中村 太樹(なかむら たいき、2002年7月14日 - )は… 中村 太樹(なかむら たいき、2002年7月14日 - )は、日本の柔道家。山梨県山梨市出身。階級は60kg級。身長162cm。組み手は右組み。得意技は背負投。 柔道は3歳の時に始めた。国士舘中学3年の時には全国中学校柔道大会60kg級で5位になった。国士舘高校2年の時には国体少年男子の部で優勝した。2021年に国士館大学へ進むと、1年の時には学生体重別で3位、全日本ジュニアでは決勝で大学の1年先輩である近藤隼斗に技ありで敗れて2位にとどまった。グランプリ・アルマダでは3位に入った。2年の時には世界ジュニアに出場すると、準決勝で前回3位であるフランスのロマン・ヴァラディエール=ピカール、決勝で前回チャンピオンであるジョージアのゲオルギー・サルダラシビリにそれぞれ一本勝ちして優勝を果たした。
髙橋 翼(たかはし つばさ、2001年10月13日 - )は… 髙橋 翼(たかはし つばさ、2001年10月13日 - )は、日本の柔道家。埼玉県出身。階級は100kg超級。身長177cm。体重127kg。段位は四段。組み手は右組み。得意技は小外刈。 柔道は4歳の時に始めた。育徳館柔道クラブと新井道場で稽古を積んだ。田島中学3年の時には全国中学校柔道大会90kg級に出場するも初戦で敗れた。作陽高校に進むと、2年の時には全国高校選手権の個人戦無差別で優勝すると、団体戦でも3位になった。3年の時には金鷲旗の準決勝で国士舘高校と対戦すると、大将戦で斉藤立に内股で敗れて3位にとどまった。インターハイの個人戦100kg超級の決勝では斉藤に反則負けを喫して2位、団体戦では3位に終わった。
近藤 隼斗(こんどう はやと、2001年5月15日 - )は… 近藤 隼斗(こんどう はやと、2001年5月15日 - )は、日本の柔道家。佐賀県武雄市出身。階級は60kg級。身長163cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は大内刈。妹は2021年のインターハイ48kg級で優勝した近藤美月。 柔道は7歳の時に武雄警察署少年柔道教室で始めた。小学校6年の時に全国小学生学年別柔道大会の50kg級に出場するも、初戦で敗れた。有田中学2年の時には全国中学校柔道大会66kg級の2回戦で敗れるも、3年の時には60kg級に出場して優勝した。佐賀工業高校に進むと、1年の時には全日本カデで優勝した。世界カデでは個人戦と団体戦でともに3位となった。全国高校選手権では優勝した。
小西 誠志郎(こにし せいしろう、1998年12月21日 -… 小西 誠志郎(こにし せいしろう、1998年12月21日 - )は、福岡県出身の日本の柔道家。階級は60 kg級。身長163 cm。組み手は右組み。得意技は一本背負投。 6歳の時に柔道を始め、曽根中学3年の時に全国中学校柔道大会の66 kg級で2位となった。 大牟田高校では、1年時は全国高校選手権60 kg級の2回戦で、2年時にはインターハイの2回戦で敗れた。3年時のインターハイでは5位となった。 2017年に国士舘大学へ進学すると、1年時の学生体重別選手権の準決勝で同大4年である宮之原誠也に技ありで敗れるも3位、体重別団体大会では2位となった。2年の時には全日本ジュニアの決勝で日体大2年の古賀玄暉と対戦し、技ありを先取するも小外掛で逆転負けを喫した。
友清 光(ともきよ ひかる、1998年11月25日 - )は… 友清 光(ともきよ ひかる、1998年11月25日 - )は、福岡県出身の、日本の柔道家。階級は81kg級。身長172cm。血液型はB型。組み手は右組み。得意技は大外刈、背負投。 柔道は3歳の時に豊友館道場で始めた。曽根中学から大牟田高校へ進むと、2年の時にインターハイ73kg級に出場するも初戦で敗れた。3年の時には金鷲旗で3位に入るも、インターハイ81kg級では初戦で敗れた。2017年には国士舘大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアで優勝するも、世界ジュニアでは2回戦で敗れた。2年の時には学生体重別で優勝するも、体重別団体では審判による誤審などもあって3位にとどまった。2019年のヨーロッパオープン・オディヴェーラスではシニアの国際大会初優勝を飾った。
飯田 健太郎(いいだ けんたろう、1998年5月4日 - )… 飯田 健太郎(いいだ けんたろう、1998年5月4日 - )は、神奈川県綾瀬市出身の日本の柔道家。階級は100kg級。身長188cm。四段を取得。組み手は右組み。得意技は内股。 5歳の時にサッカーを始めた。6歳の時には麻布大学付属高校で柔道を指導している父親の影響もあって、先に始めていた姉に続いて湘南宮本塾で柔道も始めた。小さい時は柔道よりもサッカーの方が好きだったという。小学校4年の時には野球も始めた。小学校6年の時に全国小学生学年別柔道大会50kg級で2位になったことから、中学からは柔道一本に絞ることを決めた。なお、この当時は寝技を得意にしていた。 大野北中学時代は学校の道場で稽古を積んだ後は、近くの麻布大学付属高校で高校生と一緒に稽古することが日課となった。
