鈴木 大八郎(すずき だいはちろう、1932年 - 没年不明… 鈴木 大八郎(すずき だいはちろう、1932年 - 没年不明)は、日本の作曲家、編曲家、演奏家。中央大学応援歌 「中大健児の歌」作曲者。鈴木音楽研究所主宰。 1951年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1955年、中央大学卒業。中央大学音楽研究会に所属、委員長を務めた。大学2年の時、中央大学応援歌 「中大健児の歌」を作曲した。静岡市で鈴木音楽研究所を開設。 昭和27年に「中大建児の歌」が誕生する。新しい中央大学学生歌として募集され、発表会では、「新応援歌」として、昭和27年11月23日、白門祭の期間中の大講堂で行われ現在に至るまで、中大生愛唱歌の一つとして歌い継がれ校歌等と共ににカセットテープ「中央大学校歌」にも収録され、応援部・チアリーディング部のメイン演舞の曲となっている。
池田 治(いけだ おさむ、1931年12月15日 - 200… 池田 治(いけだ おさむ、1931年12月15日 - 2006年5月25日)は、日本の弁護士、元政治家。参議院議員(1期)。 愛媛県東宇和郡野村町(現・西予市)出身。1956年中央大学法学部卒業。法政大学の講師などを経て、1969年弁護士登録。1984年法曹政治連盟会長に就任する。1989年の第15回参議院議員通常選挙に愛媛県選挙区から連合推薦で立候補し、自由民主党公認で現職の檜垣徳太郎元郵政大臣を破って初当選。連合参議院(後の民主改革連合)の結成に参加。民主改革連合の幹事長などを務めた。1995年の第17回参議院議員通常選挙で再選を目指したが自由民主党公認の塩崎恭久に敗れて落選、政界から引退した。
丸山 義行(まるやま よしゆき、1931年10月28日 - … 丸山 義行(まるやま よしゆき、1931年10月28日 - 2024年1月15日)は、栃木県今市市出身の元サッカー選手、サッカー審判員・指導者。日本人として初めてFIFAワールドカップ審判に選出されるなどの実績から日本のサッカー審判員の第一人者と呼ばれる人物である。 栃木県立今市高等学校時代にはアイスホッケー部とサッカー部に所属。1950年に中央大学へ進学しサッカー部へ加入し小野卓爾の指導を受けた。1954年に大学卒業後は小野の下でコーチとして同サッカー部の指導を補佐する一方で、当時のサッカー協会では「各大学から一名ずつ審判員を派遣する」との方針があった事情から審判員を務めることになった。個人の意に反して審判員としての道へ進んだ丸山だったが、試合の中で重要な役割を担う審判の面白さに引きこまれると、1956年から日本サッカー協会 (JFA) の1級審判員になり、1961年からは国際サッカー連盟 (FIFA) の国際審判員となった。
丸地 守(まるち まもる、1931年10月24日 - 202… 丸地 守(まるち まもる、1931年10月24日 - 2025年10月17日)は、日本の詩人。 愛知県豊橋市生まれ。中央大学法学部卒。2001年現代詩人会理事長を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
加美 和照(かみ かずてる、1931年10月14日 - )は… 加美 和照(かみ かずてる、1931年10月14日 - )は、日本の法学者。専門は、商法・会社法。学位は、博士(法学)(中央大学・論文博士・1997年)。中央大学名誉教授。 1954年中央大学法学部法律学科卒業。1956年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。 埼玉大学文理学部助手。1962年青山学院大学法学部専任講師。1965年青山学院大学法学部助教授。1966年中央大学法学部専任講師。1967年中央大学法学部助教授。1969年中央大学法学部教授。1975年ドイツ・ミュンスター大学に留学(~1976年)。1979年中央大学通信教育部長(~1981年)。1986年学校法人中央大学評議員(~1990年)。
泉田 昭(いずた あきら、1931年10月10日 - 202… 泉田 昭(いずた あきら、1931年10月10日 - 2021年9月16日)は、日本の福音派牧師。日本福音同盟初代理事長。日本聖書刊行会常任理事。東京キリスト教学園顧問などを務める。福音主義神学会の創立に関わった。 1931年10月10日に広島県三原市幸崎渡瀬に生まれる。渡瀬小学校時代、浄土真宗の日曜学校に通う。幸崎中学時代に終戦を迎える。広島大学三原分校附属高校に進む。 中央大学法学部に入学し、憲法学者の宮沢俊義、佐藤功から憲法を学ぶ。大学で国際ギデオン協会が配布した『英和対訳聖書』を読み始め、日本基督教団久ヶ原教会に通うようになる。木村清松名誉牧師の説教に感動し、毎週礼拝に通うようになった。
