菅 洋(すげ ひろし、1932年12月9日 - )は、日本の… 菅 洋(すげ ひろし、1932年12月9日 - )は、日本の農学者、東北大学名誉教授。農学博士。専門は作物生理学。 山形県鶴岡市生まれ。1955年東北大学農学部卒業。農林省中国農業試験所勤務、1962年農林省農業技術研究所、1966年「大麦の出穂性に関する育種学的研究」で東北大学農学博士。1978年東北大学農学部助教授、82年教授。87年農学研究所長、89年遺伝生態研究センター長。96年定年退官、名誉教授。1983年日本作物学会賞受賞。
脇山 徳雄(わきやま とくお、1932年12月1日 - )は… 脇山 徳雄(わきやま とくお、1932年12月1日 - )は、日本の物性物理学者。東北大学名誉教授。理学博士(東京大学、1965年)。 1932年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1956年に学習院大学理学部物理学科卒業、1958年に同大学大学院自然科学研究科修士課程を修了。小林理学研究所を経て、1961年東京大学物性研究所助手となり、1965年に「鉄-アルミニウム系合金単結晶の磁場中冷却効果の研究」で理学博士号を取得。グルノーブル大学理学部客員助教授を経て、1967年東北大学助教授、1978年教授。磁気物性工学を専門とし、1977年には「DHCP結晶構造を持つコバルト・鉄合金の発見とその物性に関する研究」で松永賞を受賞。
小谷 昌(こたに まさる、1932年11月13日 - )は、… 小谷 昌(こたに まさる、1932年11月13日 - )は、日本の実業家。京浜急行電鉄社長、同社会長、日本民営鉄道協会会長等を経て、横浜新都市センター社長、横浜ポルタ会会長。旭日大綬章受章。 京都府出身。京都府立東舞鶴高等学校を経て、1956年東北大学法学部卒業、京浜急行電鉄入社。1980年総務部長。1985年取締役に昇格。1988年常務取締役。1990年専務取締役。1993年取締役副社長。1995年代表取締役副社長。1997年代表取締役社長。2003年神奈川経済同友会代表幹事。2005年代表取締役会長。 2009年から横浜新都市センター代表取締役社長及び横浜駅東口振興協議会会長、横浜ポルタ会会長を務め、横浜ポルタのリニューアルなどを進めた。
佐藤 道夫(さとう みちお、1932年(昭和7年)10月24… 佐藤 道夫(さとう みちお、1932年(昭和7年)10月24日 - 2009年(平成21年)7月15日)は、日本の検察官、政治家、弁護士。札幌高等検察庁検事長、参議院議員(2期)を務めた。 宮城県仙台市出身。仙台一高、東北大学法学部卒業。1955年に司法修習生。1957年に検察庁に入り、札幌地検検事、法務省刑事課長、東京地検刑事部長、横浜地検検事正、最高検刑事部長、札幌高検検事長などを歴任。 東京地検特捜部では、1972年の沖縄返還交渉での西山事件の捜査を担当し、起訴状を書いた。起訴状に記された「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」という起訴理由は、世論を国家が密約を結んだことの是非から、西山太吉の私的なスキャンダルに向けさせた。
大森 黎(おおもり れい、女性、1932年10月1日 - )… 大森 黎(おおもり れい、女性、1932年10月1日 - )は、日本の作家、ノンフィクション作家。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。本名・小山玲子。妹に女優の大森暁美、弟に数学者の大森英樹がいる。1955年東北大学法学部卒業。NHKに入り、教育局テレビディレクター。62年結婚して退社。1972年「黎まやこ」名義「五月にー」で文學界新人賞受賞、1981年「大河の一滴」で読売「女性ヒューマンドキュメンタリー」大賞を受賞した。受賞作は夫の連れ子だった脳性まひの義理の息子を描いたもの。