池 絵梨菜(いけ えりな、1996年5月2日 - )は、日本… 池 絵梨菜(いけ えりな、1996年5月2日 - )は、日本の女子柔道選手。高知県出身。階級は70kg級。身長166cm。血液型はO型。段位は弐段。組み手は左組み。得意技は内股、背負投。特徴は愛嬌があると言われるアヒル口。 柔道は5歳の時に兄と一緒に佐川少年柔道クラブで始めた。小学校6年生の時には全国小学生学年別柔道大会45kg超級に出場するが、決勝トーナメント1回戦で敗れた。当時、県大会の決勝などでよく顔を合わせてライバルとして競ってきた米澤夏帆が柔道を続けるか悩んでいることを知ると、「今度は仲間としてやろう」と誘い、同じ香長中学に進むことになった。中学2年の時には全国中学校柔道大会63kg級に出場すると、準決勝で丘中学3年の津金恵に有効で敗れるが3位となった。
宮之原 誠也(みやのはら せいや、1995年12月11日 -… 宮之原 誠也(みやのはら せいや、1995年12月11日 - )は、日本の柔道家。福岡県出身。階級は60kg級。身長163cm。血液型はO型。組み手は左組み。得意技は背負投。 柔道は7歳の時に香月道場で始めた。香月中学3年の時に全国中学校柔道大会55kg級に出場するが3回戦で敗れた。大牟田高校へ進むと、1年と2年の時には全国高校選手権60kg級の3回戦で敗れた。3年の時にはインターハイで決勝まで進むが、柳ヶ浦高校3年の小倉拓実に敗れて2位に終わった。2014年には国士舘大学へ進むと、3年の時に学生体重別で3位に入った。4年の時には学生体重別の決勝で筑波大学3年の大島拓海を縦四方固で破って優勝した。
磯田 範仁(いそだ のりひと、1995年8月6日 - )は、… 磯田 範仁(いそだ のりひと、1995年8月6日 - )は、日本の柔道家。宮崎県延岡市出身。階級は66kg級。身長173cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は小外刈。 柔道は5歳の時に芦塚道場で始めた。一つ上には橋口祐葵がいた。小学校5年の時には全国小学生学年別柔道大会の40kg級で優勝した。6年の時には全国少年柔道大会の団体戦で優勝すると、全国小学生学年別柔道大会の50kg級でも優勝して2連覇を達成した。 国士舘中学へ進むと、2年の時には近代柔道杯団体戦で優勝した。3年の時には全国中学校柔道大会の66kg級で優勝すると、団体戦でも田崎健祐や江畑丈夫などとともに活躍して優勝を飾り2冠を達成した。
田崎 健祐(たさき けんすけ、1995年7月28日 - )は… 田崎 健祐(たさき けんすけ、1995年7月28日 - )は、茨城県出身の、日本の柔道選手である。階級は100 kg級。身長177 cm。血液型はB型。組み手は左組み。得意技は大内刈。 柔道は9歳の時に一心館菅谷道場で始めた。国士舘中学2年の時には近代柔道杯団体戦で優勝した。3年の時には全国中学校柔道大会の81kg級で優勝すると、団体戦でも江畑丈夫や磯田範仁などとともに活躍して優勝を飾り2冠を達成した。さらにマルちゃん杯団体戦でも優勝して、中学団体3冠(近代柔道杯、全国中学校柔道大会、マルちゃん杯)を達成した。国士舘高校に進むと、1年の時には全日本カデの90kg超級に出場して優勝した。世界カデでも決勝で地元ウクライナの選手を出足払で破って優勝を飾った。
江畑 丈夫(えばた じょうぶ、1995年7月24日 - )は… 江畑 丈夫(えばた じょうぶ、1995年7月24日 - )は、東京都世田谷区出身の、日本の柔道選手である。階級は90 kg級。身長180 cm。血液型はO型。組み手は右組み。得意技は大外刈。 柔道は8歳の時に吉田道場で始めた。小学生の時はこれといった実績を残せなかったが、 国士舘中学に進学した。中学2年の時には近代柔道杯団体戦で優勝した。3年の時には全国中学校柔道大会の個人戦90kg級をオール一本勝ちで優勝すると、団体戦でも田崎健祐や磯田範仁などとともに活躍して優勝を飾り2冠を達成した。さらにマルちゃん杯団体戦でも優勝して、中学団体3冠(近代柔道杯、全国中学校柔道大会、マルちゃん杯)を達成した。
大島 優磨(おおしま ゆうま、1995年1月7日 - )は、… 大島 優磨(おおしま ゆうま、1995年1月7日 - )は、日本の柔道家。徳島県阿波市出身。階級は60kg級。身長164cm。組み手は左組み。血液型はB型。得意技は背負投、寝技。弟は2013年の世界カデ60kg級チャンピオンの大島拓海。妻は総合格闘家の大島沙緒里。 柔道は7歳の時に高原柔道会で始めた。小学校5年の時には全国小学生学年別柔道大会40kg級で優勝した。6年の時は45kg級で2位にとどまった。阿波中学2年の時に全国中学校柔道大会60kg級で2位になると、3年の時には優勝を飾った。国士舘高校に進学すると、2年の時に全日本カデと世界カデで優勝を果たした。さらに全国高校選手権でも優勝した。3年の時には全日本ジュニアとアジアジュニアでも優勝を成し遂げた。
山本 杏(やまもと あんず、1994年6月18日 - )は、… 山本 杏(やまもと あんず、1994年6月18日 - )は、神奈川県横浜市出身の日本の女子柔道家。身長158 cm。握力は右30 kg、左33 kg。バスト91 cm。リーチ161 cm。血液型はB型。組み手は左組み。得意技は小内刈、袖釣込腰。階級は57 kg級と63 kg級。。 柔道は4歳の時に父親が指導者を務める朝飛道場で始めた。小学校6年の時には全国小学生学年別柔道大会45 kg級に出場すると、予選リーグで岡本理帆に一本勝ちするなどして決勝トーナメントに進むが、5位にとどまった。六角橋中学に進むが、全国中学校柔道大会には県予選で勝てず、結局1度も出場できずに終わった。3年の時は関東大会で優勝しながら、県予選では相原中学2年の内尾真子に敗れた。