高橋 輝(たかはし あきら、1931年9月19日 - 199… 高橋 輝(たかはし あきら、1931年9月19日 - 1992年5月27日)は、埼玉県出身のプロ野球選手。左投左打で、ポジションは投手。 大宮実科工業学校から中央大学へ進学し、同大学野球部に所属。1949年春の東都大学リーグ戦で、1990年春に亜大小池秀郎に更新(111個)されるまで長らくシーズン最多奪三振記録だった107個を樹立するが2年で中退し、1950年に国鉄スワローズへ入団。3月11日の広島カープ戦で球団は初勝利を挙げるが、この時の勝利投手が高橋だった。1年目は52試合に登板し、10勝15敗で球団最初の二桁投手になった。2年目も10勝し2年連続二桁勝利を記録した。1954年は7勝するが、以降の年からは勝利を挙げる事ができず1956年に引退となった。
真鍋 正(まなべ ただし、1931年9月14日 - 1994… 真鍋 正(まなべ ただし、1931年9月14日 - 1994年4月30日)は、日本の経営者。ナムコ社長を務めた。愛媛県出身。 1957年に中央大学第二経済学部経済学科を卒業し、1964年に中村製作所(のちのナムコ)に入社。1972年に取締役に就任し、1981年に常務、1986年6月に専務を経て、1990年6月に社長に就任。1992年4月には副会長に就任。 1994年4月30日大腸がんのために死去。62歳没。
川野 京輔(かわの きょうすけ、1931年8月29日 - )… 川野 京輔(かわの きょうすけ、1931年8月29日 - )は、広島県生まれの日本の作家、作詞家。作詞時の筆名は杉野 まもる。本名は上野 友夫。日本推理作家協会名誉会員。中央大学法学部法科卒業。 推理小説、歴史小説、評論、ノンフィクション、エッセイなど幅広く執筆。 中央大学在学中の1953年から『千一夜』『風俗草紙』などの性風俗雑誌、『宝石』『探偵倶楽部』『探偵実話』などの探偵小説誌に短編の投稿を始め、同年末には『別冊宝石』の懸賞に本名で応募した「復讐」が入選し、「宝石新人二十五人集」として作家デビュー。1955年「消えた街」で第9回宝石賞佳作。 1954年にNHKに入局し、NHK広島中央放送局放送部、NHK松江放送局放送部を経て、1960年より東京芸能局ラジオ文芸部に転属となり、ラジオドラマの演出などを担当。
三村 恪一(みむら かくいち、1931年8月16日 - 20… 三村 恪一(みむら かくいち、1931年8月16日 - 2022年2月19日)は、日本出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFB。 第二次世界大戦後に都立第八中学校(東京都立小山台高等学校の前身)に編入しサッカーを始める。卒業後は中央大学に進学し、1953年には長沼健と共に日本学生選抜に選出され、ドイツのドルトムントで開催された国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)に出場した。 大学卒業後は東邦チタニウムに入社し、同社にサッカー部を設立。選手兼指導者として選手強化や環境作りに奔走した。 日本代表としては、1955年1月の東南アジア遠征で代表デビュー。同月11日のビルマ(体協選抜)戦で国際Aマッチ出場を果たし(後の日本代表データの見直しで2日のビルマ(保険大臣チーム)戦が国際Aマッチと認められたため、現在はこの試合が国際Aマッチデビュー戦)、同年11月のメルボルンオリンピック代表メンバーに選出された。
田村 憲司(たむら けんし、1931年〈昭和6年〉7月16日… 田村 憲司(たむら けんし、1931年〈昭和6年〉7月16日 - 2021年〈令和3年〉10月11日)は、日本の実業家。日本土建名誉会長。ZTV代表取締役社長。津商工会議所会頭、三重県商工会議所連合会会長。三重県建設業協会顧問。TBSテレビアナウンサーの田村真子は孫。 三重県出身。弁護士で衆議院議員田村秢の二男。旧制津中学校を経て、1953年、中央大学法学部卒業。中外炉工業に入社。父親の勧めで日本土建に入社。 1960年、日本土建専務取締役。1966年、代表取締役社長。2007年、代表取締役会長。2016年、取締役名誉会長。 1990年、ZTV代表取締役社長。1991年、社団法人三重県建設業協会長として、三重建設図書館の設置を提案、実現する(2006年に休館。
