岸田 護(きしだ まもる、1981年5月10日 - )は、大… 岸田 護(きしだ まもる、1981年5月10日 - )は、大阪府吹田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在はオリックス・バファローズに所属。
東北福祉大学:130人
岸田 護(きしだ まもる、1981年5月10日 - )は、大… 岸田 護(きしだ まもる、1981年5月10日 - )は、大阪府吹田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在はオリックス・バファローズに所属。
中村 公治(なかむら こうじ、1981年5月6日 - )は、… 中村 公治(なかむら こうじ、1981年5月6日 - )は、兵庫県明石市出身の元プロ野球選手(外野手)。
岩田 寛(いわた ひろし、1981年1月31日 ‐ )は、宮… 岩田 寛(いわた ひろし、1981年1月31日 ‐ )は、宮城県仙台市泉区出身のプロゴルファー。 かつて日本アマチュアマッチプレー選手権の優勝者で、現シニアツアーの認定プロでもあるゴルフ練習場を経営する父親の影響を受け、14歳からゴルフを始める。 同じ練習場に通っていた星野英正の影響を受け、後に仙台育英学園高等学校と東北福祉大学に進学し卒業する。その後2004年からプロに転向する。東北福祉大学時代の同期には宮里優作、二年先輩には谷原秀人、三年先輩に前述の星野英正がいる。 2006年に初シード獲得。プロ11年目の2014年にフジサンケイクラシックでプロ初優勝。11月に上海で開催されたHSBCチャンピオンズでは3位タイの大健闘を見せた。
吉田 あい(よしだ あい、1980年12月20日 - )は、… 吉田 あい(よしだ あい、1980年12月20日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 福岡県築上郡上毛町出身。母親の影響で小学3年よりバレーボールを始める。 東九州龍谷高校を経て東北福祉大学を卒業後、石川島播磨重工業に入社。2004年2月にチームが廃部となり、久光製薬スプリングスに移籍。久光では1年目からレギュラーを獲得し、2004-05年第11回Vリーグでサーブレシーブ賞、翌第12回Vリーグではベストリベロ賞を獲得した。 2008年6月、久光退団。同年7月、日立佐和リヴァーレに入部。2011年5月、現役引退。 Vリーグ及びVプレミアリーグのレギュラーラウンドにおける個人成績は下記の通り。
伊東 幸子(いとう さちこ、1980年10月25日 - )は… 伊東 幸子(いとう さちこ、1980年10月25日 - )は、青森放送(RAB)のアナウンサー。身長160cm。血液型はB型。 愛称は さっちゃん、さっちん、いとっち、さつこ、おさちねえさん、さちこるん など。同期入社の筋野裕子と組んだ「ダブルS」というユニットがある。 福島県福島市の出身で、東北福祉大学に進学。大学の先輩に矢野燿大と金本知憲がいた縁で、選手や監督として在籍していた阪神タイガースのファンであることを公言している。 大学卒業後の2003年4月1日付でアナウンサーとしてRABに入社してからは、『良平のラジオにおいでよ!!』のパートナーやニュース番組のキャスターなどを務めている。2006年には、第27回NNSアナウンス大賞のラジオ部門特別新人賞を受賞した。
木谷 寿巳(きたに ひさし、1980年10月15日 - )は… 木谷 寿巳(きたに ひさし、1980年10月15日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。
宮里 優作(みやざと ゆうさく、 1980年6月19日 - … 宮里 優作(みやざと ゆうさく、 1980年6月19日 - )は、沖縄県国頭郡東村出身のプロゴルファーである。東北福祉大学卒業。富士フイルム所属を経て2017年現在はフリー。血液型はA型。趣味は映画鑑賞とスポーツ観戦。 レッスンプロである宮里優の次男で、兄の宮里聖志、妹の宮里藍(同じ誕生日)もプロゴルファーという、ゴルフ一家である。同じ沖縄県出身のプロゴルファーの宮里美香とは縁戚関係はない。父の教えの下3歳からゴルフを始め、アマチュアゴルフ界の数々のビッグタイトルを獲得する。大阪桐蔭高校同級生に福井強・水田圭介。東北福祉大学在学中には主催者推薦枠などでプロツアーにも参加し、三井住友VISA太平洋マスターズやアジア・ジャパン沖縄オープンゴルフトーナメントの2位タイなど活躍する。