藤阪 太郎(ふじさか たろう、1994年6月6日 - )は、… 藤阪 太郎(ふじさか たろう、1994年6月6日 - )は、日本の柔道家。大阪府出身。階級は66kg級。身長174cm。血液型はO型。組み手は右組み。段位は四段。得意技は足技。弟は66kg級で活躍している藤阪泰恒。 柔道は5歳の時に明武館田邊道場で始めた。その後に臥牛館道場へ移った。小平第六中学から八王子学園八王子高校へ進むと、3年の時にはインターハイ66kg級に出場するも3回戦で敗れた。 2013年に国士舘大学へ進学すると、2年の時には体重別団体の準決勝で東海大学と対戦するが、髙市賢悟に上四方固で敗れてチームも3位に終わった。全国体育系学生柔道体重別選手権大会では決勝で東海大学1年の浅利昌哉に敗れた。
岡本 理帆(おかもと りほ、1994年4月13日 - )は、… 岡本 理帆(おかもと りほ、1994年4月13日 - )は、静岡県静岡市清水区出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は48kg級と52kg級。身長158cm。握力は右30kg、左30kg。バスト88cm。リーチ164cm。血液型はO型。組み手は左組み。段位は初段。得意技は体落。 柔道は5歳の時に始めた。8歳の時には父親が娘のために開設した錬心館岡川道場で柔道に取り組むことになった。父親は家庭においても娘と一緒に試合のビデオを見ていると、いきなり立ち上がって指導を始めることが日常茶飯事であったという。小学校6年の時には全国小学生学年別柔道大会45kg級に出場するが、予選リーグで神奈川県代表の山本杏に一本負けするなどして決勝トーナメントには進めなかった。
佐藤 正大(さとう せいだい、1994年4月4日 - )は、… 佐藤 正大(さとう せいだい、1994年4月4日 - )は、福岡県中間市出身の日本の柔道家である。階級は81kg級。身長180 cm。血液型A型。段位は五段。組み手は右組み。得意技は背負投。姉は78kg級で活躍している佐藤瑠香。 柔道は3歳の時に柔道を始めた。小学校6年の時には全国小学生学年別柔道大会45kg級で優勝を飾った。中間南中学から大牟田高校へ進むと、2年の時には全国高校選手権81kg級で決勝まで進むが、東海大相模高校2年の小原拳哉に判定で敗れた。3年の時には金鷲旗で3位になった。インターハイでは準決勝で小原に技ありで敗れて3位にとどまった。 2013年に国士舘大学へ進むと、2年の時には全日本ジュニアで優勝を飾った。
藤澤 征憲(ふじさわ せいけん、1993年7月10日 - )… 藤澤 征憲(ふじさわ せいけん、1993年7月10日 - )は、岡山県出身の、日本の柔道選手である。階級は55kg級と60kg級。身長163cm。血液型はO型。組み手は右組み。得意技は背負投。 柔道は6歳の時に養徳館道場で始めた。小学校5年と6年の時に全国小学生学年別柔道大会に出場するも、ともに予選リーグで敗れた。津山西中学3年の時には全国中学校柔道大会55kg級で3位となった。足立学園高校へ進むと、1年の時には世界カデで5試合の内4試合に一本勝ちして優勝を飾った。2年の時には全日本ジュニアで3位だったが、世界ジュニア代表に選出された。世界ジュニアでは決勝まで進むが、カザフスタンのエルドス・スメトフに袖釣込腰で敗れて2位に終わった。
柳樂 祐里(なぎら ゆり、1992年5月11日 - )は、東… 柳樂 祐里(なぎら ゆり、1992年5月11日 - )は、東京都出身の、日本の柔道選手。階級は57kg級。身長165cm。血液型はAB型。組み手は左組み。得意技は大腰、舟久保固。 柔道は柔友館用賀柔道クラブで始めた。用賀中学から駒場高校を経て国士舘大学に進んだ。3年の時には初めての全国大会出場となった学生体重別の57kg級で決勝まで進むと、埼玉大学4年の金子瑛美を裏投げで破って優勝した。4年の時は5位にとどまった。2015年にはJR東日本の所属となると、2016年の実業団体ではチームメイトの渡辺華奈などとともに活躍して2位となった。2017年のアジアオープン・台北では初戦で自衛隊体育学校の金子に敗れるも、その後敗者復活戦を勝ちあがって3位になった。
岩尾 敬太(いわお けいた、1990年8月18日 - )は、… 岩尾 敬太(いわお けいた、1990年8月18日 - )は、埼玉県出身の日本の柔道選手。階級は100 kg超級。身長182 cm。体重125 kg。組み手は左組み。得意技は払腰。京葉ガスに所属していたが、現在は山口県萩市にある至誠館大学の講師及び、柔道部のコーチをしている。 柔道は10歳の時に関道場で始めた。 修徳中学から修徳高校へ進むと、1年の全国高校選手権団体戦では3位となった。2年のインターハイ団体戦では2位、全国高校選手権では3位だった。3年の時には金鷲旗で3位になると、インターハイの個人戦100kg級で決勝まで進むが、東海大相模高校の高木海帆に有効で敗れた。 国士舘大学に進むと100kg超級に階級を上げて、1年の時から団体戦のレギュラーになった。
