印 泰植(イン・テシク、1902年12月17日 - 1975… 印 泰植(イン・テシク、1902年12月17日 - 1975年5月22日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の官僚、政治家。元財務部長官、第3・4・6代国会議員。本貫は喬桐印氏。 忠清南道唐津出身。京城第一高等普通学校(のちの京畿高等学校)を経て、1927年に山口高等学校文科乙類、1930年に東北帝国大学法文学部法科を卒業。朝鮮総督府の税務管理部門で勤務し、洪川税務署長、清州税務署長、江原道財務部間税課長を歴任。 第二次世界大戦終戦後、第一共和国にて江原道内務局長、財務部司税局長(1949年)、管財庁長(1953年)、財務部長官(1956年〜1957年)を歴任。自由党内では財務通として評価を受けた。
蓮池 公咲(はすいけ こうさく、1902年8月24日 - 1… 蓮池 公咲(はすいけ こうさく、1902年8月24日 - 1968年1月14日)は日本の政治家。秋田県知事を務めた。 新潟県中蒲原郡村松町にて蓮池幸太郎と母しん(川東村小山田出身の医師高橋良折長女)の長男として生まれる。旧制新潟高校(現・新潟大学)では陸上部主将を務めた。1928年に東北帝國大学(現・東北大学)法学部を卒業して農林省に入省、1946年に官選の秋田県知事に就任。引き続き、翌1947年の公選の県知事選挙に出馬して当選。同年に行われた昭和天皇の戦後巡幸では、天皇に拝謁して県政の奏上を行ったほか、県内を随行して回った。その後、知事を1期4年を務め、後継に池田徳治を指名して引退した。1950年から2年半にわたり東北興業(現・三菱マテリアル)の総裁を務め、いち早くセメント製造用のシャフトキルンを導入した。
六角 英通(ろっかく ひでみち、1902年(明治35年)5月… 六角 英通(ろっかく ひでみち、1902年(明治35年)5月19日 - 1987年(昭和62年)12月19日)は、昭和期の電気工学者、政治家、華族。貴族院子爵議員。工学博士。 京都市で子爵・六角玄通の長男として生まれる。1907年(明治40年)9月、父の死去に伴い家督を継承し、同年11月27日、子爵を襲爵した。 1924年(大正13年)学習院高等科を卒業し、1927年(昭和2年)東北帝国大学工学部電気学科を卒業。1930年(昭和5年)逓信省に入省し電気試験所技師に就任。東北大学講師、同教授などを経て、1963年(昭和38年)から1976年(昭和51年)まで相模工業大学(現湘南工科大学)学長を務めた。
松前 重義(まつまえ しげよし、1901年(明治34年)10… 松前 重義(まつまえ しげよし、1901年(明治34年)10月24日 - 1991年(平成3年)8月25日)は、日本の逓信官僚、政治家、工学者、教育者。学位は工学博士(東北帝国大学・1937年)。熊本県出身。東海大学創立者。内村鑑三を師とするクリスチャン。 戦前は逓信官僚として新体制運動に加わり大政翼賛会総務部長、戦後は逓信院総裁(逓信大臣・郵政大臣相当)、社会党右派の衆議院議員を務め、ソ連との友好親善に尽力した。静岡市名誉市民。 熊本県上益城郡嘉島町生まれ。合併前の大島村で村長を務めた松前集義が父である。祖父松前熊太郎、曾祖父松前叶は熊本藩士。小学5年生のとき熊本市に移った際、故郷の農村と違って夕方になると町中に一斉に電灯がともるのを見て美しさに驚き、これがのちに電気を専攻するきっかけとなった。
廿日出 厖(はつかで ひろし、1901年〈明治34年〉4月1… 廿日出 厖(はつかで ひろし、1901年〈明治34年〉4月15日 - 1947年〈昭和22年〉10月19日)は、日本の教育者、政治家。浜松学院興誠高校の創立者、衆議院議員。 1901年(明治34年)広島県呉市豊町大長出身。ミカン農家の五男に生まれる。長崎高等商業学校を卒業し、1929年(昭和4年)3月に東北帝国大学宗教哲学科を卒業する。 内務大臣望月圭介の秘書官を経て、遠江商業学校校長に就任する。しかし、学校の経営責任者と対立し生徒らと共に学校を去り新たに普済寺で授業を開始する。 1933年(昭和8年)11月、文部大臣から財団法人・興誠商業学校の設立指定を受ける。 1946年(昭和21年)4月に、戦後第1回の総選挙に諸派から静岡県全県区で衆議院議員に当選した。