橋本 健太郎(はしもと けんたろう、1980年4月28日 -… 橋本 健太郎(はしもと けんたろう、1980年4月28日 - )は、京都府綴喜郡田辺町(現在の京田辺市)出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、阪神タイガースの打撃投手。
大須賀 允(おおすが まこと、1980年3月8日 - )は、… 大須賀 允(おおすが まこと、1980年3月8日 - )は、栃木県足利市出身の元プロ野球選手(内野手)。 足利市立小俣小学校で野球を始め、足利市大会で優勝。足利市立小俣小学校では県大会に出場した。群馬県立前橋工業高等学校に進学後は2年夏と3年夏に甲子園に出場してともにベスト4。3年夏は準々決勝で三上真司、東出輝裕を擁する敦賀気比高等学校に延長10回サヨナラで勝利。準決勝で川口知哉の平安高等学校に敗退。甲子園通算31打数9安打.290を記録。 在学中は大型内野手として高校通算20本塁打を記録。また高校日本選抜にも選ばれるなど、ドラフト指名も噂されたが東北福祉大学に進学することとなった。 同大学では1年春からレギュラーとして活躍し、その年には日米大学野球代表にも選出された。
山路 哲生(やまじ てつお、1979年10月12日 - )は… 山路 哲生(やまじ てつお、1979年10月12日 - )は、プロ野球審判員。
谷口 拓也(たにぐち たくや、1979年9月17日 - )は… 谷口 拓也(たにぐち たくや、1979年9月17日 - )は、日本のプロゴルファー。徳島県出身。 東北福祉大学在学時の2000年・2001年に「四国アマチュア選手権」を連覇、また2001年の「日本学生ゴルフ選手権」で2位となり、2002年にプロに転向した。 2004年の「アイフルカップゴルフトーナメント」で初優勝、同年の2004年度ジャパンゴルフツアー表彰式で最優秀新人賞を獲得した。2006年の成績は賞金ランク30位。 2008年にはサン・クロレラクラシックでツアー2勝目を挙げる。2017年には大学の先輩である谷原秀人の全米オープンや全英オープンなどの挑戦をキャディとして支えた。 谷口の父親がさだまさしの知人である関係でさだ企画に所属していた(2018年の時点ではフリー)ため「2007年新春生放送 年の初めはさだまさし」「2009年新春生放送 年の初めはさだまさし」(NHK総合)のゴルフコント「多滝鱒造の人生レッスン」に出演した。
石原 慶幸(いしはら よしゆき、1979年9月7日 - )は… 石原 慶幸(いしはら よしゆき、1979年9月7日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(捕手)。岐阜県安八郡墨俣町(現・大垣市)出身。2010年からカープの選手会長に就任した。
洗平 竜也(あらいだい たつや、1979年1月9日 - )は… 洗平 竜也(あらいだい たつや、1979年1月9日 - )は、青森県上北郡六戸町出身の元プロ野球選手(投手)。 実家は米とニンニクを栽培する農家で、六戸町立六戸小学校3年生から野球を始める。中学生時代までは軟式野球でのプレーを経験していたが、光星学院高校(現在の八戸学院光星高校)への進学を機に硬式野球部へ入ると、1年時の1994年夏からエースとして活躍。3年間でストレートの球速を20 km/h上げた末に、サイドスローから最速142 km/hのストレートを投げ込む速球派の左投手として、NPB球団のスカウトから注目されるまでに成長した。もっとも、夏の県大会では3年生だった1996年まで3年連続で決勝戦で敗れるなど、在学中は春夏とも甲子園球場の全国大会と無縁であり、「悲運のサウスポー」とも呼ばれた。
中村 中(なかむら あたる、1978年〈昭和53年〉12月2… 中村 中(なかむら あたる、1978年〈昭和53年〉12月27日 - )は、日本の政治家。島根県江津市長(1期)。 島根県江津市波子町出身。島根県立浜田高等学校、東北福祉大学卒業。 父が浜田市議であったことから政治を志し、介護施設の職員を経て2003年から18年間、竹下亘衆議院議員の私設秘書・公設秘書を務め、竹下の死後は高見康裕衆議院議員の公設秘書を務めた。 2022年5月29日投開票の江津市長選挙に山下修現市政の継承を訴えて立候補し、自由民主党と公明党の推薦を受けた中村が連合島根の推薦を受ける元県議の山本誉を1,118票差で振り切り、初当選した。