松木 武志(まつき たけし、1990年6月12日 - )は、… 松木 武志(まつき たけし、1990年6月12日 - )は、日本の柔道家。宮崎県出身。階級は60kg級。身長163cm。組み手は右組み。得意技は背負投。エル・エス・コーポレーション所属。 柔道は7歳の時に始めた。泰山学舎と朝飛道場の出身。五十市中学3年の時には全国中学校柔道大会55kg級で2位になった。足立学園高校へ進むと、3年の時にはインターハイと全日本ジュニアの60kg級で優勝した。 国士舘大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアと講道館杯、ワールドカップ・トビリシでそれぞれ3位になった。2年の時には東アジア選手権の個人戦と団体戦で2位、体重別団体で3位だった。講道館杯の決勝では高校の1年先輩である日体大3年の山本浩史に敗れるが2位となった。
川端 龍(かわばた りょう、1989年11月29日 - )は… 川端 龍(かわばた りょう、1989年11月29日 - )は、日本の柔道家。大阪府豊中市出身。身長166cm。階級は60kg級。段位は三段。血液型はB型。得意技は足技と低い韓国背負い投げ。自身のYouTube上ではドンマイ川端名義で活動しており、篠原信一、野村忠宏、鈴木桂治、秋本啓之、大野将平、ウルフ・アロンなど五輪・世界大会優勝者と柔道関連の動画を中心に撮影して、柔道広報活動の一翼を担っている。 柔道は5歳の時に始めた。大阪の豊中十七中学から高校は広島県にある近大福山高校に進むと、2年の時にインターハイ60kg級で3位となった。2008年に国士舘大学に進学すると、2年の時には学生体重別で日体大2年の山本浩史を破って優勝した。
西潟 健太(にしがた けんた、1987年9月23日 - )は… 西潟 健太(にしがた けんた、1987年9月23日 - )は、新潟県北蒲原郡安田町出身の日本の柔道選手。階級は100 kg超級。身長193cm。体重130kg。組み手は左組み(両方の組み手が可能)。段位は四段。得意技は大外刈。現在は旭化成を退職し、プレデンシャル生命保険会社に在籍している。 柔道は6歳の時に安田町スポーツ少年団で始めた。安田中学から桐蔭学園高校に進学すると、2年の時には高校選手権団体戦で優勝した。3年の時には金鷲旗で優勝すると、インターハイ個人戦100kg級で2位になった。国体少年男子の部では神奈川県の優勝に貢献した。その後国士舘大学に進むと、1年の時には全日本ジュニアで3位となった。
石井 慧(いしい さとし、1986年12月19日 - )は、… 石井 慧(いしい さとし、1986年12月19日 - )は、男性総合格闘家、キックボクサー、プロボクサー、柔道家(六段)。北京オリンピック柔道男子100kg超級金メダリスト。大阪府茨木市出身。チーム・クロコップ所属。ブラジリアン柔術黒帯。紫綬褒章受章。血液型はO型。出身道場は修道館(大阪府)。元妻は歌手の林明日香。2019年にクロアチア国籍を取得するまでは、日本国籍保有者であった 茨木市立大池小学校5年生の頃、父親の指導で柔道を始め、本格的に取り組むべく清風中学に入学。高校1年生の時に、より柔道の強い環境を求め国士舘高校へ志願編入。その後、国士舘大学体育学部武道学科に入学。 100kg以下級であったが、2007年秋に100kg超級へ転向した。
穴井 さやか(あない さやか、1986年8月15日 - )は… 穴井 さやか(あない さやか、1986年8月15日 - )は、大分県大分市出身、日本の女子柔道選手である。現在は帝京大学医療技術学部スポーツ医療学科健康スポーツコース助教・柔道部女子監督。 階級は78キロ級。身長177cm。得意技は大外刈。組み手は右組み。段位は四段。血液型はO型。 兄は国内外の大会で活躍している穴井隆将。 柔道は5歳の時に始める。高校までは70キロ級の選手で、大学から78キロ級に階級を上げる。兄の穴井隆将ほどではないにせよ、最近は国内外の大会で一定の活躍を示している。177cmの長身なので、ヨーロッパの選手に対しても体格面で見劣りすることはあまりない。また長身選手ながら背負投も使いこなせる。
立山 広喜(たちやま ひろき、1985年11月24日 - )… 立山 広喜(たちやま ひろき、1985年11月24日 - )は、熊本県出身の、日本の柔道選手である。階級は100 kg超級。身長195 cm、体重145 kg。 熊本県玉名郡南関町出身。南関中1年の時に地元の温泉で偶然、大牟田高・柔道部の監督と出会い、「週末にうちの練習にきてみないか」と誘われた事により、本格的に柔道を始めた。 大牟田高校では同級生の187cmある高橋和彦とともにその身長の高さからツインタワーと呼ばれ活躍する。因みに高橋と共に相撲部屋から力士にならないかとの誘いを蹴っての同校入学だった。ただし、高校3年になる直前の高校選手権の準決勝では、自分よりはるかに小柄な66kg級の秋本啓之に翻弄されて敗れ、3位に終った。
