山崎 太陽(やまざき たいよう、2003年7月6日 - )は… 山崎 太陽(やまざき たいよう、2003年7月6日 - )は、東京都青梅市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 姓の表記は、プロ志望届およびドラフト会議では「山埼」となっていたが、プロ入り後の登録名は「山崎」となっている。 小学校入学前に野球を始める。中学では羽村リトルシニアでプレーした。 帝京第五高等学校では捕手であり、1年秋から正捕手を務めていた。当時は投手としての登板はわずか一度きり(1イニング)で、捕手としてプロ入りを目指していた。甲子園出場はなし。 創価大学では、入部直後にスローイング練習を見た監督の佐藤康弘から、投手としての素質を見出され、投手転向を打診された。
門脇 誠(かどわき まこと、2001年1月24日 - )は、… 門脇 誠(かどわき まこと、2001年1月24日 - )は、奈良県奈良市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 奈良市立平城小学校2年の時に西大寺ドリームズで野球を始め、奈良市立平城中学校では2年までリトルシニアの京都木津川シニアに所属し、その後はヤングリーグの北大阪ドラゴンズに所属した。 高校は東京都の創価高等学校に進学。1年夏から公式戦に出場し、2年秋からは主将を務めた。3年夏の西東京大会は準々決勝で勝又温史擁する日大鶴ヶ丘に敗れた。甲子園出場経験はない。 東京新大学野球連盟に所属する創価大学では入学直後の1年春からレギュラーの座を掴んだ。3年秋に首位打者と最多打点、4年秋には首位打者のタイトルを獲得し、ベストナインを5回受賞している。
上村 知輝(うえむら ともき、2000年3月23日 - )は… 上村 知輝(うえむら ともき、2000年3月23日 - )は、東京都出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ所属。 八王子市立横川小学校時代は横川スーパースターズ、八王子市立横川中学校時代は八王子桑都ボーイズでプレー。小学5年生のときから投手を務め、創価高等学校の2年生のときからサイドスローに転向した。 東京新大学野球連盟の創価大学硬式野球部時代の登板は1年生時に1試合と、4年生時に2試合の合計3試合であったと自身で話している。 2022年に当時ベースボール・チャレンジ・リーグ加盟球団だった新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団。1年目はリーグ最多の46試合に登板した。
鈴木 勇斗(すずき ゆうと、2000年3月17日 - )は、… 鈴木 勇斗(すずき ゆうと、2000年3月17日 - )は、鹿児島県日置市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 日置市立吉利小学校4年生から野球を始める。日置市立日吉中学校時代は串木野黒潮に所属。 鹿屋中央高校では2年秋からエース。3年夏の鹿児島県大会では準々決勝の鹿児島城西高校戦で3安打完封勝利を挙げた。準決勝の鹿児島高校戦では延長サヨナラ負けを喫しベスト4で敗退。甲子園出場はなし。 創価大学では2年春からリーグ戦に登板。3年秋には防御率1.72、4勝を記録しMVP、最優秀投手、ベストナインの3冠を獲得した。同年の関東地区大学野球選手権大会では2回戦の国際武道大学戦で3失点完投勝利を挙げるなどの活躍で準優勝に貢献。
萩原 哲(はぎわら てつ、1998年5月1日 - )は、京都… 萩原 哲(はぎわら てつ、1998年5月1日 - )は、京都府宇治市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。 宇治市立御蔵山小学校1年の時から少年野球チームに所属し、宇治市立木幡中学校では京都木津川シニアに所属。 宮崎県の日南学園高校に進学し、2年春から正捕手。3年時は春夏連続で甲子園に出場し、3年夏はベスト16。 創価大学では1年春から正捕手。リーグ戦は通算77試合に出場し、打率.269(242打数65安打)、1本塁打、38打点。4年時は主将も務めた。 2020年10月26日のドラフト会議において、読売ジャイアンツから7巡目で指名された。このドラフトでは同級生の保科広一も読売ジャイアンツから育成11位で指名されている。