只野 直三郎(ただの なおさぶろう、1900年〈明治33年〉… 只野 直三郎(ただの なおさぶろう、1900年〈明治33年〉10月2日 - 1984年〈昭和59年〉9月26日)は、日本の政治家、衆議院議員 (3期)。陸軍司政官。 宮城県大崎市出身。1932年(昭和7年)、東北帝国大学法文学部を卒業。東北中学の教諭や東北薬学専門学校の講師を経て、1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙に非推薦で立候補したが落選した。同年、陸軍司政官となった。他にも東北中学・商業学校校長代理や東北農学校長などの役職を務め、1946年(昭和21年)に日本人民党を結成して党首となった。同党は実質的に只野の個人政党であったが、1947年(昭和22年)第23回衆議院議員総選挙に宮城1区から立候補し初当選した。
金丸 徳重(金丸 德重、かなまる とくしげ、1900年8月2… 金丸 徳重(金丸 德重、かなまる とくしげ、1900年8月24日 - 1997年8月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期、日本社会党)。 山梨県出身。1928年東北帝国大学法文学部卒。逓信省に入り、満洲国に渡る。満洲国では交通部事務官、総務庁参事官を務め帰国した。その後熊本逓信局長、郵政省簡易保険局長を務める。1951年、山梨県知事天野久のもとで副知事に就任。1955年に副知事を辞職し、山梨県知事選挙に立候補したが、現職の天野に敗れた。1958年の第28回衆議院議員総選挙で山梨県から日本社会党公認で立候補して当選。1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選。落選中の1963年の山梨県知事選挙に再び立候補したが敗れた。
石川 準吉(いしかわ じゅんきち、1898年〈明治31年〉1… 石川 準吉(いしかわ じゅんきち、1898年〈明治31年〉11月24日 - 1990年〈平成2年〉7月12日)は、日本の農林官僚、政治家、弁護士。参議院議員。 秋田県で、石川為治の五男として生まれる。広島高等師範学校を卒業し、1922年(大正11年)、広島県福山師範学校教授に就任。1925年(大正14年)、高等試験司法科試験に合格し、1926年(大正15年)12月には同試験行政科試験に合格。1927年(昭和2年)、東北帝国大学法文学部法科を卒業し農林省に入省。産業組合事務官兼農林事務官、農林事務官兼水産講習所教授、大阪営林局庶務部長、東京営林局庶務部長、農林省水産局水産課長、同米穀局外地課長、大使館一等書記官、食糧管理局第一部長、地方総監府参事官、東北地方行政事務局次長、農林省総務局長などを歴任し、1946年(昭和21年)に退官。
西村 英一(にしむら えいいち、1897年〈明治30年〉8月… 西村 英一(にしむら えいいち、1897年〈明治30年〉8月28日 - 1987年〈昭和62年〉9月15日)は、日本の政治家。位階は従二位。姫島村名誉村民。七日会初代会長。 衆議院議員を11期務め、閣僚として厚生大臣、建設大臣などを歴任。また党職として自由民主党副総裁を務めた。「おじいちゃん」の愛称で知られ、佐藤栄作、田中角栄両元首相に対するご意見番的存在であった。 大分県東国東郡姫島村出身。大分中学、七高を経て、1924年に東北帝国大学工学部電気工学科を卒業後、鉄道省に入省。省内で佐藤栄作と知り合った。その後、運輸通信省を経て運輸省鉄道総局電気局長で退官。 1949年、第24回衆議院議員総選挙に吉田茂率いる民主自由党公認で立候補し初当選(当選同期に池田勇人・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
藤本 捨助(ふじもと すてすけ、1894年〈明治27年〉12… 藤本 捨助(ふじもと すてすけ、1894年〈明治27年〉12月12日 - 1963年〈昭和38年〉9月11日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員を5期つとめた。 1894年(明治27年)12月香川県大川郡引田町(現東かがわ市)生まれ。1917年(大正6年)香川師範学校卒業、1922年(大正11年)東京高等師範学校卒業、1928年(昭和3年)東北帝国大学法学部卒業後、高松高等商業学校教授。 1936年(昭和11年)に第19回衆議院議員総選挙に立候補するが落選。1937年(昭和12年)第20回衆議院議員総選挙で香川1区から初当選、1942年(昭和17年)に第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)で再選を果たす(翼賛政治体制協議会推薦)。