藤本 永治(ふじもと えいじ、1931年7月5日 - 201… 藤本 永治(ふじもと えいじ、1931年7月5日 - 2018年11月)は毎日放送(MBS)の元アナウンサーである。愛称は「MBSの永ちゃん」(矢沢永吉に対抗して)。 東京都出身。中央大学卒業後、1954年に新日本放送(NJB。現在の毎日放送)のアナウンサーとして入社。同期には小池清。 毎日放送ではラジオ番組中心に出演。1984年6月1日より秘書室へ人事異動となった小池の後を継いでアナウンサー室長を1992年まで務めた。アナウンサー室長時代は「ひょうきん室長」と呼ばれていた。その後は主幹となり、1993年まで在籍して退職。退職後も、年に1回ほどのペースで、毎日放送のラジオ番組にゲストで出演していた。
熊本 哲之(くまもと のりゆき、1931年(昭和6年)6月4… 熊本 哲之(くまもと のりゆき、1931年(昭和6年)6月4日 - 2018年(平成30年)5月2日)は、日本の政治家。東京都世田谷区長(2期)、東京都議会議長(第35代)、東京都議会議員(6期)を務めた。 広島県呉市生まれ。中央大学法学部卒業。衆議院議員秘書を経て、1977年東京都議会議員選挙に立候補し、初当選。6期24年にわたって都議を務める。1988年、当時の鈴木俊一東京都知事の下で都庁舎の新宿への移転が行われるにあたり設置された新都庁舎建設特別委員会の委員長に就任。1995年、青島幸男都政下では地方分権推進特別委員長に就任し、同年9月には東京都議会議長に就任(1997年7月まで)。 1999年、都議を任期途中で辞職し、世田谷区長選挙に自民党・自由党推薦で立候補したが、現職の大場啓二に敗れた。
小野 幹雄(おの もとお、1931年3月16日 - )は、日… 小野 幹雄(おの もとお、1931年3月16日 - )は、日本の最高裁判所判事。 少年時代は父親の任地の樺太に住み、戦後に引き揚げてから家計を助けるなど苦労を重ねた。中央大学在学中に司法試験に合格。司法修習は第7期。1955年4月に裁判官となる。刑事が専門で、裁判現場が長い一方で、最高裁刑事局長、大津地裁所長、司法研修所所長、大阪高裁長官を歴任した。 1992年2月13日に最高裁判所判事に就任。 1995年8月に定年退官。
斉藤 実(さいとう みのる、1931年3月7日 - 1999… 斉藤 実(さいとう みのる、1931年3月7日 - 1999年11月22日)は日本の記録映画監督・探検家。1975年(昭和50年)に実施されたヘノカッパⅡ世号での漂流実験が有名。 1931年千葉県に生まれ、中央大学経済部卒業。記録映画の監督となり、自らマグロ漁船に乗り込み、撮影を続けた。 1965年(昭和40年)9月、TV局の依頼を受け、近海マグロ船の取材中に台風26号に遭遇し、乗船は無事だったが、同日に別の漁船が遭難、十数時間後に救助されていたにもかかわらず二人が死亡したこと、また翌10月にマリアナ群島沖で、静岡のカツオ船団が台風に巻き込まれ多くの遭難者を出したこと(マリアナ海域漁船集団遭難事件)に衝撃を受ける。
伴 昭彦(ばん あきひこ、1931年2月2日 - 2023年… 伴 昭彦(ばん あきひこ、1931年2月2日 - 2023年12月4日)とは、日本の弁護士。新潟県弁護士会会長、日本弁護士連合会常務理事、新潟明訓高等学校理事長を務めた。新潟県新潟市出身。
猪熊 重二(いのくま じゅうじ、1931年〈昭和6年〉1月9… 猪熊 重二(いのくま じゅうじ、1931年〈昭和6年〉1月9日 - 2007年〈平成19年〉1月28日)は、日本の政治家、弁護士。中央大学卒業。公明党参議院議員(2期)。 娘は東京都副知事の猪熊純子。 1931年、群馬県北群馬郡子持村(現・渋川市)の農家に生まれる。旧制渋川中学校(現・群馬県立渋川高等学校)を経て1953年中央大学法学部を卒業。小学校教諭、弁護士を務める。東京都港区西新橋に猪熊重二法律事務所を設立。 1983年、第13回参議院議員通常選挙に公明党公認候補として立候補したが落選する。1986年7月6日、第14回参議院議員通常選挙に、比例区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降2期)。
瀬木 慎一(せぎ しんいち、1931年1月6日- 2011年… 瀬木 慎一(せぎ しんいち、1931年1月6日- 2011年3月15日)は、日本の美術評論家。 東京府生まれ。中央大学法学部卒業後、1950年代から岡本太郎、花田清輝らの前衛芸術運動「夜の会」に参加するなど美術評論に関わり、多くの著述を執筆した。東京芸術大学でも美術論や芸術史の講義をした。日本に多くの西洋美術を紹介する。とくに社会や経済の視点から美術を論じた美術社会学研究が著名で、海外でも知られている。 総合美術研究所所長・国際美術評論家連盟会長・ジャポニズム学会常任理事・国際浮世絵学会理事などを歴任。 テレビ東京の番組「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士としても、たびたび出演した。 2011年3月15日、肺炎のため80歳で死去。