加藤 博剛(かとう ひろたか 1985年8月12日 - )は… 加藤 博剛(かとう ひろたか 1985年8月12日 - )は、日本の柔道家。身長174 cm。得意技は巴投、背負投、寝技。 1985年8月12日、沖縄県石垣市出身。6歳まで沖縄・石垣島在住で、その後両親の仕事の関係で東京都世田谷区へ移る。 柔道は小学校4年次で始める。国士舘高等学校を経て国士舘大学体育学部に進学してから国内・国際大会に出場するようになる。大学時代は81kg級を主戦場にしていた。 2008年に大学を卒業し、千葉県警察本部に奉職。同年の全日本柔道選手権大会に初出場を果たしたが、3回戦で神奈川県警の庄司武男に敗れた。また、嘉納杯柔道ワールドグランプリ81kg級で決勝に進出、決勝戦では塘内将彦に敗れたが2位の好成績を残した。
西山 将士(にしやま まさし、1985年7月9日 - )は、… 西山 将士(にしやま まさし、1985年7月9日 - )は、日本の柔道家である。階級は90kg級。身長179cm。血液型はA型。組み手は左組み。段位は四段。得意技は大外刈、大内刈、寝技。Prover株式会社で転職の支援事業を行った後、現在は株式会社瑞鷹の代表として法務省と連携し刑務作業のアップデートに取り組んでいる。 山口県下関市彦島出身。6歳の時に柔道を始めた。国士舘高校3年の時にインターハイ団体戦と個人戦100kg級で優勝を果たした。 国士舘大学に入学後、学生体重別で2年連続3位になるなど一定の活躍をするが、際立った活躍は見られなかった。 新日本製鐵に入社後に階級を1つ下げ90kg級にすると、講道館杯で優勝を果たし、さらに2009年には体重別でも優勝するが世界選手権代表には選ばれなかった。
高橋 和彦(たかはし かずひこ、1985年4月3日 - )は… 高橋 和彦(たかはし かずひこ、1985年4月3日 - )は、熊本県出身の、日本の柔道選手である。階級は100 kg超級。身長189 cm、体重130kg。得意技は大外刈、払腰。現在は日本製鉄に所属。 熊本県阿蘇市出身。小学校1年から柔道と相撲を始め、4年時には相撲で全国大会2位になった事もある。 阿蘇市立一の宮中学校進学と同時に柔道に専念、3年時には九州ブロック代表としてシドニー五輪の柔道競技見学派遣に選ばれるなど、早くから注目を集めていた。 進学した大牟田高校では同級生の193cmある立山広喜とともにその身長の高さからツインタワーと呼ばれ活躍する。高校3年の時にはインターハイで2位、ジュニアの体重別でも3位となる。
成田 泰崇(なりた やすたか、1984年11月21日 -)は… 成田 泰崇(なりた やすたか、1984年11月21日 -)は青森県出身の日本の柔道家。73 kg級の選手。身長は174 cm。組み手は右組み。得意技は内股。 国士舘大学大学院スポーツ・システム研究科修士課程修了。 柔道は5歳の時に車力スポーツ少年団で始めた。車力中学から青森北高校を経て国士舘大学に進むと、2年生の時には体重別団体で2位となった。3年生の時には学生体重別の決勝で明治大学の海老沼聖に敗れ2位となる。体重別団体2位。講道館杯で決勝でダイコロの稲澤真人に敗れ2位となる。4年生の時には体重別で3位となった。 学生体重別では決勝で海老沼を破って優勝。体重別団体でも優勝を飾った。講道館杯でも決勝で東海大学の大束正彦を破って優勝を成し遂げた。
和泉 強志(いずみ つよし、1984年7月25日 -)は高知… 和泉 強志(いずみ つよし、1984年7月25日 -)は高知県出身の日本の柔道家。60kg級の選手。身長は168cm。組み手は右組み。得意技は体落。 柔道は7歳の時に修志館で始めた。北陵中学から岡豊高校へ進むと、3年の時にインターハイの60kg級決勝で近代福山高校の平岡拓晃に敗れるが2位となった。 2003年には国士舘大学へ進学すると、1年の時には学生体重別で3位となった。2年の時には体重別団体で2位だった。3年の時には体重別団体で2位、講道館杯では3位に入った。4年の時には体重別団体で優勝すると、学生体重別では決勝で大学の1年後輩となる豊田眞太朗を破って優勝した。さらに講道館杯でも決勝で了徳寺学園職員の小川武志を破って優勝を飾った。
片渕 慎弥(かたぶち しんや、1983年10月24日 -)は… 片渕 慎弥(かたぶち しんや、1983年10月24日 -)は大阪府出身の日本の柔道家。現役時代は100kg超級の選手。身長172cm。体重125kg。 柔道は8歳の時に正導館米田道場で始めた。久米田中学3年の時に全国中学校柔道大会78kg超級で2位になった。国士舘高校に進むと1年の時から団体戦のレギュラーで活躍して、インターハイと全国高校選手権で優勝した。2年の時には金鷲旗とインターハイを制して、1992年に世田谷学園高校が成し遂げて以来、8年ぶり2校目の高校団体3冠(全国高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成した。さらには全国高校選手権の個人戦無差別で優勝すると、団体戦でも2連覇を飾った。3年の時には金鷲旗とインターハイの団体戦で2位にとどまった。
吉永 慎也(よしなが しんや、1983年2月8日 - )は福… 吉永 慎也(よしなが しんや、1983年2月8日 - )は福岡県出身の日本の柔道家。81kg級の選手。身長は170cm。組み手は右組み。得意技は内股。 柔道は7歳の時に修志館で始めた。甘木中学から大牟田高校へ進むと、3年の時に金鷲旗とインターハイ団体戦で3位になった。 2001年には国士舘大学へ進学すると、2年の時には全日本ジュニアの81kg級で3位になった。3年の時には学生体重別で3位だったが、優勝大会ではチームの優勝に貢献した。4年の時には優勝大会と体重別団体でともに2位だった。学生体重別でも決勝で同じ大学の1年後輩である有留秀宜に敗れた。 2005年には新日鉄の所属となると、実業個人選手権では決勝で松前柔道クラブの谷口徹を破って優勝した。