成島 勇(なるしま いさむ、1891年 (明治24年)5月2… 成島 勇(なるしま いさむ、1891年 (明治24年)5月25日 - 1956年(昭和31年)2月11日)は、日本の農家、政治家。衆議院議員。 千葉県出身。成島巍一郎の三男として生まれ、成島あゑの養子となる。1915年、東北帝国大学農学科を卒業。台湾製糖会社に入社し、その後、帰郷して農業を営む。 富勢村会議員、千葉県会議員、富勢村長、郡農会議員、県販購利用組合特別議員などを務めた。1937年4月の第20回衆議院議員総選挙で立憲民政党所属で千葉県第一区から出馬して当選。その後、第22回総選挙まで連続3回の当選を果たした。1947年に公職追放となり、同年の総選挙には妻の憲子が身代わり立候補した。 その他、農地開発営団設立委員、農林省委員、農商務省委員、日本進歩党民情部長、同政務調査会長、同総務委員会副会長、朝日乳業 (株) 取締役などを歴任した。
海野 三朗(うんの さぶろう、1889年(明治22年)9月2… 海野 三朗(うんの さぶろう、1889年(明治22年)9月21日 - 1961年(昭和36年)1月14日)は、大正・昭和期の冶金学者、僧侶、政治家。衆議院議員、参議院議員、理学博士。 山形県山形市で、浄土真宗本願寺派・明善寺住職、海野覚英の三男として生まれる。1916年(大正5年)東北帝国大学理科大学物理学科を卒業した。 山形県立米沢中学校(現山形県立米沢興譲館高等学校)教諭に就任。1919年(大正8年)農商務省に入省し、製鐵所技手、同技師を歴任。その後、八幡製鉄所研究所員、日本製鐵理事、同研究所調査部長、技術院事務嘱託などを務めた。1935年(昭和10年)鉄炭素の研究で日本学士院賞を受賞した。
八代 五郎造(やしろ ごろうぞう / ごろぞう、1887年(… 八代 五郎造(やしろ ごろうぞう / ごろぞう、1887年(明治20年)11月17日 - 1949年(昭和24年)8月8日)は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。旧姓・石垣。 愛知県で石垣安次郎の五男として生まれ、海軍士官・八代六郎の養子となる。養父の死去に伴い、1930年8月1日、男爵を襲爵した。 1920年(大正9年)7月、東北帝国大学理学部を卒業。1912年(大正元年)海軍技手に就任。その後、東電電球取締役、東光電気重役、東西電球重役などを務めた。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した。
安孫子 孝次(あびこ こうじ / たかつぐ、1882年(明治… 安孫子 孝次(あびこ こうじ / たかつぐ、1882年(明治15年)12月16日 - 1973年(昭和48年)3月26日)は、日本の農学者、教育者、政治家。衆議院議員、北海道札幌郡琴似町長。 北海道札幌郡琴似村屯田兵村(現札幌市西区琴似)で旧会津藩士・屯田兵、安孫子倫彦の長男として生まれる。農作業の経験から、寒冷地農業の確立の志を持つようになる。北海道庁立札幌中学校を経て札幌農学校に入学。同校が改称した東北帝国大学農学部を1908年に卒業した。 卒業後、北海道庁地方農事試験場技手として採用され、北見分場長に就任。1910年、北海道庁技師・北海道農事試験場渡島支場長に就任。1927年、北海道農事試験場長となる。
澤柳 政太郎(さわやなぎ まさたろう、1865年5月17日(… 澤柳 政太郎(さわやなぎ まさたろう、1865年5月17日(慶応元年4月23日) - 1927年(昭和2年)12月24日)は、近代日本の文部官僚、教育者、貴族院勅選議員。大正自由主義教育運動の中で中心的な役割を果たす。子の一人に、美術史学者となった澤柳大五郎がいる。
岡本 章子 は、日本の政治家。本名は山下章子。
水野 清 は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等旭日大… 水野 清 は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等旭日大綬章。在東京マケドニア共和国名誉総領事。