磯村 修(いそむら おさむ、1931年1月3日 - 2018… 磯村 修(いそむら おさむ、1931年1月3日 - 2018年11月10日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
三上 昭美(みかみ てるみ、1931年〈昭和6年〉1月1日 … 三上 昭美(みかみ てるみ、1931年〈昭和6年〉1月1日 - 2018年〈平成30年〉8月19日 )は、日本の歴史学者。元中央大学文学部教授。日本の近代史の研究者として知られ、日本古文書学会常任理事などを務めた。岡山県新見市出身。 1931(昭和6)年、岡山県阿哲郡新見町(現:新見市)で出生する。1943(昭和18)年、地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。同期には岡山大学名誉教授の佐藤巌がいた。1945(昭和20)年、学徒動員先だった山口県の小野田セメント工場で玉音放送を聴く。 5年制であった旧制中学を4年で飛び級卒業(新制中学校へ移行処置)し、旧制高等学校で最後の入学生となる1947年に京都にある第三高等学校文科へ進学した。
石田 榮一(いしだ えいいち、1931年 - )は、日本の法… 石田 榮一(いしだ えいいち、1931年 - )は、日本の法学者・教育者。専門は、商法・手形法・小切手法。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き教員の一人。東京出身。 中央大学法学部通信教育課程卒業。その後、一橋大学大学院法学研究科修士課程修了(指導:田中誠二)。1960年、英語塾を経営。1964年、西山英学院英語専門部長。桐生短期大学生活デザイン科非常勤講師。1967年、桐生短期大学生活デザイン科専任講師。中央大学法学部通信教育課程インストラクター(1986年まで)。1969年、桐生短期大学生活デザイン科助教授。1978年、上武大学商学部助教授。1981年、上武大学商学部教授。1986年、上武大学経営情報学部教授。
重松 一義(しげまつ かずよし、1931年 - )は、日本の… 重松 一義(しげまつ かずよし、1931年 - )は、日本の法制史研究者、犯罪学者。 愛媛県松山市生まれ。中央大学法学部卒業。 矯正研修所教官(行刑史・少年保護史)、中央学院大学法学部教授(刑事政策・日本法制史・法学)、同比較文化研究所長、2002年定年退任。 犯罪と非行に関する全国協議会常任理事・福岡県警察史編纂顧問・網走監獄保存財団顧問・東京家庭裁判所調停委員。
渡辺 綱纜(渡邊 綱纜、わたなべ つなとも、1931年 - … 渡辺 綱纜(渡邊 綱纜、わたなべ つなとも、1931年 - 2024年10月14日)は、日本の実業家。元宮交シティ社長。元宮崎産業経営大学教授。 朝鮮半島に生まれる。宮崎県立宮崎大宮高等学校、中央大学法学部卒業。1953年、宮崎交通に入社。企画宣伝課長・観光副部長・総合センター部長・常務取締役などを歴任。1987年、株式会社宮交シティ社長に就任。 2024年10月14日、老衰のため宮崎市内の病院で死去。93歳没。
萩原 金美(はぎわら かねよし、1931年〈昭和6年〉 - … 萩原 金美(はぎわら かねよし、1931年〈昭和6年〉 - 2017年〈平成29年〉11月9日)は、日本の法学者、裁判官のち弁護士。神奈川大学教授、法学部長を歴任し、同名誉教授。スウェーデン司法研究、民事訴訟法研究、調停を含むいわゆるADR研究など研究対象は多岐にわたる。 1931年、群馬県群馬郡滝川村八幡原(現・高崎市)の農家に生まれる。旧制佐波農業学校(現・群馬県立伊勢崎興陽高等学校)を経て、旧制中央大学法学部専門部卒業後(最後の卒業生)、新制中央大学3年に編入、在学中の1951年に司法試験合格。1953年中央大学卒業、1954年裁判官任官。同年、判事補として赴任した仙台地裁家裁の古川支部においていわゆる松山事件に左陪席として関与し、死刑判決を下した。
山北 由希夫(やまきた ゆきお、1931年? - 2024年… 山北 由希夫(やまきた ゆきお、1931年? - 2024年2月6日)は、日本の作詞家。東京都新宿区出身。 中央大学経済学部卒業。1958年に雑誌『平凡』の懸賞募集作詞へ入選し、コロムビアより『乙女の十字架』(唄:青山和子)が発売になる。作詞家の松井由利夫に師事し、1961年に『上野発故郷行』(唄:高城丈二、ポリドール)及び『すてきなワルツ』(唄:松山恵子、マーキュリー)でデビューを果たす。その後は松井の紹介で同人誌『新歌謡界』に入門し、ローカル作品コンクールで発表した『夕焼け水車』が入選。そこで曲を付けた川上英一の師匠・吉田矢健治に出会い、1965年1月にはキングレコード専属作詞家となる。後にフリー。