望月 大希(もちづき だいき、1998年2月1日 - )は、… 望月 大希(もちづき だいき、1998年2月1日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生時代は、南流ファイターズでプレー。中学時代は、船橋市立八木が谷中学校の軟式野球部に所属。 市立船橋高校時代は、甲子園出場経験はない。 創価大学時代は、1年冬の健康診断にて蛋白尿と血尿が見つかったため、練習量を最低限にこなしていた。さらに、2年春には指定難病である「IgA腎症」を発症し、扁桃腺を摘出する手術を受けるなど実戦から遠ざかっていた。2年秋から試合に復帰したが、2年冬から3年春にかけては、ステロイド治療に専念した。 その後、3年春にリーグ最優秀防御率となると、同期の杉山晃基と小孫竜二らと共に強力な投手陣を形成した。
寺嶋 寛大(てらしま かんだい、1992年10月12日 - … 寺嶋 寛大(てらしま かんだい、1992年10月12日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 清和小学校1年生の時に「大塚スネイクス」で野球を始めた。4年生時に捕手になり、6年生時には高円宮賜杯全日本学童軟式野球大会に出場した。巣鴨北中学校では「中野シニア」に所属していた。興誠高校では1年生時の秋に一塁手のレギュラーに、2年生時の秋には正捕手になった。高校通算では26本塁打を放った。甲子園出場経験は無い。 創価大学では1年生時の秋に正捕手になり、4年生時には主将を務めた。大学の2学年先輩に小川泰弘がおり、1年生の時からバッテリーを組み、精神面や配球面などでアドバイスを受けていた。
佐藤 明義(さとう あきよし、1992年3月3日 - )は、… 佐藤 明義(さとう あきよし、1992年3月3日 - )は、北海道砂川市出身の元アマチュア野球選手(投手)、監督。2022年から2023年まで、すながわリバーズの監督を務めた。 小学生時代は砂川スティッカーズで、中学生時代は砂川中学校の野球部で野球をプレー。 砂川高等学校では1年秋から主戦投手としてほとんどの試合で登板。身長166cmと小柄ながら、右腕エースとして活躍した。高校卒業後は上京し、創価大学に進学。東京新大学野球連盟所属の野球部でも投手としてプレー。4年生のときに同部が出場した第62回大学選手権ではベンチ入りするも、同期には石川柊太がおり、同大会での登板の機会は無かった。 大学卒業後は航空自衛隊に入隊し、北海道に戻る。
石川 柊太(いしかわ しゅうた、1991年12月27日 - … 石川 柊太(いしかわ しゅうた、1991年12月27日 - )は、東京都品川区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 品川区立立会小学校2年生から「元芝ハヤブサ」で野球を始め、中学までは「水神ファイターズ」で軟式野球をやっていた。 総合工科高へ進学。3年春夏ともに都大会8強入りの実績を残した。東東京大会4回戦高輪高等学校戦では5安打完封勝利を記録した。受験シーズンの頃は、周囲から石川の実力ではレギュラー昇格が無理な大学もいくつかあると見られていた。 創価大学進学後は、先輩の小川泰弘の卒業後から登板機会が増え、4年の大学選手権では初戦で高野圭佑がエースの四国学院大学に完封勝利。
倉本 寿彦(くらもと としひこ、1991年1月7日 - )は… 倉本 寿彦(くらもと としひこ、1991年1月7日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。ハヤテベンチャーズ静岡所属。 小学校から野球を始め、藤沢リトルリーグに所属。この頃に横浜高等学校野球部のプレーを見て憧れるようになった。 茅ヶ崎市立萩園中学校時代は寒川シニアに所属。卒業後の進路は「お前では無理だ」と口を揃える中学野球関係者の反対を押しきり、横浜高等学校を一般入試で受験。晴れて合格し、憧れていた野球部に入部する。 入学後すぐに、あまりの練習の厳しさとレベルの違いに打ちのめされ、野球部を辞めようとしたことがあった。しかし母から「好きな野球をやると自分で決めたのなら、最後までやり抜きなさい」と叱咤され思い直し、以来、心が折れるたび、その言葉を支えに立ち上がってきた。