河相 一成(かわい かずしげ、1932年9月20日 - 20… 河相 一成(かわい かずしげ、1932年9月20日 - 2021年10月24日 )は、日本の農業経済学者。東北大学名誉教授。横浜市出身。1957年東北大学経済学部卒。1976年「戦後日本の小農と土地所有に関する研究」で農学博士。東北大学農学研究所助教授を経て、農学部教授。1996年定年退官後、名誉教授。農業・食糧経済学。みやぎ憲法九条の会事務局長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
本堂 寛(ほんどう ひろし、1932年8月2日 - 2021… 本堂 寛(ほんどう ひろし、1932年8月2日 - 2021年11月30日)は、日本の国語教育学者・日本語学者。青山学院大学名誉教授。 岩手県盛岡市大通生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校卒、1955年東北大学文学部国語学科卒業、1957年同大学院修士課程修了。岩手県立黒沢尻南高等学校教諭、1959年岩手県立盛岡第一高等学校教諭、1965年一関工業高等専門学校助教授、1968年国立国語研究所研究員、研究室長、1974年岩手大学教育学部教授、1977年教授、ブラジルサンパウロ大学文学部客員教授、1982年文部省初等中等教育局小学校教科調査官、東北大学教養部教授、青山学院大学文学部教授、2003年定年退職、名誉教授。
村上 真完(むらかみ しんかん、1932年7月25日 - 2… 村上 真完(むらかみ しんかん、1932年7月25日 - 2024年9月1日)は、日本の仏教学者・インド哲学者。東北大学名誉教授。 青森県黒石市出身。東北大学文学部印度学仏教学科卒。1963年同大学院文学研究科博士課程退学。1979年「サーンクヤ哲学研究 インド哲学における自我観」で文学博士。八戸工業高等専門学校助教授、1969年東北大学文学部助教授、1989年教授、1996年定年退官、名誉教授、聖和学園短期大学教授。2009年『パーリ仏教辞典』で日本翻訳出版文化賞受賞。
服部 勉(はっとり つとむ、1932年7月8日 - )は、日… 服部 勉(はっとり つとむ、1932年7月8日 - )は、日本の微生物学者、農学者、東北大学名誉教授。妻は渋沢敬三の次女・服部黎子。渋沢家当主の渋沢雅英は義兄。 岐阜県大垣市生まれ。名古屋大学理学部卒業、1960年東北大学大学院学農学研究科農芸化学専攻博士課程修了、「界面に吸着せる細菌の研究」で農学博士。土壌微生物の研究を始める。東北大学農学研究所助教授、遺伝生態研究センター教授を務め、1996年定年退官、名誉教授、東京農業大学教授を務めた。水田、畑、草地、山林など、身近な環境にすむ土壌微生物の生態が研究テーマ。日本微生物生態学会会長を務めた。
屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 … 屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 - 2024年〈令和6年〉4月9日)は、日本の政治評論家。コラムニスト。公益財団法人社会貢献支援財団理事、公益財団法人日本財団評議員、一般社団法人日本戦略研究フォーラム会長、国家基本問題研究所理事。 福岡県福岡市生まれ。父は鹿児島市の出身で、終戦の時期には鹿児島市で過ごす。東京都立青山高等学校、東北大学文学部仏文科卒業。学生時代は剣道部に所属していた。 1959年時事通信社入社。ローマ特派員、首相官邸キャップ、ジュネーヴ特派員、編集委員兼解説委員を歴任し、1987年退社。 1981年第2次臨時行政調査会(土光臨調)に参画、以後、第1次~第3次行政改革推進審議会専門委員、選挙制度審議会委員、臨時教育審議会専門委員を務めた。
上野 卓哉(うえの たくや、1932年5月23日 - 202… 上野 卓哉(うえの たくや、1932年5月23日 - 2024年7月19日)は、日本の経営者。東北放送社長を務めた。 東京都目黒区出身。1956年に東北大学文学部西洋学科を卒業し、同年に東北放送に入社。1988年6月に取締役、1994年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1998年10月に社長に就任。2005年4月に取締役相談役に就任。 2006年4月に旭日小綬章を受章。 2024年7月19日、老衰のため仙台市内の高齢者用医療ケア施設で死去。92歳没。