谷原 秀人(たにはら ひでと、1978年11月16日 - )… 谷原 秀人(たにはら ひでと、1978年11月16日 - )は、広島県尾道市出身のプロゴルファー。これまでに日本ゴルフツアーで通算18勝(うちメジャー3勝、2023年6月25日現在)。178 cm、77 kg。妻は元ココナッツ娘。のメンバーで、女優の長手絢香。国際スポーツ振興協会所属。マネジメントはエイベックス・スポーツ。 12歳からゴルフを始める。渡米前の今田竜二と同じゴルフ練習場で打ち込んだ。田中秀道、山本圭一らは、瀬戸内高等学校ゴルフ部の先輩にあたる。その後東北福祉大学に進学し、1年生からレギュラーとなり中国アマゴルフ三連覇。また1998年バンコクアジア大会では団体金メダル獲得に貢献した。
細川進(ほそかわ すすむ、1978年10月18日 - )は、… 細川進(ほそかわ すすむ、1978年10月18日 - )は、日本の元ラグビー選手。 1997年、盛岡工業高校卒業後、東北福祉大学に入る。なお盛岡工業高校時代、花園へ3度出場している。 2001年、東北福祉大学卒業後、釜石シーウェイブスに加入。9シーズンプレーした。 2010年、釜石シーウェイブスのアシスタントコーチに就任し、イーハトーブリーグの紫波オックスに加入した。 2016年、釜石シーウェイブスのコーチを退任した。
髙橋 信二(たかはし しんじ、1978年8月7日 - )は、… 髙橋 信二(たかはし しんじ、1978年8月7日 - )は、岡山県津山市出身の元プロ野球選手(捕手・内野手、右投右打)、コーチ。 高校は地元の岡山県立津山工業高校に進学するも、甲子園大会出場は無く全くの無名選手であった。そのため、東北福祉大学に進学する予定であったが、1996年11月21日に行われたドラフト会議で、日本ハムファイターズから7位指名を受け、捕手として入団した。背番号は62。 1997年から1999年までの3年間は一軍出場機会がなかった。2年目の1998年には、ニューヨーク・ヤンキースの傘下チームに留学し、トレイ・ヒルマンから指導を受けた。 2000年に最終戦でプロ初出場し、初打席で初安打(二塁打)と初打点を記録した。
歌藤 達夫(かとう たつお、1978年6月15日 - )は、… 歌藤 達夫(かとう たつお、1978年6月15日 - )は、奈良県奈良市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 奈良市立飛鳥中学ではボーイズリーグの奈良イーグルスに所属し、正強高校(3年時に奈良大付高に校名変更)に進学。在学中は3年間連続で夏の奈良大会でベスト4に進出。3年の夏の大会には本格派エースとして臨み、右ひざの故障などもあって準決勝で天理高校に5対6で敗れている。高校卒業後は東北福祉大に進み、同期に吉見祐治と洗平竜也がいた。大学では主に中継ぎや抑えを務め、4年の時には大学選手権で準優勝しているが在学中は全国大会で登板なし。 ちなみに、在学中の3学年先輩に鈴木郁洋、1学年先輩に奈良将史、1学年後輩に石原慶幸、2学年後輩に木谷寿巳・橋本健太郎、3学年後輩に岸田護・中村公治などがいる。
吉見 祐治(よしみ ゆうじ、1978年5月21日 - )は、… 吉見 祐治(よしみ ゆうじ、1978年5月21日 - )は、高知県生まれ、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は横浜DeNAベイスターズのスカウト。 和歌山県立星林高等学校では3年夏にエース・濱中治の南部高に準々決勝で敗れる。東北福祉大学に進学。大学の同期には洗平竜也と歌藤達夫がおり、4年時投手としての位置付けは吉見がエース、洗平が二番手、歌藤は三番手以降だった。2年秋には明治神宮大会の決勝で先発を任されるが敗れた。3年秋には宮城教育大戦で5回コールド参考記録ながらノーヒットノーランを達成、7連続奪三振。仙台地区の選抜チームによるキューバ戦でも5回無失点の好投。2000年に春のリーグ戦では毎回の17奪三振を記録した他、5試合登板のすべて先発完封のシーズン無失点で最優秀選手、ベストナインを受賞し第49回全日本大学野球選手権大会で準優勝、日米大学野球、シドニーオリンピック野球日本代表に選出。
星野 英正(ほしの ひでまさ、1977年9月19日 - )は… 星野 英正(ほしの ひでまさ、1977年9月19日 - )は、宮城県出身のプロゴルファー。東北福祉大学卒業、所属:フリー。 血液型はB型、趣味は手品、ビリヤード。 学生アマチュアゴルファーとして大小合わせて52のタイトルを獲得。2000年4月20日にキリンオープンでプロデビュー。 この項目は、ゴルフに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト ゴルフ)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