熊川 次男(くまかわ つぎお、1930年〈昭和5年〉11月3… 熊川 次男(くまかわ つぎお、1930年〈昭和5年〉11月30日 - )は、日本の弁護士(登録番号:8186)、政治家。衆議院議員(4期)、大蔵政務次官(第2次中曽根内閣)、総務政務次官(竹下内閣)、衆議院環境委員長などを歴任。 群馬県吾妻郡嬬恋村に、父・熊川博、母・のいの子として生まれる。叔父は群馬県議会議員を務めた熊川良太郎。群馬県立中之条農業学校を経て、1954年中央大学法学部卒業。1958年に司法試験合格。1959年、早稲田大学大学院法学研究科を修了。 1961年前橋市に熊川弁護士事務所を設立。税理士としても登録。群馬法律専門学校講師、前橋市労働教育委員などを歴任する。 1971年に群馬県議会議員に当選。
北口 博(きたぐち ひろし、1930年11月20日 - 20… 北口 博(きたぐち ひろし、1930年11月20日 - 2019年11月6日)は、日本の政治家。元自由民主党所属衆議院議員(4期)。 熊本県生まれ。1955年に中央大学法学部卒業後、熊本県農業協同組合中央会に勤務。岳父の参議院議員北口龍徳秘書を務めた後、1967年に熊本県議会議員になる。1979年、第35回衆議院議員総選挙熊本1区に無所属で立候補し初当選。この時、北口を推した県議2人は自民党から除名となった。以後4期務める。1985年、第2次中曽根第2次改造内閣防衛政務次官。1987年、竹下内閣農林水産政務次官。同年、第13回先進国首脳会議(ベネチアサミット)開催に際し、中曽根康弘首相に随行。1989年、中川秀直の辞任に伴い、衆議院科学技術委員長に就任。
出牛 正芳(でうし まさよし、1930年11月17日 - 2… 出牛 正芳(でうし まさよし、1930年11月17日 - 2015年2月23日)は、日本のマーケティング研究者。 東京都出身。学校法人専修大学前理事長、商学博士(中央大学)。専修大学名誉教授、サスクェハナ大学名誉法学博士。 東京都に生まれる。1953年3月、早稲田大学商学部卒業。 1955年3月、早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了。 1959年3月、早稲田大学大学院商学研究科博士課程単位取得。 1961年4月、専修大学経営学部講師。1965年4月、専修大学経営学部助教授。 1971年4月、専修大学経営学部教授。1980年9月-1990年8月、専修大学経営学部長。 1998年9月-2004年8月、専修大学長。
清水 睦(しみず むつみ、1930年〈昭和5年〉11月3日 … 清水 睦(しみず むつみ、1930年〈昭和5年〉11月3日 - )は、日本の法学者(憲法)。中央大学名誉教授。法学博士(中央大学・論文博士・1980年)。 長野県諏訪郡原村出身。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)、中央大学予科を経て、1953年中央大学法学部(旧制)卒業。TBSアナウンサーの清水大輔の父にあたる。三木義一青山学院大学学長は清水ゼミ出身。 『現代国家の憲法的考察 清水睦先生古稀記念論文集』植野妙実子編 信山社出版 2000
溝口 喜文(みぞぐち よしふみ、1930年(昭和5年)10月… 溝口 喜文(みぞぐち よしふみ、1930年(昭和5年)10月13日 - )は、日本の弁護士。 東京都出身。中央大学法学部卒業。東京弁護士会副会長、関東弁護士会連合会理事長、日本弁護士連合会常務理事などを歴任した。 山路ふみ子文化財団理事をつとめ、2011年山路ふみ子文化財団特別賞を受賞した。
鷹羽 狩行(たかは しゅぎょう、1930年(昭和5年)10月… 鷹羽 狩行(たかは しゅぎょう、1930年(昭和5年)10月5日 - 2024年(令和6年)5月27日)は、日本の俳人、日本芸術院会員。本名・髙橋行雄(たかはし ゆきお)。 山形県出身。山口誓子と秋元不死男に師事。「狩」を創刊・主宰。知的な構成でウィットに富む句風で現代社会を描く。第一句集『誕生』(1965年)のほか、『月歩抄』(1977年)、『十五峯』(2007年)など。 山形県新庄市生まれ。父は土木技師。父の仕事の関係で、少年期を旧豊田郡瀬戸田町(尾道市)で育ち、1943年、旧制尾道商業高校に入学。1946年、同校の教師新開千晩の教えを受け、校内俳句雑誌「銀河」で俳句を始める。1947年より佐野まもる「青潮」に投句。