田中 煕巳(たなか てるみ、1932年4月29日 - )は、… 田中 煕巳(たなか てるみ、1932年4月29日 - )は、日本の材料工学者、核廃絶運動家。長崎原爆被爆者。日本原水爆被害者団体協議会代表委員。元東北大学工学部助教授・十文字学園女子短期大学教授、博士(工学)(東北大学、1993年)。専門は材料工学。 長年、被爆者運動の中核を担っており、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の事務局長を計20年務め、その後も同団体の代表委員として活動。2024年10月11日、代表委員として所属する日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞。 1932年、中国東北部(旧満洲)に生まれた。陸軍の軍人であった父が脳出血のため他界したため、親類を頼って長崎市に移り住んだ。
岩田靖夫(いわた やすお、1932年4月25日 - 2015… 岩田靖夫(いわた やすお、1932年4月25日 - 2015年1月28日)は、日本の哲学研究者、文化功労者。東北大学・ 仙台白百合女子大学名誉教授。古代ギリシャ哲学専攻。
八島 俊章(やしま としあき、1932年(昭和7年)4月24… 八島 俊章(やしま としあき、1932年(昭和7年)4月24日 - )は、日本の実業家。元東北電力代表取締役社長。元日本電気協会会長。女川原子力発電所の設立に力を尽くしたことで知られる。宮城県出身。 宮城県出身。宮城県白石高等学校卒業。 1955年、東北大学工学部を卒業し東北電力に入社。敦賀発電所の建設に携わり、女川原子力発電所1号機の建設に関する調査を監督した。1993年、東北電力副社長に就任するも4ヶ月後に社長に昇格。1998年、藍綬褒章を受章。電気事業連合会の副会長も務める。2001年に会長に就任。会長退任後は相談役に就任し、相談役退任した後は特別顧問に就任。 2004年、MEMSパークコンソーシアム設置に際し、発起人となる。
及川 昭伍(おいかわ しょうご、1932年〈昭和7年〉3月2… 及川 昭伍(おいかわ しょうご、1932年〈昭和7年〉3月29日 - 2020年〈令和2年〉2月14日)は、日本の官僚。元国民生活センター理事長、元経済企画庁総合計画局長。岩手県盛岡市出身。
金子 徳之介(かねこ とくのすけ、1932年3月22日 - … 金子 徳之介(かねこ とくのすけ、1932年3月22日 - 2010年1月11日)は、日本の政治家。
渡辺信夫(わたなべ のぶお、1932年2月18日-2001年… 渡辺信夫(わたなべ のぶお、1932年2月18日-2001年1月15日)は、日本の日本史学者。 山形県西村山郡河北町生まれ。1957年東北大学大学院国史学修士課程修了。福島工業高等専門学校助教授、1967年東北大学文学部助教授、教授、文学部長。 1995年、定年退官、名誉教授、放送大学教授。 交通・流通史研究を軸とした近世東北地域史研究を専攻とした。 1967年、東北大学より文学博士の学位を取得。
町田 三郎(まちだ さぶろう、1932年〈昭和7年〉1月31… 町田 三郎(まちだ さぶろう、1932年〈昭和7年〉1月31日 - 2018年〈平成30年〉3月18日)は、日本の中国哲学研究者。九州大学名誉教授。 1932年、群馬県前橋市若宮町に生まれる。1950年に群馬県立前橋高等学校を卒業。東北大学文学部に入学して中国哲学を専攻した。1954年に卒業し、同大学大学院に進んだ。1960年、博士課程を単位取得退学。 卒業後は、同1960年4月より東北大学川内分校助手に採用された。1962年に講師昇格。1963年より文学部助手、1964年より教養部講師、1966年に同助教授に昇格。1974年に九州大学文学部助教授となり、中国哲学講座を担当した。1981年に教授昇格。
山形 孝夫(やまがた たかお、 (1932-01-03) 1… 山形 孝夫(やまがた たかお、 (1932-01-03) 1932年1月3日(94歳)- )は、日本の宗教人類学者、宮城学院女子大学名誉教授。 宮城県仙台市に生まれる。東北大学文学部宗教学科卒業。同大学院博士課程修了。東北大学講師、宮城学院女子大学教授、学長。1988年『砂漠の修道院』で日本エッセイストクラブ賞受賞。