小川 泰弘(おがわ やすひろ、1990年5月16日 - )は… 小川 泰弘(おがわ やすひろ、1990年5月16日 - )は、愛知県渥美郡赤羽根町(現:田原市)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 5人兄弟の末っ子として生まれた。小3から野球を始め、田原市立赤羽根中学校時代は軟式野球部に所属しエースとしてチームを県大会出場に導いた。 成章高校に進学後、2年冬には愛知県選抜として中川大志や福谷浩司と共に日米親善試合に出場した。3年春には21世紀枠でセンバツに出場、1回戦で駒大岩見沢高校を3-2で前評判を覆して下し、創部103年目で甲子園での初勝利を飾った。夏の甲子園は東愛知大会決勝戦で大府高校に1対3で敗退する。夏休みはサーフィンをしたりして過ごす一方で、「とにかく野球を続けなきゃ」「プロ野球でやりたい」という気持ちが芽生えており、進路について「大学でステップを踏み、プロ入りを現実的なものにする」と考え、地元・愛知県内の大学でプレーするイメージを抱いていた。
大塚 豊(おおつか ゆたか、1987年12月20日 - )は… 大塚 豊(おおつか ゆたか、1987年12月20日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。日本ハムベースボールアカデミーコーチ。 小学6年生から江戸川南リトルリーグに入団し、2000年の全日本選抜大会で優勝。「3番・捕手」として活躍した。 シニアリーグでは内野手兼投手として活躍し、クリーンアップを打っていた。高校は江戸川南の先輩である小谷野栄一、高口隆行の後を追って創価高等学校に入学。 創価大学進学後は、リーグ戦で1年目に最優秀新人賞、最優秀投手賞を獲得し、2年目以降も防御率が2.02がもっとも悪い成績で他の防御率は常に0点台から1点台前半、先輩の八木智哉を抜く、23連勝のリーグ新記録を含む通算41勝1敗の圧倒的な成績を残し3度の最優秀投手賞、4度のベストナインとMVP、6度の最多勝を獲得した。
田上 健一(たがみ けんいち、1987年12月12日 - )… 田上 健一(たがみ けんいち、1987年12月12日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者で、YouTuber。 横浜市立都田西小学校3年生の時に野球を始めた。中学はクラブチーム(緑中央シニア)に入団、中学野球で外野手に転向。 横浜市立川和中学校に進学後、シニアの監督からは団体競技だと週末の試合などでバッティングする可能性があるので「学校の部活は運動部なら個人競技の陸上部以外入るんじゃない!」と言われ監督は日ごろの体力向上の為に陸上部に入ると思っていたようだが田上は文化部のパソコン部に入部した。 本人曰く、この時にワープロ検定1級相当の技術を学べたので今の仕事にも役に立っていると語っている。
髙田 周平(たかだ しゅうへい、1985年6月3日 - )は… 髙田 周平(たかだ しゅうへい、1985年6月3日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。現在は阪神タイガースの打撃投手。 実家は3歳の時まで甲子園駅前にあったため、1985年に阪神タイガースが日本一となった際には、連日自宅で聞こえる熱狂的な歓声を子守唄にして育った。 小学4年生のときに野球を始める。この頃から投手で、高須南ボブキャッツ・武庫川イーグルスに所属していた。小学6年生で中学受験に専念するために一度野球を辞めたが、関西創価中学校入学後に再開。 中学の野球部引退後、高校の野球部寮に入寮するまでの期間、毎晩帰宅後の自主トレーニングを欠かさずに続けた。