高井 洋平(たかい ようへい、1982年8月27日 - )は… 高井 洋平(たかい ようへい、1982年8月27日 - )は、神奈川県横浜市出身の日本の柔道選手である。階級は100 kg超級。現在は旭化成に所属。 小学生の頃から全国トップレベルでの活躍をしてタイトルを次々と獲得する。国士舘高校から国士舘大学に入学してからは怪我の影響もあってか、十分な活躍はできなかったが、旭化成に入社後、世界選手権の無差別代表となり、3位に入る。その後も国内外の大会で数々の活躍をするも、再度代表になるまでには至らなかった。2012年には国体成年男子の部で宮崎県の優勝に貢献すると、柔道競技からの引退を表明した。
鈴木 桂治(すずき けいじ、1980年6月3日 - )は、茨… 鈴木 桂治(すずき けいじ、1980年6月3日 - )は、茨城県常総市(旧:結城郡石下町)出身の日本の柔道家、体育学者。学位は体育科学修士(国士舘大学大学院・2006年)、スポーツ科学修士(早稲田大学大学院・2018年)。国士舘大学体育学部教授。 2004年アテネオリンピック柔道男子100kg超級金メダリスト。紫綬褒章受章(2004年)。身長185cm。体重100kg。得意技は足技、内股、大外刈。 国士舘中学校、国士舘高等学校、国士舘大学体育学部体育学科卒業。国士舘大学大学院スポーツ・システム研究科修士課程修了(2006年3月)。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了(2018年3月)。
斎藤 順道(さいとう まさみち、1979年1月10日 - )… 斎藤 順道(さいとう まさみち、1979年1月10日 - )は、北海道出身の日本の柔道家。現役時代は73kg級の選手。身長は167cm。 90kg級で活躍していた斎藤制剛を兄に持ち、札幌市立北白石中学校、北海高校、国士舘大学と、大学まで同じ進路を歩んだ。 中学3年生時、全国中学校柔道大会の65kg級決勝で阿蘇市立一の宮中学校3年の内柴正人に敗れて準優勝。北海高校3年生時にはインターハイの軽中量級で優勝して、前年に中量級で優勝した兄に続いて兄弟での連覇を果たした。全日本ジュニアの71kg級では2位にとどまった。 1997年に国士舘大学へ進学。3年の時に優勝大会で初優勝すると、新設された体重別団体でも兄の制剛や同級生の内柴などとともに活躍して優勝を勝ち取り、団体2冠を達成した。
内柴 正人(うちしば まさと、1978年6月17日 - )は… 内柴 正人(うちしば まさと、1978年6月17日 - )は、日本の柔道家、格闘家、柔術家。アテネオリンピック・北京オリンピック柔道男子66kg級金メダリスト。九州看護福祉大学元女子柔道部コーチ、同大学元客員教授、元キルギス柔道連盟総監督。 熊本県菊池郡合志町(現・合志市)出身、同県八代市在住。9歳で柔道を始める。そのきっかけは「兄に喧嘩で勝つ為」だった。得意技は巴投。尊敬する選手は柔道家の野村忠宏。身長157cm、体重66kg。血液型はB型。 国士舘高等学校を経て国士舘大学体育学部卒業後、旭化成に入社した。2004年に開催されたアテネオリンピックや、2008年に開催された北京オリンピックでは、それぞれ柔道男子66kg級にて金メダルを獲得した。
塘内 将彦(ともうち まさひこ、1977年7月13日 - )… 塘内 将彦(ともうち まさひこ、1977年7月13日 - )は、日本の元柔道選手。階級は81kg級。福岡県大牟田市出身。大牟田高等学校、国士舘大学卒業。旭化成柔道部に所属していた。身長175 cm。大舞台にめっぽう弱く、オリンピック及び世界選手権で計4度も代表に選出されながら際立った成績を残していない。 1999年には体重別の初戦で敗れるが、嘉納杯、フランス国際などで優勝した実績が評価されて世界選手権代表に選ばれたものの、初戦で敗れた。 2004年4月には、体重別男子81kg級の準決勝で秋山成勲に優勢勝ち、決勝では瀧本誠に袖釣り込み腰で一本勝ちしてアテネオリンピック代表を掴むが初戦で敗れ、敗者復活戦でも初戦で敗れた。
斎藤 制剛(さいとう せいごう、1977年5月4日 - )は… 斎藤 制剛(さいとう せいごう、1977年5月4日 - )は、北海道札幌市出身の柔道家。1995年、第23回札幌市民スポーツ賞受賞者。 小学校、中学校、高校までは北海道代表として全国大会で活躍し、高校3年時には得意の内股、大内刈、寝技を武器にインターハイの中量級で優勝。北海高等学校卒業後は国士舘大学に進学し、国士舘大学が全国制覇した際には主将としてチームを牽引した。 大学卒業後は旭化成に籍を置き、個人戦で講道館杯を4連覇、全日本選抜体重別選手権で2連覇、全日本実業個人選手権で3連覇するなど同階級の第一人者として活躍した。 しかし、大学4年時と社会人1年目に相次いで両膝を故障(靱帯損傷)した影響により、それまでの正攻法の柔道から肩車・朽木倒・返し技などの変則柔道に偏重していった事や、同階級に飛塚雅俊、矢嵜雄大、泉浩といった強豪が揃っていたなど数々の不運もあり、オリンピックや世界選手権に個人代表として出場する事は無かった(2005年には全日本選抜体重別選手権で優勝するも、「外国人選手を相手に結果を残していない」という理由で同年の世界選手権代表には選ばれなかった)。