小林 陵二(こばやし りょうじ、1932年 - )は、日本の… 小林 陵二(こばやし りょうじ、1932年 - )は、日本の工学者。石巻専修大学元学長。東北大学名誉教授。工学博士(東北大学)。専門は、流体工学・流体力学。岩手県盛岡市出身。 1955年東北大学工学部機械工学科卒業。1960年東北大学大学院工学研究科博士課程修了。 1960年東北大学高速力学研究所講師。1962年東北大学高速力学研究所助教授。1972年東北大学高速力学研究所教授。1985年(昭和60年)東北大学工学部教授。1996年(平成8年)東北大学停年退官。同名誉教授。 石巻専修大学理工学部教授。1998年石巻専修大学理工学部長。2001年石巻専修大学大学学長。2007年石巻専修大学退職。 2012年4月瑞宝中綬章受章。
蜂谷清人(はちや きよと、1932年 - )は、日本の国語学… 蜂谷清人(はちや きよと、1932年 - )は、日本の国語学者。 岩手県一関市生まれ。1955年東北大学文学部国語学科卒、1959年東北大学大学院文学研究科博士課程中退。同年に共立女子大学専任講師。 以降、同大学文芸学部一筋に勤め、2003年退官。中世・近世の国語、とりわけ狂言資料の研究を行った。
廣野 卓(ひろの たかし、1932年 - )は、日本の料理史… 廣野 卓(ひろの たかし、1932年 - )は、日本の料理史家。大阪府生まれ。東北大学農学部卒業。乳業会社勤務を経て、歴史科学会主宰。
野田 秀(のだ しげる、1932年 - 2023年)は、日本… 野田 秀(のだ しげる、1932年 - 2023年)は、日本のプロテスタント系東京フリー・メソジスト教会の牧師。長年、東京フリー・メソジスト教会の指導的な立場にあった。
岡堂 哲雄(おかどう てつお、1932年 - 2018年6月… 岡堂 哲雄(おかどう てつお、1932年 - 2018年6月23日)は、日本の臨床心理学者。臨床心理士・家族心理士。教育学博士(東北大学)。文教大学名誉教授。専門は、臨床心理学・家族心理学・家族療法。北海道弟子屈町出身。
千葉 喜彦(ちば よしひこ、1931年12月1日 -2022… 千葉 喜彦(ちば よしひこ、1931年12月1日 -2022年2月 )は、日本の時間生物学者、画家、山口大学名誉教授。 朝鮮・平壌生まれ。東北大学理学部生物学科卒、同大学院博士課程修了、東北大学理学博士。東北大学助手、山口大学理学部助教授、教授。1995年定年退官、名誉教授。1975年『生物時計の話』で毎日出版文化賞受賞。 画家としても活動し、西日本美術展、青木繁記念大賞西日本美術展などで入選した。
佐藤 静雄(さとう しずお、1931年〈昭和6年〉11月4日… 佐藤 静雄(さとう しずお、1931年〈昭和6年〉11月4日 - 2022年〈令和4年〉1月16日)は、日本の政治家、元参議院議員。位階は正五位。 福島県相馬郡福浦村(現南相馬市小高区)出身。双葉高校卒業。東北大学法学部を卒業後に福島県庁に勤務。出納長等の要職を務めた。 1992年、第16回参議院議員通常選挙に福島県選挙区から自民党公認で立候補し初当選。以後、科学技術政務次官、自治政務次官等の要職を歴任。1998年の第18回参議院議員通常選挙で落選、政界から引退した。2002年、勲三等旭日中綬章受章。 2022年1月16日、心筋梗塞のため、死去。90歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
小野 直広(おの なおひろ、1931年10月20日 - 20… 小野 直広(おの なおひろ、1931年10月20日 - 2001年10月4日)は、日本の心理学者。 北海道上磯郡知内町出身。東北大学文学部卒。元法務省職員。東北福祉大学教授(福祉心理学科長;臨床心理・人格心理担当)。旭日章勲四等受勲。※死後追贈 日本でまだ広まっていなかった心理療法である短期療法を研究し、広めていった第一人者。なお、小野が作った地域の短期療法を学ぶ会は、日本ブリーフセラピー協会が下部組織として引き継ぐ形で発展している。 大学での教授、研究、各教育機関などでの講演活動の傍ら、週末に来る孫達の世話も惜しむことなくしたという。 甥に元西武ライオンズ投手の石井貴がいる。 2001年9月に体調を崩し、宮城県仙台市太白区の宮城社会保険病院に入院。