本禄 哲英(もとろく てつえい、1930年(昭和5年)10月… 本禄 哲英(もとろく てつえい、1930年(昭和5年)10月1日 - 2017年(平成29年)12月29日)は、日本の政治家。北海道北広島市長。 北海道天塩郡天塩町に生まれる。1956年(昭和31年)中央大学法学部を卒業し、北海道宗谷支庁に奉職する。次いで北海道庁に転じ、北海道民生部次長、札幌医科大学事務局長、北海道総務部知事室長、北海道議会事務局長を経て、1987年(昭和62年)10月、退職する。その後、北海道熱供給公社常務取締役を経て、1993年(平成5年)7月、広島町長に当選。1996年(平成8年)9月、市制施行により北広島市長となった。 2008年(平成18年)春の叙勲で旭日小綬章受章。
上原 榮一(うえはら えいいち、1930年(昭和5年)9月2… 上原 榮一(うえはら えいいち、1930年(昭和5年)9月29日 - )は、日本の政治家。元埼玉県桶川市長(2期)。旭日小綬章受章。 埼玉県大里郡熊谷町(現・熊谷市)出身。中央大学法学部卒。卒業後は埼玉県庁に入る。埼玉県人事委員会事務局長、桶川市助役、埼玉県道路公社常務理事などを経て、1993年、桶川市長に当選する。市長を2期務め、2001年の選挙で元桶川市収入役の岩崎正男に敗れた。2003年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
長沼 健(ながぬま けん、1930年9月5日 - 2008年… 長沼 健(ながぬま けん、1930年9月5日 - 2008年6月2日)は、広島県広島市中区袋町出身の元サッカー選手・日本代表選手、元日本代表監督である。位階は正五位。 1994年より第8代日本サッカー協会会長を4年務め、その後同協会最高顧問のほか日本フットサル連盟名誉会長、日本ハンディキャップサッカー連盟会長、日本体育協会副会長、埼玉スタジアム2002場長。 生年の1930年はW杯の第1回大会が開催された年でもあった。 実家は広島の老舗電気工事業・長沼電業社。祖父の長沼鷺蔵は賀茂郡御園宇村(現・東広島市)出身の広島藩士で、戊辰戦争の際に結成された「神機隊」の参謀。明治維新後、廣島県警察部に奉職し刑事係を務めた後、数々の事業を起こしその一つが長沼電業社であり、のち広島有数の実業家となり、広島市議会議員などの要職を務めた。
小菅 亘恭(こすが のぶやす、1930年8月21日 - )は… 小菅 亘恭(こすが のぶやす、1930年8月21日 - )は、日本の地方公務員。元愛媛県副知事。 東京都出身。旧制香川県立三豊中学校、中央大学法学部卒業。 1954年(昭和29年)愛媛県入庁。1980年(昭和55年)総務部財政課長、1982年(昭和57年)総務部次長、1983年(昭和58年)商工労働部長を歴任。出納長を経て愛媛県副知事に就任。
松尾 千秋(まつお ちあき、1930年〈昭和5年〉5月21日… 松尾 千秋(まつお ちあき、1930年〈昭和5年〉5月21日-)は、日本の弁護士。1953年3月、中央大学法学部卒業。新しい歴史教科書をつくる会の長崎支部長、日本会議の長崎副会長、統一協会系組織の日韓トンネル研究会の参与を務めていた。 2007年4月に発生した長崎市長射殺事件の銃撃犯と30年来の付き合いがあり、私選弁護人を務めたことがある。また、市道工事現場での事故をめぐり、同容疑者から市側を告訴する相談を受けていたことを明らかにしている。
押川 國秋(おしかわ くにあき、1930年4月24日 - … 押川 國秋(おしかわ くにあき、1930年4月24日 - 2025年10月14日)は、日本の脚本家、小説家。 宮崎県児湯郡川南町出身。実家は結婚式場兼料理店を経営。高鍋高等学校、中央大学法学部卒。 元々脚本家という仕事をよく知らず、漠然と小説家を志していたことはあったが、大学生時代に野田高梧の『シナリオ構造論』を読んだことがきっかけで脚本家を志す。 本人は人間の問題として安楽死に興味があった。24歳の時に亡くなった父親が「もし俺が倒れて半身不随になったり口が利けなくなったら、殺してくれ」と良く言っていたということで、この自身の体験を結び合わせて書いた『罪』という作品で日本新人シナリオコンクールにて佳作入選。
髙窪 利一(たかくぼ としかず、1930年4月24日 - 2… 髙窪 利一(たかくぼ としかず、1930年4月24日 - 2003年3月17日)は、日本の法学者。商法専攻。正五位勲三等瑞宝章。弁護士。
髙窪 利一(たかくぼ としかず、1930年〈昭和5年〉4月2… 髙窪 利一(たかくぼ としかず、1930年〈昭和5年〉4月24日 - 2003年〈平成15年〉3月17日)は、日本の法学者。専門は商法。学位は、博士(法学)(中央大学・論文博士・1995年)。日本学術会議会員。正五位勲三等瑞宝章。弁護士。 東京都生まれ。都立日比谷高校を経て、1953年、中央大学法学部卒業。1955年、中央大学大学院民法専攻修士課程修了(指導教授は升本喜兵衛 (四代))。1955年、同法学部助手。1959年中央大学法学部助教授。1966年中央大学法学部教授に就任。1969年同学生部長。学校法人中央大学評議員。1988年中央大学法職講座運営委員会委員長。1991年同大学院法学研究科委員長。