伊藤 誠吾(いとう せいご、1977年7月17日 - )は、… 伊藤 誠吾(いとう せいご、1977年7月17日 - )は、日本の芸術家、アーティスト。 秋田県潟上市(出生時:南秋田郡飯田川町)出身。秋田県立秋田南高等学校・東北福祉大学卒業。 映像作品や音楽、絵画など秋田県を拠点に作品を作り続けている。家庭用のハンディーカメラやダンボール、新聞紙、クレヨンなど日常にありふれた機材を作品制作に使い、組織や家庭、仕事などを取り払った、個人本来の姿を映しだそうとする作品が多い。2001年、ニューヨークでポーランド人、ブルキナファソ人とで「アバンギャルド撲滅プロジェクト」を立上げ、映画『ティファニーで朝食を』で有名なニューヨークの5番街を全身白塗りで歩き、グッチやシャネルのアクセサリーを試着したり、街の中に設けた檻の中で3日間過ごしたり、花束を持ちタキシードを着て、ブッシュ大統領に会うためホワイトハウスのインターホンを押すパフォーマンスなど行なう。
江花 正直(えばな まさなお、1977年6月12日 - )は… 江花 正直(えばな まさなお、1977年6月12日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するブルペン捕手。宮城県出身。 仙台市立仙台高等学校から東北福祉大学社会福祉学部を経て、2000年にヤクルトにブルペン捕手として入団した。 高校では、太田敦士(元オリックス)とバッテリーを組む。東北福祉大学時代の同期に、奈良将史(元近鉄投手)、1年下に吉見祐治らがいる。 2017年の第4回WBCでは日本代表のチームスタッフとしてヤクルトから派遣された。 名前の正直(まさなお)が「しょうじき」と読めることから、同チームマスコットキャラクターのつば九郎からは「しょうじきにぃさん」と呼ばれている。
奈良 将史(なら まさし、1977年5月17日 - )は、兵… 奈良 将史(なら まさし、1977年5月17日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(投手)。
伊藤 高史(いとう たかし、1976年11月21日 - )は… 伊藤 高史(いとう たかし、1976年11月21日 - )は、日本の俳優、タレント、劇作家。朋友(パンヤオ)メンバー。 青森県弘前市生まれ、誕生してすぐ父(後述)の出身地である大阪府に移住したのち、小学生時代から宮城県仙台市で育った。劇団ジンギスファーム、劇団東京セレソンデラックスを経て、劇団ウルトラマンション主宰。所属事務所は気風 MORADO事業部。身長184 cm。父は佐々木主浩ら多くのプロ野球選手を育てたことで知られた東北福祉大学硬式野球部元監督で、東北福祉大学総合福祉学部助教授を務めた伊藤義博。 高校時代に地元ローカルでのモデルやリポーターとして活動した後に上京、融合事務所の新人育成機関「融合FARM」のメンバーにより1998年8月に結成された劇団ジンギスファーム に参加し、2004年秋の解散まで舞台を中心に活動する。
和田 正義(わだ ただよし、1976年11月12日 - )は… 和田 正義(わだ ただよし、1976年11月12日 - )は、山形県出身の男子プロゴルファー。女子プロゴルファーの和田委世子は妹。 2003年にプロテストに合格。 ツアーでは結果が出せず、2006年からドラコンに転向しLDA世界ドラコン選手権日本大会でいきなり優勝。ポテンシャルの高さを証明した。同年、ラスベガスで行われた世界大会に日本代表として臨んだが、予選敗退。
松 修康(まつ のぶやす、1976年7月23日 - )は、神… 松 修康(まつ のぶやす、1976年7月23日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)。 宇都宮学園高校(現:文星芸術大学附属高校)から東北福祉大学へ進み、4年時は大学選手権ベスト8、秋はリーグ戦最優秀選手、ベストナインで明治神宮大会では準決勝で矢野英司(法大)と投げ合って完投勝利すると準優勝。リーグ通算13勝。 1998年のドラフト2位(逆指名)で福岡ダイエーホークスに入団。 3年目となる2001年に背番号を18から、斉藤貢がチームを退団(日本ハムファイターズに移籍)したことで空き番となった12に変更した。これは、ダイエーで18を背負った選手がいずれもトレードに出されたという事実があったこと、および入団当初に松の弱点であったメンタル面について相談に乗ってくれた斉藤の背番号を受け継ぎたいとの希望で変更されたと言われている[要出典]。