鳴海 正泰(なるみ まさやす、1931年9月3日 -2021… 鳴海 正泰(なるみ まさやす、1931年9月3日 -2021年2月14日 )は、日本の政治家、政治学者、関東学院大学名誉教授。 青森県青森市生まれ。1954年東北大学文学部西洋史学科卒業後、東京都政調査会の研究員となる。飛鳥田一雄が横浜市長の時代に市政ブレーンとして参加し、市長特使として中国へ往復、「ヨコハマのナルミンジャ」と異名をとる。1980年関東学院大学教授、1997年定年、名誉教授となる。テニスの歴史にも詳しく、横浜山手・テニス発祥記念館館長を務めた。2021年2月14日死去。
壱岐一郎(いき一郎、いき いちろう、1931年9月 - )は… 壱岐一郎(いき一郎、いき いちろう、1931年9月 - )は、日本のジャーナリスト、日本古代史研究家。日本記者クラブ会員。 東京都雑司が谷生まれ。戦争中は滋賀県に疎開。第四高等学校 (旧制)修了、東北大学法学部卒業後、九州朝日放送・北京放送に勤務し、国会、交通記者を務めた。東海大学福岡短期大学教授、1997年沖縄大学教授、2004年より関西在住。天津社会科学院・東北亜研特別研究員等を務めた。いき一郎の表記も用いる。
杉谷利昭(すぎたに としあき、1931年(昭和6年)8月7日… 杉谷利昭(すぎたに としあき、1931年(昭和6年)8月7日 - 2003年(平成15年)5月1日)は、日本の銀行家。元北日本銀行頭取、会長。 宮城県出身。東北大法学部卒業後、北日本銀行の前身である興産相互銀行に入行。1991年には頭取に昇格する。 トップ在任時においては、不良債権処理の加速化や本・支店間のスリム化に努めたほか、新人事制度の導入による経営体質の強化も図った。また、1994年9月末には、総預金1兆円を実現するなど業容の拡大にも尽力した。そして、平成銀行実現にむけ奔走するも同行従業員組合から、合併に対して猛反発が起こり構想は頓挫した。 2003年5月、会長在任のまま呼吸不全で逝去。享年71。
小田 基(おだ もとい、1931年〈昭和6年〉6月7日 - … 小田 基(おだ もとい、1931年〈昭和6年〉6月7日 - 2000年〈平成12年〉11月29日)は、日本の英文学・比較文学者。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 樺太生まれ。東北大学文学部英文科卒、同大学院中退、北星学園大学助教授、東北大学教養部助教授、教授を務め、1995年定年退官、名誉教授、宮城学院女子大学教授。ジェイムズ・ジョイスを専門とした。2000年死去。死没日付をもって正四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
渋谷孝(しぶや たかし、1931年6月− 2019年11月2… 渋谷孝(しぶや たかし、1931年6月− 2019年11月25日)は、日本の文学研究者、国文学・日本語教育学者、宮城教育大学名誉教授。 山形県長井市生まれ。山形師範学校、東北大学文学部国文学科卒業、同大学院国文学国語学専修博士課程中退。新潟大学助教授、教授、79年宮城教育大学教授。1997年定年退官。この間附属小学校長、附属図書館長。東北地区国語教育研究協議会会長。2012年、瑞宝中綬章受章。2019年死去。叙正四位。 はじめ平安朝文学を専攻したが、国語科教育と文学の関係に疑問を抱き、多くの著作を著す。
大石 直正(おおいし なおまさ、1931年5月31日 - 2… 大石 直正(おおいし なおまさ、1931年5月31日 - 2021年6月8日)は、日本史学者。東北学院大学名誉教授。 東京生まれ。東北大学文学部国史学科卒、1960年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学、東北大学助手、香川大学助手、講師、助教授、1968年東北学院大学文学部助教授、1975年教授。2005年定年、名誉教授。 2021年6月8日、老衰のため死去。