八木 智哉(やぎ ともや、1983年11月7日 - )は、神… 八木 智哉(やぎ ともや、1983年11月7日 - )は、神奈川県横浜市保土ケ谷区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。義理の弟(八木の妻の弟)は総合格闘家の徳留一樹。 小学2年の時、地元横浜市の軟式野球チーム「くぬぎ台レッドパンサーズ」で野球を始めた。中学時代はヤングリーグ「横浜旭ベースボールクラブ」に所属し、全国大会に出場。中学卒業後は山梨県の日本航空高等学校に進学し、3年夏には第83回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦の鳴門工戦で11奪三振を記録して3回戦に進出。 創価大学に進学した後、1年時からベンチ入りし大学通算35勝。4年時の2005年の全日本大学野球選手権では49奪三振の大会新記録を樹立し、準決勝で優勝した青山学院大学に敗れたがベスト4進出。
梅田 浩(うめだ ひろし、1983年10月25日 - )は、… 梅田 浩(うめだ ひろし、1983年10月25日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)。
高口 隆行(たかぐち たかゆき、1983年8月23日 - )… 高口 隆行(たかぐち たかゆき、1983年8月23日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。右投右打。 小学校1年生の時に野球を始め、江戸川南リトルでは全国制覇。江戸川南リトルの先輩に松坂大輔と小谷野栄一がいる。 創価高校では1年秋から遊撃の定位置を掴み、2年春の選抜高校野球では佐賀商に初戦敗退を喫する。3年生(2001年)の夏には全国高等学校野球選手権西東京大会準決勝でその年の全国優勝校である日大三に敗れ、高校での野球生活を終える。その後創価大学に進み、2年からレギュラーの座を手にし、東京新大学リーグのベストナインにも選ばれた。 2005年のプロ野球ドラフト会議(大学生・社会人ほか対象)で6巡目の指名を受け、大学の同期の八木智哉と同じ日本ハムに入団した。
野間口 貴彦(のまぐち たかひこ、1983年5月31日 - … 野間口 貴彦(のまぐち たかひこ、1983年5月31日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)。 1983年に兵庫県で生まれる。シニアリーグ時代に所属した伊丹シニアでAA世界野球選手権大会に出場した。2001年に関西創価高校から第73回選抜高等学校野球大会に出場。選抜初出場の同高でベスト4まで進出。2回戦では高井雄平と投げ合い1失点で完投勝利を収め、最終的に準決勝まで進出するが優勝した常総学院の横川史学にサヨナラ打を浴びて惜敗。この時点でプロからの誘いもあったが、大学進学を表明したことで指名回避された。 2002年に創価大学へ進学し、1年時から春のリーグ戦に登板するも「一発勝負の高校野球に比べ、リーグ戦の続く大学野球にあまり魅力を感じなかった」として退学し、シダックス野球部に入社。
小谷野 栄一(こやの えいいち、1980年10月10日 - … 小谷野 栄一(こやの えいいち、1980年10月10日 - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 愛称は「栄ちゃん」。 リトルシニアリーグでは江戸川区の江戸川南リトルリーグに所属。松坂大輔とチームメイトだった。創価高校3年春(1998年)に甲子園(第70回選抜大会)に出場し、2回戦で上重聡を擁するPL学園高校に完封負けを喫し、自身は3番二塁手でフルイニング出場、4打数無安打だった。 創価大学に内部進学し、1年秋からレギュラーとして出場した。1年時の明治神宮野球大会では青山学院大学と対戦し、石川雅規から6打数3安打(再試合を含む)を記録した。4年時の大学選手権では早稲田大学の和田毅から4安打を放った。
金森 久朋(かなもり ひさとも、1980年6月22日 - )… 金森 久朋(かなもり ひさとも、1980年6月22日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(投手)。
中村 隼人(なかむら はやと、1975年8月22日 - )は… 中村 隼人(なかむら はやと、1975年8月22日 - )は長崎県出身の元プロ野球選手(投手)、飲食店経営者。2002年から2004年6月1日までの登録名は隼人。弟はプロサッカー選手の中村北斗。