渡辺 省一(わたなべ しょういち、渡邊 省一、1930年4月… 渡辺 省一(わたなべ しょういち、渡邊 省一、1930年4月21日 - 2000年9月29日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党に所属し、衆議院議員(6期)、科学技術庁長官(49代)、総理府原子力委員会委員長(49代)、北海道議会議員(4期)などを歴任した。前岩見沢市長で自由民主党所属の衆議院議員の渡辺孝一は長男。 北海道美唄市で生まれる。美唄市立美唄国民学校、岩見沢中学校(現:岩見沢東高校)、中央大学経済学部卒。衆議院議員・篠田弘作の秘書を経て、1963年から北海道議会議員(美唄市選出)を4期務めた。 1979年の第35回衆議院議員総選挙に旧北海道4区から自民党公認で立候補し初当選(同じ区で自由革新同友会新人高橋辰夫も当選)。
本橋 浩一(もとはし こういち、1930年4月12日 - 2… 本橋 浩一(もとはし こういち、1930年4月12日 - 2010年10月26日)は、日本の男性実業家、アニメーションプロデューサー。北海道室蘭市生まれ、小樽市育ち。日本アニメーション株式会社代表取締役社長。 1952年、中央大学法学部卒業。 1953年、学陽書房編集部。同年本橋電機社長。 1960年、聯合広告社代表。 1967年、小谷正一の紹介で日本万国博覧会電力館担当プロデューサー。 1972年、やはり小谷の奨めでズイヨー映像社長。 1975年、日本アニメーションを設立して代表取締役社長。 『フランダースの犬』『母をたずねて三千里』『あらいぐまラスカル』『赤毛のアン』などの作品で知られる〈世界名作劇場〉や、『未来少年コナン』『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』『HUNTER×HUNTER』などのテレビアニメ製作を手がけた。
小川 英(おがわ えい、1930年3月10日 - 1994年… 小川 英(おがわ えい、1930年3月10日 - 1994年4月27日)は、日本の脚本家。本名:小川英二。別名:江里 明。 東京出身。旧制鎌倉中学校(現鎌倉学園)、中央大学法学部卒業。脚本家・池田一朗に師事し、主に日活のアクション映画を執筆。1960年代の日活アクション映画の黄金期を支えた一人である。1970年頃からはテレビドラマに活動の主軸を移し、『太陽にほえろ!』では、番組開始から終了まで関わり、主としてシナリオの監修・手直しをする役割を務めた。これと並行して、アクション、サスペンス、時代劇など、幅広いジャンルで数多くのドラマ作品の脚本を執筆している。 1960年代末には、坪島孝、田波靖男、岩内克己らと映像制作プロダクション「ジャック・プロダクション」を設立。
前川 旦(まえかわ たん、1930年〈昭和5年〉3月10日 … 前川 旦(まえかわ たん、1930年〈昭和5年〉3月10日 - 1986年〈昭和61年〉5月11日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(3期)。香川県高松市出身。 新東京国際空港(現成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった。
飯島 清(いいじま きよし、1930年2月21日 - 199… 飯島 清(いいじま きよし、1930年2月21日 - 1996年4月26日)は、日本の政治評論家、コメンテーター、選挙プランナー。 埼玉県児玉郡児玉町生まれ。中央大学法学部卒業。 商事会社経営、サラリーマンを経たのち、政治研究グループ「山王クラブ」を結成し選挙問題の研究を始めた。また、藤山愛一郎の主催する政治塾「藤山政治大学院」で受講生の指導にあたった。「政治をよくするためには選挙制度をよくしなければならない」という考えの下、「理想の選挙」を掲げ、レポートを国会議員に配布するが、ほとんどの議員から「選挙を実際に知らないから、こんなことが言えるのだ」と冷笑されたという。 1962年7月の自民党総裁選への出馬を見据えた藤山は、この年の参院選全国区の候補者に、いとこでタレントの藤原あきを擁立。