末永 照和(すえなが てるかず、1931年5月26日 - )… 末永 照和(すえなが てるかず、1931年5月26日 - )は、日本の美術史学者、桜美林大学名誉教授。国際美術評論家連盟会員。 北海道釧路市生まれ。東北大学文学部美学美術史学科卒業。『美術手帖』『みづゑ』などに執筆。桜美林大学教授、名誉教授、実践女子大学教授。2002年定年退職。 1984年「ジェームズ・アンソール」で芸術選奨新人賞受賞。2013年「評伝ジャン・デュビュッフェ アール・ブリュットの探求者」で第23回吉田秀和賞受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
櫻井 英樹(さくらい ひでき、1931年5月16日 - 20… 櫻井 英樹(さくらい ひでき、1931年5月16日 - 2024年7月17日)は、日本の有機化学者。専門は有機合成化学、有機ケイ素化学。細見・櫻井反応の開発者として著名である。理学博士、東北大学名誉教授、文化功労者、日本学士院賞・恩賜賞受賞者。東北大学理学部長、日本化学会会長、日本学術会議会員などを歴任。 奈良県出身。父の櫻井精兵が奈良県立吉野林業学校(後の奈良県立吉野林業高等学校)校長を務めていたため、その任地の吉野郡川上村で生まれた。父が徳島県立徳島農業学校(後の徳島県立城西高等学校)校長、次いで岐阜高等農林学校(後の岐阜大学農学部、応用生物学部)教授に転じたため、徳島、岐阜と転居し、小学生時代のほとんどの期間岐阜で育つ。
山折 哲雄(やまおり てつお、1931年〈昭和6年〉5月11… 山折 哲雄(やまおり てつお、1931年〈昭和6年〉5月11日 - )は、日本の宗教学者、評論家。専攻は宗教史・思想史。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、21世紀高野山医療フォーラム副理事長、総合研究大学院大学名誉教授、平城遷都1300年記念事業評議員。教育改革国民会議委員。角川財団学芸賞、和辻哲郎文化賞、山本七平賞選考委員。1997年に白鳳女子短期大学赴任以降は行政職に就くことが続いた。岩手県花巻市出身。京都市在住。 日本人の宗教意識や精神構造を研究し、現代社会論や文明論を精力的に展開する。著書に『日本人の霊魂観』(1976年)、『悲しみの精神史』(2002年)、『義理と人情』(2011年)など。
富塚 陽一(とみづか よういち、1931年(昭和6年)4月1… 富塚 陽一(とみづか よういち、1931年(昭和6年)4月16日 - 2018年(平成30年)6月18日)は、日本の政治家。初代鶴岡市長、旧鶴岡市12代市長。2011年旭日中綬章受章。 鶴岡市出身。東北大学経済学部を卒業後、山形県庁に入庁。企画調整部長等を歴任。 1991年、旧鶴岡市の市長選で初当選。以後5期18年にわたって市長を務めた。市長在任中には、学術研究機関の整備による地域振興を政策理念の柱にとし、慶應義塾大学先端生命科学研究所の招致などに尽力した。「官僚的な人物だった」と一部では評価されている。 2011年、旭日中綬章受章。 2018年6月18日、肺炎のため鶴岡市内の病院で死去。87歳没。
柳澤 嘉一郎(やなぎさわ かいちろう、1931年4月3日- … 柳澤 嘉一郎(やなぎさわ かいちろう、1931年4月3日- )は、日本の生命科学者、筑波大学名誉教授。妻は柳澤桂子。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1954年東北大学理学部生物学科卒業、1963年コロンビア大学大学院修了、1970年東北大学理学博士。ブランダイス大学、スローン・ケタリング癌研究所、東京都立アイソトープ研究所遺伝研究室、1975年東京教育大学教授、1976年筑波大学教授、1995年定年退官、名誉教授。柳澤研究室出身者に相賀裕美子国立遺伝学研究所名誉教授など。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
