・ヘラ・ユナイテッド所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。
柴田 華絵 は、福岡県北九州市出身の女子サッカー選手。三菱重… 柴田 華絵 は、福岡県北九州市出身の女子サッカー選手。三菱重工浦和レッズレディース所属。ポジションはミッドフィールダー。
髙良 亮子 は、沖縄県那覇市出身の元女子サッカー選手。元サッ… 髙良 亮子 は、沖縄県那覇市出身の元女子サッカー選手。元サッカー日本女子代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。
宮迫 たまみ は、鹿児島県垂水市出身の元女子サッカー選手。現… 宮迫 たまみ は、鹿児島県垂水市出身の元女子サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。