しろま せいゆう(城間 清酉、1963年 - 2026年4月… しろま せいゆう(城間 清酉、1963年 - 2026年4月21日)は、日本の絵本作家、アーティスト(水彩画家)。沖縄県那覇市出身。 2016年、「沖縄県わったーバス党」事業で、沖縄県庁前の県民広場天井画「沖縄をバスで行こう」を制作する。 2018年、那覇市新商品開発支援事業の「龍柱会議」で、「なは土産」キャラクター(龍柱・うふシーサー・那覇大綱・那覇ハーリー・那覇のマグロ・オオゴマダラ・琉球泡盛の7つ)を手がける。 沖縄タイムス社 日曜版こども新聞 “ワラビー” にて『読み聞かせ劇場』を2015年より連載し、2018年度沖縄県公共図書館連絡協議会共済事業において、県内16カ所の図書館で「沖縄タイムス“ワラビー”連載『読み聞かせ劇場』パネルと原画の巡回展」を開催した[要出典]。
名嘉 睦稔(なか ぼくねん、1953年(昭和28年)12月8… 名嘉 睦稔(なか ぼくねん、1953年(昭和28年)12月8日 - )は、日本の板画家。沖縄県出身。愛称でボクネンと呼ばれる。 1953年(昭和28年)、沖縄県の離島・伊是名村勢理客に生まれる。幼少の頃から絵や工作が大好きだったボクネンは、画用紙が足りなくなると、伯母さんに頼んでセメント袋や肥料袋を切ってもらい画用紙代わりにしていた。茶色の紙を束にして小脇に抱え、何時でも何処でも絵を描いていたという。更に、田んぼの片隅で一人黙々と何かをしているボクネン少年。農作業に忙しい大人達は、片目で見守りながら好きなようにさせていた。作業を終えた伯母さんが近寄ってみると、粘土で馬や牛や魚など造形物を作って整然と並べていたという。
與那覇 朝大(よなは ちょうたい、1933年10月8日 - … 與那覇 朝大(よなは ちょうたい、1933年10月8日 - 2008年7月2日)は、沖縄県石垣市出身の画家、陶芸家。沖縄を代表する画家の1人であった。陶芸家の与那覇朝一は実弟、美術家の与那覇大智は息子。2002年に結婚した妻は歌手のGWINKO。 沖縄県石垣市に生まれる。19歳の時に画家となり、コザ市(現沖縄市)でアメリカ兵相手に肖像画を描いた。 1971年の新美術協会展で新人賞を受賞、1977年に沖縄県産業デザインコンクールで会長賞、1986年第33回新美術協会展で光琳賞、日本美術選賞を受賞した。1992年、新美術協会展で桃山芸術大賞、1998年、アート・オブ・ジ・イヤーのグランプリを受賞した。
久場 とよ(くば とよ、1921年9月22日 - 2017年… 久場 とよ(くば とよ、1921年9月22日 - 2017年2月26日)は、沖縄県出身の画家。本名は久場 トヨ。 那覇市出身。那覇尋常小学校で島田寛平、沖縄県立第二高等女学校で名渡山愛順から、絵画の手ほどきを受ける。沖縄県立第二高等女学校、東京女子薬学専門学校(現・明治薬科大学)卒業。 第二次世界大戦後、薬剤師としての仕事と並行して創作活動を続け、沖縄画壇の第一線で活躍した。1977年に沖縄女流美術家協会の初代会長に就任し、沖縄女流画壇のまとめ役を担った。 2017年2月26日に老衰により死去した。95歳。
安谷屋 正義(あだにや まさよし、1921年〈大正10年〉8… 安谷屋 正義(あだにや まさよし、1921年〈大正10年〉8月26日 - 1967年〈昭和42年〉7月29日)は、昭和時代に沖縄県で活躍した洋画家。 東京府北豊島郡滝野川町田端(現・東京都北区田端)に生まれる。1929年(昭和4年)に沖縄県に転居し、沖縄県立第二中学校で比嘉景常の指導を受け、西洋画を志す。1940年(昭和15年)、東京美術学校図案科に入学し、在学時に出征するが、1945年(昭和20年)の敗戦で除隊する。その後、大分県日田市の日田漆器に入社するが、米軍占領下の沖縄に戻り、1948年、首里市儀保町(現・那覇市首里儀保町)のニシムイ美術村に住宅兼アトリエを建てて住む。 1949年、第1回沖縄美術展覧会(沖展)が開かれると、名渡山愛順・大嶺政寛ら戦後第一世代の審査内容に反発し、1950年に安次嶺金正・玉那覇正吉らと「五人会」(1954年に「グループとしての活動の意義が終わった」という理由で解散)を結成した。