重倉 祐光(しげくら ゆうこう、1931年3月31日 - 2… 重倉 祐光(しげくら ゆうこう、1931年3月31日 - 2020年10月1日)は、日本の工学者。東京理科大学名誉教授。東京理科大学学長補佐や、諏訪東京理科大学初代学長を務めた。藍綬褒章受章。 重倉珉祐(東北大学名誉教授)長男として、1931年仙台市に生まれる。東北大学工学部建築学科、同大学院博士課程を経て小野田セメント中央研究所に7年間勤務、東京理科大学に転じ助教授、39歳で教授となる。 建築学科主任、理工学部長、理工学研究科長、火災科学研究所長、学長補佐などの要職を歴任した。1998年東京理科大学諏訪短期大学を四年制大学に転換するため学長として赴任、転換後、諏訪東京理科大学学長を務めた。専門は建築材料学。
堀川 孝夫(ほりかわ たかお、1931年(昭和6年)3月24… 堀川 孝夫(ほりかわ たかお、1931年(昭和6年)3月24日 - 1999年(平成11年)11月22日)は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取・会長。 秋田県秋田市出身。1953年(昭和28年)、東北大学卒業後、秋田銀入行。 職員組合委員長のほか、本部において企画や人事を長く担当。また秋銀初の外部団体への出向として、「八郎潟新農村建設事業団」へ派遣され、大潟村の大規模モデル農村づくりにも携わった。加えて支店長として初めて赴任した能代支店では、第一次オイルショックの影響を食い止めるべく奔走もした。 1991年(平成3年)、頭取に昇格。トップ在任時は不良債権処理に取り組み、1995年(平成7年)度にはいわゆる住専向け融資、翌年度には「秋田県木造住宅」向けの融資の大半を償却させ、不良債権処理に目処をつけた。
横手 幸助(よこて こうすけ、1931年3月24日 - 20… 横手 幸助(よこて こうすけ、1931年3月24日 - 2001年11月15日)は、日本の経営者、銀行家。協和銀行頭取を務めた。 秋田県出身。1953年に東北大学法学部を卒業し、同年4月に協和銀行に入行。1981年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1984年6月に専務、1985年6月に副頭取を経て、1986年6月に頭取に就任。1991年4月に協和埼玉銀行(のちのあさひ銀行)会長に就任し、1997年6月に相談役を経て、1998年4月には特別顧問に就任。 2001年11月15日肝不全のために死去。70歳没。
栗林 卓司(くりばやし たくじ、1931年〈昭和6年〉3月8… 栗林 卓司(くりばやし たくじ、1931年〈昭和6年〉3月8日 - 1997年〈平成9年〉9月21日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(3期、民社党)。 本籍宮城県仙台市。千葉県、現在の市川市で元陸軍主計大佐の長男として生まれる。東京府立第六中学校から疎開のため栃木県立宇都宮中学校に転校。学徒勤労動員により戦闘機の生産に従事した。戦後に仙台に移り、宮城県仙台第二中学校を経て、1954年(昭和29年)東北大学法学部を卒業した。 1954年日産自動車に入り吉原工場に配属された。日産自動車労働組合(日産労組)に入り吉原支部青年部の結成に尽力。1964年(昭和39年)日産労組情宣部長、1965年(昭和40年)同副組合長になる。
鈴木広(鈴木廣、すずき ひろし、1931年3月6日 - 20… 鈴木広(鈴木廣、すずき ひろし、1931年3月6日 - 2014年11月13日)は、日本の社会学者、九州大学名誉教授。 北海道函館市出身。1958年東北大学大学院文学研究科博士課程満期退学、1961年「都市研究における基礎概念」で文学博士の学位を取得。1959年九州大学文学部助教授、教授となる。1995年定年退官、名誉教授、久留米大学教授を務め、2007年退任。日本都市社会学会会長を務めた。
本山 剛(もとやま つよし、1931年(昭和6年)3月5日 … 本山 剛(もとやま つよし、1931年(昭和6年)3月5日 - 2001年(平成13年)7月7日)は、日本の銀行家。北都銀行副会長、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。 宮城県仙台市出身。東北大学法学部卒業後、日本銀行に入行。 1980年には、秋田相互銀行に移り常務、専務を歴任。副社長時代には、普銀転換の陣頭指揮にあたり、1990年には、プロパーや創業者家系の多い秋田県の金融界では異色の存在、日銀出身者として秋田あけぼの銀行頭取に就任した。頭取在任時は、第三次オンラインシステムを鳥取銀行、沖縄海邦銀行と共同開発にあたったほか、羽後銀行との合併を成功裡にまとめあげた。 1993年の北都銀行発足後には、副会長に就任。