柴田 博之(しばた ひろゆき、1976年7月8日 - )は、… 柴田 博之(しばた ひろゆき、1976年7月8日 - )は、滋賀県栗東市出身の元プロ野球選手(外野手)。 小学2年の時に野球を始める。滋賀県立栗東高等学校では3年春県大会優勝、夏はベスト4。東北福祉大学では4年春に首位打者、盗塁王、最優秀選手となり大学選手権ベスト8、また秋の明治神宮大会では準優勝。3年秋から3季連続ベストナイン。1998年のドラフト4位で西武ライオンズに入団。 1年目の1999年は、中堅手として5試合の先発出場を含む26試合に出場し、3盗塁を記録した。2001年は113試合に出場してレギュラーに定着。規定打席到達には惜しくも13打席足りなかったものの、20盗塁・リーグ最多の三塁打8本を記録した。
西内 洋行(にしうち ひろゆき、1975年10月13日 - … 西内 洋行(にしうち ひろゆき、1975年10月13日 - )は、福島県南相馬市出身の西京味噌所属のトライアスロン選手。東北福祉大学出身。2004年まではトライアスロンチーム・チームテイケイに所属していたが活動拠点を地元に移すため退社した。 日本トライアスロン連合強化指定C選手。妻はアテネオリンピックトライアスロン補欠の西内真紀(旧姓・下村)。
鈴木 郁洋(すずき ふみひろ、1975年5月23日 - )は… 鈴木 郁洋(すずき ふみひろ、1975年5月23日 - )は、福島県西白河郡西郷村出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。 仙台育英高校時代は、1992年の第64回選抜高等学校野球大会では遊撃手として、第74回全国高等学校野球選手権大会は捕手でそれぞれ出場。卒業後は東北福祉大学へ進学し、4年時は主将で春秋ベストナイン捕手。大学選手権ベスト8、持ち味の俊足を活かして4年秋は盗塁王も獲得している。1年上の捕手に小野公誠がいた、また中日でも先輩となる門倉健、山田貴志の球を受けていた。山岡洋之(オリックス打撃投手として同僚)とは同期でバッテリーを組んだ。1997年度ドラフト会議にて中日ドラゴンズから4位指名を受けて入団。
山岡 洋之(やまおか ひろゆき、1975年4月23日 - … 山岡 洋之(やまおか ひろゆき、1975年4月23日 - )は、兵庫県伊丹市出身の元プロ野球選手(投手)。 伊丹北高では3年夏の全国高等学校野球選手権兵庫大会で27回連続無失点を記録。その後進学した東北福祉大学では2年先輩に門倉健、1年上には山田貴志らがおり、上級生になって台頭すると仙台六大学リーグで4年春は3勝、秋に4勝してリーグ最優秀選手を受賞するなど通算10勝0敗の成績を残した。4年時は同期の鈴木郁洋とバッテリーを組んで春秋ベストナイン。1997年のドラフト会議で阪神タイガースから5位指名を受け入団。 スライダーとシュートとサークルチェンジを武器に、1年目の1998年は21試合に登板した。
藤本 幹朗(ふじもと みきお、1974年10月4日 - )は… 藤本 幹朗(ふじもと みきお、1974年10月4日 - )は、日本のバレーボール指導者。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立神戸高塚高、東北福祉大学を経る。 三洋電機レッドソアの監督を務め、2006/07V・チャレンジリーグ優勝に導く。2008年に退任。同年、上尾メディックスのコーチに就任。2012年6月に同チームから柏エンゼルクロスに移籍し、監督に就任。 2013年7月、コーチとしてV・プレミアリーグのトヨタ車体クインシーズに移籍。2016年に退団。 2018年、9人制のパイオニアレッドソニックスで監督を務めた。 2020年からは、同じく9人制のデンソーテンレッドフェニックスのコーチを務め、2023年に監督に就任した。
七海 智哉(ななみ ともや、1974年9月3日 - )は、日… 七海 智哉(ななみ ともや、1974年9月3日 - )は、日本の俳優。アンソニープロモーション所属。 群馬県前橋市出身。前橋商業高等学校、東北福祉大学卒業。身長177cm、体重64kg。 大学卒業後、雑誌等のモデルを経て、俳優業を始める。 趣味は夕日撮影、映画鑑賞。特技はサッカー、水泳などで、サッカーは小学校から大学まで一貫して県選抜、全国大会へ出場するほどの実力の持ち主である。 (2007年) − 刑事 北島憲明 役 大江戸ミュージカル CHANGE THE FUTURE《未来を変えろ》(2023年11月25日(土)~12月3日(日) @明治座)