堤 時貞(つつみ ときさだ、1976年4月6日 - )は、福… 堤 時貞(つつみ ときさだ、1976年4月6日 - )は、福岡県出身の日本の柔道選手である。階級は60kg級。身長162cm。 曽根中学2年と3年の時に全国中学校柔道大会の55kg級で2連覇を達成した。国士舘高校へ進むと、3年の時にはインターハイの軽量級で優勝した。1995年に国士舘大学へ進学すると、1年の時には正力杯60kg級の決勝で東海大学3年の徳野和彦に敗れるも2位となった。続くジュニア体重別では3位だったが、正力国際では決勝で日体大2年の関口幸三を破って優勝を飾った。2年の時には正力杯、講道館杯、チェコ国際でそれぞれ3位になった。世界ジュニアでは7位に終わった<3年の時には体重別で3位になるが、講道館杯では決勝で神奈川県警の徳野に敗れた。
窪田 和則(くぼた かずのり、1975年12月13日 - )… 窪田 和則(くぼた かずのり、1975年12月13日 - )は、神奈川県川崎市出身の柔道選手。現役時代は78kg級の選手。173cm 小学校2年の時に柔道を始める。国士舘中学時代には大きな実績はなかったが、国士舘高校3年の時にインターハイ中量級で優勝を果たした。 国士舘大学に入学後、2年の時に学生体重別に優勝した勢いで、ユニバーシアードではオール一本勝ちで優勝を飾った。さらに講道館杯でも優勝するが、この階級には古賀稔彦がいたためにアトランタオリンピック代表にはなれなかった。 1997年には1つ年上のライバルである瀧本誠と世界選手権代表の座を争うも、ドイツ国際、体重別と決勝で瀧本に敗れて代表にはなれず。
五十嵐 準子(いがらし じゅんこ、1971年12月5日 - … 五十嵐 準子(いがらし じゅんこ、1971年12月5日 - )は北海道出身の日本の柔道家。72kg超級の選手。現役時代の身長は173cm、体重95kg。 根室市立啓雲中学からとわの森三愛女子高校へ進学するが、この当時は柔道だけでなくバスケットボールにも取り組んでいた。1年の時には高校選手権72kg超級の決勝で、暫くライバル関係が続くことになる東海大仰星高校1年の松尾徳子に判定で敗れた。2年の時には決勝で松尾を裏投げで破って優勝を飾った。 1990年には国士舘大学へ進学すると、1年の時には全日本選手権の準決勝で世界選手権61kg級3位である筑波大学4年の小林貴子に合技で敗れるも3位入賞を果たした。
阿武 貴宏(あんの たかひろ、1971年4月29日 - )は… 阿武 貴宏(あんの たかひろ、1971年4月29日 - )は、山口県阿武郡福栄村(現萩市)出身の、日本の柔道選手である。階級は71kg級。身長170cm。2歳年下の妹は世界選手権56kg級代表の阿武美和。5歳年下の妹はアテネオリンピック78kg級で優勝した阿武教子。 荻スポーツ少年団に所属していた小学校5年の時に全国少年柔道大会の個人戦無差別で3位になった。6年の時は2位となった。柔道私塾の講道学舎に入るために上京すると、弦巻中学へ通うことになった。 世田谷学園高校へ進むと、1年の時には全国高校選手権の団体戦で3位だった。2年の時にはインターハイ団体戦決勝で東海大学付属福岡高等学校|東海大第五高校と対戦すると、相手エースの中村佳央に後袈裟固で敗れるなどしてチームは2位にとどまった。
杉野 健次郎(すぎの けんじろう、1968年11月2日 - … 杉野 健次郎(すぎの けんじろう、1968年11月2日 - )は、福岡県出身の日本の柔道選手である。階級は71kg級。身長172cm。 大牟田高校3年の時にインターハイ中量級で優勝を飾った。国士舘大学へ進学すると、3年の時には正力杯71kg級決勝で筑波大学4年の酒井英幸に敗れた。正力国際では3位だった。4年の時には正力国際の決勝で国際武道大学3年の高越永吉を横四方固で破って優勝した。1991年には国士舘大学の研究生となった。引退後は大牟田高校の柔道部監督に就任した。 (出典、JudoInside.com)。
黒川 琴美(くろかわ ことみ、1967年11月27日 - )… 黒川 琴美(くろかわ ことみ、1967年11月27日 - )は栃木県出身の日本の女子柔道家。現役時代は72kg級の選手。 中学生の時に強化選手選考会の66kg超級で決勝まで進むが、茂原農業高校の鈴木洋子に敗れて2位だった。1983年に宇都宮工業高校へ進むと、環太平洋柔道選手権大会72kg級では3位となった。1984年には体重別選手権の72kg級決勝で沼津高校2年の佐々木光を破って優勝を飾り、世界選手権の代表に選出された。ウィーンで行われた世界選手権では2回戦でアメリカのベリンダ・ビンクリーに敗れた。1985年3月に東京の講道館で開催されたアジア選手権では優勝を飾った。5月に行われた強化選手選考会では3位だったが、10月の強化選手選考会では決勝で日本大学1年の田辺陽子を破って優勝を飾った。