岡崎 万寿秀(おかざき ますひで、1930年1月1日 - 2… 岡崎 万寿秀(おかざき ますひで、1930年1月1日 - 2024年12月21日)は、日本の政治家、俳人。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日本共産党名誉幹部会顧問を経て、同党名誉役員。俳号は万寿(まんじゅ)。 佐賀県唐津市出身。1953年に中央大学法学部を卒業後、日本共産党の理論誌『前衛』の編集長を経て、1983年の第13回参議院議員通常選挙の比例代表から出馬し日本共産党の第7位に登載されたが落選。同年の第37回衆議院議員総選挙に榊利夫の後継として旧東京2区から出馬し初当選。以後1986年の第38回衆議院議員総選挙でも再選を果たすものの、第39回、第40回の各衆院選で次点に終わる。 2024年12月21日死去。
鹿毛 継雄(かげ つぐお、1930年(昭和5年)- 1991… 鹿毛 継雄(かげ つぐお、1930年(昭和5年)- 1991年(平成3年))は、日本の法学者・民法学者・司法書士だった人物。専門は親族法・相続法。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き教員の1人。東京出身。 1948年、不動産会社の第一不動産に事務員として勤務。1952年、中央大学法学部通信教育課程卒業。興和不動産入社。1966年、中央大学大学院法学研究科入学。宅地建物取引士登録。1967年、同大学院法学研究科中退。興和不動産を退職し、恩師の紹介で向江法律事務所勤務。1968年、東京法経学院宅建講座講師(~1976年)。在職中に行政書士合格。その後、行政書士登録。1971年阿部法律事務所勤務。
上瀧 博正(こうたき ひろただ、1929年12月12日 - … 上瀧 博正(こうたき ひろただ、1929年12月12日 - 2026年1月6日)は、日本の経営者。トーハン社長、会長を務めた。 福岡県出身。1953年に中央大学法学部を卒業し、同年に東京出版販売(現在のトーハン)に入社した。1978年に取締役に就任し、1985年に常務、1988年6月に専務を経て、1991年6月に社長に就任。1999年6月から2010年6月までに会長を務めた。 2012年5月に旭日小綬章を受章。 2026年1月6日死去。96歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
飯村 恵一(いいむら けいいち、1929年〈昭和4年〉12月… 飯村 恵一(いいむら けいいち、1929年〈昭和4年〉12月1日 - 2002年〈平成14年〉12月21日)は、昭和から平成時代の政治家。東京都台東区長。 現在の東京都台東区出身。中央大学法学部を卒業する。台東区議会議員を3期務めたのち、1975年(昭和50年)から東京都議会議員に5選する。1991年(平成3年)台東区長に就任した。3期目限りで退任を表明していたがその任期途中の2002年(平成14年)12月21日午後、体調不良を訴えて搬送された文京区内の病院で虚血性心不全のため死去、73歳。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈、従四位に叙される。
野呂田 芳成(のろた ほうせい、1929年〈昭和4年〉10月… 野呂田 芳成(のろた ほうせい、1929年〈昭和4年〉10月25日 - 2019年〈令和元年〉5月23日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等旭日大綬章。 農林水産大臣(第22代)、防衛庁長官(第61代)、衆議院予算委員長、衆議院国家基本政策委員長、衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)を歴任。 秋田県能代市出身。中央大学法学部卒業。国家公務員上級試験に合格し、1953年4月、中大卒業後に建設省に入省。山形県や茨城県への出向を経験。建設大臣官房文書課長を最後に1977年に建設省を退官した。 建設省退官後、同年の第11回参議院議員通常選挙に秋田県選挙区から自由民主党公認で立候補し、初当選した。
笹原 正三(ささはら しょうぞう、1929年(昭和4年)7月… 笹原 正三(ささはら しょうぞう、1929年(昭和4年)7月28日 - 2023年(令和5年)3月5日)は、日本の元アマチュアレスリング選手。山形県山形市出身。 中央大学でレスリングを始め、1956年メルボルンオリンピックで日本選手団の旗手を務め、レスリング競技(フリースタイル・フェザー級)で金メダルを獲得、得意技は「またさき」であった。東京オリンピックではフリースタイルのコーチを務めた。 国際レスリング連盟副会長、JOC副会長、1995年夏季ユニバーシアード団長、シドニーオリンピック日本選手団副団長などを歴任し、1989年から2003年まで日本レスリング協会会長に就いた。2006年には国際レスリング連盟殿堂に表彰された。