村上 鉄也(むらかみ てつや、1974年7月23日 - )は… 村上 鉄也(むらかみ てつや、1974年7月23日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、東北楽天ゴールデンイーグルスのチーム統括本部 2軍マネージャー。 小学校4年から野球を始める。能代高時代は、3年時に第74回全国高等学校野球選手権大会に出場、エースではないが1試合登板している。 東北福祉大では、1年上に門倉健、同期に山田貴志、1年下に山岡洋之らがいて、肩や肘などの故障に悩まされ登板機会はあまりなかったが、潜在能力を評価され1996年のドラフト6位で福岡ダイエーホークスの指名を受け入団した。 しかし、プロ入り後も故障に苦しみ、二軍でも登板数は少なく、1999年に現役を引退。同じ年にダイエーから指名を受けた選手の中では唯一一軍出場がなかった。
小野 公誠(おの こうせい、1974年7月11日 - )は、… 小野 公誠(おの こうせい、1974年7月11日 - )は、東京都東大和市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ。 聖望学園高校では、2年夏に1年上のエース門倉健を擁して一塁手で県大会準優勝。 高校通算28本塁打。また、改装後の県営大宮球場初の本塁打を放っている。 門倉と同じく東北福祉大学に進み、バッテリーを組むと3年時には大学選手権準優勝。4年時には正捕手として春季リーグ最優秀選手で大学選手権では延長サヨナラ本塁打の活躍でベスト4、明治神宮大会準優勝して日米大学野球では4番を打った。3年時も春季リーグ戦最優秀選手、3・4年春の首位打者。ベストナイン3年春:三塁手、3年秋~4年秋:捕手。
山田 貴志(やまだ たかし、1974年5月11日 - )は、… 山田 貴志(やまだ たかし、1974年5月11日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手)。
門倉 健(かどくら けん、1973年7月29日 - )は、埼… 門倉 健(かどくら けん、1973年7月29日 - )は、埼玉県入間市出身の元プロ野球選手(投手)・元コーチ、野球解説者。愛称は「カド」「アゴクラ」。 入間市立藤沢東小学校・入間市立藤沢中学校出身。中学3年生の時点で身長190 cmに達していたが、中学時代は無名の選手だった。子供のころは原辰徳のファンだった。 高校は県内の聖望学園高校に進学し、野球部のエースとして頭角を表す。城石憲之が主将の春日部共栄高校に対して相性が悪く、高校3年生時の1991年には春季県大会、春季関東大会、夏の県大会のいずれも、決勝戦で対戦すると夏は城石にも本塁打を打たれるなど春日部共栄高に敗れ、甲子園出場はなかった。特に1991年の夏にはエースとして県大会準決勝で延長13回を完投するなどチームを埼玉大会の決勝戦まで導いたが、惜しくも甲子園出場はならなかった。
和田 一浩(わだ かずひろ、1972年6月19日 - )は、… 和田 一浩(わだ かずひろ、1972年6月19日 - )は、元プロ野球選手。野球解説者。タレント。
関根 裕之(せきね ひろゆき、1971年12月9日 - )は… 関根 裕之(せきね ひろゆき、1971年12月9日 - )は、千葉県松戸市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。2010年から2011年までは北海道日本ハムファイターズの二軍投手コーチ、2012年からはチームスタッフ(プロスカウト)を務める。 小学2年の時に野球を始め、当時は内野手だった。中学時代に投手へ転向した。岩倉高校では3年次の1989年夏の都大会決勝でエース吉岡雄二擁して全国制覇した帝京高校に敗れ準優勝。1990年、東北福祉大学に進学。同大学では2年上に斎藤隆、金本知憲らがいた。2年生になると同期三野勝大より先に頭角を現し、上級生になると日米大学野球にも出場。大学では1年下の和田一浩とバッテリーを組んだ。