多田 省吾(ただ しょうご、1931年〈昭和6年〉2月18日… 多田 省吾(ただ しょうご、1931年〈昭和6年〉2月18日 - 2010年〈平成22年〉9月4日)は、日本の政治家。山形県山形市出身。東北大学工学部化学工学科卒業。参議院議員(4期)。 1931年2月18日、山形県山形市に生まれる。 1953年、東北大学工学部化学工学科を卒業し、聖教新聞社に勤める。 1965年7月4日、第7回参議院議員通常選挙に、全国区から、公明党公認で立候補し、初当選(以降4回)する。 1970年代に、公明党副委員長に就任し、15年以上に渡り務める。公明党参議院議員団長の二宮文造の後任として、公明党参議院議員団長に就任する。日中国交正常化交渉の際、第2次、第3次訪中団に参加する。
大西 利美(おおにし としみ、1931年1月2日 - 201… 大西 利美(おおにし としみ、1931年1月2日 - 2011年4月3日)は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車副社長や、愛知製鋼会長、日野自動車工業会長等を歴任した。藍綬褒章受章。 1953年東北大学工学部機械科卒業、トヨタ自動車工業入社。1975年トヨタ自動車工業生産技術企画室主査。1978年トヨタ自動車工業生産技術開発部長。1980年トヨタ自動車工業取締役に昇格。1984年トヨタ自動車取締役田原工場長。 1986年トヨタ自動車常務取締役元町工場長。1988年トヨタ自動車専務取締役。1992年トヨタ自動車取締役副社長。 退任後、愛知製鋼取締役会長、日野自動車工業取締役会長等を歴任した。1993年中部インダストリアル・エンジニアリング協会会長。
川股 重也(かわまた しげや、1931年 - ) 構造家。東… 川股 重也(かわまた しげや、1931年 - ) 構造家。東北工業大学名誉教授。制振構造の先駆者的研究者。 山形県生まれ。旧制山形高校から、東北大学工学部建築学科に進学し、1955年 に2年休学を経て卒業。大学院進学。坪井善勝研究室所属。 1963年 東北大学大学院博士課程修了。1966年 東京大学生産技術研究所助教授。1976年 東北工業大学工学部建築学科教授。1988年科学技術庁長官賞受賞。1998年度日本建築学会東北支部功労者表彰。2002年 退任。2007年、山形工科短期大学校学校長就任(2011年まで)。 プレキャストコンクリート扁平梁及びその架設工法で特許登録。 著書に、シェル構造解析(コンピュータによる構造工学講座 / 日本鋼構造協会編、培風館 1974年)などがある。
鈴木 治夫(すずき はるお、1931年 ‐ )は、日本の数学… 鈴木 治夫(すずき はるお、1931年 ‐ )は、日本の数学者。理学博士(シカゴ大学)。専門は幾何学。北海道大学名誉教授。山形県出身。 この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
斎藤 正三郎(さいとう しょうざぶろう、1931年 - )は… 斎藤 正三郎(さいとう しょうざぶろう、1931年 - )は、秋田県出身で産総研東北センター顧問・元東北大学工学部教授。
林屋 礼二(はやしや れいじ、1930年12月16日 - 2… 林屋 礼二(はやしや れいじ、1930年12月16日 - 2018年1月6日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。東北大学名誉教授。日本学術会議会員。従四位瑞宝中綬章。 東京生まれ。1957年東北大学法学部卒業。 1960年同助手、学習院大学法学部助教授、1970年教授、1973年東北大学法学部教授、1994年定年退官、名誉教授。 2018年1月6日、心不全のため、仙台市青葉区の病院で死去、87歳。 叙従四位、瑞宝中綬章追贈。