阿久根 鋼吉(あくね こうきち、1974年6月22日 - )… 阿久根 鋼吉(あくね こうきち、1974年6月22日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 花咲徳栄高等学校ではエースの池田郁夫と同期、1学年上に品田操士、1学年下にその弟・寛介がいた。1993年に創価大学に進学。東京新大学リーグでは1994年春季リーグ戦からの8連覇のうち、6連覇に貢献。自身も2年秋から4年春までベストナイン受賞。大学では1学年上の武藤孝司と三遊間を組み、1学年下に中村隼人がいた。 社会人野球のNTT関東では1998年の日本選手権で3試合連続本塁打を打つなど優勝に貢献し最優秀選手に選出された。また同年のバンコクアジア大会決勝の韓国戦で朴賛浩から本塁打を打った。
武藤 孝司(むとう たかし、1973年6月6日 - )は、神… 武藤 孝司(むとう たかし、1973年6月6日 - )は、神奈川県川崎市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。 横浜商高では1990年に夏の甲子園に出場し、2回戦の日大東北戦ではランニング本塁打を記録するなど、チームのベスト8進出に貢献した。創価大学で1年秋に首位打者、最多打点で最優秀新人、MVPとなる。盗塁王1回、ベストナイン3回。1995年のドラフトで近鉄に3位指名され、入団。 2年目の1997年、オープン戦で振るわなかったために開幕一軍はならなかったが、開幕8試合目から1番でスタメン出場するようになり、遊撃手のレギュラーとしても定着、大村直之がスタメンに入った後は2・9番併用、8月から再び1番に入る。
高橋 郁雄(たかはし いくお、1973年1月11日 - )は… 高橋 郁雄(たかはし いくお、1973年1月11日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(外野手)。 日大一高を経て、創価大学では4年春にリーグ初のサイクル安打を記録、一光へと進むが、新人大量補強にはじきだされた形で退部。日本ハムファイターズの入団テストを受けるも不合格となったが、ヤクルトスワローズの入団テストを受けて合格となり、1997年のドラフト会議で5位指名を受け入団。 俊足強肩を売りとした外野手だったが、1軍出場のないまま、1999年に戦力外通告を通知され、現役から引退する。その後は事業を継いでいる。
堀内 尊法(ほりうち たかのり、1968年6月25日 - )… 堀内 尊法(ほりうち たかのり、1968年6月25日 - )は、大阪府出身の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。 少年時代に父の故郷である愛媛県松山市に移り住み、松山商業高等学校では1986年の夏の甲子園で準優勝し、全日本代表チームにも選ばれ、日韓親善高校野球にも出場した。同期に水口栄二、佐野重樹、1学年上に酒井光次郎がいた。 その後創価大学に入学し、硬式野球部に入部した。1年春に首位打者になり、ベストナインに選ばれた。4年次は主将も務め、全日本大学野球選手権ではベスト4に進出した。1990年の第19回日米大学野球選手権大会の日本代表に選ばれた。 肩の故障を抱えていたために卒業後は翌年からコーチとなり、三塁ベースコーチとしてもチームの全国大会上位進出に貢献し、武藤孝司、小谷野栄一、倉本寿彦らを指導した。
佐藤 康弘(さとう やすひろ、1967年7月25日 - )は… 佐藤 康弘(さとう やすひろ、1967年7月25日 - )は、日本の野球選手(投手)、野球指導者。 中学生時代まで栃木県で過ごしていたが、都内の強豪校で野球をしたいと考えて創価高校に進学した。しかし硬式球を使った練習で左膝を痛め、2年生になるまで練習ができなかったという。玉川上水沿いで走り込むなど練習を重ね、背番号1のエースとして臨んだ1985年夏の西東京大会では準々決勝に進出するが、法政一高に敗退した。 1986年、創価大学に進学し野球部に入部した。東京新大学リーグでは流通経済大の後塵を拝し、在学中8季連続2位にとどまる。しかし猛練習を積み、2年生の1987年秋季リーグではノーヒットノーランを達成している。