山元 恵一(やまもと けいいち、1913年(大正2年)5月1… 山元 恵一(やまもと けいいち、1913年(大正2年)5月13日 - 1977年(昭和52年)11月)は、沖縄県出身の洋画家。 那覇市西村生まれ。父親は警察官。沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)に進学、「樹緑会」に属し美術教師の比嘉景常から指導を受ける。卒業後、反対を押し切り上京し、東京美術学校を受験するが失敗、川端画学校に入り木炭によるデッサンを習得した。 1933年(昭和8年)、東京美術学校油画科に入学し、シュルレアリスムのグループ〈貌〉に加わる。1938年(昭和13年)、東京美術学校油画科を卒業。1941年(昭和16年)、比嘉景常の後任の美術教師として県立第二中学校に赴任する。
大城 皓也(おおしろ こうや、1911年(明治44年)4月1… 大城 皓也(おおしろ こうや、1911年(明治44年)4月14日 - 1980年(昭和55年)7月12日)は、沖縄県出身の洋画家。二科会会員。 1918年(大正7年)、沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)に入学し、在学時に美術教師・比嘉景常の指導を受ける。1934年(昭和9年)、東京美術学校を卒業する。 1936年(昭和11年)、沖縄県の私立開南中学校(沖縄戦により廃校)の美術教師となる。沖縄美術展覧会の創設に参加した。 太平洋戦争後、名渡山愛順・安谷屋正義らと首里儀保町のニシムイ美術村にアトリエを設ける。1950年(昭和25年)には琉球大学助教授に就任した。 代表作に久高島の祭事・イザイホーに取材した『神々の誕生』などがある。
大嶺 政寛(おおみね せいかん、1910年(明治43年)2月… 大嶺 政寛(おおみね せいかん、1910年(明治43年)2月10日 - 1987年(昭和62年)12月20日)は、沖縄県出身の洋画家。昭和時代の戦前戦後にわたって沖縄の原風景を描き、「赤瓦屋根の政寛」と称された。沖縄民芸協会会長を務めた。 那覇市久米町生まれ。沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)在学時に、比嘉景常の薫陶を受けて西洋画を志す。1929年(昭和4年)沖縄県立第二中学校を卒業後、沖縄県師範学校本科二部に進み、1930年(昭和5年)に卒業する。以後、那覇尋常小学校や那覇市立商業学校(現・沖縄県立那覇商業高等学校)、沖縄県立第一高等女学校等で教鞭を執る。 1933年(昭和8年)、第10回春陽会展に入選。
名渡山 愛順(などやま あいじゅん、1906年(明治39年)… 名渡山 愛順(などやま あいじゅん、1906年(明治39年)1月22日 - 1970年8月4日)は、沖縄県出身の洋画家。 那覇市松下町のかすり問屋の長男に生まれる。父が幼少時に死去したため、母の手一つで育てられた。 1918年(大正7年)、沖縄県立第二中学校に入学するが、生来病弱であったため、病気で2年間休学する。1922年(大正11年)、美術教諭として赴任してきた比嘉景常から西洋画と琉球文化の指導を受け、それが名渡山の進路に影響を与えた。中学卒業後1年の浪人を経て、1927年(昭和2年)、東京美術学校西洋画科に進み、和田三造、金山平三に指導を受ける。翌1928年(昭和3年)には帝展入選を果たした。
山里 永吉(やまざと えいきち 1902年8月18日 - 1… 山里 永吉(やまざと えいきち 1902年8月18日 - 1989年5月5日)は、沖縄の画家、作家。 沖縄県生まれ。日本美術学校中退。田河水泡、村山知義と交わる。『マヴォ』同人。1927年沖縄に帰り、脚本や新聞小説を執筆。戦後は琉球博物館長、琉球芸能連盟会長。脚本に「首里城明渡し」などがある。