野島 正弘(のじま まさひろ、1971年8月13日 - )は… 野島 正弘(のじま まさひろ、1971年8月13日 - )は、日本の社会人野球選手(内野手)。 埼玉県立川越工業高等学校3年夏の県大会ベスト8となり、その後東北福祉大学に進学。2年次の1991年には全日本大学野球選手権大会で優勝した。2学年上の浜名千広の後を受けて遊撃手に定着すると4季連続ベストナイン、4年秋に最優秀選手。 大学の同期に関根裕之、三野勝大、荒木準也がいる。 大学卒業後の1994年に日本石油に入社。1年目からレギュラーの座をつかみ、第50回東京スポニチ大会では新人賞と優秀選手賞を獲得、翌1995年には日本石油の第66回都市対抗野球大会制覇に大きく貢献、同年の社会人ベストナインに選出された。
堤 尚彦(つつみ なおひこ、1971年7月26日 - )は、… 堤 尚彦(つつみ なおひこ、1971年7月26日 - )は、日本の元アマチュア野球選手、野球指導者。 兵庫県加東市出身。小学校4年次に東京へ転居し世田谷リトルリーグで野球を始める。中学校へ進学すると一転してハンドボール部へ入るという生活を送った。 だが、野球への思いも断ち難く進路に迷っている時に佐藤道輔(当時=東京都立東大和高等学校野球部監督)の著書『甲子園の心を求めて 高校野球の汗と涙とともに』を読んで大いなる感銘を受けたことがきっかけで「都立高校で野球をしよう」と思い立ち、東京都立千歳高等学校(現:東京都立芦花高等学校)へ進学する。 高等学校卒業後は一年浪人して東北地区の大学野球の名門たる東北福祉大学へ入学し、内野手にコンバートされる。
佐藤 仁徳(さとう じんとく、1971年7月25日 - )は… 佐藤 仁徳(さとう じんとく、1971年7月25日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は字は同じだが、読みは「まさのり」。宮城県宮城郡七ヶ浜町出身。日本ウェルター級王座10度の防衛に成功した。七ヶ浜町立七ヶ浜中学校、仙台育英学園高等学校、東北福祉大学卒。
三野 勝大(みの かつひろ、1971年7月6日 - )は、香… 三野 勝大(みの かつひろ、1971年7月6日 - )は、香川県坂出市出身の元プロ野球選手(投手)。
荒木 準也(あらき じゅんや、1971年 - )は、山形県寒… 荒木 準也(あらき じゅんや、1971年 - )は、山形県寒河江市出身の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。 日大山形高校では高校2年生の時に1988年の夏の甲子園に出場した経験がある。高校卒業後に東北福祉大学に進学して硬式野球部に所属し、1993年の全日本大学野球選手権大会では同じ4年の関根裕之、三野勝大投手を擁してチームはベスト4まで進んだ。 大学卒業後は、社会人野球のプリンスホテルに入団し、東京スポニチ大会で新人賞。1995年の「'95ワールド・ベースボール・ウィーク・イン・ジャパン」の全日本メンバーにも選ばれた。1年先輩の宮本慎也や小林幹英、星野智樹らとプレー。 2000年にチームが解散したのを機に、故郷に戻り、家業の鋼材リサイクル会社で勤務していたが、2002年からは母校の日大山形高校の監督を務めており、2013年の夏の甲子園ではチームを県勢初のベスト4に導いた。
大坂 ともお(おおさか ともお、1970年6月19日 - )… 大坂 ともお(おおさか ともお、1970年6月19日 - )は、宮城県仙台市を中心に活動するスポーツDJ 宮城県仙台市出身。宮城県仙台西高等学校卒業、東北福祉大学社会教育学科卒業。Jellyfish office(個人事務所)代表。タレント活動のほか、1998年よりサッカーJリーグ・ベガルタ仙台のホームゲームでスタジアムDJを担当していた。また、仙台スタジアム(ユアテックスタジアム仙台)で行われる天皇杯の試合でもスタジアムDJを担当した。2002 FIFAワールドカップの宮城スタジアムでの試合でもスタジアムDJを担当した。Fリーグのヴォスクオーレ仙台でもアリーナDJを担当している(ホームゲームの日程が重なったときはベガルタ仙台を優先)ロックイベント「俺流」主催。
仲井 宗基(なかい むねもと、1970年5月3日 - )は、… 仲井 宗基(なかい むねもと、1970年5月3日 - )は、大阪府大阪市出身の日本の高校野球指導者及び社会科教諭。 高校時代は、大阪府の桜宮高校で主将として活躍し、3年夏の大阪府大会では準優勝の成績を修める。 高校卒業後は、東北福祉大学に進学。大学では副主将として活躍し、2年次は全日本大学野球選手権大会で優勝を経験。 高校、大学を通じての2学年先輩に同じ捕手の矢野燿大、1学年先輩に斎藤隆、金本知憲らが、1学年後輩に荒木準也(日大山形高監督)がいた。 大学卒業後は、野球部コーチを経て青森県の光星学院高校に社会科教諭として着任し、野球部のコーチや部長を経て、2010年3月30日に監督・金沢成奉が退任し4月1日付で監督に就任することが発表された。