丸山 顕志(まるやま けんじ、1965年8月21日 - )は… 丸山 顕志(まるやま けんじ、1965年8月21日 - )は、宮崎県宮崎市出身の日本の柔道家。現役時代は65kg級の選手。身長169cm。得意技は丸山スペシャルと呼ばれていた変形の袖釣込腰。長男の丸山剛毅は2011年の世界ジュニア81kg級チャンピオン。次男の丸山城志郎は2019年に世界選手権66 kg級で優勝した。 長崎で生まれるがその後宮崎に移り、5歳の時に後に井上康生を輩出することになる「静充館柔道場」で柔道を始めた。 宮崎中学から国士舘高校に進み、3年の時には金鷲旗で2位となった。国士舘大学2年の時には新人体重別で優勝。3年の時には正力杯と正力国際の決勝で、長年のライバルとなる東海大学の大熊政彦をそれぞれ下して優勝を果たした。
飛崎 哲治(とびさき てつじ、1962年6月1日 - )は、… 飛崎 哲治(とびさき てつじ、1962年6月1日 - )は、高知県出身の日本の柔道家。65kg級と71kg級の選手。身長168cm。 国士舘大学に入学すると、新人体重別と正力杯の65kg級で優勝を飾った。その後、階級を71kg級に上げると、正力国際でも優勝を成し遂げた。大学を卒業後に警視庁へ入庁すると、1986年の選抜体重別では決勝で日体大1年の古賀稔彦を有効で破って優勝を飾った。嘉納杯では3位だった。1987年のフランス国際では決勝で地元フランスのマルク・アレクサンドルに敗れて2位だった。講道館杯では決勝で再び古賀を技ありで破って優勝を果たした。しかし、選抜体重別では初戦で天理大学の古田知史に敗れて世界選手権代表にはなれなかった。
斉藤 仁 (さいとう ひとし、1961年1月2日 - 201… 斉藤 仁 (さいとう ひとし、1961年1月2日 - 2015年1月20日)は、青森県青森市出身の日本の柔道家。ロサンゼルスオリンピック・ソウルオリンピック柔道男子95kg超級金メダリスト。国士舘大学体育学部教授、同大学柔道部監督、全日本代表監督を務めた。段位は講道館9段。位階は従五位。二人の息子がおり、二男は斉藤立。親戚は同郷青森市出身の元WBA世界フライ級チャンピオンのレパード玉熊。 1961年に青森市筒井八ッ橋(のちの筒井2丁目)で生まれ、1967年に市立筒井小学校へ入学。小学校時代には既に体が大きく、相撲をやっていて同級生らからは“水デブ”などとあだ名されていた。TBS系テレビドラマ『柔道一直線』にて、主人公(一条直也)が特訓して大きな相手を投げ飛ばしたり足でピアノを弾いたりするシーンを見て、「柔道をやれば、出来ない事もやれるようになるのではないか」と思ったのがきっかけとなり、父に「死ぬまで柔道をやるから」と誓って柔道着を買ってもらい、柔道を始め、アニメ『アニメドキュメント ミュンヘンへの道』の影響でいつしか自然と五輪を目指すようになっていったという。
西田 孝宏(にしだ たかひろ、1957年4月14日 - )は… 西田 孝宏(にしだ たかひろ、1957年4月14日 - )は、日本の柔道家(講道館8段)。 現役時代は軽中量級の選手として全日本選抜体重別選手権大会で4回優勝、講道館杯で5回優勝等の実績を残し、アジア選手権大会でも金メダルを獲得した。現在は全日本柔道連盟にて強化委員会や審判委員会の特別委員、山梨学院大学柔道部総監督を務める。 また、長女の優香は2010年の世界選手権大会で優勝し、長男の泰悟も全日本選抜体重別選手権大会や講道館杯へ出場・活躍した経歴を持つなど、柔道一家でもある。 福岡県大牟田市の出身。小学校2年生の時に周囲の友人が漫画『暗闇五段』の影響で市内にある角道場に通い始めた事が羨ましく、自ずと興味が湧いて父親に入門を乞うたのが斯道に入るきかっけとなった。
日蔭 暢年(ひかげ のぶとし、1956年7月9日 - )は、… 日蔭 暢年(ひかげ のぶとし、1956年7月9日 - )は、岩手県宮古市出身の日本の柔道家。身長170cm。得意技は谷落。 小学校6年の時に柔道を始めた。国士舘高校、国士舘大学卒業。 岩手県警に所属し、1983年の世界選手権78kg級で優勝するも、1984年のロサンゼルスオリンピックには国内予選で敗れて出場できなかった。1985年の世界選手権では2連覇を達成した。 その後、盛岡大学・盛岡大学附属高等学校の体育教師・柔道部顧問を経て、チュニジアのナショナルコーチとなり、その後2000年開催のシドニーオリンピック、2004年開催のアテネオリンピックで全日本女子柔道強化コーチを務める。 北京オリンピックに向けて、全日本柔道連盟(全柔連)の強化スタッフ・女子ヘッドコーチに就任。
岩渕 公一(いわぶち こういち、1955年 - )は、岩手県… 岩渕 公一(いわぶち こういち、1955年 - )は、岩手県出身の日本の柔道家。 1955年、岩手県東磐井郡藤沢町(現在の一関市)の農家のもとに生まれる。身体が大きく周囲からの勧めもあり、中学校から柔道に励む。岩手県立藤沢高等学校でも柔道部に所属し、国士舘大学へ進学した。卒業後に国士舘高校に保健体育教員として赴任。1978年に国士舘高校が後のロサンゼルスオリンピック及びソウルオリンピック95kg超級金メダリスト斎藤仁などの活躍でインターハイ団体戦で2連覇した際には、病を患った川野一成に代わって代理監督を務めた。その後、復帰してきた川野が国士舘中学の柔道部監督、岩渕が高校の監督を務める分業体制が確立して、中学高校の一貫指導が本格化していった(川野は中学及び高校の柔道部総監督も兼任)。