岩井 隆(いわい たかし、1970年1月29日 - )は、日… 岩井 隆(いわい たかし、1970年1月29日 - )は、日本の高校野球指導者。花咲徳栄高等学校社会科教諭、硬式野球部監督。 川口市立幸並中学校から神奈川県の桐光学園高等学校に進学。高校時代の恩師は後に花咲徳栄高等学校の監督に就任する稲垣人司だった。 高校卒業後、東北福祉大学に進学。野球部の同級生には斎藤隆、金本知憲、2学年先輩には佐々木主浩がいた。 大学卒業後は1992年から花咲徳栄高校に社会科教諭として赴任。野球部のコーチも兼ねる。(1989年から稲垣が同校の野球部監督を務めていた)師匠の稲垣と共に野球部の指導に尽力した。しかし稲垣が2000年10月15日に同校グラウンドで横浜隼人高等学校との練習試合中にベンチで倒れ心筋梗塞のため急逝。
浜名 千広(はまな ちひろ、1969年11月11日 - )は… 浜名 千広(はまな ちひろ、1969年11月11日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は野球評論家、プロ野球解説者、アマチュア野球選手。 鳥取県に生まれ、大阪府豊中市(小学校時代)及び京都府(中学校時代)で育つ。小学校3年時から野球を始める。国士舘高校では内野手として活躍。 高校卒業後は東北福祉大学に進学し、仙台六大学野球リーグでは在学中7回の優勝を経験、2年春季リーグで新人賞を獲得している。1990年の大学野球日本選手権は決勝で亜大に敗退し準優勝。同年の第19回日米大学野球選手権大会に大学1年上の小坂勝仁、矢野輝弘らとともに選出される。1991年の大学野球日本選手権は、決勝で関大を延長17回の熱戦の末に降し初優勝を飾る。
伊藤 博康(いとう ひろやす、1969年9月13日 - )は… 伊藤 博康(いとう ひろやす、1969年9月13日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(外野手)。 学法石川高時代は、2年夏、3年春の選抜と甲子園に出場。チームメイトに諸積兼司と作山和英がいた。 高校卒業後は、作山とともに東北福祉大学に進学。4年次は主将を務めて春に最多打点、最多本塁打、全日本大学野球選手権で初優勝する。秋はベストナイン。この年は日米大学野球でMVP。 1991年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け入団。 ルーキーイヤーの1992年、緒方耕一、川相昌弘、ロイド・モスビー、原辰徳が故障によりスタメンから外れるという緊急事態に急遽一軍昇格で即1番ライトでスタメンに抜擢されると、5打席で二塁打2本2四球という鮮烈デビューを飾る。
作山 和英(さくやま かずひで、1969年6月4日 - )は… 作山 和英(さくやま かずひで、1969年6月4日 - )は、福島県相馬市出身の元プロ野球選手(投手)。 学法石川高では、2年生時の1986年に夏の甲子園に控え投手として出場。2回戦(初戦)で東洋大姫路高の長谷川滋利、島尾康史の継投に抑えられ敗退。この試合ではリリーフとして起用され甲子園初登板を果たす。翌1987年には春の選抜にも出場。1回戦で先発するが池田高に敗れる。高校同期に伊藤博康、諸積兼司がいた。 高校卒業後は、高校同期の伊藤とともに東北福祉大学に進学。仙台六大学野球リーグでは在学中7回優勝。1991年の全日本大学野球選手権大会では決勝で関大と対戦。延長17回の熱戦を制し優勝投手となる。
宮川 一彦(みやかわ かずひこ、1969年2月23日 - )… 宮川 一彦(みやかわ かずひこ、1969年2月23日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手(内野手)。 静清工業高時代は、3番・遊撃手として活躍。東北福祉大学では、2番を打ち俊足巧打の外野手として4年春ベストナイン(秋は二塁手)に選出された。4年次には大学選手権で準優勝、日米大学野球にも選出。大学通算打率.320 8本塁打。1学年上に佐々木主浩、大塚光二、同期に矢野燿大、1学年下に斎藤隆、金本知憲らがいた。 1990年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから2位指名を受け入団。 即戦力として期待され、プロ1年目の1991年から一軍出場を果たすが、打撃が非力で代打・守備要員止まりだった。